作 品 名 | 「岩壁よおはよう」 (長谷川 恒男、1981年) |
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紹 介 文 (帯、裏表紙等) | 落ちこぼれの少年が山登りの魅力につかれ、谷川岳や穂高岳に通い、さまざまな楽しみ悲しみを体験しながら、やがて世界で初めての、冬季アルプス三大北壁の単独登はんに成功する。充実した生き方を求めつづけた青年のさわやかな自伝。 | ||||||||
感 想 等 |
( 評価 : A) 本書は、アルプス三大北壁冬期単独登はんに成功した長谷川恒男氏が、山を始めてからマッターホルンに向う前までを振り返った半生記である。実際に出版されたのは三大北壁登攀後ではあるが、当時のメモをもとに書かれており、その時々の氏の思いが伝わってくる。 言い方は悪いかもしれないが、後年になって人間として大人になった頃の長谷川氏と比較すると、氏がもっとも牙を剥き出しにし、目をぎらつかせていた時の文章であり、ある意味では氏の著作の中で本書が最も魅力的だと思う。長谷川恒男というクライマーを知るうえで、欠かせない1冊である。 |
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名 言 等 |
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作 品 名 | 「山に向かいて」 (長谷川 恒男、1987年) |
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紹 介 文 (帯、裏表紙等) | ヨーロッパ・アルプス三大北壁の登攀に成功し、今また極限のヒマラヤの頂へ向かうアルピニスト、長谷川恒男。大自然に心と体をゆだね、山と一体になることを求めた人間の道程。 | ||||||
感 想 等 |
( 評価 : D) 本書は、登攀記というよりは一種のエッセイであり、クライマー・長谷川恒男がガイド業や登山教室、登山そのものを通じて感じていることがそのまま綴られている。 「岩壁よ おはよう」と比べると丸くなったと言わざるを得ないが、氏の言はまるで仙人か何かのように達観した部分がある。特に死生観に関わる部分は、常に死と隣り合わせの登攀をしているだけに悟りきった感があり、いつ死んでも悔いのない、そんな生き方をしている感じがする。 書物としてのおもしろさはまた別という気がするが、ある種の哲学書として読めば、学ぶべき点は多い。 |
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名 言 等 |
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作 品 名 | 「生きぬくことは冒険だよ」 (長谷川 恒男、1992年) |
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紹 介 文 (帯、裏表紙等) |
マッターホルン、アイガー、グランドジョラスの三大北壁冬季単独登攀をなし遂げた男 長谷川恒男。寒さ、恐怖、そして孤独を乗り越えた時、彼は生の、より深い、より輝いた世界を見いだしたのだった。 “挑戦”の登山家が「思考を越えた意識」によって山に誘われ、自然と一体化した無我の登山に至る心の軌跡を綴る。1991年10月、ウルタルU峰で雪崩に逝ったアルピニストの熱きラスト・メッセージ。 |
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感 想 等 |
( 評価 : C) 長谷川恒男氏のアルプス三大北壁冬期単独登攀の記録である。氏の人生における最大の見せ場であり、真骨頂の部分だけに読み応えがある。 が、それ以上に感心するのがその死生観である。生と死についての記述が随所に出てくるが、「死」というもの、「死後」というものを悟り切った氏の生き方は、そのまま氏の「登山」あるいは「単独登攀」のあり方に結びついている。長谷川氏にとっては、まさに「生きぬくことは冒険だよ」の言葉通り、登山こそが生きることそのものであったように思う。ここまで純粋に、登山というものだけを追い求め、極めていったという意味で、稀有な人物といえよう。 |
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名 言 等 |
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作 品 名 | 「富士山村山古道を歩く」 (畠山 操八、2006年) |
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紹 介 文 (帯、裏表紙等) | 100年ぶりに甦った幻の登山道ガイド | ||
感 想 等 |
( 評価 : D) 平安末期に開かれたという富士山最古の登山道、100年以上前に廃道になったという村山古道を復活させた畠掘氏による登山ガイド。実に素晴らしいことだ。村山古道が廃道になったのがそんなに昔のことでもないのに、意外と険しい道だという事実に驚いた。 この本を知った時、どうやって村山古道を復活させたのか、そこに至る裏話・苦労話を自分は知りたいと思ったのだが、本書は開拓秘話というよりはガイドブックに近い。その意味で、分類をどうするか迷ったが、本人が実際に古道を辿った時の話を、開拓の苦労を交えながら書いているので、山行記の括りとした。 本書は、これはこれで必要だと思うが、自分にとっては期待とちょっとズレていた(自分の勝手な思い違いのせいだが・・・)。あと内容的に少し気になったのは、歴史に係る記述が今一つ分かり難い気がする。 |
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名 言 等 |
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作 品 名 | 「サバイバル登山家」 (服部 文祥、2006年) |
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紹 介 文 (帯、裏表紙等) | 「この本を読むと、人間あくまで動物の一員であるというあたりまえの真実を、思い知らされるにちがいない。」(山野井泰史) | ||||||||||||
感 想 等 |
( 評価 : B) 豊かで満ち足りた時代に生まれ育ったがゆえの飢餓感、焦燥感、不安、欠落感。その思いゆえに、生きていることを感じたいと考え、筆者なりに辿り着いた答え、それが食糧や装備を極力持たずに山に入るというサバイバル登山だ。筆者のもがき苦しむ気持ちは、同世代の人間として非常にはよくわかる。 もっとも、それを本当に実践できるかどうかは、その思いの強さ、自分を殺さずに生きることへの拘り次第で、いい加減な自分としては恥ずかしくなる。 もちろん、サバイバル登山による日高全山縦走、冬期の黒部横断など、山行そのものの凄まじさは言うまでもない、というか想像の域を脱している。これですら、服部氏の経歴、経験からすれば、そのほんの一部を記しているに過ぎない。 人はいかに生きるべきか、その答えは千差万別だけれど、その一つがここにある気がする。 |
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名 言 等 |
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作 品 名 | 「サバイバル!」 (服部 文祥、2008年) |
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紹 介 文 (帯、裏表紙等) |
日本海から上高地へ。200kmの山塊を、たった独りで縦断する。持参する食料は米と調味料だけ。岩魚を釣り、山菜を取り、蛇やカエルを喰らう。焚き火で調理し、月の下で眠り、死を隣に感じながら、山や渓谷を越えてゆく−。 生きることを命懸けで考えるクライマーは、極限で何を思うのか?その洞察力に、読者は現代が失った直接性を発見するだろう。<私>の、<私>による、<私>のための悦びを取り戻す、回復の書。 |
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感 想 等 |
( 評価 : C) 前作、「サバイバル登山家」で強烈な個性、生への拘りを見せつけた服部氏の続作である。今の時代、お金を払えばたいていの物は買えるし、たいていのことはしてもらえる。筆者はそれを「ゲスト」と呼び、お客さんとしてではなく、自分自身が人生の「主」となって、自分自身の能力だけで生きていくことを提唱する。それが、サブタイトルの「人はズルなしで生きられるのか」の意味だ。 衣・食・住どれをとってもそうだが、今の自分たちは、お金を介して、他人から与えられたもので生きていくことに慣れ親しんでいる。そこから脱却して生きていくことは容易ではない。服部氏の言うことはよくわかるものの、いざ自分がそれを実践しようと思ったら、それがいかに容易ならざることかを痛感する。服部氏のバイタリティ、自分らしく生きることへの渇望は前作にも勝るとも劣らないが、その合間に覗き見える、ちょっとした甘えや野心、欲望がまた人間らしかったりもする。サバイバル=ズルしないで生きる、難しいけれども、その気持ちだけは忘れずにいたいものである。 |
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名 言 等 |
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作 品 名 | 「百年前の山を旅する」 (服部 文祥、2010年) |
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紹 介 文 (帯、裏表紙等) |
山が文明に冒されていなかった時代へ テクノロジーを遠ざけて山に登る“サバイバル登山家”は、さらなる「手応え」を求めて、古の山人や明治の登山家の足跡をたどりはじめた。股引、脚絆にわらじという出で立ち― 自由と野性に溢れる紀行文集。。 |
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感 想 等 |
( 評価 : C) 今回の本は、木暮理太郎や田部重治、ウェストンなど、昔の人々が登った山々、歩いた道を、当時と同じ装備・道具で、当時と同じ行程を辿ってみようという企画型の登山。もちろん、そのベースにある考えは、文明の機器やテクノロジーを拒否し、自分自身の力だけで山を歩くというサバイバル登山だ。 商業的に言えば、サバイバル登山を従来同様に実践しただけでは本としての新味は薄れてしまうところだが、過去の登山家等の経験を追体験するという形を取ることで、また違った面白さが加わった。実際、本書により田部重治や木暮理太郎のイメージが変わったし、極地探検とブラスストーブの関係についての着想も興味深い。 サバイバル登山について言えば、どうしても矛盾が付いて回る。自然と不自然の境目を、機械を使ったか否かと定義しながら、ブラスストーブを使った山旅については、今のガスストーブより不便だからという理由で肯定しているようにも見える。その辺の矛盾は本人もわかっているようだ。個人的には、本人が納得して決めたものであればそれでいいと思う。私自身の山行スタイルも、趣味も、生き方も、所詮は自己満足なのだから。多少の矛盾は内包しているが、服部氏のスタイルは徹底しているし、こだわりがはっきりしているところがいい。 |
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名 言 等 |
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作 品 名
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「サバイバル登山入門」 (服部 文祥、2010年)
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紹 介 文
(帯、裏表紙等) |
テントなし。時計なし。ライトなし。米と調味料だけ持って、シカを撃ち、イワナを釣って山旅を続ける。登山道には目もくれず、沢をヤブをつき進む。危険と隣り合わせの圧倒的な自由。 | ||||||||
感 想 等
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( 評価 : C) サバイバル登山家である服部氏の経験に裏打ちされた、さまざまなサバイバル術が詰まった1冊。タイトル通りノウハウ本ではあるが、根底には、服部氏ならではの物の見方、考え方、哲学が貫かれており、やはり山岳エッセイという位置付けで考えたい。 冒頭の「はじめに」の一文がとにかく秀逸。生きること、命の意味、登山について、ここまで明確に言葉で表現できる人はそうそういないだろう。服部氏が、小説「K2」でカニバリズムを描いたことの意味が、この一文を読むとよくわかる。 本文の方では、歩く、食べる、眠るなどサバイバルにおける様々な行動について、独自のノウハウが展開されている。特に、鹿の解体やイワナの刺身などについて、詳細な写真入りで紹介している「食べる」の項は凄い。「食べる」だけで全体の4割ほどを占めており、食の重要性を感じさせられる。どの項目を読んでも、ノウハウに感心するというより、自分にはここまでできないなぁという感嘆と羨望の思いしか出てこない。服部氏のこだわりには脱帽するしかない。 その服部氏でさえ、「装備」の項では、ウェア、ザック、ロープ、チェーンスパイク等々、技術進歩の恩恵と言わざるをものを使用しており、現代人がいかに楽をしているかを痛感させられる。その意味で唯一気になるのは、服部氏はルールを自分で決めるのがサバイバル登山だと言うが、フェアとか、ズルをしないとかいう表現を使うと、やはり服部氏のルールで評価しているように聞こえてしまう。もう少し、異なる表現はないものだろうか。。 |
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名 言 等
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作 品 名 | 「What's Next? 終わりなき未踏への挑戦」 (平出 和也、2023年) |
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紹 介 文 (帯、裏表紙等) | ピオレドールを3度も受賞した トップクライマーにして 映像カメラマン・平出和也が、 これからの挑戦を前に半生を振り返る |
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感 想 等 |
( 評価 : A) 日本人初のピオレドール賞受賞者にして、これまで3度も受賞しているアルパインクライマー平出和也による初の登攀記。シブリン、カメット、シスパーレ・・・。言葉でしか聞いたことがなかった、急峻な雪の難峰、これまで人を寄せ付けなかった絶壁。山の美しさ、気高さ、崇高さ、それだけでも十分感動ものだ。 平出氏は、若い頃から山狂いだったわけでもなく、国内で谷川や穂高でクライミング技術を磨いたわけでもなく、国内→ヨーロッパアルプス→ヒマラヤというステップを踏んだわけでもない。大学二年生の時に山岳部に入部してから、あっという間に海外に挑戦し、未踏の壁・山へ足跡を残していく。色々な意味で凄くて新しい。やればできるという可能性、希望、明るさを見せてくれている。 誰からも愛されたという、今は亡き谷口ケイとのザイルパートナーとしての堅い結びつき。そして、別れへの続く物語は思わず涙を誘う。そして、TVなどでもお馴染みの若手のホープ中島健郎とのクライミング。登山ならではの出会いの素晴らしさだろう。 本書の新しさという点では、You Tubeの映像とリンクしている点も見逃せない。文字で読んだばかりの感動が、美しい映像でもう1度味わうことができる。一般の人間が、こんな緊張感や美しい景色、凍えるような寒さを味わうことが出来るとは、時代も変わったとしみじみ嘆息する。素敵な感動をありがとう。 |
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名 言 等 |
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作 品 名 | 「尾瀬に死す」 (平野 長靖、1972年) |
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紹 介 文 (帯、裏表紙等) | 1971年12月、尾瀬の長蔵小屋から下山途中遭難、平野長靖の短かすぎる生涯は自然保護運動の先駆的足跡とともに語り継がれている。初代の環境庁長官に就任したばかりの大石武一長官への訴えは、長官の「蛮勇」を引き出し、三平峠に迫っていたブルドーザーを止め行政の決定を覆すという、事態の劇的転換を成し遂げた。彼の最後の言葉に、「まもる/峠の緑の道を/鳥たちのすみかを/みんなの尾瀬を/人間にとって/ほんとうに大切なものを」とある。 | ||||
感 想 等 |
( 評価 : C) 尾瀬の自然を守るために文字通り命を賭けて立ち向かい、自然破壊を阻止しただけではなく、自然保護のあり方に大きな一石を投じた平野長靖氏の遺稿集。 ここには、聖人君子のようにただひたすらに自然保護へと立ち向かったわけでもなく、強烈なリーダーシップで回りを引っ張って活動を続けたわけでもない生の平野氏の姿がある。自らの定め、宿命に悩みながらも、今の自分にできること、なすべきことを真剣に考え、立ち向かって行った1人の男の生き様がある。 |
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名 言 等 |
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作 品 名
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「K2登頂 幸運と友情の山」 (広島 三朗、1986年)
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紹 介 文
(帯、裏表紙等) |
K2登山が開始されてからも、三朗さんは意欲的に行動し、私がB・Cに着いた時にはC1へのルート工作が完了していた。彼はガタガタ口先だけ議論するのではなく、即行動するタイプなのだ。登山には、計画段階においても、登攀活動中にも即行動する人間が必要なのだ。三朗さんのようなタイプの隊員ばかりでも、大きな遠征は成功しないかもしれないが、少なくとも今回の遠征に彼が果たした役割は実に大きなものがあった。(登山家・原田達也) | ||||
感 想 等
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( 評価 : C) 在野にありながら、日本人として初めてK2に登頂した登山隊に登攀隊長として参加し、自らも登頂を果した筆者による記録。 準備を含めた登山の苦労がよくわかり興味深いが、先に本田靖春氏によるドキュメントを読んだせいか何か物足りない。なぜか。よくはわからないが、本田氏の本に描かれていた様々な人間模様の印象が強過ぎたせいかもしれない。広島氏がいろいろなメンバーに気を使ったのか、あるいは隊全体を見られる立場にいなかったというだけのことかも知れないが、妙に大人しい感じがして、人間臭さに物足りなさを感じたのかもしれない。 あと、どうでもいいことだが小見出しのつけ方が今ひとつ趣味じゃない。 |
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名 言 等
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作 品 名 | 「わが山山」 (深田 久弥、1934年) |
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紹 介 文 (帯、裏表紙等) | 山の文章を文学の域にまで高めた著者の功績はまことに大きい。平易な文章を通して真に山を愛する者の素直な感想がそのまま伝わってくる著者の最初の山行記集。 | ||||||||
感 想 等 |
( 評価 : C) 「日本百名山」でお馴染み深田氏の紀行集である。同時代の他の登山家の著書と比較すると、あまり冒険的な雰囲気は感じられない。登山、登攀というよりはワンダリングと言った方が近いだろう。だが、深田氏がいかに山を好きか、山に恋しているかは充分に伝わってくる。そして、登山というものが不便ではありながらも、いや不便であるがゆえに、原始に還る手段となり得た時代の伊吹が感じられる1冊である。 |
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名 言 等 |
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作 品 名 | 「雪・岩・アルプス」 (藤木 九三、1930年) |
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紹 介 文 (帯、裏表紙等) |
モンブラン、マッターホルンなどヨーロッパ山岳紀行と、穂高滝谷のわが国初登攀の報告や日本アルプス紀行を収める。 近代登山の実践にまた普及に、情熱を注いだRCC創立者の香り高い山恋いの書。 |
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感 想 等 |
( 評価 : C) 私の藤木九三氏のイメージは、一面的で申し訳ないが、瓜生卓造氏の山岳小説「大岩壁」によって作られていた。すなわち、滝谷の初登攀において、学生の四谷某を出し抜いたのではないかというものである。その意味においてはあまり良い印象ではなかったが、本書を読んでそれは変わった。 本書にも出てくる滝谷の真相は依然わからないが、戦前の日本山岳会黎明期にあって、モンブラン、マッターホルン、ワイスホルンといったヨーロッパアルプスを攀じり、滝谷などで初登攀の名を残す。しかも、大学山岳部出身ではなく、社会人になってから山を始めている。それだけでもうすごいことだと言わざるを得ない。 |
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名 言 等 |
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作 品 名 | 「わが岩壁」 (古川 純一、1965年) |
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紹 介 文 (帯、裏表紙等) | 昭和三十年代初期に始まった初登攀の全盛時代に、著者は生の充実を岩壁に賭けて、谷川岳、剣岳、穂高岳などに幾多の驚異的な登攀を行った。精神と肉体の最も果敢な時間をつづる九つの記録。 | ||||||||||||||||
感 想 等 |
( 評価 : C) 戦後、1950年代後半から60前代前半にかけて、日本中のありとあらゆる壁という壁の初登攀が競われた時代があった。そうした時代を、松本龍雄や吉尾弘などとともにリードした1人が本書の著者、ベルニナ山岳会の古川純一である。 本書は氏の9つの登攀記録から構成されており、極めて実践色の強いまさに山行記そのものといった作りとなっている。その意味で、読んでいておもしろいというより、感心すると言った方が当てはまる。 登攀内容もさることながら、氏のアルピニズムや登山・登攀などに対する考え方なども随所に記されており、一時代を画したクライマーの登攀記として一読の価値はあろう。 |
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名 言 等 |
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作 品 名
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「私の南アルプス」(不破 哲三、1998年)
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紹 介 文
(帯、裏表紙等) |
元日本共産党委員長として、政党を超えて国民に圧倒的人気のあった不破哲三氏。その多忙を極めていた当時、不破氏は夏休みをやりくりして、奥深い南アルプスに、毎夏、通っていた。十三座ある三〇〇〇メートル峰を十年かけて踏査、山の紀行文を一冊にまとめた氏の南アルプスに関する集大成である。素晴らしい頂上からの展望や、種類の多い高山植物tの出会い、行き交う登山所との交流など、南アルプスの魅力が余すところなく綴られる。 | ||||||
感 想 等
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( 評価 : C) 著者は、登山・執筆当時、日本共産党の委員長。53歳から登山を本格的に開始。58歳だった1988年に仙丈岳テント山行へ出かけたのを皮切りに毎年のように南アルプスに出かけ、10年かけて主要な峰々を制覇した。多忙にもかかわらず、なぜこれほど南アに通ったのだろうか。不破さんは、著書の中で山が好きな理由について「自然の深さ、大きさ、美しさということに、まず尽きるような気がします。とくに南アルプスに入って、その感が深い」と述べている。いくら好きとはいえ、60代で南ア3,000m峰全座登頂はさすが。 文中にちょいちょい周囲の人から記念撮影を求められた話が出てくるのにはちょっとウンザリするが、文章は簡明で分かりやすい。そして、著者の知識の広さ・深さを感じさせるものがあり、さすが著書100冊を超える、日本共産党きっての論客だけのことはあると感心する。 |
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名 言 等
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作 品 名
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「雪山放浪記」 (星野 秀樹、2012年)
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紹 介 文
(帯、裏表紙等) |
雪山には自分だけの トレースを刻む楽しみがある。 雪に導かれるまま、気の向くままに、 雪山へ自由を求めて彷徨った34のコースガイド |
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感 想 等
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( 評価 : B) 「山と渓谷」や「岳人」でお馴染みの山岳カメラマン・星野秀樹氏による雪山山行記兼ガイドブック。「雪山の楽しみは(中略)ラッセルにある」という言葉に端的に表れているように、本書からは著者の雪山愛がビンビン伝わってくる。 取り上げている山々には、よくこんな時期に、こんな山に行くなぁという、マニアックなコースがたくさんある。雪山への思いはよく分かるが、現実は厳しい。軟弱な自分などは、冬の夜に、炬燵にくるまりながら読みたい。 写真が良いのはもちろんだが、文章にも味があり、読んでも眺めても楽しい1冊。余談ですが、カバーを取った内側の装丁もかわいい。 |
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名 言 等
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作 品 名 | 「イニュイック〔生命〕」 (星野 道夫、1993年) |
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紹 介 文 (帯、裏表紙等) | 氷を抱いたベーリング海峡、112歳のインディアンの長老、原野に横たわるカリブーの骨―壮大な自然の移り変わりと、生きることに必死な野生動物たちの姿、そしてそこに暮す人々との心の交流を綴る感動の書。アラスカの写真に魅了され、言葉も分からぬその地に単身飛び込んだ著者は、やがて写真家となり、美しい文章と写真を遺した。アラスカのすべてを愛した著者の生命の記録。 | ||||||||||
感 想 等 |
( 評価 : B) 夜が明けて朝になり、昼が過ぎ、そしてまた夜が来る。春・夏・秋・冬、そしてまた春が訪れる。小さな種から芽が出て、苗がすくすく育ち、やがて大きな木となるが、いつか枯れ果て、朽木となって大地へと帰っていく。そんな風に、人の一生、あるいは人類の歴史も、繰り返されていく。一瞬一瞬を大きな流れの中で捉えていく星野道夫流の哲学は、小さな人間という存在を儚んで、いい加減に生きるのではなく、その小ささゆえに瞬間をいとおしみ、慈しんで生きているのだ。全ての人間は、全ての自然は繋がっていて、必要のないもの、無駄なものなど一つとしてない。心を温かくしてくれ、明日への活力を与えてくれる1冊だ。 |
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名 言 等 |
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作 品 名 | 「旅する木」 (星野 道夫、1995年) |
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紹 介 文 (帯、裏表紙等) | 広大な台地と海に囲まれ、正確に季節がめぐるアラスカ。1978年に初めて降り立った時から、その美しくしも厳しい自然と動物たちの生き様を写真に撮る日々。その中で出会ったアラスカ先住民族の人々や開拓時代にやってきた白人たちの生と死が隣り合わせの生活を、静かでかつ味わい深い言葉で綴る33編を収録。 | ||||||||||||
感 想 等 |
( 評価 : A) アラスカに移り住んで15年。アラスカの自然を愛し、アラスカで亡くなった写真家・星野道夫氏のエッセイ集。この本を読むと、心が温まる。それは星野さんの文章が、気持ちが、常にやさしさや愛情に満ちていて、生きていることの幸せが感じられるからだろう。 自然と接し、人と出会い、歴史を感じながら、大きな力あるいは流れのようなものの中で、力まず自然体な生き方をしていく。こんな生き方ができれば、人は幸せになれるのかもしれない。もう少し正確にいうならば、こういう考え方ができればということかもしれない。誰もが悩み、傷つきながらも日々を一生懸命生きている。その間に間に、幸せもあるはずなのにそれを感じることができないと、辛い思いだけが残ってしまう。 心が疲れた時、自分を見失いそうな時、考える余裕がない忙しい時、そんな時にこそ、読み直したい本である。 |
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名 言 等 |
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作 品 名 | 「ノーザンライツ」 (星野 道夫、1997年) |
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紹 介 文 (帯、裏表紙等) | ノーザンライツとはオーロラ、すなわちアラスカの空に輝く北極光のことである。この本には、運命的にアラスカに引き寄せられ、原野や野生生物と共に生きようとした人たちの、半ば伝説化した羨ましいばかりに自主的な生涯が充ち満ちている。圧倒的なアラスカの自然を愛し、悠然と流れるアラスカの時間を愛し続けて逝った著者の懇親の遺作。カラー写真多数収録。 | ||||
感 想 等 |
( 評価 : B) シリアとジニー、第2次世界大戦終了直後にアラスカへ渡った2人の若き女性の一生を軸にしながら、アラスカの歴史や自然、アラスカへの想いを綴った星野氏の遺作。 星野氏が亡くなった時、なぜこれほどアラスカを愛した男が、その地でこんな死に方をしなければならないのかという想いが残った。しかし、それは違うのかもしれない。太古から続く悠久の流れ、果てることのない自然の営み、未来へと連なる時代・歴史、人間の出会いや別れ、そして死すらもがその1コマであり、定めなのかもしれない。その中で、いかにしてより良く生きるか、自分らしく生きるか、それが問われている。 |
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名 言 等 |
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作 品 名 | 「アラスカ 永遠なる生命」 (星野 道夫、2003年) |
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紹 介 文 (帯、裏表紙等) |
“広大なアラスカ北極圏で、ぼくは点になって待つ・・・・・・” アラスカに魅せられ、20年にわたりその大自然と動物たち、そこに生きる人々を撮り続けた写真家・星野道夫。 雄大な自然の中で待ち続けた多くの生命との出会いを、暖かく瑞々しくとらえた写文集。写真と文章とがあいまって臨場感を生み出し、星野道夫の世界がより深く心に響く。 ―自分の好きなことをやっていこうと決めて、その道を歩いた。極めて密度の濃い人生を生きたのだから、その男は幸せだった、と思います。(父。星野逸馬氏の語り下ろし回想録より) |
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感 想 等 |
( 評価 : B) 写真家・星野道夫の写真と文章を、これまで作品をベースに、テーマごとに組み替えた新装版。 パートによって文体が異なったりするという難点はあるものの、星野さんの温もりのある文章を、また違った形で味わえるというのは嬉しい限り。自然と人間を見つめる優しさ、暖かさは変わらない。心を豊かにしてくれます。。 |
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名 言 等 |
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