ここより君へ





逃げてしまった。
なにからというか、おぞましき集団から…一般来場者の恐ろしさを始めて知った。
藤森学園高等部の学園祭では、一般来場が許可されている。
そのなかでも「姫」という役割は変わらず、否より一層飾られてしまう。
現在の有定の格好はきらびやかな朱と、落ち着いた赤のグラデーションがベースの金刺繍の入った振
袖である。
髪は付け毛を足して一つに縛り、団子状にしている。
足元は勿論、足袋に赤い鼻緒の草履である。
その状態で有定は走って、そう全力で走って一般来場者から逃げたのだ。

なぜかと言うと、一般来場者は振袖を着た男(つまりは有定)の後を付いて来るわ、無用な質問は繰り
返す、無断撮影に無断接触。
学内の者であれば「姫番」か、もしくは執行部員が殴ってでも止められるのだが、一般の来場者となる
とそうは行かないものである。
そんな中を現姫である有定は走ってつっきり、現在生垣に身を隠していた。

「一般来客。迂闊だったな…生徒なら一喝で済むのになぁ」
これは今からでも、其の他大勢のあしらい方を学ぼう。
そう、思った時である。
かさり、と音がした。

「っあ、すみません。休憩中でしたか?」
柔らかな声音だった。
聞いているだけで安心できて、なぜか自然と微笑んでいた。
生垣に首だけ生えているように見える姿は間抜けだが、向けられた笑顔に先ほどまでの苛付きが緩
和されたような気がする。

「ええ、どうせならもう少し中に入ってもらえませんか?」
「?え」
「外側から見えてしまうので」
「あ…っあぁすみません」
少しだけ慌てて生垣を越えて影の部分に入る。

それだけで、場の空気が柔らかくなった気がする。

年はおそらく有定より下で、少年から青年へと移り変わる手前といった所だろう。
服装からして一般来場者のようだ。
「…驚きました?」
なんとなく、彼の声が聞きたくて有定は声を掛ける。

「なにがですか?」
小首を傾げる少年。

「男がこんな格好してる事、ですよ」

あぁと少年は声を上げる。


「知ってました」






なんですと?



「兄がココの三年で、実は去年も来たので知ってます。姫でしたよね」

はい、その通りです。
「あはははは」

有定の乾いた笑いが場の雰囲気を濁す。
まさか、知っていたとは思わず。
説明の文面まで模索していた自分が少し虚しい気もするが、変な所を説明しなくて済んだと喜ぶべき
なのだろうか?


「秋良!」

「あっ夏っちゃん…じゃあ。がんばってくださいね」
「あっ!」

がさがさと垣根を越えて行ってしまった。

あきら。

なぜかその存在が強く頭にのこった。


学園祭が終りしばらくしてからのことだった。
「有定姫」
そう呼ばれ半ば反射的に笑顔を作り振り向くと、そこには『坂本様』がいた。

校内で『姫』という特殊な役職と似て異なる存在。
全学年に様を付けられて呼ばれる彼は、周りの存在が霞むほどの存在感と美しい顔をしている。
周りが一線を引くのも解るのだが、普段のような不機嫌な顔でも見下した様子もない。

「少しいいかな?」
「はい」

対極的な存在である彼が、一体自分になんの用があるのだろう?


人払いをした一角は、おそらく異様な花が舞っていただろう。
自分…つまりは擬似アイドルである『姫』と、絶対的な存在である『坂本様』が対峙しているのだから。
傍から見る分には問題ないだろうが、こちらとしてはたまったものではない。
彼の一言しだいで、これからの公務になんらかの支障がでるかもしれない。

それほどまでに彼はここでは『絶対』なのだ。

「学園祭では弟が世話になったようだ」




……おとうと?


坂本様によく似た人物などにはあっていない。
いや、似ていない美形か!?

「君の休憩中に乱入してしまって、もしかしたら休めなかったのではと言っていてね」

「…休憩、ですか…」



  『っあ、すみません。休憩中でしたか?』


柔らかな声と。
 
  『がんばってくださいね』

言われなれた言葉と、暖かい笑顔。


「あのときの…坂本様もしかして、弟さんの名前は『あきら』君ですか?」
「そう、坂本秋良」

一瞬、坂本様の表情が険しくなる。

「で、弟が君のことを気にしていたんだが。その分だと十分休憩を取ったようだな」

いや、なぜその結論に行き着くのか。
たしかにあの後、短時間であったがしっかりと休憩はとれたし。
一般来客との間も適度に空けられて、疲労は少なかったが…。


「なんだ、解らないのか?」
どうやら「訳が解りません」という表情をしていたらしい。

「秋良が傍にいて、癒されないはずがない」

そう、キッパリと言い切り立ち去っていく。
後に残された自分は、ぐるぐると思考の渦に飲み込まれる。


確かに、彼と会った後は体が軽かった気がする。


だが!

顔は全く似ていなかった。
際立つほどの美しさも無かった。
背だって坂本様より高くない。
坂本様のような圧倒するほどの存在感も無い。


けれど。

優しい笑顔だった。
耳に残る声だった。
春の日差しのような雰囲気だった。
なにより意識せずには居られない甘い存在だった。

人を惹きつける要素が坂本様とは真逆で、なにより愛おしさを感じた。


「…やばい」

やばいどころの話ではない。
末期だ!

待て待て待てまてまてまてまてまてまてまてまて!

よし、言いか?
まず相手は男だ!
そして年下(関係ない)だ!
んっでもって美形ではない(可愛い系)だ!
何より一番重要なのは、坂本様の弟だ!




畜生っだからどうした!


常春のように花の沸いた頭はもう彼のことで一杯だ。
「ほしい」

ほしい。
どんなことをしても。
手に入れたい。

覚悟は決まった。

「さて、覚悟してくださいね『あきら』君」
自然と笑みが零れ落ちた。




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