山岳ノンフィクション(評論・ルポ)
〜詳細データ・た行〜

 
 

作  品  名
「女たちの山小屋物語」
 (鷹沢 のり子、1998年)
紹  介  文
(帯、裏表紙等)
風の日も 雪の日も 登山者を温かく迎えてくれる“山小屋のかあちゃん”たち
山に行きる10人の女性たちのたくましき人生
内容・感想等
 立場は様々だが、若くして山小屋に入り、山小屋を支えてきた女性10人を取り上げたルポ。
 遭難や病気で夫が亡くなった後、必死で山小屋を運営してきた女性。父親の後を継いで山小屋経営者となった女性。小屋主の許に都会から嫁に来た女性・・・。決して楽ではなく、儲かるわけでもない仕事を、登山者たちのために続けている彼女たちを見ていると、本当に山が好きなんだな、山小屋が好きなんだな、人が好きなんだなと思う。改めて、山小屋の方々のご苦労と愛情に感謝したい。
 1998年の本なので今も現役の方は少ないと思うが、こういう本を読むと、そこに行ってみたくなる。どこでもいい。山小屋に行きたくなってきた。

 
 
作  品  名
「クライマー」
 〜登山界の寵児・吉尾弘と若き獅子たちの闘い〜
 (高野 亮、1999年)
紹  介  文
(帯、裏表紙等)
厳冬の岩壁に、夢を追う
1957年3月29日、谷川岳一ノ倉沢積雪期初登攀を果した吉尾弘。弱冠19歳。岩と雪に限りない闘いを挑み、黎明期の登攀史を飾った青春群像の記録。
内容・感想等
 弱冠19歳にして谷川岳一ノ倉沢積雪期発登攀を果し、以後日本登山界をリードし続けた第2次RCCの特攻隊長・吉尾弘の伝記。吉尾弘を中心に、戦後登山界、登山史、クライマー群像が描かれている。
 吉尾弘の卓越したクライミング技術、人懐っこく誰からも愛された人柄などがよくわかる。所々時代が前後していて分かり難い箇所もあるが、全体としてまとめ方がうまい。が、そのせいか逆に迫力に欠ける感がするのが残念。
 ちなみに、吉尾弘氏は本書が出てわずか半年余りしか経っていない2000年3月に、谷川岳一ノ倉沢滝沢リッジで滑落死している。最後の最後までトップで登り続けたのは吉尾氏らしいとも言えるが、やはりクライマーは畳の上では死ねないということか。一時代の終わりを感じる。
 
 
 

作  品  名
「山で死なないために」
 (武田 文男、1987年)
紹  介  文
(帯、裏表紙等)
山登りの主役はいま、健康と生きがいを求める中高年層や女性だ。が、山をめぐる状況は厳しい。荒れ果てた登山道、不充分な道標整備に加え、登山道がゴルフ場に化けるなど、環境破壊も進む。山で(そして山が)死なないためにはどうすればいいか。説得力あふれる現場報告。
内容・感想等
 前半は、冬山遭難やヒマラヤ遭難の現状やその背景について、後半は登山ブームで荒廃していく自然、スキーブームに踊らされる無謀な観光開発の現状などについて、新聞記者らしい取材をベースに書いている。
 著者自らが言っているように、「山で死なないために」は前半のみで、後半は「山が死なないために」となっている。ただ、著者がこれまで書いた記事等を寄せ集めたものであるために全体としてのまとまりが悪く、また書かれた年代がバラバラな点が気になる。

 
 
 
作  品  名
「続・山で死なないために」
 (武田 文男、1996年)
紹  介  文
(帯、裏表紙等)
中高年の登山はますます盛んだ。国内外の山へ気軽に出かける人が増えるにつれ、避けられるはずの事故や遭難も多くなっている。そして、人々が山を楽しむ陰で、山は傷つき、泣いている。山をどう楽しみ、どう登ったらいいのか。長年登山界を見つめ続けてきた新聞記者の貴重な証言集。
内容・感想等
 ヒマラヤなど海外における先鋭的アルピニストの遭難、近年とみに増えている中高年登山の実態、山における環境問題、さらにはかつてのナイロンザイル問題など、山に関する様々な話題を取り上げる。
 前作同様「山で死なないために」「山が死なないために」がテーマだというが、タイトルとの違和感はどうしても付いてまわる。一つ一つが独立したエッセイで、それぞれテーマが異なるために全体でどうこうという感じではないが、個別にはおもしろく話題としてはいいかもしれない。
 
 
 

作  品  名
「冒険物語百年」
 (武田 文男、1999年)
紹  介  文
(帯、裏表紙等)
人はなぜ、命をかけて冒険に挑むのだろうか?植村直己、マロリー、メスナー、河口慧海、ピアリーら50人の冒険家たちの生き方を通して「冒険の世紀」を考える。さらに冒険の大衆化に伴うヒマラヤや極地の環境破壊がすすむなかで、21世紀の冒険はどうあるべきかを問いかける文庫オリジナル。
内容・感想等
 50人を超える登山家・冒険家の栄光を辿る伝記集。1人当り5,6頁程度という物足りなさ、取り上げ方の中途半端さはあるものの、幅広い冒険家たちを取り上げており、入門編としてはいいかもしれない。ちょっとした雑学、マメ知識のようなものも含まれており勉強になる。
 全体が「ですます調」となっているうえ、もともとが小学生新聞向けだった名残りで「〜ですね」といった文体がある点、文体自体がパートによって異なる点、などはやや気になる。

 
 
 
作  品  名
「空と山のあいだ」
 (田澤 拓也、1999年)
紹  介  文
(帯、裏表紙等)
 昭和39年1月、青森県の岩木山で秋田県大館鳴高校の山岳部員5人が遭難、4人が死亡する事故が起きた。連日の大がかりな捜索にもかかわらず、5人の行方はわからない。岩木山は津軽富士といわれる霊峰だが、標高わずか1625メートルの単独峰だ。一体、5人に何が起きていたのか・・・・・。
 ただ一人の生還者の証言をもとに、地元の関係者、捜索隊、警察などの状況を丹念に取材。猛吹雪のなかをさまよいながらも、最後までお互いをかばい合う5人の生と死の軌跡を描き出す、感動のノンフィクション。第8回開高健賞受賞。
内容・感想等
 1964年1月に起きた岩木山での高校生遭難事故。当時、登山ブーム真っ最中ということもあり、1962年の北海道学大山岳部大雪山遭難(10名遭難死)や1963年1月の愛知大学山岳部薬師岳遭難など、雪山での大量遭難事故が相次いで発生している。そうした事故の1つとして、いろいろな示唆や教訓に富んだ一冊。若い4人の高校生の命が失われてしまったことも残念だが、遺族の気持ちを思うとやるせないとしか言いようがない。
 ちょっと疑問だったのは、なぜ今この事件を取り上げるのかという点と、なぜこのタイトルなのかという2点。それを除けば、現在にも繋がる教訓を含んでいるといえよう。
 余談だが、後に登山家にしてルポライターとなる根深誠氏が、たまたまこの事件に遭遇した高校生として登場する
 
 
 
作  品  名
「山怪 山人が語る不思議な話
 (田中 康弘、2015年)
紹  介  文
(帯、裏表紙等)
山で働き暮らす人々が実際に遭遇した奇妙な体験。現代版遠野物語。
猟師
内容・感想等
 日本の山にいるという謎の存在“山怪”。山怪によって引き起こされる、説明のつかない数々の小さな不思議な出来事、狐憑きや道迷い、人魂、神隠し、狸……などなど。山里に住む猟師などの山人たちが語る、幾多のとりとめもない不思議な思い出話をまとめた一冊。
 本書に何か主義主張があるわけではないが、山や谷、暗闇が持つ神秘のようなものを感じることができる。それは、前人未到とか未開の地などというものがなくなり、常に明かりが付いた人のいる場所に住むようになった現代の都会人には、感じることのできない存在なのかもしれない。ここに書かれていることが事実かどうかなどと言うことはどうでも良くて、そういう不思議な出来事があるからこそ山は面白いし、人は山に魅せられるのだろう。不思議なことがなくなったら、世の中はつまらない。



 

作  品  名
「未踏への挑戦」 〜加藤保男の生涯〜
 (田中館 哲彦、1983年)
内容・感想等
 世界で初めて春・秋・冬の3度にわたって世界最高峰の頂を踏んだ三冠王・加藤保男の伝記。
 加藤氏が亡くなってすぐに書かれたせいか3度目のエベレストの記述に相当量を割いており、一方で2度目の話などはほとんど描かれていないというアンバランスはあるものの、加藤氏の人間くささ、人柄などがよく描かれている。著者が必ずしも山に詳しくないことが逆に効を奏した感がある。
 加藤氏に対する私自身の思い入れからくる贔屓もあるかもしれないが、登山家・加藤保男としてだけでなく、1人の人間の生き様として多くの人に読んで欲しいと思う。

 
 
 
作  品  名
「山名の不思議」
 (谷 有二、2003年)
紹  介  文
(帯、裏表紙等)
 そもそも山には名前はなかった。山に名前がついたのは人間の都合である。あるとき、誰かが「フジサン」とか呼びかけたのだ。では、なぜ「フジサン」だったのか。著者は答えを求めて東アジアを歩き回る。町から里、そして人間臭い山々へ。やがて見えてくる山と人の文化や歴史・・・・・・・。
内容・感想等
 著者の「富士山はなぜフジサンか」をもとに、その後の成果により改訂・増補してできあがったのが本書である。
 地名の由来となるとどうしても文化だの歴史だのと小難しい話になりがちだ。実際、本書でも宗教や思想が絡んでくる部分については、やや複雑になっているとの感もあるが、そう難しく考える必要はない。富士山はなぜフジサンか、なぜ山なのに「森」とか「丸」とかいう名前が付いているのか。同じ名前が全国あちこちにあるのはなぜか。そういう疑問を簡単に解き明かしてみせてくれる。それによって、山へ行くこと、地図を見ることの楽しさがまた一つ増える。単純に楽しめる、そんな1冊だ。

 
 
 
作  品  名
「W・ウェストンの信濃路探訪」 〜山々への賛歌〜
 (田畑 真一、1993年)
紹  介  文
(帯、裏表紙等)
日本アルプスの父、W・ウェストンをめぐる感動のドラマの再現である。彼は、英国から来日した宣教師だったが、日本アルプスなどへ足しげく登頂。わが国にスポーツ登山の考えがなかった明治時代などにあり、山里の人びとと素朴なふれあいも深めた。
内容・感想等
 本書は2部構成となっており、前半はウェストンの日本における足跡を辿り、知られざるエピソードを紹介するもの。後半は筆者自身がウェストンの故国英国を訪れ、ウェストンゆかりの地を訪問するというものである。
 ウェストン好きにとってはたまらないであろう。が、逆に言うと、ウェストンにさほど興味のない人にとっては、極めてマニアックな著と言わざるを得ない。特に、後半執拗に著者が写真で登場するに至っては、一個人の旅行記を読まされているようで、いささか辟易する。

 
 
 
作  品  名
「富士の強力」 〜小俣彦太郎伝〜
 (寺林 峻、1998年)
紹  介  文
(帯、裏表紙等)
「まるで荷物から足がはえているみたいだ」とからかわれた彦太郎少年。
 以後、50年にわたって富士登山の荷揚げ人兼ガイドとしてがんばり抜き、戦後登山の大衆化を見守ってきた<最後の強力>の一代記。
内容・感想等
 第2次世界大戦を挟んで50年以上の長きに亘って強力を勤めあげた富士の名物強力・小俣彦太郎の一代記。父親の代から強力をしていたという小俣氏の話は、江戸時代から続いていた富士講に始まり、富士吉田までの電車の開通、終戦とその後の米兵による登山、富士スバルラインの開通へと続く。それは1人の男の歴史であると同時に、富士山を取り巻く時代の流れ、あるいは日本という国の歩みとも重なる。
 世の中が便利になり、簡単に山頂に辿りつけるようになっても、富士山が低くなったわけではない。雪崩や落雷、落石、自然の猛威はいつ牙を向くか分からない。1人の男の生き様は、人間と自然はどうあるべきか、その一つの方向を指し示しているような気がする。

 
 
 
作  品  名
「ピッケルを持ったお巡りさん」
 〜登頂なきアルピニストたちの二十年〜
 (富山県警察山岳警備隊 編、1985年)
紹  介  文
(帯、裏表紙等)
ここに収録された文章は、山岳警備隊員の苦闘の記録であり、また、遭難者の山仲間による痛恨の文であり、さらに山を愛する者を山で亡くした遺族の慟哭の手記である。いずれも山に憑かれた人間の生きざま、死にざまの偽らざる記録であり、それだけに限りなく読む人の胸をうつ。
内容・感想等
 山岳警備隊の活躍、苦闘を描くシリーズの第1弾、富山県版である。
 冬は豪雪に見舞われる天下の難峰・剱岳は遭難の名所?でもある。そんな魔の山で、自らの命の危険をも顧みず、遭難者のために死力を尽くす山岳警備隊。その活躍、献身には、ただもう頭が下がるだけである。
 文章そのものはややこなれていない部分があるものの、思いは十二分に伝わってくる。特に最後の遭難者の自身あるいは、その遺族からのメッセージは強く響いてくる。