「奇跡の日」





「それでは、有栖川先生・・・頑張って下さいね?」
 笑顔で、でも目と口調は真剣に、1つ年下の編集者が言う。
「はーい。」
 と良い子ちゃんの返事をしたとき、パタンと扉が閉まった。
 一人になったホテルの部屋で、アリスはため息とともにボソリと
呟く。
「いっつも『先生』なんて呼ばへんくせに、わざとプレッシャーかけ
とんねんな。うーっ、さっすがやり手やわ。」
 もちろんこれは、普段は優しく、ときには厳しい(それが今日だ)
アリスの担当編集者―片桐光雄―のことである。
 ゴールデンウィークを終えた平日―5月7日―。
 アリスはホテルで缶詰状態にあった。
 原因は・・・スランプにある。と言えば聞こえはいいが、ただ単に
いつも遅筆なだけだったりする。
 しかしそれでも、いつもは何とか自宅で乗り切っていたわけなの
だが、今回ばかりはそうもいかなくなった。
 トリックが、浮かばないのである。本格推理モノに、これは致命
的と言えよう。。しかし短編なので、そこをクリアできれば、あとは
数時間程度で書き上げられる。
 何か・・・何か思い浮かべばいいのだが、今のアリスには他に気
になることがあって、どうしても集中できない。
 1ヶ月も前から計画していたこの大切な日に、よもや原稿が遅れ
てホテルに監禁されようとは!!!
「ああーーっ。もうもう、俺のアホーーーッ!!」
 叫んでみても、真っ白な画面は埋まらない。
 せっかくの記念日に、それもある意味誕生日とかよりも大切(か
もしれない)日なのに、どーして俺は火村に会えへんのやーっ!!
 もはや原稿どころではない。
 アリスは原稿を上げられない自分を棚上げし、すっかり逆ギレモ
ードに入っていた。
 ひとしきりブツブツと文句や呪いの言葉を発し(←誰に?)、気が
済んだというよりはただ疲れて、机に突っ伏す。
「ああ・・・もうあかん。片桐さん、ごめん。俺はこれから黄泉の国
に旅立ちます―――」
 壊れモード全開で、こうなったらここに遺書でも打ち込もうかと真
剣に考え始めたとき、ガチャリと部屋の扉が開く音がした。
(ゲッ!片桐さんが戻って来たんか!?)
 慌てて原稿に戻ろうとしたアリスは、ふと嗅ぎ慣れたキャメルの
香りに、ハッとして振り返った。
 と、そこには案の定、今一番会いたい人がいた。
「よっ!ホテルに缶詰とは、ついに有栖川センセも大作家の仲間
入りか?」
 右手の人差し指と中指を軽く上げ、皮肉たっぷりに彼が言う。
「火村っ!!!」
 アリスは嬉しさに瞳を潤ませながら、立ち上がった。
「何だ?原稿が出来なくて泣いてたのか?」
 さらに返ってくる軽口に、
「アホッ!誰が泣くか・・・って、まあ原稿出来てへんのはホンマ
やけどな・・・。」
 アリスも軽口で応酬する・・・ことが出来ず、ちょっと玉砕気味
(?)である。
「原稿の手助けはしてやれないが、まあ気晴らしに付き合うくら
いはしてやるよ。休憩したくなったら、いつでも言えよ?」
 優しく言う火村に、アリスの涙腺がまた緩む。
「火村・・・」
 涙目でゆっくりと近づくアリスを、火村の優しい眼差しが迎えた。
「ありがと!」
 言いながら、ガバッと抱きつくアリスに、
「ん?」
 少し驚いた様子で、でも火村はしっかりとアリスの背に手を回す。
「せ、せやから・・・その・・会いに来てくれて、ありがとvvって。俺、
今日めっちゃ火村に会いたかってん。会いたいときに来てくれて、
ほんま嬉しい・・・。」
 真っ赤になった目を火村に向けて、アリスは照れたように笑う。
 火村もつられて少し赤くなりながら、
「礼なんて、いらねぇよ。今日は俺達の大事な日だからな。俺もア
リスに会いたくて来ただけさ。」
 ちょっぴりキザなその台詞も、今だけは魔法のようにアリスの心
に降り注ぐ。
「うんvv」
 今のアリスは、さっきまでの鬱々とした気持ちが嘘のように、幸
せだった。
 今なら『何か』が思い浮かぶかもしれない。
「火村、ほんまありがとうvv何やトリックできそうな気ぃするわ。」
「そうか・・・」
 と言いながらも、アリスを抱く手の力を緩める気配のない火村に、
「ちょ、ちょっと・・・」
 アリスが焦って抗議の声を上げる。
 これでようやく離してくれるのかと思ったら、今度は問答無用で
口付けされた。
「んっ。」
 かあっと赤くなって、アリスは慌てて火村の腕から抜け出す。
「こ、こんなときに何すんねん!?」
 火村はクスリと楽しげに笑うと、妖しく瞳を揺らめかせながら、
「早く原稿上げて、今晩は俺のために体をあけろよ?」
 とのたまう。
 さらに真っ赤になったアリスは、
「火村のアホーッ!」
 と言いながら、近くにあったティッシュボックスを火村に向かって
投げつけた。
 が、むなしくも軽やかに交わした火村の横を抜け、箱は壁に大激
突する。この至近距離で避けるとは、さすが火村である。
「オイオイ。ホテルの備品を壊す気か?」
 笑いながら言う火村に、アリスはムキーッと意地になって、次に
投げつける物を物色し始める。
 しかし、次の瞬間―――
 火村の言葉に、一気に現実に引き戻されるアリスだった。
「おい。できそうな気がするトリックは、書かなくていいのか?」
「うっわーっ、そ、そうやった。こんなことしてられへん。」
 わたわたと机に戻りかけたアリスに、
「アリス、これ差し入れ。」
 と火村が何かを放り投げた。
「へ?」
 と両手でキャッチしたアリスは、それを見て不思議そうに眉を寄
せる。
「・・・カレーパン?」
「ああ。今日は俺達のカレー記念日・・・だろ?」
 その言葉に、アリスはパアッと顔を輝かせ、
「ほ、ほんまに芸が細かいなぁ。」
「勿論だ。俺は完璧主義者なんでな。」
「へえへえ、そうですか。」
「ああ。その証拠に、そのカレーパンは150円だ。」
「・・・?あっ!そういやあんときって、カレー150円やったよな。」
「だろ?」
 満足そうにウインクする火村に、アリスは意地悪く、
「でも・・・今とあんときじゃ消費税分今のが高いやん?」
 火村は一瞬ウッと詰まり・・・それから口端を歪めて、
「それだけ細かいことを言う有栖川センセは、きっと相当細かく素
晴らしいトリックをお書きになるんでしょうねぇ?」
 今度はアリスがウッと詰まり・・・しかし、
「ああ!相当スゴイの書いたるからな!!!」
 気合い十分でドスドスと机に戻って行く。
 そんなアリスを優しく見つめながら、
「コーヒーでも飲むか?」
 と火村が聞く。
 アリスはもう早速カタカタとキーボードを叩きながら、
「うん、飲むーー。んで、一緒にカレーパン食べような?」
 と言うのだった――――。




 その日―――
 アリスは無事原稿を書き上げ、しっかりと夜には体をあけていた
とか。
 どうやら火村の望みは、叶ったらしい・・・。

 Happy memorial day!!!






                                    【END】








これまた懐かしい企画作品ですね〜。企画を決めたのがギリギリ
だったため、すごく短い期間で書き上げた記憶があります。つまり
前半のアリスが〆切りに追われて壊れかけている状態は、そのと
きの私の状態そのものだったというわけなのですね(苦笑)。火村
とアリスはきっと2人が初めて出会った(というか、火村がナンパし
た/笑)この日=『カレー記念日』をとっても大事にしていると思い
ます。当時の後書きによると、このSSのタイトルは、「(火村とアリ
スが出会えた)奇跡の日」ということらしいです(らしいって…)。




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