作 品 名 | 「会心の山」 (佐伯 邦夫、1982年) |
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紹 介 文 (帯、裏表紙等) | 著者は地元の北アルプス北部、頚城の山々などに、三十年の足跡を残している。山の風、におい、光、音が肌で感じられ、日本の山のよさを改めて教えられる珠玉の山行記集。 | ||||||||
感 想 等 |
( 評価 : C) 佐伯氏による本書は、1960〜70年代の氏の山行を記したものである。既に8,000m峰も征服され、日本人がヒマラヤやヨーロッパアルプスで名を馳せている時代である。そうした中、佐伯氏の登山は必ずしも時代の先端をいくものではない(もちろん、私のようなものからすれば、十分ハードで困難な登攀を行っているのですが・・・)。しかし、佐伯氏の山行には佐伯氏なりの拘りがある、美学がある。"会心の登山をしたい"。ただそのことに固執し、結果よりも過程に拘る。そのスタイルは、冒険や探検というものがなくなりつつある現代における、登山の方向性・あり方を示している。そしてそれは、そこまでの登山をしない一般の登山者・ハイカーにとっても、個人としていかに山を楽しむかという意味において、一つのヒントを見せてくれていると言えよう。 |
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名 言 等 |
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作 品 名 | 「ひとりぼっちの山歩き」 (佐古 清隆、1987年) |
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紹 介 文 (帯、裏表紙等) |
山歩きはひとりぼっちがいい。 山の静けさや美しさ、可憐な高嶺の花々、小鳥たちの合唱、そして山頂の大パノラマもすべてひとり占め。ひとり歩きながら他人に気がねすることもなく、自分自身で山行を自由にデザインできます。ずっしりとした充実感を味わうのもひとりなら、不安を抱きながら危険や困難に立ち向かうのもひとりぼっち。強気と弱気が交錯し、思わぬ自分の姿を発見することもあるでしょう。 山登りを始めたのが28歳という遅咲きの著者は、以来、組織に加わることもなく、見よう見まねで試行錯誤を繰り返しながら、「日本百名山」を中心に日本の主要山岳を意欲的に登り続け、自分なりの山行スタイルを作り上げてきました。ひとり歩きだからこそ感じる充実感と喜び、驚き、悩み、不安、とまどい・・・・・。その体験は単独行者の共感を呼び、今後の山行に大いに役立ってくれることでしょう。本書は山仲間のいない、ひとりぼっちのあなたを、心から応援します。 |
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感 想 等 |
( 評価 : C) 本書は、佐古清隆という1人の単独行者の実践・経験を通して書かれたノウハウ本である。山行計画に始まって、服装・装備、実践と一応ノウハウ本となっているが、いわゆる一般論ではなく佐古さんの経験論ということで、分類上は山行記とした。 内容については、単独行を中心とする自分にとっては、「あー、あるある」とか「そうそう」といったうなづきの連続で、昔の自分を見るような思いにとらわれた。その意味では、単独行を含めて山を始めて間もない人にとって、非常に有益な1冊ではなかろうか。 |
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名 言 等 |
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作 品 名 | 「てっぺんで月を見る」 (沢野 ひとし、1989年) |
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紹 介 文 (帯、裏表紙等) |
遭難者の亡霊が舞うかのような谷川岳・一ノ倉沢。スケールの大きさにおののいた穂高・屏風岩の岩登り。アルプス、アイガー西壁で起こした転落事故。ヒマラヤのメラ・ピーク(六四七三m)のてっぺんで見た青い月―。 奥多摩の小さな山から、本格派のヒマラヤまで十七の山山で体験した感動と、背中合わせの恐さを、リリカルに綴った山のエッセイ。 少年時代から心に「山」を抱いて生きてきた男の、さまような魂の物語でもある。 |
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感 想 等 |
( 評価 : C) ほんわかとした絵を描くイラストレーター沢野ひとし氏のエッセイ集。絵には似合わぬというと怒られそうだが、意外とハードな山を志向し、また実践している。 中年と言われる年になって脱サラし、仕事をしながら山にのめり込む。きっと実際の生活ははるかに厳しいのであろうが、そんなことはおくびにも出さず自由奔放に山を楽しむ。その姿勢がいい。山は楽しくてナンボである。 |
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名 言 等 |
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作 品 名 | 「休息の山」 (沢野 ひとし、1994年) |
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紹 介 文 (帯、裏表紙等) | 都会に倦み疲れた心にやさしくしみわたる山からのたより。待望の、沢のひとし・山の画文集。 | ||||||
感 想 等 |
( 評価 : C ) 脱サラの絵描き、イラストレーター・沢野ひとし氏のエッセイ集。自身の子供の頃の思い出から、最近の山行、日常の風景などテーマはさまざま。大蔵喜福氏や赤沼健至氏(燕山荘)、蓑浦登美雄氏(白山書房)ら有名人が登場するのも楽しい。絵はほんわかとしていて、どことない暖かさがあるが、人物絵は今ひとつか。 |
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名 言 等 |
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作 品 名 | 「山の帰り道」 (沢野 ひとし、2011年) |
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紹 介 文 (帯、裏表紙等) |
山があるから登り、酒があるから飲む。 いくつになっても好奇心とわがままは人一倍。丹沢から南アルプスまで、飽きることのない山への憧憬を、町田の馬肉屋で梅割を飲みながらつのらせる、哀愁画伯の抒情エッセイ集。 |
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感 想 等 |
( 評価 : C) 「山と渓谷」や「山の本」「本の雑誌」などに、2005〜2010年にかけて連載されたエッセイを集めた1冊。独特の下手ウマイラストは相変わらず味がある。 本書を書いた頃の沢野氏の年齢は60歳台前半。かつてハードな山行をしていたはずの氏が、低山の魅力を語り、里山を徘徊する。「本の雑誌」に書いたエッセイでは、兄の死や健康、老後生活の話が出てくる。エッセイなのだから、年齢に応じたその時々の関心事項がテーマとなるのは当たり前のことなのだが、その哀感になんとなく淋しさを感じる。その一方で、そこ書かれている内容を理解できる年齢に近づき始めている自分に気付き、侘しさと同時に諦念も感じてしまう。年を取るとは難しいものだ。 |
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名 言 等 |
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作 品 名 | 「ザイルの二人」 (鴫満則・秋子、1983年) |
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感 想 等 |
( 評価 : C) モンブランをこよなく愛し、1970年代という時代に毎年のようにモンブランに出掛けていた鴫夫妻の登攀記録。なのだが、そういうよりも、2人の愛情の証と言うった方が適切かもしれない。普通の男女、夫婦とは少し違うかもしれないけれど、山を通して2人が堅い絆で結ばれていることがわかり、羨ましいくらいだ。山書としては珍しい夫婦の記録だが、何ともいえない暖かさがある。 |
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名 言 等 |
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作 品 名 | 「秘境ごくらく日記」 (敷島悦朗、2002年) |
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紹 介 文
(帯、裏表紙等) |
沖縄県西表島から鹿児島県屋久島、オーストラリアのタスマニア、ロシア・サハリンの間宮海峡…。海、山、川、そして穴。神出鬼没、地球さすらい人の秘境冒険の顛末。『クオーク』『岳人別冊』等の連載をまとめて刊行。 | ||
感 想 等 |
( 評価 : C) 敷島氏というと自分の中ではガイドブックを執筆されている方というイメージがあったが、あれだけ沢や海外登山に詳しいということは、それだけ登っているということなのだろう。 本書は、八丈小島に行きたいと思って、その山行記録が載っている本を探していた時に唯一見つかった本だ。その山行記録自体は古くてあまり参考にならなかったが、大黒島や西表島などを見ていると行ってみたくなる。「朝日連峰」の章では、タキタローを探しに行った昔の自分を思い出した。 本書からは、とにかく山行や冒険の楽しさが伝わってくる。気の合う仲間と、ワクワクするような体験をしに行く。登山、沢登り、雪山、ケービング、ダイビング・・・・・、何でもござれだ。楽しそう・・・、とにかくそれがいい。 |
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名 言 等 |
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作 品 名 | 「ヒマラヤから百名山へ」 (重廣 恒夫、2003年) |
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感 想 等 |
( 評価 : C) K2日本人初登頂やエベレスト北壁世界初登攀などヒマラヤで数々の記録を残し、新しい所では日本百名山123日連続踏破などを行った重廣氏の著作。 前半は、氏が担うことの多かったタクティクスの方法論と、タクティクスを主眼にした山行記。後半がヒマラヤ登山と百名山の記録となっている。 登攀記・山行記として素晴らしいのは言わずもがなだが、タクティクスに注目した登山書という意味では他に記憶がない。日本百名山の連続踏破という企画が、タクティクスの延長から産まれたという話も興味深い。 |
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名 言 等 |
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作 品 名
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「山人として生きる」 (志田 忠儀、2014年)
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紹 介 文
(帯、裏表紙等) |
手負いのクマが向かってきた!初めてのクマ狩り、朝日連峰の昔ながらの「巻き狩り」、クマ撃ちの名人の条件とは?など、マタギとしての仕事や、渓流で食べきれないほどの岩魚を釣った話、戦争召集そして終戦、国立公園の管理人の仕事や自然保護運動など。8歳で山に入り、15歳でクマを撃ち、野生動物たちが自然になつく男・志田忠儀の生涯を紹介し、自然の中で生きるすばらしさ、厳しさを伝える貴重な1冊。 | ||||
感 想 等
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( 評価 : C) 小さい頃から猟師として山に入り、戦争を経て、戦後は国立公園の管理人として、自然保護や遭難者救助などに携わってきた山人・志田氏の回想録。サブタイトルは「8歳で山に入り、100歳で天命を全うした伝説の猟師の知恵」とあり、単行本時の書名は「ラスト・マタギ志田忠儀・98歳の生活と意見」。 本書を読んでいると、戦後日本は敗戦から急激に復興し、高度成長期を経て経済大国となったが、その間に失ったものもまた大きかったことを痛感させられる。もちろん、その間に得たものも大きく、今さら戻れるものでもないのだが。多くのエピソードが盛り込まれており、それぞれ興味深いのだが、やや取り留めのない印象がある。 |
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名 言 等
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作 品 名 | 「大いなる山 大いなる谷」 (志水 哲也、1992年) |
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紹 介 文 (帯、裏表紙等) | 高校三年夏の北アルプス全山縦走からはじまり、黒部の沢25本(劔沢大滝単独登攀を含む)、谷川岳衝立岩とドリュ南西岩壁、そして冬の南アルプス、冬の知床半島、春の日高山脈全山縦走・・・・・、自分の全存在を賭けた10年間の冒険行。 | ||||||||||||
感 想 等 |
( 評価 : A) 登山家・志水哲也氏の始めての著作。高校時代の北アルプス全山縦走から、黒部川の全沢トレース、ドリュ南西岩稜、冬季南アルプス全山縦走、そして冬の北海道知床・日高へ。それは青春時代を山に賭けた記録、などという生易しいものではなく、志水氏の真正面からぶつかる逃げない生き方そのものの記録である。 惰性に流れ勝ちで、無難にソツなく生きようとしてしまう自分にとって、氏の生き方は痛みすら覚える。単なる山行記録としてではなく、人生の書として見つめ続けなければいけないものがそこにあるように思われる。 |
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名 言 等 |
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作 品 名 | 「果てしなき山稜」 (志水 哲也、1995年) |
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紹 介 文 (帯、裏表紙等) | 冬の襟裳岬を一人で北へ向かって歩きはじめる男がいた。彼は敢えて厳冬の日高山脈―雪と風がすべてを支配する極寒地帯を越え、うねるように広がる石狩山地を春に抜け、果てしなく続く北見山地をつき進み、六ヶ月後に宗谷岬に辿り着く計画だった。妻を東京に残し、単独で白い山並に半年間も立ちむかわせたものとは・・・・・。登山とは、人間が生きるとは、を問う話題作。 | ||||||||||||||||
感 想 等 |
( 評価 : A) 日高山脈に沿って、冬の北海道を縦断した志水哲也氏の記録。 その山行スタイルから、固い意思を持った屈強な男を想像していたがさにあらず。本書では志水氏の人間的な弱さが素直に吐露されている。生きるということを常に真剣に考え、自分の弱さを認めつつも、最後のところでは決して妥協しない。弱さを知っているだけに、本当の意味で強い人間なのかもしれない。 誰しもが共通に持っていながら、妥協して生きるうちに考えなくなってしまった問題、見て見ぬふりをしている問題、そうしたことに対して彼は目をそむけずに、真正面から向き合って生きている。改めて考えさせられた。なお、山行そのものについても素晴らしいことは言うまでもない。 |
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名 言 等 |
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作 品 名 | 「私の山 谷川岳」 (杉本 光作、1980年) |
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紹 介 文 (帯、裏表紙等) |
近藤 等 氏
小西 政継 氏
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感 想 等 |
( 評価 : C ) 昭和初期、山口清秀氏と並ぶ登歩渓流会の中心メンバーとして、あるいは上越線の開通によりアクセスが良くなった谷川岳のルートを数多く開拓した杉本光作氏の山行記録集。出版されたのは1980年と随分後になるが、これは亡くなられる直前に書かれたためで、メイン舞台は戦前となっている。 今とは比べものにならないほど粗末な装備で谷川岳を攀じり、ルートを開拓し、また遭難救助にも従事する様子からも、いかに山が好きだったかがわかるというものだ。また、ハーケン使用論議なども、松本龍雄氏のボルト問題にも似て、クライミングの歴史の一コマとして興味深い。 |
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名 言 等 |
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作 品 名
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「ぐるぐる山想記」(すずき みき、1980年)
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紹 介 文
(帯、裏表紙等) |
なんで人は山に登るのだろう? 山好きなイラストレーターが考えるななめ45°からの山絵エッセイ |
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感 想 等
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( 評価 : C ) イラストレーターで、コミックエッセイストのみっきーによるエッセイ本。エッセイ1つにつき、見開きのイラストページと、関連する山のコースのイラストによる紹介という構成。 登山の魅力、山小屋の楽しみ、テント山行について、山道具、山とお酒、山と温泉などなど、よしなし事が綴られたエッセイ集。読んでいて、そうそうと共感したり、ナルホドと頷いたり、みっきーらしいちょっとした笑いにクスッとしたり。いつも通りのみっきーワールドたけど、今回は少し真面目モードかな。 変な話、一番共感したのは、あとがきの「私って『登山』が好きってわけじゃないのかな…」という部分。自分も一応は山好きを自認していて、時々山に行くし、普段から今度はあそこに行きたいとか考えているけど、実際、山に行く前は面倒くさいなぁと思ったり、怖くなったり、気が乗らなかったり……。そのくせ行ったら、嬉しくてたまらなくなる。なんだ同じなんだって思ったら、ちょっと安心した。誰だったか、登山は慣れたらダメだって言ってたけど、いつまでも慣れない新鮮さも、登山の魅力なのかもしれない。 |
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名 言 等
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作 品 名 | 「雲の上に住む人」 (関次廣・山内悠、2014年) |
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紹 介 文 (帯、裏表紙等) |
須走口七合目に立つ山小屋「太陽館の主は、古の知恵を受け継ぎながら、富士山と登山者を見守り続けてきた。 ある年の富士山、開山の準備から閉山、小屋終いまでの物語。山小屋の主・関次廣の言葉と、写真家・山内悠の写真で綴る。 |
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感 想 等 |
( 評価 : C) 富士山七合目にある山小屋「太陽館」。その山小屋の主人・関次廣さんを手伝っている著者による、小屋開けから小屋閉めまでを追ったルポ・エッセイ集。写真が多く、文章が少ないため、絵本を読んでいるかの如く、あっという間に読み終わってしまう。 山内氏の写真は、蒼くやや暗いトーンの写真が多い。まだ登山者が少ない時期の夜明け前のような、張り詰めた空気が伝わってくるようだ。40年も小屋番をしているという関さんの言葉からは、ずっと自然と共に生きてきた者だからこそ語るこよのできる重みが感じられる。 |
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名 言 等 |
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