本日の御題:「政治と経済は別」という詭弁を許すな

◆「政治と経済は別」という詭弁
韓国や中国との関わり合いの中で、よく聞く言葉がある。

「政治が冷却化しても、経済は別」「政治的に対立しても、経済は切り離して考えるべき」

これをいうのは大概、韓国や中国側であった。

理由は単純で、少なくともその時期、彼らにとって日本との経済的つながりは重要であり、政治的緊張が走ったからといって、経済的つながりを切ることはできなかったからだ。インフラも整っていない経済発展過程の中国に一番初めに進出したのは日本企業であったし、経済危機に陥った韓国にIMF全体の援助と同額に近い資金提供をしたのも日本であった。

彼らは日本を悪役として国内政治をまとめてきたものだから、政治的問題では国民感情に配慮し、日本に譲歩することができない。そこでひねり出された言葉が上記の詭弁だ。

しかし、それは彼らが相対的に弱い立場であった場合に限る。ひとたび力をつければ、日本からの恩など紙屑にも劣るような扱いを受けることになる。尖閣諸島で日中が緊張関係にあったときは、中国からの観光客の減少(政府が日本に観光に行くのは好ましくない、という政治的な圧力の下)や経済活動に重要なレアメタルの輸出規制等、政治的問題を解決するために経済的な圧力をかけることが平然と行われる。

どうようのことは、サード(THAAD・高高度ミサイル防衛システム)を導入した韓国に対しても行われ、韓国芸能人の中国国内での活動停止や中国代理店の韓国へのツアー販売の停止、韓国からの輸入品に対する政治的圧力(品質を満たさない等の難癖)、ロッテをはじめとする韓国企業への圧力、など枚挙にいとまがない。

これはほかの国でも行われており、むしろ現在は、武力による攻撃よりも経済制裁のほうが、政治目的を達成させるための主要な手段になっている。武力攻撃は費用がかさむうえ、兵士に死傷者が出れば国民からのバッシングも受けかねない。しかも一度始めると、目的達成まで引くに引けない状況に追い込まれる。

そこへいくと経済制裁は有効だ。欧米諸国がロシアに対して行ったのも、アメリカがメキシコに対して行おうとしているのも(高い関税をかけて、メキシコに実質的に壁を作るのも必要な費用をねん出させる)、北朝鮮に対して国連安全保障理事会が行ったのも、すべて政治的目的を達成するためである。それは即効性はないが、国民生活の悪化という形でその国の経済を混乱させ、それが政治にも影響するよう仕向けているわけだ。

もっとも、この方法は万能ではない。北朝鮮、ロシア、中国のような独裁国家で言論統制がされているような国では、国民が政治家を選ぶことができないので、仮に国民生活がひっ迫しても、時の政権を倒すことにはつながらない可能性が高い。

 

政治とは国民の安全を守り、豊かな暮らしを保証するためにあるものである。つまり、そもそも経済である。

「政治と経済は別もの」という、他国にとってイイトコ取りを許してしまうようでは、日本はまだまだ交渉力のない2流政治の国と揶揄されてしまうことだろう。

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