国家間の相互依存で平和は生まれるか!?
 今回のコラムは、まずHPを訪れてくださった方から考え・テーマを頂き、それに対する 管理人の意見を述べる形を取っています。

劉表さんからの投稿(1999.05.17)

 昨日(1999年5月16日)までハーグでNGO平和会議がありました。
 第一回の平和会議が開かれてちょうど100年が経過した記念だそうです。

 冷戦後、たしか、相互依存が進み、自由と民主主義が広まれば、平和になると、つい3年か 4年前に新刊で読んだのを覚えています。

 ところが、民主主義のイスラエルで96年に選ばれた現首相が、和平を遅らせたわけですし (さすがに今回の選挙は負けるでしょう)、去年核実験をやった、インドパキスタンもれっきとした民主主義国家。

 相互依存が進めば、利害が決定的に対立するとお互いに損なので、戦争はなくなるというのも 怪しい。そもそも相互依存がなければ利害の対立は起こりようがありませんから。

 それにしても戦争というのは、金ばかりかかって結局虚しいものです。
 三国時代の後の戦乱も、三国抗争で中国全体として国力を使い果たした結果、匈奴に侵入を許したという側面があります。

 個々の為政者のエゴが国民の生命や尊厳より優先されるのは、古代国家でも民主国家でも同じかも知れません。
 しかし、それを許すわけにも行かない。そこで今回の会議では場合によっては政府や軍から権限を奪い取る必要がある というのがアジェンダに盛り込まれたそうです。苛立ちが分かります。

 宮殿など土木工事もそうです。諸葛亮のように、用水路を作るなら別ですが。
 今なぜ、誤魔化されるかといえば、一つには金融市場があるのでそこがクッションになっていてすぐには見えないからです。
 当時なら、戦争や宮殿建設はすぐに労働力を取られるという形で真っ先に民間に悪影響が出ますから。武器を作ればあきら かにそこに資源がとられますし。

管理人より

 劉表様、このたびは、貴重なご意見を聞かせていただきありがとうございました。
 「政治」に関わる(関心を持つ)というと、日本ではどうしても「アブナイ人」「堅い人」というイメージを 持たれがちですが、民主主義国家に生きる以上(国民が国政の主役である以上)、関心を持つことは必要不可欠 であると私は感じています。
 多少、意見の食い違うところがあるかも知れませんが、私なりの考えを述べることで返答させていただきたいと思います。


 相互依存が進み自由と民主主義が広がれば平和になると、数年前にまことしやかに言われたことがありました。
 依存していれば攻撃できない、なんとか話し合いで解決しようとする、というのがその理由だったように思えます。

 でも結局、「自分の大切なところでは他国に依存したくない」と互いに思っている以上、 やはり摩擦は絶えないのではと私は考えています。

 また、「相互依存=平和」の論理は、長引いた冷戦が終了し、唯一の超大国になったアメリカの理論であるようにも思えます。
 著作権という鎧をまとったハイテク技術で頭一つ飛び出しているアメリカとしては、「自由貿易」という手段を使って 「相互依存」することが自国の繁栄に繋がりますので。

 また、民主主義が絶対というのもかなり怪しい話です。
 古くはナチスのヒトラーだって民主的に選ばれた指導者だったし、最近ではインドやパキスタンだってそうです。
 民衆は選ぶことはできますが個々の政策に関わることができません。
 また無責任なマスコミによってもたらされる情報によって、誤った方向に進む危険性を多分にはらんでいます。

 政治学の歴史から言うと、ギリシャで民主的なシステムがまず生まれましたが、民主制は常に衆愚制(つまり無知な 一般人による政治。専門的な知識がなく、時に感情的な行動を取るため、烏合の衆の集まり的なニュアンスが含まれている) に陥りやすいと長いこと指摘されて来ました。
 事実、日本でもタレント議員が多く輩出されましたが、彼らに政治的手腕があるわけではなく、ただ有名人だから当選して しまったような人々です。
 能力を度外視した、この「好きな人に投票する」という現象は、「民主制」というより「衆愚制」に近いのではないかと思 います。

 ついでに言うと、法治国家と独裁国家、どちらが効率的かといえば独裁国家だそうです。
 ただ、独裁国家は天国にもなるが地獄にも化けるため、安全弁のついた法治国家のほうが無難だというわけです。
 確かに聡明で公正な理想的な(ほとんど神様レベルの)君主がいれば、選挙で大金を浪費することもなければ、法の隙間を ついた犯罪に手も足も出せないということもないでしょうから一理ありますが、事実上よほどの幸運がない限りそのような 人物は現れないでしょうから、一応、民主主義のほうに軍配を上げるべきなのでしょう。
 君主が変わるたびに法律が変わっても困りますしね。

 そこで、ご存知の通りNGO(NPO)の登場です。
 簡単に言えば、民間の有志が集まって、政府の悪政を指摘し軍の暴走を止めようというわけですよね。
 そのためには官僚が握っている情報も開示されなければならないし、民主国家ならばNGOが選挙の結果に多大な影響を与 えるようなシステムを作らなければなりません(そうならないと政治家は動かないので)。
 しかし残念ながら、そういった土壌が出来上がりつつあるのはいずれも西欧先進国で、本当に必要だと思われる政情の不安 定な国々には根付いていないのが現状です。

 私は和平会議をやるならば、ハーグなどではなく、たとえば東南アジアなどで開催すべきなのではないかと感じています。
 地元でやらなければ関心を持ちませんし、存在だって知らないかもしれない。これでは、NGO的民主主義(国民参加型の 民主主義とでも言うべきでしょうか)は広がっていかないと思うんですよ。

 管理人の意見は以上です。
 劉表様、このたびは本当にありがとうございました。

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