本日の御題:安保というトラウマに悩まされる日本社会

◆国家の安全保障を論ずることはタブーなのか
この国に生まれ、この国で生き、そしていずれは死んでいくであろうわが身をもってしても、「この国のココロ」が分からない時がある。それは国家の安全保障について論じるときだ。

まず国家とはなにかと問われれば、その構成員である国民の生命、財産、尊厳等を守るための単位であると私は考える。国民が国家に属したいと考えるのは、国家に属することで様々な恩恵を受けるからだ。同一の通貨によって物を購入し、ある一定レベルの教育を受けることができ、そして社会生活を営む上での様々なサービスを受けることができ、やがて老いては生活の保障を受ける。この当たり前のような恩恵は、法によって定められ、警察という正義によって保持される。ゆえに法は万民の下に絶対かつ公正でなければならないし、警察権も同様だ。

しかし、これら国民として得られる恩恵は、警察によってのみ守られているわけではない。国内の治安維持においては警察が担ってはいるが、国家の境界を境にして、外と内の平和を守っているのは軍隊である。それを否定することは、人類の歴史を紐解けば理解できるはずだ。国民が平和で過ごすためには、たとえ「悪」だと言われようが、軍隊が必要であった。

にも関わらず、我々日本国民は、国家の安全保障をあまりに軽視していないだろうか? 第二次世界大戦の敗戦国であるドイツやイタリアであっても軍隊を否定しない、いやどんな小国であっても規模は別として軍隊を否定しない世界で、我々日本人だけが軍隊による安全保障に背を向けて生きているように思える。

日本国内は世界的に見て平和であるかもしれないが、国境を越えた先、警察権が及ばない場所は21世紀になった今日でも決して安全ではないということを、軍隊の存在を軽んずる人々は認識すべきである。

力→悪 、 軍隊→人殺しの組織→悪

世界はそれほど単純な法則では回っていない。

◆集団的自衛権は憲法違反なのか
確かに日本国憲法は、力による国際問題の解決を全否定している。しかしその一方で、国家は国民の生命、財産を守り、さらに表現の自由など基本的人権を守るともある。これはある一定の条件下では矛盾する。つまり国外からの武力攻撃、あるいは武力による脅しを受けた場合だ。

戦争が起こらなくても、国が弱ければ、外国から圧力を受ければ、たちまち国内の表現の自由など失われてしまいかねない。あるいは日本国民の領土、領海にある様々な資源を奪われることは、国民の財産を守っているともいえない。軍隊だけが国力ではないが、経済力だけあって軍事力を全くもたない国がどのような末路を辿ったかは歴史の教科書を開けば分かるはずである。

もし憲法が国民の生命や財産、さまざまな自由や尊厳を守ることの足かせになっているならば、その憲法そのものが憲法違反ではないだろうか。少なくてもけい憲法の主旨に反する

そして、集団的自衛権を認めるということは、国民のそれらを守りながらも、軍国主義に奔らない唯一の方法でもある。集団に頼らず、一国で自国の防衛をすべて担当しようとすれば、外国に頼らない安全保障が求められる。それはまさに戦前の日本の姿ではないだろうか。国家予算の多くを浪費して軍備に当て、さらに資源が乏しく輸入に頼っていたから資源を求めて侵略を行った。すべての軍備を自前で賄うので、自分の心ひとつでたやすく戦争に突入できる。

しかし、多国間での安全保障は、一種の分担制のようなものだ。たとえば日米であれば、哨戒や掃海のような日本が得意とする技術は日本が分担し、イージスシステムや高度な航空機開発についてはアメリカに任せる。結果として軍事予算を減らし、さらに単独での戦争突入を難しくするという点で、開戦の抑止に繋がる。

集団的自衛権の否定は同盟関係を否定することであり、それはつまり自国ですべてを準備する軍事大国化への道であると私は思う。

◆強行採決は悪か
衆議院で安全保障関連法案が採決される際、野党は退席をした。そして国会外で「自民党の横暴」と叫んでいる。これもまた、私に言わせれば民主主義の冒涜である。彼らが安全保障問題であれほど大事にしている憲法に書かれている当然の権利を自民党は実行しただけなのに、野党はその行動を否定する。あまりに矛盾していないだろうか?

議席が多ければ法案が通るのは当然であり、議席が少ない者の意見を聞いて全会一致で可決しなければならないとしたら、衆議院も参議院も議席数が多すぎる。多数決で定めなければ何も決まらないではないか。

そもそも、民主党含む今の野党が凋落したのは、己から出た錆である。民主党政権時代のあまりに中韓への低姿勢気遣い外交が、国民の目には「自分たちの生命や財産を害する行為」として映ったからこそ、国民は野党ではなく自民党に投票したのである。その点を反省せずに自民党を非難ばかりしていて、支持が得られると思っているのだろうか?

民主党については、政権政党時代の過ちを認めるところから始めなければ、いつになっても自民党の代替政党としては認識されないだろう。強行採決が悪であるかのようなことを強行採決をしなければならない状況を作った者が堂々と言っているあたりを見ても、当分この政党に政権を任せることはできないと実感する。

◆集団的自衛権を否定するならば…
もし集団的自衛権を否定するならば、世界各地の軍事同盟組織も解散させるべく動かなければならない。現在は、日本の集団的自衛権を認めない人が、NATOの存在は認めて何も言わないという二重基準で政府を非難しているという状態だ。

自衛隊の存在を否定するならば、隣国の軍備拡張も同様に非難すべきであるのに、そこも他国は認めて自国は認めないという二重基準が存在する。日本は敗戦国だから仕方がない?いいや違う。戦後70年、我々はこの時代を生きている。70年前の事実縛られ、今を生き抜くために必要なものを放棄するのは、国民の生命、財産等を守らないことを意味し、憲法違反である

もし自衛隊や集団的自衛権を否定するならば、まずは昨今の東アジアの緊張状態を緩める行動に出てほしい。その行動が実際に緊張を和らげるならば、その時こそ自衛隊による多国間での集団的自衛権を必要のないものと言おう。

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