作 品 名 | 「丹沢 尊仏山荘物語」 (山岸猛男、1999年) |
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紹 介 文 (帯、裏表紙等) |
塔ノ岳の頂上から 終戦後まもなく独力で塔ノ岳山頂に小屋を建て、 見守り続けた 以来40年以上の歳月を小屋番として過ごしてきた山岸猛男氏。 丹沢の人と自然 その半生を振り返りながら、近代大衆登山の歴史と、 それにまつわるエピソードなどを生き生きと描く。 |
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感 想 等 |
( 評価 : C ) 戦後間もない頃、誰もが生きるだけで精一杯だった時代、その生きるための道として「山」を選んだ男がいた。朝鮮半島に生まれ、育ち、戦争に翻弄されながら祖国に帰国。そんな混乱のなか生き方を模索する日々。そして、山が好きだったので、「山守りの仕事を、私の終生の仕事としてみたい」との思いから、丹沢塔ノ岳山頂に小さな山小屋を築く。その後、いろいろな運が味方した部分もあったが、山岸氏の粘りと行動により、尊仏山荘は丹沢には欠かせない山小屋となっていく。 チャンスはこちらから動かないと、向こうから近付いてきてはくれない。これは、自ら動き、チャンスを手にし、好きなことに一生を打ち込んだ男の物語なのだ。 娘夫婦が山小屋を引き継ぐ辺りの話がなんだか良い。そして、娘夫婦それぞれのエッセイが付いているところがまたいい。 |
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名 言 等 |
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作 品 名 | 「北八ッ彷徨」 (山口耀久、1961年) |
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紹 介 文
(帯、裏表紙等) |
溢れる詩情、生き生きとしたリズムと躍動感。詩人の心をもって八ヶ岳を彷徨い歩き、うるわしき文学の世界を築き上げた珠玉の随想集。 | ||||||||||
感 想 等 |
( 評価 : B ) 山口氏の文章は、まず何と言っても読みやすい。そして、洗練されていて、ロマンティックで、詩情豊かな魅力的な文章だ。その意味で、山行記の部分よりもエッセイの方がより魅力的と言えよう。 内容的には北八ヶ岳への愛情に満ち溢れており、自分だけの隠れ家、自分だけの宝物を愛でるような愛着が感じられる。今の北八ッとはだいぶ趣が異なっているのだろうが、読んでいて「行ってみたい!」という気になる。最後の「富士見高原の思い出」は山とあまり関係ないし、ちょっと要らないかなぁとも思ったが、尾崎喜八さんとの交流が出てきたあたりからは、これまた独特の味わいがある。 |
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名 言 等 |
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作 品 名 | 「小屋番三六五日」 (山と渓谷社、2008年) |
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紹 介 文 (帯、裏表紙等) |
今度は、あの山小屋へ 行ってみようか― 山を住処とし、山を仕事場とする、小屋番たちからの便り。 『山と渓谷』において5年にわたり長期連載された、 全国の小屋番たちによる人気リレーエッセイ、待望の単行本化! |
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感 想 等 |
( 評価 : C ) 日本各地の山小屋の小屋番55人が登場し、山小屋での苦労話やエピソードを語るエッセイ集。平地では生活の基本3要素というと「衣食住」となるが、この本を読むと、山小屋では「荷揚げ・食事(水を含む)・トイレ」ではないかという気がしてくる。もちろんそれぞれが複雑に絡みあっているのだが、山小屋を作るにしても、日々の食材にしても、それを上げるのが一苦労。それから美味しい食事にこだわり、トイレ問題に頭を悩ませる。風呂の話は時折出てくるが、服装には皆頓着ない。 基本3要素に次いでよく出てくるのが、山小屋の社会的役割ともいえる遭難への対応と、そのための登山道整備の話。改めて、山小屋って大変だなぁと思う。 予断だが、名物小屋・名物小屋番というのがいるようで、いくつかの山小屋紹介本を読むと、共通して取り上げられる小屋・小屋番というものが存在する。それを見ると、いっそう行ってみたくなる。 |
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名 言 等 |
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作 品 名 | 「言葉ふる森」 (山と渓谷社、2010年) |
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紹 介 文 (帯、裏表紙等) |
現代作家ら総勢29人による 「山」をめぐる、豊かな言葉の森 『山と渓谷』07年1月号〜09年3月号掲載のリレー・エッセイ「言葉ふる森」を中心に個性豊かな現代作家ら29人によるエッセイ・紀行30編 |
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感 想 等 |
( 評価 : C ) 夢枕獏や谷甲州、樋口明雄など山岳小説でお馴染みの作家から、あさのあつこや万城目学など一見すると山とは関係のなさそうな作家まで、29人の作家・文学者・随筆家らによる、山に関するエッセイ集。山にどっぷり浸かっている方もいれば、生活に密着した山、たまたま経験した山などに関する出来事を語っている方など内容さまざまだが、山について語れる作家がこんなにいるんだとわかって何となく嬉しくなった。笹本稜平のエッセイが小説のイメージ通りだったり、大倉崇裕がちっともハードボイルドでなかったりと、小説とエッセイのギャップも面白い。「山と渓谷」誌に掲載されたエッセイで、ほかに篠田節子、古井由吉、池内紀、立松和平なども登場する。 |
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名 言 等 |
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作 品 名
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「作家の山旅」 (ヤマケイ文庫、2017年)
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紹 介 文
(帯、裏表紙等) |
明治、大正、昭和の文学者48人が遺した山にかかわるエッセー、紀行文、詩歌を集めたアンソロジー。文学を取り巻く時代背景と、登山の移り変わりの中で、作家たちは山をどのように見て、歩き、魅了されたか。文芸作品としてはもちろん、それぞれの山岳観や自然観照、登山史的背景、そして、自然を舞台とした文学鑑賞への手引書としても興味は尽きない。 | ||||||
感 想 等
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( 評価 : B ) これはなかなか良い。よくぞ、ここまで労力を掛けて探し出したと感心してしまう。全員著名人なので名前を挙げたら切りがないが、志賀直哉や井伏鱒二などの作家から、水原秋櫻子や草野心平などの詩人、小林秀雄や亀井勝一郎などの評論家まで48人の文豪・文学者たちの紀行文・エッセーが集められている。この人も登山をするんだ、と意外な発見もある。当時の人というのは、意外とよく山に登ったのかもしれない。深田久弥氏の名前がしばしば登場し、改めて深田さんが文壇の人だったということを認識する。登場する作家が辻邦夫と北杜夫を除くと、明治以前の生まれの方ばかりなので、タイトルで誤認する人がいないかという点だけが気掛かり。現代の作家のエッセイという意味では、「言葉ふる森」(山と渓谷社編)がそれに当たるのかもしれない。 |
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名 言 等
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作 品 名
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「黒部源流山小屋暮らし」 (やまと けいこ、2019年)
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紹 介 文
(帯、裏表紙等) |
瑞々しい感性と流麗な文体、 こころ和むイラストの数々。 深い森と水の恵みによって紡ぎ出される 山小屋の四季を鮮やかに描く。 ―― 高桑信一 |
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感 想 等
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( 評価 : C ) イラストレーターであり、薬師沢小屋で12シーズンの間アルバイトとして働いている著者が、その経験を基に、山小屋の小屋開けから小屋閉めまでを語ったエッセイ本。山小屋本にもいろいろあり、古くは山小屋建設の苦労譚、最近では山小屋探訪系が多い印象だが、本作のような山小屋アルバイトの日常、最新事情を綴ったものは珍しいのではないかと思う。 内容的には、山小屋での日常をコミカルに描いており、文章も読みやすい。私自身2回行ったことのある山小屋だけに、いろんな裏話にも感心しきり。イワナが飛ぶという魚飛び滝と、ヤマネを見てみたくなった。 美大卒業とのことで絵はもちろん巧いのだが、画家というよりはイラストレーターという呼び名の方がしっくりくる感じの親しみやすい味わいのある絵。ちなみにペンネームは、やはり“山と溪谷”から付けたのだろうか。本名だったら、ちょっと面白い。 |
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名 言 等
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作 品 名 | 「垂直の記憶」 (山野井 泰史、2004年) |
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紹 介 文 (帯、裏表紙等) |
初めて、自らのクライミングの半生を振り返り、激しい登攀への思いと未来への夢を綴った再起への物語。 2002年秋、山野井泰史は、ヒマラヤの難峰ギャチュン・カンに単独登頂後、下降中嵐につかまり、妻・妙子とともに決死の脱出を試みる。高所でのビバーク、雪崩の襲来、視力の減退、そして食糧も登攀具も尽きたなかで、彼らは奇跡的に生還した。こうしたこれまでの果敢な挑戦を認められて、氏は2002年度朝日スポーツ賞、第7回植村直己冒険賞を受賞した。 |
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感 想 等 |
( 評価 : A ) 日本を代表するアプパイン・クライマー、常にハードな山行を追い求め続けている山野井泰史の半生記を語る自叙伝。 それにしても、この意識やモチベーションの高さ、前向きな姿勢はどうだろう。ギャチュン・カンから奇跡の生還を果たし、手足の指10本を失ったばかりだというのに、『僕の二度目のクライミング人生は始まったばかりだ』という。ハードな山行そのものも凄いが、1つのことにここまで打ち込み、のめり込んでいける内面の強さ、意識の高さはクライミングの申し子としかいいようがない。 今回の怪我で、これまで同様のハイレベルの登攀はできないかもしれないが、山野井氏ならまた違う形でのクライミングを作り出していくに違いない。それをこれからも見守っていきたいと思う。 |
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名 言 等 |
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作 品 名 | 「アルピニズムと死」 (山野井 泰史、2014年) |
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紹 介 文 (帯、裏表紙等) |
かつて 「天国にいちばん近いクライマー」 と呼ばれた男はなぜ、 死ななかったのか |
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感 想 等 |
( 評価 : B ) クライマー山野井泰史が、自らの過去を振り返り、山行をともにしたパートナーについて、ギャチュン・カン以降の登攀記録、2013年のアンデス・プスカントゥルパ東峰南東壁初登などについて綴っている。「ソロ」、「アルパインクライミングのためのトレーニング」、「目標を見つける」など興味深いテーマもいろいろあり、随所に見られる山野井氏らしいストレートな文章が突き刺さってくる。ギャチュン・カン以降も高いレベルのクライミングを続けている氏の凄さを改めて感じることができる1冊。ただ、「垂直の記憶」で、限界ギリギリのヒリヒリするような感覚を味わった読者にとっては、やや物足りないかもしれない。山野井入門編といったところだろうか。 |
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名 言 等 |
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作 品 名 | 「人はなぜ山へ」 (山の本編集部、2003年) |
紹 介 文 (帯、裏表紙等) |
多くの人々を惹きつけてやまない登山の魅力を作家、登山家、そして愛好家が縦横無尽に描いています。山の本1〜40巻に掲載された紀行傑作43篇を四章に分けて収載したアンソロジー。 登山者にとって永遠のテーマ「なぜ山へ登るのか」の答えとは・・・・・。 |
感 想 等 |
( 評価 : D ) 雑誌『山の本』に掲載された紀行文を、『憧れの山』、『私が山を登る理由』、『人との出会い』、『山でのハプニング』という4つのテーマに分けてまとめたもの。志水哲也氏、田部井淳子氏、みなみらんぼう氏といった有名人から一般の登山者まで、ハイキングからクライミングまで、幅広い人達の幅広い紀行文が楽しめる。 内容についてはそれぞれだが、個人的には『晩秋の奥黒部』、『人生の分かれ道』、『日月岩のハーケン』あたりがお気に入り。 本そのもののタイトル『人はなぜ山へ』というのは、わかる気もするがややミスリード。タイトルに惹かれて買っただけにやや騙された感あり。 |
作 品 名
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「バッグをザックに持ち替えて」 (唯川恵、2018年)
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紹 介 文
(帯、裏表紙等) |
この私が山登りなんて 語り尽くせない登山の魅力を、名手が綴った傑作山エッセイ はじめての登山に懲りて、山なんてやめた――はずだった。それが浅間山から谷川岳、八ヶ岳そして富士山、ついにはエベレスト街道まで!何が楽しいのか?辛いのにどうしてまた登ってしまうのか? |
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感 想 等
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( 評価 : C ) 小説家・唯川恵さんが、「小説宝石」に連載した登山に関するエッセイをまとめたもの。唯川さんと言えば、田部井淳子さんをモデルにした「淳子のてっぺん」を読んで山をやる人だと知ったが、本書を読むと意外と本格的な登山を楽しんでいるようだ。 もともとご主人が山岳雑誌のライターをやるほど山に詳しい人で、基本的には山に詳しいリーダー(だいたいご主人)についていく山行のようだが、冬山でラッセルまでしていたので驚いた。唯川さんが登山を始めてから徐々にレベルアップしていく様子がよく分かり、登山初心者の方にとっては格好のハウツー本的な役割を果たしてくれるかもしれない。 個人的には、やはり作家さんがどういうきっかけで山岳小説を書いたのかとか、実際の山行が作品にどう反映されるのかなど、創作の世界に繋がる話が興味深かった。。 |
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名 言 等
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作 品 名
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「ヒマラヤ漂流 -『神々の山嶺』へ-」 (夢枕獏、2015年)
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紹 介 文
(帯、裏表紙等) |
2015年3月、夢枕獏と仲間たちは聖なる山々が連なるヒマラヤを訪れた。世界最高峰エヴェレストを望む標高5000メートル超の過酷な世界。寒さと薄い空気に苦しみながらも、彼らは物語を紡ぎ、絵を描き、落語を弁じ、蕎麦を打つ。愛してやまないヒマラヤの風景を、著者自ら撮影した写真とともに綴る旅行記をはじめ、大いなる自然へ捧げる詩、小説『神々の山嶺』から抜粋した名シーンをカラーで収録する写真&エッセイ集。 | ||
感 想 等
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( 評価 : C ) 映画「神々の山嶺」公開に合わせて出版された1冊。夢枕氏自身による写真と文章で構成されている。第1章は山に関する詩、第2章は映画撮影隊を訪ねてエベレストベースキャンプまで行った獏さんのヒマラヤ日記。第3章が「神々の山嶺」名シーン。 正直、この内容、このページ数(約140P)でこの値段はちょっとコスパが悪いが、印税の一部を2015年4月のネパール大地震の義捐金に充てるとのことなので良しとしよう。 メインはやはり第2章のヒマラヤ日記。蕎麦職人や落語家と一緒に5000m超まで出かける獏さん一行の酔狂ぶり、歌舞伎者ぶりはさすが。わずかだが登場する「神々の山嶺」映画撮影隊のこぼれ話も楽しみポイント。 |
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名 言 等
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作 品 名
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「アルパインクライアミング考」 (横山 勝丘、2015年)
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紹 介 文
(帯、裏表紙等) |
「この壁を見て登らないのは、 クライマーとしてどうなんだ?」 舞台はアラスカ、ヒマラヤ、パタゴニア、そして日本。 本書はアルパインクライミングという<異界>への招待状である。 |
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感 想 等
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( 評価 : B ) アルパイン・クライマー横山勝丘氏の初の著書である。第一部は、雑誌「岳人」に2011年から3年間にわたって連載した内容を修正したもの。第二部は、 その時々に各誌に寄稿・掲載した山行記や登攀記録を集めたもの。 もはや私の想像できるレベルを遥かに超えるほどのクライミングだというのに、そこに書かれているのは、登攀の大変さや辛さ、難しさではなく、クライミングがいかに楽しかったかということばかりだ。根が楽天的な人なのだろうが、そんな横山氏ですら登攀の前日は一睡もできないというのだから、いかにハイレベルで内容の濃い充実したクライミングだったかが分かるというものだ。横山氏は、きっと一生クライミングを続けるんだろうな、一生飽きることなく高いモチベーションで登り続けるんだろうな、と思わされる。 余談だが、横山氏はどうやって生活しているのだろう。ロストアロー社でアルバイトを始めたという記述はあるが、海外にいる期間の方が長いようなので、たいして稼げているとも思えない。かといってお金に苦労した話は微塵も出てこない。不思議なものだ。余談ついでにもうひとつ、本書は「岳人」の連載を基に、山と渓谷社から出版されている。この不可思議な現象に至った経緯は、あとがきに書かれているが、山本修二氏と萩原浩司氏だからこそ実現したのだろう。2人の情熱と寛容さにも感謝したい。 |
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名 言 等
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作 品 名 | 「垂直に挑む」 (吉尾 弘、1963年) |
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紹 介 文 (帯、裏表紙等) | 岩壁一途に青春の情熱を注いだ著者は穂高、剣、谷川などに幾多の輝かしい記録をうちたてた。風雪きびしい岩壁にあっての限界を越えた緊張と心の傷みをつづる感動の登攀記。 | ||||||
感 想 等 |
( 評価 : B ) 戦後、社会人クライマーたちが台頭、冬期初登攀競争が繰り広げられ、奥山章を中心とする第ニ次RCCも創設された。時折りしも、日本人によるマナスル初登頂がなされ、日本全体に登山ブームが起こっていた頃。そんな時代を代表するクライマー・吉尾弘の登攀記録である。 谷川岳一ノ倉滝沢冬期初登、北岳バットレス中央陵冬期初登など、登攀そのものの凄さは改めて言うまでもない。それに加えて興味深いことが2点ある。1つは、吉尾氏の文章が自らの感情を変に隠すことなく表現しているということ。感情的な文章ということではなく、素直な感情表現が逆に好ましい。 もうひとつは、吉尾氏の考え方、文章が非常に理知的である点。登山・登攀というものを単なる行為だけで捉えるのではなく、理論的に、あるべき姿というものを追い求めていることがよくわかる。失礼な言い方かもしれないが、『単なるクライマー』ではないようだ。 |
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名 言 等 |
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作 品 名
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「山小屋ガールの癒されない日々」(吉玉 サキ、2019年)
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紹 介 文
(帯、裏表紙等) |
仕事、暮らし、恋、人間関係、そして人生への向き合いかた・・・・・ 山小屋で10年働いたライターがつづる 山の上での想定外の日常! |
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感 想 等
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( 評価 : C ) 山小屋で10年間アルバイトしていたという著者が、「cakes」というウェブサイトに連載した山小屋エッセイをまとめたもの。小屋の名前は伏せられているが、上高地から4,5時間でグループの小屋があるそうなので、槍ヶ岳山荘グループの槍沢ロッヂとか岳沢小屋あたりだろうか(勝手な推測です)。 著者が山小屋にいたのは2018年までの10年間とのことなので、ちょうど山ガールブームの始まりと前後する感じ。内容は、山小屋の裏事情、エピソード、人間関係など、長年勤めた著者ならではのエッセイとなっている。山好きならよく知っていることも含まれているが、最近山を始めた人にとっては、興味深くて面白い知識や、知っておいて欲しいことが詰まっている。 エッセイは山小屋に関わるものだが、結局は人に関するものが多い。たぶん著者は人間が好きなのだろう。そして、本書を読んだ人は山小屋で働いてみたいと思うことだろう。 |
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名 言 等
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作 品 名 | 「新編・山靴の音」 (芳野 満彦、1959年) |
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紹 介 文 (帯、裏表紙等) | 冬山の遭難で両足指を失った著者は上高地にこもって練成し、穂高岳、剣岳などに多くの初登攀を記録し、さらにアイガー北壁への先鞭をつけ、遂に日本人初のマッターホルン北壁登攀の快挙を果たす。新編集による山の青春譜。 | ||||
感 想 等 |
( 評価 : B ) 若き日の冬期八ヶ岳山行で足先1/3を失い、それでもめげずに初登攀ルート開拓や日本人初のマッターホルン北壁登攀を為し遂げた芳野満彦氏の記録。のっけから強烈なパンチを食らわせられる。芳野氏は強烈な自我を持ったクライマーであると同時に、優れた文章家でもあるようだ。 同氏については、新田次郎の「栄光の岩壁」でおなじみ。小説では執念と言ってもいいほどの闘志のすさまじさに圧倒される。本書でももちろんそうした部分を感じることはできるが、自分のハンデである足についてはあまり触れないようにしている感じがする。それもまた自負の裏返しなのだろう。 話はそれるが、本書からは山以外生活の臭いが全くしない。生活苦とか、仕事とか、そういう問題は全然なかったのだろうか?不思議である。 |
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名 言 等 |
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作 品 名
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「北八ヶ岳 黒百合ヒュッテ」 (米川 正利、1992年)
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紹 介 文
(帯、裏表紙等) |
黒百合ヒュッテと名前は洒落ているが、初めは粗末な小屋だった。それから30余年、今では立派な山小屋になり、小屋のあるじも北八ガ岳に相応しいおやじになった。その彼が書いた山に住む動物達、訪れる登山者との交流など温かみのこもった山暮らしの記録。 | ||||
感 想 等
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( 評価 : C ) 本書を読んで、正直ちょっと違和感があった。というのも、山小屋を建てるというのはとてつもなく大変なことのはずだ。それを維持していくのもしかりだ。ところが本書では、冒頭、著者の母親が小屋を建てる時の話を除けば、さほど大変だったように見えない。昭和30年代、高度成長期前夜に浪人してまで大学に通い、小屋を継いでからは「金は無駄に使うな、贅沢に使え、酒も無駄に飲むな、贅沢に飲め」と諭され、山小屋経営に本腰を入れるまでに時間がかかってしまう。 本当の所はよくわからない。小山義治氏(北穂高小屋)や手塚宗求氏(ころぼっくるひゅって)のように、己の身を削ってまで死に物狂いで小屋を作り・維持していくというのは、読者の(あるいは私自身の)勝手なイメージに過ぎないのだろうか。好意的に捉えるならば、山小屋経営が楽なわけなどなく、米川氏の明るいキャラゆえに読者にも苦労を苦労と気付かせず、飄々としているということなのかもしれない。 |
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名 言 等
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作 品 名
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「剱沢幻視行」 (和田 城志、2014年)
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紹 介 文
(帯、裏表紙等) |
冬剱 雪黒部を縦横無尽に駆け巡り、 ヒマラヤの高峰群で奮闘! 日本土着の登山とアルピニズムを融合させた 最後の“怪物登山家”が語る 風雪の峰々への限りない憧れと、 数々の闘いの記録 |
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感 想 等
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( 評価 : B ) 剱沢大滝完登・積雪期第二登、ランタン・リルン初登頂、カンチェンジュンガ縦走、マッシャーブルムとブロード・ピークの連続登攀、そして三度のナンガ・パルバット挑戦・・・・・・。冬剱・雪黒部を中心に内外の山々を駆け巡った登山家・和田城志の半生記である。 山行記録そのものも手に汗握る素晴らしいものだが、それ以上に凄いのは筆者の山へ思いだ。それはサブタイトルにある通りまさに「山恋い」としか言いようがないもので、狂おしいほどの山への恋慕が綴られている。それだけに体力の限界で山から離れざるを得なくなった時の哀愁感が半端ない。 そして、ロマンチックで、哲学的で、ナルシスト的な側面もある筆者の言葉は奥が深い。「光は面積で蔭は体積だ」、「沢屋は未知を、クライマーは困難を重視(する)」「私は、常識と知恵を質に入れてでも、ときめきが欲しい」。ドキリとさせられる。本書は、「岳人」に全28回連載されたものの中から、16回分をまとめたもの。 |
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名 言 等
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