それは去年まで藤森に在籍していた人物。
 その美貌は傾国の如しと歌われるほど。
 彼は、入学した当初よりその非凡さ故に一線を脱し何よりその存在は藤森に留まらず、藤森の
ある莉菜(リサイ)にその名と美貌をとどろかせていた。
 輝く髪は黒真珠。
 瞳の星は黒曜石。
 象牙を思わせる肌と整った爪。
 存在するだけで、誰もが目を向けそして感嘆の声を上げる。
 名を坂本春海といい、秋良の実兄である。


「…そんな事が」
「まぁ、うん。あはははははは」
「坂本様の場合、兄君の事だけで無く。実際に非凡ですからね」
 そんな事は無いと秋良が口を出す前に、河野が深く頷き声をあげる。

「たしかに、坂本ってなんかこー。ほっとするって言うか安心できるんだよな。それに自然と叩頭
したくなるってゆーか」
「そう!そうなんだよ!解るか河野!」
「ああっ解る!解るさ、四方谷!」

「オレはいたって普通なんだけど」

 一瞬痛いほどの視線が秋良に向けられたかと思うと、二人同時に溜息がこぼれる。
 それは何かを諦めてた時によく似ている。
「解っていない。解っていないよ坂本」
「そう、解っていない。それ故に坂本様らしいと言えばらしいけど」

 なんかもう、どうにでもして。
 秋良はそんな事を思った。



 ※


 
 河野が坂本『様』談義をしているほぼ同時刻。李劉の首都麗明(レイメイ)にある王宮、燐花殿(り
んかでん)。その皇帝の私室兼執務室では王を含め四人が円卓を囲んでいた。
「玄清が動く…と思う。えっと多分なんだけどね?」
 歯切れの悪い声は李劉国国主である李晃(りこう)である。
 彼の言葉に場は一瞬なんとも言えない雰囲気になったが、口火をつけた人物がいた。

「多分じゃない。絶対ですよ父上。最近、鉄の動きが怪しいですからね」
 そう言い切ったのは禁軍軍団長、彩龍(さいりゅう)。
「鉄だけじゃない。材木も怪しい動きをしています。翠紗より産出は少ないものの玄清の奥にある
森がやけに風通しがよくなっています」
 続いて言ったのは首部館館師、竜燗(りゅうかん)。
 字で解る通り二人は皇帝の実子である。
 現在皇帝には四人御子がおり、皇子二人皇女二人の計四人。そのうちの第一皇子と第一皇女
は既に王の元執務を行っている。
 第一子、第一皇子竜燗は首部館(しゅぶかん)、主に文官のそう取り締まりであり査問機関の長
を勤め。
 第二子、第一皇女彩龍は禁軍、王直属の軍部の団長を勤める。
 今二人が執務室に居るのは、李晃王の実子という点もあるが実際には軍部と文部の総取締り
であることが起因している。


 余談ではあるが双方共に皇子・皇女の地位を使いこの階級にある訳ではない。竜燗はその類
まれなる美貌を餌にこれでもかと左遷・降格・追放と無能の輩を追い出し、褒め言葉に甘え言葉
で若い官吏達を育て上げた。彩龍にいたっては、業物とは間違っても言えないようなボロの剣で
前禁軍右翼将軍ならびに右翼軍使をなぎ払い。軍団長にいたっては再起不能になるのではない
かと思われるほどに叩きのめした…主に素手で。
 王宮内では、せめて性別が逆であったらと嘆く声も多い。



 まぁ余談である。


 
 今現在、玄清(げんせい)・素弓(そきゅう)・根周(ねしゅう)合わせて玄三国と呼称している。
「玄三国は事実上玄清の独制国家。玄清が動くとなれば必然的に二国も動きますね。私達を呼
んだ理由はソコですか?父上、いえ皇帝陛下」
「おそらく二・三年の間に玄清は明確な宣戦布告をすると思う。だから双方共に今後玄清へのこ
れまで異常の注意、それとあまり気は進まないが戦の準備にはいる」
「「御意」」
「それとね」
 ここで少女のような声が上がる。
 李晃王の只一人の妻である皇后、字を耀(よう)という。
「最近穀物の育ちが悪いらしいから、首部館館師には備蓄を気にかけて欲しいのよ」
「承りまして」

 二・三簡単な方針を決め、この場はお開きとなった。
 だか、これだけでは玄清の話は終りはしなかったのだ。



「兄貴」
「…お前、いい加減お兄様か首部館館師と呼べよ」
 竜燗が己の執務室に戻る途中、彩龍に呼び止められる。口調事態は兄妹のそれであるが、彩
龍の瞳はさながら試合間近のようだ。
「親父の手前、余り言い出せなかったんだけどさ、玄清は一年以内に動くよ」
「!…まさか、と言いたい所だがな。概ね同意できるのが哀しい所だ」
 場所も実に幸いだ。
 王宮の奥にある王の私室への通路は恐れ多い為か人通りが無い。

「そっちも間者だしてたって訳か」
 と言う事は彩龍も間者を放っていたと言う事だ。
 渋面のままの竜燗を横目に彩龍は続ける。

「親父にも言ったけどさ。モノの動きが可笑しすぎるんだ」
「ああ、俺としては食料の動きが余りに無さ過ぎる事が気に掛かる。今の玄清…あの三国の内情
を知っているか?」

 暫しの沈黙、それは内情を知っている事を如実に語っている。
 なんとも言えない、苦しそうな表情で彩龍は答える。

「酷いもんさ、民のほとんどが飢餓状態。食いもんは総て国物扱いでろくに市にも闇市にも出やし
ない」
 ひもじい思いをした者達は、何でも口にする。
 木の根、葉、茎に虫。雑草の中には毒草が混じっている事もあり、餓死者の次に多いのは中毒
死だ。
 畑を耕そうにも、鍬や鋤を持てる者は皆軍に徴兵され、穀物を植えようにも、種は総て取り上げ
られた。
 田畑を目の前にしても絶望しか見えない。
「軍人としては、とっとと戦って、はいお終いってのが一番なんだけどね」
「文官としては、これ以上管理する国が増えるのは困る。只でさえ『窓を見ればほら、いつの間に
か朝日が…』状態なんだ。統治する国が増えると仕事が増える。勝って領土ばかり増やそうとす
るのは軍人の悪い癖だ」


 痛いほどに長い沈黙が続くと、竜燗は額に手を当て溜息のように呟いた。
「そうも言ってられんか。やっと醜官達を一掃したのに…余り被害をだすなよ。禁軍軍団長」
「よっしゃ!金蔵の許可が出ればこっちのもん。長くは続かないさ、どっちに転んでもね」


 ここで一つ追記しておくが、この間二人の間で王の名は出ていない。
 と言うより、この内容(つまり玄清の内情やら戦争決定みたいな会話)は告げられていない。
 東四大国、李劉国国主、李晃には父親としての威厳はあまり無かったりする。




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