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エピソード

各国のページの中に載せているエピソードを取り出しまとめました。トップページに載っていない国も新たに登場しています。

■ ヨーロッパ

■ アイルランド

ギネスビール

アイルランドと言えばやはりあの黒ビールと呼ばれているギネスビールですね。
独特の苦味と強い香りがあるので初めはちょっと抵抗がありますが何回か飲むうちに取り付かれてしまうのです。
アイリッシュパブでは8割以上の人がギネスビールを楽しんでいます。
日本人みたいにごくごくと飲むのではなくジョッキ一杯を時間をかけて歓談しながら飲んでいます。
日本でも最近輸入された生が大都市で飲めるようになってきました。
あのギネスブックはこのビールのギネスと関係があるそうですね。

カントリー

アイリッシュ音楽を聞かせるという場所に行ったのですが、その音楽はまさに日本人が知っているアメリカのカントリーミュジックそのものなのです。
メインの楽器がバイオリン、バンジョー、それにギターなのです。アイリッシュのミュージシャンがアメリカに移民して始めたのがカントリーなのですね。
いろいろな国を訪れてこういう事を発見すると大変嬉しいものですね。

■ イギリス

言語

ヨーロッパの人々が集まってミーティングをやる事があります。
使う言語は英語ですがイギリス人の発表が一番わかりにくいのです。
その事を他の国の人に話したらやはり同じ感想を持っていて、イギリス人は英語がどこでも通用するので、人が話している事がわかりにくいなんて思ったこともないからでしょう、と言っていました。
そうなのでしょうね。
イギリス人に外国語を話せる人がほとんどいない事からもわかります。
ちなみにヨーロッパで観光に行くと一人で5ヶ国語以上を自由に操ってガイドする人がざらにいます。
5カ国とは先ず英語、ラテン系でフランス語、イタリア語、スペイン語、それにドイツ語。日本語がこの中に含まれることは絶対ないでしょう。
日本語のガイドは日本人専任です。

まずい料理

イギリスと言えば食べ物がまずい事が良く話題になります。
イタリアとかフランスのラテン諸国と比べると確かにまずいですね。
どうまずいかというとその食材の本来の上手さを台無しにするほど料理してしまうのです。
聞いたところによるとその昔ヨーロッパにペストが蔓延した時、食材にしっかりと火を加える習慣が付き現在もその名残が残っているのだそうです。
味覚のことですからまずい料理に慣れてしまえばそのままそのまずさに満足してしまうのでしょう。
中華料理店は世界中にありどこへ行ってもそこそこ美味しいのですが、ロンドンの中華料理は確かにレベルが低いと思います。
その国の標準の料理のレベルが低ければ中華料理といえどもレベルが下がってしまうのでしょう。
評価の甘いところには上手いものは育たないと言う事ですか

イギリス的

6月にロンドン郊外のアスコット競馬場でイギリス王室主催のイベントが開かれます。
その中日はレディーズデイとされていてエリザベス女王が来られます。
これに合わせてトラックの脇に用意されているテントを借りて顧客を招待する催しがありますが、私も現地法人に招かれました。
そこに参加する人々は男性は皆燕尾服にシルクハット、女性はドレスに華麗な帽子を被ります。
翌日の英国のどの新聞にも誰がどんな帽子を被ってきたかが一面の話題になるほど有名な催しです。
私は外国人なのでネクタイを締めジャケットを着ていればOKです。
朝10時頃集ってシャンペンを飲みながらひたすら歓談をするのです。
イギリスではこのようなイベントが良くあるのだろうから着ている燕尾服とシルクハットは当然自前だろうと思って現地法人の男性に尋ねると、全部レンタルであるとの返事です。
又ステキな帽子を被っている彼等の奥さん達と話していると「もうこんなうっとうしい帽子は早く脱ぎたい」なんて本音が飛び出して来ました。
私はイギリス人は何かあるといつもこのような格好をしていると思っていましたが現実はそうではないようです。
英国はやはりいまだに歴然とした階級社会が続いていて普通の人たちは時々上流社会の慣習に合わせる羽目になるいうことなのでしょう。

同類

ロンドンで顧客を回った後スペインのバルセローナに移動するためにヒースロー空港にやって来ました。
夏で汗をかいたのでビールを飲みたくなったのでバーを探すと閉まっているのです。
20年以上も前ですがその頃法律で午後一定の時間全てのアルコール類を扱う店は閉店することが決められていたのです。
15分ほど早く空港に到着すれば飲めたのですがしょうがありません。
ふとあるテーブルを見るとプラスティックのコップで白い泡の浮いたビールを飲んでいる人がいるではないですか。
傍らには缶が置いてありましたから、どうやら自動販売機で買ったようです。
そうか、こういう手があったのかとそのビールを飲んでいる人にどこで買ったのか聞いて早速買いました。
一口飲んで、がっかりしましたね。
それはノンアルコールの飲み物なのです。
今のものみたいに旨くもなくおまけに冷えてもいないので飲めた代物ではないのです。
同行の日本人とぼやいていると、一人の男が近づいてきて「それどこで買ったのですか」と聞くではないですか。
親切にちゃんとそのまずい飲み物を買った販売機を教えてあげました。
何かちょっと落胆したのが柔らいだ気がしました。

■ イスラエル

死海

イスラエルと隣国のヨルダンとの国境に有名な死海があります。
死海から水が流れ出る川がないので塩分濃度が長い時間をかけて次第に上がり、普通の海水の濃度が5%であるのに対し25%以上と極端に高くなりました。
そのため浮力が大きく人が入っても沈む事はありません。
この高い塩分濃度のため生物が生息出来ないので死海という名称がついています。
この死海製の塩が空港の免税店で売られています。

■ イタリア

観光のメッカ

イタリアを初めて訪問したのは、35年ほど前になります。
ローマを訪れた時に、事前にしらべたカメオの専門店を探しました。
しかし良く分からないので交通整理をしている警官にその店を尋ねました。
すると「日本人ですか」と日本語で聞かれたのです。
そうだと答えると「ここをまっすぐ行って何とかを右に曲がればその店がある」とかなりちゃんとした日本語で教えてくれました。
その頃はまだ日本円とドルとの為替が固定相場制から変動相場制に変わって間もない頃ですから日本人はまだそんなに大勢海外に出かけてはいないはずです。
その数少ない海外渡航者がかなりの確率でローマを訪れたのでしょう。
その頃のローマは日本人が先ず行きたい所の一つだったのでしょう。

イタリア気質

イタリア、フランス、スペインなどラテン系の人の一つの特徴に情熱的である事が上げられますがこのラテン系の中ではイタリア人が一番気性が激しいのではないかと思います。
ある時、ミラノの市街から空港に行くタクシーに乗ったのですが、大きな交差点で対向車が何か危ないハンドルさばきをしたらしく、突然乗っているタクシーが交差点のど真ん中で止まりました。
タクシー運転手は飛び出すように外に出て相手の運転手にそれはとんでもなくけたたましい声でののしり始めたのです。
相手も負けずに応酬を始め数分が経ちこれは際限なく続き空港に行く事など運転手は既に忘れ去ってしまったなと思いこのタクシーから降りて他のを探して空港に行くしかないと思いました。
しかしどう運転手に説明できるものかなどと戸惑っている内に、すうっと運転手が車に戻ってきて何もなかったように運転を始めたのです。
あれだけ怒り狂っているように見えたのに今のこの冷静さは何だろうと又戸惑ったのでした。

イタリア的

ミラノの空港の待合室が、ある時部屋全体に禁煙の標識が吊るされていました。
居合わせた乗客も「エェッ」って声をあげるものの「まあイタリアだからな」なんて感じで数人が大らかにタバコをすい始めました。
するとそれを待っていたかのように警官が数人入って来て罰金の請求を始めました。
タバコを吸っていた人たちは信じられないような顔をしてしぶしぶ応じていました。
イタリアも少しは常識的になってきたのかな、なんて思いながらイタリアのアリタリア航空に乗ってバルセローナに向いました。
前の方の座席に座りました。
離陸してしばらくするとタバコの煙の匂いが漂ってくるのです。
その時既にヨーロッパ域内を飛ぶ航空機は全席禁煙でしたので変だなと思って乗客の座っている座席の方を見回しましたがタバコを吸っているような人は見当たりません。
目をクルーのいるキャビンの奥へ向けますと一人の女性クルーがタバコをプカプカ吸っているではないですか。
正にこれがイタリア人なのです。
さっき待合室で起こったことは決してイタリア的な事ではありません。

■ オランダ

よく降る雨

オランダは雨がよく降ります。
でもあまり激しくなければオランダ人は傘をさしません。
雨降りに慣れているので雨が降っているからといっていちいち傘をささないのです。
子供達が雨が降っていようが外で平気で遊んでいるのをよく見ます。
雨降りの日が多いので雨を気にしていたら外で遊ぶ機会がなくなってしまうのです。
オランダには運河が張り巡らされています。
水際には柵など一切ありません。
子供が小学校に入ると服を着たままプールに落ちる訓練をするそうです。
万が一運河に落ちた場合を想定した訓練なのです。

自転車

オランダの一人当たりの自転車の保有台数は世界一だそうです。
その理由には、土地が大変平坦であるので苦労なく自転車を活用できる。
自転車道路が整備されているとかが挙げられるでしょう。
国中の自動車道路の脇には必ず自転車道路が設けられています。
市街地で歩道が無いところでも自転車道路はちゃんと用意されています。
この自転車道路を人が歩くと自転車に乗っている人に邪魔だとこっぴどく怒鳴られます。
これはごく普通の出来事なのです。
人より自転車の方が優先度が高いのです。
慣れないと面食らいます。
通勤にも当然自転車が良く使われますが、雨が多いためか手入れが悪いのかギーコ、ギーコとチェーンが錆びて発する音をさせて乗っている人が多くいます。
でも週末になるとロードレーサとかちゃんと走る自転車を出してきて張り巡らされた自転車道路を楽しんでいます。

大人の国

オランダには世界最大の赤線地帯があります。
所謂「飾り窓」です。
マリファナも場所は限定されていますが合法的に吸う事が出来ます。
また人種差別がないと言われています。
有色人種と白人のカップルが仲良く歩いているのを良く見かけます。
いろいろなことを自由にしておいて決めつけない、言い換えると人間の本性を大事にするという文化があるように思えます。
又こういうこともあります。
オランダの冬は暗く長いのです。
そのため太陽がさんさんと照らす5月になると公園に人々は集り日光浴を楽しみます。
若い女の子がトップレスで日光浴しているのも良く見ます。
しかし、普通の街中とかいろいろ馬鹿騒ぎするお祭りなどでトップレスなる事は絶対無いのです。
皆秩序をちゃんと守る伝統があるのです。
アメリカみたいに喫煙は健康に害があるとなると国中一辺倒になるようなヒステリックなところは全くない大人の国なのです。

英語が良く通じる

オランダは英語が良く通じます。
スーパーで店員が近くにいないので側にいた客に例えば塩はどこにあるかと聞くとちゃんと英語で教えてくれます。
このレベルはゴルフ場の受付でも、その他いろいろな場面で同様です。
オランダは近隣のフランスとかドイツと違って小国ですからいろいろな国とのつながりを持つ事で国の経済を保っているのです。
前段でもコメントしましたが人種差別もないので日本人には住みやすい国の一つでしょう。

■ オーストリア

第三の男

ウィーンで昼食をとるためにあるレストランに入りました。
注文をして待っているとチターの演奏を聞かせてくれました。曲はあの有名な「第三の男」でした。
私はこの曲をギター用に編曲したものを好んで弾いた時期もあり曲そのものは良く知っていました。
一方映画はかなり昔にテレビでやっているのを見たことがありますが、画面がいつも暗いシーンばかりであったぐらいしか覚えていません。
このウィーンのレストランで演奏を聞いたのも、その演奏者がたまたま「第三の男」を選んで弾いたのだとぐらいにしか思いませんでした。
最近日本の著名なチター演奏家の演奏会に行った時に「第三の男」が曲目にあり映画について説明があり初めてこの映画の舞台がウィーンであることがわかりました。あのレストランで「第三の男」を演奏したのはちゃんとした理由があったのです。
そうとわかった途端20年も前に、あのレストランで老演奏家がチターを弾いていた光景がまざまざと思い出されてきました。
映画はミステリーの名作中の名作だというので早速DVDを買ってきて鑑賞しました。
確かにアントン・カラスの名演奏を含めて名声を博するに値する作品でした。

■ ギリシャ

たこ

欧米人は一般的に「たこ」は食べないと言われていますがギリシャではまだ生きているような新鮮なたこを七輪みたいなもので焼いて観光客に食べさせています。
味付けは特になく海水の塩味のみです。
日本で食べたのならそんなに感激しないと思いますが、ギリシャで食べるたこは格別な味がしました。

白亜の家々

ギリシャに行ったらテレビなどで良く見るエーゲ海に臨んだ切り立った岸壁の上に建てられた白亜の家々のある島に行ってみたいと思っていましたらその島はアテネから飛行機に乗るほど離れていることがわかりました。
ちなみにその島の名前はサントリーニ島と言い、ドイツのミュンヘン辺りからも直行便が出ているほどヨーロッパで人気の観光スポットです。

第1回オリンピック

アテネの市街を歩いているとちょっと小さな競技場みたいなところにたまたま来ました。
案内板があるので見ると1896に第1回オリンピックが開かれたと記載されていました。
そうです、ここで近代オリンピック第1回が開かれたのです。
場内に入れそうなので用意をして再び訪れジョギングを始めました。
私が来た時に一人の男性が競歩をしていました。
最初はあまり意識していなかったのですがその内に私に迫ってきてとうとう私を抜いてしまったのです。
ちょっとショックでした。
まさかこんなところで競歩の人に抜かれるとは思っていませんでした。
一応私は10kmを50分で走る標準的なジョガーだと思っていましたので。
2004年にオリンピックアテネ大会が開かれましたが、この記念すべき競技場はより多くの収容人数を確保するために大きく改造されてしまったようです。
第1回オリンピックが開かれた記念すべき競技場なのですからそのまま保存しておく事も一つの考え方だったとは思いますが。

■ スウェーデン

森と湖の国

スウェーデンは「森と湖の国」と言われています。
これは、飛行機の上から地上を眺めると良く理解できます。
牛肉に霜降りという極上の肉がありますが、あの霜降りの油の部分が湖で赤みが土地(森)と言えるほど湖が無数に散らばり連なっています。
極端に言うと湖と湖を森がつなげていると言えるでしょう。
隣国のフィンランドも同様な景色を見ることが出来ます。
携帯電話が世界で普及し始めた頃、人口当たりの携帯電話の所持率が世界で一番高いところがこれらの国々であった事がうなずけます。
人口密度が低く家々が散在している土地に電話線を張り巡らすのは大変不効率ですが、携帯電話ならアンテナをところどころに建てれば十分に間に合うのです。

■ スペイン

闘牛

スペインと言えば闘牛が有名です。
マタドールと呼ばれるいわゆる闘牛士が剣を牛の脊髄に刺して仕留めます。
上手なマタドールは一発で仕留め満場の喝采を浴びるのですが、上手くいかないと何回も試みブーイングとなります。
ただ、そこにいくまでに長い槍でさしたりいろいろな事をして牛を弱らせ、最後にマタドールの登場となって格好いいところを見せます。
何となく残酷で日本人にはちょっとなじめないのではないでしょうか。

■ チェコ

美しい構図

ヨーロッパの美しい都市の構図の一つに、中央に大きな川が流れ古典的な美しい橋が何本かかかり川の対岸は高台になっていて古くて大きな建物、古城等がそそり立っているのが挙げられます。
チェコのプラハと、ハンガリーのブタペストがこれにあてはまります。
プラハでは、モルダウ川、プラハ城、聖ヴィート大聖堂、カレル橋がその美しい光景の構図を作り上げています。

プラハの春

プラハの市街を歩くと昔テレビのニュースで伝えられた、ソ連をリーダーとするワルシャワ同盟軍の大きな戦車が砲を前にプラハの街角を侵攻してくる光景を思い出しました。
この角をあの戦車が曲がってきたのかなと昔テレビで写しだされた光景と現在のプラハの街角がダブってくる思いがしてきました。
この事件は「プラハの春」として知られ、1968年春に当時のチェコスロヴァキアが自由化政策を打ち出したものの数ヶ月後にワルシャワ同盟軍に敢え無く全土を占領されたのです。
現地でこのような歴史的な事件を思い出しますと、戦争がなく平和である事の大切さを殊更実感いたします。

■ ドイツ

オクトバーフェスト

ドイツのビールと言えば9月末から10月初めにミュンヘンの郊外で開催される世界最大のビール祭り「オクトーバーフェスト」が大変有名です。
ミュンヘン所在の15以上のビール醸造所が巨大なテントをはり毎年世界中から600万人が訪れます。
一つのテントには6000人も収容できるそうです。
中ではブラスバンドが演奏していて興が乗ってくるとお客はビールを片手にテーブルの上に乗り肩を組んで全員で踊りを楽しみます。
どのくらい掃除をするかわかりませんが次の日にはそのテーブルは又食事用に変わります。

ベルリンの壁

1989年11月にちょっとした連絡ミスにより劇的にベルリンの壁が崩壊されたことは良く知られていますが、ベルリンの壁が東西ドイツを隔てていたと多くの人が漠然と理解していたと思います。
しかし、ベルリンそのものは当時の東ドイツのど真ん中に位置していて西ベルリンは西ドイツの領地の東ドイツの中の飛び地だったのです。
ですからベルリンの壁とは単にベルリンの中を東西をわけていたのでなく西ベルリンの周囲を囲んでいたのです。
東西ドイツ統合後、長い年月をかけてベルリンの再開発を精力的に行っていますので、ごく近い将来ヨーロッパにおけるパリ、ロンドンに並ぶ大都市になることは確実でしょう。

厳格なドイツ人

ドイツ人は大変厳格であると言われていますがちょっとした事でそれを体験したことがあります。
ドイツのキールから車でデンマークのコペンハーゲンに渡るためフェリーに乗りました。
2時間ぐらい乗ったのでしょうか、コペンハーゲンの港に近づき接岸し始めあと数分でドアが開いて上陸が開始されると思いエンジンを始動しました。
すると側にいたドイツ人からまだ早いとたしなめられたのです。
確かにエンジンのアイドリングは厳禁なのは知っていましたが長いこと船に乗ってやっと着いたのでつい早めにエンジンを始動してしまったのです。
ドイツ人にとってはそれはわざわざ他人に注意するほど絶対駄目な事なのです。
ドイツ人は常にこのような肩肘を張った社会にいるのでストレスが高まりアルコールが入ると緊張が取れて態度ががらりと変わる人がいるのではないでしょうか。
普段を知っているドイツ人が酒が入って豹変するのを何人か知っています。

ある感激

現地法人があるショウに出展しているので朝10時頃そのブースを訪問しました。
すると知っている現地人の責任者が、「良く来てくれた。で何を飲みますか」と言ってビール、赤、白のワインなどを見せてくれました。
元来好きな方なので赤ワインを頼みました。
ヨーロッパに赴任してすぐだったので何と素晴らしいところに来たものだと感激したものでした。
それから5年のヨーロッパ赴任中ずうーっとこの感激は裏切られませんでした。

火事騒ぎ

ミュンヘンから2時間ぐらい車で山の中に入ったところにあるホテルで世界各国から人を集めて会議をしました。
夕食後酒を楽しんでベッドに着きました。
ドンドンとかすかに聞こえてきます。
だんだんその音が大きくなって来て、これは夢ではなく誰かが部屋のドアをノックしているな思う頃、やっと頭が目覚めて来てドアを開けに行きました。
するとドアの向こうにはアメリカから参加している日本人がいて「下の階が火事になっている。ここから外へ逃げるから他の人間もここへ逃げて来るよ」と言うではないですか。
まだ酒と寝不足で頭がぼぅっとしていて事態を飲み込めずにいると4,5人知っている人たちが入ってきてこの2階の部屋から地上に降りる準備を始めるのです。
火事の実態を実感していないので逃げる準備はこの人たちに任せる事にして自分はバッグに荷物を詰めたり自分自身の逃げる用意を始めました。
未だに理解できないのですが何故皆が私の部屋に逃げてきたのでしょう。
理由の一つとして考えられるのは私の部屋は角にあり2つの方向に窓があることですが何故この人たちがそれを知っていてその角の部屋が逃げやすいと思ったかが分かりません。
それはそれとして可笑しかったのは、そのアメリカから参加している日本人が、二つあったベッドの使っていないベッドのシーツを剥がして窓から降りるロープとして使いたいと私に許可を求めたのです。
この情況でそんなこと聞くまでもないと思うのですが。
そうこうしている内にシーツで作ったロープを下に垂らして降り始めました。
その頃には地上からはしごを掛けてくれる人がいて全員無事地上に降りることが出来ました。
それは確か夜中の3時頃だったと思いますが、ホテルの母屋の方に避難した頃には消防自動車が何台も駆けつけ放水を始めていました。
ただどこが焼けているのかは外からは分からないのですが何人かが窓から降りているのは見えました。
母屋に部屋を割り当てられたので仮眠を取り、翌朝火事があったところに行ってびっくりしました。
正に私の部屋の下のホールが丸焼けなのです。
もう少し火がまわったら私の部屋も焼け落ちたでしょう。
ミュンヘンに帰る途中ラジオでその火事で15人ほど飛び降りたりして怪我をしたと報道していました。
この事件の後、私は火事の最中、逃げる前にひげを剃って、歯を磨いてネクタイを締める等用意周到で非難したと言う話が会社に広まりました。確かに荷物をまとめたのは私以外にはいないと思いますがネクタイは締めなかったと思いますよ。
歯ぐらいは磨いたかも知れませんが。

■ トルコ

商売の極意

ある大きなおみやげショップに入った時の事です。
ちょっと覗いてみようと入ったのですが、店員が近づいてきて、「何をお探しですか」聞くのでとっさに「トルコ石」と答えるとトルコ石を陳列しているところに連れいかれました。
そこにはいろいろなトルコ石製品がありました。
そんなに強い興味があったわけではないので、「ちょっとこういうものではないのだけど」というとまた違う製品が並んでいるところに連れて行かれました。
「もうちょっと安いのが良いのだけど」と言うと違う棚を見せるのです。
何しろ一旦店に入ると絶対何か買わないと出て来られないのです。
いかなる客の要求に対しても100%対応できる品揃いをしてあるのでいい加減なことを言って店から出て来るのは不可能なのです。
物を売っている店に足を踏み込むという事は何かに興味を持っているわけであるのでそれを徹底的に提示してくれるので何も買わないで出てくる正当な理由がなくなってしまうのです。
これは商売の極意ですね。

ヨーロッパの慣習

イスタンブールにヨーロッパの代理店が集っってミーティングした後、ホテルでレセプションをすることになりカジュアルでやろうと服装は「ノーネクタイ」とアナウンスしました。
当日我々ホスト側は当然ノーネクタイで臨みました。
しかし三々五々入場してくる参加者は皆ネクタイに上着を着ているのです。
6割ほど来た招待客が皆がネクタイ・上着で来たので、もはやこれまでと方針を変えて部屋に戻ってネクタイをしてくることにしました。
結局誰一人としてノーネクタイで来た人はいませんでした。
最初にこうなる事は予想しなくてはいけなかったのです。
もしアメリカで打ち合わせの後、一旦ホテルの部屋に戻ってから夕食に行く約束をすると彼らは必ずカジュアルな服装できます。
一方ヨーロッパで同じ情況だとヨーロッパの人はともすれば打ち合わせの時より決まった格好で来る事があるほど、夕食の時には服装に力を入れてきます。
やはり、伝統的な慣習があるのでしょう。
こういう事は外国人にはなかなか一朝一夕では分かりにくい部分ですね。

■ ハンガリー

民族音楽

ブタペストで夕食の後、とあるバーに入ったら年老いたジプシーのバイオリン弾きがハンガリーの民族音楽を演奏してくれました。
その曲がずーと耳に残っていたのですが、最近似たような曲の入ったCDを見つけました。
スペインのフラメンコが好きで踊りを見たり曲を聞いたり弾いたりするのですが、そのうちジプシーそのものに興味を持ちいろいろ本を買って一時期研究した事があります。
ジプシーは「流浪の民」と呼ばれていますがそんなに確かなことはまだわかっていないようです。
起源はインドの北西部から始まりそれが北上してイラン、小アジアあたりを通過してヨーロッパに入っていったのが15〜16世紀だそうです。
リストのハンガリアン・ラプソディとかサラサーテのチゴイネルワイゼンなどはジプシーの情緒や旋律を良く表しているそうです。
これらの曲の底流にはハンガリーの民族音楽などが流れているのですね。
購入したCDに納められている曲もあのフラメンコの情熱的な曲に繋がっていくところに壮大なロマンを感じます。

■ フランス

フランスと言えばやはりワインですね。
フランス人とビジネスランチに出かけると必ずワインを注文します。
軽くグラスに1〜2杯ぐらいの量ですが。
パリなどで観光で泊まるホテルの朝食はだいたい日本で言うバイキングスタイルですが、ジュース類をサーブする機械と並んで、ワインが出てくる機械が用意されているのは嬉しいです。
ちょっといいホテルですとシャンペンも用意してあります。朝ちょっとアルコールを入れると血の巡りが良くなり特にお年寄りには効能があるらしいです。
でもパリの街角でかたわらに酒のビンを転がして昼間から寝込んでいる人を良く見かけますが、こういうお国柄だと飲酒をコントロールするのは更に難しいのでしょう。

氷河滑降

アルプスの巨峰モンブランのふもとにあるシャモニー(フランス)には2回スキーに行きました。
1回目は天候が悪く金曜の夕方現地に着いたのですが土曜、日曜は吹雪でリフトはストップ、月曜は帰る日でしたが午前中やっと2時間ほど滑る事が出来ました。
最初まだちょっと雪が降っていたのですが、日本みたいにリフトの座席の上に積もった雪を係員が払う習慣がないようで尻がぬれてしまい閉口しました。
ですからほとんどの時間をホテルで卓球をしていました。
かなり日本的。

2年後に再チャレンジしました。。今度は一人です。
金曜の夕方にシャモニーに着いて街を散歩していたら何やら人が並んで申し込みみたいな事をしてところがあり覗いてみると標高3300mから氷河を40km下るツアーがあることがわかり日曜のツアーに申し込みました。
前回より長い時間滑られれば満足であるとぐらいにしか考えていなかったのでこのようなツアーがある等全く知りませんでした。
土曜はゲレンデで滑ったのですが何しろ標高2500mまで上がるのでちょっと滑ると息がはぁはぁして休みながらしか滑られません。
日曜早朝先ずエレベータと階段で3300mまで上がります。
建物から出るとすぐにナイフのエッジのような狭いパスをガイドから渡されたザイルを伝いながら歩かされます。
スキーヤ10人に一人ガイドが付きます。
このザイルは時々氷河のクレパスに落ちるスキーヤがいるので引き上げるのに主に使うそうです。
滑り出すとそこはもうゲレンデなどとは全く違った銀世界です。
両サイドには雪をかぶった山の頂がありますがその広がりは何キロもあります。
滑っていく方向もとてつもなく広がっています。
確かに氷河の上なのです。
夏はクレパスだらけですが冬にはその上に大量の雪が積もりスキーで滑られるようになるのです。
一旦天候が悪くなればどこへ行けば良いのか全く何もわからなくなる世界でもあります。
天気が崩れそうな時はツアーはキャンセルされますがもっともです。
幸いその日は天気は快晴で一緒のグループにいたアメリカ人が2週間シャモニーにいるけど今日は一番いい天気だと言っていました。
2年前は最悪の天候でしたが今回は最高の天気に恵まれたようです。
リベンジ成功。2晩の夕食は一人でしたが赤ワインとチーズホンデューを存分に楽しみました。

■ ブルガリア

悪路

訪れたのは10年も前ですが街のビルの壁とか道路とかが適切にメインテインされていないのが東欧の平均的な国の特徴だと思いました。
道路と言えば首都ソフィアから黒海に面した都市までマイクロバスで移動した時の事ですが、3〜4時間かかるというので朝早く出発しました。
当初車の中で寝ていこうと思ったのですが、それはとても甘い考えであることがすぐわかりました。
何しろ道路がでこぼこで身体を維持するのが精一杯で居眠りをするなんて情況では全くなかったのです。
でも、車窓から見える行けども行けども続くひまわりの畑がとても印象的でした。

■ ベルギー

世界三大がっかり

ブリュッセルの小便小僧、デンマークはコペンハーゲンの人魚姫とシンガポールのマーライオンを世界三大がっかりというらしいですね。
小便小僧と人魚姫は古くから有名だし時々話題にもなるし見る前にそれなりのイメージを抱かせますが、マーライオンは特別な話題も聞いた事も無いし現物を見てもどうって事も無いただのでかい作り物で、がっかり以前のものだと思います。
小便小僧はブリュッセルの街角にあるのですが写真とかで紹介された時にイメージするようなところにあるし大きさも想像したようなものであるのでそんなにがっかりした感じはしなかったと思います。
この小便小僧からちょっと離れたところに小便お嬢チャンがあります。
確か建物か塀の中ほどに枠みたいのがあって中を覗き込まないと見えないようになっていたと思います。
ちょっと隠微な感じがしましたが。
一方コペンハーゲンの人魚姫は写真で紹介されたイメージが結構崩された思いがしましたね。
人魚姫のあるところが入り江の浜で普通に見るとどうしても対岸の近代的な建造物が背景に入ってきてメルヘンのイメージを台無しにしてしまうのです。特に写真を撮ろうとすると必ずその場違いな背景が入ってしまうのです。あの紹介されている写真を撮るには多分足場を組むか岩場に乗るとか危険な事をしないと良いアングルが取れないのです。こういうことは他の有名な物の写真にも良くあるのでしょう。私が今まで一番がっかりしたのは何といっても札幌の時計台です。

■ ポルトガル

ヨーロッパ大陸の最西端

リスボンからポルトまでの300kmを車で移動したのですが、途中、ヨーロッパ大陸の最西端のロカ岬という所に寄りました。
要はヨーロッパ大陸で一番アメリカに近いところです。 日本人の世界地図は一番左側、つまり西側はヨーロッパ大陸、一番右側、つまり東側はアメリカ大陸、というイメージなので端と端のヨーロッパ大陸とアメリカ大陸を大西洋を挟んで並べる構図はあまり持っていませんね。
それでその最西端の岬には碑が立っていて、「陸地はここにて終了、これより海が始まる」と書かれています。
大航海時代の名残みたいなものです。希望の人にはここを訪れたという証明書を600円ぐらいで発行してくれます。
こういうものは額に入れて飾っておく物でもないと思い申請しませんでしたが、このようなホームページを作るのでしたら是非もらっておくべきでした。
とても良いがらくたになったのに。
残念。

■ ロシア

体制の違い

10年ぐらい前ですが、モスクワの入国審査の列に並んでいたら突然隣の列の審査官が窓口を閉めてしまったのです。
何の前ぶれもなく。
一瞬その窓口に並んでいた人達は何が起こったか理解できないようでしたが、次の瞬間蜂の巣を突っついたようにパニック状態になり3つほどある列にわれ先に並ぼうと右往左往し見ていて本当に気の毒に思いました。
罪な事をするものです。
その時が最初のロシアであったため、これは違うぞ、と認識新たにするいい機会でもありました。
今はどうなんですかね。

マイナス40度

オランダからモスクワに向う飛行機の中のことです。
機長が飛行情況を説明しました。すると私の隣に座っていた乗客が「マイナス40度ってモスクワの温度ですか」って聞いてきたのです。機長が現在位置の気温を告げただけなのでその旨を伝えました。
通常10,000mを飛んでいると外気温は大体マイナス40度ぐらいだと思いますが、たまたまモスクワに向う便の中なので現地の温度と誤解したのでしょう。
その人はケニアのモンパサからホンダのディーラミーティングに出るためにモスクワに行くと言っていました。
モンパサはインド洋に面していて大変気温と湿度の高いところです。
そんな所から寒い所への旅ですのでモスクワがどのくらい寒いかが一大関心事だったのでしょう。
ちなみにその時は12月でモスクワの昼間の気温は大体マイナス10度ぐらいでした。通常よりは暖かいと言っていました。

■ アジア・豪州

■ インド

白い肌

インド人というと日本人の認識では肌の色が黒いというのが一般ですが,首都のニューデリ辺りには白人と同じくらい色の白い人がいます。
まさに白人がサリーを着ている感じです。
南に行けば行くほど肌の色は黒くなって行きます。歴史的にみると、インド人の起源といえるドラヴィダ人が先ず存在して後から南下してきたヨーロッパ系のアーリア人によって混血が進み今の平均的インド人になったようです。
ですから北の方にはアーリア人そのものの子孫が多くいるのでしょう。

インドの印象

インドに行った事のある日本人にインドの印象を聞くとすばらしい、又行きたいと言う人がいる一方二度と行きたくないと言う人がいます。
又行きたいといった人にどこへ行ったのかと聞くと大体がインド中部から北方面なのです。
かたや、二度と行きたくないと答えた人はほとんどの人が南部の都市に行っているのですね。
南の都市は暖かいため着の身着のままでも何とかなると地方から沢山の人々が出稼ぎに出て来るのですが、あまりに沢山の人が来るために職がなくなり結果的に乞食状態になる人がとても多いのです。
実際に南の大都市では夜になるとお店の閉じたシャッターの前とか道路の中央分離帯に沢山の人が寝ているのを良く見かけました。
そういうのを目の当たりにした人は悪い印象を持つのでしょうね。
15年ぐらい前の話ですが。
でも、最近のTVである評論家が「インドは貧しい人が沢山いますが、国は貧しくないのです」と言っていたので少しは良くはなっているのでしょうが基本的には大きくは変わっていないと思われます。

■ インドネシア

チキンの味

ジャカルタで地鶏を食べさせるというレストランに行ったことがあります。
鳥を丸ごとから揚げにした物でしたが一口食べて、その味にいたく郷愁にかられた思いがしました。
その味は私が小さい頃おみやげか何かで食べた鳥のから揚げの味そのものだったのです。
長いことブロイラーの鳥を食べていると鳥肉とはこれであると思ってしまうのですが、いつの間にか人間の方が精神的にブロイラーになってしまったのです。

食事作法

インドネシアでは、多分現在もそうだと思いますが、食物を手で食べます。
絶対右手です。左手は不浄の事をするから食事には使いません。
彼らは第一間接までを使って上手に食べます。
慣れないのがやると手が汁とかでべちゃべちゃになって食べている気がしなくなります。
箸に慣れない外国人が箸を使おうとすると同じような気持ちになってくるのでしょうね。

■ シンガポール

365日X何年

最高温度は32℃ぐらい、最低は24℃ぐらいで温度変化の少ない所です。
一応乾季と雨季とがありますが、そんなにはっきりとは分かれていません。
ですから1年中似たりよったりの気候ですから服装を時期によって変えることはありません。
始終同じ様な物を着ることになります。
そのせいか、日本からいろいろな人が訪れますが、後で思い出そうとしても何月頃来たのかなかなか思い出せません。
日本の様に季節がはっきりしているとどんな服装であったとか寒い思いをしたとか暑かったとかの付帯条件で時期を覚えているのではないでしょうか。
シンガポールに6年間赴任していました。
カレンダー上は確かに6年ですが、体感的には 365日X6年 で 2190日を過ごした感じです。

高湿度

シンガポールはとても湿度が高いです。
年間を通して90%以上だと思います。
日本では、外気の温度が低い時に室内で調理をしたり石油ストーブを炊くと湿度が高くなり外気の低い温度に接している窓ガラス等に水滴が付きます。
これは部屋の内部に付ききますね。
ところがシンガポールでは冷房を効かせた部屋のガラスの外側に水滴が付きます。
室内の方が温度が低く外側の方が温度と湿度が高いからです。

かび

この湿度の高さが問題なのです。
つまり何でもかびてしまいます。
プラスティック製品でも手で触った部分がかびます。
ズボンもちょっと穿かないとかびてしまいます。
一旦かびますとクリーニングに出しても元に戻りません。
カメラなどはちゃんと乾燥機の中に保管しておかないとレンズがかびてしまい使い物にならなくなります。
私も大事な一眼レフを駄目にしてしまいました。
これがなければ住みやすい国なのですが。

■ スリランカ

困ったキャディ

現地の人とゴルフをした時の事です。
打った先がボールのなくなるようなところはないのにボールが見つかりません。
新しいボールを出して再開しました。
何ホール後か又ボールが見つからなくなりしばらく探したら今度はキャディが見つけてきました。
良かったと思って良く見ると最初に失くしたボールではないですか。
後でなくなったボールの方が新しかったのでキャディがポケットの中で入れ替えて古い方を出したのです。
クラブハウス付近の金網の外から現地の少年がボールを売り込んでいます。
これらのボールはいろいろな手を使って集めたのです。
ちなみにシンガポール、マレーシアのゴルフ場では池の中に少年が潜んでいてボールが池に入るともぐってボールを取りにいきます。
ボールは水の中に入った途端所有権が彼らに移ります。

■ タイ

タイ式ゴルフ

タイもゴルフが盛んです。
タイのゴルフ場ではちょっと変わった光景を見かけます。
1パーティのキャディの数がすごく多いのです。一人のプレイヤーに対しバッグを担ぐ人、椅子を運ぶ人、傘を運ぶ人(とても熱いので日除けに傘を使います)、ボールを捜す人と4人もキャディが付くことがあります。
キャディの人件費がとても安いからです。
時には高級官僚などが我が物顔で1パーティにプレイヤー8人でプレーしているのに出っくわします。
1ホールに40人もの人が動いているのはもはやイギリスで始まったゴルフとは全く異なものです。
こんなのが前でプレーしていたらもうゴルフを止めてホテルに帰ってプールでのんびりした方が利口です。

無事落着

日本から来た役員とバンコックの代理店を訪れた時の事です。
代理店の人たちとの夕食後腹ごなしに繁華街を歩いているとその役員がツクツクと呼ばれる小さな三輪車に荷台を付けたタクシーに乗ってみたいと言い出したのです。
代理店の人が1台のツクツクを捕まえてきたので役員と私が先ず先に乗り現地の人が乗るのを待っていると、突然走り出したのです。
何が起こったのか理解できずに困惑しているとどんどんスピードを上げていくではないですか。
ストップ、ストップと叫んで運転手の背もたれを蹴ったりしたのですがいっこうに止まる気配がありません。
ハッと気が付くと隣にいた役員が突然消えたのです。
一瞬頭が白くなったのですが、まさかと思って後を振り返ると役員は飛び降りたらしく道路にべたっと張り付いています。
そうこうしている内に人通りのないところに来て速度を落とし何か降りろと言っている様なので飛び降りて元の所へ走って戻りました。
役員を囲むようにして現地の人たちが心配そうに待っていました。
役員は服をチョッと裂いただけで怪我も無く一応一件落着となったのです。
しかし何故こんなことが起こったかというと、どうもその運転手は農村からの出稼ぎでタクシーの営業ライセンスを持っていなかったのではないか。
それでちょうど我々が乗ったときに、運悪く警官が近づいてきたので慌てて逃げたのではないかというのが現地の人の推測です。
大事にならなくて本当に良かったです。
その役員は資産家なので身の危険を強く感じたのでしょう。
無い人間はあわてる必要がないのです。

■ ネパール

外出禁止令

カトマンズに着いたら相手の会社の人が「ちょっと状況が悪くなった」とか言って道路を無事に通行するためにと赤十字をかいた紙(ノートみたいな紙に赤いマジックで太い十字を書いただけの物)をフロントガラスに貼りまっしぐらにホテルに向いました。
途中走っている車はほとんど見かけませんでした。
無事にホテルに着くと暴動の波が来るから夜は外に出ないようにと案内の人に言われたのですが、そのうち泊まっているホテルの入り口に「何とかが発令されたので外に出ないように」との張り紙が出されました。
その何とかのキーワードの意味が辞書を持ち合わせていなかったので理解できず、状況が良くわからないまま夜を過ごしました。
家に帰ってからそのわからない単語を引いたら「外出禁止令」だったのです。
海外で状況が把握できないのはかなり落ち着かないです。
でもいろいろなところに行きましたがこういう騒動に巻き込まられる危険のあったのはこの一回だけでした。

山々のピーク

山を見に行こうとタクシーをチャーターして朝4時ごろ起きてホテルでタクシーを待っているとかなりおんぼろの車が来ました。
確認すると予約した車でした。
しばらく走ってかなり急な坂道に差し掛かると我々の不安が正しいことが分かりました。
どうもクラッチが滑っているようなのです。
エンジンの回転音は上がるものの速度は上がりません。
何回か不安な思いをしましたが一応目的地に着きました。
そこで日の出を待つのだと言われました。
そうは言っても標高3000m以上はあると思います。
我々は普通の格好なのでかなり寒い思いをしましたが、ひたすら日の出を待ちました。
しばらくすると西の空がぼんやりと明るなり、とたんにヒマラヤ山脈のいくつもの雪に覆われたピークが横一列に朝日に照らされて忽然と現われました。
とても遠くですが一つ一つのピークは暗い背景の中にくっきりと見えました。
荘厳な一瞬でした。
数分後には朝日の中で背景も明るくなりさっきまでくっきり見えたピークは朝日の光の中にぼやけてしまい空と区別がつかなくなりました。

エベレスト頂上

次にカトマンズを訪れた時の事ですがヘリコプターでエベレスト(チョモランマ 8850m)を見に行く事になりました。
朝6時半頃ヘリコプターに乗り込みます。
空を見ると一面雲で覆われています。
元空軍のパイロットが操縦士です。
気流が激しいので普通の民間の操縦士ではヘリコプターを操れないそうです。
上昇していくと突然視野が開け真っ青な空が現われました。
ひたすらどんどん移動していきます。
既に民家がなくなってからしばらく飛んだのに良く見ると所々に家が見えます。
山中の一軒家です。
どういう生活をしているのか気になります。
そのうち雪に覆われた表面が出てきます。
だんだん雪が深くなり地肌の起伏が全く想像できない、まるで夏の入道雲みたいにもくもくとした真っ白なマシュマロが折り重なっているような景色の連続です。
その内パイロットが酸素マスクを着けたのですがこちらには回ってきません。
そうですよね。
ただ外を眺めているだけですから必要ないです。
別に呼吸も苦しくないし。
標高5,500mまで来たと言われてしばらくするとあれがエベレストの頂上だと告げられました。
写真とかで見たことのあるあのエベレストの頂上がすぐ先に見えるではありませんか。
写真のように雪は飛ばされていてほとんど岩肌が露出しています。
これが世界の最高峰なのです。
確かに一瞬確認したのですが次の瞬間雲に覆われてしまいました。
エベレストの周囲は気流が激しく移動するためほとんどいつも雲に覆われていてその姿を見るのは大変難しいそうです。
唯一春先の朝早くが一番可能性が高いらしいのですがそれでも一瞬の内に雲に覆われてしまいました。
4,500mまで下降してホテルらしい建物あるところに着陸しました。
空気が薄いから絶対に走るなと忠告されました。
これからこのホテルで朝食を食べるのです。
このホテルは日本企業の資本で建てられ建築資材は日本から空輸されたそうです。
傍らに簡単な滑走路がありましたがシーズンには日本からチャーター機が来るそうです。
朝食を取るレストランはエベレストの頂上が良くみえるところにありましたが、我々がいる間、ほんの一瞬頂上が姿を現しましたがすぐに雲に覆われてしまいました。
なかなか見られないので希少価値があるのでしょう。

■ パキスタン

酒のメニュ

パキスタンはイスラム教国なのでアルコールの持ち込み、飲酒はご法度です。
ところが、外国人はホテルの自室では飲む事ができるのです。
部屋にはアルコール類のメニュがありウィスキーとかビールが載っているのですがイギリス製とかに並んで何とパキスタン製というのが載っています。
宗教の戒律と国の外貨を稼ぐ政策とがちゃんと住み分けられているのです。

酒は金庫に保管

引き続きお酒の話ですが、お金持ちはイスラム教徒でもお酒を自宅で嗜んでいるのです。
お酒の瓶は金庫の中に入れて保管します。
種類はなかなか選べないけど量はいくらでも手に入るそうです。
外交官が外国へ出張に出ると酒を仕入れてきて白い袋の中に入れて持ち込みます。
この白い大きな袋は通常は外交上の機密書類とかを入れるので税関職員といえども開けて調べることは出来ません。
外交官特権で小遣い稼ぎをしているのです。

真夜中の夕食

現地の人の家に夕食を接待されるといつも憂鬱になります。
それは夕食の始まる時間がすごく遅いのです。
大体9時過ぎにならないと本格的に食べ始めません。
シンガポールとカラチとの時差は3.5時間。
カラチの9時はシンガポールで夜中の12時半なのです。

砂漠のゴルフ

パキスタンでもゴルフをします。
でもカラチ周辺のゴルフ場はちょっと異風です。
ゴルフ場は砂漠の中にあります。
コース全体がバンカーみたいなものですが、特殊なルールがあります。
日本で練習場で使うようなマットの上から打ちます。
ティーアップはありません。
ボールは必ず目立つ色の付いた物を使用します。
先に進むにはボールを又マットの上にセットして打ちます。
一応ブッシュみたいのがありますが、あまり緑の付いていない木々がごちゃごちゃしていますのでそこへ打ち込んだらあきらめるしかありません。
公園のジャングルジムに打ち込んだような感じなのです。
まあ良い経験かも知れませんが二度とやる気は起こりませんね。

■ ブルナイ

コールドティ

ブルナイはボルネオ島の北端にある石油王国です。
この国の王様の宮殿には何百という数の部屋があるとか日本でも話題になることがあります。
ブルナイはイスラム教国なのでアルコールは厳禁です。
でも中華料理店に行って「コールドティ」と注文すると冷えたステンレスのティーポットと湯のみ茶碗を持ってきます。
ティーポットの中身は冷えたビールです。
これを湯のみ茶碗で飲みます。
警察は調べに来ないのかと現地人に聞くと、たとえ調べに来たとしてもビールを飲んだことがないのでビールをアルコールであると認定できないというのです。
ちょっとにわかには信じられない話ですが。
しかし面白いですね。

過剰サービス

お店とかレストランに入るととても寒いです。
冷房が強烈に効いているのです。
産油国なので電気代が安いため冷房を効かすのを極上のサービスだと考えているのです。
ちなみに税金は只です。
ただし石油の他には大した産業がないので一般人民はとても貧しいです。

■ ベトナム

夕涼み

ホーチミン市を訪ねたのは1991年頃ですが、アメリカ系のクレジットカードは一切使用できませんでした。
アメリカとの長い戦争の影響がまだ色濃く残っていたのです。
夜になると市民が50ccのバイクに乗って市内を走りめぐります。
沢山のバイクが路地から路地へ走り抜けるのです。
何故そんなことをするのか聞いてみたところ夜になっても暑いので夕涼みのためだという答えが返ってきました。

■ マレーシア

原住民

耳タブに重りを付けて長く伸ばす習慣がありました。
実際に耳タブが肩に触れるほど長い老人を見ました。
もうそのような習慣はすたれてしまったので長く感じる人は切ってしまうそうです。
これらの原住民はロングハウスと呼ばれる数所帯が一緒に住む生活をしていたそうです。
そのような説明を聞いた時には具体的にどういうことなのか良くわからなかったのですが、最近TV番組の「ウルルン何とか」でこのボルネオではないのですが、どこかの原住民が同じようなロングハウスで共同生活をしている模様が映し出され、マレーシアのロングハウスの生活実態をイメージする事が出来ました。

■ 韓国

見栄っ張り?

ソウルの町の中を歩いていて電気屋の店の中に陳列されている製品を見るとちょっと日本のものと違う事に気が付きます。
それは、冷蔵庫とか洗濯機とかが実に大きい物ばかり売っているのです。
どうしてだろうと思って現地の人に聞くと大きい方が他人に対して見栄えがするからと答えるのです。
シンガポールにいるときに韓国の知人がいたのですが商売がうまくいっているときには、家とか車とか最高の物を手に入れるのです。
でも、商売が傾くとがらりと生活水準を変えます。
どうも韓国の人は見栄っ張りが多いのでしょうか。

儒教の教え

現地法人の現地人上位管理者と打ち合わせしていると、私が聞いた情報からは私より若いはずのその男がどうも私の事を年下と思っている節があるのです。
そこで雑談をしている時に何となく家族の話から始まって子供の年の話題にいって最終的に自分の年をほのめかすところに持って行きます。
すると急に私への対応が変わったのです。
とても親切になったのです。
実は私は一般的には若作りらしいのです。
そこで、生活の知恵で、年を分からせた方がメリットがあると思える場合にはこの韓国人にやったようなプロセスで年を相手に分からす戦術を使いました。。
欧米人にはあまり効果的ではありませんが。
韓国人は儒教の教えから年上の人を敬う事がまだ浸透しているのです。
日本でも効果のある時がありますね。

■ 中国

乾杯

日本では乾杯をその席にいる人全員で行いますが中国では1対1で行います。
目があったら軽く会釈をして乾杯(カンペイ)と言い飲み干して相手に杯の中を見せ全部飲んだ事を示します。
この乾杯には一般的には白酒(バイチュウ)が使われます。
穀類を原料にしてアルコール濃度は50度から60度もあります。
この白酒の中でコーリャンを主原料としている茅台酒(マオタイシュ)が日本人に良く知られています。
田中元首相が日中国交回復で中国を訪れた際、これを飲みいたく褒めてから日本人が専らこの酒を求め値段が上がってしまったという話が残っています。
中国の酒と言えば紹興酒の方が日本では有名ですね。
上海では宴席で紹興酒が良く飲まれます。
酒の種類としては老酒ですが中国の浙江省で生産されるものを紹興酒と呼びます。
台湾でも老酒(ラオチュウ)と呼び砂糖等を入れて飲みます。
中国人に聞いたところによると、昔は各家庭で老酒を作ったそうですが、お客にお酒を出す時にまだ熟成していませんのでと言って傍らに砂糖を置いたそうです。
老酒は熟成させると甘みが出てきて美味しくなります。
中国本土で飲む紹興酒は濃厚で甘みがあり、あの油っこい中華料理に良く合います。
昔の話に戻りますが、お客は絶対に出された砂糖を老酒に入れることはないのです。
砂糖を入れることはお宅のお酒は確かにまずいといっている事になり大変失礼な作法なのです。
日本でも人様に差し上げる物を粗品と言いますが、もらう方が粗品とは絶対言わないのに似ていますね。
台湾の老酒には砂糖を入れる必然性があります。
台湾での経験から老酒には砂糖を入れて飲む物だと信じている日本人も大変多いのです。

■ オーストラリア

無感性

オーストラリアといえば不愉快な経験があります。
知人に会うことになっていたので、ちょうど9月なので月餅をお土産に持って行きました。
通関するときに係官に月餅の入っている箱を開けるように指示され開けると、やにわに腰にさしている刃渡り20cm以上もある短刀で箱の中の月餅を2つに切り裂いたのです。
2個も。
何でそんな事をするのか聞くと中に卵が入っているかチェックしているのだと答えるのです。
確かにうずらの卵を入れた月餅を売っています。
でも、饅頭の中の卵がオーストラリアにどのような悪影響を与えるのかは知りませんが、前に何を切ったかわからないものでカットされたものはもうお土産にはなりません。
これは白豪主義の名残なのですかね。
飛行機でオーストラリアに行くと着陸前になると乗客の頭の上に防虫剤を降りかけるのも同じところに根があるのかも知れません。
オーストラリアの人々はいい人が多いのですがね。

■ 北米

■ アメリカ

入国は難しい

現地法人に出張した時、日曜日に最近赴任した研修生とメキシコのティファナ(米国に隣接している町)に私の運転で行くことにしました。
30分ほど走ってからその研修生にパスポートを持ってきたかと確認したら「え、いるんですか」と有り得ない返事が返ってきました。
今更引き返すのも馬鹿々しいので、「入る時止められたら、入国しないでゲイト前で待っていな」なんて結論にして一路ティファナに向いました。
目的地に近くなったと思ったものの車の流れについて行ったら何も特別なことがないままにどうやらゲイトを通過したようなのです。
「今更しょうがないからゆっくりしよう」と食事をしたりショッピングしたり十分に楽しんだので帰ることにしました。
ところが、入国したときとは打って変わってゲイトらしいところに向ってとても長い車の行列です。
見れば検査官が車のトランクを開けたり車の底まで診ているではないですか。
「こりゃちょっと、まずいな」と思いましたが後の祭りです。
最悪私だけアメリカに戻って明日彼のパスポートを持って戻ってくるという一応の覚悟を決め検査に臨みました。
研修生はおぼつかない英語でパスポートを持っていなことを説明しましたが、それが事態の収拾には何も意味をなさないことは予想していたとおりでした。
結局2時間ほどの間待たされたり説教されたりして無事アメリカに戻ることが出来ました。
アメリカに行った方はご存知だと思いますが入国する時はかなりちゃんと審査されますが出国は乗る航空会社が代理でチェックするだけで実質何も審査らしきものはありませんね。

特殊なベルト

入国審査と言えば、ある時、ちょっと長期間滞在するので現金を5,000ドル持って行きそれを入国の時に申告したら、審査官が3人ほど来て手荷物を徹底的に調べ出したのです。
そして最後にベルトに金を入れていないかと聞くのです。何を言っているのか皆目わからないままにベルトを外して見せたのですが、彼らは了解したようで無事入国審査を通過したのでほっとしました。
しかし、なぜベルトまで調べたか理解できないままでいました。
それからだいぶ経ってから、たまたま上野のアメ横に買い物に行った時にお札を何枚か格納出来るようなポケットがいくつも付いた太めのベルトを見つけました。
やっと何年か前にアメリカの入国審査官が取った行動を理解することができました。
この太いベルトはお金を落とさない目的に使われているのでしょうが、その頃アメリカに持ち込めるドルの限度額がちょうど5,000ドルだったので審査官は私がそれ以上のドルをベルトに隠していると思ったのですね。

奇跡

ラスベガスでのミーティングの後、オランダに帰るために朝空港のカウンターに行きました。
チェックインを済ませ指定された搭乗口のわきでしばらく待ち、時間どおりに搭乗口が開いたので乗り込みました。
搭乗券に記載された私のシートは中央の5人並びの真ん中の席です。
混んでいるからここなのかなと思ったら結局5人並びで座っているのは私だけなのです。
ちょっと変だとは思ったのですが、こういう事もあるのかなと軽く考えていました。
飛び立ってから1時間ぐらいで飛行機が降下し始めたのです。
機内放送でデンバーに着くとアナウンスしています。
「えー?」
私の認識ではラスベガスからボストンへ飛んでそこでアムステルダムへ向う飛行機に乗り換える旅程なのです。
ラスベガスからボストンへは4時間ぐらいかかります。
早速スチュアーデスに搭乗券を見せると「これはおかしい、搭乗口が間違って記載されている」と言うのです。
この空の上でそんな事を言われてもと途方に暮れたのですが、そういえばカウンターでチェックインする時コンピュータの具合が悪いからと手動で操作をして搭乗券も手書きだったのです。
たまたま出発時間が同じ誤った搭乗口番号を書いたようです。
「さあ大変、どうしよう」
たまたまオランダに日本からお偉いさんが来るので出迎えなければいけないのですが、予定していたアムステルダム行きに乗らないとこの出迎えは不可能なのです。
デンバーに降りてすぐ地上スタッフにコンタクトを取りボストンに行く飛行機を手配してもらいました。
何とかすぐにボストンに向う飛行機が手配でき乗り込みます。
取り合えず乗ったもののこれから起こるであろうトラブルを考えてしまい頭の中はスッキリしません。
ボストンに着きアムステルダム行きの飛行機の搭乗口に行くと正に乗客が搭乗中なのです。
奇跡です。
間に合ったのです。
ラスベガスは西海岸、ボストンは東海岸、たまたまデンバーがラスベガスとボストンを結ぶ線上にあったのでこのような奇跡が起こったのです。
ラスベガスから間違って北へ行ったり南に行っていたら絶対不可能なのです。
奇跡的に予定していた飛行機に乗り込めたのですが、まだ問題は残っています。
私がラスベガスでチェックインした荷物はどうなったのか。テロ防止のため搭乗しなかった乗客の荷物は取り出してしまうと聞いた事があるのです。
搭乗しなかった私の荷物はラスベガスで下ろされたかも知れないし一体私の荷物は今どこにあるのか。
何回か経験した荷物が着かないトラブルの不愉快な思いが蘇ってきます。
アムステルダムに着き一応バゲッジクレイムで荷物を待つと出てきたのです。私の荷物が。
又もや奇跡。
何も起こらなかったような顔をしてお偉いさんを出迎えました。

■ アフリカ

■ ケニア

マサイ族

マサイ族は昔ライオンを狩していました。マサイの戦士はとても勇敢で百獣の王のライオンもその姿を見ると逃げ出したそうです。民族舞踊を見せる場所に行きマサイダンスを見ましたがただ上に向ってジャンプしているだけのように見えましたが。

荷物の一人旅

この時は、あるイベントあってケニヤに10日ほど滞在したのですが、その間ずうっと頭に引っかかるものがありました。それは、ナイロビの空港に着いたらシンガポールで預けたトランクが出てこないのです。そういえば途中インドの空港でトランジットをしたのですが、何故か航空会社の人が私に近寄ってきて貴方の荷物はここに来ていませんと告げたのです。
そんな事を言われても何も出来ないのでただ聞いただけなのですが。
ナイロビの空港で一応荷物が届かなかった手続きをして荷物が到着すればホテルに届けてもらう事にしました。
滞在中に必要なものは領収書もらって買って良いのですが、何しろナイロビです。
普段一般的にお店で目にするようなものを探すのは大変な事なのです。
そんなに時間もないので最低限のものを買いました。
家に帰ったら2度と着たくないような代物ばかりでしたが。
ナイロビを出て毎日移動する旅に出ましたが、ひたすら毎日ナイロビのホテルに電話して荷物の確認をしましたが一向に届きません。
一週間ほど旅をしてナイロビに戻って来ましたが、帰国の前の晩にやっと荷物は届きました。
荷物にはいろんな空港を経由したのがわかるタグを沢山付けていました。
どうやらヨーロッパの国々を巡ったようです、主人を置いて。
結局トランクの中身は何も使わずに持って帰りました。

■ 南アフリカ

どうしよう

空港を出たところで会社のロゴマークを持った運転手が待っているのでサンシティまで来るように、とだけ案内がありました。
ヨハネスブルグの空港を出ると確かに会社のロゴマークを持った人がいました。
運転手とあったのでそれらしい制服を着ていると思ったらこざっぱりとはしていますがあまりいい身なりではありません。
車もかなり使い込んだその辺を家族を乗せて走っているような車です。
ちょっと不安があるのですが他に選択肢もなくとりあえずこの運転手に託すことにしました。
走り出して1時間経ちましたがそれらしいものは見当たりません。
見渡す限り広大な砂漠みたいなところを走っていて道路の傍にはトタンぶきの小さな粗末な家が所々に建っています。見知らぬ土地で大した情報もなく1時間も走りまわされると人間かなり不安が募ってきます。
会社のロゴマークを持ってはいましたがこの車が本当に用意された物なのかとか、この運転手が邪悪な心を持っていてどこかへ連れて行かれても誰もわからずトレースも出来ないだろうとか考えてしまうのです。
その内行く手をさえぎるように横断している隆起したような長い壁みたいな丘に興味が移ったり、何しろ初めての土地なので不安を忘れさせるようなものが次々に目の前に出てくるものですから何とか我慢して座席に座っていました。
そうこうする内にやっと砂漠の中にとてつもなく大きな建物が見えて来たのです。
ここがレジャーリゾートのサンシティであることはすぐわかりました。
一安心です。
入ってみるとすぐに見知っている顔に出会いました。
結局2時間半ほどかかりました。
やれやれ。

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