(ヴァーチャル マニア)
似非マニアの小部屋
 
 
 
 第5回
旅をする本
 
 
 アラスカを舞台に活動し、アラスカの土となった写真家・星野道夫さんのエッセイ集に『旅をする木』という本がある。自然や人間、命に対する深い愛情と優しさが感じられる温かい本。足りないものに気付かされると同時に、心が満たされる素敵な本。私にとって大切な1冊だ。
 本書には数編のエッセイが収められているが、その1つに表題作の「旅をする木」がある。その中で、星野道夫さんが好きだという動物学者の本"Animals of the North"に書かれている話が紹介されている。それはこんな話だ。
 早春のある日、トウヒの木に止まった鳥がついばみ、1つの種子が地面に落ちる。その種子は、さまざまな偶然を経て川沿いの森に辿り着き、やがてそこに根を張り、大木へと成長する。長い歳月の中で、川の浸食は少しずつ森を削り、やがてトウヒの木は川岸に立つようになる。ある春のこと、雪解けの洪水にその木はさらわれ、ユーコン川を流れてベーリング海へと運ばれる。木のないツンドラ地帯で、トウヒの木はランドマークとなり、キツネがテリトリーの匂いを付ける場所となった・・・・・。その木は、最後は薪ストーブの中で燃えて一生を終えるが、一方でトウヒが産み落とした新たな命の旅立ちも始まってゆく・・・・・。連綿と続いてゆく命の物語。星野道夫さんが愛した自然の物語。
 そんなエッセイを読みながら、「そういえば、“木”という字と“本”という字は似ているなぁ」などと、どうでもいいことを考えたりする。そうそう、本だって旅をするじゃないか。新しい命を吹き込まれた新刊書が本屋に店先に並ぶ。そして、どこかの本好きの人に買われていく。そこで本棚に静かに並ぶ本もあれば、やがて古本屋に売られ、新たな持ち主の元に嫁いでゆく本もある。時には、再生紙に回されたり、たき火にくべられてしまう本もあるかもしれない。行き先はさまざまだけれど、本だって旅をするのだ。
 
 ところ変わって、とある日のブックオフ。特に目的があったわけではないが、何となく棚を眺めて面白そうな本を物色していたところ、前から買おうと思っていた喜国雅彦さんの『本棚探偵の冒険』を見つけて即買いした。キクニの本棚探偵シリーズはめちゃめちゃ面白い。
 キクニの流れで、「カ行」の本を見ていたら、角田光代さんの本が並んでいる場所に辿り着いた。背表紙を漫然と眺めていたら、『さがしもの』というタイトルが目に飛びこんできた。
その瞬間、本に呼ばれている気がした。などと言ったら少し大げさかもしれないが、古本マニアで『古本道場』角田光代岡崎武志)などの著書もある角田さんの作品で、このタイトルだったら、ピン!とくるに決まっている。思わず手にとってめくってみる。ビンゴだ! “本”をテーマにした短編小説集だった。その本の1番最初に、『旅する本』という作品が収められていた。それは、こんな話だ。
 大学に入って東京で1人暮らしを始めた私は、部屋が狭いので実家から持ってきた本を、近くの古本屋に売り払った。「あんたこれ売っちゃっていいの?」と古本屋の主人に言われながら。卒業旅行でネパールに出かけ、閑な時間に古本屋に入った。すると、そこにその本があった。何が売っちゃっていいの、だ。ネパールの古本屋にも置いてあるような本じゃないか、と思ったら、その本は私が売った本そのものだった。私はその本を買って読むと、またそこで売り払った。そして数年後、仕事で立ち寄ったアイルランドの古本屋で、またその本に出会った。そんな旅をする本のお話。
 そういえば、芳崎せいむさんのマンガ『金魚屋古書店』にも、旅をする本の話が出てくる。第3巻の「ねこたま堂」の話だ。海外放浪の旅を続けている男が、偶然日本人と出会う。すると、日本語が恋しくなって、持っている本をお互いに交換する。そうやって、いろんな人の手から手へと渡ったマンガ本が、数年後にまた同じ人の許に戻ってくるというお話だ。そう、本だって旅をするのだ。ちなみに、そのお話に出てきたマンガは、谷口ジローさんの『孤独のグルメ』だった。
 
 さて、前フリが長くなってしまったが、GAMOの手許には、文字通り世界中を旅してきた1冊の本がある。石一郎さんの『標高八八四〇メートル』。戦前、まだ未踏だったエベレストに単身で挑んだモーリス・ウィルソンをモデルにした山岳小説だ。この本の裏表紙の内側を開いてみると、そこには船の名前と日付のゴム印がいくつも押されている。下の画像でも判読が難しいだろうから、船名と日付を右に書き出してみた。本に押されている日付印は、西暦表示ではなく、当然和歴表示だ。
 あふりか丸、はんぶるぐ丸、めるぼるん丸、ありぞな丸・・・・・ほとんどが貨物船のようだが、世界中の航路を航行したであろう船の名前が並んでいる。文字通り“旅をする本”だ。調べてみるといずれも大阪商船(1964年3月からは大阪商船三井船舶、現・商船三井)が所有していた船のようだ。
 

 
 貨物船での仕事や生活ぶりについては、全く知らない。船長を筆頭に、航海士、機関士、通信士など大勢の人が乗っていて、何カ月も船上生活を続けるのだろう。ちょっと想像しただけでも過酷な世界だとわかる。まして、1960年代当時は、携帯電話もなければ、インターネットもない。CDやDVDだってない。TVは既に登場していたが、外洋船では見ることができなかっただろう。
 となると、船員にとっての楽しみは、食べることと飲むこと、そして寝ることぐらいしかない。娯楽といえば、トランプや花札、そして読書くらいのものだろう。食後、食堂の片隅にある達磨ストーブの前で、焼酎でもチビチビやりながら本を読んでいる海の男たち。仕事の疲れを癒すつかの間の一時だったに違いない。海の男とはいえ、生死を賭けた洋上で『十五少年漂流記』ジュール・ベルヌ)や『ロビンソン・クルーソー』ダニエル・デフォー)は読まないだろう。海の男が山の本を読む。そこがいい。

こーんな感じの船みたいです
 誰かが読み終えれば、次の誰かが読み始める。こうして全員が読み終える頃には航海も終わり、本は同じ会社の同僚が乗る他の船へと受け継がれていく。本に押された船名印は、この本が海の男たちとともに世界中を旅してきた証だ。 ほとんんど私の勝手な想像(妄想?)だが、たぶん大きくは外れていないだろう。
 潮風に晒され、男たちの汗が沁み込み、かなりくたびれてしまった本も、今は我が家の本棚で静かに休んでいる。お疲れさま。。。
 
(2013年4月21日 記)