唯ひたすらに姉を思い、姉を慕い、姉を愛したそんな日記を見つけた。
その時はたしか七歳だった。
一本の木の下に深く深く、大の大人ほどの岩が埋まっていた更に下に堀りくだった先にあった小さ
な鉄の箱。
箱から出てきたのは幾つかの朽ちた装飾品と日記。
著者は犀龍(さいりゅう)、奇しくも同じ音の字をもつ今は亡き先祖だった。

その日記を見つけたのはまだ秋良が生まれて三年たった頃の事、秋良に会う事ができずどうにも
暇を持て余し後宮の隅に大人を四人ほど使いただひたすらに穴を掘ってもらっていた。掘った後は
偽装して春海を落とすつもりだったのだが、箱が出てきたことでその穴は放置されることになった。
箱から出てきた日記、つづられていたのは著者である犀龍の実の姉、凛龍(りんりゅう)後の皇帝で
ある李凛(りりん)との日々。


李劉は男女関係無く王位を継ぐ、そして産まれた順番も関係ない。文献を読みとき分かる事は王
位は大体にして兄弟間の話し合いで終わっている、という事だ。
なんとも平和的解決である。
例に漏れずこの兄弟もそうであったらしく犀龍含む三人兄弟(内一人は男で日記にある二人にとっ
ては兄)は早々に「王には凛龍がなったほうがいい」と言って、兄は文官の一人としてまた妹である
犀龍は祭事預かり役として李凛を助る事にしたとある。
読み解く内に気づいたのだが、この犀龍こそが今現在まで続いている血筋であるらしい。
日記の中では、姉であり皇帝である李凛はどうあっても結婚する事気は無くまた側室も設ける気も
無く、跡継ぎ問題が出ないよう犀龍は夫を向かえ一人か二人子供をもうける事にしたとある。
これも全ては姉を愛するが故に起こした行動であるから、幼心に「何これ、えっご先祖様は変質者
?」と思ったものだが、今現在を振り返ればこれは李劉の皇族として、とても普通な日記だ。


そもそも、皇族に字をつけるのは李劉独自のものであり、公書・私書問わず文面に載るのは字で
あり、本名ではない。
今現在自分の名前が『夏流』である事を知っている人物はそれこそ山のように居るが、生まれて
そして死ぬまでさらに死んだ後も名として残るのは『彩龍』である。
それが特別厭な訳でもないが、なぜか建国以来現在まで続いている。
当時は奇怪な日記としか感じなかった。異様な…異常な姉への愛で溢れた日記に今では愛着を
持っている。
そしてこれこそが『血』なのだと確信している。


なぜなら日記だというのに、執拗に隠された日記だったというのに唯の一度として凛龍の『名前』
がでてこなかったのだ、幼少期からの日記だというのに!
同じ時を生きている者たちは我慢しよう、だが後世に姉の名を呼ぶものなど必要ないと言わんば
かりの徹底されたもの。
夏流はその感情に近親感を持っていた。
それは秋良が産まれ、垣間見た瞬間に感じた熱量。



当時、弟が生まれたと聞き、急き込んで転がり込んだ母の寝所には先客がいた。
父であり皇帝である栄季、字を李晃という。
とろけんばかりの笑顔で母の手の中の赤子をまだ幼い夏流に紹介する。

「ごらん夏流。君の弟の秋良だよ」
「こっちにいらっしゃい、かわいいでしょ?」

そっと覗き込んだ赤子は血色もよく、ぷっくりとしていた。
見た瞬間から夏流は秋良こそが自分の『絶対』だと感じた。

「あきら、あきら。秋良、わたしは夏流だよ、な・つ・る。かわいい。かわいい秋良、わたしがぜぇっ
たいに守ってあげるよ」
脳髄から背筋に伝わる震えにわずかに涙目になりながらもそっと手を伸ばす。
小さな手、不思議なほどに小さいのに不思議なほどに手の形をしている手に触れた、柔らかくて
温かい。
秋良。秋良。秋良。と、頭の中は秋良で一杯になった。

そこから夏流の暴走が始まった、というのは当時の世話役たちの語り草である。
秋良に会いに行くために、時に偽り時に罠を仕掛け。いつの間にか秋良の寝かされている部屋に
たどり着くのは膨大な時間と根気そして体力が必要になる仕組みまで作り上げ秋良を目にする人
物たちをとことん減らしていった。
一番被害にあったのは衛兵や近衛、次いで後宮内を出歩く事の許可を持っている次官。もちろん
最終的には庭師やただ遊びに来ていた縁故の貴族にいたるまで、料理人と侍女を除く全てが被
害を受けていた。
当時両親に言われた言葉は「本当に秋ちゃんが大好きなのねぇ」「死人が出ない程度におさえよ
うね」だった。




偉大である。




四歳になると手習いが始まった、同時に日記をつけ始めた。

日記の中身はもっぱら秋良の事、そしてその時々に起こった事を少々。
とにかく秋良が愛おしかった。
その感情は兄である春海も同じらしく、兄弟の会話はまたしても秋良とその時々に起こった事を少
々。すでに兄弟の会話では無かったが、それでも秋良を挟みながらもすくすくと夏流は育ち、やが
て妹が産まれた。
妹は愛らしかったが、秋良のような感動も歓喜も憧憬も感じなかったので、春海と同じ対応になっ
ていた。幼い妹もそんな事などどうでも良いとばかりに秋良に懐き、気が付けば秋良を中心とした
兄弟像が出来上がっていた。
そんな図式が出来上がるころには、すでに夏流は武官になる事を決めていた。
秋良を守るのは自分だと決めていたので、迷わず禁軍に喧嘩を売り見事に団長の座を奪い獲っ
た。
これが夏流と言う人物である。
こんな自身が当然のごとく好きであり、また変える気もまったく無い。
おそらくそれは春海も冬姫も同じであろう事。

理想としていた図は、すでに引くことはできず在りようを変えながら立ち位置を守っていくしかない
のが歯がゆいが…。



それでも『兄弟』という絶対的な位置は確保されている。
今日という日をつづり終えた日記に日課となった一文を殊更丁寧に、やさしく、緩やかな甘さをもっ
て連ねる。


我が愛は君に捧ぐ







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