本日の御題:与野党、逆転の力学 in '98
本コラムは、【逆転の力学】の前編です。

◆民主党の失策
 時は去年に遡る。参議院選挙で惨敗直後、小渕政権と自民党が絶体絶命にあったことは記憶に新しい。
 野党は民主・公明・自由の3党が連立し、まさに自民党から政権を奪い取る勢いだった。
 しかし、参議院では過半数を超え菅氏を総理指名したものの、衆議院で過半数を取る自民党が結局総理を輩出した。

 ならば金融・財政再建問題で与党を揺さぶりたいところだったが、民主党は自民党に「やりたいようにやれ!」と 言い放ってしまったものだから、自民党は好き勝手に赤字国債を発行し、公共事業を大盤振る舞いして景気のテコ入れを行った。
 これが結果として、順風に見えた野党三党の敗北の原因と言われている。

 おそらく、当時の民主党首脳、特に菅氏の周りは、「金融・財政問題を政争の具にしない」という紳士的な名言で国民のさらな る支持を受ける一方、自民党のやり方は旧態依然だからいずれ頓挫し、さらに経済に混乱が生じたところで出て行けばよい、と 考えたのではないだろうか?
 小渕・自民党の支持率低下と、菅・民主党の高支持率に浮かれ計算を甘くしてしまったと言えるだろう。


 実はこのとき、筆者は民主党・菅氏のホームページに、あるメールを送っていた。内容は、野党共闘が失敗に終わる危険性と、 それを避けるための策として、「影の内閣」を発足すべきだと提案した。
 今まで敢えてその内容をコラムにて書かなかったのは、私がホームページを開いたのが去年末であり、すでにその時には 自由が与党に組し、公明の動きも自民よりになっていたためである。
 つまり、過去の予言をしていると思われたくなかったからである。

 しかし、今回、敢えてこの内容を取り上げたいと思う。

 まず結論から言いたい。私が送ったメールの内容は次の通りだった。

【逆転の力学】in '98 summer


 衆議院では過半数を取れず、低支持率のため小渕政権の解散・総選挙も望めません。
 民主党の取るべき道は、徹底的に「金融・財政問題」を政争のネタにして国会を空転させるべきです。
 正義の味方民主党と諸悪の根源自民党、という構図はすでに出来上がっているので、多少の暴挙は自民党にダメージを 与えることはあっても民主党が非難されることはありません。

 民主党が対抗案を出して望めば、経済をよくしてくれるであろう民主党の案を拒否する存在として、 自民党の支持率は急降下するはずです。

「いやいや、自民党の支持率が下がれば下がるほど解散総選挙は遠のくから、野党三党が与党になる日は遠くなる」

と言う人もいるでしょう。確かに、民主党議員・国民、共にそのジレンマに駆られているはずです。
 しかし、何も総選挙だけが脳ではない。政争で徹底的に自民党を叩きその支持率を下げれば、たとえ自民党執行部が 選挙をする気がなくても、末端の若手議員は不安に駆られ始めます。彼らの多くは確固とした地盤を持っていないため、 支持率低下は死活問題になるためです。

 そうしておいて、「影の内閣(いつでも政権奪取が可能なように野党が作る内閣)」という受け皿を用意して民意に 訴える一方、超党派の勉強会を結成して執行部に不満をもつ自民党若手議員を集め、野党への鞍替えを促せば、 たとえ解散総選挙などなくても衆議院で過半数を取ることができるでしょう。


 もっとも、今となってはこのアイディアが正解だったか、知ることは難しいですが。

 '98夏の参議院直後、誰が見ても民主党に風が吹いているときになぜ私が野党共闘が成功しないと考えた理由は、 民主党は公明・自由の意見をなかなか取り上げようとしなかった所にある。菅氏は持ち前の頑固さと正義感(?)を前面 に出し、無駄遣いの「地域振興券」(公明党)を冷たくあしらった他、自由党との政策協議でも譲歩を躊躇っていた。
 これでは野党共闘しても、選挙時には公明・自由は独自のカラーを出せないから、反自民票は野党最大勢力である民主党に 一方的に流れてしまうという危機感を抱くようになる。民主党の一人勝ちは十分現実味を帯びていたのである。
 また、自民以上に寄せ合い的性格の強かった3党は、政策を協調されることが難しい。過去の連立のようにすぐに瓦解して しまう恐れがある。
 それを回避するために一役になうのが、これまた影の内閣である。テーマごとに「委員会」を設置し、党を超えて議論すれ ば、国対委員間でしか関係を持たない党と党の関係をこれまでとは比べものにならないほど密接にすることができる。
 その上で委員会ごとに責任者(委員長)を選出し、そこで決められたことをその委員長ならびに所属政党の功績として称えれば、 公明・自由の功績にもなるほか、自民党に対抗できる手駒を数多く持つことができる(昨今の選挙は知名度が大きくものを言う。 テーマごとにある時は民主党議員、ある時は公明党議員、という風にすれば、人材の層の厚さをアピールすることができる)。

 菅氏がこの絶好のチャンスに「政争のネタにしない」と言い切ってしまったことは、「宋襄の仁」と言わねばならない。
 個人としては美談になることも、政治の世界では愚者と呼ばれてしまうのである。

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