愛しいという言葉は一体何の役に立つのか、一体何の為に使うのか。
私は、そんなこと一度も考えた事がなかった。
だが、坂本秋良に出逢ってから少し、愛しいと言う言葉の必要性を考えるようになった。




  『愛しい君』





秋良の笑顔を見る為ならば、どんな苦難にも立ち向かおう。
秋良の為ならば、私はどんなことでもしよう。


そう秋良に告げた時、彼は困ったような顔をした。


私は本気だからな、とそう言うと今度は、一度視線を逸らし綺麗に笑った。







あぁ、これが"愛しい"というものなのか。








この時初めて、愛しいという言葉の意味、必要性がはっきりと解った。
私に秋良が必要な様に、秋良には"愛しい"という言葉が必要なのだ。

可愛いや綺麗などの言葉も外せないが、今の秋良には愛しいという言葉が合っていた。






私は秋良が居たからこそ、愛しさを覚えた。

秋良が居なければ、愛しいの本当の意味など知らずにいた。
いや、知る必要もなかった。

知ったところで何の意味も成さない。







"愛しい"という言葉は、秋良の為に使うものなのだから。




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