本日のお題:先進国病という病魔

◆経済の成熟は、いずれ衰退を導く
私の好きな本のひとつに、サミュエル・スマイルズの自助論がある。彼が生きた時代は19世の英国。当時、英国は世界でも屈強の大国であった。

そんな彼が書いた「自助論」とは。 この根幹にあるのは、「自分で自分を助けようとする精神」の尊さと健全さであった。なぜ彼はそれを書かなければならないと感じたのか?

当時の英国はいち早い産業革命によって確かに繁栄をしていたが、同時に繁栄が国民の意識を大きく変え、「自助」の精神が失われようとしていたからだ。

国が豊かになると、多くの国民は生活のよりよい向上と安定を求めるようになる。その圧力は、選挙という形で政策に繁栄され、手厚い社会保障を約束する社会ができる。

非常に素晴らしいことのように思えるかも知れないが、これこそ、彼が「先進国病」と名付けた国家の病魔の正体だ。

国民は自分の生活が不安定、あるいは低下するとそれを自助によってではなく、社会保障、つまり国家によって支えられるべきだと考えるようになる。

しかし、経済の成長は競争社会を生み、より高度な学力を求められるようになるため、就学の高齢化(中学校の就学率の向上→高校の就学率の向上→大学の就学率の向上といった具合に)を生み、この非生産人口を支えるために家庭はより多くの教育費を必要とし、国は補助するために税金を使い彼らを養う。

しかし、一方で、進学率の上昇は学力低下を招き、高度な教育を受けたにも関わらず、社会に出ても即戦力にはならないという矛盾を生むことになる。

それでも、作られた製品が輸出という形で冨として国に流入している間は、これらの負担を国が負うことも可能である。しかし、国内では教育費の増加から出生率が低下し、人口・つまり市場規模が現状維持・縮小の状態になると、企業は海外に新たな市場を求めるようになるため、産業の海外移転が始まる。成熟した国家の賃金は、そうでない国家に比べて高いからだ。理由は為替相場もあるだろうが、それ以上に進学率の向上、教育の高度化によって、誰もがより高い給料を求めるようになるからだ。

しかし、企業が外に出て行ってしまえば、国内に残るのはおおざっぱに言えば公務員とサービス業だけである。あるいは金融のような一部の知的産業(と私は思わないが)がいいところだろう。

それはなにを生むか? 失業率の上昇である。

では、それはなにを生むか? 国家の手厚い社会保障として、支出の増加である。

かくして成熟社会に突入した先進国は、「重度の先進国病」へと突き進むことになる。雇用創出と経済の下支えのために支出が増える一方、思ったほど税収が増えないために国の借金だけが増えていく訳だ。

これはどこか特定の国に起こっていることだろうか? 日本で? イギリスで? ドイツで? フランスで? イタリアで? アメリカで?

否、それらすべての国でだ。

ちなみに、たまたまテレビを見ていたらタイミング良くヨーロッパ諸国+日本、アメリカの失業率の話をしていたので、それをまとめているとこうなる。

各国の失業率
国名
若年層
全体
日本
7.7%
4.6%
アメリカ
18.4%
9.6%
イギリス
19.6%
7.8%
ドイツ
9.9%
7.1%
フランス
23.3%
9.7%
イタリア
27.8%
8.4%
スペイン
41.6%
20.1%
ポルトガル
22.4%
11.0%
ギリシャ
32.9%
12.6%

なお、失業者の算定基準が国によって若干異なるので、単純に比較することはできない。日本の失業率は、職探しをしている人のみをカウントし、就職を諦めてしまった人を含めていないため、低く出る傾向がある。

◆経済はゼロサム・ゲーム
なぜこのようなコラムを書こうと思ったか。今日、悲しいことに世界各国で暴動は起こっているが(特に北アフリカ、中東地域)、ここにきてサミュエル・スマイルズの出身国でもあるイギリスで、暴動・略奪が起こったからである。ロンドンだけではなく、主にイギリス南部の複数の都市で連鎖的に起こっている。

彼らの暴動のきっかけは麻薬捜査官による市民の射殺に端を発しているものの、それに経済的な不満を抱える若者層の怒りが爆発した。イギリスでは、現政権になってから財政再建を目指すため支出を減らす政策を打ち出しており、低所得者の生活を直撃している。

確かに、財政緊縮をしなければ、信用不安からギリシャやスペインのようにデフォルト状態に陥らないとも限らない。またイタリアのように国債の信用が低下すると結果的に利率が高くなり(配当は額面×利率だが、信用が低下すると市場での取引価格が低下することから、結果として利率が高くなる)、更に窮地に追い込まれることになる。

一度、この状態に陥ると、国は負のスパイラルに入る。

財政支出を増やす → 国家財政が圧迫 → 信用不安 → 資金調達が困難に → 経済的打撃

支出を減らす → 国家財政は改善 → 社会保障が低下 → 治安の悪化

財政支出を減らさずに税収を増やす方法もある。増税だ。しかし、グローバル化が進んでいる現代において、それはまたしても大きな問題を抱えることになる。企業の海外流出に伴う経済の空洞化だ。

増税する → 国家財政、社会保障はプラス → 企業がより税金の安い国へ流出 → 産業の空洞化 → 失業率の増加

→ 社会保障費の増大 → 国家財政の圧迫 → 信用不安 → …以下、上記と同じ

では、この負のスパイラルを抜け出す方法はないのだろうか? 私が到達した答えはひとつだ。

「自助論」

自らの可能性を信じて、自らを励まして生きること。単に励ますと言うだけではない。他者に頼るのではなく、自らの力に頼る生き方、つまり国家に期待するのではなく、自ら生きる方法を模索するという生き方だ。

残念だが、受けられるサービスは、支払われる税金を越えることはできない。人間の人生に例えれば、「生涯得られるお金以上の買い物をすることはできない」のである。自助の精神こそ、健全な社会を作る唯一の方法だと、私は思う。

ちなみに、今回の暴動はたまたまイギリスで起こったが、国家財政にまつわる上記の議論は、日本でも今盛んに行われていることだということを忘れてはいけない。決して他人事ではないのだ。

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