本日の御題:日本的平和主義の限界(2) |
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◆憲法第9条の呪縛 さて、前回は「教育現場」に蔓延る無益な「平和主義」について語らせてもらった。過ちを犯している生徒に 対して、何ら実効的な対処ができないというこの問題は、実は日本の社会の至る所で見る事ができる。 ここではその最たるものとして、非難轟々の、いや言葉にする事すら躊躇ってしまう「憲法第9条」を挙げたい。 反論の多い問題であるため、覚悟はしている。ただ1つ願いたいのは、どうか最後まで読んでもらいたいということだ。 憲法第9条は、政治的意図を介せず素直に訳すれば、こんなところだろう。 「戦争および戦争に結びつくような兵器の所持・製造は永久に行わない」 どうしてなかなか、素晴らしい事が書いてあるではないか。原爆と言う巨大な爆弾を落とされた覇権主義国家が、敗戦を機に 平和的な国に生まれ変わると言うのだ。実際に人間が生きているわけではない、例えば小説の中でならば、崇高で最も感動的な エンディングと言えるだろう。 しかし、小説には終わりがあるが、現実の世界には終わりがない。つまり、「平和的な国に生まれ変わった後」が あるのだ。時が流れている以上、完成もエンディングもないのである。 では平和的な国のその後はどうだろうか? 「武器を持たない国」、つまり無力な国を攻めると言う恥ずべき蛮行をする国は現れないだろうか? こちらが軍事力 を持たなければ警戒もされないから大丈夫だ、と言う人がいるかもしれない、 しかし、所詮、それは「話せば分かる」程度の説得力しかないのは明らかだ。 第一、「警戒」だけが戦争の動機ではない。実例を挙げるなら、イラクのクェート侵攻だろう。 「無力な女性・子供には手を出さない」という武士道もあるが、実際に犯罪者が狙うのは弱者である。それが富豪の御子息で あれば言うことはない。 ましてや、この日本独特の「武士道」を文化の違う他国に期待するのは愚策というものだ。 「日本にはアメリカがいるから独自の軍事力を持たなくても大丈夫だ」とかつて日米安保に反対した某党議員が言うかもしれ ないが、他国に国の将来を預けてしまうほど危険な事はない。 外交努力を惜しまなければ大丈夫という人もいるかも知れないが、「軍事力」に裏打ちされない外交などありえない。 たとえば警察が犯罪者を取り締まる力がなくては、どんなに法律を厳しくしても、どんなに自首を呼びかけても効果が期待でき ないのと同じだ。 「軍事力」という言葉に抵抗を感じるのは日本人である私も同じだが、歴史をひも解いてみても「力」の後ろ盾のない交渉ほ ど虚しいものはない。特に国家間の駆け引きは、個人の人間同士に比べてはるかに強かである。 単刀直入に言って、私は憲法の一部改正を検討すべき時期に来ていると考えている。それは自衛隊が広く認知され、日米安保 が広く支持されている現在において、現実と憲法をマッチさせる事に繋がるだろう。両者はすでに受け入れられているため、現 実的には大した変化を生まない。 残るのは、玉虫色(実はこの色を私は見た事がない)になっている「多国籍軍への参加」や「国連軍への参加」 だが、これらは国民を挙げて議論すべきではないか? よく、テレビキャスターも同じ事を言っているが、私は 憲法の解釈論をやっている限り、これらの 議題は国民まで下りてこない。 と確信している。 国の未来を考え、国民全体で議論しようと思うならば、それに見合ったお膳立てをしなければ気運も盛り上がらないだろう。 ◆改憲への拒絶心と中国・韓国へのコンプレックス 「憲法改正」=「軍国主義」というレッテルを貼られかねないのは、戦後50年以上たった今でも変わらないが、私はそろそろ この考え方を改める時期に来ているのではないか。 なぜ自前の軍隊の持つ事を正式に認めようとしないのか? 太平洋の小国だって、お隣の韓国や中国だって、いやいや第二次世界大戦で共に敗れたドイツやイタリアだって持っているも のだ。 そして、日本のように憲法に「軍隊を持たない」と明記した国は、日本以外ではこれまであがっていない。それもそのはず である。 「軍隊を持っていれば戦争に巻き込まれる」 というのは確かに正しいが、 「持っていなければただ無条件に降伏するのみ」 であることを知っているからである。 平和主義者は時として理想主義に陥り、「自分が軍事力を持たなければ、それを見習って他の国も軍隊を解体していく・・・」 などと無責任な事を真顔で口にするが、現実問題としては不可能に近い。「戦いは仕掛けるものだけでなく、仕掛けられる事も ある」のだから。 自衛のためにある自衛隊の存在を、憲法を捻じ曲げなくては正当化できないなど馬鹿げているではないか。 凶悪な犯罪者を前にピストルを床に置いたなら、たとえ警官であっても撃たれてしまうのである。 私が思うに、日本人はまだ「戦後」から脱しきれていないのだと思う。 韓国人や中国人に太平洋戦争時代のことをチクチク言われると、「そんな昔の事を」と言うくせして、自分もまだ戦 後の価値観から離れられずにいるのだ。それが時代との間に歪みを生み、自衛隊の存在を正しく認められなかったり、平和維持 のための活動にも参加できなくさせている(もっともPKFに関しては問題があるが)のではないだろうか。 最後に、このコラムを読んで、私を「軍国主義者」と思われた方もいるだろう。そんな方に一言。 私は「血を見るのが怖い、極めて分かりやすい平和主義者」である。献血のさい、管を流れていく血液を見て倒れてし まったことがあるのだから…(恥)。戦争なんてあった日には…。 |