本日の御題:敗戦国というレッテルからの脱却

◆自衛隊はどこまで進むのか?
これまでも掃海艇を派遣したことがなかったわけではない。また、戦闘が停止している地域にPKOを送ったこともある。しかし、今回、安部首相が提言している「積極的平和主義」というものは明らかに異質だ。ペルシャ湾でとある勢力が海上封鎖をした場合、そのシーレーンを確保するために自衛隊をペルシャ湾に派遣できるようにすると言うのが、安部首相の考えてある。この理論が成り立つのであれば、日本は理論上、世界のどことでも戦争をすることができる。もちろん、できることとすることは違うし、これまでの考え方と異質であることが必ずしも悪いことではないが。

これは日本の外交、とりわけ国際社会での振る舞いを大きく変える非常に重要な問題である。そういう意味では、安部首相はこの問題について、今より多くの説明を国民にしなければならないはずだ。

◆国益はどちらにあるか?
私は、心情的には自衛隊の海外派兵は反対である。
しかし、日本の国益を考えた純粋に場合、一考の価値はある。

日本が今のようなアメリカに安全保障の分野で依存しながら、一国平和主義を貫いている限り、今後も欧米諸国、あるいは一部を除く国からは敗戦国としての地位しか与えられないであろう。なぜなら欧米と最後に戦ったのが第二次世界大戦・太平洋戦争であるからだ。 今年は終戦70周年立つが、その記念式典で欧米メディアが日本を語るときは常に敵であり、日本は否応なく敗戦国としての地位を押しつけられる。 日本軍による欧米の捕虜の虐待などが報じられることも珍しくない。

この敗戦国というレッテルから脱却する唯一の方法は、仮に過去そうであったとしても、現代は異なるということ、同盟国であるということを明確に態度で示す必要がある。その態度とは、自衛隊が欧米諸国の軍隊と共同で作戦を遂行することに他ならない。

海外派兵について中国や韓国は軍国主義の再来と宣伝するであろうが、自衛隊が国際世論の下、諸外国の軍隊と共に作戦をこなし、実際に諸外国の軍隊を助けることがあったならば、中国や韓国が如何なる言葉を使って自衛隊、あるいは日本を貶めようとしても、世界の人々の心には響かないであろう。

中国や韓国が日本の軍事面での貢献に強い批判を浴びせている理由は、まさにそこにある。日本が敗戦国と言うレッテルを脱し、主要国と協力して世界の安全保障に関わるということを彼らは何よりも恐れているのである。

また、兵器の輸出大国にのし上がっている韓国がもし今後、国際平和に大きな貢献をするようなことがあった場合、同等以上の通常兵器を持っている日本がなにも貢献しないというのは国際的地位を著しく低下されることに繋がる。国際的地位が低下することを問題視しない似非識者をたまに見かけるが、国力や国際的地位が低下するということは、国際社会や二国間の問題で大きな不利益を被ることになることをもっと自覚すべきである。たとえばアメリカが日本と共同で中国やロシアを抑え込もうとしているのは日本にそれだけの力があるからであり、もし人口も少なく産業も少なく、技術もなく、軍備もなかったならば、アメリカは日本以外を盟友として選び、尖閣諸島での中国の蛮行に対してもあいまいな態度を取り続けただろう。日本海や竹島の呼称ひとつとっても、国力があるからこそ日本名が採用されていることを忘れてはならない。

温暖化のためにもしアメリカが水没する危機にあれば二酸化炭素の排出量はもっと積極的に抑えられただろうが、太平洋の小国が水没する危機に面しているだけでは、大国は本気では動かない。残念ではあるが、これが国際社会である。

◆日米同盟から見ると
安部内閣が積極的平和主義を掲げるのは、当然アメリカの意思があるだろう。日本のこれまでの自衛隊の活動範囲は、日本近海に限られていた。つまり専守防衛という理念である。もし安部首相がこれまでの日本政府の考え方を踏襲した場合、アメリカからはどう映るだろうか? 自衛隊が日本近海あるいは東アジアのごく限られた地域だけで米軍と共同戦線を張る、集団的自衛権を行使するという結論はゼロ回答に等しい。アメリカにとっては単に日本を守るという負担の要素でしかない。中国が台頭いている現在、その影響を封じ込め、東アジアでのプレゼンスを維持するためには日本は必要である半面、日本と組むことは中国と対決するというリスクでもあるのだ。 自衛隊が世界中の如何なる場所であってもアメリカ軍と行動を共にできでこそ、アメリカにとって自衛隊とギブアンドテイクが生まれる。一方的に守る側から、協力するパートナーになれるわけだ。

アメリカが勝手に引き起こした戦いに、オートマチックに日本が引きずり込まれる心配をする人もいるだろうが、たとえばアメリカがシリアに軍事行動を起こそうとしたときにイギリスはそれを拒否することができた。NATO諸国も同様である。決してオートマチックに引きずり込まれるわけではなく、その都度、参加の有無の判断は国民に委ねられている。 なぜならばそれこそが民主主義だからだ。

もし多国籍軍に自衛隊が参加するようなことがあれば、それは当然国会の承認を得なければならないだろう。過半数で可決できる必要はない。安全装置として国会を考えるならば、2/3以上の承認が必要であるなど、より厳しい条件を付けるのも手である。

◆最後に決めるのは総理大臣ではなく国民
国益の点から考えた場合、日本が遠方値であってもその平和に貢献するために自衛隊を派遣することは正しい選択のように私には思える。しかし、安部首相しかり内閣然り、戦後日本にとってとてもナイーブなこの問題について、説明が不十分であることに私は怒りを感じる。そして、最後に、日本の行く先を決めるのはほかならぬ国民であることも忘れてはならない。そのためには、国民が思いつかないような様々な未来像を展開し、その中から最良と思えるものを国民が選択できるようにしなければならない。

政治家を選んだところで、国民の政治参加が終わるわけではないのだ。

戻る