本日の御題:自民と公明のあやしい関係
  ◆公明党の微妙な舵取り
 1998年12月13日の本ホームページのコラム、「国会が旧体制にかえる日」ですでに自自公連立の可能性を指摘したが、 近頃の公明党の動きを見る限り、かなり現実味を帯びてきた。

 例えば、衆院予算委員会では、委員長の中山氏の些細なミスにより野党3党がボイコットを決めた。野党3党といっても、 もちろんかつての「民主、公明、自由」ではない。「民主、共産、社民」である。
 では公明党はどういう対応を取っているかというと、中山氏の非を認めながらも同氏が陳謝したので「ボイコットをする理由 にはならない」と、与党側の立場を取っている。現に、与党と公明党は16日も行政改革や経済対策について集中審議を決定して いる。上記の野党3党は、審議拒否の姿勢を崩していない。
 公明党は「与党寄り」という批判をかわすために、草川氏が事態打開に向けて奔走していると言う。

 ちなみに中山氏のミスとは、12日の予算委員会で理事会の決定を経ずに15日の委員会開会を宣言してしまったことである。

◆公明党、心は与党?
 公明党の与党よりの姿勢は今に始まったことではないが、他にも例をあげておこう。

 自民党と公明党(自由等は入っていないらしい)は、教育奨学制度の充実で協議を繰り返している。両党の意見には細かい相違 があるものの、大筋で合意されている。「成績に関わらず勉学に熱意のある者」や「保護者の失職などで家計が悪化した子供」 などを対象に奨学金を支給するものである。

 また、悪名高き地域復興券の第2弾でも両党は密接な関係を示しているのは周知の事実だろう。

◆地方選後、豹変の可能性も
 これまで公明党は、与党と密接な協議をしたり、また与党寄りの態度を示すたびに「与党寄り」という批判をかわすよう、全 力を尽くしてきた。その理由は何か? 民主党がそれほど怖いのだろうか? 勿論、答えはNoだろう。
 1998年の参議院選挙直後ならば、民主党と手を切ることは自殺行為に近かった。
 しかし、支持率で自民党が民主党を抜いた現在においては、民主党と縁を切っても限られた人々からしかブーイングは起こら ないだろう。むしろ、自由に続き公明にまで見捨てられたと、民主党に対する失望感が国民の間に浸透するはずだ。

 ではなぜ公明党は、「野党」と自称しながら「与党」寄りに行動する、という面倒で精神的に疲れる態度を取っているのだろ うか?
 おそらく、「万年野党」は耐え難いにしても、現状では「与党」になるリスクも大きいと考えているのではな いだろうか。「与党」というレッテルを貼られることが地方選にどう影響するか、判断し難い状況なのだ。

 そこでとりあえず選挙の結果が出るまでは「与党に対して寛容な野党」を演じる。
 ここで自民が勝てば与党に合流し、民主党が勝てば野党の鞘に戻る。都知事選の候補者で、公明党は民主党推薦(事実上)の 鳩山氏と自民党推薦(未決定)の明石氏のどちらを推すか、決めかねていることがその証拠だろう。結局、同党は勝ち馬に乗り たいだけなのだ。

 公明党は民主党に気を遣っているのは選挙対策の一環である(既得権益におぼれた自民党と正義の民主党というイメージは根 強い)と考えるのが無難だ。ということは、選挙が終わってしまえば、同党は気を遣う必要がなくなる(小渕さんは早期解散はし ないようだし)わけで、これまでのように民主党の顔色を窺うこともなくなる。

 いずれにしても、民主党に付く党が、政界の嫌われ者の「共産党」(共産党支持者の方、ごめんなさい)と、風前の灯火の「社 民党」しかいなくなったら、この国の政治もあと10年は変わらないだろう・・・。

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