本日の御題:耐久消費財を浪費する国
 これは1999年9月21日に劉表さんからあった投稿文です。

劉表さんからの投稿(1999.09.21)

◆住宅立て替えサイクルに疑問
 日本では2、30年もすると住宅を取り壊してしまいますが欧米では100年200年平気で使います。
 このことが日本人の生活をある意味で貧しくしているのではないでしょうか。
 銀行マンはお金を貸してその利子で生計を立てているわけですから、「もう、減価償却が来てるから立て替えて もいい頃ですね」と言うでしょう。
 そのために一般の人は、立て替える必要のないものを立て替えても、損をしているという実感がない。ここに落と し穴があります。

 企業は減価償却費を毎年一定割合で利益から引きますが、我々個人は家計簿に減価償却費を計上することは まずありません。
 家計簿につけて収入からあらかじめ差し引いて考えていれば別ですが、そうはいきません。
 つまり、立て替えで支出したその額面通りの支出となるわけです。

 もし二倍長く住めば一年当たりの支出は半分になり(ただし、実際はローンの期間が倍になれば利子の分だけ支払 い金額も増えるため半分にはならない)、その分広い家に住んだり、または他の消費財を消費できるなど明らかに 生活の質は向上します。

◆住宅の大量消費は大量廃棄を生む
 そういう会計的問題のほかにごみの問題もあるでしょう。建築廃材は産業廃棄物の大半を占めます。ダイオキシン発生が 懸念されるため、各地の処理場ではトラブルも起こっています。
 これも元をただせば、建物の耐用年数問題と深い関係があります。

 耐用年数が短ければそれだけ毎年大量にゴミが出ます。
 日本の建物は大体が内部で断熱するらしいと聞きます。欧米では外部で断熱するのが主流です。地震国という ことをさしひいても、もっと工夫の余地があるのではないでしょうか。

 建物に限らず新幹線のトンネルでもみられたようにコンクリート構造物全般で日本はいつのまにか、技術大国が空洞化 していると思います。

 どうも、ここらは日本の都市政策の課題ではと思うのですが。いかがでしょうか? これは地球環境問題であり経済構造の 問題でもあると思います。

管理人より

 劉表さん、掲載が遅れて申し訳ありませんでした。
 人それぞれ問題意識をもっている事柄が違いますね。劉表さんの投稿文を読んで私もハッとしました。 投稿ありがとうございました。

◆住宅立て替えサイクルの問題
 住宅の耐久年数が欧米と日本で異なるのはやはり木の文化と石の文化による違いが一因であると考えられます。
 日本および東アジアの国々は基本的に木造建築ですよね。確かに現代では純粋な木造建築は減りましたが、柱などは やはり木が多い。よって湿気による痛みなどで住宅は立て替えるもの、という認識が自然と出来上がってしまったのかも しれません。江戸時代の江戸では火事が起こるたびに近くの家が壊されたといいますから(火の手が広がらないように)、 住宅の永続性ということはあまり考えられておりません。

 一方の欧米は家を石で作る文化のため、住宅は一度建てたら大地震でも起こらない限りそうそう壊れたりしません。 そういった時代を長く過ごしてきたことにより、簡単に壊れてしまう(建て直しが必要になる)住宅などは売っても売れない のでしょう。つまり20〜30年で住めなくなるような住宅は許されないのです。

 いずれにしても土地は高いわ、住宅の耐久年数は短いわ、では、日本人が「うさぎ小屋」から脱出できる日はまだまだ 先のことになりそうです。

◆大量廃棄の問題
 住宅は一棟壊しただけでもトラック数台分の建設廃材を出します。しかも鉄筋やコンクリートは基本的に埋立地に処分 されます。実はこれが半端な量ではないということは、以前どこかで聞いた記憶があります。
 生ゴミならば、堆肥などで有効活用することも可能ですが、コンクリートは基本的に一度使われたらリサイクルはされ ませんし、その中に埋まっている鉄筋も一緒に廃棄物になります。もちろん、部屋の中の家具を綺麗に分別して から取り壊すわけでもないので、あらゆる材質のあらゆる製品がごちゃまぜにされて処分されるわけです。
 新規にゴミ処分場を作ることが難しい現在において、この実態は「資源の無駄」「家計圧迫の無駄」「ゴミ処分場の無駄」 という3つの大きな無駄を引き起こしていると言えます。

◆資本主義の限界
 資本主義は生物の「利己主義」をうまく利用した経済形態です。そのため強制しなくとも個々の人々は成功を収めるために 自然と経済活動を起こし、工夫し、競争することでしのぎを削りあい、社会全体としては豊かな方向に向かう、らしい。

 しかしこの「利己主義」というキーワードが時として諸刃の剣であることを我々はよく感じます。
 例えば、現在、関西地方を中心に、住宅のコンクリートが剥がれ落ちる問題が多発しております。理由は明確で、 海の砂を用いた質の悪いコンクリートが安価であったために、高度経済成長時にそういった材料が使われたためです。
 剥がれ落ちたコンクリートの破断面に貝殻が見えることもしばしば。これでは強度的に問題が起こって当然です。

 もちろん、そんなことは建築会社も重々承知です。しかし利益を出すためにあえてそういった材料を使って マンションや一戸建てを建てているわけです。原材料費を浮かして着服(法律上、これらの材料を使うことは禁止されている ため書類上は正規の材料を使ったことにしている。つまり価格の差額を事実上脱税していたわけだ)する方法は広く行われて いたようです。

 これは決して日本だけのことではなく、海外でも起こっています。大地震に見舞われたき、数百年前に建てられたモスクは 無事でしたが、高度経済成長期に建てられた近代的な建物は壊滅してしまった、なんてことがつい最近実際にありました。
 これは現代の技術水準が数百年前に及ばないのではなく、利益を追求するあまり手抜き工事をした結果なのです。
 日本では阪神大震災などで、業界のいいかげんな実態が明らかになりました。

 これは資本主義の宿命なのかもしれません。モラルなき資本主義は必ず儲け主義に走るのは日本独特の現象ではなく、全世界 的に起こっておりますので。そしてこれを抑制するのは、やはり「法」以外にはないのでしょう。
 ただし、現状はその法がうまく機能していないのが実情です。

 例えば、海の砂をコンクリートに使うときは塩分を十分に取ることが法律で定められていますが、関西の住宅では先に述べた とおり貝殻が混在しているなどその製造はあまりにずさん極まりないものです。これは明らかに法律違反の証拠として成立する ものであるにもかかわらず、実はこの悪徳業者は捕まっておりません。なぜか? 会社はすでに倒産しているからです。

 しかし当時の経営者はまだ生きているわけだし(しかも同業の別会社を経営している場合もあるとか……)、たとえ会社が倒産 していたとしても責任追及はしていくべきなのにそれができない、または難しい。会社はそれ自体が生命を持っているわけでは ないので、いくらでも潰せるしまたいくらでも起こすことが出来ます。これで責任を回避できるようならば、こういった手抜き 工事はなくならないでしょう。

 行政が監視の目を光らせるにも限度があります。後は実際に不祥事が明るみに出たときどう対処するかが重要です。
 現在は、「諸悪を取り締まるため」の法律が逆に「諸悪を保護する」ために悪用されている感が否めません。

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