本日の御題:イスラム国はイスラム教徒の敵

◆イスラム過激派は誰の敵か
イスラム過激派イスラム国に限らず、アルカイダボコ・ハラムなどが存在する。他にも無数に存在するのだろう。彼らの主導者は自らの信念(野望?)のために人を集い、そして戦場に駆り立てている。欧米文化浸透への反発、キリスト教との根深い対立、宗教的失地の回復など理由はいくつもあるだろう。そしてテロリストとなった彼らの末端の僕たちがテロを起こし、欧米に対してある打撃を与えることになった。しかし、果たしてその最大の被害者は誰だろうかと考えると、私はほかならぬイスラム教徒ではないかと考えている。

まず第一に、自爆テロをする者はイスラム教徒だ。彼らが差し出す命に対して、テロ集団のトップが約束するのは「死後の世界の安寧だけ」である。それは宗教的な精神支配の先にある無償の行為なのかもしれないが、空手形以外の何物でもない。たとえどんなに宗教に帰依していて本人が納得していたとしても、彼らの両親や妻子、親戚はどうであろうか? 本当に自爆テロをすることを望んでいるだろうか? 日本にも神風特攻隊という国家が押し付けた自爆作戦が過去にあったが、言葉では出征を祝いながら、本心では戦いなど望んではいなかったのではないだろうか。

過激派集団に入ったイスラム教徒が、自ら自爆テロを望んで行っているのか、それとも組織的にそう仕向けられているのか私にはわからないが、いずれにしても自爆することを心から望んでいる者などそうはいないだろう。仮に聖戦=自爆テロという構図から天国に行けると本当に信じていたとしても、自爆以外でも天国に行く方法がないわけではないのだから。

◆イスラム教徒への偏見
また、これら過激派が世界中に報道されることによって、イスラム教徒への偏見が日増しに高まっている。日本でも、日本人ジャーナリストが殺されてから、イスラム教の組織に心ない言葉の数々が寄せられるようになったという。これもまた、イスラム教徒こそが犠牲者であると私が考える所以だ。

名前が「イスラム国」と翻訳されていることも少なからず影響しているのだろうが、人種や宗教の対立は、お互いに相手を認めない限りは永遠に続く。人種は生まれ持ったもので変えることはできないし、宗教も真剣に信じている者にとっては自分と分けて考えることができない存在だからだ。

イスラム過激派がどんなに卑劣なことをこれからもしたとしても、彼らと関係のないイスラム教とまで憎んではいけない。イスラム教徒の数は世界でも数十億人いる。それに比べればイスラム国に自主的に参加しているものはごく一部にすぎないのだから。

◆戦いの終わらせ方
アメリカは地上戦を考えているようだが、アメリカ陸軍がアラブの地に降りたからと言って、自体は決して好転しないだろう。思い出してほしい。アルカイダが生まれた理由を。クエート開放のためにイラクと戦ったアメリカを憎むところから生まれたのだ。他国の軍隊がアラブの地、あるいはイスラムの地に降り立つことは、我々が想像している以上にその地に住む人々を刺激する。アメリカに敵意を抱く若者たちは、その敵と戦っている同胞の過激派に心酔するかもしれない。その結果、過激派組織に加わりたいという若者は増えるリスクだってあるのだ。

もしこの不毛な戦いをやめたいと考えるならば、まずはイスラム国を含むイスラム過激派組織がイスラムの敵であると、世界中のイスラム教徒に認識してもらわなければならない。事実、彼ら過激派はイスラム教徒であっても自分たちに賛同しない者たちには容赦しない。宗教的建物であるモスクにだって攻撃を仕掛ける。これはもはやイスラム教の敵という所業ではないのか。

イスラム国のプロパガンダに共鳴する一部のイスラム教徒が戦闘員として加わることを少しでも防ぎ、過激派組織を弱体化させる。そのためには、まず欧米 VS アラブキリスト教国 VS イスラム教国 という図式を払しょくし、キリスト教徒にとってもイスラム教徒にとってもイスラム過激派は敵なんだということを広く知らしめることが不可欠だ。

また、イスラム国がネットで若者を勧誘しているのであれば、反イスラム国、あるいは反イスラム過激派もまた、過激派たちのしてきた数々の虐殺をネットで、できるかぎりフィルタをかけずに公開すべきである。日本でもイスラム国のトラックが隊列をなし、格好良く映っている映像が何度も放送されているが、彼らの宣伝をしているようなものなので、力や戦いに一種の憧れを若い人には抱かせることになるので慎むべきである。戦争はテレビやネットで報道されるほど格好いいものでもなければ、アニメのようにヒーローがいるわけでもない。善良な市民でさえその場に投入されれば、殺されたくないから殺す、という悲惨な世界があるだけである。憧れをもつような場所ではないのだ。

◆テロのない世界、過激派のいない世界
過激派への兵士希望の人を流入させないためには、テロのない世界、過激派のいない世界を我々は思い描かなければならない。テロや過激派の存在が正義と思ってしまうのは、彼らがいなかった時の世界を描くことができないからだ。彼らと行動を共にすることのほうがイスラム教徒にとって幸福であると信じているからだ。

しかし、現実は違う。過激派、テロリストこそが全人類の悪であり、キリスト教徒や仏教徒だけではなく、イスラム教徒ですら被害の対象になっていることを決して忘れてはならない。むしろ最も血が流れているのは他ならぬイスラム教徒ではないだろうか。

聖戦を名乗る過激派の首謀者たちは、自らの目的を達成されるために、イスラム教徒にとって最も尊いイスラム教を政治的に利用している。それは宗教そのもの、神そのものを冒涜している所業だ。

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