可愛らしい逆襲(後編)






 研究室に戻った火村は、椅子に座って・・・今日何度目かのため息をついた。
 あれから・・・もう丸1週間が経過していた。
 そう。あの日―火村はアリスとの約束を忘れていた。いや、正確には日にち
を間違えていたのである。まあどちらにしても、アリスとの約束を破ったことに
変わりはなくて・・・火村はとにかく落ち込んでいた。火村にとってアリスとの約
束は、何よりも大切なことなのだから・・・。
 結局あの日、アリスは許してはくれず・・・これは少し間を置いた方がいいと、
それから一切電話もしていない。
 たかが1週間とはいえ、アリスの声をずっと聞けないのはやっぱりツラくて。
 それにアリスはまだ火村のことを怒っているに違いない。アリスと喧嘩した
ままということもまた、火村にとってはこの上なくツラいことなのだった・・・。
 コン・・・コン・・・
 遠慮がちなノックの音に、火村は思考に捕らわれていた意識を慌てて覚醒
させた。
「はい。」
 火村が返事を返すと、やはりそろりとドアが開けられる。
「レポートを持ってきました。」
 言いながら入ってきたのは、火村の犯罪社会学の講義を受けている男子
学生(さすがに火村も名前までは覚えていない)だった。
「ああ。ご苦労さん。」
 レポートを受け取った火村は、なぜか立ち去ろうとしないその学生を訝しげ
に見やった。
「どうかしたか?」
 その学生(レポートの1番上に『桜蒔深月』(おうじみつき)と名前が書かれ
てある)は、一瞬目を泳がせ・・・それから思い切ったように口を開いた。
「あ、あの・・・火村先生、今何か悩んでいらっしゃるのではないですか?」
「へっ?」
 唐突な言葉に、火村は思わず間抜けな声を出した。
「あっ、す、すいません。差し出がましいことを・・・。」
「いや。」
 なんとか立ち直った火村は、アリスに似た柔らかい雰囲気を醸し出すこの
学生に、なんとなく話してみようか・・・という気になってきていた。
「桜蒔くん、まだ時間はあるかい?」
「あっ、はい。大丈夫です。」
「じゃあ、コーヒーでもどうかな?」
「よろこんで。」





 話を聞き終わった桜蒔深月は、コーヒーを一口飲んでからゆっくりと口を開
いた。
「あの・・・その方に会いに行かれた方がいいんじゃないですか?」
「いや。少し時間を空けるべきかと思っているんだが。」
「いいえ。僕は少しでも早い方がいいと思います。たぶん相手の方も許すきっ
かけを待っていらっしゃるんじゃないでしょうか?・・・だって僕もそうだし。」
 最後の方は、もごもごと口の中だけで呟く。
 しかし火村の耳にはしっかり聞こえていた。察しのいい火村は、『ははーん、
なるほど・・・』と思う。
「で、桜蒔くんは、今その許すきっかけというのを待っている最中なのかい?」
 図星だったようで、桜蒔は顔を赤くして俯いた。
 そしてしばらくしてから、「はい。」と小さく答える。
『そうか』と火村は頷いて、
「君の言うとおりかもしれないな。明日、会いに行ってみることにするよ。」
「ほんとですか?」
 桜蒔の顔がパァッと輝く。
「ああ。ありがとう。君も早く彼氏と仲直りできるといいな。」
「えぇっ!?」
 一気に桜蒔の顔が青ざめる。
「な、なんで彼氏って・・・。」
『そりゃー普通わかるさ』と言いたいところだが、桜蒔のあまりの動揺ぶりに、
どう言おうか?と一瞬迷う。
 その間に、桜蒔の方が先に口を開いた。
「あ、あの・・・先生。お、俺が男と付き合ってるということは、どうか秘密にし
て下さい。お願いします!」
 今にも泣き出しそうな様子に、
「言わないよ。当たり前だろっ。それとも俺はそんなに口の軽い男に見える
のかな?」
「い、いえ。そんなことは・・・。」
 慌てて否定する桜蒔に、火村は優しく語りかける。
「それにね、桜蒔くん。別に性別で人を好きになるわけじゃないだろう?俺は
・・・魂だと思う。好きになったその魂が、たまたま男だった・・・ただそれだけ
のことなんじゃないかなぁ?」
「は・・・い・・・。」
 桜蒔は泣いていた。
 火村のその言葉が、何か彼の心に響いたのだろう。
 研究室を後にする彼の背中は、なんとなく重い荷物を下ろしたかのように
軽やかだった。
 その背中を見送りながら、火村もまた『よーっし!』とアリスとの仲直りを固
く心に誓うのだった・・・。






 翌日。
 絶好の仲直り日和(?)というような清々しいお天気である。
 火村は、講義のない日にしては珍しく、朝8時には目覚めていた。
 起き上がって、『うーん』と大きく伸びをする。
『昼を過ぎたら、アリスのところに行こう』改めてそう決意を固め、火村は目
を閉じて、アリスのふんわりした笑顔を思い描くのだった・・・。



 さて、同日。
 午前11時15分。
 アリスは火村の下宿前にある電柱の影にいた。
「さーて、火村先生はどんな反応を示すでしょうか?」
 フフフッと笑いながら、ひとり呟く。
 アリスは携帯電話を取り出すと、短縮1番―火村の下宿の電話―にかけ
た。
 しばらくすると、リリリリンというかん高い音が見上げる先―下宿の2階―
から聞こえてくる。
 ・・・リリリリン・・・リリリッ
「はい。火村です。」
「あっ・・・ひ、む・・ら・・・。」
 今にも消え入りそうなアリスの声。
「ど、どーしたんだ!?アリス・・・。」
 慌てる火村の声に、ひそかにほくそ笑むアリス。
「うっ・・・た、助け・・・」
 苦しそうなアリスの声が途切れる。
「アリスっ・・・アリスっ・・・」
 必死に呼びかける火村。
「お願い・・・すぐに・・・来て・・・?」
「あ、ああ。すぐ行く!で、でも大丈夫なのか?具合が悪いなら、救急車を
・・・。」
「だい・・・じょぶだから・・・火村が来てくれたら・・・それで・・・。」
「わかった。待ってろよ?すぐに行くからな。」
 受話器を置いて、火村はものの数秒で2階から駆け下りて来た。顔色は
真っ青で、不安そうに瞳が揺れている。
 転がるように玄関から飛び出した火村は、目の前に立つ人物を信じられ
ないという表情で、見た。
 今、助けを求めていたはずのアリスが、携帯を握ったままにっこりと妖し
い笑みを浮かべて立っている。
 悪い夢ではないか・・・?と一瞬思う。
「びっくりしたやろ?」
 しかしこのアリスの言葉に、火村はすぐに『してやられた』ことに気づいた。
 だがダマされた怒りより、アリスが無事であったことに喜びを感じてしまう
あたりが、惚れた弱みというものだろうか?
「はぁ。よ、良かった・・・。」
 気が抜けた火村は、その場にしゃがみ込んだ。
「わっ、火村。大丈夫か?」
 火村の腕を取り、心配そうに覗き込むアリスに、火村は微笑んだ。
「これで気が済んだ?もう怒ってないか?」
 アリスは一瞬ばつの悪い顔をして、それからテヘッとちょっぴり可愛く舌
をのぞかせた。
「こないだの仕返しやって・・・やっぱバレてた?」
「ああ。それ以外に考えられないしな。」
「こんなことしてもーたけど、ホンマは火村に会いたかっただけやねん。ケ
ンカしてるとこそのまま訪ねる勇気があれへんから、それで・・・。」
「ありがとう、アリス。実は俺も今日会いに行くつもりだった。」
「へっ?ホンマ?」
「ああ。同じ日に・・・なんて、やっぱり俺たちは心が通じ合ってるって証拠
だな。」
「まーたそういうキザなことゆーて・・・。」
「はははっ。もう怒ってないよな?」
「怒ってへんよ。それにそんな火村の恰好見たら・・・許さへんわけにはい
かんやろ?」
 アリスがいたずらっぽく笑う。
 へ?と自分の足元を見た火村は、顔を赤くして「ど、どれだけアリスのこ
と愛してるかわかっただろ!?」なかばヤケくそ気味に叫んだ。
「うん。ホンマ俺ってめっちゃ愛されてるんやねー。」
 火村の左右違う靴を見つめながら、嬉しそうにアリスが言う。
 焦がれていたアリスのふんわりした笑顔に、火村は堪らずアリスをぎゅっ
と抱きしめた。
「アリス・・・愛してる。」
 耳元で甘く囁く火村に、
「うん。俺も・・・火村んこと愛してる。」
 アリスも今日はなぜか素直に言葉を返すことができたのだった・・・。






《おまけのエピソード》


 後日。
 火村助教授は、講義中にレポートを返していた。
 採点を見ながら、あちこちから悲鳴が上がる。
 そんな中、返ってきたレポートを見た桜蒔深月は、レポートの最後に書か
れたコメント(私信)に目を瞠った。

 『おかげで恋人と仲直りできたよ。君の方は仲直りできたのかな?あと、
言い忘れていたけど、俺の恋人も男だよ。』

 ハッと顔を上げると、教壇の火村と目が合う。
 自分も仲直りできたことを伝えようと、にっこり微笑んだ桜蒔に、火村もウ
インクを返す。
 それをたまたま見ていた女子学生たちから、キャーッと黄色い悲鳴が上
がるが、そのウインクの意味を理解しているのは、教室内で桜蒔ただ1人
であった。
『そうかー。火村先生の恋人って男の人なんだ。なんだか僕も頑張れそう
な気がする。先生、ありがとう。』
 桜蒔は心の中で呟きながら、愛しい恋人に思いを馳せるのだった・・・。






                                         【END】


[後書き]
やっと終わったですー。初の前・後編にお付き合い頂きまして、ありがとう
ございましたvこのお話は、相方の遼ちゃんに「血相変えて駆けつける火
村」というお題をもらって、書きました(←実際は「血相変えて家を飛び出す
火村」になっちゃいましたけど)。その後、オリキャラの名前が思い浮かば
なかったときには、電話で「なんか考えてー」と泣きついて、一緒に考えて
もらったりもしました。
それで出来た「桜蒔深月」くん。結構お気に入りのキャラとなりましたvv
実はこれから先も登場する予定あり(←彼のダーリンも/笑)なのですが、
皆さんに受け入れてもらえているのかしら?とちょっと不安ですね・・・。
彼の名前は、『不思議の国のアリス』からヒントを得て(なのよね?遼ちゃ
ん/笑)出来たんですが、今となってはその原形をとどめてませんね(爆)。
ともかくこのSSは、いろいろ一緒に考えてくれた遼ちゃんに捧げますv

↑ 当時の後書き・・・ああ、そう言えばそんなお題だった(と今思い出し
ました/爆)。それにしても、オリキャラ出張ってますね〜(苦笑)。結局、
このSSをアップしたとき、あまり反響がなくて(寂)、彼のダーリンは永
遠の謎となったのでした(笑)。イメージは出来てたんですけどねぇ。
小悪魔系のアリス、書いててなかなか楽しかったような記憶がありますv
いや〜懐かしい懐かしい(←そればっかり)。




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