| 風が夜の道を駆け抜けていく。 吹き付ける風は北からで、ひどく冷たく、顔をなでては体温を奪い去っていく。 風の当たる頬は冷たく凍え、風に首をすくめると襟に当たって痛い。 道行く人々はコートの襟を立て、皆小さくなっている。 その中に1人の少女が見えた。 コートを着て、大きなグローブを手にはめている。 少女は急いでいるようで、大きなグローブで紙袋を抱えながら走っている。はたから見ていると、グローブが大きすぎて紙袋を落としてしまわないか心配になる。 一歩踏み出すごとに肩口までの髪がゆれて上気した頬をなでる。 背中に背負った鞄につけられたペンギン少女(エココ)のマスコットが一歩ごとに大きく弾んでは浮き上がり、重力に負けて下へ落ちまた弾む。 規則的に弾んでは落ちるキーホルダーを見ていると、先ほどから走る速度が変わっていない事に気付く。 少女の名は美晴といった。 彼女が抱えている紙袋の中には何が入っているのか、ひどく大事そうに持っている。 商店街を駆け抜けている所為で、時折人にぶつかりそうになる。しかし、あと一歩の所で回避して走りつづける。 しかし、路地から突然出てきた自転車をよけることは適わず、美晴はぶつかり紙袋を手放してしまった。 紙袋が浮き上がり、道端に落ちる。中身が道に散乱する。 それは、棒チョコレートだった。 2月13日のことである。 *** 2月14日が始まった。 美晴はいつもよりも30分早く起きた。 目覚ましを30分早くセットしていたのだが、いつも間にか止めてしまい結局頼んでおいた母に起こしてもらったのだ。 チョコレートは昨日のうちに完成していた。 目的は登校時間に渡す事。 低血圧なのか、緩慢な動作ではあるが、丁寧に髪をとかし、いつもよりも入念にアイロンがけした制服を着る。 鞄を手にして、その中にチョコレートをしのばせる。取り出し易いように鞄を空けると見える場所に置く。 彼の登校時間までは時間がある。 食卓の横には愛猫のショコラが猫缶を美味しそうに頬張っている。この猫、奇妙なことにチョコレート好きなのだ。始めは父がこげ茶色の毛並みからトラと名づけていたのだが、チョコレートが好きだと解ってから美晴と弟の意見によってショコラと言う名に変えられたという過去を持つ。 美晴は椅子に座り、母が用意した朝食のパンとスープを胃に送りこむ。 温かいスープと甘酸っぱいマーマレードに眼が覚めていくようだ。 こんな優雅な朝食も良いなぁ、と思う。 意識がはっきりし始めた所で時計を見ると7時20分。 「いけないっ!。おくれちゃう」 食べかけのパンをスープで無理やり流し込むと、美晴はドタドタと走りながら歯を磨きに行く。 ショコラが驚いて顔を上げる。 すると、母の声が響いた。 「お弁当、持って行くでしょ?」 「んえおいえー(入れといてー)」 母はやれやれと嘆息しながら、美晴の鞄を手に取り、お弁当を入れた。 歯磨きが終わった美晴は、母から鞄を奪うように受け取り脱兎のごとく駆け出した。 「行って来ま〜す。あ、今日はちょっと遅くなるかも」 「はいあい。行ってらっしゃい」 母は柔和な笑顔を浮かべて美晴を見送った。 バタン、と少々荒っぽく扉が閉められる。 母はその扉を僅かに見守った。 そして、やおら袖まくりをし、一言つぶやいた。 「さて、うちのネボスケ達を起こすとしますか・・・」 ネボスケの中に美晴がいない、ただそれだけのいつもと変わらない平和な朝だった。 冷たい大気に朝日がキラキラと輝いている。 昨日からの寒気は今だ上空にとどまっているようで、吹きつける風は冷たい。 体感する限りでは、昨日よりも冷たいのではないだろうか。 吐き出すと息が白くけぶる。 登校中の小学生などは口を大きくあけて、「ゴジラ〜」などと叫びながら笑っている。 学校へ向かう坂の手前の路地に美晴はいた。 彼の姿はまだ無い。腕時計を確認すると7時35分だ。彼が通るまでにあと5分は時間がある。 厚着をしているとはいえ、じっとしていては寒い。 美晴は周囲を軽く走りながら体を温めようとしているが、落ちつかないらしくひっきりなしに路地から顔を覗かせている。 登校中の小学生がそんな美晴の姿を見て、指をさして眺めている。 美晴は僅かに体温が上がった気がした。 小学生相手に拳を固めながら路地から道を見やると、見張るの体温は急激に上がった。 遠くから友人と歩いてくる彼の姿が見える。 心臓が高鳴り落ちつきを失う。深呼吸を2回して、頭の中で思い描いていたシミュレーションを再び回想する。 偶然を装って路地から現れて、「あ、ちょうど良かった」といいながらチョコレートを渡す。 我ながら古臭いと思うが、衆人環視の中で渡せるほど度胸があるわけでもない。 美晴は渡すチョコレートの姿を確認するために鞄を空けた。 手で探って取り出せるように一番上に入れておいたはずなのに、なにも指に当らない。 必死に手で探るが、それらしいものはわからない。 美晴は鞄を除きこんで、天を仰いだ。 「無い。真晴君にあげるはずのチョコレートが無いよ〜」 美晴の声が朝の冷たい空気の中で良く響いた。 続く・・・、のか?。 |