(ヴァーチャル マニア)
似非マニアの小部屋
 
 
 
 第4回
山岳マンガ 事始め
 〜佐藤まさあきの山岳マンガ〜
 

 戦後最初の山岳マンガは何か?これについては拙著『山岳マンガ・小説・映画の系譜』でも論じているが、確証はないものの、「劇画」と第一次登山ブームの出会いにより生まれた、佐藤まさあきなどによる貸本マンガではないかと思う。むろん、自然描写という点で言えば、山川惣治『少年ケニア』白土三平の作品などにも多く出て来るが、登山という行為をマンガにしたという点では、佐藤まさあきが最初なのではないかと思う。
 そこで今回は、佐藤まさあきの山岳マンガについて紹介してみたい。

 佐藤まさあきと言えば劇画初期メンバーの1人で、バイオレンスとセックスを前面に押し出したハードボイルド物を得意とした。その辺は、佐藤まさあきの生い立ちが深く関わっているようだが、そうした氏の作品群の中で山岳物は異質の存在と言えるだろう。
 さて、早速作品を紹介しよう。佐藤まさあきの山岳物と言えば「青春山岳シリーズ」だ。
 右から順に、青春山岳シリーズ@「雪山讃歌」(1965年)、A「白銀のかなたに」(1966年)、B「大岩壁」(1966年)、C「山にこんにちは」(1966年)となっている。貸本マンガは、良くも悪くも世の中の出来事、動きに敏感で、社会的な現象や流行をいち早く取り入れていたという。表紙の男性の髪形を見て頂ければ一目瞭然、どう見ても裕次郎カットだ。またその辺りは、各作品の「はじめに」や「あとがき」からも見てとれる。
 例えば・・・
この作品にとりかかったとき、折しもアイガー登頂の朗報と、遭難と云う悲報が同時に入った。
「『雪山讃歌』はじめに」より
 『雪山讃歌』は1965年の作品。ということは、ここに書いてあるアイガーの話は、高田光政による日本人初登頂と、渡部恒明の墜死の話だろう。日本人がヨーロッパアルプス三大北壁に挑戦し始めた頃の話だ。
 さらに、こんな記述もある。
この原稿を書いている間にも、早や二・三の遭難事件が報道された。私はそんな記事を読むために心が痛む。
「『大岩壁』あとがき」より
(※GAMO注 : 「早や」「ために」の表記は原文のママ)
登山ブーム真っ最中で、遭難の報も多かったのだろう。

 では、佐藤まさあきが登山をたしなんでいたとか、登山に対して造詣が深かったかというと、残念ながらそういうわけではなかったようだ。画やストーリーを見ると、登山についてそれなりに調べて描いた様子は伺えるが、例えば『大岩壁』を読むと、そこに描かれた“槍ヶ岳”という山は実際の槍ヶ岳とは似ても似つかない。
  何より、1965〜66年頃というのは、貸本業界自体がジリ貧の時期に当っており、佐藤まさあきが経営していた佐藤プロは虫の息だった。登山に出かけている余裕などなかっただろう。以下は、佐藤の自伝『「劇画の星」をめざして』からの引用。
本の売れ行き低下とともに、私の本来の持ち味であるシリアスな作品はほとんど描けなくなっていた。先に野心作のつもりで描いた『野望』が売れ行き不振で七巻のつもりが四巻で切り上げざるを得なかったし、それからは楳図かずおとのつき合いで、『17才』という短編誌に、『紅白ぶたれ合戦』とか『ホームラン委員長』『おタヌキ物語』なんてアホラシいギャグマンガや、なまっちょろい『白銀のかなたに』とか『山よこんにちは』といったような青春物で息をつなぎ、私の胸のなかは一種のフラストレーションの状態にあった。
『「劇画の星」をめざして』(佐藤まさあき)より
 佐藤にとって青春山岳シリーズは、本意ではない作品だったようだ。
ちなみに、青春山岳シリーズは入手に際してもそれなりに苦労した。古本屋やオークションで常時ウォッチして、ようやく「雪山讃歌」「大岩壁」を1冊2,000円くらいで入手した頃、たまたま訪れた早稲田の漫画図書館1階の古本屋で、4冊揃いで見つけた。う〜ん・・・2冊も被ってしまうのはちょっと・・・と思って、1冊当りが高くなってもいいのでバラで売って欲しいと漫画図書館さんにお願いしたところ、気持ち良くバラ売りして下さった。しかも、割り増しなしで。ありがとうございます、漫画図書館さん。なお、買って読んでみたら、「白銀のかなたに」はスキーマンガで登山ではなかった。

 さて、次に『遭難』。こちらは、青春山岳シリーズの前年1964年に出された作品。「社会派シリーズ」と銘打たれており、やはり社会的な関心の高さから登山を題材にしたようだ。この頃の佐藤プロの状況はわからないが、青春山岳シリーズの頃と大差なかったであろうと思われる。内容的にも、まぁそれなりとしか言いようがないレベルだ。
 ちなみに、右の写真にあるように自分はこの本を2冊持っている。最初に見つけたのが、左の表紙なし版。ヤフーオークションでゲットしたの
だが、表紙がないことは最初からわかっていた。しかし、とにかく読んでみたくて落札してしまったのだ(しかも、中にはイタズラ書きがある)。その後、神保町の古本屋で右の表紙付きを見つけて買い直したが、こちらは破れてページの一部が欠けている箇所が3ページほどある。貸本に供されていたことを考えれば仕方のないことだろう。残念ながら、貸本の古本は美本が少ない。貸本屋は、多くの読み手の使用に耐えうるように補強作業を行うのが普通だったようだ。表紙を外したり、表紙カバーごとビニールコーティングを施したり、綴じた部分をタコ糸で補強したりした(『貸本マンガRETURNS』貸本マンガ研究会編・著)。上記写真右の本も、糸で補強するために開けた穴の跡が残っている。

 『遭難』が最初の山岳マンガかというと、もう一つ前の作品がある。
 私は、これまで長編「遭難」と、短編「鬼のおどり場」と、二つの山岳劇画をものにしてきた。山岳物・・・・・と云うのは、劇画の世界では初めてのジャンルであり今までほとんど参考にするべき作品がないだけに非常に苦労をした。
「『雪山讃歌』はじめに」より
 ここに書かれている短編『鬼のおどり場』は1964年中ごろ、つまり『遭難』よりも前に描かれた作品で、佐藤プロが出していた短編誌「モーゼル96」に掲載されたものだ。長いこと探しているが、未だ入手できていない(;;) それはさておき、この文章からしても、この辺りの作品が山岳マンガの事始めではないかと思った次第である(※「モーゼル96」は、その後、オークションで無事入手出来ました)。
 とはいえ、実は山岳マンガの事始めについては、やや懐疑的な思いもある。山岳小説に関しては戦前から存在し、戦後は日本山岳会隊がマナスルに登頂した1956年に、『強力伝』新田次郎)の直木賞受賞、『氷壁』井上靖)の新聞連載、『北壁』石原慎太郎)発売や『朝焼け』安川茂雄)の雑誌掲載など次々と山岳小説が登場している。以降、新田次郎を中心に50年代60年代に多くの山岳小説が上梓されている。山岳映画の世界では、戦後間もない1947年に『銀嶺の果て』が公開され、1960年前後には『氷壁』『猛吹雪の死闘』『大学の山賊たち』『黒い画集 ある遭難』『妻は告白する』『山男の歌』『山の讃歌』など多くの山岳映画が公開された。それと比べた場合、山岳マンガの登場が遅すぎるとの感は否めない。もしかしたら、もう少し古い山岳マンガもあるのではないか・・・とも思う。どなたかご存知の方、ご一報下さい。
 
(2012年11月25日 記)