山岳ノンフィクション(山行記)
〜詳細データ や・わ行〜
 
 
 
作 品 名
「丹沢 尊仏山荘物語」 (山岸猛男、1999年)
紹 介 文
(帯、裏表紙等)
  塔ノ岳の頂上から
終戦後まもなく独力で塔ノ岳山頂に小屋を建て、
  見守り続けた
以来40年以上の歳月を小屋番として過ごしてきた山岸猛男氏。
  丹沢の人と自然
その半生を振り返りながら、近代大衆登山の歴史と、
それにまつわるエピソードなどを生き生きと描く。
感 想 等
( 評価 : C )
 戦後間もない頃、誰もが生きるだけで精一杯だった時代、その生きるための道として「山」を選んだ男がいた。朝鮮半島に生まれ、育ち、戦争に翻弄されながら祖国に帰国。そんな混乱のなか生き方を模索する日々。そして、山が好きだったので、「山守りの仕事を、私の終生の仕事としてみたい」との思いから、丹沢塔ノ岳山頂に小さな山小屋を築く。その後、いろいろな運が味方した部分もあったが、山岸氏の粘りと行動により、尊仏山荘は丹沢には欠かせない山小屋となっていく。
 チャンスはこちらから動かないと、向こうから近付いてきてはくれない。これは、自ら動き、チャンスを手にし、好きなことに一生を打ち込んだ男の物語なのだ。
 娘夫婦が山小屋を引き継ぐ辺りの話がなんだか良い。そして、娘夫婦それぞれのエッセイが付いているところがまたいい。
名 言 等
うちを訪ねてきた学生時代の友人は、『君は山の生活でなにかを得たか』」と問う。私は即座に答える。『自然を通じて自分を見つめることができた。これが私の唯一の収穫である』と。今はもう山も遠くなってしまったが、気持ちだけは山にある。私は、今までと同じように、山に登り続けるであろう。」
私は常々思うのである。人間もまた自然の一環であるならば、その自然の中にあるのが当然なのではないだろうか、と。」
父は山での仕事がほんとうに好きだった。山というものが好きだったかどうかはわからない。しかし、嫌いでなかったことは確かであるし、丹沢という山域に限っていえば間違いなく好きであっただろう。しかし、父にとっては、やはり“山”よりも“山小屋”であったような気がするのである。」(娘のエッセイより)

 
 
 
作 品 名
「北八ッ彷徨」 (山口耀久、1961年)
紹 介 文
(帯、裏表紙等)
溢れる詩情、生き生きとしたリズムと躍動感。詩人の心をもって八ヶ岳を彷徨い歩き、うるわしき文学の世界を築き上げた珠玉の随想集。
感 想 等
( 評価 : B )
 山口氏の文章は、まず何と言っても読みやすい。そして、洗練されていて、ロマンティックで、詩情豊かな魅力的な文章だ。その意味で、山行記の部分よりもエッセイの方がより魅力的と言えよう。
 内容的には北八ヶ岳への愛情に満ち溢れており、自分だけの隠れ家、自分だけの宝物を愛でるような愛着が感じられる。今の北八ッとはだいぶ趣が異なっているのだろうが、読んでいて「行ってみたい!」という気になる。最後の「富士見高原の思い出」は山とあまり関係ないし、ちょっと要らないかなぁとも思ったが、尾崎喜八さんとの交流が出てきたあたりからは、これまた独特の味わいがある。
名 言 等
さまよい―そんな言葉がいちばんぴったりするのが、この北八ッ岳だ。」
山登りというものは、人間がふだん忘れている、いちばんたいせつな、いちばんつつましい幸福の条件というものを、よろこんで教えてくれるものだからだ。喰べることと寝ること、それにときどき歌や空想が参加すれば、ぼくらの岩小舎の幸福は完成する。ぼくの思い出もこの周辺にしかないようだ。」
僕が山に登りはじめてもう何年になるだろう。くるしかった山があり、こわかった山があり、さびしかった山があった。くるしい山やこわい山にはめったに追い返されはしなかったが、さびしい山にはときどき敗けた。敗けてかえったじぶんの弱さは、いつまでも肚にこたえた。」
きりたった線はそのてっぺんに登ってやろうという人間の本能を発揮するが、なだらかな面はそういう情熱を刺激しない。だから、北八ッの山歩きにはかならずしも頂上を必要としないのである。道のない原生林の中をさまよい歩いてよろこんだり、森の中のちいさな草原できれいな童話の夢をそだてたり、白い湖の岸辺で山のしずけさに耳をすませたり、要するに、登山というものものしい言葉よりも、山歩きとか山旅とかいうようなおとなしい言葉のほうが、このおだやかな山地にはすなおにひびく。」
山歩きというものが山麓にはじまって山稜にいたるものであるとすれば、その裾野の部分を無視して稜線のたかみだけを目的とするのは不可解なことだ。」

 
 
 
作 品 名
「小屋番三六五日」 (山と渓谷社、2008年)
紹 介 文
(帯、裏表紙等)
今度は、あの山小屋へ
行ってみようか―
山を住処とし、山を仕事場とする、小屋番たちからの便り。
『山と渓谷』において5年にわたり長期連載された、
全国の小屋番たちによる人気リレーエッセイ、待望の単行本化!
感 想 等
( 評価 : C )
 日本各地の山小屋の小屋番55人が登場し、山小屋での苦労話やエピソードを語るエッセイ集。平地では生活の基本3要素というと「衣食住」となるが、この本を読むと、山小屋では「荷揚げ・食事(水を含む)・トイレ」ではないかという気がしてくる。もちろんそれぞれが複雑に絡みあっているのだが、山小屋を作るにしても、日々の食材にしても、それを上げるのが一苦労。それから美味しい食事にこだわり、トイレ問題に頭を悩ませる。風呂の話は時折出てくるが、服装には皆頓着ない。
 基本3要素に次いでよく出てくるのが、山小屋の社会的役割ともいえる遭難への対応と、そのための登山道整備の話。改めて、山小屋って大変だなぁと思う。
 予断だが、名物小屋・名物小屋番というのがいるようで、いくつかの山小屋紹介本を読むと、共通して取り上げられる小屋・小屋番というものが存在する。それを見ると、いっそう行ってみたくなる。
名 言 等
人の喜びを自分の喜びとするのがサービス業の基本であるが、できるなら、その喜びも山が好きな人たちとともにあればいいと思った。」(ロッジ山旅/長沢洋)
父が大切にしてきたもの、父が遺してくれたもの、それは人と人のつながりであり、登山者の皆さんに愛される朝日小屋だ。」(朝日小屋/清水ゆかり)
 
 
 
 
作 品 名
「言葉ふる森」 (山と渓谷社、2010年)
紹 介 文
(帯、裏表紙等)
現代作家ら総勢29人による
「山」をめぐる、豊かな言葉の森
『山と渓谷』07年1月号〜09年3月号掲載のリレー・エッセイ「言葉ふる森」を中心に個性豊かな現代作家ら29人によるエッセイ・紀行30編
感 想 等
( 評価 : C )
 夢枕獏や谷甲州、樋口明雄など山岳小説でお馴染みの作家から、あさのあつこや万城目学など一見すると山とは関係のなさそうな作家まで、29人の作家・文学者・随筆家らによる、山に関するエッセイ集。山にどっぷり浸かっている方もいれば、生活に密着した山、たまたま経験した山などに関する出来事を語っている方など内容さまざまだが、山について語れる作家がこんなにいるんだとわかって何となく嬉しくなった。笹本稜平のエッセイが小説のイメージ通りだったり、大倉崇裕がちっともハードボイルドでなかったりと、小説とエッセイのギャップも面白い。「山と渓谷」誌に掲載されたエッセイで、ほかに篠田節子、古井由吉、池内紀、立松和平なども登場する。
名 言 等
我々人間は、他者の命を奪うことによってのみ生きながらえている業の深い存在なのだと、あらためて突きつけられ、否応なく命の意味を考えさせられる。」(熊谷達也)
謙虚に登らせていただく。いかに作家だとはいえ、山の新参者が山に関するエッセイや小説を書いてはいけない。それはベテランにのみ許された特権的な行為なのだ。そうきつく自戒していたはずなのに、気がつけば山を書いていた。」(南木佳士)
 
 
 
 
作 品 名
「作家の山旅」 (ヤマケイ文庫、2017年)
紹 介 文
(帯、裏表紙等)
明治、大正、昭和の文学者48人が遺した山にかかわるエッセー、紀行文、詩歌を集めたアンソロジー。文学を取り巻く時代背景と、登山の移り変わりの中で、作家たちは山をどのように見て、歩き、魅了されたか。文芸作品としてはもちろん、それぞれの山岳観や自然観照、登山史的背景、そして、自然を舞台とした文学鑑賞への手引書としても興味は尽きない。
感 想 等
( 評価 : B )
 これはなかなか良い。よくぞ、ここまで労力を掛けて探し出したと感心してしまう。全員著名人なので名前を挙げたら切りがないが、志賀直哉や井伏鱒二などの作家から、水原秋櫻子や草野心平などの詩人、小林秀雄や亀井勝一郎などの評論家まで48人の文豪・文学者たちの紀行文・エッセーが集められている。この人も登山をするんだ、と意外な発見もある。当時の人というのは、意外とよく山に登ったのかもしれない。深田久弥氏の名前がしばしば登場し、改めて深田さんが文壇の人だったということを認識する。登場する作家が辻邦夫と北杜夫を除くと、明治以前の生まれの方ばかりなので、タイトルで誤認する人がいないかという点だけが気掛かり。現代の作家のエッセイという意味では、「言葉ふる森」(山と渓谷社編)がそれに当たるのかもしれない。
名 言 等
眼前却下は一大傾斜をなして下っていて、其の先に巍然として雄峙している穂高は、其の壮烈儼偉な山相をムンズとばかりに示していた。ただもう巍然という言葉よりほかに形容すべき言葉はない。」(幸田露伴)
山から帰る心は浄められている。謂ゆる六根清浄である。この清く健かになった心を持って、新しく地上の生活に参加し活動する。そうして又彼の天の高きにあこがれ、登山の楽しみを今年も試みようとする。」(与謝野晶子)
身近に山の死を見分すると、私はだんぜん遭難に対して寛容になれない。『山で死ねば本望だ』という言葉を言ってもふしぎでない人間もいることは確かだが、ネコもネズミもそんな言葉を口にするのを聞くと背筋がゾモッとする。不埒である。不遜である。とにかく、山が好きな者が山で死ぬのは許せない気がする。」(北杜夫)
 
 
 
 
作 品 名
「黒部源流山小屋暮らし」 (やまと けいこ、2019年)
紹 介 文
(帯、裏表紙等)
瑞々しい感性と流麗な文体、
こころ和むイラストの数々。
深い森と水の恵みによって紡ぎ出される
山小屋の四季を鮮やかに描く。   ―― 高桑信一
感 想 等
( 評価 : C )
 イラストレーターであり、薬師沢小屋で12シーズンの間アルバイトとして働いている著者が、その経験を基に、山小屋の小屋開けから小屋閉めまでを語ったエッセイ本。山小屋本にもいろいろあり、古くは山小屋建設の苦労譚、最近では山小屋探訪系が多い印象だが、本作のような山小屋アルバイトの日常、最新事情を綴ったものは珍しいのではないかと思う。
 内容的には、山小屋での日常をコミカルに描いており、文章も読みやすい。私自身2回行ったことのある山小屋だけに、いろんな裏話にも感心しきり。イワナが飛ぶという魚飛び滝と、ヤマネを見てみたくなった。
 美大卒業とのことで絵はもちろん巧いのだが、画家というよりはイラストレーターという呼び名の方がしっくりくる感じの親しみやすい味わいのある絵。ちなみにペンネームは、やはり“山と溪谷”から付けたのだろうか。本名だったら、ちょっと面白い。
名 言 等
何が楽しいのかというと、日々に物語があるところ。毎日、いろんなことが起こり、いろんなお客さんが来て、季節が少しずつ変わっていくところ。それは山小屋でなくても起こっていることなのだけれど、それを感じることができるところ。旅に出るのではなく、旅がこちらにやって来てくれる感じ、というのが近い。」
山小屋から下りて東京に戻ってくると、電車に揺れる疲れた顔や、夜の街に輝く光の明るさに、ぼんやり思う。世の中、山小屋みたいに消灯を二十一時にすれば、みんなちゃんと寝れるのにと。そんなこといまさらできないのはわかっている。それでも夜はみんなでご飯を食べ、きちんと眠れる生活は、いいものだと思う。」
山にはその山域に関わるたくさんの人々の思いや活動、歴史がある。いま、私がここにいることも、その歴史の延長線上にいるということなのだ。山小屋で働くということは、これら先人の意思を受け継ぎ、つなげていくことなのだと、気の引き締まる思いがする。」
山小屋の暮らしはまるで旅のようだ。毎日、何が起こるかわからない。シーズンになれば、お客さんが入れ代わり立ち代わりやって来て、旅に出ずとも旅がやって来る、そんな感じだ。」
 
 
 
 
作 品 名
「垂直の記憶」 (山野井 泰史、2004年)
紹 介 文
(帯、裏表紙等)
 初めて、自らのクライミングの半生を振り返り、激しい登攀への思いと未来への夢を綴った再起への物語。

 2002年秋、山野井泰史は、ヒマラヤの難峰ギャチュン・カンに単独登頂後、下降中嵐につかまり、妻・妙子とともに決死の脱出を試みる。高所でのビバーク、雪崩の襲来、視力の減退、そして食糧も登攀具も尽きたなかで、彼らは奇跡的に生還した。こうしたこれまでの果敢な挑戦を認められて、氏は2002年度朝日スポーツ賞、第7回植村直己冒険賞を受賞した。
感 想 等
( 評価 : A )
 日本を代表するアプパイン・クライマー、常にハードな山行を追い求め続けている山野井泰史の半生記を語る自叙伝。
 それにしても、この意識やモチベーションの高さ、前向きな姿勢はどうだろう。ギャチュン・カンから奇跡の生還を果たし、手足の指10本を失ったばかりだというのに、『僕の二度目のクライミング人生は始まったばかりだ』という。ハードな山行そのものも凄いが、1つのことにここまで打ち込み、のめり込んでいける内面の強さ、意識の高さはクライミングの申し子としかいいようがない。
 今回の怪我で、これまで同様のハイレベルの登攀はできないかもしれないが、山野井氏ならまた違う形でのクライミングを作り出していくに違いない。それをこれからも見守っていきたいと思う。
名 言 等
足の痛みがまだあるのに僕は無性に登りたくなった。それには理由などない。『ただただ、手に力を入れ、足を踏ん張り岩を登りたい。高みに行きたい』それだけだった。」
僕は山を登り始めてから今まで常に、『もっと難しい壁に、もっと厳しい環境で、もっとシンプルなスタイルで』と、自分の限界を押し上げてきたつもりだ。もちろんそれは、誰かに強制されたものでもなく、僕自身が、どうしようもなく限界に挑みたくて仕方なかったからだ。確かに小さなハイキングをしているときも喜びを感じるが、やはり限界ぎりぎりの登攀をしているとき、『生きている』自分を感じられるのだ。」
はたして人は大きな夢を現実にした瞬間が最も幸せと言えるのだろうか。僕は上に向かって前進しているときが、一番幸せのような気がしてならない。」
『ビッグウォール・クライミング』なんと魅力ある言葉だろう。垂直からオーバーハングした巨大な岩壁を、何日もハンモックやポータレッジで寝泊りしながら登る。もしかしたら垂直でのビバークこそ、ビッグウォールのなかでは最も魅力的な行為かもしれない。」
山での死は決して美しいものではないし、『ロマン』という言葉の意味を抹消してしまうほどである。だからといって、アルパイン・クライマーは死を完全に取り去ることはできないし、その必要性もないと思う。世の中では安全登山ばかりを叫ぶが、本当に死にたくないならばの登らない方がよい。登るという行為は、厳しい自然に立ち向かい挑戦することなのだから、常に死の香りが漂うのだ。」
クライミングでは、死への恐怖も重要な要素であるように思える。『不死身だったら登らない。どう頑張っても自然には勝てないから登るのだ』 僕は、日常で死を感じないならば生きる意味は半減するし、登るという行為への魅力も半減するだろうと思う。」
内に秘めたものがどれだけ発揮でき、満足できたかがすべてである。なぜそんなにもモチベーションを持続できるのか疑問に思う人がいる。それについて僕自身が分析することは難しく、実際うまく答えを見出せない。なぜ子どもが遊びに夢中になり、甘いものをほしがるのか、理由がよくわからないように・・・・・。僕は空気や水のように重要で、サメが泳いでいなければ生命を維持できないように、登っていなければ生きていけないのである。」

 
 
 
作 品 名
「アルピニズムと死」 (山野井 泰史、2014年)
紹 介 文
(帯、裏表紙等)
かつて
「天国にいちばん近いクライマー」
と呼ばれた男はなぜ、
死ななかったのか
感 想 等
( 評価 : B )
 クライマー山野井泰史が、自らの過去を振り返り、山行をともにしたパートナーについて、ギャチュン・カン以降の登攀記録、2013年のアンデス・プスカントゥルパ東峰南東壁初登などについて綴っている。「ソロ」、「アルパインクライミングのためのトレーニング」、「目標を見つける」など興味深いテーマもいろいろあり、随所に見られる山野井氏らしいストレートな文章が突き刺さってくる。ギャチュン・カン以降も高いレベルのクライミングを続けている氏の凄さを改めて感じることができる1冊。ただ、「垂直の記憶」で、限界ギリギリのヒリヒリするような感覚を味わった読者にとっては、やや物足りないかもしれない。山野井入門編といったところだろうか。
名 言 等
単独で成功したときの達成感は何物にも代えがたいものです。誰の助けも得ず、全てを自力で行なうことで、登攀の思い出も、チームで登るときよりも強烈に記憶されていたのです。」
ソロは確かにリスクが高く、実際に多くの悲しい現実はありますが、僕が想像できうる、この世の最も美しいと思える行為とは、巨大な山にたった一人、高みに向けひたすら登っているクライマーの姿なのです。」
山での死は決して美しくない。でも、山に死がなかったら、単なる娯楽になり、人生をかけるに値しない。」
山登りはとても不思議で難しいゲームだ。多少危なっかしい方が面白い場合が多く、完璧な安全を求めるあまり、つまらなくする場合もある。確実な天気予報を得られ、救助を要請できる携帯電話、位置を確認できるGPSなどを含め、山登りを面白くするため、あるいは山の中だけでも賢いクライマーを保つために、あえて手放しているものも多い。」
クライマー、いや人間は便利といわれるものを使い、何かしらの能力を失い始めているかもしれない。最近はGPSを持ち歩きながら山を目指す人も多いようだ。初めて道迷いをした中学生のときの西丹沢の藪山から始まり、以来、何度となく山の中で自分の位置を見失ってきた。それでも、吹雪のなか見覚えのある場所にたどり着いた瞬間や、深い藪を抜け出し正しい道に戻れたときの喜びは、ときには頂に到達するよりも感激するものだ。禁欲的にさえ見えるかもしれないが、動物としての能力が発揮できる機会を守っていくことは、山で生き残るうえでも重要に思えてならない。」
アルピニズムは失われつつあるのだろうか。「どこまでやれるのか」は必要ではないのだろうか。古典的な考えかもしれないが、僕は、いつまでも限界に向かう道を忘れないでいたいと思っている。」

 
 
 
作 品 名
「人はなぜ山へ」 (山の本編集部、2003年)
紹 介 文
(帯、裏表紙等)
 多くの人々を惹きつけてやまない登山の魅力を作家、登山家、そして愛好家が縦横無尽に描いています。山の本1〜40巻に掲載された紀行傑作43篇を四章に分けて収載したアンソロジー。
 登山者にとって永遠のテーマ「なぜ山へ登るのか」の答えとは・・・・・。
感 想 等
( 評価 : D )
 雑誌『山の本』に掲載された紀行文を、『憧れの山』、『私が山を登る理由』、『人との出会い』、『山でのハプニング』という4つのテーマに分けてまとめたもの。志水哲也氏、田部井淳子氏、みなみらんぼう氏といった有名人から一般の登山者まで、ハイキングからクライミングまで、幅広い人達の幅広い紀行文が楽しめる。
 内容についてはそれぞれだが、個人的には『晩秋の奥黒部』、『人生の分かれ道』、『日月岩のハーケン』あたりがお気に入り。
 本そのもののタイトル『人はなぜ山へ』というのは、わかる気もするがややミスリード。タイトルに惹かれて買っただけにやや騙された感あり。



作 品 名
「バッグをザックに持ち替えて」 (唯川恵、2018年)
紹 介 文
(帯、裏表紙等)
この私が山登りなんて
語り尽くせない登山の魅力を、名手が綴った傑作山エッセイ

はじめての登山に懲りて、山なんてやめた――はずだった。それが浅間山から谷川岳、八ヶ岳そして富士山、ついにはエベレスト街道まで!何が楽しいのか?辛いのにどうしてまた登ってしまうのか?
感 想 等
( 評価 : C )
 小説家・唯川恵さんが、「小説宝石」に連載した登山に関するエッセイをまとめたもの。唯川さんと言えば、田部井淳子さんをモデルにした「淳子のてっぺん」を読んで山をやる人だと知ったが、本書を読むと意外と本格的な登山を楽しんでいるようだ。
 もともとご主人が山岳雑誌のライターをやるほど山に詳しい人で、基本的には山に詳しいリーダー(だいたいご主人)についていく山行のようだが、冬山でラッセルまでしていたので驚いた。唯川さんが登山を始めてから徐々にレベルアップしていく様子がよく分かり、登山初心者の方にとっては格好のハウツー本的な役割を果たしてくれるかもしれない。
 個人的には、やはり作家さんがどういうきっかけで山岳小説を書いたのかとか、実際の山行が作品にどう反映されるのかなど、創作の世界に繋がる話が興味深かった。。
名 言 等
こんな私でも頑張れば頂上に立つことができるんだ。ここに来るまで長かった、辛かった。それだけに嬉しかった。達成感と満足感と充実感が入り混じった、素朴でシンプルな感動に包まれた。こんな清々しい気持ちになるのは久しぶりだった。」
百回登っても毎回違う。知っているのは浅間山のほんの一部でしかない。だから飽きるどころか慣れないのだと思う。山は生き物なのだとつくづくわかる。頂上に一度立ったらその山は終わり、という登り方は、今の私にはとてももったいないと思える。二百回でも三百回でも私は浅間山に登り続けるだろう。」
小説家としてどうかと思うが「きれい〜」「すご〜い」「大きい〜」という単純な言葉しか出て来ない。でも、それでいいんだと思った。山にはそんなシンプルな感動がいちばん似合っている。山を前にしたら、みんな子供に戻ってしまう。」
ヒマラヤの山々は素晴らしい。世界の名峰であるのは間違いない。けれども日本の山も負けてはいない。標高では及ばなくても、四季に恵まれ、その時々に表情を変え、プロの山屋でも緊張を強いられるハードな山もあれば、私のようなレベルの者でも受け入れてくれる優しさがある。それが日本の山である。」



 
作 品 名
「ヒマラヤ漂流 -『神々の山嶺』へ-」 (夢枕獏、2015年)
紹 介 文
(帯、裏表紙等)
2015年3月、夢枕獏と仲間たちは聖なる山々が連なるヒマラヤを訪れた。世界最高峰エヴェレストを望む標高5000メートル超の過酷な世界。寒さと薄い空気に苦しみながらも、彼らは物語を紡ぎ、絵を描き、落語を弁じ、蕎麦を打つ。愛してやまないヒマラヤの風景を、著者自ら撮影した写真とともに綴る旅行記をはじめ、大いなる自然へ捧げる詩、小説『神々の山嶺』から抜粋した名シーンをカラーで収録する写真&エッセイ集。
感 想 等
( 評価 : C )
 映画「神々の山嶺」公開に合わせて出版された1冊。夢枕氏自身による写真と文章で構成されている。第1章は山に関する詩、第2章は映画撮影隊を訪ねてエベレストベースキャンプまで行った獏さんのヒマラヤ日記。第3章が「神々の山嶺」名シーン。
 正直、この内容、このページ数(約140P)でこの値段はちょっとコスパが悪いが、印税の一部を2015年4月のネパール大地震の義捐金に充てるとのことなので良しとしよう。
 メインはやはり第2章のヒマラヤ日記。蕎麦職人や落語家と一緒に5000m超まで出かける獏さん一行の酔狂ぶり、歌舞伎者ぶりはさすが。わずかだが登場する「神々の山嶺」映画撮影隊のこぼれ話も楽しみポイント。
名 言 等
ここ (※) からの眺めは、もはや地上のものではない。エヴェレストの頂もどんと見える。(中略)男はこういう風景の中で泣く生き物なのだ。」
(※GAMO注:カラパタール)



 
作 品 名
「アルパインクライアミング考」 (横山 勝丘、2015年)
紹 介 文
(帯、裏表紙等)
「この壁を見て登らないのは、
 クライマーとしてどうなんだ?」

舞台はアラスカ、ヒマラヤ、パタゴニア、そして日本。
本書はアルパインクライミングという<異界>への招待状である。
感 想 等
( 評価 : B )
 アルパイン・クライマー横山勝丘氏の初の著書である。第一部は、雑誌「岳人」に2011年から3年間にわたって連載した内容を修正したもの。第二部は、 その時々に各誌に寄稿・掲載した山行記や登攀記録を集めたもの。
 もはや私の想像できるレベルを遥かに超えるほどのクライミングだというのに、そこに書かれているのは、登攀の大変さや辛さ、難しさではなく、クライミングがいかに楽しかったかということばかりだ。根が楽天的な人なのだろうが、そんな横山氏ですら登攀の前日は一睡もできないというのだから、いかにハイレベルで内容の濃い充実したクライミングだったかが分かるというものだ。横山氏は、きっと一生クライミングを続けるんだろうな、一生飽きることなく高いモチベーションで登り続けるんだろうな、と思わされる。
 余談だが、横山氏はどうやって生活しているのだろう。ロストアロー社でアルバイトを始めたという記述はあるが、海外にいる期間の方が長いようなので、たいして稼げているとも思えない。かといってお金に苦労した話は微塵も出てこない。不思議なものだ。余談ついでにもうひとつ、本書は「岳人」の連載を基に、山と渓谷社から出版されている。この不可思議な現象に至った経緯は、あとがきに書かれているが、山本修二氏と萩原浩司氏だからこそ実現したのだろう。2人の情熱と寛容さにも感謝したい。
名 言 等
山で生き抜くのは、運ではない。運は、最後の最後にぼくたちが身を委ねるものなのだ。要は「運に身を任せる状況」に陥らないようにすることが肝要なのだと思う。運に身を任せるような状況=死、と考えるべきだろう。」
臆病さは大切だ。かつては、臆病=腑抜けだと思っていた。でも、そうではない。より深く山を知り、山と自分自身の位置関係を理解しているという意味なのだと思う。そうなってはじめて、本当の攻めのクライミングが可能になるのだ。」
敗退する勇気?そんなもの、臆病者の戯言にすぎない。成功の陰には必ずや「一歩踏み出す瞬間」がある。」
未知であればあるほど、想像力をはたらかせる。その部分にこそアルパインの魅力が存在する。だからこそぼくたちは未知の壁、未踏のラインを目指し、なるべく情報は得ず、残置支点を見つけても見なかったふりをして登ってきた。」
ぼくは可能なかぎり長く印象的なラインを選びたかった。それは、ぼくがパタゴニアで学んだことだ。弱点を狙う時代は過去のものだ。少なくとも手垢のついた山域では。できるかぎり<強点>を狙うことが、未踏のピークが減った現代において、アルパインを豊かにするひとつのヒントであることは疑いの余地がない。」
海外の大きな山を目指すのも、近所の裏山で新しい発見をするのも、すべて同等の行為だとぼくは思う。どちらが大事というものでもないけれど、すべてを経験してはじめて、世界の大きさを知り、自分が属するローカルを愛おしく思えるようになる。その過程の中で、また新しいアイデアとモチベーションが生まれる。そこには、可能性が泉のように湧き出ているにちがいない。」
クライミングは、決して体を動かすだけの行為ではない。人間が持っているすべての能力を駆使して、この大きな自然と対峙するのだ。限りなく広がる可能性に夢を抱けば、これから先の人生もきっと素晴らしいものになると思わないだろか。少なくとも、単純に作られたぼくの脳味噌では、ぼくの人生を豊かにするためには、この行為を続けていくこと以外によい方法が思い浮かばないのだ。」

 
 
 

作 品 名
「垂直に挑む」 (吉尾 弘、1963年)
紹 介 文
(帯、裏表紙等)
 岩壁一途に青春の情熱を注いだ著者は穂高、剣、谷川などに幾多の輝かしい記録をうちたてた。風雪きびしい岩壁にあっての限界を越えた緊張と心の傷みをつづる感動の登攀記。
感 想 等
( 評価 : B )
 戦後、社会人クライマーたちが台頭、冬期初登攀競争が繰り広げられ、奥山章を中心とする第ニ次RCCも創設された。時折りしも、日本人によるマナスル初登頂がなされ、日本全体に登山ブームが起こっていた頃。そんな時代を代表するクライマー・吉尾弘の登攀記録である。
 谷川岳一ノ倉滝沢冬期初登、北岳バットレス中央陵冬期初登など、登攀そのものの凄さは改めて言うまでもない。それに加えて興味深いことが2点ある。1つは、吉尾氏の文章が自らの感情を変に隠すことなく表現しているということ。感情的な文章ということではなく、素直な感情表現が逆に好ましい。
 もうひとつは、吉尾氏の考え方、文章が非常に理知的である点。登山・登攀というものを単なる行為だけで捉えるのではなく、理論的に、あるべき姿というものを追い求めていることがよくわかる。失礼な言い方かもしれないが、『単なるクライマー』ではないようだ。
名 言 等
完全なる登山とは、結果的に見て登れたか登れなかったかということではなく、登山行為の中に占める安全率の度合いによって計られなければならない。」
私たちは岩壁に夢を描いている。だが、一度その夢が実現すると、それは夢ではなくなる。自分で夢を破って行くのを知っていながら、なお私たちは夢を追わずにはいられないのだ。クライマーという者は、所詮気の弱いロマンチストなのかも知れない。」
登山というものは、本来個人的なものである。単独行こそ真の登山に近い。」
 
 
 
 
作 品 名
「山小屋ガールの癒されない日々」(吉玉 サキ、2019年)
紹 介 文
(帯、裏表紙等)
仕事、暮らし、恋、人間関係、そして人生への向き合いかた・・・・・
山小屋で10年働いたライターがつづる
山の上での想定外の日常!
感 想 等
( 評価 : C )
 山小屋で10年間アルバイトしていたという著者が、「cakes」というウェブサイトに連載した山小屋エッセイをまとめたもの。小屋の名前は伏せられているが、上高地から4,5時間でグループの小屋があるそうなので、槍ヶ岳山荘グループの槍沢ロッヂとか岳沢小屋あたりだろうか(勝手な推測です)。
 著者が山小屋にいたのは2018年までの10年間とのことなので、ちょうど山ガールブームの始まりと前後する感じ。内容は、山小屋の裏事情、エピソード、人間関係など、長年勤めた著者ならではのエッセイとなっている。山好きならよく知っていることも含まれているが、最近山を始めた人にとっては、興味深くて面白い知識や、知っておいて欲しいことが詰まっている。
 エッセイは山小屋に関わるものだが、結局は人に関するものが多い。たぶん著者は人間が好きなのだろう。そして、本書を読んだ人は山小屋で働いてみたいと思うことだろう。
名 言 等
山小屋は私たちにとって職場だ。好きでやっている仕事とはいえ、職場に癒される人なんているだろうか?少なくとも私は、癒しを感じたことなんて一度もない。仕事も仲間も山も好きだが、癒されはしないのだ。」
他人のために怒れる人は、怒らない人よりもよっぽど優しいと思う。」
登山は個人的な体験だ。優劣もないし、他人がどんな登山をしていても関係ないと思う。」


 
 
作 品 名
「新編・山靴の音」 (芳野 満彦、1959年)
紹 介 文
(帯、裏表紙等)
 冬山の遭難で両足指を失った著者は上高地にこもって練成し、穂高岳、剣岳などに多くの初登攀を記録し、さらにアイガー北壁への先鞭をつけ、遂に日本人初のマッターホルン北壁登攀の快挙を果たす。新編集による山の青春譜。
感 想 等
( 評価 : B )
 若き日の冬期八ヶ岳山行で足先1/3を失い、それでもめげずに初登攀ルート開拓や日本人初のマッターホルン北壁登攀を為し遂げた芳野満彦氏の記録。のっけから強烈なパンチを食らわせられる。芳野氏は強烈な自我を持ったクライマーであると同時に、優れた文章家でもあるようだ。
 同氏については、新田次郎の「栄光の岩壁」でおなじみ。小説では執念と言ってもいいほどの闘志のすさまじさに圧倒される。本書でももちろんそうした部分を感じることはできるが、自分のハンデである足についてはあまり触れないようにしている感じがする。それもまた自負の裏返しなのだろう。
 話はそれるが、本書からは山以外生活の臭いが全くしない。生活苦とか、仕事とか、そういう問題は全然なかったのだろうか?不思議である。
名 言 等
私はこの遭難記を、人に見せるためではなく、ただ私の若き日の想い出として書き残すつもりであった。しかし、これが私の机の上に載ったまま永久に塵埃のなかに埋ってしまえば、何の意味もないことになる。しかしこれが一人でも多くの人に読まれ、山の危険に対する処置を知ってもらえば、初めて価値あるものになるだろう。それにしても遭難記に喜びなどあるはずがない。もう一度書こう。これは単なる追憶に過ぎないと。」
登る前、われわれは誓い合った。『もし、われわれが六十歳まで生きながらえるとしたら、それは五十歳で返上しよう。残った十年間の全精力を、この壁に打ちこもう』と…。」
 
 
 
作 品 名
「北八ヶ岳 黒百合ヒュッテ」 (米川 正利、1992年)
紹 介 文
(帯、裏表紙等)
黒百合ヒュッテと名前は洒落ているが、初めは粗末な小屋だった。それから30余年、今では立派な山小屋になり、小屋のあるじも北八ガ岳に相応しいおやじになった。その彼が書いた山に住む動物達、訪れる登山者との交流など温かみのこもった山暮らしの記録。
感 想 等
( 評価 : C )
 本書を読んで、正直ちょっと違和感があった。というのも、山小屋を建てるというのはとてつもなく大変なことのはずだ。それを維持していくのもしかりだ。ところが本書では、冒頭、著者の母親が小屋を建てる時の話を除けば、さほど大変だったように見えない。昭和30年代、高度成長期前夜に浪人してまで大学に通い、小屋を継いでからは「金は無駄に使うな、贅沢に使え、酒も無駄に飲むな、贅沢に飲め」と諭され、山小屋経営に本腰を入れるまでに時間がかかってしまう。
 本当の所はよくわからない。小山義治氏(北穂高小屋)や手塚宗求氏(ころぼっくるひゅって)のように、己の身を削ってまで死に物狂いで小屋を作り・維持していくというのは、読者の(あるいは私自身の)勝手なイメージに過ぎないのだろうか。好意的に捉えるならば、山小屋経営が楽なわけなどなく、米川氏の明るいキャラゆえに読者にも苦労を苦労と気付かせず、飄々としているということなのかもしれない。
名 言 等
下界から登ってくる人たちのために小屋番のすべきことは、その人たちの心にゆとりを与える自然づくりであり、自然に溶け込める小屋づくりではないかと思っている。」
日本の森は荒れすぎていると思う。人々が森についてあまりにも知らなすぎ、森を理解していない人が多すぎる。昔の人はいついかなる時でも森に入り、森は生活の一部であり、生活の糧を得るところだったのに、今の人たちは森は怖いところであり、森の大切さ、森でする人間本来の生活を忘れてしまっている。」
 
 
 
作 品 名
「剱沢幻視行」 (和田 城志、2014年)
紹 介 文
(帯、裏表紙等)
冬剱 雪黒部を縦横無尽に駆け巡り、
ヒマラヤの高峰群で奮闘!
日本土着の登山とアルピニズムを融合させた
最後の“怪物登山家”が語る
風雪の峰々への限りない憧れと、
数々の闘いの記録
感 想 等
( 評価 : B )
 剱沢大滝完登・積雪期第二登、ランタン・リルン初登頂、カンチェンジュンガ縦走、マッシャーブルムとブロード・ピークの連続登攀、そして三度のナンガ・パルバット挑戦・・・・・・。冬剱・雪黒部を中心に内外の山々を駆け巡った登山家・和田城志の半生記である。
 山行記録そのものも手に汗握る素晴らしいものだが、それ以上に凄いのは筆者の山へ思いだ。それはサブタイトルにある通りまさに「山恋い」としか言いようがないもので、狂おしいほどの山への恋慕が綴られている。それだけに体力の限界で山から離れざるを得なくなった時の哀愁感が半端ない。
 そして、ロマンチックで、哲学的で、ナルシスト的な側面もある筆者の言葉は奥が深い。「光は面積で蔭は体積だ」、「沢屋は未知を、クライマーは困難を重視(する)」「私は、常識と知恵を質に入れてでも、ときめきが欲しい」。ドキリとさせられる。本書は、「岳人」に全28回連載されたものの中から、16回分をまとめたもの。
名 言 等
『何故、山に登るのか』は、言い古されてきた問いだ。先人たちはそれぞれにその答えを探った。(中略)そして、そのほとんどが失敗している。山に魅かれるわけは十人十色で、答えなどきっとないのだろう。というよりも、応える必要などないのである。しかし、人は問いたがる。『何故、女性が好きなのか』と同様、ナンセンスな問いだ。人は、普通名詞−女性、山が好きなのではない。固有名詞−Aさん、剱岳が好きなのである。」
登山の本質は、大自然の風光明媚を探勝したり、スポーツ的快感を求めたりすることではなく、未知なる処を探検することだと思った。。」
経験を積むことは、自然を理解し手なずけることではない。臆病を重ねることだ。しかし、なかなかそれが難しい。山登りにおいて素人より経験者が多く遭難する理由はそこにある。私の知っている、そして尊敬する登山家は皆山で死んでいる。それが何よりの証拠だ。無謀だから死んだのではない。死んだから無謀なのだ。」
光に輝くのは表面で、陰に沈むのは奥行きだ。光は面積で陰は体積だ。」
温暖化、種の絶滅、自然破壊は我々にとっての破壊であって、地球にとっては痛くもかゆくもない。困るのは我々であって、地球ではない。地球に優しいなどという言葉を平気で吐ける人間の奢りこそが問題なのだ。人間が地球に優しくしてもらわなければならないのに。」
沢屋は未知を、クライマーは困難を重視しながら対象を分析する。」
未知を誇示するときは探検を装っている。困難を誇示するときは冒険を装っている。」
『いかにして登るか』、結果ではなく過程こそが重要なのだ」(P147)
「黒部を越えるたびに思う。山の高さは谷の深さで際立つのだということを。」
死んだからといって、自分の能力を悔やむ必要がないように、生き延びたからといって、自分を過信してはいけない。」
それなりの登山など願い下げだ。私は常に遅れてきた登山者だったが、五大陸最高峰を登るようなミーハーではない。フロントに出る必要もなければ、パイオニアになる夢もない。ラッセルとボッカ、雪の中でただもがきたいだけなのだ。」
凍りついた岩壁や風雪の山稜のひとときが、どれだけ我々の人生を実りあるものにしてきたか。生々しい必死、無鉄砲な躍動感が恋しいのだ。前人未到、初登攀、価値、意義、そんなことはもうどうでもいい、ただ山の中でもがきたい、と思った。」
生きのびたのか死んでしまったのかは単なる偶然にすぎない。」
「私は、常識と知恵を質に入れてでも、ときめきが欲しい。」