今でも鮮明に思い出すことが出来る。
 差し出された手はとても暖かくて、小さくて。
 小さく丸まっていた自分をそっと抱きかかえた時の鼓動は、酷く優しくて。

「どうしたの?」
 
 耳に響いた声は、甘く自分の世界を塗り替えたのだ。




  ただ愛し君が為に



 「・・・またか」
 坂本春海は重苦しく溜息を吐いた。
 連日続くそれは、寒さが厳しくなるにつれ酷くなる。なにも「それ」を布団に入れなくて
もちょっと自分を誘ってくれればいいではないかと、春海は常日頃から思っている。
 …そう。

「コテツ!!!また、秋良の布団に入り込んだなぁー!!」

 なぁと優越感に満ちた顔で一鳴きしたのは、坂本家の飼い猫のコテツ(♀)であった。


「またやってるよ」
「煩い」
 冷ややかな物言いでリビングでくつろぐ妹二人、すでに日常茶飯事であるのに何を
今更と思いながらも、心中実は穏やかではない。

 コテツは秋良が随分前に拾ってきた猫である。
 そんなコテツは冬に近づく度に、毎夜秋良の布団に入り込むのだ。春海は目くじらを
立てて怒り、夏流は冷ややかにあしらいながらも羨ましがり、冬姫は黙しながらもどう
すれば自分も潜り込めるか画策中である。

 勿論、とうの秋良はその事は知らない。

「…おはよう、コテツ」
「なぁん」

 起き抜けにコテツの顔というのも、かなり慣れてしまった。
 拾った当初お世辞にも綺麗という顔では無かった猫は、鼻筋の美しい艶やかな毛並
みを持つ猫に育った。その事はとても嬉しいが…。
 このコテツという猫、少々一般の猫と違う所がある。
 まず、夜は大人しく寝るのである(夜行性のはずなのに)。寝る場所はまちまちである
が、冬場は大抵秋良の布団の中だ。
 続いて、他の家の人間に懐かない。これでもかと言うほどに無視を決め込み、姿を現
さない事もある。そのくせ医者には大人しく身を任せるあたり曲者である。


 秋良自身は大して気にはしていない。
 気にしているのはもっぱら家族の方で、日々コテツに成り代わり秋良の布団に潜り込
む算段をしているのである。


 
 ふと、秋良はコテツが自分の布団の中に始めて紛れ込んだ日のことを思い出した。
 その日は、家には母と父と自分だけで、寒い日だった。
 一人考えてしまうのはどうしても自分の容姿についてだ、なぜ自分だけ平凡で普通
な顔をしているのかと悩んだ。
 欲しい物は美貌…そう、家族なのだと胸の張れるほどの美しさが欲しかった。勿論そ
れは叶わぬものであることも知っていた。



 解っているからこそ、涙が出た。


 布団に包まりすすり泣く自分の目の前に、なぁんと一声掛かった時は本当に驚いた。
けれどコテツの暖かさが妙に優しくて抱きしめたまま眠りについてしまったのだ。まぁ…
次の日の朝、抱きしめられたままのコテツを見たときはもっと驚いたけど…。
 そう、多分その日からコテツは度々自分の布団へもぐりこむようになったのだ。


「暖かいし、気持ちいいから別にいいんだけど」

 彼女の真偽の程は解らないが。
 未だに自分の部屋で毛づくろいをしているコテツと目が合い、思わず笑ってしまう。

「んにゃ?」
 まるで「どうかしたの?」と言いたげな瞳は優しげで、手を伸ばし顎をくすぐる。

「んー…いつもありがとね、コテツ」

 顎をくすぐる手に身をゆだねるコテツの姿が、なんだか愛しく感じた。





 ひとりの夜は寂しい。
 ひとりの夜は寒いから。
 私には、貴方に伝える術など有りはしない。
 ただ愛し君が為に。
 今日も私は寄り添おう。


 そしてまた朝が来る。

「コーテーツぅー!!また秋良を独占しやがってぇ!!」




BACK