山岳ノンフィクション(山行記)
〜詳細データ・か行〜
 
 
 
作 品 名
「あしたはアルプスを歩こう」 (角田 光代、2004年)
紹 介 文
(帯、裏表紙等)
なんかへんだ。雪が積もりすぎているのである。視界は白く染まり、風に飛ばされそうになりながら、標高2320メートルの小屋に駆けこんだ。――トレッキングをピクニックと取り違え、いつもの旅のつもりでイタリア・アルプスの雪山に挑んでしまった作家が見たものは? 自然への深い感動を呼ぶ傑作紀行。
感 想 等
( 評価 : B)
 NHKのBS2の番組で、作家角田光代が生まれて初めての山登りに出かける。しかもヨーロッパアルプスのドロミテトレッキングである。その時の様子を紀行文としてまとめたものが本作だ。角田さんの小説で山が出てくるものと言えば「彼方の子」に少し出てくるくらいしか思い付かないが、この山行が多少は影響を及ぼしているのかもしれない。
 そんなことよりも圧倒されたのは、角田さんの「言葉」に対するこだわりだ。「筆舌に尽くしがたいとか、言葉にできないとかいう表現を、物書きという職業を選んだものは絶対に使うべきではない」「人の言葉を我が物顔で使うのもやめよう」と書いているように、その表現は独自の世界を構築し、それでいて読者の脳裏に風景を描かせ、作家の感じたことや思いを伝えることに、見事に成功している。作家の真髄を見た思いだ。
名 言 等
それが都会だろうと山だろうと、私は歩くのが好きだと、今日実感した。歩くだけで、目に見えるものがどんどん変わる。反対に言えば、歩かなければ景色は何も変わらない。滝も、岩も、木々も、山々も、風も、みんなつねにそこにあるが、自分の足で向かわなければ、出会うことはかなわない。」
「あそこまで、自分の足で登ったんだなあ」 自分に納得させるように、幾度もそう言ってみる。するとじわじわと指の先までうれしくなってくる。首を傾けないと視界に入らないくらい高い場所に、この体だけで登ったのである。どのようにしてかはわからないが、とにかく登ったのである。あのてっぺんから見える景色を、私は知っている。」
歩く、ってすごい。今日一日、何をした?といえば、歩くことしかしていない。ただひたすら、てくてくと歩き続けた。それなのに私は今、こんなに空に近くいる。完璧な静寂に包まれて、この世のものではないみたいな光景の前にいる。膨大な時間の流れも、この静寂も光景も、歩くだけでみな手に入るのだ。」
 
 
 
 
作 品 名
「空白の五マイル」 (角幡 唯介、2010年)
紹 介 文
(帯、裏表紙等)
現代の冒険界に期待の新星現る!!
チベット、ツアンポー川流域に「空白の五マイル」と呼ばれる場所があった──。その伝説の地を求めて、命の危険も顧みず冒険に出る。開高賞ほか数々の賞を受賞した若き冒険作家のデビュー作。
感 想 等
( 評価 : A)
 ヒマラヤ・ナムチャバルワ山麓にある世界最大のツァンポー峡谷。世界地図に最後まで残された空白のエリアを埋めるべく冒険に挑んだ日本人の物語。
 この本を読むまで、ツァンポー峡谷の存在も知らなかったし、角幡氏の名前も知らなかったが、いろんな意味で面白い本だった。当初は角幡氏の冒険の記録かと思ったが、自らの冒険の記録は半分で、残り半分は過去にツァンポー峡谷に挑んだ冒険者たちの物語となっている。ライターでもあり冒険家でもある角幡氏らしい構成。そして、そのどちらもが非常に興味深い。しかし、ジャンル分け的には、やはり「山行記」の方に入れたい。
 本書で特に印象的だったのは、93年にカヌーでツァンポー川に挑み、不幸にして亡くなられた武井義隆氏の話。これは胸に迫るものがある。圧巻だ。ラストの単独行や冒険についてのコメントは、著者ならではの説得力。ちゃんと生きなければ・・・・・・。
名 言 等
ちゃんと生きてるか?それが武井の口癖だったと小嶋は言った。自分にも他人にもこの質問をよく投げかけたという。」
単独行はすべての責任を自分で引き受けなければならない。一歩踏み出す責任、岩を登る責任、ロープを出すか出さないかの責任、それに伴う時間の遅れ、続けるかどうかの判断、自分の知識と経験を脳内と肉体に蓄積されたデータベースから引き出し、それを目の前の状況と照らし合わせて最善の選択肢を選ばなければならない責任である。」
私は旅のやり方にこだわった。自力と孤立無援、具体的にいえば単独行であることと、衛星携帯電話といった外部と通信できる手段を放棄することが、私の旅では重要な要素だった。丸裸に近い状態で原初的混沌の中に身をさらさなければ、見えてこないこともある。」
論理をつきつめれば、命の危険があるからこそ冒険には意味があるし、すべてをむき出しにしたら、冒険には危険との対峙という要素しか残らないだろう。」
リスクがあるからこそ、冒険という行為の中には、生きている意味を感じさせてくれる瞬間が存在している。あらゆる人間にとっての最大の関心事は、自分は何のために生きているのか、いい人生とは何かという点に収斂される。いい人生とは何だろう。私たちは常に別々の方法論、アプローチで、それぞれに目的をかかげていい人生を希求している。カネ、オンナ、権力、健康、ささやかな幸せ、心の平安、子供の健全な発育……、現実的には別々のかたちをとりつつも、本質的に求めているものは同じだ。いい人生。死が人間にとって最大のリスクなのは、そうした人生のすべてを奪ってしまうからだ。その死のリスクを覚悟してわざわざ危険な行為をしている冒険者は、命がすり切れそうなその瞬間の中にこそ生きることの象徴的な意味があることを嗅ぎ取っている。冒険は生きることの全人類的な意味を説明しうる、極限的に単純化された図式なのではないだろうか。」
 
 
 
 
作 品 名
「雪男は向こうからやって来た」 (角幡 唯介、2011年)
紹 介 文
(帯、裏表紙等)
ヒマラヤ山中に棲むという謎の雪男、その捜索に情熱を燃やす人たちがいる。新聞記者の著者は、退社を機に雪男捜索隊への参加を誘われ、二〇〇八年夏に現地へと向かった。謎の二足歩行動物を遠望したという隊員の話や、かつて撮影された雪男の足跡は何を意味するのか。初めは半信半疑だった著者も次第にその存在に魅了されていく。果たして本当に雪男はいるのか。第31回新田次郎文学賞受賞作。
感 想 等
( 評価 : C)
 ルポライターとして、鈴木紀夫や高橋好輝など、過去の雪男探検譚や、雪男捜索に人生の多くを捧げた男たちを追いながら、自らも「2008年雪男捜索隊」の一員として雪男捜索に参加するという独特のスタイルは前作同様。
 文章がうまいので、それなりに読ませる魅力もある。ただ如何せん、自ら実践した雪男捜索の部分が弱すぎる。角幡氏の著書を、ルポではなく山行記に分類したのは、前作『空白の五マイル』の話が山行記として面白かったから。それもあって、ルポの部分よりも山行記の方に期待してしまう部分が大きかっただけに、余計に弱さを感じてしまったのかもしれない。面白いスタイルなのだが、どういうネタで続けていくかを考えると、実際問題としては結構難しいだろう。
名 言 等
シプトンの足跡の正体が幻想だったとしても、それが世界中に広がったのはまぎれもない事実である。(中略)世間に誤解を与えるイメージを作り出したシプトンの足跡は、雪男という存在を非現実的なものに押し上げ、問題を複雑にしてしまった元凶だとさえ言える。しかし、逆にこういうことも言えるのではないだろうか。シプトンの足跡の正体こそが雪男であり、シプトンの足跡によって喚起されるイメージこそが雪男なのだと。」
登山の魅力とは未知の要素と切り離して考えることができないものだった。未踏峰であればその頂上はどうなっているのか、未踏ルートであればそれがどういうルートで、なぜ多くの隊が登れないのか。それを確認することが高橋にとっての登山だった。」
鈴木の雪男捜索とは、彼が小野田発見の呪縛から逃れ、自分だけの人生を掴み取るために続けなければならなかった乾坤一擲の物語に違いなかった。」
 
 
 
 
作 品 名
「地図のない場所で眠りたい」(角幡唯介・高野秀行、2014年)
紹 介 文
(帯、裏表紙等)
探検部を卒業し、今を時めく人気ノンフィクション作家となった高野秀行と角幡唯介。未知の世界への憧れを原動力とする点は共通するが、テーマの選び方やアプローチの仕方は大きく異なる。高野は混沌とした人の渦へ頭からダイブし、角幡は人跡未踏の地をストイックに攻める。夢追い人二人の、仕事の流儀!
感 想 等
( 評価 : C)
 ともに早稲田大学探検部出身で、ノンフィクションライターとして活躍する2人の対談集。厳密に言うと山行記のジャンルに入れるのは違うのかもしれないが、他に適切な区分けもなく、本そのものも面白かったので、ここに入れることをお許しください
 内容的にどこが凄いとかいうわけではないが、ノンフィクションライターとしてのこだわりや難しさが分かり面白い。そもそも冒険があって、それを伝えるために表現があるのだと思っていたが、どうやら逆らしい。2人の文章や表現に対するこだわりの強さがよく伝わってくる。
 それにしても、角幡さんの言葉選び、表現の上手さは凄い。難しい言葉は使っていないのに、妙に説得力がある。気になる表現に付箋を立てておいたが、高野さんがあとがきで同じ箇所に触れていたので、誰もが同じ印象を持つのだろう。
 またあくまで個人的な感想だが、最近ネットなどを見ていると、小説とノンフィクションを混同している記述が多くて由々しき事態だと思っていたが、2人の小説とノンフィクションそれぞれへのこだわりは嬉しい限り。
名 言 等
冒険と探検ってなにが違うんですか」とよく聞かれるんですけど、僕は探検というのは基本的に土地の話だと思っているんです。その場所がどうなっているのかということ。いっぽうで冒険というのは人の物語。主人公は自分であるというストーリー。」(角幡)
たとえば冒険でゴールに行かないということは、遭難とか死んじゃったりってことじゃないですか。だから、登山の本でおもしろいものって遭難ものが多いですよね。成功した登山だと予想外のことが起きなくて筋書きのないドラマが生まれないから、行為としては成功でも本としてはやっぱりつまらないんですよ。」(角幡)
俺は昔、船戸さんに小説を書けとよく言われていたんだよね。それはなんでかというと、ノンフィクションじゃ食えないからだと。ノンフィクションは作家じゃなくてテーマに読者がつくけど、小説はテーマじゃなくて作家につくんだって。だから小説のほうが食えるんだということを言ってたわけ。」(角幡)
 
 
 
 
作 品 名
「午後三時の山」 (柏瀬 祐之、1996年)
紹 介 文
(帯、裏表紙等)
「たまげるほどきれいな夕日をおがみにいかねーか。知床半島の山。」 何だか思いつきで言ってしまってから慌てて地図を買いに。著者が40代から50代にかけて書いた山に関するエッセイ。哀感と笑いと戦慄につつまれた紀行。
感 想 等
( 評価 : C)
 なんといったら言いのだろう。沢野ひとししかり、椎名誠しかり、西丸震哉しかりで、これらの人々は、自分なりの価値観で山を楽しむ術を知っている。他人の評価や判断ではなく、自分の尺度で動けるのだ。当然のようでいて、これができない人が近年多いのではないだろうか。かく言う自分も、サラリーマンという形式に囚われているがゆえに、できないと思い込んでいること、自分で自分を縛っていることがいろいろあるような気がする。もっと自由に遊んで楽しもう。
名 言 等
オレにとっての《完全登山》は《不完全計画》こそその生みの親らしい。完全な計画と目的をつくって、それを現地でなぞりながら確認して歩くのではなく、あえて不完全な計画を、その時々の対応で完全に遊びきることのようだ。完璧を目指すなら完璧を殺せ。そういうことだろう、きっと。」
登山の大目的は体験のおもしろさ、楽しさ、すばらしさである。だからそのメイン・ディッシュを味わうためには、登らない登山があってもいい。登らない貪欲さも時には必要だし、頂上なんてドーデモイイサと思う自由は、いつも保っておきたいのである。」
登山にもたらされた新しい感覚世界を、乱暴を承知で私自身にあてはめて表現してみたのが、「好奇心」「気晴らし」「自己確認」「融合感」の4つであった。はじめの二つ「好奇心」と「気晴らし」はたいていの遊びごとに通じるし、ことに登山の場合はそれが元来もつ物見遊山の性格そのものに含まれるから説明するまでもないとして、少し理解しにくいのが、あとの二者「自己確認」と「融合感」だろう。山なんかに登って「自己確認」と「融合感」とは大げさなと思うだろうが、でもこの二者がひとりの人間の中に並んで存在する風景こそ、あんがい登山を登山たらしめる核心かもしれないかもしれないのである。」
 
 
 
 
作 品 名
「霧の山稜」 (加藤 泰三、1941年)
紹 介 文
(帯、裏表紙等)
山を登る心、山を想う心を、詩情豊かに綴った多くの詩文を遺し、若くして戦時の南方に逝った著者。山男たちの心の拠り所として広く読まれてきた、山の画文集の傑作。
感 想 等
( 評価 : B)
 なんと表現したら良いのだろう。加藤氏の画は格別うまいわけではないが味がある。加藤氏の文にはえもいわれぬきらめきがある。子どものような感性、無邪気さ、やんちゃさがあり、それが文章にも輝きを与えている。ただ気になるのは生き物に対してある意味残酷なところがある点だが、それも子どもの持つ残酷さだと思えばなんとなく納得してしまう。
 戦時中に出版された本ということだが、そうした古くささを全く感じさせない鮮烈な画文集である。
名 言 等
常に山は楽しい。優しい山にも、強い山にも、よい天候にも、わるい天候にも、必ずそれに比例した山の歩き方がある。僕はそれを学ぼう。」
文は私を慰撫するものであり、歓びであり、責任のない気安さでありました。併しこうなってみると、気安さどころか、冬山のザックの如く重いものであると感じます。」
 
 
 
 
作 品 名
「赤い岩壁」 (加藤 滝男、1971年)
紹 介 文
(帯、裏表紙等)
 夏たけなわの八月二十五日 アイガー北壁 直登は終わった  暗い闇の中で六人の仲間の手が重なり合った  それは次の山行へ踏み出す俺たちの合図だった
感 想 等
( 評価 : B)
 加藤滝男をリーダーとするJECCのメンバー6人によるアイガー・ディレッティシマ・ルート開拓記録である。そのメンバーの中には、今井通子や、弱冠20歳でまだ少年のような加藤保男もいる。異国の地で先鋭的な試みを続けた加藤滝男たちの、長く厳しい苦闘、仲間との友情、そして栄光…。読む者にその場に居合わせているかのような気にさせてしまう、爽やかな登攀記録である。
名 言 等
登山をより素晴らしいものとするため、常に助け合って登れる仲間、一プラス一が三になるような仲間をつくり出していきたかった。」
山。その急な部分に、その垂直の壁に、氷壁に、私の目は走る。なぜか。なぜだろうか。考える前に、私は、目を細めて、山頂へのルートを夢中になって追いかけている。」
山は逃げない。登山には、勇気ある敗退も必要だとされているが、私個人の登山においては、山は絶えず未知の要素が切り開かれ、遠ざかっていく。それは今日の登山が、目ざましい記録を残して知るように、絶えず新しい方法で攻撃されているからだ。」
 
 
 
 
作 品 名
「野宿入門」 (かとう ちあき、2010年)
紹 介 文
(帯、裏表紙等)
楽しい。
ただそれだけです。
不況でも、雨の日でも、いくつになっても・・・・・・寝袋ひとつあれば、生きられる。そう思えば、今よりちょっとだけ強く生きていける、かも?
感 想 等
( 評価 : B)
 野宿入門・・・!?それってノウハウ本じゃないのかという突っ込みから、野宿は登山と関係ないし!という突っ込みまでいろいろあろうが、敢えて取り上げたい。
 正直、あまり中身はない。30歳の女性が、口述筆記のような拙い文章で、野宿の魅力とノウハウを書き記そうとした。それすらも成功しているのかわからない。そんな本だ。それでも、本書をお勧めしたい。
 帯に「楽しい。ただそれだけです。」とあるように、ただそれだけの本だ。『人はなぜ山に登るのか』を多くの人が言葉にしようとして失敗しているように、本書も『なぜ野宿するのか』を言葉にしようとしてうまくいっていないのだ。でも、伝わる人には伝わる気がする。
 野宿のノウハウとか、消極的な野宿・積極的な野宿といった区分けなどはさておき、筆者のどうでもいいような、ゆるーい野宿体験にこそ本書のエッセンスがある。そして、頁数的には少ないであろうその部分ゆえに、本書は面白いのだ。
名 言 等
「いいトシして」なんて気にしていても、なんだかうまくいかないし、行きづまってしまいます。「かくあるべし」に縛られていては、なんだか窮屈です。」
だからやってみよう。深く考えずに、まずは、やってみよう。」
「野宿地の決定」。そこには、限られた中でベストを尽くすべく奮闘する、野宿愛好家の姿がある。そしてそれって、野宿を緩やかに容認してくれるひとがいることでなりたち、ときには親身になってくれるひともいる。野宿の周辺には、ひとのやさしさがあふれているのだ、と、わたしは思います。」
事前に調べておいたしっかり整備されているキャンプ場に行き、キャンプすることで、「自然の中で眠るのは気持ちがいいなー」なんて、ステレオタイプなことを言ってるだけではツマラナイんじゃないか。そんなもんは丸めてぽいっ、だ。」
やりたいけれどできないだろうとか。ひとから見て、これじゃダメだろうとか。「いいトシして」と思われるのが、恥ずかしいとか。そうじゃなくって、やろうと思いさえすれば、なんでもできるし、なんでも面白い。野宿はそんなことにも、気づかせてくれます。」
 
 
 
 
作 品 名
「単独行」 (加藤 文太郎、1935年)
紹 介 文
(帯、裏表紙等)
永遠の単独行者加藤文太郎は、わが国の登山史上に不朽の名を留めている!その31歳の生涯にただ一冊だけ遺された岳人必読の名著!
感 想 等
( 評価 : B)
 新田次郎の「孤高の人」でも有名な不世出の登山家、生れながらの単独行者として名高い加藤文太郎。山をたしなむ人なら誰でもが知っていて憧れている加藤文太郎の、1936年に槍ヶ岳北鎌尾根で遭難死するまでの山行記録、随想等をまとめた遺稿集。文太郎が唯一残した著作という点だけでも価値は大きい。
 これを読むと、文太郎の人間臭さがより分かり、一層身近に感じることができる。自らに自信を持っていながら、人付き合いが苦手なせいもあってつい弱気になってしまうような一面。三角点で万歳三唱してしまうオチャメな一面。いろんな文太郎を知ることができる。「山の先輩と一緒に歩いてもみたい」などと言ってるところからすると、存外淋しがりやなのかもしれない。
 おもしろいのは単独行に対する考え方も変化していることだ。『冬富士単独行』では、「やむなく一人で山へ行くのであって、別に難しいイデオロギーに立脚した単独登攀を好んでいるわけではない」と言っていたのが、『単独行』についてでは「単独行こそ最も闘争的であり、征服欲において最も強い慰安が求め得られる」という風に変わっている。いずれにしろすごい人物だということがよくわかる登山家必読の書である。
名 言 等
私はしばしば山に登った。が、多くの人とともに計画し、登山したことははなはだ稀だ。私には独りで登山しても充分の満足が得られるのだし、殊更に他の人を交えてお互いに気兼ねし合う必要はないのだから。 私はしばしば山に登ったし、また今後も登っていきたい。そしてとにかく私は信じている、山は、山を本当に愛するものすべてに幸を与えてくえるものだと。」
もしも登山が自然からいろいろの知識を得て、それによって自然の中から慰安が求めえられるものとするならば、単独行こそ最も多くの知識を得ることができ、最も強い慰安が求めえられるものではなかろうか。何故なら友とともに山を行く時はときおり山を見ることを忘れるであろうが、独りで山や谷をさまようときは一木一石にも心を惹かれないものはないのである。もしも登山が自然との闘争であり、自然を征服することであり、それによって自然の中から慰安が求め得られるとするならば、いささかも他人の助力を受けない単独行こそ最も闘争的であり、征服後において最も強い慰安が求め得られるのではなかろうか。」
 
 
 
 
作 品 名
「雪煙をめざして」 (加藤 保男、1982年)
紹 介 文
(帯、裏表紙等)
三度目のエベレスト登頂を冬季初登で飾り、下山中、行方不明となる―。穂高からアルプスへ、さらにヒマラヤへ。岩と氷の果敢な日々にロマンを求め続けた登攀者の、さわやかな山行記集。
感 想 等
( 評価 : A)
 エヴェレストに3度登頂した加藤保男が、3度目のエヴェレスト遭難する直前に書いた唯一の山行記。穂高に始まり、アイガー、グランドジョラス、エベレスト等々の山行の模様が描かれている。
 凍傷、滑落、ビバーク…etc.数多くの苦難を乗り越えているはずなのに、その辛さや苦しさよりも、山にいること、登っていることのうれしさ、喜び、爽やかさばかりが伝わってくる。愚痴や文句のようなものは一切なく、時には無邪気に、時には楽しく、そんな雰囲気に満ち溢れている。先輩からはかわいがられ、後輩からは慕われる加藤氏の人柄がよくわかる。しかも身長180cmのナイスガイだというのだから心憎いばかり。これを読めば、誰しもが登山と言うもののすばらしさを知るであろう。女性であれば、加藤氏に惚れること請け合いである。
名 言 等
2度目のチョモランマ。酸素ボンベが足りず、隊長からの命令により、登頂メンバーを2人とした)このまま自分たちだけで頂上へ向かっていいのだろうか、という思いがこみ上げ、サポートの2人には申しわけない気持ちでいっぱいだった。(中略)彼らと話しているあいだも耐えられず、涙があふれた。」
ぼくは現在、三度目のエベレスト登頂を、冬期、単独で目指し、目下その準備に大わらわである。『果して大丈夫だろうか。寒気は、風は、雪崩は…。意識が朦朧とし、気付いたときには進退きわまっているのではないか…。いや、何が何でも帰ってくる。絶対山では死なないぞ!』。1人になると、ぼくはいつも頭の中で、そんな1人言を言っている。」
 
 
 
 
 
作 品 名
「人力漂流 山へ、そして自転車の旅へ」 (神尾 豊、2003年)
紹 介 文
(帯、裏表紙等)
地平の彼方へ。大自然の懐へ。
徒歩と自転車による、旅、登山、冒険の記録。
感 想 等
( 評価 : C)
 基本はサイクリスト。でも、いつしか山にも魅せられ、行った先々で山に登る自由人・神尾豊の記録。
 面白いのは彼の登山に対する姿勢の変化だ。タスマニアでオッサ峰登頂をあっさり諦めた彼が、ヒマラヤのロブジェ東峰では他人任せの登山の限界を知り泣く泣く登頂を断念。そこからアイランドピーク登頂を経て、アコンカグアでは様々な葛藤の末にバリエーションルートでの登頂を果たしている。彼の中で「山」に対する拘りが強くなっていった証拠だろう。
 ただ、本書の終わり方はやや惜しまれる。ショックな出来事があったのは理解できるが、こんな終わり方では山や自転車に対する筆者の情熱が失われてしまったような印象だけが残り後味がよくない。
名 言 等
どうして上を目指すのか。それは自分は強いのだということを自ら確認したいからなのだろう。そしてそれを他人に示すためなのかもしれない。競争なのかもしれない。困難を乗り越えられる男でありことを証明したいのかもしれない。」
山登りは勝負ではない。ましてこんな辺境の淵まで来て意地を張る必要もない。そうは思えど、追いつかれたら負けてしまうような気がしてならなかった。」
 
 
 
 
作 品 名
「無人島、研究と冒険、半分半分。(川上 和人、2023年)
紹 介 文
(帯、裏表紙等)
 (川上和人)        (本州から約1200kmの無人島)
鳥類学者 VS 南硫黄島
 
 史上最強の冒険が、今はじまる。
感 想 等
( 評価 : C)
 人間が一度も定住したことがなく、原生の自然体系が維持されているという世界的にも珍しい無人島・南硫黄島で25年ぶりに行われた自然環境調査。その調査に、鳥類学者として参加した著者によるエッセイ集。敢えてエッセイ集と書いたが、タイトルからも分かるように決して学術書ではなく、一般の方に向けた旅行記に近いイメージだが、著者の持つユーモアと文章の上手さもあって非常に面白く読める。しかも、鳥類学者としての学問的な知識や面白さもちゃんと伝えてくれている。しかし一番の面白さは、とにかく文章がうまく面白いので、内容もすんなりと頭に入る。自分もプロではないものの文章を書く者の一人として、羨ましいとしか言いようがない。
 ここまでの感想を読んだ方は「登山は関係ないじゃないか」と思うかもしれないが、自分が無人島好き(しかも南硫黄島は一般人は行く事ができない)ということに加え、南硫黄島は崖に囲まれた島で崖登りが必須のため、ルート工作のための登山家が参加している。ユマールとかセルフビレイとか、事前のインドアクライミングの練習とか、色々な形で登山やクライミングの話も出てくる。なので、取り上げずにはいられなかったというのが正直なところ。是非、読んでみて頂きたい。
名 言 等
成果を最大化するためとはいえ、不可逆的な影響を与えたらミッションは失敗だ。インパクトを最小限に抑えたがために成果が得られなかったら、はやりミッションは失敗だ。」
エベレストもヒマラヤもお金を払えば登れるんです。でも、ここはお金を積んでも来られないんですよ。だから、俺はこの島に来ることを選んだんです。」(ルート工作班アマノのセリフ)
進化とは、偶然の申し子なのである。」
おそらく人間は、未知の経験に対して大きく消耗するのだろう。先行きが予測できないことが負担になるのだ。」
 
 

  
作 品 名
「渓」 (冠 松次郎、1962年)
紹 介 文
(帯、裏表紙等)
黒部渓谷を中心に南北アルプス、奥秩父などの谷々を深くきわめ、その美しさと神秘を語ってやまぬ魅力の本。
感 想 等
( 評価 : C)
 明治後期から大正、昭和初期にかけて、黒部や奥秩父の渓を歩き回った冠松次郎の山行記。田部重治もそうだが、この時代に日本の渓谷を巡り歩くというのは一種の冒険のようなもので、相当なものだったのだろう。
 本書を読むと、往時の日本の美しさというものが偲ばれるが、同時にその美しさを表現する日本語の豊かさにも感心させられる。「豪快と幽邃と優美との綜合された景観」「喬木に鳴る嶺風の颯々の音と、渓下より咽び上る渓音との交響楽」「迅雷のはためくように渓谷を震撼して、咆哮疾走する七ツ釜の奔川」等々の表現は、読むものにその美しさや豪快さを伝えて余りある。
 なぜか同行者に関する記述が少ないという不思議な印象がややひっかかるものの、わが国登山黎明期を代表する1冊といえよう。
名 言 等
山もまた、頂のみの美しさによってその山の立派さを尽したと考えることは間違っている。立派な頂を持っている山ならば、必ずその懐にもまた立派な景観を秘めているものなのである。」
月明の夜など、渓の夕を楽しんでいると、東の山の端の森の後ろに黄金色が流れ、やがて明月は玉歩を渓上にはこぶ。その青光が山を照し、渓に下ってくると渓流は淡霧に咽び、山壁は露に光る。激流は金鱗を走らせ、トロは鏡のような光りを漂わす。」
大きなすぐれた山には、美しい渓谷、森林、高原などが、その懐をめぐって自然の美しさを展開しているから、その山の自然を知ろうとするには相当の年月を要するものである。」




作 品 名
「どくとるマンボウ 青春の山」 (北 杜夫、2019年)
紹 介 文
(帯、裏表紙等)
終戦の年、昆虫や信州の自然への憧れから旧制松本高校に入学した北杜夫は、避けられぬ死への悲痛な思いを抱えながら上高地を訪れる。その後、頑固で癇癪持ちの父でありながら、歌人としては畏敬すべき存在であった斎藤茂吉との軋轢に悩み、ひとり穂高岳と向かい合う。1965年には、カラコルム遠征隊に参加、ユーモアを交えたエッセー、紀行文からは小説『白きたおやかな峰』の背景を読み取ることができる。単行本未収録作品を含む、山のエッセー選集。
感 想 等
( 評価 : C)
 どくとるマンボウこと北杜夫のエッセイから、山に関するものを集めたエッセイ集。名作「白きたおやかな峰」の例を出すまでもなく、作家であり医師でもある北杜夫が登山をすることは有名であるし、どくとるマンボウシリーズなどで何度かエッセイを読んだ記憶はあった。しかし、1冊丸ごと山のエッセイという本は出ていなかったので、まとめて読むのは初めてのことだった。それだけでも本書が出版された意味はあろう。
 本書には、戦時中に旧制松本高校生として上高地に入った頃の話から、医師として京都岳連隊のディラン峰遠征に同行した話まで、北杜夫に関する山の話が大きく3つのパートに分けて収められている。いろいろな雑誌に書いたものを集めているので、同じエピソードが何度も出て来るのは致し方ないが、どくとるマンボウらしいユーモアに溢れた筆致は読んでいて楽しい。
 個人的には「白きたおやかな峰」や「幽霊」など小説が書かれた背景などが出てくるのも嬉しい。
名 言 等
山高きゆえに尊からずと同じで、どんな険しい山に登ったとてそれほど偉いわけではない。しかし、登山にはなにかがある。そこでは自然がむきだしになって肌に触れてくるからであろう。それゆえ、たとえそれがアタゴ山であっても、登らないよりも登ったほうが遥かにいい。」
山には危険が付随する。そうした危険を乗りこえていって、真にたよりになる山男、ほんものの登山家―彼らは常に謙虚である―が誕生する。ヒマラヤの山に通用する山男が。冒険心というものを私は高く評価する。周到な準備と、周到な判断の上に立っての冒険だ。この冒険への意志が喪失した国家でも、民族でも必ず衰退する。」


 

作 品 名
「クライマー魂」 (木本 哲、2013年)
紹 介 文
(帯、裏表紙等)
山で死ぬな――。

ここに、本物のクライマーがいる。
<木本哲の山>を読む、ひそかな愉しみ・・・・・・。
感 想 等
( 評価 : C)
 山学同志会のクライマー・木本哲の登攀記。第一部の300ページほどは、2007年から「岳人」に連載した「しぶとい山ヤになるために」を集めたもので、若き日の登攀を振り返って記したもの。第二部は、1980年代に、「山と渓谷」や「クライミング・ジャーナル」などに掲載された記事を加筆修正したもの。
 とにかくクライミングのことしか書かれていない。クライマー必読の書と言っていいだろう。木本哲というと、トランゴネームレスタワーの大救出劇など、足の指を全てなくした後も多くの登攀をこなしているが、本書には1987年の登攀までしか書かれていない。特に同志会に入った23歳から5年間ほどのクライミング浸けの時代の話が8割方を占めている。クライミングにのめりこんだ、著者にとって濃い充実した時間だったということなのだろう。それだけに、映画「植村直己物語」の撮影でエヴェレストに行った際に、他人の命を救うために自分の足の指10本を犠牲にしたことに、忸怩たる思いを感じていることだろう。
 本書に書かれている、助けた相手への感情表現については賛否が分かれるところかもしれない。木本氏の行動は賞賛を惜しむものではないし、その後の気持ちは察するに余りある。当然の思いだと感じる。それでも公に批判するのは避けられなかったのだろうかと思ってしまう。
名 言 等
登山や登攀は、山を登り、岩に攀じ登って山頂に立つまでではなく、そこにある危険を察知し、危険と対峙し、危険をかいくぐって無事下山するまでその行為が続く。
白いことに、一度不可能が可能になると、可能の範囲はそれまで以上に大きく広がる。経験というものは不思議なものである。
エイドクライミングとフリークライミング―。登攀レベルは低いものの、これら二つのクライミングを通して得たものは、クライミングの面白さや興味は墜落の不安そのものがつくりだしているのだという事実であった。
登山で失敗をするのは決して褒められたものではないが、悪いことではない。だが、それは全員が無事生き抜く失敗でなければならない。そうでなければ、一人ひとりがその失敗を真摯に受け止め、次に生かすチャンスが生まれない。

記録よりも、どれだけ満足できたか、納得できたかのほうが大切だ。登山はしょせん遊びなのだ。遊びだからこそ集中して、納得いくまでやるのだ。それでだめなら、また次の機会だ。緊張の極限にいるときが、いちばん楽しい。

両足指を切断しても山登りをやめてしまおうとは思わなかった。岩登りができなくなるのは寂しいが、鳥や花を見ながら野山をぶらつくことができればいい。厳しい登攀ができなくても、登山のかたちを変えて山登りを続けていけばいいと考えていた。
何年ものあいだ打ち続く絶望に自死を考えていた者が、ほかの者に、死ぬなとは言いにくい。しかし、登山者や登攀者にはこう言いたい。山で死ぬな、山で死ぬような行動はとるな、と―。
 
 
 
 
作  品  名
「山靴を履いたお巡りさん」
 〜北アルプス飛騨側を衛る山男たちの手記〜
 (岐阜県警察山岳警備隊 編、1992年)
紹  介  文
(帯、裏表紙等)
穂高連峰、乗鞍岳、双六岳などの山々が連なる北アルプス飛騨側。それらの山々を駆け巡ることを主な任務とするお巡りさんたちがいる。彼ら、すなわち岐阜県警察山岳警備隊の隊員たちは、1964年の隊発足以来、常に遭難者の救助に当ってきた。その命懸けの活動を通して得た喜び、あるいは悲しみを克明に著す。
内容・感想等
 山岳警備隊シリーズの富山県に継ぐ第2弾。前作同様であり、その活躍ぶりについて改めて記すまでもないが、いい加減な報道をするマスコミへの意見や、無謀・無知・無礼な登山者への苦言なども含まれていて興味深い。
 前作がどうだったかは知らないが、今回はライターの羽根田治氏が指導しているらしく、その分読み易くなっている。途中に遭難死した登山者の親からの手紙が紹介されているが、子を持つ親としてその気持ちが痛いほどわかる。山で決して死んではいけない、改めてその思いを強くした。
 
 
 
作 品 名
「山のパンセ」 (串田 孫一、1972年)
紹 介 文
(帯、裏表紙等)
ある時はやさしく、時として怖ろしい自然の不思議さ、登山の意味、山と対話する心の大切さを、博学な知識、鋭い観察眼で綴った著者の、世評高い代表作。誠実にくりかえす思索の流れが、心の安らぎを誘います。
感 想 等
( 評価 : D)
 山行記というよりも山の中での思索について、思うがままに綴ったという言い方が適しているのではないかと思うが、串田氏ならではの優しく新鮮な物の見方・観察眼、自然への愛着が感じられ、独特の雰囲気を醸し出している。
 が、個人的な好みの問題で言えば、8000m峰への挑戦やハードなバリエーションルートでの艱難辛苦ならいざいらず、自然の息吹や冬山の凛とした厳しさは、自分でも感じることができる。いや、自分で感じたほうがより心地よいのだ。そういう意味では物足りない。パートV辺りになると、ほとんど山を登っているという感じではない。そういう本だと位置づけて読むべきなのだろう。
名 言 等
多くの場合、ただ頑固に意地を張って足を動かしていれば、いつかは山頂に立つことができます。そして何と言ってもそれが山登りの一番大きな要素です。疲れて、そのまま登る意欲を失ってしまえば、そこにどんな理由があろうと、山での行為は終わってしまうことになります。」
霧の彼方にはすばらしい山があるはずだと思って自分を不幸にするよりも、今の感覚の一部分を自然にあずけてそれを特別に不自由なことと思わず、許された範囲のことを、許された力だけで考えるのを悦ぶことにしましょう。全部揃った絵具で絵をかくよりも、時には青とグレーだけで描く絵が自分に何かを発見させてくれるかも知れませんから。」
僕たち好んで山を登る者は、冬の来るのを待つよりもこうして、待ち切れないように冬をさがしに行くようなことをする。僕もこれから、冬の山の支度をして出かけるつもりだ。どの辺から雪がついているか、今年の雪を最初に踏むときの気持は、それを知らない人にはちょっとお伝えするのがむつかしい。」
なぜそんな苦労をして冬の山へ登るのか。私自身も幾たびかそういう質問を受けた。そして無論、満足な返事をすることはできなかったが、山へ登る人たちは、山を知らない人から見れば、考えられないような、どう考えても愚かなことをしに出かける。その愚かと思われていることが実に尊い行為に思える。自分から求めて苦しみの中に入る。それも、人間の中での、もみくちゃになるような苦しみとはちがって、相手は大きな自然である。」
 
 
 
 
作 品 名
「マッターホルン北壁」 (小西 政継、1968年)
紹 介 文
(帯、裏表紙等)
厳冬期マッターホルン北壁第三登は、アルピニズムの理想を極限まで追求する山学同志会隊による初の海外遠征の偉業であった。想像を絶する困難との戦いを通して、心暖まる人間愛を描く。
感 想 等
( 評価 : A)
 小西政継氏は時々ゾクッとするくらいの名文を書く。もう憎らしいほどうまいとしか言いようがない。加えて本書では、単なる登攀記だけではなく、ヨーロッパ・アルプスにおける登攀史、さらには技術的な面に重きを置いたテクニカル・ノートなど、さまざまな内容を記している。「あとがき」で文章を書くことが好きでないと言っているが、とても信じられない。
 登攀そのものも、もちろん凄い。アイゼンを落としても引き返すことなく攀じり続け、パートナー2人が凍傷になる厳しさのなか、完登している。
 最後にもうひとつ、小西氏の意識の高さ、視野の広さなども素晴らしいことを付け加えておく。
名 言 等
僕はぐっと首の痛くなるほどマッターホルンを仰ぎ見た。夕暮れの沈んだ空間にマッターホルンは天空を鋭く突きさしていた。北壁は暗くゆううつな黒い影をおとし、厳然として聳立していた。僕の凝視した眼が北壁からとかれた瞬間、僕の顔は笑っていた。確信に満ちた笑いであった。この時、北壁登攀の半分が僕の中で終わっていた。」
僕は登山において、「征服」という言葉は絶対に使わないことにしている。なぜならば山は僕の最も仲のよい、最も厳しい、生活してゆくのになくてはならない無限の力を持つ偉大な父であり、母であるからである。山はけっして征服するものではなく、尊敬と敬意をはらい、その巨大な、美しくも残酷な世界で、アルピニストが生きる喜びを享受させてもらうために登らせてもらうものなのだ。」
黙々と僕たちは無言のうちにザイルを結び合う。この二本のザイルはこれからこの北壁でどんな困難な障害や、危険にめぐりあっても、絶対に解くことのできない血の通いあったものだ。ある時は自分の大切な命の支えとなり、またある時は仲間の命をあずかる責任重大なものとなるだろう。ザイルは信頼の心と心のつながりを示す象徴なのだ。」
山とは金では絶対に買うことのできない偉大な体験と、一人の筋金入りの素晴らしい人間を作るところだ。未知なる山との厳しい試練の積み重ねの中で、人間は勇気、忍耐、不屈の精神力、強靭な肉体を鍛えあげてゆくのである。登山とは、ただこれだけで僕には充分である。」
たとえ目標の山々の高度はどうであれ、登頂されていようが、第ニ登、第三登であれ、頂に達するまでの内容がわれわれのアルピニズムを満足させてくれるものであるならばよいということである。容易な初登頂より困難な第ニ登のほうが、われわれにとってどんなに魅力的なことであろうか―。」
 
 
 
 
作 品 名
「グランドジョラス北壁」 (小西 政継、1971年)
紹 介 文
(帯、裏表紙等)
アルプス三大北壁の中で最も困難といわれている垂壁に、日本人として初めて挑んだ厳冬期の記録。大寒波襲来の中で食糧が尽き、凍傷に冒された六人の男たちの生への脱出となった苦闘の十一日間をつづる。
感 想 等
( 評価 : A)
 アルプス三大北壁の1つグランド・ジョラスに、厳冬期に日本人として始めて挑戦した山学同志会+植村直己の一行。6人のうち4人が凍傷に侵され。合計27本の指を切断したという過酷な登攀。小西政継氏の真骨頂はやはり登攀記にあると唸らせるに足る力作である。
 「マッターホルン北壁」同様、文章のうまさは言うに及ばず、アルプスの歴史や研究ノート、テクニカルノートなど、1つの完成形をなしている。
 山に賭ける意気込み、心構え、まさに「鉄の時代」を代表する「鉄の男」である。クライミングを愛好する者全てにとって必読の書と言えよう。
名 言 等
氷が水となり、お湯となり、そして美味しい紅茶に化ける。今日は、朝から一滴の水も口にしていない。冷え切った体に流しこむ熱い紅茶は、全身を暖め、新たなエネルギーを生みだしてくれる。コンソメスープに乾燥肉入りのアルファ米を入れたおじやが、コッヘルの中でコトコト音をたてはじめた。外では身を切るような烈風が、時たまツェルトをたたいている。僕はこんな神秘に満ちた静かな夜が好きだった。また、こんな絶壁の中でロウソクを握りしめ、不安もなく落ち着きはらって坐っていられる自分も好きだった。」
うずまく風雪、降り注ぐスノーシャワー、垂直の危険な岩と氷を冷静にさばきながら僕は登る。これではまるで氷点下四十度の鯉の滝登りだ。生命の支点となるハーケンが打てないのはなんといっても辛いことだが、僕は頑張る、必死に攀じる。『手が欲しいなら指を差し出そう。足が欲しいなら、くれてやろう。しかし、呪わしいお前は必ずたたきつぶしてやる!』もうこの登攀には、登攀自体の喜びや楽しみといったものはなくなっている。命を守るための真剣勝負であり、勇気と力、肉体と精神のすべてをふりしぼり、北壁と力のある限り敢然と闘うのだ。」
最悪の場合とは、山という厳しい大自然においては時として人間の智恵を超越した予期できぬ偶然の危険が発生するもので、この危険が降りかかってきた時のことである。この危険に遭遇したならば全力を上げて闘う以外に方法はない。この努力の結果が死であったり、生であったりするのだ。山における運命、宿命なんていうものは、自分の力で、腕で、切り開くこともできるし、閉ざしてしまうこともできるものなのである。」
僕はこれまで歩みつづけてきた登山について、なぜ山へ登るのかとか、堅苦しいアルピニズムの理論めいたことは一度も考えたことがない。登山はすばらしい大自然の中の雄大な冒険であり、この冒険は人間として生きることの喜びと生きる価値を教えてくれるものだと思っている。心身を擦り減らすような闘いの中から、僕たちは人間の勇気、忍耐、不屈の精神力、強靭な肉体を鍛え上げ、自分自身の弱さに打ち勝つ貴重な体験を学びとっている。」
草原と青空を見つめながら長い登山生活をあれこれ振り返ってみると、僕は幸福な男だなあとつくづく思う。自分の思うがままに青春の情熱のすべてを山に注ぎこむことができたからであり、また寛容と忍耐、強い精神と肉体と勇気、そして謙虚という、人間としてアルピニストとして身につけねばならない最も大切なものを山から学ぶことができたからである。」
 
 
 
 
作 品 名
「凍てる岩肌に魅せられて」 (小西 政継、1971年)
紹 介 文
(帯、裏表紙等)
「私は山登りは激しい闘志をこめ、そして生命を賭けた闘いであった」。冬のグランドジョラス北壁登攀で足指を奪いとられた筆者が、戦時下の疎開生活、印刷会社員時代、そして、山登りに情熱を燃やし続けた半生を回想し、新たな山行をめざして努力をはじめるまでを描く好著。聳立する垂直の空間を多い求めた著者の生きざまが胸をうつ。
感 想 等
( 評価 : B)
 「鉄の男」小西政継という男がいかにして作られて行ったか、それを知りうる半生記である。
 小西政継氏については、若き頃の鬼のような厳しさ、さまざまな伝説と、後年のシルバータートルでの心温まる逸話や家族への優しさに、大きなギャップを感じていたが、そうではないことがよくわかる。自分に、山に、志に厳しく、人に優しい男。小西政継という一人の偉大な岳人を理解させてくれる1冊である。
名 言 等
女性に母性本能があるように、男性には闘争本能がある。一の倉沢を眺めて、私もこの壮大な岩壁ををぜひ登りたいと思った。いや、登れるようになりたいと思った。私の岩への目覚めは、この瞬間であったような気がする。」
吹雪になり、凍死したなどという理屈は、私たちの間では絶対通用しない。急激にどんな凄じい吹雪となっても、突破してゆく自分の体力と技術を身に備えていることは、山を志す者の最低の条件だと思う。」
新しき頂の初登頂は確かに魅力である。しかし、よりアルピニズムを追求してゆく尖鋭のアルピニストにとって、処女峰の頂に立つ瞬間の喜びよりも、頂に達するまでの困難を解決し、克服する喜びの方が重要なことなのだ。私のヒマラヤへの考え方は、容易なルートから処女峰を登頂するより、たとえ登頂峰でも困難な氷壁や岩壁を登攀することを希望した。」
死との対決・・…。どんな超人的アルピニストであっても、人間であるからには“死”は誰しも恐ろしいことに違いあるまい。しかし、アルピニストというものは、死の恐怖を自分の心の強さと勇気で克服し、目標を遂行せねばならないものだ。」
 
 
 
 
作 品 名
「山は晴天」 (小西 政継、1982年)
紹 介 文
(帯、裏表紙等)
 マッターホルン北壁に始まり、カンチェンジュンガ北壁、八二年のチョゴリ峰(K2)に至る山行での出来事、山仲間との思い出などを、自らの登山観を交えて綴る、珠玉のエッセイ集。
感 想 等
( 評価 : C)
 小西氏の数々の著作のなかでは、後年の作にあたる本書。若い頃の過酷でハードな登攀から、徐々に年相応の山へと移行する過渡期に当たっており、そうした変化が読み取れる。
 若い頃の著作と比較すると物足りないこともないが、常に前を向いて進んでいる小西氏の姿勢が貫かれていて、これはこれでいい。
名 言 等
―あんな苦しい思いをして、多額の金をつぎ込み、貴重な命をかけてまで、山になぜ登るのか―と改めて問われても、僕には山を知らない人になるほどと理解させる説明はできない。未知への冒険の憧れ、危険や困難を克服する充実感、男の本能的な闘う快感、自分の弱い精神を危険にさらし打ち勝つ満足感。このように山に登る魅力はいろいろあると思うが、僕はこれについて云々することに興味がないのであっちへ置いといて、ただ山が好きだから―のみである。」
吹雪にあった時、自分の体力、技術が不足していると死に至ることがはっきりしているからには、死なないために自分をより強く鍛えることが最上の解決策である。」
 
 
 
 
作 品 名
「日本百低山」 (小林 泰彦、2001年)
紹 介 文
(帯、裏表紙等)
低山にも名山あり。百の低山に百の楽しみあり。標高1500メートル以下の山々を、北海道・東北から15山、関東から42山、甲信越・東海から20山、関西以西から23山の計100山に、今回あらたに1山追加。低山歩きの名人である筆者が選びに選びぬいたイラスト満載の全国低山歩きガイドの決定版!待望の文庫化で携帯性もバツグンです。
感 想 等
( 評価 : B)
 誰でもすぐ連想できるように、かの「日本百名山」をもじって付けられたタイトル。冒頭で著者自身が「所詮私の百低山」と書いているが、低山に限らず山というのはそういうものだろうし、それでいいんじゃないかと思う。地図やガイドブックで見つけた「とっておきの山」、山での出来事や人との出会いにより「心に残った山」、仲間や大切な人と登った「想い出の山」、そんないろいろな理由でその人の名山は決まるのだと思う。うがった言い方をすれば、百名山ブームへのアンチテーゼなのだ。
 本書はガイドブックというには中途半端だし、山行記というほど大層なものではないかもしれないけれど(すみません!)、「ああ、この人はこんなことを感じたんだ」とか「こんな所を見てきたんだ」などと思いながら読んでいるとなぜか心が温まる。沢野ひとしさんといい、中村みつをさんといい、山好きのイラストレーターというのは、どうしてこう画も文章も暖かいのだろう。
名 言 等
所詮私の百低山なので、別のだれかが選べば、その百低山は別のものになるだろう。そこが百名山との大きな違いで、低山とはそういうものなのだ。」
低山歩きのおもしろさは、山の前後にもあると思う。前後というのは、現地までのアクセス、通りかかる町や山村、そこの産物や飲食、宿や山の湯などのことだが、それらを通じて生じる人との出会いのことでもある。『山』に集中しがちな一般山歩きとちがって、時間的にも気分的にも余裕のある低山歩きでは、こうしたプラスアルファも期待できるわけで、またそれがなければ淋しいと思う。」
 
 
 
 
作 品 名
「山と山小屋」 (小林 百合子、2012年)
紹 介 文
(帯、裏表紙等)
山で一泊、してみませんか?
料理自慢、温泉自慢、野生動物に会える小屋・・・・・。
読んだら今すぐ行きたくなる、日常を忘れる17軒。
感 想 等
( 評価 : B)
 あとがきで、本書の写真撮影を担当した野川かさねさんが、「山小屋にある光とそこに流れる時間を丁寧に撮ること。このことを心にとめて撮影した写真たちです。」と書いているが、まさにその言葉がピッタリくるような写真の数々である。実は小林さんの文章からも同じ雰囲気が漂ってくる。山小屋と小屋番に寄せる2人の愛情・愛着があるからこそ伝わってくる暖かさに溢れた1冊。この本を読むと山に行きたくなる、いや山小屋に行きたくなる。雨も降っていないのに、小屋で停滞してもいいなぁ、なんてそんな気になってしまう。
名 言 等
『三千メートルにある日常』。北穂高小屋を訪れるたび、私はそんなことを思う。食事や日々の暮し、友と過ごす時間。ふつうがふつうのこととして存在しているという、奇跡みたいなこと。その尊さとかけがえのなさを、いやというほど思い知らされる。」
自分は守られている。山に登っているとき、ふっとそう思うことがあります。それは山に山小屋があるからだと私は思っています。ああ、山小屋があってよかった、心底そう感じるのです。」
 
 
 
 
作 品 名
「山小屋の灯」 (小林 百合子、2018年)
紹 介 文
(帯、裏表紙等)
登る先にはいつも山小屋があって、
その灯が、歩くべき道を教えてくれる。

八ヶ岳、奥秩父、北アルプス、会津、富士山。
春夏秋冬、晴れても降っても泣いても歩いた
忘れがたい山と、山小屋で過ごした日々の記録。
感 想 等
( 評価 : B)
 「山と山小屋」の第二弾的な本。小林百合子さんと野川かさねさんの2人が、山小屋を訪れ、泊まり、主人と酒を飲み、語らい合う。そんな日常的なやりとり、風景の一コマが、優しい文章と写真で綴られている。
 本書を読むとよく分かる。山小屋の良さ、味わい、温もりの多くは、人で出来ているのだと。人がいるからこそ、山小屋は温かいのだ。人見知りの自分は、なかなか山小屋の主人と語らったり、酒を飲んだりすることはないが、ちょっともったいない気がしてきた。
 野川さんの写真は不思議で、写真家らしくないと言うか、狙って撮った感が全くない。悪く言えば見たまんまなのだが、そのさり気なさが良い。
名 言 等
峠とは、歩く人がいてこそ魅力を持つものだ。人知れず山を渡る鳥たちの旅路。それを偶然見つけたのもまた、息を切らせてこの峠を登って来た人だっただろう。そうやって峠の物語は続いていく。新しい人が通り過ぎて、そしてまた、山と人とを結んでいくのだ。」
山や山小屋にずっと変わらずいてほしいと思うのは、都会から来た者の勝手な言い分だろうか。それでも、と思う。猛スピードで世界が変わっても、穂高の山はいつだって人の心を震わせる。そこには街とは別次元に流れる時間があって、時代とはまた違う季節のリズムを刻んでいる。山小屋の扉を開けて、私たちが「間に合った」と思うとき、山小屋もまたその山の一部になって、はるか昔から悠々と流れる山の時間を教えてくれる。わがままだとわかってはいても、やっぱり私はどうしても、そんな山小屋が一軒でも多く残りますようにと、願わずにはいられない。」
『人生に山があってよかった』という人がいる。だとしたら私たちは「人生に山小屋があって、本当によかった」と言おう。流れていく時間の中に、いくつもの忘れがたい瞬間があること。そしてその積み重ねはいつか、自分を励まし、支えてくれるものにきっとなる。それを教えてくれたのが、山小屋とそこに暮らす人々だったと思うから。」
これまでの登山を振り返ると、山の記憶の大半が山小屋で過ごした時間であることに気付く。その断片を拾い集めて文章にしてみたら、ふたりで登ったはずの山の中に、数え切れないほどの人との出会いがあり、その会話や共有した時間が山の情景の一部となって強く心に残っているのだと改めて知った。人が介在することで、ある山はその輪郭をよりくっきり持ち、唯一無二のものとなった。そしてその風景は、けっして失われることのないものとして自分の中に刻まれた。私にとっての登山の歓びとは、そんな固有の、私だけの山を積み重ねていくことなのかもしれないと今は思う。」
 
 
 
 
作 品 名
「穂高を愛して二十年」 (小山 義治、1961年)
紹 介 文
(帯、裏表紙等)
戦後の混乱期にいかに生くべきかを自らに問いつつ、遥か稜線上に資材を担ぎ上げ山小屋を建てる・・・・・穂高に生きた山小屋主人の苦闘と喜びの記録。
感 想 等
( 評価 : B)
 前半は、終戦直後の物資もままならない時代に、幾多の困難を乗り越えて北穂高小屋を建設するまでの記録。後半は、それと前後して行われた滝谷の登攀や北アルプス冬期全山縦走、春の利尻岳といった野心的山行を行った小山義治氏の自伝的記録となっている。
 後半も確かにすごい記録なのだが、前半の小屋建設にかける苦労、情熱など、人生そのものとも言える様が凄まじく、どうしてもそちらの印象が強くなってしまう。ここまで打ち込めるもの、自分を賭けられるものがあるというのは、羨ましいくらいだ。
 もう一つ注目すべきは、ラストに後書きのように書かれている「いま思うこと」「再び、いま思うこと」だ。ここで描かれている登山観やアルピニズムに関する文章は実に名文である。ここだけでも読む価値があると思う。
名 言 等
旧い小さい小屋がどのようにみすぼらしくとも、それは形の上のことで、私にとってはあくまでも珠玉のような名品であり、かけがえのない最大の財産である。そこには言葉では表現できない人々の好意があり、友情のきずなと、血のにじむような兄弟愛があった。建物の寿命には限度があっても、この貴重な感動を永久に、北穂高の頂上に刻みつけたいと思う。」
頂上に到達する途が長ければ長いほど、期待は大きいが、苦労の結果、克ち得た登頂のもたらす歓喜は束の間に過ぎず、やがて空虚感と果てしない寂しさのとりことなってしまう。けれども、山を去れば耐え難いほど、また山を想う。《山心》とはそうしたものであろう。」
私は年齢的に老いても、厳しいものから眼をそらしたくないと思っている。幸福とは安易や逸楽ではなく、努力と探求の中にこそ、まことの幸いがあるのではなかろうか。」