本日の御題:生活保護不正受給

◆倫理観、人生観の変化
吉本興業の河本氏、梶原氏の親が生活保護不正受給していたことが問題になって久しい。

この問題は、我々日本人の倫理観や人生観が大きく変わってしまったことを表している点が興味深い。

人生観でいえば、子が年老いた親の面倒をみるという観念の希薄である。
子に十分な収入があっても、親が仕事を辞めて無収入になれば、国から生活保護を受ければいい、あるいは当然の権利だと思っている点が、少なくとも以前の日本にはなかった考え方だ。

個人主義・核家族は以前から言われてきたことであるが、まさかここまでとは…と私は驚きを感じた。 生み、育ててくれた親に感謝し、親の老後は同居まではいかなくとも、困ったことがあればその面倒を見るのは子として当然のことではないのか。
親が重荷の時は知らない顔をしているくせに、亡くなった時は堂々と遺産相続だけをしようというのか? なんだか悲しい世の中だと思う。

倫理感でいえば、生活保護を受けることを国民の当然の権利として、特に恥ずかしいとも、税金を払っている方に申し訳がないとも感じなくなってしまったことがあげられる。 以前の日本人には、よそ様の迷惑にはなりたくない、という気持ちが強く、故に縁故の者が困った親族や友人をバックアップするという団結が存在していたのだが、今は何でも公共のサービスに頼りすぎるのではないか。

失業をすれば、条件はあるものの緊急避難的に失業保険が適用され、当座の生活費は賄われる。これは、次の職が見つかるまで生活が立ち行かなくなることを防ぐためで、当然期限も決められている。でなければ、永遠に失業した状態に満足してしまうからだ。

また、老後の生活費という点では、国民年金もある。支給額は確かに少ないが、それでも死ぬまでもらえる年金というのは、定年退職後の生活の不安を和らげることになるであろう。

このどちらの受給条件も満たさず、なおかつパートタイム等に出ることもできない人に対して、かつ援助してくれる縁故の者もいない場合に限って、やむを得ず申請するのが生活保護であって、自助努力もしなければ、働けるだけの健康や諸条件が整っているにも関わらず、さまざまな理由をつけて働けないかのように偽装し、毎月数万円〜十数万円を受給して、その金を生活費以外の遊びに使っていることに対して、私は怒りを感じた。

ちなみに、厚生労働省生活保護ページにはこうある。
・親族等から援助を受けることができる場合は、援助を受けてください。そのうえで、世帯の収入と厚生労働大臣の定める基準で計算される最低生活費を比較して、収入が最低生活費に満たない場合に、保護が適用されます。

では、親族が援助をしなかった場合は?(できる能力があっても) もちろん、支給されるわけだ。河本氏や梶原氏は芸能人であり、収入が十分にあることも広く認知されているため発覚したが、通常、どこまで調べられるかは疑問である。
仮に親や子がいても、生活費を送ってもらえないと言ってしまえば、それが通ってしまうことになる。

◆非難されるべきは?
また、一部の識者ぶった論者(劣悪なコメンテーターと言いたい)が、河本氏や梶原氏がバッシングされているのを見て、生活保護を申請した者が悪いのではなく、それを許可した役所が悪いなどと言っているが、とんだ間違いだ。

その意見に賛同するならば、我々は行政がより多くの経費を国民に課すことに同意しなければならない。生活保護の申請者の親類縁者との存在や関係性まで詳しく調べることに、どれだけコストがかかると思っているのか?

更に、上記のことが広く認知されれば、心ない国民が「とりあえずダメもとで申請してみよう。通れば儲けものだから」と思い、今以上に申請数が増えるであろう。それは更なるコストアップに繋がる。
非難されるべきは、親が仕事に就けない等の理由によって生活に困窮しているにも関わらず、十分な収入がありながら生活費を入れない子であって、役所の対応ではない。

最後に、根本的な問題として、金額があまりに高額であることだ。 生活保護の費用はまさに生活に最低限必要な金額が支給されるべきだが、たとえば4人家族で東京の一等地に住んでいれば、約27万円も支給される計算が成り立つ。 これは年収に換算すれば300万円を超え、女性の会社員の平均年収とほぼ同額だ(正社員のみ)。
これだけの額を、働かずに死ぬまで受け取れるというのであれば、今後どうなるかわからない国民年金など払わずに、貯蓄もせずに暮らし、お金がなくなった段階で生活保護を受ければいいという論理が成り立つのは自明だ。

正直者が損をするのはどの時代、社会でも同じことだろうが、少なくとも、不正直者が大きな顔をするような社会だけには、決してなってもらいたくないものだ。

http://生活保護.biz/

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