「そこに山があるから」
 「そこに山があるから」 とは、かのマロリーの有名な言葉です。このコーナーでは、著名な登山家・冒険家たちの著作や各種記録、山岳ノンフィクション、山岳小説などから、「人はなぜ山に登るのか?」、「登山とは何か?」について語った箇所を紹介します。

 
 
 
 
 
 
 
 
今井 通子
 
このすばらしい風景。この幻想的な空間の美。この美しさに感動しない人がいるだろうか?テラスから月を眺めるこの一時があってこそ、この山へ登る意義もあるのだ。疎ましい世事から隔離された世界にとけこんでゆく自分をしみじみと味わえる貴重な時間である。山という自然の中に無我の境をさとり、全く山の中に浸りきっていられる。この楽しみがなくて、何で苦労して山にはいれるだろう。
「私の北壁」(今井通子)より

 
(GAMOの蛇足解説&感想)
 今井通子の著書を読むと、この人を山に惹き付けていると思えるものが2つある。1つが困難な登攀の末に感じる自然の美しさ、ありがたさ。もう1つが、その自然の中で苦労を共にした仲間とのふれあい、ぬくもりである。いや、この2つが揃って初めて、山のすばらしさが実感できるのかもしれない。
 上記は「私の北壁」からの引用であるが、「続・私の北壁」からも一文紹介しよう。「尾根に出た。思わず歓喜の声をあげるほど、素晴らしい景色だった。・・・(中略)・・・ルート・ファインディングに悩まされ、遅いペースにイライラし、天候を案じ、しかめ面だったみんなが明るく笑うとき、ほんとうに山の良さが実感となる。こんな素晴らしいながめ、こんな楽しさがあるから山はやめられないのだ。」

 
この頁のトップに戻る
 
 
 
 
植村 直己
 
「どうして山に登るのだ。そこには何かあるのか」
「何もないさ。ただ好きだから登るだけさ
「青春を山に賭けて」(植村直己)より

 
(GAMOの蛇足解説&感想)
 上記は1966年、植村直己がキリマンジャロへ向う途中の四等船室での黒人との会話。黒人は言う。わざわざ日本から来て、遊びでキリマンジャロに登るのなら、人間扱いもしてくれぬ四等船室になど乗らねばいいのに、と。黒人たちには、山に登るというお金にならない行為は理解できないのだ。
 でも、植村直己は思った「こんな四等船室であっても私の心はアフリカの山に向って新芽のように伸びつづけていた。ひとつのものが終わると、また次の新しいものがはじまる。私の気持はいつも新鮮だ。」 まさに植村直己らしさの固まりのような一文だ。
 常に何かに挑戦せずにはいられない。考える前に動いてしまう。できるかできないかではなく、やるかやらないかだ。そんなある意味無鉄砲でありながらも、がむしゃらで前向きな若き日の植村直己が詰まった「青春を山に賭けて」は、山書としてだけでなく、青春の記としても名作である。

 
この頁のトップに戻る
 
 
 
 
大島 亮吉
 
私ら山に登るものはいかにして山を登るべきであるかと申しますに、それはあくまで山と闘う気持ちですすんでゆくピークハンターの心と、静かに内面的に深味を求める、すなわち静観的な態度とを深く交えて、ただ一途に山を登ってゆけばよいのである。
「山 〜随想〜」(大島亮吉)より

 
(GAMOの蛇足解説&感想)
 「なぜ山に登るのか」というより「どのように山に登るべきか」という山へ向かう姿勢を示した一文。大正後半から昭和初期、「純然たる『初登山』をなし得る山頂はもうわが国にはない」と言われていた時代の先鋭的登山家・大島亮吉が、登山思想の変遷について論じたエッセイからの抜粋である。
 大島の言う「ピークハンターの心」とは、「未知の不安、困難、労苦に堪えて、その峰の頂きに達するために燃え」るものであり、「純真な精神の極度の燃焼よりのみ得る喜悦感」のことである。一方、初登頂時代の終わりとともに、「山と闘うという気持ちよりも山と親しむという気持の方が優って味わわれる」静観的な態度へと変わってきたと大島は言う。
 しかし、大島の思いは別の所にあるような気がする。登山思想の歴史的変遷を概観したあとで、木暮理太郎の「なぜ山に登るのか、好きだから登る。」という一文を引用した上で、大島は次のようにこのエッセイを結んでいる。
「大地の上に立つ私らの眼にはなおも依然として高き山々は聳えています。・・・(中略)・・・そこまではここよりは非常に遠く、そして高いでしょう。けれども私らの踏みだすひと歩みごとに、次第に私らの身は高まりゆき、そして私らの視野は次第に拡がり開けてゆくことでありましょう。」

この頁のトップに戻る
 
 
 
 
大場 満郎
 
 『世界初の両極単独徒歩行』という"勲章"が加わった今でも、私の夢は変わらない。それはあの鷹匠のじっちゃんのように、死ぬ間際まで輝いた目をして生きていくことである。
「南極大陸単独横断行」(大場満郎)より

 
(GAMOの蛇足解説&感想)
 「なぜ山に」ではなく、なぜ生きるのか、どう生きるのかについての、「北極・南極単独歩行」を成し遂げ男・大場満郎のセリフ。
 少し説明が必要だろう。“鷹匠のじっちゃん”とは、大場氏が中学生の頃に近くに住んでいた鷹匠のことで、いつも輝いた目をしているじっちゃんに大場少年が聞いた。「なんでいつも楽しそうなの」と。 「そりゃあ、好きなことやって生活してっからだ。」「他人から何言われてもいい。好きなことしないと、笑って死ねないぞ」と答えたという。
 好きなことをする・・・。こんな簡単なことが、どうしてこんなに難しいのだろう。誰だって好きなことをして生きていきたいはずなのに。「なぜ山に登るのか」―「好きだから」、たぶんそれでいいのだろう。

 
この頁のトップに戻る
 
 
 
 
 
奥山 章
 
登攀の興味というものが、人間の意思と能力で自然の障害を克服してゆく過程にあるとすれば、その興味の大半はトップが占めている。トップをゆくヒロイックな充実感、それは捨てがたい魅力である。
「ザイルを結ぶとき」(奥山 章)より

 
(GAMOの蛇足解説&感想)
 戦後登山界のオピニオン・リーダー、第U次RCCのラッパ吹き、美しく攀じり美しく生きることを望んだ男・奥山章のセリフである。
 照れ屋でロマンチスト、永遠の少年、トップに拘るがトップに固執しない潔さ、孤高のアルピニスト、ダンディズム・・・。私自身、奥山章と同じ時代を歩んでいないが、私なりの奥山章のイメージである。

 
この頁のトップに戻る
 
 
 
 
 
 
尾崎 隆
 
 登山はぼくにとって命であり、人生そのものである。今ぼくから登山をとったら何も残らず、からっぽの人間になってしまうに違いない。
「果てしなき山行」(尾崎 隆)より

 
(GAMOの蛇足解説&感想)
 エベレスト、カンチ、マナスル、ローツェ、ブロードピーク・・・etc. 数々の8千メートル峰を制覇し、今なお現役アルピニストでもある尾崎氏は、若い頃に一度山を止めたことがあるという。その時の気持ちを、「おれはもう山で死ぬことはないんだ、という安心感以外、毎日の生活には張りというものがなく、今後の自分の人生に希望を見出すことができなかった。」(『果てしなき山行』)と語っている。まさに強烈な山恋だ。そんな経験をした尾崎氏だからこそ、登山を“人生そのもの”と言い切れるのだろう。
 人をそこまで惹き付ける登山というものは、実に不思議な代物である。

 
この頁のトップに戻る
 
 
 
 
 
 
柏瀬 祐之
 
 登山にもたらされた新しい感覚世界を、乱暴を承知で私自身にあてはめて表現してみたのが、「好奇心」「気晴らし」「自己確認」「融合感」の四つであった。はじめの二つ「好奇心」と「気晴らし」はたいていの遊びごとに通じるし、ことに登山の場合はそれが元来もつ物見遊山の性格そのものに含まれるから説明するまでもないとして、少し理解しにくいのが、あとの二者「自己確認」と「融合感」だろう。山なんかに登って「自己確認」や「融合感」とは大げさなと思うだろうが、でもこの二者がひとりの人間の中に並んで存在する風景こそ、あんがい登山を登山たらしめる核心かもしれないのである。
「午後三時の山」(柏瀬 祐之)より

 
(GAMOの蛇足解説&感想)
 好奇心、気晴らし、自己確認、融合間。うまいこと言うなぁという感じ。柏瀬祐之という人のことは正直よく知らない。往時はかなりハードなクライミングを実践していたオールラウンドクライマーだと聞いたことがあるが、氏の文章から感じられる楽しさ、気ままさはそのイメージとは異なる。
 山に行くと、だだっ広い山の中に自分1人しかいないような錯覚を覚え、それが妙に心地よく感じられる時がある。山に抱かれ、山の中で自分自身が解放され、自分と向き合った時に感じる思いこそが、「自己確認」と「融合感」のような気がする。

この頁のトップに戻る
 
 
 
 
加藤 文太郎
 
我々はなぜ山へ登るのか。ただ、好きだから登るのであり、内心の制しきれぬ要求に駆られて登るのであるというだけでよいのであろうか。それなら酒呑みが悪いと知りつつ好きだから、辛抱ができぬからといって酒を呑むのと同じだと言われても仕方があるまい。だから我々は山へ登ることは良いことだと信じて登らなければならない。山へ登るものが時に山を酒呑みの酒や、喫煙者の煙草にたとえているのには実に片腹痛いのである。もしも登山が自然からいろいろの知識を得て、それによって自然の中から慰安が求めえられるものとするならば、単独行こそ最も多くの知識を得ることができ、最も強い慰安が求めえられるものではなかろうか。何故なら友とともに山を行く時はときおり山を見ることを忘れるであろうが、独りで山や谷をさまようときは一木一石にも心を惹かれないものはないのである。もしも登山が自然との闘争であり、自然を征服することであり、それによって自然の中から慰安が求め得られるとするならば、いささかも他人の助力を受けない単独行こそ最も闘争的であり、征服後において最も強い慰安が求め得られるのではなかろうか。
「単独行」(加藤文太郎)より

 
(GAMOの蛇足解説&感想)
 生まれながらの単独行者・加藤文太郎。ただ単に「好きだから」という理由だけで山に登るのではなく、その一歩先を求めるストイックさは、加藤文太郎らしいというべきか。言われてみればその通りだ。ただなんとなく行きたくなったら行くという自分としては、痛いところを突かれたとしか言いようがない。もちろん、「良いこと」だと信じているが、煙草はともかくとして、酒も適度であればこれまた良かろう。
 話が脱線した。上記には「なぜ山に登るのか」だけでなく、文太郎の「単独行論」まで垣間見える。文太郎は同書の「単独行について」の章でこうも言っている。「単独行者よ、見解の相違せる人のいうことを気にかけるな。もしそれらが気にかかるなら単独行をやめよ。何故なら君はすでに単独行を横目で見るようになっているから。悪いと思いながら実行しているとすれば犯罪であり、良心の呵責を受けるだろうし、山も単独行も酒や煙草になっているから。」 ナルホド。つまり、良いと信じていれば、酒もまた良いわけかな・・・。
 またまた脱線した。文太郎は最後にこう結んでいる。 「単独行者よ強くなれ!」

この頁のトップに戻る
 
 
 
 
加藤 保男
 
なによりも山が好きだから、という以外にない。そしてエベレストにしても、マナスルにしても、あるいはヨーロッパ・アルプスにしても魅力的な山や岩がいっぱいある。登山は困難な条件や状況であればあるほど、つまり極限状態で頼れるのは、最終的に自分しかない。自己との対決です。自分に甘さがあればそれは死に直結する。だからどんな場合でも決してギブアップしない強靭な精神力が要求される。極限状況での可能性の追求、そういうことでしょうか。
「エベレストに死す」(長尾三郎)より

 
(GAMOの蛇足解説&感想)
 「好きだから」。 「なぜ山に登るのか」の答えとしては、最もシンプルでかつある意味当然の答えかもしれない。そして、素直で明るく謙虚、誰からも愛された天才クライマー加藤保男らしい答えでもある。彼の勇気、優しさ、そしてその言動に元気付けられた者は多いことだろう。
 加藤保男を描いた著作は数多いが、彼自身の著書は「雪煙をめざして」1冊しかない。残念ながらそこには「なぜ山に登るのか」の答えはない。そんなことを自ら口にするような男ではなかったのかもしれない。「極限での可能性」を追求し、厳冬期のエベレストに消えた加藤保男よ安らかに。

この頁のトップに戻る
 
 
 
 
北 杜夫
 
なぜ自分はこれほどまでにあの山頂に立ちたいと念じているのか?そこが処女峰だからか?これは、なぜ山へ登るのかという昔ながらの堂々めぐりの問いかけだ。この簡単至極の質問に、なぜお前は答えられぬのだ?しかしこの世には、はっきりと答えられぬ問いがある。山そのものは終局の目的ではなく、結局自分自身を見つけにゆくのだという答、無益なものへ情熱をそそぐ無私無欲の行為だという答、それらはあくまで一つの答であり、そこから逸脱してゆく何ものかが必ずある。この世には、その複雑さと多様性のゆえに、どうしても明確に答えられず、曖昧にしておくしかない事柄があるものだ。たとえば愛というようなもの・・・・・・。
「白きたおやかな峰」(北杜夫)より

 
(GAMOの蛇足解説&感想)
 1965年、作家北杜夫は、ディラン峰初登頂を目指す京都府山岳連盟の隊付き医師として遠征に参加した。その時の経験を元に書かれたのが、山岳小説の名作「白きたおやかな峰」だ。その中に、「人はなぜ山に登るのか」に関わる記述がいくつか登場する。北杜夫の分身であるドクター柴崎の言葉もあるのだが、なんとなく上の言葉の方が北らしい気がして、取り上げてみた。
 上の文章は、アタック隊から外された曾我隊員が、テントの中で悔しさを噛みしめながらも、一方でアタック隊の成功を願うという、複雑な心情を吐露するシーン。他にも、こんな文章がある。
山はやはりすばらしい、と彼は思った。このような山があるかぎり、人々は生命を賭けてそこへ登ってゆくのはやむを得ないことだ。」
「山々の眺望はより開け、胸の痛むほど壮麗であった。そうして、5400メートルの安楽な箇所に座っていると、先ほどまでの労苦の代りに、快い喜悦が曾我の胸の中に湧きあがってきた。単純ながら、しんとした喜悦。心が純化されてゆくようなおののくような気持。これがあるから人は山に登るのだ。
 作家という人種は、自分自身、そこまでの高峰登山をしなくても、これだけリアルに登山の様子を描き、登山に臨む者たちの心情を文章に表す。たいしたものだ。

この頁のトップに戻る
 
 
 
 
串田 孫一
 
これは勿論僕だけではないのだろうが、たとえ山は頂きに辿りつくことが出来なくとも、雨に降られて小屋にとじ込められていても、山の中にいること、そのことが嬉しい
「山のパンセ」(串田孫一)より

 
(GAMOの蛇足解説&感想)
 『山のパンセ』に次のような一文がある。「なぜそんな苦労をして冬の山へ登るのか。私自身も幾たびかそういう質問を受けた。そして無論、満足な返事をすることはできなかったが、山へ登る人たちは、山を知らない人から見れば、考えられないような、どう考えても愚かなことをしに出かける。その愚かと思われていることが実に尊い行為に思える。」
 串田氏の「なぜ山に登るのか」はこの一文かなと思ったが、よく読むと答えは書いていない。山の哲学者、串田孫一をもってしても簡単な命題ではなかったらしい。が、答えはもっと簡単に書いてあった−「山の中にいること、そのことが嬉しい」。その気持ち、よくわかる。山頂からの展望や沢の水飛沫はもちろんのこと、雨の日のテント、薮漕ぎ、寒さに震えるシュラフ、深雪のラッセル・・・・・山にいるというそのことだけで嬉しくなってくるのだ。さすが哲学者、うまいこと言うものだ。

 
この頁のトップに戻る
 
 
 
 
小西 政継
 
僕はこれまで歩みつづけてきた登山について、なぜ山へ登るのかとか、堅苦しいアルピニズムの理論めいたことは一度も考えたことがない。登山はすばらしい大自然の中の雄大な冒険であり、この冒険は人間として生きることの喜びと生きる価値を教えてくれるものだと思っている。心身を擦り減らすような闘いの中から、僕たちは人間の勇気、忍耐、不屈の精神力、強靭な肉体を鍛え上げ、自分自身の弱さに打ち勝つ貴重な体験を学びとっている
「グランドジョラス北壁」(小西政継)より

 
(GAMOの蛇足解説&感想)
 マッターホルン北壁に始まり、グランドジョラス北壁、ジャヌー北壁、カンチェンジュンガ北壁、チョゴリ北壁・・・。常に、厳しく先鋭的な登攀に挑戦し続けた男・小西政継。山学同志会における鉄の掟の根底をなすものも、この登山こそが人間を鍛える最良の術であるという考え方であろう。
 一方、晩年になって小西は、無酸素への拘りを捨て、酸素を吸って8千メートル峰を登っている。自分を鍛えるはずの山に、8千メートル峰とはいえ楽をして登る道を選んだ。なぜか。小西が第一線から退くことを考え始めた1982年に書かれた「山は晴天」の中で、小西はこうも言っている。『ただ山が好きだから』と。

 
この頁のトップに戻る
 
 
 
 
小山 義治
 
 山へ登るのは何故かと問われても、あたかも絵を描き、鑑賞し、音楽を聴くのは何故かと問われるのと同様に、私は狼狽する。エヴェレストで遭難した登山家の残した、「山がそこに在るから」という答えは、半世紀近く経た今日でもなお名言とされているが、無条件には肯定できないし、人によって、それぞれ異なった見解があっても当然だと思う。言葉の曖昧さはまぬがれないが、人間の持つ純粋な創造への意欲的表現、あるいはもっと素朴な衝動的行為であろうか。人生を無為に終わらせたくないという、強い理念が根底をなしていることだけは明確に認識している。
「穂高を愛して二十年」(小山義治)より

 
(GAMOの蛇足解説&感想)
 小山義治は、戦中から戦後にかけて滝谷などに多くのルートを開拓だけでなく、終戦直後の1947年には、まだまだ物資が不足しているなか自ら木材を運び上げ、北穂高小屋を建設した人物である。
 なぜそんな苦労をしてまで山小屋を作ったのか、なぜ苦しい思いをしてまで山に登るのか。小山義治は言う、『幸福とは、安易や逸楽ではなく、努力と探求の中にこそ、まことの幸いがあるのではなかろうか』と。しかし彼は、「より高く、より困難なものへの挑戦」というアルピニズムを追い求めていたわけではない。形式よりも精神を重んじ、自己よりも他人を想い、物事の本質にこだわり、多様性を受け容れ・・・。小山氏が求めた人間らしさの根底にある普遍的なもの、それは『生きていてよかった』という切なる想いである。

この頁のトップに戻る
 
 
 
 
沢野 ひとし
 
 ある山の本に、すべての頂には憩いがある、という一文があったが、その憩いを少しでも体験したいために山に登るのかもしれない。歩く体力さえあれば、まだこの先三〇年は山登りができるはずだ。三〇年か。そう考えると僕は愉快でしかたがなかった。
「てっぺんで月をみる」(沢野ひとし)より

 
(GAMOの蛇足解説&感想)
 「すべての頂には憩いがある」とは、深田久弥の言葉だったか。『憩い』とは言い得て妙で、何に憩いを感じるかは人それぞれなのだ。山頂からの展望であったり、山に登った達成感であったり、山頂を吹き抜ける風であったり・・・。まぁ、頂だけではないと思うが・・・。
 脱サラしてイラストレータになった沢野氏は、アイガーでクライミングしたり、ヒマラヤのメラ・ピークに登ったりと、絵の雰囲気と違って意外とハードな山行をしている。でも、山行スタイルも憩いの中身も人それぞれ。それでいいのだ。それが登山なのだ。だから私も愉快でしかたない。

 
この頁のトップに戻る
 
 
 
 
重廣 恒夫
 
山登りの楽しみは自ら計画書を作ることにある。地図やガイドブック、写真集などから目的の山を選び、そこに到達するための計画を作り、体力や技術を身につける。そういうプロセスを経てこそ、実際の登山において気象の変化の合間に垣間見えるすばらしい光景や、頂上で感ずる達成感は何物にも代え難いものとなる。計画する楽しさと、それを達成する喜びを感ずることが登山の醍醐味であり、そのテーマは無限にあるといっても過言ではない。
「エベレストから百名山へ」(重廣恒夫)より

 
(GAMOの蛇足解説&感想)
 K2日本人初登頂、チョモランマ北壁新ルート開拓、ナムチャバルワ初登頂登山隊長、マカルー東稜初登頂登山隊長、日本百名山123日連続踏破・・・・・。隊員として、さらに隊長としてタクティクスを担当・指揮し、多くの登頂成功へと導いてきた重廣恒夫。計画や準備あってこその登頂の喜び・達成感とは、タクティクスマン重廣らしい言葉と言えよう。日本百名山123日連続踏破がタクティクスの延長にあったとは・・・・・。聞いてみればナルホドという感じ。

 
この頁のトップに戻る
 
 
 
 
志水 哲也
 
街から山へ入る時、「なぜ山に入る」と、繰り返し自分に問いかける。そのこと自体にとても重要なモノが潜んでいるように思う。それは、人はどう生きるべきか、自分とはいったい何者なんだろうかといった、誰しも考えなくてはならない人間の根本的命題に通じるもののように思う。
「果てしなき山稜」(志水哲也)より

 
(GAMOの蛇足解説&感想)
 「人はどう生きるべきか、自分とはいったい何者なんだろうか」。いつのまにか夢とか希望という言葉を忘れ、漫然と生きていくことに慣れてしまった自分にとっては耳が痛い言葉である。
 志水哲也という人は、自分の弱さを見つめ続ける強さを持っている。自分の弱さを曝け出す勇気を持っている。自分に正直であること、真剣に生きること、妥協しないこと・・・簡単なようでこれほど難しい生きた方はないだろう。そのハードな山行スタイルに似合わないナイーブさ、弱さ、それこそが志水哲也の強さの秘訣なのかもしれない。
 悩み、考え、傷つき、泣き、笑う。等身大の志水氏の姿は、多くの者の共感を呼ぶとともに、そんな志水氏がこれだけのことを為し遂げられるという事実に、多くの者が勇気付けられることだろう。

 
この頁のトップに戻る
 
 
 
 
谷 甲州
 
少なくとも登山家が、おなじ山仲間にそんな質問(なぜ山に登るのか)をすることはない。だれもがその理由を知っているからだ。つまり「登りたいから」なのだが、当時者同士が確認し合うことではない。惚れたはれたに理由は必要ないのだ。
「彼方の山へ」(谷甲州)より

 
(GAMOの蛇足解説&感想)
 「遥かなり神々の座」、「白き嶺の男」、「遠き雪嶺」・・・etc. 現役の山岳小説家と言えば、真っ先に名前があがるのが谷甲州であろう。
 「なぜ山に登るのか」-「登りたいから」、そりゃそうだ。「なぜ彼女が好きなのか」、「なぜお酒を飲むのか」、「なぜ本を読むのか」・・・小難しい理由はいらない。もっと衝動的なもの、本能的なものと言っていいかもしれない。登りたいから、好きだから、楽しいから。それでいいのかもしれない。

 
この頁のトップに戻る
 
 
 
 
田部井 淳子
 
ただひたすら、一歩一歩登るという行為、何のためなどという理屈もなにもなく、ただ体を使う動作の中に私は自分の確かな存在を意識することができた。そして頂きに立つというひとつの区切りある山登りが、私に確かな満足感を与えた。山をとりまく自然の広がり、空気、あらゆるものが体中の臓器にしみわたる。ここにいる自分が本当の自分なんだ、一歩一歩汗して歩いてきたからこそ今ここにいるんだという自己存在を、私は山登りによって存分に味わうことができた。自分の意思で行動したという自由さを感じることが出来た。
「エベレスト・ママさん」(田部井 淳子)より

 
(GAMOの蛇足解説&感想)
 田部井淳子さんの写真を見たことがおありだろうか?ハッキリ言ってしまえば普通のおばさんなのだ。小柄で細身、そんな人が世界で初めて女性としてエベレストに登り、世界で初めて女性として七大陸最高峰に登頂してしまうのだ。エベレスト登頂の女性世界最高齢記録を持つ渡辺玉枝さんと言い日本女性はスゴイ。
 田部井さんのすごい所はその意思の力。上記の文章でも「自分の意思で行動したという自由さ」とさりげなく書いているが、やりたいことをやる、そのために全力を尽くす、その意思の力は凄まじい。やっぱり、普通ではないのだ。

この頁のトップに戻る
 
 
 
 
西丸 震哉
 
 山が好きで、山へ入って行く人たちのうちで、山があるから行くんだというのは、最低の人種に属する。なぜなれば、本能のままに動けばそうなるわけだから。うそだと思ったら、子供を見たまえ。道ばたにジャリが積んであれば、わざわざ登ってみなければ気がすまない。水たまりがあれば、ザボザボはいってよろこんでいる。しかし、ジャリどもがジャリ山へ登るのと、いっしょにされておこる必要はない。知らないところへ行ってみたい、知りたいという、純粋な欲望があってはじめて、人類は進歩してきたのだから。その気持ちを持ち合わせていない人は、今後、向上していくことは望めない。パイオニア精神は、山登りという行動にすんなりとつながるものなのだ。
「山の博物誌」(西丸 震哉)より

 
(GAMOの蛇足解説&感想)
 食生態学者、探検家、画家、作曲家、作家・・・???なんだかよくわからないがいろんな肩書きを持ち、ユニークな登山を実践する西丸震哉の行動はわかりやすい。要は気のむくまま、本能の命ずるままなのだ。でも、「それでいいじゃないか」という姿勢が貫かれた氏の著書は、それゆえにおもしろい。
 西丸震哉は、著書『山歩き山暮らし』でもこう言っている。「山があるから行くんではなくて、たとえ山がなくても、何かだれも知らない地があればノコノコでかけずにはいられないのだ」と。 つまりはそういうことなのだ。もっと気楽に生きようじゃないか。

この頁のトップに戻る
 
 
 
 
新田 次郎
 
なぜ山が好きになったのか私にはわからない。山がそこにあるから、などという簡単なものではない。私が信濃の山深いところに育って、そして今は故郷を離れているという郷愁が私を山に牽きつけたのかもしれない。しかし、これは私なりのこじつけで、私のように山国の生れでない人で、私より以上に山を愛する人がいるのだから、山が好きだということは、もっと人間の本質的なものなのかもしれない。私は山が好きだから山の小説を書く。山好きな男女には本能的な共感を持ち、彼等との交際の中に他の社会では見られない新鮮なものを見つけ出そうとする。のびのびとしたように見えていて、実は非情なほどきびしい山仲間の世界の中の真実が私には魅力なのである。
「孤高の人」(新田 次郎)あとがきより

 
(GAMOの蛇足解説&感想)
 山岳小説家の代名詞のような新田次郎。新田次郎が登山家かと言われればそうではないかもしれないが、山への思いというのは登山家と一緒、「山が好きだから」ということなのだ。でも、ただそれだけで終わらない所が小説家らしいと言えよう。新田次郎は山岳小説家と呼ばれることを嫌い、「小説は人を書くものであり、山を書くものではない。」と言っていたが、その気持ちがこの文章の中にも表れている。
 「孤高の人」のあとがきに記されているこの文章は、元々は新潮社の「新田次郎山岳小説シリーズ」の帯に書いてある文章とのこと。当方、そのシリーズを持っていないので、違う文章をもう一つ引用しよう。「小説に書けなかった自伝」(新田次郎)の中で、新田次郎は取材で出掛けた山行について次のように書いている。『これらの山行は、はっきりとした目的のある取材旅行ではなく、山に対する私の知識を得るための登山だと、自分に云いきかせながらも、ほんとうのところは、山が好きだから山へ行くだけのことだった。』。これを読むと、新田次郎は山が好きだったんだなぁと、そしてたぶん幸せな人生だったんだなぁ、とそんな風に思う。

この頁のトップに戻る
 
 
 
 
野口 健
 
僕が山に登る原点は、自分のためなのだ。自分のためにエベレストに登るのだ。
「落ちこぼれてエベレスト」(野口 健)より

 
(GAMOの蛇足解説&感想)
 野口健についてはいろいろな批判もある。やれ、彼は『登山家』ではないだの、マスコミを利用しているだの・・・と。当っていることもあればそうでないこともあろう。ただ、誰だって自分が一番かわいいのだ。そういう意味で彼は正直な人間なのかもしれない。
 中学・高校と落ちこぼれて不良となっていた氏が、植村直己の本を通じて山と出会い、生きる道を見出していく。その過程において、自分のために山に登ったというのは当然のことだ。史上最年少での七大陸最高峰登頂(当時)により自己実現を果たした彼の視線は、今、清掃登山やシェルパ基金などへ向けられている。彼の今後に期待したい。

 
この頁のトップに戻る
 
 
 
 
長谷川 恒男
 
人それぞれの世に生を受けたかぎり、死ぬまで人として生きた証しをしなければならない。そうした使命をだれもが背負っているはずだ。山登り―興味のない人からみれば、それがとるにたらない行為であっても―私がそれを継続していくことで、生きてきたことの証しができるものと信じている。
「山に向かいて」(長谷川恒男)より

 
(GAMOの蛇足解説&感想)
 長谷川恒男にとって登山は生きることそのもの、登山=人生だったのかもしれない。アルプス三大北壁冬期単独登攀からヒマラヤへ。常に過酷でハードな山行を自らに強いることで、己の中にある劣等感を振り払い、自分の存在を示す。
 長谷川恒男の著作を読むと、似たような表現が随所に見られる。何かに追われるような切ない生き様である。
山は自己表現だ。自分が一歩進まなければ決して登れない。主体性がなければ何もできない。そういう意味で、落ちこぼれの子供がはじめた山登りは、ぼくの青春への出発点だったのかもしれない。」(「岩壁よおはよう」より)
アルピニストというのは、山を登ることによって自己表現のできる人のことだと考えている。」(「生きぬくことは冒険だよ」より)
私の考える登山の思想とは、『自分はいつも極限のなかで生きていたい』というとだ。」(「生きぬくことは冒険だよ」より)

この頁のトップに戻る
 
 
 
 
古川 純一
 
アルピニズムの行為における困難には、常に危険が伴っているのである。もし、困難と危険が全く別なもので、困難には危険が伴わないとしたら、登山における感動は無に等しくなり、地上での労働と同一なものとなるだろう。困難も危険も同時に克服するところに喜びがあり、そこにアルピニズムの発祥と発展があったのではあるまいか。この両者の克服がなかったら、山が存在していても、そこにはツーリズムしか生じなかったであろう。
「わが岩壁」(古川純一)より

 
(GAMOの蛇足解説&感想)
 日本中のあらゆる壁という壁の初登攀が競われた1950年代後半から60前代前半に、松本竜雄吉尾弘などとともに時代をリードした男、ベルニナ山岳会の古川純一。アルピニズムを熱く語り、常に先鋭を追い求めた古川は「生死を賭して登ることが、アルピニズムにおいては喜びであり感動でもある。」と語る。
 しかし誤解してはいけない。古川は、ただ困難であること、危険であることをもってアルピニズムと言っていたわけではない。『わが岩壁』の中でこうも語っている。「壁に向かって押し進もうとする自分との戦い、自我との対決の登山がアルピニズムではなかろうか。とするならば、体力がなくなってからの登山においても、困難を回避せず、自分との戦い、自分との対決、そして自分に勝とうとする登山であるならば、それはりっぱなアルピニズムであると言えよう。」

この頁のトップに戻る
 
 
 
 
松田 宏也
 
 高度という空間に、登ると言う時間を刻み込む。その気の遠くなるような作業をやってのけるのは、僕自身の手と足だ。手と足が、僕だけの空間に僕だけの時間を出現してゆく。その過程には、一編の詩が生まれる、とさえ考えられるから、僕は、この気の遠くなるのろさが楽しい。だから、山に登るのかな。
「ミニヤコンカ奇跡の生還」(松田宏也)より

 
(GAMOの蛇足解説&感想)
 氷雪のミニヤコンカで遭難し、凍傷で両手・両足の先を失いながらも、2週間かけて奇跡の生還を果たした松田宏也。そこまで壮絶な体験をした松田氏が、生還後に書いた手記に記されているのがこのセリフ。ああ、やっぱり山が好きでたまらないんだなぁ、ってよくわかる。
 本書の中で、松田氏はこうも書いている。 「生きているかぎり、僕は、山から遠ざかれない。山は、僕にとって、趣味ではない、生きがいだった。」
山って一体なんなんでしょうね。

 
この頁のトップに戻る
 
 
 
 
 
松濤 明
 
 山の持つ美への渇仰 ― 、山の美に憧れ、しかもそれの遠見に満足せず、もっと端的にその真っ只中へ飛び込んで一つに相解かれたいと願う心 ― 、これこそ人間を駆って山へ向わせる原動力だ。
「新編 風雪のビヴァーク」(松濤明)より

 
(GAMOの蛇足解説&感想)
 松濤明と言えば、いろいろな所で引用されているかの鮮烈な遺書が有名である。遺書そのものについては、一部に批判もあるものの、死ぬ間際の言葉に嘘はなく、その重さに押し潰されそうになる。
 死後に編纂された「風雪のビヴァーク」を読むと、強烈な個性、自尊心、自己主張を持った登山家であったことがわかる。その松濤氏を山に惹きつけていたもの、それは「美への好尚であり、押しなべて山想う心」であったという。彼の行動や主張を見ているとそれだけではなかったようにも思えるが、「山想う心」に駆られていたという意味では、山男というのは皆同じなのかもしれない。

 
この頁のトップに戻る
 
 
 
 
 
松本 竜雄
 
なぜ山だけを執拗に求めつづけたのか、今でもよくわからない。ただ、山々をさまよい歩くことによって、これらの不安をおし包み、生きる自信を得ようとする努力の表われだったような気もする。暗い夜の切りたった崖、足もとに広がる恐ろしい高度感―こんなささやかな冒険こそが、ぼくにとっては"生"そのものの実感だったのだ。
「初登攀行」(松本 竜雄)より

 
(GAMOの蛇足解説&感想)
 雲表倶楽部の松本竜雄は、積雪期の一ノ倉沢滝沢や烏帽子中央稜、屏風岩中央カンテなどの初登攀を成し遂げたクライマーで、第U次RCCの同人でもある。一ノ倉沢コップ状岩壁正面での埋め込みボルトの使用は、大センセーションを巻き起こした。
 彼が幼少の頃、村で集団赤痢が発生し、彼の弟も死んだ。終戦直後、栄養失調と闘病とから多くの友人が死に、彼自身も肋膜炎に冒され死にかけた。松本竜雄のがむしゃらなまでの岩壁への挑戦、あくなき未踏壁へのこだわり、スーパーアルピニズムの提唱・・・、それらは“死”を見つめ続けることで見い出そうとした“生”への拘りだったのかもしれない。

 
この頁のトップに戻る
 
 
 
 
森村 誠一
 
私は山頂から広がる大展望の中に、自分の未来や、多数の出会いや、チャンスを想像するのが好きであった。
「作家とは何か」(森村 誠一)より

 
(GAMOの蛇足解説&感想)
 「未踏峰」、「密閉山脈」、「虚無の道標」、「堕ちた山脈」、「白き高峰の殺意」、「日本アルプス殺人事件」……。森村誠一作品には、山や登山家が登場する作品が数多くある。中学から登山を始め、大学時代はワンダーフォーゲル部所属し山にのめり込んだという森村誠一にとって、山はレゾンデートルの1つなのかもしれない。
 しかし、森村が山に向ける視線は、登山家ではなく作家のそれだ。上記文章の数行あとには、「私は山を見ながら、山を通して人間を見るようになっていた。(中略)無意識のうちに山越しに下界を、そこに住む人間を見ていたのである。」と書いている。山よりも人、人間に対する尽きない興味・関心、豊かな想像力・・・・・・。作家という人種は、山に登っていてもヒトのことを考えているのだな、と改めて思う。

 
この頁のトップに戻る
 
 
 
 
山田 昇
 
ぼくは山が好きだから登る。山へ行くのがうれしいから登る。それだけのことで、初登頂やバリエーション・ルートを登ったからといって自慢する気なんかまったくない。そんなもの、あくまで自分の勝手なんであって、手柄でもなんでもないと思う。
「ヒマラヤを駆け抜けた男」(佐瀬稔)より

 
(GAMOの蛇足解説&感想)
 八千メートル峰9座12回登頂。14座完登を目指しながら、夢半ばにして冬のマッキンリーに消えた山田昇。
 山田昇は言う。 若い人たちは、苦しい思いをし、命を落としかねない山登りなんかもう時代遅れだという。(当時世界で3人目ということをやることで、)そういう人たちに、一度でいいから山に心を向けてほしい、と。 山田昇らしいセリフだ。
 口ひげをたくわえ、穏やかに微笑む。人としての魅力に溢れ、誰からも愛された男・山田昇。謙虚、朴訥、寡黙、無邪気・・・。内に秘めた闘志。男はかくありたいものだ。

 
この頁のトップに戻る
 
 
 
 
 
山野井 泰史
 
僕は山を登り始めてから今まで常に、「もっと難しい壁に、もっと厳しい環境で、もっとシンプルなスタイルで」と、自分の限界を押し上げてきたつもりだ。もちろんそれは、誰かに強制されたものでもなく、僕自身が、どうしようもなく限界に挑みたくて仕方なかったからだ。確かに小さなハイキングをしているときも喜びを感じるが、やはり限界ぎりぎりの登攀をしているとき、「生きている」自分を感じられるのだ。
「垂直の記憶」(山野井 泰史)より

 
(GAMOの蛇足解説&感想)
 「ソロ」(丸山直樹)の中で、山野井泰史は「なんでそんなに好きなんだ?」と問われ、「子供が木登りをするのに、何か特別な理由なんか必要ですかね」と答えている。また、「自分は、山に行けるだけで嬉しいし、登ること自体が楽しいし、これまでただの一度も、嫌だとかつらいとか思ったこともないし・・・・・。喜びがあるから恐怖だって乗り越えられるし・・・・・」とも言っている。
 山野井にとって登山は「生」そのもの、山を登っていないと死んでしまうような、そんな本能的なものなのかもしれない。
 そんな山野井も、ギャチュン・カンで手足の指を何本も失い、かつてのようなクライミングはできない体になってしまった。それでも、彼は何も変わっていなかった。以下、「垂直の記憶」から一部紹介したい。
あのころのようにはもう登れないかもしれない。それでも僕は現在も登っている。岩を登っている感覚が好きだし、深い森の中を歩きまわっていると落ち着くのだ。僕には登る意義など本当に関係ないのだ。初心者に戻ってしまったが、また上を目指して一歩一歩、登っていこう。僕の二度目のクライミング人生は始まったばかりだ。どこまでいけるかわからないが、登っていこうと思う。」
足の痛みがまだあるのに僕は無性に登りたくなった。それには理由などない。『ただただ、手に力を入れ、足を踏ん張り岩を登りたい。高みに行きたい』それだけだった。」
クライミングでは、死への恐怖も重要な要素であるように思える。 『不死身だったら登らない。どう頑張っても自然には勝てないから登るのだ』 僕は、日常で死を感じないならば生きる意味は半減するし、登るという行為への魅力も半減するだろうと思う。」

この頁のトップに戻る
 
 
 
 
吉尾 弘
 
山では人にできないことが自分の力でできる。努力さえすれば、それ相応に得られるものがあるのだ。目標とするルートの困難さが大きければ大きいほど、可能性を期待する楽しみも大きい。
「垂直に挑む」(吉尾 弘)より

 
(GAMOの蛇足解説&感想)
 奥山章が第二次RCCのラッパ吹きなら、吉尾弘はそのラッパの合図で真っ先に行動する第二次RCCの切り込み隊長である。吉尾弘とはどんな人物なのだろうか?
 「垂直に挑む」を読むと、感情をむき出しにした文章が所々にあり熱血漢のように見えながら、極めて冷静かつ理知的な文章も書く。そのくせ妙にロマンチストな一面も垣間見せる。一方で周囲の吉尾評では、ルーズだけれど憎めない、思いやりがあって誰からも親しまれ、かつリーダーシップがあるという。なんか不思議な人物である。

 
この頁のトップに戻る
 
 
 
 
 
芳野 満彦
 
マロリーやシプトン、そしてヒラリーのごとく「山がそこにあるから」といって、僕は登りたくない。モルゲンターレルのように、また彼の語る水晶採りのお爺さんのように「そこに何かがあり」それを僕は求めていきたいと思う。
「山靴の音」(芳野満彦)より

 
(GAMOの蛇足解説&感想)
 誰もが「そこに山があるから」というセリフを意識し、でもなんか違うと思いながら、自分にとってはどうなんだろうと考える。
 若かりし頃に八ヶ岳で遭難し、九死に一生を得たものの、凍傷で足の大きさが3分の2になってしまった「五文足の山男」、芳野満彦。にも関わらず、アイガー北壁にチャレンジし、マッターホルン北壁さえも攀じってしまった。芳野満彦にとって、そこにあった何か」とは、一体何だったのであろうか。

 
この頁のトップに戻る
 
 
 
 
 
モーリス・エルゾーグ
 
 山はわれわれにとって大自然の活動舞台であり、生と死との境で山登りをしながら、人知れず求め、そして、われわれにとってはパンのように必要であった、われわれの自由を発見したのだ。
「処女峰アンナプルナ」(モーリス・エルゾーグ)より

 
(GAMOの蛇足解説&感想)
 人類初の8,000m峰征服、アンナプルナ登頂を成し遂げたエルゾーグは、その代償として手足の指の全てを失ってしまった。彼は、手足の指を失ったことを嘆くのではなく、「ぼくはもうアイガーをやりに行けないんだ。あれほど行きたかったのに」と、山に行けないことを泣いて悲しんだ。
 しかしエルゾーグは、ただ嘆き悲しんでいただけではなかった。「人間の生活には、他のアンナプルナがある・・・・・」という名セリフ通りに、その後政治家となり、国務大臣やシャモニ市長まで務めている。彼が山から得たもの、アンナプルナで得たものの答えは、その後の生き様が示していると言えよう。
(P.S. 近藤先生!上の日本語訳、ちょっと変じゃないっすか?原文見てないけど・・・)

 
この頁のトップに戻る
 
 
 
 
 
リン・ヒル
 
 なぜ登るのか、と人々から訊かれてもいまだに説明に苦労するとはいえ、クライミングはこれまでの人生を決定づけ、私の血となり肉となっていた。クライミングなしの人生など考えられない。
「クライミング・フリー」(リン・ヒル)より

 
(GAMOの蛇足解説&感想)
 言わずと知れたフリークライミング界の女王、男性を含めても“最強”といも言われているリン・ヒル。彼女は言う、「高山に魅せられることが、いまもって理解できない。ピッケルやアイゼンや鋭利な道具をたずさえて寒くて酸素のうすい場所を登っても、山との一体感は得られないのではないか。私は岩に触れて岩を感じるのが好きだし、クライマーと崖の密接な関係が好きだ」。
 クライミングの申し子にとっては、やっぱり岩が一番なのだろう。

 
この頁のトップに戻る
 
 
 
 
 
エドモンド・ヒラリー
 
 恐怖には刺激的な要素がありました。恐怖は、私が何かをやったときの理由でかなり重要な要素を占めていました。もし何か難しくて危険で、少々恐怖心を抱かせるものに直面しても、辛抱して成し遂げればとても大きな満足感を得られます。
「ビヨンド・リスク」(ニコラス・オコネル)より

 
(GAMOの蛇足解説&感想)
 "恐怖"という代物は、登山にとって非常に重要な要素なのかもしれない。"恐怖"をないがしろにする者は山から生きて帰ることはできない。しかし、"恐怖"があるからこそ、それを克服して何かを成し遂げた時の喜びも大きい。
 エドモンド・ヒラリー、"恐怖"を友に世界最高峰エベレストを初めて征服した男。

 
この頁のトップに戻る
 
 
 
 
 
 
ジョージ・マロリー
 
クライミングに何か「効用」があるか、世界最高峰の登攀を試みるに何か「効用」があるか、と誰かに訊かれたら、私としては「皆無」と答えざるを得ないだろう。科学的目的に対する寄与など、まるでない。ただ単に、達成衝動を満足させたいだけであり、この先に何があるか目で確かめたいという、抑えきれない欲望が、人の心のなかには脈打っている。地球の両極が征服された今、ヒマラヤのその強力な峰は、探検者に残された最大の征服目標である。
「そして謎は残った」(ヨッヘン・ヘムレブ 他)より

 
(GAMOの蛇足解説&感想)
“Because it is there.”(そこに山があるから
山に登らない人でも知っているこの名言は、当時未踏峰だったエベレストに3回も挑み、1924年の遠征で行方を断ったマロリーの言葉である。
 このセリフは、1922年にフィラデルフィアでの講演後の質問に答えたものだが、つきまとううるさい人々を避けるために言ったセリフだとのこと。
 本多勝一は、自著『山を考える』の中で、「マロリーはエベレストが存在するから登るのであって、二度目や三度目以下の『それ』ではなく、いわんや一般の『山があるから』などとんでもない。」と語っている。つまり、「未踏峰のエベレストがあるから登るのだ」ということだそうだ。そう解釈すれば、いかにも冒険家らしい発言といえそうである。
 一方、『そして謎は残った』で紹介されている上記のマロリーの言葉は、いかにも登山家、探検家、冒険家らしいと言えよう。確かめたい、見たい、知りたい・・・そんな好奇心や欲望が、マロリーをエベレストへと駆り立て、そして人類をここまで引っ張ってきたのだ。

 
この頁のトップに戻る
 
 
 
 
ラインホルト・メスナー
 
不確実性こそ自分にとって活動の源泉だった。成功を得る前からその成功が約束されていたなら、ひとつの遠征にみずからのすべてを賭けたりはできなかっただろう。
「ラインホルトメスナー自伝」(ラインホルト メスナー)より

 
(GAMOの蛇足解説&感想)
 メスナーは恐らく天才なのだろう。その天才が何を考え、何のために山に登っているのか、興味があったが、「誰もやったことがないこと、誰も知らないこと」=「できるかどうかわからない」という不確実性こそが、天才を山に駆り立てた動機だったようだ。
 天才は『ナンガ・パルバート単独行』の中でもこう言っている。「あらゆることをやってみようという力をぼくに与えてくれるのは、何よりも未知の世界なのです。大丈夫やれることがわかっていれば、それほど激しく興味はそそられませんね。」と。 
 しかし、天才とても人間だ。メスナーの本には、天才が悩み、苦しみ、不安に駆られ、時には山を降りてしまいたいとさえ思ったという素直な心情が吐露されている。が、その恐怖にうち克って、成功を勝ち得るところが、また天才の天才たるゆえんなのであろう。

 
この頁のトップに戻る
 
 
 
 
ガストン・レビュファ
 
子供の頃、わたしたちは木登りをした。この本能を、わたしたちはたぶん持ちつづけてきたのかもしれない。もしも、わたしたちが登るのをだしぬけに止められて、「なぜ山へ行くのか?」という避けられない質問をされたなら、今日のわたしたちはすぐこう答えただろう、「ぼくらは山へ登るためにできているんだ
「星と嵐」(ガストン・レビュファ)より

 
(GAMOの蛇足解説&感想)
 岩壁を攀じる姿も美しければ、その文章もまた一種の文学の如き香りを漂わせている。そんな岩壁登攀の申し子のようなガストン・レビュファにとって、「なぜ山へ行くのか?」などという問いはナンセンスなのかもしれない。
 どこか山野井泰史の答えとも通じるところがあるこの答え。彼らにとって登山や登攀という行為は、生きることそのものなのかもしれない。

 
この頁のトップに戻る