山岳ノンフィクション(山行記)
〜詳細データ・は行〜
 
 
 
作 品 名
「岩壁よおはよう」 (長谷川 恒男、1981年)
紹 介 文
(帯、裏表紙等)
 落ちこぼれの少年が山登りの魅力につかれ、谷川岳や穂高岳に通い、さまざまな楽しみ悲しみを体験しながら、やがて世界で初めての、冬季アルプス三大北壁の単独登はんに成功する。充実した生き方を求めつづけた青年のさわやかな自伝。
感 想 等
( 評価 : A)
 本書は、アルプス三大北壁冬期単独登はんに成功した長谷川恒男氏が、山を始めてからマッターホルンに向う前までを振り返った半生記である。実際に出版されたのは三大北壁登攀後ではあるが、当時のメモをもとに書かれており、その時々の氏の思いが伝わってくる。
 言い方は悪いかもしれないが、後年になって人間として大人になった頃の長谷川氏と比較すると、氏がもっとも牙を剥き出しにし、目をぎらつかせていた時の文章であり、ある意味では氏の著作の中で本書が最も魅力的だと思う。長谷川恒男というクライマーを知るうえで、欠かせない1冊である。
名 言 等
山は自己表現だ。自分が一歩進まなければ決して登れない。主体性がなければ何もできない。そういう意味で、落ちこぼれの子供がはじめた山登りは、ぼくの青春への出発点だったのかもしれない。」
登山はスポーツではない、スポーツを超えた現代の武道だ。垂直の世界に自分の身を置き、それと闘う人と自然の命のやりとりだ。ダメになったらとことん叩きのめされてしまう苛酷な闘いなんだ。絶対負けてなるものか。自然ととことん闘ってやれ。」
単独登はんは、みずからの登はん能力の限界を追求してゆくひとつの方法であり、より高く、より困難を追求する一アルピニストとして、当然行うべき方法のひとつだと思っている。」
冒険は非日常的な場に起こる特異な出来事のように思われがちですが、必ずしもそれだけではなく、自らの新たな可能性に挑戦するとき、場所と人とを問わず、展開するものだと思います。まさに、生き抜くことこそ冒険である、という思いがします。」
 
 
 
 
作 品 名
「山に向かいて」 (長谷川 恒男、1987年)
紹 介 文
(帯、裏表紙等)
 ヨーロッパ・アルプス三大北壁の登攀に成功し、今また極限のヒマラヤの頂へ向かうアルピニスト、長谷川恒男。大自然に心と体をゆだね、山と一体になることを求めた人間の道程。
感 想 等
( 評価 : D)
 本書は、登攀記というよりは一種のエッセイであり、クライマー・長谷川恒男がガイド業や登山教室、登山そのものを通じて感じていることがそのまま綴られている。
 「岩壁よ おはよう」と比べると丸くなったと言わざるを得ないが、氏の言はまるで仙人か何かのように達観した部分がある。特に死生観に関わる部分は、常に死と隣り合わせの登攀をしているだけに悟りきった感があり、いつ死んでも悔いのない、そんな生き方をしている感じがする。
 書物としてのおもしろさはまた別という気がするが、ある種の哲学書として読めば、学ぶべき点は多い。
名 言 等
私は登山とは自然と人とのコミュニケーションのための行為だと思っている。今、自分が行っているような登山、極限の世界といわれるヒマラヤで、人間の持つ本質的な能力、心臓の力、肺の力、内臓の強さ、そうしたものの限界にまで、自分の力を持っていきながら登山をするとき、写真に写してみる美しいヒマラヤはどこにもなく、過酷で残忍なもの以外の何ものでもない。しかし、そのなかでも精一杯生きていることが、自分のアルピニストとしての能力を表現していることになるならば、その辛さも喜びに変わってくる。」
登山もある一定レベルを過ぎると、いつも生死がつきまとうという緊張感がある。だからこそ、のめり込めばのめり込むほど抜き差しならないおもしろさがあるのかもしれない。」
人それぞれの世に生を受けたかぎり、死ぬまで人として生きた証しをしなければならない。そうした使命をだれもが背負っているはずだ。山登り―興味のない人からみれば、それがとるにたらない行為であっても―私がそれを継続していくことで、生きてきたことの証しができるものと信じている。」
 
 
 
 
作 品 名
「生きぬくことは冒険だよ」 (長谷川 恒男、1992年)
紹 介 文
(帯、裏表紙等)
 マッターホルン、アイガー、グランドジョラスの三大北壁冬季単独登攀をなし遂げた男 長谷川恒男。寒さ、恐怖、そして孤独を乗り越えた時、彼は生の、より深い、より輝いた世界を見いだしたのだった。
 “挑戦”の登山家が「思考を越えた意識」によって山に誘われ、自然と一体化した無我の登山に至る心の軌跡を綴る。1991年10月、ウルタルU峰で雪崩に逝ったアルピニストの熱きラスト・メッセージ。
感 想 等
( 評価 : C)
 長谷川恒男氏のアルプス三大北壁冬期単独登攀の記録である。氏の人生における最大の見せ場であり、真骨頂の部分だけに読み応えがある。
 が、それ以上に感心するのがその死生観である。生と死についての記述が随所に出てくるが、「死」というもの、「死後」というものを悟り切った氏の生き方は、そのまま氏の「登山」あるいは「単独登攀」のあり方に結びついている。長谷川氏にとっては、まさに「生きぬくことは冒険だよ」の言葉通り、登山こそが生きることそのものであったように思う。ここまで純粋に、登山というものだけを追い求め、極めていったという意味で、稀有な人物といえよう。
名 言 等
アルピニストというのは、山を登ることによって自己表現のできる人のことだと考えている。それは、登山という領域のなかで自分を高める、向上心をもつ人のことである。とにかく山にさえ登れればいいというのではない。登山の中に自己の可能性を見いだしながら、それを一歩でも高めたいと努力する人が、真のアルピニストとなることができる。」
私の考える登山の思想とは、『自分はいつも極限のなかで生きていたい』というとだ。」
なぜ、山に登るのか。それは理屈ではない。中学を卒業したとき、なぜ就職しなければいけないのか、と考えたことを思い出した。中学を卒業したら、就職か、高校か。高校へ行くのは何のためか。高校を卒業したら、なぜ大学へ行くのか。本当に生きる意味を知り、自信を持って学校へ進む、あるいは実社会に進むという人は何人もいないだろう。しかし、そうやって生きているうちに、だんだん"生きる"ということを学ぶ。」
私は死というものは、現在生きているこの世から、死後の世界に渡り、そこで再び生きるということと解釈している。死を恐れることは、死後の世界に不安を抱くことであり、この世を熟知していることからくる生への執着だと思う。死後の世界でもなお生き続けることができると思えば、生と死の境にあっても、自分の力を十分に発揮できるのではないか。死というものを恐れすぎて、生に執着し過ぎて、そのとき能力を最大に発揮できないまま死んでしまったら、犬死である。自我を捨て、無我の境地で登攀をする、これが単独登攀ではないかと思う。」
 
 
 
 
作 品 名
「富士山村山古道を歩く」 (畠山 操八、2006年)
紹 介 文
(帯、裏表紙等)
100年ぶりに甦った幻の登山道ガイド
感 想 等
( 評価 : D)
 平安末期に開かれたという富士山最古の登山道、100年以上前に廃道になったという村山古道を復活させた畠掘氏による登山ガイド。実に素晴らしいことだ。村山古道が廃道になったのがそんなに昔のことでもないのに、意外と険しい道だという事実に驚いた。
 この本を知った時、どうやって村山古道を復活させたのか、そこに至る裏話・苦労話を自分は知りたいと思ったのだが、本書は開拓秘話というよりはガイドブックに近い。その意味で、分類をどうするか迷ったが、本人が実際に古道を辿った時の話を、開拓の苦労を交えながら書いているので、山行記の括りとした。
 本書は、これはこれで必要だと思うが、自分にとっては期待とちょっとズレていた(自分の勝手な思い違いのせいだが・・・)。あと内容的に少し気になったのは、歴史に係る記述が今一つ分かり難い気がする。
名 言 等
わたし個人は当初、自分ひとりが村山古道を通り抜ければいいと思っていた。しかしこの間に登山口・村山の人々とのさまざまな出会いが生まれ、ふたたびここに人の流れを呼び戻したいという村山の願いがひしひしと伝わってきた。村山口登山道を復活させようと、途中から考えが変わった。登山をはじめて40数年、山登りが人様のためになるという体験ははじめてのことであった。」
 
 
 
 
作 品 名
「サバイバル登山家」 (服部 文祥、2006年)
紹 介 文
(帯、裏表紙等)
 「この本を読むと、人間あくまで動物の一員であるというあたりまえの真実を、思い知らされるにちがいない。」(山野井泰史)
感 想 等
( 評価 : B)
 豊かで満ち足りた時代に生まれ育ったがゆえの飢餓感、焦燥感、不安、欠落感。その思いゆえに、生きていることを感じたいと考え、筆者なりに辿り着いた答え、それが食糧や装備を極力持たずに山に入るというサバイバル登山だ。筆者のもがき苦しむ気持ちは、同世代の人間として非常にはよくわかる。
 もっとも、それを本当に実践できるかどうかは、その思いの強さ、自分を殺さずに生きることへの拘り次第で、いい加減な自分としては恥ずかしくなる。
 もちろん、サバイバル登山による日高全山縦走、冬期の黒部横断など、山行そのものの凄まじさは言うまでもない、というか想像の域を脱している。これですら、服部氏の経歴、経験からすれば、そのほんの一部を記しているに過ぎない。
 人はいかに生きるべきか、その答えは千差万別だけれど、その一つがここにある気がする。
名 言 等
生きるということに関してなにひとつ足りないものがない時代に生まれ育ってきた。それが僕らの世代共通の漠然とした不安である。老人たちは決まってそのことを贅沢な悩みだという。だが、生きることに必死になれたり、反抗する甲斐のあるものをもっていたりするほうが、生きている充実感を味わうのは簡単だ。僕らは自分で奪ってくるものをなにひとつもっていない。なにひとつ欠けていないという欠落感を人権だ個性だという自意識教育が煽り立てる。環境が満ち足りているのに、何もできないというのは恐ろしい。それはダイレクトに無能を証明するからだ。少なくとも旧い世代が思うほど僕らの世代は楽じゃない、と僕は思う。」
生きようとする自分を経験すること、僕の登山のオリジナルは今でもそこにある。僕は自分の内側から出てくる意思や感情を求めていた。厳しい現実がつぎからつぎへと降りかかってくるような窮地や、思いもよらなかった美しいものを目にしたときに自分が何を感じるのかを知りたかった。絶対的な経験の先にある感情の起伏にこそ、心を物理的に動かしていく力がある。山には逃れようのない厳しさがあった。そこには死の匂いが漂っていた。だからこそ、そこには絶対的な感情がある気がした。」
生命体としてなまなましく生きたい。自分がこの世界にそんざいしていることを感じたい。そのために僕は山登りを続けてきた。そして、ある方法に辿りついた。食料も装備もできるだけ持たずに道のない山を歩いてみるのだ。」
黒部に入るといつも場違いな気分に包まれる。それは自分の生命があまりにも無防備であるということをリアルに思い知らされるためだ。自分が、血と肉となまぐさい内臓を皮膚という柔らかい袋に詰め込んだ装置に過ぎないということが、黒部ではばれてしまうのである。ちょっとしたミスや大自然の些細な衝撃でバシャンと割れ、僕は簡単に死ぬ。」
登山を通して強くなったと実感することは、シンプルな喜びである。生き延びる自分を経験すること。ここに僕の登山のオリジナルがある。体験は目に見えないが、僕のからだの一部となり、僕を確実に変化させている。自然には意志も過ちもなく、純粋な危険があるだけだ。その危険に身を晒す行為に、情緒と感傷をくすぐる甘い香りが漂っている。」
やや穿った見方だが、都会に生きる人々の大多数は一方的に消費するだけの人間という意味でお客さんである。買い物客、乗客、もしかしたら患者まで、自分で解決する機会を奪われたか、あきらめるようにしむけられてきた人々だ。食糧の調達をあきらめてスーパーに買いにいき、自分で移動することをあきらめて電車に乗り、自分で治すことをあきらめて病院にいく。僕は街にいると、自分がお金を払って生かされているお客さんのような気がして、ときどきむしょうに恥ずかしくなる。」
 
 
 
 
作 品 名
「サバイバル!」 (服部 文祥、2008年)
紹 介 文
(帯、裏表紙等)
日本海から上高地へ。200kmの山塊を、たった独りで縦断する。持参する食料は米と調味料だけ。岩魚を釣り、山菜を取り、蛇やカエルを喰らう。焚き火で調理し、月の下で眠り、死を隣に感じながら、山や渓谷を越えてゆく−。
生きることを命懸けで考えるクライマーは、極限で何を思うのか?その洞察力に、読者は現代が失った直接性を発見するだろう。<私>の、<私>による、<私>のための悦びを取り戻す、回復の書。
感 想 等
( 評価 : C)
 前作、「サバイバル登山家」で強烈な個性、生への拘りを見せつけた服部氏の続作である。今の時代、お金を払えばたいていの物は買えるし、たいていのことはしてもらえる。筆者はそれを「ゲスト」と呼び、お客さんとしてではなく、自分自身が人生の「主」となって、自分自身の能力だけで生きていくことを提唱する。それが、サブタイトルの「人はズルなしで生きられるのか」の意味だ。
 衣・食・住どれをとってもそうだが、今の自分たちは、お金を介して、他人から与えられたもので生きていくことに慣れ親しんでいる。そこから脱却して生きていくことは容易ではない。服部氏の言うことはよくわかるものの、いざ自分がそれを実践しようと思ったら、それがいかに容易ならざることかを痛感する。服部氏のバイタリティ、自分らしく生きることへの渇望は前作にも勝るとも劣らないが、その合間に覗き見える、ちょっとした甘えや野心、欲望がまた人間らしかったりもする。サバイバル=ズルしないで生きる、難しいけれども、その気持ちだけは忘れずにいたいものである。
名 言 等
フリークライミングとは、簡単にいえば手と足だけで岩に登ろうということだ。「おまえ、ズルしないで、ここ登れる?」というのがその精神である。」
登山とは何にも束縛されない究極の自由な状態で行動することで、本来の自分の実力を知る瞬間なのだ。」
自分の時間を生きるうえで、できる限り「主」でいたい。そんな願いが、私をサバイバル登山に駆り立てる。自分の能力で自分の人生を生きていることを実感したい。そして自分の人生を自分のものにしたいのだ。」
登山に遭難する確率がなければそれを登山とはいわない。死ぬ可能性がないものを命と呼ばないのといっしょである。」
本当の私とは何か。もし「おまえは本物のなんなのだ?」と強く詰問されたらどう答えるだろうか。そう考えて私はいつも泣きたくなる。登山家?雑誌編集者それは単なる職業だ。ハットリブンショウ?それは私の名前である。人間同士のお約束ごとをとりのぞいていくと、私が本物だと主張できる部分は実のところ多くはない。「人間です。地球の生命体のひとつです。」それが私の最終回答だ。その生命体としてまっとうでありたい。そのためにできることはただひとつ。私は私の生を精一杯生きること、それだけだ。」
岩壁のなかにたった一人でいるとき、私は自分の力で生きることができる。生きるか死ぬかの葛藤と努力の先にあるのは死ではなく、生なのだ。登攀者は命に向かって努力する。その努力に自分の生存がかかっている。一ミリのぶれもなく自分の能力に左右される瞬間、これがなんとも小気味よい。誰にも邪魔されず、私はそこに生きている。」
フリークライミングとは単なるスポーツではない。世界にどう向き合うかという思想でもある。道具と人間のどちらがボスなのかわからないこの世界で、もう一度まっさらな自分を取り戻す。自分の肉体と山との間に挟まっている物質を取り除いていくことで、人は登るという行為に近づき、自分の肉体に戻っていったのだ。」
ズルをしないとは、本当の自分自身と向き合って、本当の自分自身をごまかさないということなのだと思う。生物の行為を微分してそこにある意思のベクトルを取り出せば、「生きる力」はどこにでも溢れている。自分自身をごまかさない限り、自分自身にズルをしない限り、サバイバルはどこにでも転がっている。ただ、特に自然はわれわれに強くそう実感させる力を持っていると私は感じている。だから私はまた生き残る体験を積み重ねるために、山にむかうだろう。」
 
 
 
 
作 品 名
「百年前の山を旅する」 (服部 文祥、2010年)
紹 介 文
(帯、裏表紙等)
山が文明に冒されていなかった時代へ
 
テクノロジーを遠ざけて山に登る“サバイバル登山家”は、さらなる「手応え」を求めて、古の山人や明治の登山家の足跡をたどりはじめた。股引、脚絆にわらじという出で立ち― 自由と野性に溢れる紀行文集。。
感 想 等
( 評価 : C)
 今回の本は、木暮理太郎や田部重治、ウェストンなど、昔の人々が登った山々、歩いた道を、当時と同じ装備・道具で、当時と同じ行程を辿ってみようという企画型の登山。もちろん、そのベースにある考えは、文明の機器やテクノロジーを拒否し、自分自身の力だけで山を歩くというサバイバル登山だ。
 商業的に言えば、サバイバル登山を従来同様に実践しただけでは本としての新味は薄れてしまうところだが、過去の登山家等の経験を追体験するという形を取ることで、また違った面白さが加わった。実際、本書により田部重治や木暮理太郎のイメージが変わったし、極地探検とブラスストーブの関係についての着想も興味深い。
 サバイバル登山について言えば、どうしても矛盾が付いて回る。自然と不自然の境目を、機械を使ったか否かと定義しながら、ブラスストーブを使った山旅については、今のガスストーブより不便だからという理由で肯定しているようにも見える。その辺の矛盾は本人もわかっているようだ。個人的には、本人が納得して決めたものであればそれでいいと思う。私自身の山行スタイルも、趣味も、生き方も、所詮は自己満足なのだから。多少の矛盾は内包しているが、服部氏のスタイルは徹底しているし、こだわりがはっきりしているところがいい。
名 言 等
人間の決めたルールから逃げるように、私は人のいない山塊にひっそりと踏み込んでいくようになった。登山とは、自分の力であるがままの山に入る行為だと思っているからである。」
登山者はできる限り生身であるほうがいい。昔の山人のように―。」
私は単純に昔の人々にあこがれている。単純に現代文明を否定している。それは、自然が力を持っていて、人の自意識を押さえ付けていた時代の清々しさが好きだからだ。個人の肉体を能力に存在感があった時代の誠実さが好きだからである。そして私の登山の基本もそこにある。」
古道といっても、人間が造ってきた道である。それを「自然」と形容する自分がいる。私の中で、自然と不自然の境は機械を使ったか否かにある。人間も自然界の生物であり、その行為が自然なのはあたり前、そしておそらく、私が昔の道に興味をもつのは、人がまだ「自然」だった時代にロマンを感じるからなのだろう。」
恐怖のなかで自分を失わずに、活路を見いだし生きること。これはまちがいなく生命体にとって喜びであるはずだ。なぜなら、命とはそうやって連綿とつながってきたものだからである。窮地をうまく生き延びることに肯定的な感情がともなわないなら生命がつづくわけがない。『登山は危ないからおもしろい』というにわかに受け入れ難い事実は、ここにその起源があると私は確信する。」
何かを成し遂げて得た結果は、そのまま行為者を肯定する。山頂はただ単純に登った者を肯定するのだ。それが自分なりの特殊な能力を出した結果ならば、なおさらである。」
私はテクノロジーを拒否することで相対的に自分の能力を際立たせようとしているにすぎない。だがそれさえ多くの部分でテクノロジーに甘えたうえでの反抗なのかもしれない。」



 
作 品 名
「サバイバル登山入門」 (服部 文祥、2010年)
紹 介 文
(帯、裏表紙等)
テントなし。時計なし。ライトなし。米と調味料だけ持って、シカを撃ち、イワナを釣って山旅を続ける。登山道には目もくれず、沢をヤブをつき進む。危険と隣り合わせの圧倒的な自由。
感 想 等
( 評価 : C)
 サバイバル登山家である服部氏の経験に裏打ちされた、さまざまなサバイバル術が詰まった1冊。タイトル通りノウハウ本ではあるが、根底には、服部氏ならではの物の見方、考え方、哲学が貫かれており、やはり山岳エッセイという位置付けで考えたい。
 冒頭の「はじめに」の一文がとにかく秀逸。生きること、命の意味、登山について、ここまで明確に言葉で表現できる人はそうそういないだろう。服部氏が、小説「K2」でカニバリズムを描いたことの意味が、この一文を読むとよくわかる。
 本文の方では、歩く、食べる、眠るなどサバイバルにおける様々な行動について、独自のノウハウが展開されている。特に、鹿の解体やイワナの刺身などについて、詳細な写真入りで紹介している「食べる」の項は凄い。「食べる」だけで全体の4割ほどを占めており、食の重要性を感じさせられる。どの項目を読んでも、ノウハウに感心するというより、自分にはここまでできないなぁという感嘆と羨望の思いしか出てこない。服部氏のこだわりには脱帽するしかない。
 その服部氏でさえ、「装備」の項では、ウェア、ザック、ロープ、チェーンスパイク等々、技術進歩の恩恵と言わざるをものを使用しており、現代人がいかに楽をしているかを痛感させられる。その意味で唯一気になるのは、服部氏はルールを自分で決めるのがサバイバル登山だと言うが、フェアとか、ズルをしないとかいう表現を使うと、やはり服部氏のルールで評価しているように聞こえてしまう。もう少し、異なる表現はないものだろうか。。
名 言 等
食べるものを自分で殺し、食べられるものと食べられないものは自分の舌で味わいわける。大地の上に眠り、暗闇の怖さについて考える。他の生き物より人間が秀でている能力はなにか。知識とはなにか、存在とはなにか。自分の身体と自分の野生、そして自分のいのちを、そっくりそのまま意識する。」
自由とは、自分を取り巻くどうしようもない前提条件から、人為的なものを取り除いた先で、自分の力だけで生きる瞬間にあるのではないか。社会や他人からの制約は受けず、その代わり人間社会の恩恵もいらない。法律にも道徳にも常識にも縛られず、自然の掟のもと、生命体のあるがままに、自分の能力の限界の行動ができたとき、もっとも自由に近づくことができる。行為を制限するのが、気象や地理的障害などの自然環境と自分の能力だけという状態が、我々に許された最高の自由だと私は思う。」
狩猟者は「人間はケモノと同じ」だと認めざるを得ない。日々狩猟を繰り返し、よりケモノを知ることで、人とケモノに違いはないという考えを、どんどん強固にしていくからだ。ケモノへの親近感を増しながら、狩猟者は新たな獲物を撃ち殺し、またいのちの考察をぐるりと一巡りさせる。そして「いのちとは殺される可能性を含んだものにほかならない」という結論はますます強化され、覚悟のように固まっていく。この「覚悟のループ」ともいうべき堂々巡りの先で私は、冷めた死生観で世界を見るようになった。撃つたびに、自分もいつか死ぬんだなと確認し、理不尽に殺されるようなことがあっても、文句を言う筋合いはないのだという思いを強めている。」
もし許されるなら、いつか私にも食べられる番が来てほしい。いのちとしていのちにおいしく食べられたい。」
 
 
 
 
作 品 名
「What's Next? 終わりなき未踏への挑戦」
 
(平出 和也、2023年)
紹 介 文
(帯、裏表紙等)
ピオレドール3度受賞した
トップクライマーにして
映像カメラマン・平出和也が、

これからの挑戦を前に半生を振り返る
感 想 等
( 評価 : A)
 日本人初のピオレドール賞受賞者にして、これまで3度も受賞しているアルパインクライマー平出和也による初の登攀記。シブリン、カメット、シスパーレ・・・。言葉でしか聞いたことがなかった、急峻な雪の難峰、これまで人を寄せ付けなかった絶壁。山の美しさ、気高さ、崇高さ、それだけでも十分感動ものだ。
 平出氏は、若い頃から山狂いだったわけでもなく、国内で谷川や穂高でクライミング技術を磨いたわけでもなく、国内→ヨーロッパアルプス→ヒマラヤというステップを踏んだわけでもない。大学二年生の時に山岳部に入部してから、あっという間に海外に挑戦し、未踏の壁・山へ足跡を残していく。色々な意味で凄くて新しい。やればできるという可能性、希望、明るさを見せてくれている。
 誰からも愛されたという、今は亡き谷口ケイとのザイルパートナーとしての堅い結びつき。そして、別れへの続く物語は思わず涙を誘う。そして、TVなどでもお馴染みの若手のホープ中島健郎とのクライミング。登山ならではの出会いの素晴らしさだろう。
 本書の新しさという点では、You Tubeの映像とリンクしている点も見逃せない。文字で読んだばかりの感動が、美しい映像でもう1度味わうことができる。一般の人間が、こんな緊張感や美しい景色、凍えるような寒さを味わうことが出来るとは、時代も変わったとしみじみ嘆息する。素敵な感動をありがとう。
名 言 等
七〇〇〇メートル、八〇〇〇メートル級の山々に登るようになっても、先人たちに踏み慣らされた道をたどっていることに気づいた。これでいいのだろうか――。自分の価値に沿った<私の山>を見つけ、未踏ルートを踏破することが私の登山のさらに強い動機になっていった。だれも踏み入っていない空白部からピークへ美しいラインを引きたい、と。」
いま私は切にこう思う。自分らしい登山を心がけ、それにこだわることだ。他人の軸に沿って生きようとすると苦しくなる。人から滑稽に見られようと、無謀だと揶揄されようと、自分自身に正直に生きていれば、他人がどう評価しようとどうでもよくなる。だって最終的に自分の人生は自分で振り返るものだから。」
未知のルートに可能性を探り、ひとつひとつ課題を解決していきながら山頂への道程をかみしめることができるなら、たとえ困難に出くわしても、その困難を果敢に克服していこうという気概が出てくる。そして、それを楽しむことさえできる。」
テントに入り手袋を外すと傷ついた手先がむくんでいたが、気にはならなかった。命をすり減らすようなクライミングができていることに満足していたのだ。」
BCに戻ると、凍り切った体がじわじわと解けはじめた。きょうもヒマラヤの太陽を浴びて、シブリンが神々しく輝いている。<私たちの山>。いまなら、そう呼べる。シブリンが私たちを受け入れてくれたことへの感謝と、安全な場所に帰ってこられたことへの喜びでいっぱいだった。」
私が求めていたのは「自分らしい挑戦」だったのだ。「他人にできないこと」が山を選ぶ判断基準になると、自分が主体ではなくなってしまう。挑戦というのは、人との競争から出てくるものではなく、常に自分の心の中で行なうものなのだ。だから基準はいつも自分にある。その姿勢を堅持すれば、そこから生まれ出たものは常に自分らしいものになる。」
成功したときほどその登山を振り返ることを忘れてしまうものだ。何がよかったから成功したのか?成功したけれどさらにもっと改良すべきことはなかったのか?成功の陰にひそむ小さなミスに気づけるか?成功したときほど学ぶことはたくさんある。」
危険とは、雪崩の起きそうな斜面、いまにも崩落しそうなセラックなど人知ではコントロールできない自然の脅威を指す。己の技術、精神力、体力を推し量ったうえでの困難なら、果敢に挑戦し乗り越える努力を惜しまない。幾多の登山経験から、自然のなかでは人間は無力だということを知るに至った末の私の対処法である。」
標高七〇〇〇メートル、八〇〇〇メートルの登山において余裕で登頂して戻ってこられたら、それはチャレンジではない。ぎりぎり命を落とさずに登頂し下山してきてこそ成功なのだ。それ以外は失敗となる。失敗には、途中での敗退、もしくは死がある。生と死の紙一重のあいだを行ったり来たりするような登山だけが、私の血を騒がせるのだと思っている。」
 
 
 
 
 
作 品 名
「尾瀬に死す」 (平野 長靖、1972年)
紹 介 文
(帯、裏表紙等)
 1971年12月、尾瀬の長蔵小屋から下山途中遭難、平野長靖の短かすぎる生涯は自然保護運動の先駆的足跡とともに語り継がれている。初代の環境庁長官に就任したばかりの大石武一長官への訴えは、長官の「蛮勇」を引き出し、三平峠に迫っていたブルドーザーを止め行政の決定を覆すという、事態の劇的転換を成し遂げた。彼の最後の言葉に、「まもる/峠の緑の道を/鳥たちのすみかを/みんなの尾瀬を/人間にとって/ほんとうに大切なものを」とある。
感 想 等
( 評価 : C)
 尾瀬の自然を守るために文字通り命を賭けて立ち向かい、自然破壊を阻止しただけではなく、自然保護のあり方に大きな一石を投じた平野長靖氏の遺稿集。
 ここには、聖人君子のようにただひたすらに自然保護へと立ち向かったわけでもなく、強烈なリーダーシップで回りを引っ張って活動を続けたわけでもない生の平野氏の姿がある。自らの定め、宿命に悩みながらも、今の自分にできること、なすべきことを真剣に考え、立ち向かって行った1人の男の生き様がある。
名 言 等
豊富すぎるから、あり余っているから、このゴミの山が築かれていくのだ、そう考えるほかはありません。浪費が美徳であると教えられる高度成長国日本の言一面がここに露呈されているのではないか?ぼくら自身も、まぎれもなくその恩恵に浴しているにしても、やはり『世の中まちがっとる』」とつぶやいてしまう。この豊かな社会の中で、心の荒廃が進行していはしないか、と問いたくなります。」
人間にとって真に大切なものはなんだろう?便利に、速やかに、業者は急いでもうけよう、という形の観光で良いのか?時速百キロでスカイラインを走りまわるよりも、一日五キロか十キロを自分の足で歩き、草や木に自分の手で触れ、鳥たちの声に聞き入る、そんな旅こそがいま必要なのだ。」
 
 
 
 
作 品 名
「K2登頂 幸運と友情の山」 (広島 三朗、1986年)
紹 介 文
(帯、裏表紙等)
 K2登山が開始されてからも、三朗さんは意欲的に行動し、私がB・Cに着いた時にはC1へのルート工作が完了していた。彼はガタガタ口先だけ議論するのではなく、即行動するタイプなのだ。登山には、計画段階においても、登攀活動中にも即行動する人間が必要なのだ。三朗さんのようなタイプの隊員ばかりでも、大きな遠征は成功しないかもしれないが、少なくとも今回の遠征に彼が果たした役割は実に大きなものがあった。(登山家・原田達也)
感 想 等
( 評価 : C)
 在野にありながら、日本人として初めてK2に登頂した登山隊に登攀隊長として参加し、自らも登頂を果した筆者による記録。
 準備を含めた登山の苦労がよくわかり興味深いが、先に本田靖春氏によるドキュメントを読んだせいか何か物足りない。なぜか。よくはわからないが、本田氏の本に描かれていた様々な人間模様の印象が強過ぎたせいかもしれない。広島氏がいろいろなメンバーに気を使ったのか、あるいは隊全体を見られる立場にいなかったというだけのことかも知れないが、妙に大人しい感じがして、人間臭さに物足りなさを感じたのかもしれない。
 あと、どうでもいいことだが小見出しのつけ方が今ひとつ趣味じゃない。
名 言 等
小学校六年生の終わりに行った景信山から、数えると十三年ぐらいの間、いつも僕の心の中には登山があり、一つ一つの山に手応えがあったし、それこそ泣きたい程つらいこともあった。しかしこれほどまでに自分を燃焼させるものは他に見当らなかった。登山を通じて、僕は強い意思さえあれば目の前の問題も少しずつでも解決できると言う自身を持つようになっていたし、若い後輩に対しては、ただ他人に言われたままでそれに従っているより、自分のやる気を起すこと、自分自身で問題を解決してゆくことこそが、生きてゆく人間の証しだと言っていた。」
僕の登山をふり返ってみると、自然の中に自分を置いて、自然を愛でるというだけの登山ではなかった。自分が何かをやってみたいという感情が、たまたま登山の中で花を開いたのだと思っている。教員としての一〇年間は僕にとって貴重な経験だった。パキスタンやネパールの辺境の人々との交流も僕にとって貴重な体験だった。きざないい方かもしれないが、これらの体験の中から、別の僕の登山が始まるかもしれない。」
 
 
 
 
作 品 名
「わが山山」 (深田 久弥、1934年)
紹 介 文
(帯、裏表紙等)
 山の文章を文学の域にまで高めた著者の功績はまことに大きい。平易な文章を通して真に山を愛する者の素直な感想がそのまま伝わってくる著者の最初の山行記集。
感 想 等
( 評価 : C)
 「日本百名山」でお馴染み深田氏の紀行集である。同時代の他の登山家の著書と比較すると、あまり冒険的な雰囲気は感じられない。登山、登攀というよりはワンダリングと言った方が近いだろう。だが、深田氏がいかに山を好きか、山に恋しているかは充分に伝わってくる。そして、登山というものが不便ではありながらも、いや不便であるがゆえに、原始に還る手段となり得た時代の伊吹が感じられる1冊である。
名 言 等
山へはいりかけのあの楽しい興奮を、その経験のない人にどう伝えたらよいだろう。乾き切った山恋いの情が貪るように働いて、峰一つ谷一つさえ見逃すまいとする。今、山にさしかかって僕はすでにこの興奮に捕われていた。真っ白な紙に墨をにじませるように、僕は周囲の景色を思う存分心に吸いこんだが、いくら吸い込んでもなお飽きることがなかった。山旅の終わり頃には何の気もなく見過ごすありふれた景色さえ、今は新鮮な魅力をもって、都会に疲れてきた僕の眼をおどろかすのであった。」
山へ行く楽しさは決して山へ登る時のみにあるものではない。出発以前から帰宅以後にまで続くものである。そしてたいていの物事は、その予想が大きければ大きいほど、いざ実際の現実に出くわすと失望するものだが、山行だけは、期待がいくら大きくても実際はそれ以上に素晴らしいものだ。これは山という偉大で豊富な自然に対して、我我人間の空想なんてものがいかにちっぽけなものであることを示すものだ。」
冬山は危険だという。そうに違いない。しかしそういう危険を冒すからこそ楽しみも大きいんだ、と言うのは青年の壮語であって、出切るなら冒険を避けて大きな楽しみがしたいのだ。ただその大きな楽しみを得るためには、止むを得ず危険に近寄らざるを得ないのだ。感動的な素晴らしい景色は、易易と手に届くような所には置かれていない。最も輝かしいものは、最も困苦を要する所にある、それは人生によく似ている。」
冬山の魅惑は今ここに僕がどんなに名形容詞を連ねたところで、その万分の一も伝えられない。諸君が身をもって体験すべきだ。おそらく諸君は、この地上にこんな素晴らしい自然の工があったのか、どうして今までこれを知らなかったのか、と我が不敏を悔やむに違いない。そして今まで諸君が感心して人に吹聴してきたような景色は、一ぺんに脳裡から消しとんでしまうだろう。」
 
 
 
 
 
作 品 名
「雪・岩・アルプス」 (藤木 九三、1930年)
紹 介 文
(帯、裏表紙等)
 モンブラン、マッターホルンなどヨーロッパ山岳紀行と、穂高滝谷のわが国初登攀の報告や日本アルプス紀行を収める。
 近代登山の実践にまた普及に、情熱を注いだRCC創立者の香り高い山恋いの書。
感 想 等
( 評価 : C)
 私の藤木九三氏のイメージは、一面的で申し訳ないが、瓜生卓造氏の山岳小説「大岩壁」によって作られていた。すなわち、滝谷の初登攀において、学生の四谷某を出し抜いたのではないかというものである。その意味においてはあまり良い印象ではなかったが、本書を読んでそれは変わった。
 本書にも出てくる滝谷の真相は依然わからないが、戦前の日本山岳会黎明期にあって、モンブラン、マッターホルン、ワイスホルンといったヨーロッパアルプスを攀じり、滝谷などで初登攀の名を残す。しかも、大学山岳部出身ではなく、社会人になってから山を始めている。それだけでもうすごいことだと言わざるを得ない。
名 言 等
登山家は、また、聖なる頂を索めて攀ずる敬虔な巡礼者である。彼等は、『雪』と『岩』との囁きに心耳を澄まし、風の往き来・雲のたたずまいに奇しき心躍りを感ずることに、常に生甲斐を見いだす。しかも、行路の剣難は、時にとって、貴い経験であり・得がたい感激でもある。」
山は、その姿の美しさ、雄大さといったものが人の心を惹く共、更にその登攀の困難を想像して、その至難に堪えようと意図するところにより深い意義を感ずることは至当である。」
 
 
 
 
作 品 名
「わが岩壁」 (古川 純一、1965年)
紹 介 文
(帯、裏表紙等)
 昭和三十年代初期に始まった初登攀の全盛時代に、著者は生の充実を岩壁に賭けて、谷川岳、剣岳、穂高岳などに幾多の驚異的な登攀を行った。精神と肉体の最も果敢な時間をつづる九つの記録。
感 想 等
( 評価 : C)
 戦後、1950年代後半から60前代前半にかけて、日本中のありとあらゆる壁という壁の初登攀が競われた時代があった。そうした時代を、松本龍雄や吉尾弘などとともにリードした1人が本書の著者、ベルニナ山岳会の古川純一である。
 本書は氏の9つの登攀記録から構成されており、極めて実践色の強いまさに山行記そのものといった作りとなっている。その意味で、読んでいておもしろいというより、感心すると言った方が当てはまる。
 登攀内容もさることながら、氏のアルピニズムや登山・登攀などに対する考え方なども随所に記されており、一時代を画したクライマーの登攀記として一読の価値はあろう。
名 言 等
アルピニズムの世界は自分との戦いである。たしかに無謀であろう。だが、対決の世界では、それは結果論でしかない。」
登山というものは、長く苦しいアプローチの果てに登ることのほうが、よりその登山に価値があるのだ。山に文明はない。文明のない山こそ、登山として本当に求められる山なのだ。」
人間の成すべきことが可能か不可能かは、行動を起してのみ回答が与えられる場合が間々ある。」
理論だけで結果を否定することは、アルピニストとしてもとるべき態度ではない。もし、登山が冒険を否定したら、今日の登山は決して生まれていなかった。登れない、と回答が下されるまで努力してみよう。」
アルピニズムの行為における困難には、常に危険が伴っているのである。もし、困難と危険が全く別なもので、困難には危険が伴わないとしたら、登山における感動は無に等しくなり、地上での労働と同一なものとなるだろう。困難も危険も同時に克服するところに喜びがあり、そこにアルピニズムの発祥と発展があったのではあるまいか。この両者の克服がなかったら、山が存在していても、そこにはツーリズムしか生じなかったであろう。」
生死を賭して登ることが、アルピニズムにおいては喜びであり感動でもある。」
気をつけなきゃいけない。遭難は自分の心と技術の隙間にあるのだ。」
自己の登山が最高到達点への上昇線をたどっている時は、自分の登山に対して、絶えず心の中でむずかし過ぎはしないだろうか、果たして登れるだろうか、危険ではないだろうかと、抑圧的な壁が立ちはだかるが、この壁に向かって押し進もうとする自分との戦い、自我との対決の登山がアルピニズムではなかろうか。とするならば、体力がなくなってからの登山においても、困難を回避せず、自分との戦い、自分との対決、そして自分に勝とうとする登山であるならば、それはりっぱなアルピニズムであると言えよう。」
 
 
 
 
作 品 名
「私の南アルプス」(不破 哲三、1998年)
紹 介 文
(帯、裏表紙等)
元日本共産党委員長として、政党を超えて国民に圧倒的人気のあった不破哲三氏。その多忙を極めていた当時、不破氏は夏休みをやりくりして、奥深い南アルプスに、毎夏、通っていた。十三座ある三〇〇〇メートル峰を十年かけて踏査、山の紀行文を一冊にまとめた氏の南アルプスに関する集大成である。素晴らしい頂上からの展望や、種類の多い高山植物tの出会い、行き交う登山所との交流など、南アルプスの魅力が余すところなく綴られる。
感 想 等
( 評価 : C)
 著者は、登山・執筆当時、日本共産党の委員長。53歳から登山を本格的に開始。58歳だった1988年に仙丈岳テント山行へ出かけたのを皮切りに毎年のように南アルプスに出かけ、10年かけて主要な峰々を制覇した。多忙にもかかわらず、なぜこれほど南アに通ったのだろうか。不破さんは、著書の中で山が好きな理由について「自然の深さ、大きさ、美しさということに、まず尽きるような気がします。とくに南アルプスに入って、その感が深い」と述べている。いくら好きとはいえ、60代で南ア3,000m峰全座登頂はさすが。
 文中にちょいちょい周囲の人から記念撮影を求められた話が出てくるのにはちょっとウンザリするが、文章は簡明で分かりやすい。そして、著者の知識の広さ・深さを感じさせるものがあり、さすが著書100冊を超える、日本共産党きっての論客だけのことはあると感心する。
名 言 等
いったい山のどこがいいのか、なにに魅かれるのかということを、よく聞かれます。ともかく「山が好きだ」と言えばすんでしまうのですが、その「好き」の中身を考えてみますと、やっぱり自然の深さ、大きさ、美しさということに、まず尽きるような気がします。」
なぜ登るのかと聞かれて考えちゃうんですね。いろいろと楽しみがあるけれども、やっぱりいちばんは、苦労して登り着いて、やりきったということ、“やったな”という気持ちになる、これがいちばんうれしいですね。自分でもこれだけの力があったな、ということがわかる。自分を発見するといいましょうか。それがなによりの楽しみです。」
どんな山に登っても、富士の遠望できるところに出ると、なにかうれしい気持ちがするのは、日本人の気質だろうか。」
 
 
 
 
作 品 名
「雪山放浪記」 (星野 秀樹、2012年)
紹 介 文
(帯、裏表紙等)
雪山には自分だけの
トレースを刻む楽しみがある。

雪に導かれるまま、気の向くままに、
雪山へ自由を求めて彷徨った34のコースガイド
感 想 等
( 評価 : B)
 「山と渓谷」や「岳人」でお馴染みの山岳カメラマン・星野秀樹氏による雪山山行記兼ガイドブック。「雪山の楽しみは(中略)ラッセルにある」という言葉に端的に表れているように、本書からは著者の雪山愛がビンビン伝わってくる。
 取り上げている山々には、よくこんな時期に、こんな山に行くなぁという、マニアックなコースがたくさんある。雪山への思いはよく分かるが、現実は厳しい。軟弱な自分などは、冬の夜に、炬燵にくるまりながら読みたい。
 写真が良いのはもちろんだが、文章にも味があり、読んでも眺めても楽しい1冊。余談ですが、カバーを取った内側の装丁もかわいい。
名 言 等
朝。目に見えるような寒気が赤く染まり、新雪が、山の野生を呼び起こす。山は原始の姿に返っていた。未踏峰のように僕を拒み、そびえている。その光景に向かって叫ぶ。こんな山に会いたかったんだ、と。」
足元を振り返れば、僕らに付かず離れずトレースをたどる登山者がわらわらと登ってくが、別に腹も立たない。ラッセルという、いわば雪山最も重要で苦しく、そして楽しい要素を差し引いて頂上を目指す連中に、山で得られる大切な経験が残るとは思えないから。」
誰かをあててにせず、自分たちで判断し、行動する。無事に帰ってくることを考えて、計画を完遂させる。そんな雪山を繰り返して、僕は少しでも強くなりたいと思うのだ。」
標高の高い独立峰で、風や寒気、それらの厳しさが直に伝わってくる。さえぎるもののないむき出しの、容赦ない自然の力を存分に味わえる。ここえは天と地の接点にいる、ちっぽけな自分を強く意識せざるを得ない。そんな感覚が恋しくて、冬富士へ向かうのだと思う。」
放浪とは、あてもなく彷徨い歩くことをいう。だから、山を放浪するのは難しい。それは登山という行為が、どこかしらで人の手によって管理されているからだ。でも、雪山はそれを多少なりとも可能にしてくれる。歩いて、立ち止まる。寝て暮らし、眺めて考える。そんな自由のなかに身を置く山旅こそ、登山本来の楽しみにほかならない。」
冬の単独行が好きだ。間違いなく、山を独り占めできるから。」
 
 
 

作 品 名
「イニュイック〔生命〕」 (星野 道夫、1993年)
紹 介 文
(帯、裏表紙等)
 氷を抱いたベーリング海峡、112歳のインディアンの長老、原野に横たわるカリブーの骨―壮大な自然の移り変わりと、生きることに必死な野生動物たちの姿、そしてそこに暮す人々との心の交流を綴る感動の書。アラスカの写真に魅了され、言葉も分からぬその地に単身飛び込んだ著者は、やがて写真家となり、美しい文章と写真を遺した。アラスカのすべてを愛した著者の生命の記録。
感 想 等
( 評価 : B)
 夜が明けて朝になり、昼が過ぎ、そしてまた夜が来る。春・夏・秋・冬、そしてまた春が訪れる。小さな種から芽が出て、苗がすくすく育ち、やがて大きな木となるが、いつか枯れ果て、朽木となって大地へと帰っていく。そんな風に、人の一生、あるいは人類の歴史も、繰り返されていく。一瞬一瞬を大きな流れの中で捉えていく星野道夫流の哲学は、小さな人間という存在を儚んで、いい加減に生きるのではなく、その小ささゆえに瞬間をいとおしみ、慈しんで生きているのだ。全ての人間は、全ての自然は繋がっていて、必要のないもの、無駄なものなど一つとしてない。心を温かくしてくれ、明日への活力を与えてくれる1冊だ。
名 言 等
夏の夕暮れの、ゆるやかな風が頬を撫でている。風の感触は、なぜか、移ろいゆく人の一生の不確かさをほのめかす。思いわずらうな、心のままに進め、と耳もとでささやくかのように・・・・・。」
昔、山に逝った親友を荼毘に付しながら、夕暮れの空に舞う火の粉を不思議な気持ちで見つめていたのを思い出す。あの時もほんのわずかな灰しか残らなかった。生命とは一体どこからやって来て、どこへ行ってしまうものなのか。あらゆる生命は目に見えぬ糸でつながりながら、それはひとつの同じ生命体なのだろうか。木も人もそこから生まれでる、その時その時のつかの間の表現物に過ぎないのかもしれない。」
人間の生き甲斐とは一体何なのだろう。たった一度のかけがえのない一生に、私たちが選ぶそれぞれの生き甲斐とは、何と他愛ないものなのだろう。そして、何と多様性にみちたものなのか。」
もうすぐ二十世紀が終わろうとしている。きびしい時代が待っているだろう。進歩というものが内包する影に、私たちはやっと今気付き始め、立ち尽くしている。なぜならば、それは人間自身がもちあわせた影だったのだから・・・・・種の始めがあれば、その終わりもあるというだけのことなのか。それとも私たち人間は何かの目的を背負わされている存在なのか。いつかその答えを知る時代が来るのかもしれない。」
立ち木を組み、キャンバステントを張り、小さな薪ストーブを中に入れる。流木を集め、火をおこし、湯をわかす。テントの煙突から白い煙が立ち昇り、コーヒーのかおりがあたりに漂ってくると、やっとホッとした。こんな野営が何ごとにも代え難く好きだった。幸福を感じる瞬間とは、ありふれていて、華々しさのない、たまゆらのようなものだった。」

 
 
 
作 品 名
「旅する木」 (星野 道夫、1995年)
紹 介 文
(帯、裏表紙等)
 広大な台地と海に囲まれ、正確に季節がめぐるアラスカ。1978年に初めて降り立った時から、その美しくしも厳しい自然と動物たちの生き様を写真に撮る日々。その中で出会ったアラスカ先住民族の人々や開拓時代にやってきた白人たちの生と死が隣り合わせの生活を、静かでかつ味わい深い言葉で綴る33編を収録。
感 想 等
( 評価 : A)
 アラスカに移り住んで15年。アラスカの自然を愛し、アラスカで亡くなった写真家・星野道夫氏のエッセイ集。この本を読むと、心が温まる。それは星野さんの文章が、気持ちが、常にやさしさや愛情に満ちていて、生きていることの幸せが感じられるからだろう。
 自然と接し、人と出会い、歴史を感じながら、大きな力あるいは流れのようなものの中で、力まず自然体な生き方をしていく。こんな生き方ができれば、人は幸せになれるのかもしれない。もう少し正確にいうならば、こういう考え方ができればということかもしれない。誰もが悩み、傷つきながらも日々を一生懸命生きている。その間に間に、幸せもあるはずなのにそれを感じることができないと、辛い思いだけが残ってしまう。
 心が疲れた時、自分を見失いそうな時、考える余裕がない忙しい時、そんな時にこそ、読み直したい本である。
名 言 等
人間の気持ちとは可笑しいものですね。どうしようもなく些細な日常に左右されている一方で、風の感触や初夏の気配で、こんなにも豊かになれるのですから。人の心は、深くて、そして不思議なほど浅いのだと思います。きっと、その浅さで、人は生きてゆけるのでしょう。」
きっと情報があふれるような世の中で生きているぼくたちは、そんな世界が存在していることも忘れてしまっているのでしょうね。だからこんな場所に突然放り出されると、一体どうしていいのかうろたえてしまうのかもしれません。けれどもしばらくそこでじっとしていると、情報が極めて少ない世界が持つ豊かさを少しずつ取り戻してきます。それはひとつの力というか、ぼくたちが忘れてしまっていた想像力のようなものです。」
私たちはすごい時代に生きているなあと思います。資源の枯渇、人口問題、環境汚染・・…ちょっと考えただけでも無力感におそわれます。それは正しい答が見つからないからでしょうか。けれどもこんなふうにも思うのです。ひとつの正しい答などはじめから無いのだと・・…そう考えると少しホッとします。正しい答を出さなくてもいいというのは、なぜかホッとするものです。私たちは、千年後の地球や人類に責任をもてと言われても困ってしまいます。言葉の上では美しいけれど、現実として、やはり遠すぎるのです。けれどもこうは思います。千年後は無理かもしれないが、百年、二百年後の世界には責任があるのではないか。つまり、正しい答はわからないけれど、その時代の中で、より良い方向を出してゆく責任はあるのではないかということです。」
アラスカの自然を旅していると、たとえ出会わなくても、いつもどこかにクマの存在を意識する。今の世の中でそれはなんと贅沢なことなのだろう。クマの存在が、人間が忘れている生物としての緊張感を呼び起こしてくれるからだ。もしこの土地からクマが消え、野営の夜、何も恐れずに眠ることができたなら、それは何とつまらぬ自然なのだろう。」
人生はからくりに満ちている。日々の暮らしの中で、無数の人々とすれ違いながら、私たちは出会うことがない。その根源的な悲しみは、言いかえれば、人と人が出会う限りない不思議さに通じている。」
人間の風景の面白さとは、私たちの人生がある共通する一点で同じ土俵に立っているからだろう。一点とは、たった一度の人生をより良く生きたいという願いであり、面白さとは、そこから分かれてゆく人間の生き方の無限の多様性である。」

 
 
 
作 品 名
「ノーザンライツ」 (星野 道夫、1997年)
紹 介 文
(帯、裏表紙等)
 ノーザンライツとはオーロラ、すなわちアラスカの空に輝く北極光のことである。この本には、運命的にアラスカに引き寄せられ、原野や野生生物と共に生きようとした人たちの、半ば伝説化した羨ましいばかりに自主的な生涯が充ち満ちている。圧倒的なアラスカの自然を愛し、悠然と流れるアラスカの時間を愛し続けて逝った著者の懇親の遺作。カラー写真多数収録。
感 想 等
( 評価 : B)
 シリアとジニー、第2次世界大戦終了直後にアラスカへ渡った2人の若き女性の一生を軸にしながら、アラスカの歴史や自然、アラスカへの想いを綴った星野氏の遺作。
 星野氏が亡くなった時、なぜこれほどアラスカを愛した男が、その地でこんな死に方をしなければならないのかという想いが残った。しかし、それは違うのかもしれない。太古から続く悠久の流れ、果てることのない自然の営み、未来へと連なる時代・歴史、人間の出会いや別れ、そして死すらもがその1コマであり、定めなのかもしれない。その中で、いかにしてより良く生きるか、自分らしく生きるか、それが問われている。
名 言 等
長い目で見れば、人々が今抱えている問題も、次の時代へ辿り着くための、通過しなければならない嵐のような気もしてくる。一人の人間の一生が、まっすぐなレールの上をゴールを目指して走るものではないように、人間という種の旅もまた、さまざまな嵐に出会い、風向きを見ながら、手さぐりで進む、ゴールの見えない航海のようなものではないだろうか。」
ぼくはその時、『間に合った』」という想いに満たされていたのだと思う。あらゆる伝説が消え、あらゆる神秘が目の前に引きずり出された今、私たちにはもう新しい物語があまり残されてはいない。人間の気配がない、誰にも見られていない、太古の昔からの静かに流れてきた壮大な自然のリズム。もう二十一世紀を向かえようとしているのに、時の流れに取り残されているかもしれぬそんな風景を遥かな極北の地に探していたのだった。」

 
 
 
作 品 名
「アラスカ 永遠なる生命」 (星野 道夫、2003年)
紹 介 文
(帯、裏表紙等)
 “広大なアラスカ北極圏で、ぼくは点になって待つ・・・・・・” アラスカに魅せられ、20年にわたりその大自然と動物たち、そこに生きる人々を撮り続けた写真家・星野道夫。
 雄大な自然の中で待ち続けた多くの生命との出会いを、暖かく瑞々しくとらえた写文集。写真と文章とがあいまって臨場感を生み出し、星野道夫の世界がより深く心に響く。
 ―自分の好きなことをやっていこうと決めて、その道を歩いた。極めて密度の濃い人生を生きたのだから、その男は幸せだった、と思います。(父。星野逸馬氏の語り下ろし回想録より)
感 想 等
( 評価 : B)
 写真家・星野道夫の写真と文章を、これまで作品をベースに、テーマごとに組み替えた新装版。
 パートによって文体が異なったりするという難点はあるものの、星野さんの温もりのある文章を、また違った形で味わえるというのは嬉しい限り。自然と人間を見つめる優しさ、暖かさは変わらない。心を豊かにしてくれます。。
名 言 等
この世に生きるすべてのものは、いつか土に返り、また旅が始まる。有機物と無機物、生きるものと死すものとの境は、いったいどこにあるのだろう。」
きっと人間にはふたつの大切な自然がある。日々の暮らしの中でかかわる身近な自然、それはなんでもない川や小さな森であったり、風がなでてゆく路傍の草の輝きかもしれない。そしてもうひとつは、訪れることのない遠い自然である。ただそこに在るという意識を持てるだけで、私たちに想像力という豊かさを与えてくれる。そんな遠い自然の大切さがきっとあるように思う。」
われわれの生活の中で大切な環境のひとつは、人間をとりまく生物の多様性であると、ぼくはつねづね思っている。彼らの存在は、われわれ自身をほっとさせ、そして何よりぼくたちが何なのかを教えてくれるような気がする。一生のうちでオオカミに出会える人はほんのひとにぎりにすぎないかもしれない。だが、出合える、出合えないは別にして、同じ地球上のどこかにオオカミのすんでいる世界があるということ、また、おれを意識できるということは、とても貴重なことのように思える。それはもちろんオオカミだけに限ったことではない。」