山岳ノンフィクション(山行記)
〜詳細データ・さ行〜
 
 
 
作 品 名
「会心の山」 (佐伯 邦夫、1982年)
紹 介 文
(帯、裏表紙等)
 著者は地元の北アルプス北部、頚城の山々などに、三十年の足跡を残している。山の風、におい、光、音が肌で感じられ、日本の山のよさを改めて教えられる珠玉の山行記集。
感 想 等
( 評価 : C)
 佐伯氏による本書は、1960〜70年代の氏の山行を記したものである。既に8,000m峰も征服され、日本人がヒマラヤやヨーロッパアルプスで名を馳せている時代である。そうした中、佐伯氏の登山は必ずしも時代の先端をいくものではない(もちろん、私のようなものからすれば、十分ハードで困難な登攀を行っているのですが・・・)。しかし、佐伯氏の山行には佐伯氏なりの拘りがある、美学がある。"会心の登山をしたい"。ただそのことに固執し、結果よりも過程に拘る。そのスタイルは、冒険や探検というものがなくなりつつある現代における、登山の方向性・あり方を示している。そしてそれは、そこまでの登山をしない一般の登山者・ハイカーにとっても、個人としていかに山を楽しむかという意味において、一つのヒントを見せてくれていると言えよう。
名 言 等
この切ないほどに成功することに心を懸けながら、なお敗退して心満ち足り、成功してなお空しさをかみしめるということを、人は倒錯した感覚ととるであろうか。そうではあるまい。もしわれわれは成功して充分に満ち足りるものであったならば、なにもこうまで執拗に山を登りつづけてくることはなかったであろうし、敗退が常に徹頭徹尾みじめなものであっても、やはり同じであろう。登山は、登頂の成否にすべてがかかっているのではない。登山の哀歓という点からみれば登攀の成否は、重要なはたらきをするにしろ、一部分に過ぎないであろう。」
快適、不快適は、人間の心と感性の問題だ。いろんな山がただ世に存在するだけで、それを快適とするか、不快適とするかはひとえに人間の選択の問題なのだ。山に憧れ、そしてそれをいかに登り、その山からいかにいい思いを受け取るかは百パーセント人間の側の問題だと思う。であればせっかくやってきたのならそこからせいいっぱいいいもの、美しい思いを得ていかなきゃ、来ている意味がないじゃないか―。」
冬山訓練として立山に登るのが目的であろうと、訓練登山もまた登山である以上、体育館で筋肉をきたえたりするのとわけがちがう。それも立山だ。いや、立山であってもなくても、真剣に、全力でぶち当たるべきなのだ。それが山に対する礼儀というものだ。それが登山の基本姿勢というものだ。」
どんな山だって、大事なのは、それをいかに登るかだ。もとよりぼくらは山中にただ在るためにだけ来ているのではない。登山者でありクライマーである以上、いかにそれを為すかが問題ではないか―。すばらしいはずの雄山直登を今なぜすばらしいままに為すことができないのか―。会心の登山をしたい。静かに、自らのうちに湧き起こる意志と力だけで登りたい―。」

 
 
 
作 品 名
「ひとりぼっちの山歩き」 (佐古 清隆、1987年)
紹 介 文
(帯、裏表紙等)
 山歩きはひとりぼっちがいい。
 山の静けさや美しさ、可憐な高嶺の花々、小鳥たちの合唱、そして山頂の大パノラマもすべてひとり占め。ひとり歩きながら他人に気がねすることもなく、自分自身で山行を自由にデザインできます。ずっしりとした充実感を味わうのもひとりなら、不安を抱きながら危険や困難に立ち向かうのもひとりぼっち。強気と弱気が交錯し、思わぬ自分の姿を発見することもあるでしょう。

 山登りを始めたのが28歳という遅咲きの著者は、以来、組織に加わることもなく、見よう見まねで試行錯誤を繰り返しながら、「日本百名山」を中心に日本の主要山岳を意欲的に登り続け、自分なりの山行スタイルを作り上げてきました。ひとり歩きだからこそ感じる充実感と喜び、驚き、悩み、不安、とまどい・・・・・。その体験は単独行者の共感を呼び、今後の山行に大いに役立ってくれることでしょう。本書は山仲間のいない、ひとりぼっちのあなたを、心から応援します。
感 想 等
( 評価 : C)
 本書は、佐古清隆という1人の単独行者の実践・経験を通して書かれたノウハウ本である。山行計画に始まって、服装・装備、実践と一応ノウハウ本となっているが、いわゆる一般論ではなく佐古さんの経験論ということで、分類上は山行記とした。
 内容については、単独行を中心とする自分にとっては、「あー、あるある」とか「そうそう」といったうなづきの連続で、昔の自分を見るような思いにとらわれた。その意味では、単独行を含めて山を始めて間もない人にとって、非常に有益な1冊ではなかろうか。
名 言 等
単独行には決められた型(パターン)はありません。単独行したい心が初めにあって、その先に自分流の単独行ができあがっていくのだと思います。」

 
 
 
作 品 名
「てっぺんで月を見る」 (沢野 ひとし、1989年)
紹 介 文
(帯、裏表紙等)
 遭難者の亡霊が舞うかのような谷川岳・一ノ倉沢。スケールの大きさにおののいた穂高・屏風岩の岩登り。アルプス、アイガー西壁で起こした転落事故。ヒマラヤのメラ・ピーク(六四七三m)のてっぺんで見た青い月―。
 奥多摩の小さな山から、本格派のヒマラヤまで十七の山山で体験した感動と、背中合わせの恐さを、リリカルに綴った山のエッセイ。
 少年時代から心に「山」を抱いて生きてきた男の、さまような魂の物語でもある。
感 想 等
( 評価 : C)
 ほんわかとした絵を描くイラストレーター沢野ひとし氏のエッセイ集。絵には似合わぬというと怒られそうだが、意外とハードな山を志向し、また実践している。
 中年と言われる年になって脱サラし、仕事をしながら山にのめり込む。きっと実際の生活ははるかに厳しいのであろうが、そんなことはおくびにも出さず自由奔放に山を楽しむ。その姿勢がいい。山は楽しくてナンボである。
名 言 等
ある山の本に、すべての頂には憩いがある、という一文があったが、その憩いを少しでも体験したいために山に登るのかもしれない。歩く体力さえあれば、まだこの先三〇年は山登りができるはずだ。三〇年か。そう考えると僕は愉快でしかたがなかった。」

 
 
 
作 品 名
「休息の山」 (沢野 ひとし、1994年)
紹 介 文
(帯、裏表紙等)
 都会に倦み疲れた心にやさしくしみわたる山からのたより。待望の、沢のひとし・山の画文集。
感 想 等
( 評価 : C )
 脱サラの絵描き、イラストレーター・沢野ひとし氏のエッセイ集。自身の子供の頃の思い出から、最近の山行、日常の風景などテーマはさまざま。大蔵喜福氏や赤沼健至氏(燕山荘)、蓑浦登美雄氏(白山書房)ら有名人が登場するのも楽しい。絵はほんわかとしていて、どことない暖かさがあるが、人物絵は今ひとつか。
名 言 等
山登りの爽快感は大汗をかいたあとの休憩時にやってくる。何も考えず、ただボーッと山を見つめているあの放心したような状態を、なんと表現したらよいのだろうか。自分がまるで鳥や動物になったようで、たまらなくうれしい気分になってくる。おだやかな気持ちなのだが、いくらか興奮している摩訶不思議な状態でもある。」
近ごろは、ひと昔前のようにつんのめった山登りはしなくなった。この歳になってやっと落ち着いて仕事に専念する気持ちも出てきて、山は休息の場でよいのだと思うようになった。」
若いときの僕の山登りの考え方は、なにがなんでも頂上に立つ、つまり登山は頂上に立つことに意義があると思っていた。それが四十代になったころから山に対する考え方が大きく変わってきた。山には鳥も花も樹木も水もあるではないか・・・・・・。つまり山の自然を受けとめられる余裕が出てきたのだ。」

 
 
 
作 品 名
「山の帰り道」 (沢野 ひとし、2011年)
紹 介 文
(帯、裏表紙等)
山があるから登り、酒があるから飲む。
 
いくつになっても好奇心とわがままは人一倍。丹沢から南アルプスまで、飽きることのない山への憧憬を、町田の馬肉屋で梅割を飲みながらつのらせる、哀愁画伯の抒情エッセイ集。
感 想 等
( 評価 : C)
 「山と渓谷」や「山の本」「本の雑誌」などに、2005〜2010年にかけて連載されたエッセイを集めた1冊。独特の下手ウマイラストは相変わらず味がある。
 本書を書いた頃の沢野氏の年齢は60歳台前半。かつてハードな山行をしていたはずの氏が、低山の魅力を語り、里山を徘徊する。「本の雑誌」に書いたエッセイでは、兄の死や健康、老後生活の話が出てくる。エッセイなのだから、年齢に応じたその時々の関心事項がテーマとなるのは当たり前のことなのだが、その哀感になんとなく淋しさを感じる。その一方で、そこ書かれている内容を理解できる年齢に近づき始めている自分に気付き、侘しさと同時に諦念も感じてしまう。年を取るとは難しいものだ。
名 言 等
山はもともと動物の世界、動物の暮らす場所である。人間は「すいませんね。おじゃまします」ともっと謙虚になるべきだ。低山の魅力はこの動植物の暮らしをそっと見られるところにある。」
あとになると意外なことに、写真よりも絵のほうが思い出として残っている。絵には山への想いが知らぬ間に乗り移っているもかもしれない。」
山には遭難がつきものだが、危険だといって岩登りや冬山を経験しなくては山の魅力も半減してしまう。」
机上で写真や画集を見ながら描いた絵は、どうしても臨場感に欠けてしまう。やはり山の絵は自然の中を歩いてこそ身についてくるものだ。」
山で描いた絵は後々まで心に残る。手を動かしたぶん思い出が体の奥までしみ込むからだろうか。」

 
 
 
作 品 名
「ザイルの二人」 (鴫満則・秋子、1983年)
感 想 等
( 評価 : C)
 モンブランをこよなく愛し、1970年代という時代に毎年のようにモンブランに出掛けていた鴫夫妻の登攀記録。なのだが、そういうよりも、2人の愛情の証と言うった方が適切かもしれない。普通の男女、夫婦とは少し違うかもしれないけれど、山を通して2人が堅い絆で結ばれていることがわかり、羨ましいくらいだ。山書としては珍しい夫婦の記録だが、何ともいえない暖かさがある。
名 言 等
単独をやる人間はみんな臆病なんだ。だから単独ができるんだ。ひとりで岩壁にいると寂しくてたまらなくなる。怖いからよけい慎重にもなる。だから登り切れるのさ。(満則)」
山とは不思議なものだと思う。人を夢中にさせる何かを持っている。そしてまた、恐ろしいものだとも思う。一つの山が終るたびに、もっとむずかしい山へ、もっとむずかしいルートへと追いやる不思議な魔力を持っている。それが私でさえも放そうとしない。(秋子)」
登山は、常に困難で危険なルートを求めるものなのだ。そして重要な点は、ルートをいかにして登るかである。(満則)」
山は私に登攀のすばらしさと厳しさを教えてくれた。そして夫はともに登る喜びを私に教えてくれた。私は力がつづく限り、夫とともに冬のアルプスの岩壁や氷壁を登りつづけていくだろう。それが私たち夫婦の山であり、生き方なのだから。(秋子)」
私の四十メートル先にはいつも必ず彼がいた。それはどんなものにも代えることのできない信頼であり、心のきずななのだ。それがある限り、私はどんな所へでもついてゆけるだろう。(秋子)」

 
 
 
作 品 名
「秘境ごくらく日記」 (敷島悦朗、2002年)
紹 介 文
(帯、裏表紙等)
沖縄県西表島から鹿児島県屋久島、オーストラリアのタスマニア、ロシア・サハリンの間宮海峡…。海、山、川、そして穴。神出鬼没、地球さすらい人の秘境冒険の顛末。『クオーク』『岳人別冊』等の連載をまとめて刊行。
感 想 等
( 評価 : C)
 敷島氏というと自分の中ではガイドブックを執筆されている方というイメージがあったが、あれだけ沢や海外登山に詳しいということは、それだけ登っているということなのだろう。
 本書は、八丈小島に行きたいと思って、その山行記録が載っている本を探していた時に唯一見つかった本だ。その山行記録自体は古くてあまり参考にならなかったが、大黒島や西表島などを見ていると行ってみたくなる。「朝日連峰」の章では、タキタローを探しに行った昔の自分を思い出した。
 本書からは、とにかく山行や冒険の楽しさが伝わってくる。気の合う仲間と、ワクワクするような体験をしに行く。登山、沢登り、雪山、ケービング、ダイビング・・・・・、何でもござれだ。楽しそう・・・、とにかくそれがいい。
名 言 等
『地球という地べたに張りつき、自然からの恩恵を受け、自然の狂暴さを体全体で受け止め、肌で感じ取りながら、自然とともに生きる人たち』を目の当たりにするとき、自分たちの生き方についてあらためて考えさせられる。」

 
 
 
作 品 名
「ヒマラヤから百名山へ」 (重廣 恒夫、2003年)
感 想 等
( 評価 : C)
 K2日本人初登頂やエベレスト北壁世界初登攀などヒマラヤで数々の記録を残し、新しい所では日本百名山123日連続踏破などを行った重廣氏の著作。
 前半は、氏が担うことの多かったタクティクスの方法論と、タクティクスを主眼にした山行記。後半がヒマラヤ登山と百名山の記録となっている。
 登攀記・山行記として素晴らしいのは言わずもがなだが、タクティクスに注目した登山書という意味では他に記憶がない。日本百名山の連続踏破という企画が、タクティクスの延長から産まれたという話も興味深い。
名 言 等
山登りの楽しみは自ら計画書を作ることにある。地図やガイドブック、写真集などから目的の山を選び、そこに到達するための計画を作り、体力や技術を身につける。そういうプロセスを経てこそ、実際の登山において気象の変化の合間に垣間見えるすばらしい光景や、頂上で感ずる達成感は何物にも代え難いものとなる。計画する楽しさと、それを達成する喜びを感ずることが登山の醍醐味であり、そのテーマは無限にあるといっても過言ではない。」
安全登山の基本は、素早く登って、素早く下りるところにある。そのためには、経験を積み、体を鍛え、技術を蓄えなければならない。スピードこそが安全追求の原点なのである。」
『隊長業』とは、周到なタクティクスのもと、隊員たちの持てる能力を最大限引き出し、頂上に到達したいという意欲を減退させないことに腐心し、登頂を安全に成功させ、隊員たちを元気に帰国させることである。」
登山家の精神はより高く、より難しいルートからの登頂を目指す。山は必ず最初に易しいルートから登られるが、通常次に狙う隊は同じルートからは登らない。我々が目指すのはあくまでも未知のルートである。」
 
 
 
 
作 品 名
「山人として生きる」 (志田 忠儀、2014年)
紹 介 文
(帯、裏表紙等)
手負いのクマが向かってきた!初めてのクマ狩り、朝日連峰の昔ながらの「巻き狩り」、クマ撃ちの名人の条件とは?など、マタギとしての仕事や、渓流で食べきれないほどの岩魚を釣った話、戦争召集そして終戦、国立公園の管理人の仕事や自然保護運動など。8歳で山に入り、15歳でクマを撃ち、野生動物たちが自然になつく男・志田忠儀の生涯を紹介し、自然の中で生きるすばらしさ、厳しさを伝える貴重な1冊。
感 想 等
( 評価 : C)
 小さい頃から猟師として山に入り、戦争を経て、戦後は国立公園の管理人として、自然保護や遭難者救助などに携わってきた山人・志田氏の回想録。サブタイトルは「8歳で山に入り、100歳で天命を全うした伝説の猟師の知恵」とあり、単行本時の書名は「ラスト・マタギ志田忠儀・98歳の生活と意見」。
 本書を読んでいると、戦後日本は敗戦から急激に復興し、高度成長期を経て経済大国となったが、その間に失ったものもまた大きかったことを痛感させられる。もちろん、その間に得たものも大きく、今さら戻れるものでもないのだが。多くのエピソードが盛り込まれており、それぞれ興味深いのだが、やや取り留めのない印象がある。
名 言 等
朝日連峰は未だに知られていないことが多い。(中略)その時その時の変わる朝日連峰に惹かれ、私は山の生活に明け暮れているのである。」
事故があっても生きて救助するのがわれわれの使命であるが、マスコミはなぜか死亡事故を取り上げる。」

 
 
 
作 品 名
「大いなる山 大いなる谷」 (志水 哲也、1992年)
紹 介 文
(帯、裏表紙等)
高校三年夏の北アルプス全山縦走からはじまり、黒部の沢25本(劔沢大滝単独登攀を含む)、谷川岳衝立岩とドリュ南西岩壁、そして冬の南アルプス、冬の知床半島、春の日高山脈全山縦走・・・・・、自分の全存在を賭けた10年間の冒険行。
感 想 等
( 評価 : A)
 登山家・志水哲也氏の始めての著作。高校時代の北アルプス全山縦走から、黒部川の全沢トレース、ドリュ南西岩稜、冬季南アルプス全山縦走、そして冬の北海道知床・日高へ。それは青春時代を山に賭けた記録、などという生易しいものではなく、志水氏の真正面からぶつかる逃げない生き方そのものの記録である。
 惰性に流れ勝ちで、無難にソツなく生きようとしてしまう自分にとって、氏の生き方は痛みすら覚える。単なる山行記録としてではなく、人生の書として見つめ続けなければいけないものがそこにあるように思われる。
名 言 等
僕は今回、高校卒業後も何年か山登り中心の生活をする決心をした。世間体ばかり気にした生活はもうやめにする。今までは自分の意志を持たず無難に物事を処してきたが、これからは意志を持って思ったとおりに生きてやる。学校の教師は進学や就職の重要性ばかり話すが、僕はその先に何も希望が持てない。このまま惰性で生きていったら、本質的な生きる目的を見失い、生ける屍になってしまう。」
自分にとって未知の沢を遡りながら、次々と訪れるであろう新たな光景への期待と、それを現実に見出してゆく悦び、つまり想像と発見をたえまなく繰り返しゆくことこそ、僕の遡行の真意である。」
僕が剱沢のあの大滝を登れる確証などなにもない。あるのはどんなときでも絶対に登ることを諦めないという自負だけである。自分がかくありたいために、僕は登る。」
僕は縦走でも沢登りでも岩登りでも、冒険がしたかった。危険な状態になることや、不成功に終ることを恐れてばかりいたら、結局何も掴めずに終ってしまう。可能性を信じ、自分の実力を最大限に発揮して、なおも登れるか登れないかわからないから、山は面白い。また、そんな山行をしたい。」
一人で山に入ると、結局人間は一人だと痛感する。友人がたくさんいても、暖かい家庭があっても、自分を100%理解できるのは自分でしかない。もしここで僕が死んだとしたら、僕の抱いている夢はみんな、誰にもわからずに埋もれてしまう。一人でいるのは寂しくない。ただ人間所詮一人だと思うと無性に寂しくなる。」
自分にとって山登りとはなんだったか。僕はいつも充実していたいと願っていた。山は努力が結果となって現れやすいので、充実感のバロメーターになった。また、自分を見つめられる環境が欲しかった。自然を肌で感じられる山登り、とりわけ単独行において自然と一対一で接していると、純粋な自分の考えが見えてきたような気がする。僕の山登りとは、おそらく何よりも、自己省察の場であった。」

 
 
 
作 品 名
「果てしなき山稜」 (志水 哲也、1995年)
紹 介 文
(帯、裏表紙等)
 冬の襟裳岬を一人で北へ向かって歩きはじめる男がいた。彼は敢えて厳冬の日高山脈―雪と風がすべてを支配する極寒地帯を越え、うねるように広がる石狩山地を春に抜け、果てしなく続く北見山地をつき進み、六ヶ月後に宗谷岬に辿り着く計画だった。妻を東京に残し、単独で白い山並に半年間も立ちむかわせたものとは・・・・・。登山とは、人間が生きるとは、を問う話題作。
感 想 等
( 評価 : A)
 日高山脈に沿って、冬の北海道を縦断した志水哲也氏の記録。
 その山行スタイルから、固い意思を持った屈強な男を想像していたがさにあらず。本書では志水氏の人間的な弱さが素直に吐露されている。生きるということを常に真剣に考え、自分の弱さを認めつつも、最後のところでは決して妥協しない。弱さを知っているだけに、本当の意味で強い人間なのかもしれない。
 誰しもが共通に持っていながら、妥協して生きるうちに考えなくなってしまった問題、見て見ぬふりをしている問題、そうしたことに対して彼は目をそむけずに、真正面から向き合って生きている。改めて考えさせられた。なお、山行そのものについても素晴らしいことは言うまでもない。
名 言 等
前向きに生きるには、脱皮を繰り返さなければならない。古い皮はひとりでに厚くなっていく。皮が厚くなるにしたがい、人は勇気を失い臆病になり、鈍感になるような気がする。そして、「常識」た「しきたり」を重んじて、その価値にしがみつこうとする。強引に着馴れた古い皮を脱ぐのはつらい。苦しいことだとわかっているから、現在の自分を正当化する口実を探してしまうのだ。」
街から山へ入る時、「なぜ山に入る」と、繰り返し自分に問いかける。そのこと自体にとても重要なモノが潜んでいるように思う。それは、人はどう生きるべきか、自分とはいったい何者なんだろうかといった、誰しも考えなくてはならない人間の根本的命題に通じるもののように思う。」
山から降りてきて最初の灯、そこで温かくもてなされ、人間って温かいんだなぁとつくづく思った。山が厳しいからこそ、人の優しさが身に沁みるのだ。山に入るごとに、どんどん人間好きになていく。」
『死んだらおしまい』とは誰でも言える。物理的には確かにそうだろう。だが、情熱を持って生きていない人間にそれを言う資格はない。情熱を持たないで行き続ける人間よりも、たとえひとときでも情熱を持ち、死んでいった人間のほうがきっと、ずっといい。」
冬山はのべつ厳しい。しかしその十分の一の時間でも微笑む時がある。一ひく十が不思議とマイナスにならない。その瞬間が、そのときめきがたまらないのだ、僕を山に魅きつけてやまないのだ。」
僕は「そこに山があるから行く」なんて言ったことはないが、なんで山に行くのか?その答えがほんとうにわかったなら、もう山に行く必要がないような気がする。」
情熱の向かうところに、これ以上は越えてはいけませんよと線を引いてしまったら、その時点でもう情熱は冷めていってしまう。自由な発想ができなくなったら、人間の持ち味は半分失ったも同じだと思うんですよ。危険だから行くんじゃないけど、やろうとすることが危険になってしまうのは、どうしようもない。」
僕は、どんな仕事に就くかよりも、どんな人間になるかを考えて生きていきたい。そして、恐れるのは職を失った失業者になることよりも、生きがいを失った喪失者になること。病に倒れるよりなにより、生きようとする意識を喪失することだ。」

 
 
 
作 品 名
「私の山 谷川岳」 (杉本 光作、1980年)
紹 介 文
(帯、裏表紙等)
近藤 等 氏
「青春時代の私に強い影響を及ぼした杉本光作氏の新著『私の山 谷川岳』は、あらゆる世代の登山者に深い感銘を与えることだろう。」

小西 政継 氏
「本書は社会人登山の原点を綴っていて、山岳史の重要な空白をうめる貴重な記録である。」
感 想 等
( 評価 : C )
 昭和初期、山口清秀氏と並ぶ登歩渓流会の中心メンバーとして、あるいは上越線の開通によりアクセスが良くなった谷川岳のルートを数多く開拓した杉本光作氏の山行記録集。出版されたのは1980年と随分後になるが、これは亡くなられる直前に書かれたためで、メイン舞台は戦前となっている。
 今とは比べものにならないほど粗末な装備で谷川岳を攀じり、ルートを開拓し、また遭難救助にも従事する様子からも、いかに山が好きだったかがわかるというものだ。また、ハーケン使用論議なども、松本龍雄氏のボルト問題にも似て、クライミングの歴史の一コマとして興味深い。
名 言 等
われわれは過去に何回も遭難事故に関係し、本業を犠牲にして随分危険な作業に従事してきたが、未だかつて一度も金銭を受け取ったことはなかったし、金銭のために出動したこともなかった。第一それは金銭でやれる仕事ではない。われわれは同じ山仲間のため一刻も早く救出し、あるいはその遺体を少しでも早く親御さんのお手元にお渡ししたいというただそれだけの気持ちで動いているのだ。」
私も山口君(注:山口清秀氏)も名のために山を登ったことはなく、好きだから登っただけである。」
私の山登りも六十年の歳月が経ってしまった。山の美しさと山村の人々の純朴さがこんなに長く私を山に登らせてくれたのである。山を通じてたくさんの人々を識ることができ、私の一生は山に学び、それらの人々から教えを受けて育ったといっても過言ではない。」
 
 
 
作 品 名
「ぐるぐる山想記」(すずき みき、1980年)
紹 介 文
(帯、裏表紙等)
なんで人は山に登るのだろう?
山好きなイラストレーターが考えるななめ45°からの山絵エッセイ
感 想 等
( 評価 : C )
 イラストレーターで、コミックエッセイストのみっきーによるエッセイ本。エッセイ1つにつき、見開きのイラストページと、関連する山のコースのイラストによる紹介という構成。
 登山の魅力、山小屋の楽しみ、テント山行について、山道具、山とお酒、山と温泉などなど、よしなし事が綴られたエッセイ集。読んでいて、そうそうと共感したり、ナルホドと頷いたり、みっきーらしいちょっとした笑いにクスッとしたり。いつも通りのみっきーワールドたけど、今回は少し真面目モードかな。
 変な話、一番共感したのは、あとがきの「私って『登山』が好きってわけじゃないのかな…」という部分。自分も一応は山好きを自認していて、時々山に行くし、普段から今度はあそこに行きたいとか考えているけど、実際、山に行く前は面倒くさいなぁと思ったり、怖くなったり、気が乗らなかったり……。そのくせ行ったら、嬉しくてたまらなくなる。なんだ同じなんだって思ったら、ちょっと安心した。誰だったか、登山は慣れたらダメだって言ってたけど、いつまでも慣れない新鮮さも、登山の魅力なのかもしれない。
名 言 等
山小屋のサービスがよくなればなるほど、それが当たり前になった登山者はさらに求めてくるだろう。そしてそれができない小屋が悪いかのような評価を下す。山小屋はもうそろそろそれに応え続けてしまってはダメだと思う。登山者もダメになる。」
山小屋には未来永劫そこにあってほしいと願っている。いつの時代もそこに泊まると分け隔てなく扱われ、懐かしさや安心を感じられる居場所を提供してほしい。街の忙しい生活を忘れて、立ち止まれるような。」
山というあんなに大きな空間に、あんなに薄っぺらい布で小さな密室を築いて、ひとりの宇宙をつくって、猥雑な部室にして。それをわざわざ歩いて担ぎ上げるんだから人間って煩わしいですなぁ・・・・・。」
 
 
 
作 品 名
「雲の上に住む人」 (関次廣・山内悠、2014年)
紹 介 文
(帯、裏表紙等)
須走口七合目に立つ山小屋「太陽館の主は、古の知恵を受け継ぎながら、富士山と登山者を見守り続けてきた。
 
ある年の富士山、開山の準備から閉山、小屋終いまでの物語。山小屋の主・関次廣の言葉と、写真家・山内悠の写真で綴る。
感 想 等
( 評価 : C)
 富士山七合目にある山小屋「太陽館」。その山小屋の主人・関次廣さんを手伝っている著者による、小屋開けから小屋閉めまでを追ったルポ・エッセイ集。写真が多く、文章が少ないため、絵本を読んでいるかの如く、あっという間に読み終わってしまう。
 山内氏の写真は、蒼くやや暗いトーンの写真が多い。まだ登山者が少ない時期の夜明け前のような、張り詰めた空気が伝わってくるようだ。40年も小屋番をしているという関さんの言葉からは、ずっと自然と共に生きてきた者だからこそ語るこよのできる重みが感じられる。
名 言 等
昔はろうそくとランプでね、むしろ電気は必要なかった。暗くなったら眠ればいい。夜が明るい必要はないからね。」
ここは火山灰と溶岩でできている山。風が吹けば灰が舞い、雨が降れば流される。常にカタチが変わり続けているのだ。」
"自然の愛"と"自然への感謝"、そして"そこに在る自分"という三つの要素が揃うことが、この世界と繋がるためには必要なバランスなんだ。山は標高に関係なく、どこでも登らせていただいたら頂上の手前で立ち止まって、そこまでの歩みを振り返り、すべてに感謝を込めてありがとうございました、と言葉にする。そして、そこからがまた新たな出発として、歩き出してほしい。」