山岳ノンフィクション(評論・ルポ)
〜詳細データ・や行〜



 

作  品  名
「穂高に死す」
 (安川 茂雄一、1965年)
紹  介  文
(帯、裏表紙等)
近代アルピニズムの黎明期、その揺籃の地となった槍・穂高連峰では、数々の輝かしい初登攀の記録が打ち立てられたが、その陰で凄惨な遭難事故も起きていた。そのなかには歴史に名を残す著名な登山家も数多く、加藤文太郎(北鎌尾根)、大島亮吉(前穂北尾根)、松濤明(北鎌尾根)なども含まれていた。槍・穂高の登山史を振り返りながら、若くして山に逝った登山家たちの青春群像を描いた話題作。
内容・感想等
 登山黎明期以来、穂高周辺で起きた11件の遭難事件について描く遭難史。時期は、近代登山導入間もない1905(明治38)年から、本書が出た5,6年前に当たる1959(昭和34)年までで、対象は大島亮吉・加藤文太郎・茨木猪之吉・松濤明などの著名人から無名の登山家まで幅広く扱っている。
 著者は、元クライマーで出版社編集長なども務めた安川茂雄。遭難の原因究明や警鐘などではなく、あくまで登山史の1ページとしての遭難を、事実として描写しているが、そこには元クライマーらしい冷静さと暖かく優しい視線が注がれている。
 なお最後の「滝谷への挽歌」だけは、妙に叙情的で、多くの知り合いあるいは見知らぬ登山家たちの死を見つめてきた安川氏ならではのやるせなさ、諦念のようなものが強く滲み出ていて、読み手までその寂寥の想いに巻き込まれてしまう。


 
作  品  名
「北アルプス山小屋物語」
 (柳原 修一、1990年)
紹  介  文
(帯、裏表紙等)
風雪に耐えて登山者を守り、長い歴史を刻んで来たあの小屋、この小屋 ― そこにはこんなに多くのドラマがあった。山と人をめぐる年輪の物語が展開する。
内容・感想等
 普段何気なく利用している山小屋。その陰に、多くの先人たちの苦労と努力があったという事実に気付かされる。また、最初に建てられた時期が、戦前どころか明治・大正といった山小屋も多く、わが国における登山の歴史の古さにも驚く。
 山小屋を利用する前に、是非その小屋の歴史を振り返って見ることをお勧めする。それによって、これまでとはまた違った新たな発見があることだろう。

 
 
 
作  品  名
「みんな山が大好きだった」
 (山際 淳司、1983年)
紹  介  文
(帯、裏表紙等)
生と死のきわどいつり橋をわたるように、雪煙を求めて氷壁にたち向かっていく尖鋭的アルピニストたち。やがて彼らは、雪煙のなかに消え去った。残された私たちが、鮮烈に生きることをつかの間、思い出すために、彼らアルピニストをいま一度よみがえらせ、その生を解剖する山際ノンフィクションの名作。
内容・感想等
 加藤保男、森田勝、長谷川恒男、松濤明、加藤文太郎…etc. 内外の著名な登山家の人となり、生き方、そして死に様を描くアルピニスト列伝。
 多くの登山家が登場するため1人1人に割けるページ数が限られている点にやや物足りなさを感じるが、入門編としてはもってこいではなかろうか。ヘルマン・ブールやロジェ・デュプラといった海外の登山家についてまで言及しているのはうれしい限り。
 単行本の時のタイトルは「山男たちの死に方」だが、文庫本化の際に改題された。改題後のタイトルはすごくいい。
 どうでもいいことだが、本書で使われている森田勝の写真はあまりにもいけてない。
 
 
 
 
作  品  名
「タマゾン川 多摩川でいのちを考える
 (山崎 充哲、2012年)
紹  介  文
(帯、裏表紙等)
ぼくらの川がちょっとおかしいゾ!
アロワナ、ピラニア、グッピー、プレコ・・・ 日本の川に捨てられる、外国の魚(いのち)たち
内容・感想等
 東京都の水源・多摩川に、ピラニアやアリゲーターガーパイクなど外来魚が増えているという事実から、「アマゾン川」になぞらえて「タマゾン川」というネーミングで警鐘を鳴らしている。テレビ東京の人気番組「池の水ぜんぶ抜く」で外来生物問題が広く知られるようになったが(本書は番組のだいぶ前の2012年に書かれたもの)、池や沼と違って川の水は抜くことが出来ない。その分、事態は深刻だ。
 本書は、子供向けに平易な文章で書かれている。しかし、子供だけでなく大人も読んで欲しい。今まで知らなかったけれど、大切なことがたくさん書かれている。多摩川の水はなぜキレイになったのか、多摩川の温暖化問題、電気が止まると多摩川はどうなるのか、いずれも首都圏に住む人であれば知っておくべき大切な事実だ。
 本書は内容も良いが、何よりおさかなポストの取り組みが素晴らしい。簡単に書いているが、その運営コストと労力は大変なものだろう。「いのちをゴミにしない」筆者の思い、メッセージを感じて欲しいと思う。
第60回産経児童出版文化賞の大賞受賞。
 
 
 
 
作  品  名
「植村直己 冒険の軌跡」 〜どんぐり地球を駆ける〜
 (山と渓谷社 編、1979年)
内容・感想等
 冒険家・植村直己氏の生涯を、明治大学山岳部で同期だった中出水氏がまとめたもの。大学時代に2年間一緒に生活していたというだけあって、数ある植村書物の中で、他では紹介されていないようなエピソードまで出てくる点が本書の特徴か。
 やや気になるのは、植村氏と他の人間との関わりについての記述が少ない点。植村さんという人は、その人柄からいろいろな人に愛され、それによって苦境を乗り越えてきたのではないかと思う。ジャン・ビュアルネやイヌートソア、西掘栄三郎、佐藤久一朗…。その他大勢の人々が関わっているはずなのに、その辺があまりでてこない。いかがなものだろう。

 
 
 
作  品  名
「喜作新道」 〜ある北アルプス哀史〜
 (山本 茂実、1971年)
紹  介  文
(帯、裏表紙等)
北アルプスの<表銀座>、大天井岳から槍ヶ岳へぬける喜作新道。大正時代、このけわしい尾根道を独力で切り拓いた牧の喜作は、北アルプスに鳴りひびいた名鉄砲打ちであった。その喜作が、ある日、猟にでかけた雪の山で謎の死をとげる。事故か、謀殺か?著者一流の克明な取材と、サスペンスに満ちた推理構成で、この超人的山男の生涯を追う。
内容・感想等
 希代の名猟師にして、大正期を代表する北アルプスのガイド、そして喜作新道の開拓者でもある牧の喜作。喜作の死因にまつわる謎解きを中心に、なにかと噂や誹謗中傷の多い小林喜作という人物の実像を明らかにしていく。
 大正という時代背景を紹介しながら、様々なエピソードを通じて喜作の人物像を描き出してゆくが、もともと背景の知識があやふやなところに、順不同といった感じでエピソードが出てくるため、やや頭が付いていっていない感じが残る。
 後半は喜作の死因に関する謎解きが中心。マスコミの憶測や地元の噂話など一般論から入り、筆者なりの推論、結論へと持っていく。そのサスペンスタッチな展開は見事。思わず引き込まれる。また、本書が書かれた時点で既に40〜50年前となっていた過去の出来事を、丹念な取材を通じて浮き彫りにしていく過程は、さすが山本茂実。山書というよりも一種の近代史ものとしておすすめ。

 
 
 
作  品  名
「山書の森へ」 〜山の本−発見と探検〜
 (横山 厚夫、1997年)
紹  介  文
(帯、裏表紙等)
低山歩きの名人が勧める、山に行けない日に読むための山の本。古書店で名作を安く手に入れる喜び、古典的な名著のちょっとした謎を指摘する楽しみなどを語る。巻末にはおススメ本の索引を付した。
内容・感想等
 山で読む本、深田久弥について、極地探検、山岳映画等々、テーマごとに関連する話題や名言などについて触れていくエッセイ集的な山書本。
 当り前の話であるが、どんなものであっても、興味・関心・好みなどにより合う合わないがある。小説が好きな人もいればノンフィクションが好きな人もいる、縦走が好きな人もいればクライミングが好きな人もいる。山書という実に狭い範囲の世界でも同じことが言える。
 本書の方向性で言えば、国内については田部重治や木暮理太郎から深田久弥など、戦前から戦後間もなくの時期について、海外で言えばヒマラヤの初登頂時代の話などは非常に詳しい。一方で、登山の中でも、バリエーションの話はほとんどなく、長谷川恒男や小西政継の名前は全く出てこない。
 また、山書のジャンルは幅広くカバーしており、山岳ノンフィクションを中心に、山岳小説にもそれなりに触れている。山岳映画については、さほど多くないとはいえ、他に山岳映画を語った本がほとんどない中では珍しいかもしれない。ただ、山岳マンガは対象外のようだ。
 筆者の幅広い知識と人脈、経験に裏打ちされた本書は、幅広いテーマを捉えており楽しめる箇所も多いが、上記ジャンルが読者の嗜好を合っているがどうかは確認してから読んだ方がいいだろう。