本日の御題:脱原発を日本の今、そして世界の将来の姿に!

脱原発を日本の今、そして世界の将来の姿に!
信じがたいことだが、フクシマの事故があったあとも、世界を見渡せばヨーロッパやアメリカといった地域は別として、原発の建設ラッシュが続いている。化石燃料による大気汚染や輸入リスクからの脱却を図る中国をはじめ、これまで原発を持たなかったトルコや中東諸国などだ。

中東の一部の国については、核の平和的利用を謳い原発を造ることが核兵器開発の隠れ蓑になっている感がある。それは朝鮮半島の北に位置する某国と変わらない。

このような世界情勢を鑑みると、我々日本は脱原発を強く推し進めるべきではないだろうか。今の日本には、その空気がある。原発が一度事故を起こせばどれほど制御が難しいことであるか、大きな被害をもたらすか身をもって知ったのは日本人だからだ。平和利用? 冗談ではない。平和利用はあくまでも意図であり、実際にやっていることは原爆を造るよりもはるかに危険なことなのだ

国全体としてみれば、円安にすることで産業の国際競争力をつけたいところだが、エネルギーの大半を輸入しているため物価が上昇(この上昇はお金が国外に出ていくことによって生まれるもので、国内の景気が好転し流通量が増えたからではない)し、経済に悪影響を及ぼすという危惧もある。

しかし、国内で再生可能なエネルギーを生み出せればそもそも外国からエネルギーを輸入する必要性が大幅に減るのである。
脱原発=化石燃料の使用量増加ではなく、再生可能エネルギーの開発・増加こそ脱原発の基本路線に掲げなければならない。それは長期的に見て、必ず日本にとっては大きなプラスになるだろう。

それを推し進めるためには、政治の力が必要だ。再生可能エネルギーの開発に予算を付け、その産業を育成することが急務である。日本ほどの国力・エネルギー消費量があると、すぐに原発に置き換わるだけの再生可能エネルギーを生むことはできないだろう。しかし、その比率を今後いかに高めていくかビジョンを国が示し、そのための補助を行うことは決して無駄にはならない。再生可能エネルギーを考える上では、決してひとつの手法に限定せず、さまざまな方法をさまざまな地域で試すべきだ。というのも、エネルギーの最も効率的な運用は地産地消であり、その地域にあった発電方法が採用されるべきだからである。

また、再生可能エネルギーの技術が軌道に乗れば、海外の核開発の隠れ蓑になっている原発の建設の正当性を失わせることにも繋がる。彼らはエネルギー需要の増加に対応するために原発が必要であると、あくまで平和的利用を表に出して原発を建設しようとしているのだから、それよりもローコストでローリスクの発電方法を提供できれば、彼らが原発を採用する理由はないのだ。

一度制御不能に陥れば取り返しのつかない事態を引き起こす原発の根絶、それは原爆の唯一の被害国である日本に課せられた使命のようにさえ私には思える。将来の人類に貢献できる偉業となるだろう。そして始めるならば今が絶好のチャンスなのである。

残念ながら中東は政情が不安定であるし、天災、事故のほかにも、テロ、戦争などのリスクがある。そのような地域で原発が増えていくことはそこに住む人々にとって大きなリスクとなるだろう。中国の原発建設においても、建設ピッチが早く、どこまで安全対策が取られているかは不透明だ。一刻も早く、彼らが原発に頼らなくてもよい技術を開発され、世界を原発の恐怖から解放することこそがエネルギーの真の平和的利用と言えるだろう。

◆燃料棒の取り出しが始まった
福島に目を向ければ、ついに、原発4号機燃料棒の取り出しが開始された。これは非常に喜ばしいニュースである。一部、燃料棒そのものが破損していて取り出し方法が決まっていないものもあるそうだが、いずれにしても廃炉に向けた大きな一歩と言える。

このような作業をした例は世界にはなく、今回は多くのチャレンジを必要とするが、逆を言えば貴重なノウハウを得ることにも繋がるだろう。

日本の原発事故が起こった後も、世界の原発は増え続けている。台風やハリケーンの凶暴化や、大雨、大地震の頻発など、今日は地球規模で頻繁に大震災に見舞われているため、悪い予言で申し訳ないが、おそらくフクシマは原発事故の始まりであって終わりではない。雨が殆ど降らないアフリカの砂漠地帯が洪水に見舞われるような気候変動が今後も続くならば、事故を起こす危険は非常に高いのだ。

そのため、今回の燃料棒の取り出しのノウハウは、人類全体にとって非常に大きな意味をなすといえる。脱原発は一日にして成るものではない。このような本来必要とされてほしくない技術についても、しっかりと後世に残すことが必要である。

◆政治家としての素養
最後に、日本では今、原発を残そうとする安部首相と脱原発を訴える小泉元首相の政策の違いが話題になっている。

小泉氏は首相時代には原発を推進していたが、フクシマの事故を見て考えが変わったという。これを言動不一致と非難する人もいるだろうが、政策は常に見直されるべきであり、私は彼が自己の過去の政策を否定してまで脱原発を訴える姿に感動した。

むしろ、自己の過ちを認めたくないばかりに原発の再開を訴える人々こそ、恥じるべきである。

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