本日の御題:組織における個人の力と規律

◆組織の力とは、個の力
日本人は、とかく「組織」と「個人」を対角線上にあるものと考えていないだろうか。ちなみに、辞書で調べると「個人」の反対語は「社会」「団体」と書かれている。なるほど、確かに私の脳の中にも、そのように考える思考回路がないわけではない。

ただし、「組織」の頭に「元気な」だとか「活力ある」という言葉をつけたらどうだろうか? それまで無機質で人の血の通っていないかのようなイメージの「組織」という言葉が、急に人間臭く思えてくる。そうなのだ。組織はあくまで器であって主体ではない。その組織の中には必ず人がいる。つまり、組織は個人の反対語ではなく、個人の総合体なのである。

そんなこと当たり前じゃないかと言う人もいるだろう。確かにそのとおりである。しかし「組織」に所属していると、しばしば「個人」は抑制される。「組織の和を乱すな」「個人行動は慎むべきだ」「個人商店ではない。会社は組織だ」そんな言葉が職場に飛び交うのを聞くうちに、「組織」が「個人」の対義語になってしまうのである。

現代の日本の会社の弱さは、まさにそこにあるのではないだろうか? 個人を抑制する組織に未来はあるだろうか? 組織という頭脳は存在しない。組織の構成員の頭脳が存在するのである。組織という手足も存在しない。組織を動かす人たちがいるのである。個人を抑制する組織は空っぽの器に等しい。どんなに大きくて立派な茶碗でも飯がよそられていなければ腹が満足しないように、どんな有名で巨大な組織であっても、その中にいる人が活性化されていなければ、クリエイティブなものは生まれない。ただ過去の栄光をよりどころにするだけの滅びゆく組織に成り下がる。

たとえば企業について考えてみよう。巨大なだけでクリエイティブさを失った企業が次に取る行動は、たいてい規模の拡大だ。ある市場で独占的な立場に立てば価格をコントロールできる。あるいは資産が大きくなることで企業の体力がつく、と考えるからだ。しかし現代は異業種からの参入が日々行われる時代であり、魅力ある市場にはすぐに他業種から強力なプレイヤーが現れ、そしてそれまでの常識が覆される。たったひとつの技術革新が業界そのものの地図を書き換えることは決して珍しいことではないのだ。

環境が激変しやすい現代という時代では、規模がどんなに大きくても変化できなければ滅ぶことになるだろう。日本の電機メーカーがまさにそうだ。まるで天候が激変して巨大恐竜が真っ先に絶滅したかのようなことが、いまわれわれの目の前で起こっているのである。

そんな時代に組織が生き残るためには、その組織の中にいる個人の能力を最大限活用するほかない。組織の対義語が個人であってはならない。「組織的行動こそが会社のあるべき姿だ」と考える人々にとって「個人行動」は和を乱す悪にしか映らないが、その個人の行動こそが組織を新しいステージへと向かわせるものであることを、理解すべきである。

アメリカのなにもかもを絶賛する気はないが、少なくともアメリカの企業、特に業績のいいグローバルな企業は、個人のアイディアをとても尊重する。それゆえに新しい革新的な商品を開発、販売することができる。良いところは素直に認め、習うのが日本人の優れた資質であるわけで、ぜひこの点は見習いたいものである。

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