本日の御題:「白馬は馬ではない」では通用しない

◆屁理屈は現場では通用しない
その昔、中国は論客の時代があった。そんなに時代に並みいる論客を論破し、得意げになっていた公孫竜という男がいた。
彼は論じることに関してはスパ抜けた才能を持ち、有名な話では「白馬は馬に非ず」というのがある。「白馬は馬ではない」というのだ。ただし、今では屁理屈の代名詞のような意味で使われている。

なぜなら、そんな彼でも、関所で通行料を支払うときは、白馬に乗っていたにも関わらず、普通の馬として料金を払ったというからだ。 つまり、議論する場では、その口先で通じる理屈も、現場では通用しない。つまり机上の空論だ。

しかし、なにもこういった人々は、過去にだけいるわけではない。現実的ではない理論に時間を費やす人たちが、日本の某政党にもいないだろうか?

つい最近、自衛隊の派遣に反対していた民間国際交流団体「ピースボート」の船が、海自の護衛艦に護衛をお願いしていたという情報が流れた。

ピースボートは社民党の辻元清美衆院議員が早稲田大在学中の昭和58年に設立。非政府組織(NGO)や学生らとの交流などを目的としているらしい。

「自衛隊派遣反対! と口先でいいながら、現地で活動するとなればその必要性は認めざるを得ない」ということだろう。どんなに日本の国会で正論を主張したところで、現実に合っていない議論は意味がない。いやむしろ有害だ。

自分が安全な場所にいるからこそ言える詭弁。現地に赴いて、なお同じことが言えるか、是非彼らには考えてもらいたい。

 

◆文民統制は必要
もっとも、過度な現場主義は弊害を生む。その事例の最たるものは前大戦を引き起こした関東軍の暴走ではないだろうか? 侵攻の理由のでっちあげもさることながら、現場に権限を与えすぎると制御が効かなくなる。なんでもかんでも、「政府にお伺いを立てていたら間に合わないから、現場で判断して動く」では、文民統制の崩壊を招く。

そのためにも、私は憲法九条の改正と、自衛隊を海外派遣する前に、その活動の根拠となるべき法律をきちんと定めるべきだと思う。今のように、内閣で決定して国会の承認は後回しということでは、なし崩し的な活動拡大も否めないし、憲法が定めた民主主義の形とも違う。

まして、諸外国、特に東アジアの国にも不信感、不安感を与える。派遣の正当性、つまり必要性と、その範囲を事前に定めておく方が、遙かに迅速に対応できるという点でも、望ましい。

 

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