(ヴァーチャル マニア)
似非マニアの小部屋
 
 
 
 第3回
検印あれこれ
 
 
 
 
 古い本をめくっていると、奥付にハンコが押してあることがある。初めて見かけた時は「何だろう?蔵書印かな?」と思った程度だが、調べてみて、それが「検印」というものだと知った。
 東京印章協同組合のホームページに掲載されている「印章の基礎知識」によると、その定義は次の通りだ。
【検印】(けんいん)
書籍の著者が発行部数を確認する為に紙の小片に著者の印章を押印して奥付に添付していた。現在では出版社と著者が契約書で合意して「検印省略」「検印廃止」と印刷されているのみである。検査を証明する印。
 ついでに、「印税」の定義も見てみよう。
【印税】(いんぜい)
書籍などの著作物を販売する際に販売業者から著者に支払われるギャランティー。昭和40年代頃までは数量確認のために検印を押していたので印税と呼ばれるようになった。
 なるほど・・・・・。どうやら、どうやら著作権とか在庫管理とか、いろいろな制度やシステムが未整備だった時代に、海賊版の流通を防止し、著者の権利・利益を守るための仕組みだったようだ。
 
 とはいえ、ちょっと考えれば気付くが、たいして売れない本でも数千部、有名な作家の本ともなれば、初版から万単位で刷ったりする。重版も含めれば、数十万部になることだってある。数万部ものハンコを押すのがいかに大変かは、想像に難くない。実際、作家の家族総出で押したり、出版社の担当編集者や社員が押したりといった話も聞く。
 そうした手間やコストの問題があったため、制度やシステムが整備されたことに伴い、昭和30年代頃から徐々に廃止されていったようだ。過渡期には、「検印省略」「検印廃止」「著者との協定により検印廃止」といった印刷や、出版社印などの印刷により代用されていたが、最近ではそれすらも見かけなくなった。
【出版社印などの印刷による代用の例】

新潮社

講談社

集英社

角川書店

 
  ということで、私の手元にある本の奥付をパラパラとめくってみた。早いものでは昭和30年代前半でもすでに検印が廃止されている本がある一方で、昭和40年代に入っても押されているケースもある。同じ出版社から同じ時期に出された本でも、検印が付いていたり付いていなかったりするのは、押すかどうかは著者次第ということなのだろう(著者が出版社を信じていれば、不要ですもんね)。上で引用した東京印章協同組合のホームページには「昭和40年代頃まで」と記載されているが、手許の本を見る限りでは、30年代に廃止・省略へと順次移行していったと見て間違いなさそうだ。
 検印にもいろいろあるので、ここで山岳書籍に押されている検印をいくつか紹介したい(検印の画像をクリックすると、奥付全体を見ることができます)。
 まず「1.」は、山岳小説の金字塔、井上靖『氷壁』。奥付のど真ん中に貼った検印紙の上に「井上」と押されている。本作は1956年に新聞小説として連載されたものだが、連載当時から人気が高かったとのことなので、初版からかなりの部数を発行したのだろう。そのせいか、今でも初版本の中古価格は比較的安い。全部で何万部刷ったのかわからないが、脂の乗っていたこの時期の井上靖が自分で押していたとは思えない。誰か近しい人が押したのであろう。
 その右隣の「2.」は、安川茂雄『青い星』の検印。検印紙に「YAMAKEI」と印刷されていることからわかるように、山と渓谷社からの出版だ。検印紙も出版社ごとに特徴があって面白い。「3.」は千坂正郎『緑の誘惑』。ハーケンをあしらっているあたりが、いかにも山書を得意とした朋文堂らしいデザインだ。

1.『氷壁』
井上靖、新潮社

2.『青い星』
安川茂雄、山と渓谷社

3.『緑の誘惑』
千坂正郎、朋文堂
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 もちろん、ノンフィクション作品も検印を押したのは同じ。たとえば、「4.」は世界探検紀行全集の1冊として出された藤木九三『エヴェレスト登頂記』だが、奥付にはちゃんと「藤木」のハンコが押されている。藤木さんが押したのかなぁ〜なんて考えると、それはそれで感慨深い。
 蛇足だが、『氷壁』『エヴェレスト登頂記』の奥付を見ると、「定価」の他に「地方定価」なるものが記されおり、値段が10〜20円高くなっている。昔は「地方定価」というものがあったのだそうだ。恐らくは輸送コストを考慮しているのだろうが、この辺りにも時代を感じる。
 また、翻訳本の場合は、検印は訳者が押している。「5.」はモ−リス・エルゾーグ『処女峰アンナプルナ』。奥付には、翻訳した近藤等の検印「等」が押されている。ちなみに、「6.」の『ザイルのトップ』フリゾン・ロッシュ)は、同じ出版社から出ている近藤等訳による山岳小説だが、異なる検印が使われている。近藤さんんがどういう使い分けをしていたのかはわからないが、著者・訳者によっては、本を出すごとに新しい検印にした人もいたそうだ。押しすぎてハンコが欠けてしまい、新しくしたりといったこともあったようだ。 (※2013年4月追記 ギー・ベルザック著、河合亨訳の『ガイドの星』の検印紙にも、『ザイルのトップ』と同じハンコが押してあった。共通点は出版社が白水社だということ。出版社の印だと検印の用をなさないと思うのだが、その辺はナゾのままです・・・)

4.『エヴェレスト登頂記』
藤木九三、河出書房

5.『処女峰アンナプルナ』
近藤等、白水社

6.『ザイルのトップ』
近藤等、白水社
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 もう少し紹介しよう。「7.」は石一郎『標高八八四〇メートル』の検印。えっ!直筆!? ・・・・・。検印に代えてサインを書いた人もいたそうだが、これが直筆なのか印刷なのかはよくわからない。本作は1960年発行だが、石一郎が1964年に出した「蒼い岩壁」の奥付には、橙色の検印が押されている。とすると、本物のサインの可能性も高い。真相がどちらにしろ、サイン本だと思った方がロマンがあるので、そういうことにしておく。
 「8.」は、有馬頼義『毒薬と宰相』。山岳映画『山の讃歌』の原作である『三人の息子』が所収されている、講談社ロマン・ブックスの1冊だ。講談社の検印紙と言えば、ロッキングチェア(「10.」参照)の方が有名。デザインは異なっているのは、この頃は大日本雄弁会講談社という社名だった頃の本だからだろう。
 検印付きの昭和40年代の本はほとんど持っていないが、「9.」はその中の1冊。遠崎史朗『海上アルプス屋久島連峰』だ。そう、拙著『山岳マンガ・小説・映画の系譜』をお読み頂いた方ならおわかりだろうが、山岳マンガ『K』『しずかの山』の原作を手がけた遠崎史朗(『しずかの山』愛英史名義)が、若かりし頃に書いた本だ。

7.『標高八八四〇メートル』
石一郎、河出書房新社

8.『毒薬と宰相』
有馬頼義大日本雄弁会講談社

9.海上アルプス屋久島連峰』
遠崎史朗、雲井書店
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 最後は新田次郎だ。とりあえず3作品並べてみた。「10.」は講談社の『青い失速』、「11.」は新潮社の『冬山の掟』、「12.」は集英社の『温暖前線』。ハンコをよく見ていただきたい。出版社はまちまちだが、同じハンコが使われている。うむ・・・間違いなく新田次郎のハンコだ。真面目な新田先生のことだから、全部自分で押したかもしれない。いや、同じ作家仲間として、奥さまの藤原ていさんもいくつか押しただろう。もしかしたら、幼き日の藤原正彦さんも押しているかもしれない・・・・・。なーんて、くだらない妄想をしてしまうが、それはそれで楽しい。

10.『青い失速』
新田次郎、講談社

11.『冬山の掟』
新田次郎、新潮社

12.『温暖前線』
新田次郎、集英社
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 ちなみに、処女短編集『強力伝』の検印は「13.」の通り。中古で初版本を手に入れようと思ったのだが、あまりに高くて手が出なかったため、みんなの国立国会図書館でコピーして来たものだ。ちょっとボケているが、上の3作品とは印影が違うようだ。また、「14.」の『消えたシュプール』は直筆風の検印。でも、よく見ると印刷だとわかる。残念!新田次郎も、その時々により、いくつかの検印を使い分けていたのかもしれない。

13.『強力伝』
新田次郎、朋文堂

14.『消えたシュプール』
新田次郎、講談社
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 「検印」という制度は、もはや用済みとなってしまった時代遅れのシステム。でも、それを見ていると、著者の息遣いが感じられるような気がして、なんだか面白い。古い本をお持ちの方は、ちょっと奥付を覗いてみてはいかがだろう。意外な発見があるかもしれない。


(2012年6月3日 記)