本日の御題:地球環境を考えないエゴイストたち |
本日のコラムは本で読んだことではなく、4/2にテレビで見たことなので(しかもビデオに撮っていない)、手元に資料が残っておらず、若干不明瞭な点があることをまずはお許しいただきたい。
◆北極の氷河、南極の氷 去年の夏、北極の氷はいつになく縮小を見せた。専門家に言わせれば、それはもはや修復の不可能な、不可逆的なレベルにまで達している可能性があるという。予測をはるかに上回るペース。これから夏が来るたびに、北極の氷が消えた、というニュースがいつ飛び込んできてもおかしくないレベルにまできている。 しかも、ここ3、4年間をとっても、かなり急速なのだ。 一方の南極はというと、こちらも同様で、これから冬本番に入ろうとする3月に雪ではなく雨が降るという異常。氷の消えた地表の温度はなんと25.2度だ。氷の壁は大きく後退し、よもやそこが南極であるとは、映像からだけでは想像できない。10年後、20年後には、南極は避暑地として教科書に載り、観光ツアーが組まれるような場所になるのではないだろうか。 ◆経済至上主義が生み出したエゴイスト 問題は、それが本当に喜ばしいことかどうかだ。何を犠牲にしてその利便性を手に入れたかだ。 私は、北極の氷が消えると聞いたとき、「温室ガスを減らす努力をしなければならない象徴的事件」ではないかと感じた。氷河が消えることがないよう、人類は様々な問題に取り組まなければならないと感じた。しかし、エコノミックアニマルたちの反応は違った。そこに眠る巨大な原油等の天然資源を求めて、ロシアが北極の海中に旗を建て、カナダが地下資源を守るために軍施設を作り、アメリカもアラスカの開発に力を入れる。氷が溶けたことをこれ幸いに、更に温室化を加速させるような行動に出る者たち。人間ほど懲りない生物はいないのではないかと、嫌悪感を抱かずにはいられない。もちろん、石油が生活に欠かせないものであることは認めるとしても、だ。 自らの力で止まることを知らない人類、取り返しの付かないこととして顕在化したとき、彼らは歴史にその悪名を残すことになるだろう。しかしそのとき、人類に果たして歴史を綴るだけの頁、時間がどれだけ残されているのか、私は想像すると恐怖を感じる。 かつて、日本が高度成長期にあったとき、欧米人は働き好きの日本人を揶揄して「エコノミックアニマル」 と呼んだ事があった。しかし社会主義国家の崩壊後に生まれた世界はどうだろうか? 経済至上主義に心を囚われたのは、旧社会主義国家であり、更に社会主義に勝利した資本主義を誰よりも信奉する米国ではないだろうか。 ◆他人の痛みに鈍感な人たち 温暖化によって、祖国を失われる太平洋の島国。彼らにも国連の一議席が与えられているにも関わらず、誰も手を差し伸べようとはしない。なぜならば、彼らの島が海に沈もうが、 21世紀のエコノミックアニマルたちにとっては何の問題もないからだ。 バイオエタノールの普及のため、米国が補助金を出したことから米国の小麦農家がとうもろこし生産に切り替え、それによって南米の森林が小麦畑になった。そこには先住民が住んでおり、彼らには与えられたエリアの中で生活することを保障されている、という民主主義が存在する。しかし、彼らの生活には水道水はない。川の水は、生活エリアの外から流れてくる。そしてその水を飲んで、毎年亡くなる子供や老人がいる。畑からにじみ出た農薬が川に流れたのが原因である可能性が高い。 今まで寒冷であったためマラリアが発生しなかった高地があった。しかし、温暖化で蚊が上ってくるようになり、マラリアが発生するようになった。そしてそこでも死ななくていい、失われなくていいはずの命が消えていく。 南極では雨に打たれた子供のペンギンが体温を奪われ死んでいく。不思議なことだが、雪であれば体に付くことはないため防寒の効果を発揮する産毛も、雨であれば水を吸い込み、じわじわと体温を奪う原因になるらしい。子供のペンギンの体はまだ海に出る用意ができていない。 つまり、彼らは濡れることを想定されていないのだ。 北極では、北極クマが足場を失い、長距離を泳ぐうちに溺れるという異常事態にまで起こっている。 これをすべて自分に関係のないこととして考えるならば、人類の将来は決して明るいものではないだろう。先にも書いたが、自らの身に災いが降りかかったときにはもう遅いのだ。その前に対応する、他の誰かの痛みを自分の痛みとして捉えることことが、唯一、種として生き残る術だろう。 |
![]() |
---|