山岳ノンフィクション(山行記)
〜詳細データ・ま行〜
 
 
 
 
作 品 名
「牧野富太郎と、山」 (牧野富太郎、2023年)
紹 介 文
(帯、裏表紙等)
日本の植物学の父・牧野富太郎氏は植物を観察・採集するために日本各地の山々を訪れ、そのときの様子をエッセイに残した。幼少期の佐川の山での出来事を綴る「狐のヘダマ」、植物を追い求めるあまり危うく遭難しかけた「利尻山とその植物」、日本各地の高山植物の魅力を存分に語る「夢のように美しい高山植物」など山と植物にまつわる35のエッセイを選出。エッセイに登場する山のデータも収載し、牧野富太郎が登った山を訪ねるガイドとしても楽しめる。解説/梨木香歩。(文庫本裏の解説文より)
感 想 等
( 評価 : C)
 明治から大正、昭和にかけて植物学者としてフィールドワークに情熱を注いだ牧野富太郎のエッセイの中から、山が関連するものを集めたエッセイ集。今回本書が編まれたきっかけは、もちろん彼を主人公にしたNHK朝の連続テレビ小説「らんまん」の影響(2023年4〜9月放送)。
 植物学というものが何を研究する学問なのかよく知らないが、本書に載っているエッセイでは、取り上げた植物の特徴、生態、分布などや名前の由来、過去の研究・文献の内容などについて語っている。専門書ならまだしも、単なる旅日記的は文章でもそうした話が中心なので、とにかく何をしていても植物に対する関心が常に頭の中を占めているのだろう。興味深いのは、古くは日本書紀や万葉集から江戸時代の文献まで出てくること。その植物がいつ頃から日本人に親しまれていたとか、当時どのように呼ばれていたとか、そういうことまで植物学の範疇とはしらなかった。
 本書の文章はエッセイということもあってか読みやすい。中には、無邪気に素直な思いが書かれている箇所もある。「漫談・火山を割く」などは、関東大震災にもう1度逢いたいとか富士山大爆発に期待するなどと不謹慎極まりない記述もあるが、宝永山を取り除いて富士山の形を良くしたいとか、小室山を半分に縦割りして観光客を集めるなど、発想そのものは非常に面白い。
 タイトルに「牧野富太郎と、山」とある通り、この植物はどこそこの山の多く生えているなど「山」に関連したエッセイを集めているものの、「登山」という形で出てくるものは少ない。利尻山と白馬岳くらいだろうか。タイトルとカバー表紙から登山を期待すると、肩透かしを食らいかねない。
名 言 等
私は飯よりも女よりも好きなものは植物ですが、しかしその好きになった動機というものは実のところそこに何にもありません。つまり生まれながらに好きであったのです。」
 
 
 
作 品 名
「ミニヤコンカ奇跡の生還」 (松田 宏也、1983年)
紹 介 文
(帯、裏表紙等)
神よ、晴れてくれ!そんな願いもむなしく、山頂を目前に悲劇の幕は落とされた。飢え、凍傷、そして仲間の死。ズタズタに傷ついた肉体を引きずりながら、松田宏也は孤独の下山を続ける。1982年5月、下山を決意してから19日目、生死の縁をさまよいながらも、奇跡的に救出されるまでを描いた迫真のドキュメント。
感 想 等
( 評価 : B)
 氷雪のミニヤコンカで、仲間が疲労凍死したと判断してから2週間ほどかけて奇跡の生還。凍傷で両手・両足を失ってしまうほどの過酷な状況の中を生きて帰ってきた。それはもう壮絶としか言い様がない。生きようとする人間の執念以外のなにものでもない。
 著者や遭難死した菅原氏の技術・経験は私には判断する術もないが、サポート隊のレベルがもう少し高かったら、違った展開になっていたかもしれないとも思う。しかし、本書はそうした遭難の原因を云々する書ではもちろんない。1人の男の生き様、生に向けた叫び声が聞こえてくる、そんな1冊だ。
名 言 等
極論すれば、山登りの戦略に『安全』を持ち込むことは、登る前から登頂の『断念』、したがって、登攀の『失敗』を予測するようなものだ。『安全な登攀』なんてありえない。ありうるのは『確実な登攀』である。」
落ちる、落ちる・・…と予感を働かせながら、自分の手と足だけを頼りにグレードの高い岸壁を突破していくのでなければ、命を守る技術は身につかない。」
やっぱり、山は僕から捨てられない。生きているかぎり、僕は、山から遠ざかれない。山は、僕にとって、趣味ではない、生きがいだった。」
 
 
 
作 品 名
「風雪のビヴァーク」 (松濤 明、1960年)
紹 介 文
(帯、裏表紙等)
「一月六日 フーセツ 全身硬ッテ力ナシ…」。
凍える指先で綴られた手帳の文字は、行動記録から、やがて静かに死を待つ者の遺書へと変わってゆく。
迫り来る自らの死を冷静に見つめた最後の文章は、読む者の心をつかんで離さぬことだろう。
この壮絶な遺書のみがクローズアップされがちな同書だが、本書では山岳史研究家の遠藤甲太氏が解説を加え、人間・松濤明の素顔と、氏の登攀史上の業績を明らかにする。
感 想 等
( 評価 : B)
 言わずとしれた登歩渓流会・松濤氏の遺稿集。その鮮烈な遺書はあまりにも有名であり、何度読んでもその強烈さは薄れることがない。本書はその遺書を含む松濤氏の山行記録が、10代の頃から全て収められている。
 山行の凄さは時代背景を理解しないと分かりにくい部分はあるが、本書の中には、松濤氏の強烈な個性、複雑な自負心・自尊心、気の強さなどが覗いているとともに、ピークハントや山を想う心、極地法など登山に対するこだわり・信念が貫かれている。早逝の惜しまれる登山家の一人である。
名 言 等
あの白く輝く岳の奥から鄙びた不可思議な旋律が風に乗って伝わってくる。それが無性に私を引きつける。これを見、あれを聞く時、山へ行くのが苦しいから山へ行くのでなく、また楽しいから行くのでもない。純粋に『一つのものを作り上げること』のみを目指して山へ入れるような、氷のような山男となることのいかに困難であるかをしみじみと感ずるのだ。」
今日の登頂は唯一のものであり二度と得られぬ一刻である、と言ってもそれを繋ぎ止める術はない。」
嶮しいところを登るのが悪いと私は言っているのではない。より困難なルートを登れるものなら、どんな困難なルートでも登ってくれ。だがそのルートの終りには必ず頂きがあり、ルートとして独自に評価されるものでなく、その頂のより魅力的な道程であることを忘れないでくれ。」
山の持つ美への渇仰――、山の美に憧れ、しかもそれの遠見に満足せず、もっと端的にその真っ只中へ飛び込んで一つに相解かれたいと願う心――、これこそ人間を駆って山へ向わせる原動力だ。」
 
 
 
作 品 名
「初登攀行」 (松本 竜雄、1966年)
紹 介 文
(帯、裏表紙等)
 氷雪の谷川岳一ノ蔵沢に、悪絶の穂高滝谷に、辛苦と研鑽を重ねてかちえた栄光の初登攀のかずかず ― 登山とは何か、人生とは何であるかを切々と語りかける岩壁の青春の記録。
感 想 等
( 評価 : C)
本書のタイトルそのままに、雲表倶楽部の松本竜雄氏が、日本各所の初登攀をものしていった、その記録である。あくことのない初登攀に賭ける意欲、欲求は、一種、麻薬のようでもあり、その一方でいくら攀っても満たされない空虚感を抱えている。そのアンバランスな心の様が浮き彫りにされている。登攀そのものの栄光よりも、過酷さを自分に課すことで自己を確かめ、結果として栄光の高みへと駆けて行った男の、青春の記として読み応えがある。よく知られた話ではあるが、埋め込みボルトの使用に係る複雑な心情吐露は、察して余りある。
名 言 等
名 言 等
GPSを持っていけば解決するのだろうが、自分の居場所とその先に進む目的地が正確に分かってしまうということは、登山の楽しみを大きく奪う。」
装備や技術が未発達な40〜50年前ならいざ知らず、今の時代に生きる登山者は自然に対してもっとフェアであるべきなのだ。」
私は、この“人類にとっての”という部分が重要だと思っている。人類にとって初めて行われた挑戦的行為と、その個人にとってみれば初めての挑戦的な行為とを、同じ「冒険」というカテゴリーに入れてしまっているから誤解が生まれる。」
何パーセントかの確率で起こり得る死、それを覚悟して挑んだ登攀には、たとえ死線にどれだけ近づいたとしてもほどよい高揚感がある。自分の能力では足りず、想像を上回る自然の驚異によって生命が危険にさらされ、結果死んだとしても、事前に覚悟があればその責任を自分のものとすることができる。それが間違った行為ではないという信念があるから、どんな過酷な状況でも冷静に受け止められる。」
山に自殺をしに行くわけではないが、生と死の境界線に立つことによって生の実感が湧く。死と隣り合わせのギリギリのところで自然の内院に入り込み、なおかつそこに、自分だけの何かを残したいのだ。登山とは、狂気を孕んだ表現活動なのだ。」
 
 
 
作 品 名
「穂高小屋番レスキュー日記」 (宮田 八郎、2019年)
紹 介 文
(帯、裏表紙等)
誰よりも穂高を愛し、穂高に暮らし、仲間とともに多くの遭難者を救助。漫画『岳』の宮川三郎のモデルとなった熱血漢。穂高岳山荘元支配人・宮田八郎の遺稿集。
感 想 等
( 評価 : B)
 全国に名物小屋番と言われる人は何人もいるが、本書の著者・宮田八郎もその一人であろう。30年以上の長きに亘って穂高岳山荘で暮らし、登山者の世話はもちろん、レスキュー活動を続けてきた宮田氏。彼がなぜ名物小屋番と言われていたのか、本書を読めばすぐに分かるだろう。しかしながら、宮田さんは2018年4月に不慮の事故で亡くなっており、残念ながら遺稿集となった。本書は、もともと本にまとめるために書いていた原稿に、ブログの記事や雑誌への寄稿などを合わせて、1冊の本にまとめたものだ。
 感想を一言で言うならば、飾らない素直な言葉で、思ったままの気持ちが綴られているとの印象。穂高岳山荘での救助活動の実態や、その時々で感じた思いが記されているが、ヒロイックな救助活動も、多くの救えなかった命への思いも、時に存在した態度の悪い登山者の話も、変に美化したり感傷的になったりすることなく、笑いを交えながらも訥々と語っている。たぶん、ちょっと不器用だけれど、飾らない素直な人柄がそのまま出ているのであろう。文章そのものも非常に読みやすい。
 マンガ「岳」に、著者をモデルにした宮川三郎という愛すべきキャラが登場するが、その風貌もお茶目なキャラも、本人そのものなのであろう。本書には、穂高岳山荘の今田英雄、東方航空の篠原秋彦や関根理、涸沢ヒュッテの山口孝なども登場しており、穂高における遭難救助の歴史ともなっている。
名 言 等
そもそも標高三〇〇〇メートルの世界というのは、およそ人間の日常生活が許されない環境です。その自然の猛威の中で小屋を維持していくことそのものが、山小屋の仕事の大半です。」
『命懸けで救助』というフレーズもぼくには引っかかります。少なくともぼくはレスキューに命なんて懸けないし、懸けようと思ったこともありません。われわれは穂高で人を救うことにかけてはプロフェッショナルです。レスキューのたびに命なんか懸けていてはやっていられません。ただし山という存在を相手にする以上、時として予想もしない状況に陥るかもしれないこと、避け得ない不確定要素が存在すること、そして間違いなく自分たちが危険な作業をやっているのだということを常に心に刻んではいます。結果として『命が懸かってしまった』ことはあるかもしれないけれど、それですらぼくは織り込み済みでした。」
出動要請を受けたぼくがまずやったのは、洗ったばかりのドンブリに飯を盛り、卵かけごはんにしてワシャワシャとかっ食らうことでした。『救助に出るときはまずメシを食え!』というのは、小屋の先輩たちから教わった鉄則です。腹が減ってはなんとやらで、事に当たるに際して腹ごしらえをすることはとても大切なのです。」
ぼくは山での死というものを多く見てきました。それは無残で悲惨なものです。なので、人は決して山で死んではいけないとの思いを強く持っています。それは救助に係る者の誰もが抱く思いです。」
 
 
 
作 品 名
「島のてっぺんから島を見る」 (向 一陽、1999年)
紹 介 文
(帯、裏表紙等)
島を訪ね、山に登り、その頂から島の未来を考える
周囲に無数の島々が存在する島国・日本。その最北の礼文島から最南の西表島まで全国27の島を訪ね、その代表的な山に登り、島を俯瞰する。
感 想 等
( 評価 : C)
 本のタイトル通り、島へ渡ってその島の最高峰に登り、山頂から山を、島を、海を見渡す紀行本なのだが、それだけではない。というか、島の山に登ること自体が目的なはずのに、なぜか登山はおまけに近い。
 それぞれの島にはその島ならではの歴史があり、自然があり、文化がある。そして、そこで日々生活する人々がいる。そうした島の息吹を感じながら山に登る。その中で、島の人々と交流し、島の歴史や文化を理解して慈しみ、その裏返しとしての、自然破壊等の環境問題への懸念・反発、公共工事批判などが一貫して語られている。
 著者の感性が素晴らしい。それは読んで味わって頂ければ良いと思うが、個人的に一番共感したのは「島へはなるべく船で渡りたい。水平線の山が藪山でも、できれば島へは船で渡って、その最高峰に登りたい」というセリフ。すごく分かる。島を味わうには、まずそこからだと思う。
 著者は、アタカマ高地やアマゾン、南極など世界各地で探検や登山を重ねて来た人。そんな凄い自然をたくさん見てきたような人から見ても、日本の島ならではの良さ、面白さがあるのだろう。島に行きたくなる本だ。
名 言 等
てっぺんに立って、見える見えると喜ぶのは山登りの原点だろう。山のてっぺんに立って見渡せば、改めて住んでいる土地の美しさもわかる。土地への愛着も生まれる。」
島はどこも、実際に来てみると、思っていたのよりずっと大きい。」
山登りは死と隣り合わせだ。たとえハイキングでも、本人が気づかないだけで、死はすぐそこにある。生き残っているのは、たまたま運が良かっただけである。教養、謙虚さを心がけていないと、そのあたりが見えない。教養のない山登り集団はただの自然破壊集団だ。」
日本列島の基礎は島である。島を大事にしなければいけない。島の一つ一つに日本民族と日本の自然の歴史が象徴的な形でつまっている。夢、ロマン、挫折、現代では過疎、乱開発、環境汚染、そういったものが、非常にわかりやすい形でつまっている。」
 
 
 
作 品 名
「登って写して酔いしれて」 (武藤 昭、2007年)
紹 介 文
(帯、裏表紙等)
 白く磨かれた未踏の大岩壁(明星山)を盟友の佐内順と発見したのは、高校一年の秋だった。初登攀争いから始まる怒濤の山岳人生は、国内はもとより世界各地の有名山岳やメスナーなど岳人を取材する山岳写真家として結実する。映画「マークスの山」の撮影現場、NHKやTBSテレビの山岳映像撮影現場、多数の雑誌に発表した作品をめぐる裏話を吐露した実録の数々。
感 想 等
( 評価 : C)
 60年代半ばから山岳映像カメラマン一本で生きてきた武藤昭の半生記、自伝である。高度経済成長に入っていたとはいえ、まだまだ海外に行くにはいろいろな制約があったであろう時代から、これだけ海外山行に多く出かけていること、山岳カメラマンだけで食べていたことなどが、何の苦労もなかったかのごとく描かれている点に驚く。また、取材・仕事が絡んでいるケースもあるものの、内外の有名人とこれほど簡単に知り合いになっている点も驚き。国内では上田哲農、奥山章、近藤等などが登場し、海外でもラインホルト・メスナーやクライマーのイボン・シュイナード、ブッシュ・パイロットのドン・ショルダンなどが普通に登場する。
 本書全体の印象としては、話の大半が山関連であるにも係らず、山行記でないせいか、思ったよりも山の本という感じがしない。残念な点としては、ごくたまに説明不足な展開があったり、わざと難解な言い回しを使っていたりすることがあり、やや一人よがりな印象を受ける箇所があり、そこだけが気になった。
名 言 等
国際線の座席に沈み、長かった旅を漫然と考える。いろんな心と出会い、別れた。その度にお前が何を表現し、何をしたいかを相手から確かめられた。初登攀の岩登りにも似て、外国の一人旅は覚醒の旅。己の思うことをストレートに表現しない者は敗け、より強く前に進めば新しい道が拓ける。」
 
 
 
作 品 名
「四度目のエベレスト」 (村口 徳行、2005年)
紹 介 文
(帯、裏表紙等)
 聖なる山エベレスト。天と地を結ぶ最初の接点。天の意志が初めに降り立つ場所。
 だが、ここは、デスゾーンと呼ばれる死の領域。空気中の酸素量が下界の三分の一で、いきなりその高度に上がれば、人間は三分で意識をなくすし、10分そのままだと死亡する―とされる場所でもある。
 そんな高所を職場にした男がいる。22歳の時からカメラを担いで登り始め、気がつけば、四度目のエベレスト登頂を果たしていた。
 年間平均100日ほどをヒマラヤで暮らし、各国登山隊の実情や変貌を観察しつづけてきたカメラマン登山家が今綴る“エベレストの真実”。
感 想 等
( 評価 : C)
 カメラマンとして、エベレストの山頂に立つこと四度。単純にその山頂に達するだけでも大変なことなのに、カメラ機材を担ぎ、ある意味余計な作業・動作をしながら登ってゆくのだから、その大変さたるや想像を超えている。しかし村口氏は、クライマーとしての野心や挑戦欲を持ちつつも、常に職業人としての高い意識と責任感を忘れずに望んでいる。これぞプロって感じですね。
 内容的には、登山・クライミングそのものの凄さを語るものではないので、その部分の迫力には欠けるが、カメラマンならではの視点が盛り込まれており、他の山行記とは異なった面白さがある。
名 言 等
山登りは、自分の内なる夢想の具現化だと僕は思う。したがって、どの山を登るのかという山選びから始まるわけだが、僕にいわせれば、そこに未知性に根ざすロマンが含まれるものだ。だから、僕は、たくさんの人が歩いたノーマルルート、ポピュラールートにはさほどの興味が湧かず、たとえむずかしくても独自のルートで登れないかと考えてしまう。」
クライミングの根底には必ずといっていいほど人とは違うこだわりがあって、それこそがアドベンチャーだった。もっと簡単にいってしまえば、人と違うことがかっこいいのだ。登山にもオリジナリティというものがあり、それが僕の望む登山だからだ。未踏峰の初登攀などはほとんど願えないこの時代、山に対する価値観は少しずつ変化せざるを得ないのだが、未知性や独自性にこだわる視点から山を見る姿勢は、変わってほしくないと思っている。」
あの『何故登るのか?』の問いには、万人が納得できる答などないのだが、たまには胸の内で自問しておくのは悪くない。そうでなければ、高所登山に費やされる莫大なエネルギーの意味や、高度順化の本質的な意味や、なし遂げた登頂の意味といったものが、自分の内側に刻まれやしない。少なくとも我々は、世にひけらかすために登っているのではないはずだ。」
人にはそれぞれの挑戦がある。そこでどれだけのことができるのか、驚異の自然環境にどこまで迫れるのか・・・・・・それが、僕のエベレストへの挑戦なのだろう。」