山岳ノンフィクション(評論・ルポ)
〜詳細データ・か行〜
 
 
 
 
作  品  名
「彼女たちの山 平成の時代、女性はどう山を登ったか
(柏 澄子、2023年)
紹  介  文
(帯、裏表紙等)
山野井妙子、田部井淳子、谷口けい、野口啓代、遠藤由加ほか、
稀代のクライマーから
山ガール、山小屋に生きる女性まで
山を駆けた女性たちの軌跡をたどる
内容・感想等
 「平成の時代、女性はどう山を登ったか」というサブタイトル通りに、平成をキーワードに「平成を登った5人の女性たち」「テーマで見る女性登山者」という2章で構成されている。1章でとり上げているのは山野井妙子、田部井淳子、谷口けい、野口啓代、遠藤由加の5人。2章は、山ガール、山小屋、山岳ガイド、大学山岳部、スポーツクライミング、アルパインクライミングをテーマに女性の活躍を取り上げている。
 第1章は著名人揃いだけに他の書物等で読んだ内容が多く、1人20数ページでは内容的にはちょっと物足りない。とはいえ、大学山岳部出身でヒマラヤ経験もある柏さんならではの交流に基づく裏話などもあり楽しめる。むしろ特徴があるのは2章で、山ガールやスポーツクライミングなど平成らしさと、柏さんならではの良さが出ている。
 「平成」にこだわり過ぎかなという印象もあるし、ジェンダーレスの時代に「女性」という括りはどうなんだろうと思ったが、平成という世相を考える軸としては面白い。。
 
 
 
作  品  名
「エベレストに消えた息子よ」
 〜加藤保男−栄光と悲劇の生涯〜 (加藤 ハナ、1984年)
紹  介  文
(帯、裏表紙等)
「おふくろさん、ただいま。やっと帰れたよ・・・・・」あの子の体に、私の両手がそっと触れそうになったとき、ハッと目が覚めたのです。
冬のエベレスト登頂後、下山のコースを残して消息を絶った若きアルピニスト・加藤保男の母が、一年の沈黙を破って語る息子の栄光と悲劇。
内容・感想等
 エベレストの三冠王・加藤保男の母が記す息子の追悼記、レクイエムである。ある意味、その当時どこにでもあったようなありふれた家庭の思い出話ではあるものの、母親が死んだ息子への思いを語るのであるから、人の胸を打たないわけがない。これはもう当然のものとして、本書の特徴は加藤保男という天才の知られざる一面を垣間見ることができる点であろう。明るく優しい、謙虚で素直、それでいて頑固な一面を持つ。自分もかくありたいと願う。
 
 
 
作  品  名
「傷だらけの百名山」
 (加藤 久晴、1994年)
紹  介  文
(帯、裏表紙等)
「百の頂きに百の喜びあり」(深田久弥)といわれ、人々を魅了してきた日本百名山。昨今のブームの陰で肝心の山々は荒廃の一途を辿っている。忍び寄る観光開発の魔手、そして、「山の分割・民営化」。長野五輪に揺れる白馬岳をはじめ、八ヶ岳、白山、富士山、北アルプスに、「山が山でなくなる日」がすぐそこまで近づいている。
内容・感想等
 深田久弥の名著「日本百名山」。そのブームの陰で荒れていく百名山の実態について、白馬岳、八ヶ岳、白山、富士山、槍ヶ岳の5山を取り上げて解説する。
 常識をわきまえないオバタリアン・オジタリアン、ロープウェイ・ゴルフ場・観光道路開発など金儲けのためなら手段を選ばない観光業者、頭が堅く身勝手なお役所、そうした心無い人々によって山が次々と荒らされていく。実に残念なことだ。
 単なる机上論としてだけでなく、自らが登った実体験を基に書かれているだけに説得力がある。


 
作  品  名
「いのちの代償」
  山岳史上最大級の遭難事故の全貌!
 (川嶋 康男、2006年)
紹  介  文
(帯、裏表紙等)
1962年12月、北海道学芸大学函館分校山岳部のパーティ11名は、冬山合宿に入った大雪山で遭難した。部員10名全員死亡。生還したのはリーダーの野呂幸司だけだった。かたくなに沈黙を通す野呂に非難が浴びせられた。45年の沈黙を破り、遭難事故の全貌がいま明らかにされる。
内容・感想等
 1962年正月、北海道学大山岳部11名が大雪山で遭難し、リーダー1人だけが生還した。その真相が44年後に明かされる。
 最初に思ったことは、なぜ語らなかったのかということ。その疑問は冒頭すぐに解消された。一方で、なぜ今語り始めたのかという疑問は、やや、もやもやした感じが残った。遭難時の野呂さんの対応を今さら責める部外者もいないだろうし、野呂さんの生き方は立派で素晴らしいものだと思う。亡くなった10人の仲間も、最初っから野呂さんを責めてなんかいないだろう。だからこそ、最後まで口を開く必要はなかったのではないかとどこかで感じた。ただ、その是非や必要性は、実際に体験した本人にしか決められないことなのかもしれない。
 単行本時のタイトルは「凍れるいのち」。
 
 
 
作  品  名
「山書散策」 〜埋もれた山の名著を発掘する〜
 (河村 正之、2001年)
紹  介  文
(帯、裏表紙等)
山を歩くのは楽しい。そこに読書が加われば、人生はもっと豊かに!!
豆本から雑誌まで、2万冊といわれる山書・・・・・山の本の中から必読の書を紹介。
内容・感想等
 いわゆる山書本ではあるが、古今東西の名著を単に紹介する通常の山書本とはだいぶ趣を異にしている。ある章では、あまり知られていない「霧の山稜」の著者加藤泰三の人となりに迫り、またある章では戦争により思想を大きく変節させた尾崎喜八や藤木九三を糾弾する。
 ものによってはかなりマニアックでカルトな分野に入り込んでしまうため、テーマにより読み手の関心もかなり違ってくるとは思うが、その独特な視点・切り口は興味深い。とはいえ、山書コレクションの話ともなってくると、これはもはやマニアの世界としか言いようがない。
 
 
 
作  品  名
「我々はいかに「石」にかじりついてきたか」
 ―日本フリークライミング小史―
 (菊地 敏之、2004年)
紹  介  文
(帯、裏表紙等)
達人が贈る“初の”日本フリークライミング小史
人気の新スポーツ「フリークライミング」の始まりから現在まで
内容・感想等
 著者独特の語り口は、人によって好き嫌いがあるのかもしれないが、個人的には面白く読めて好きだ。内容は、サブタイトルに「日本フリークライミング小史」とあるように、比較的新しい“フリークライミング”というスポーツについて、これまであまりまとめられることのなかった歴史を一つに整理したという価値に、著者個人が随所に登場する半生記(というほど出てくるわけではないが)的な部分がその記述にリアリティを与えており、一層面白くなっている。もっともその分、小山田大など著者がまだ理解できていないことへの記載が少なかったりと、客観性には欠けるかもしれない。それは本書の欠点というより、読者がそれを承知で読むべきものと見た方がいいだろう。「評論」にするか「山行記」にするか分類という意味では迷ったが、ジャンルはさておき面白いことは間違いない。
 
 

作  品  名
「北アルプス この百年」
 (菊地 俊朗、2003年)
紹  介  文
(帯、裏表紙等)
地図を作った陸地測量部員たちは地図もなしに、なぜ峻険なアルプスの頂に立てたのか? 「日本アルプス」の名を世界に広めた英国人宣教師ウェストンが、山麓でまず頼ったのは誰か? これまで“外来の”登山者の側からしかスポットを当てられなかった近代の登山史を、幕藩体制の時代から山々を否応なく生業の場とし、近年では遭難時に救助態勢を組まざるを得ない“地元”の苦闘の視点から捉え直した画期的な北ア史。営業小屋開設百年を期して贈る。
内容・感想等
 北アルプスの槍・穂高及び後立山の信州側を中心に、登山そのものの話から山小屋、学校登山、山案内人、遭難などにスポットを当てて、1900年頃から約百年間の歴史を語る。
 著者は、自ら海外登山経験を持つ登山家にして信濃毎日新聞社の元記者。登山史に詳しく、特に菊地氏の持論、すなわちウェストンや日本山岳会が近代登山を開拓する前から、地元の猟師や杣人が山に入っていたとの主張は、記録などの証拠はないものの、さもありなんと思わせるだけの説得力がある。全般的に地元びいきもあるのだろうが、そこにいやらしさはなく、純粋な地元愛が感じられる。必ずしも登山史のメインストリームの話ばかりではないが、山好きなら知っておきたい知識が満載だ。
 
 
 
 
作  品  名
「白馬岳の百年」
 ―近代登山発祥の地と最初の山小屋―
 (菊地 俊朗、2005年)
紹  介  文
(帯、裏表紙等)
明治38(1905)年、16歳の少年によって白馬岳山頂直下に登山者用の営業小屋が計画された
内容・感想等
 日本最初の営業小屋は、1905(明治38)年、松沢貞逸が計画した白馬岳山頂直下の山小屋だそうである。それだけでも驚きの事実だが、本書は明治以降、地元との軋轢や数々の困難を乗り越えながら、現在山小屋7軒を経営するに至る松沢家を中心に、白馬における山小屋開拓、スキー場開発の歴史を丁寧に辿っている。研究報告書的な雰囲気もありやや文章は読みにくいが、関係者への取材も交えながら、古い資料を丹念に当たってまとめた本書の資料的価値は高いといえよう。
 全4章のうち最後の1章は、戦後のスキーブームに翻弄された白馬の歴史が書かれている。「白馬岳の百年」と言われれば確かにその通りなのだが、サブタイトルからは外れている感があるし、山好きからするとやや興味が薄くなってしまう。
 
 
 
 
作  品  名
「槍ヶ岳とともに」
 ―穂苅家三代と山荘物語―
 (菊地 俊朗、2012年)
紹  介  文
(帯、裏表紙等)
江戸時代の山岳修行僧・播隆の開山から180年―槍とともに歩んできた、穂苅家三代にわたる雲上のドラマ。
内容・感想等
 槍ヶ岳山荘グループ創業95周年を記念してまとめられた本とのこと。本書の発行は2012年であり、その95年前、すなわち1917(大正6)年に、穂苅三寿雄らによって槍沢小屋(現槍沢ロッジ)が建設されている。以来、登山ブームの波にもまれながらも槍ヶ岳山荘(旧肩ノ小屋)など拡大させていった山小屋経営史を主軸に、播隆上人の研究、写真家としての側面など、三寿雄・貞雄・康治の穂苅家三代の歴史がまとめられている。
 「白馬岳の百年」同様、文章の読みにくさと、時代が前後する分かりにくさという面は多少あるものの、資料的価値としては貴重。槍ヶ岳山頂の祠の話や新田次郎の話なども面白い。


 
作  品  名
「山小屋の主人の炉端話」
 (工藤 隆雄、2001年)
紹  介  文
(帯、裏表紙等)
36軒の山小屋に日夜苦闘しながら暮らす山小屋主人たちが、宿泊の登山客に炉端で語る一人一話のとっておき36話。
内容・感想等
 山小屋でお酒を飲みながら、小屋番からいろいろな話を聞いた経験のある人は多いことだろう。本書は、著者があちこちの山小屋で聞いた苦労話やちょっといい話、不思議な出来事などを綴ったエピソード集。著者が文体まで変えて書いているので、山小屋の小屋主から直接話を聞いているような気にさせられる。
 「第1章 ネバー・ギブ・アップ」や「第5章 遭難救助」などを読むと、改めて山小屋の苦労を痛感するとともに、ついほろっとさせられてしまう。いろいろな小屋主が登場するが、やっぱり山小屋は小屋主あっての山小屋だというのがよくわかる。
 
 
 
 
作  品  名
「新編 山のミステリー 異界としての山
 (工藤 隆雄、2016年)
紹  介  文
(帯、裏表紙等)
山とは即ち 異界なり
山小屋の主人や登山者たちが経験した
この世の現象とは思えない奇妙な56の実話拾遺集。
内容・感想等
 東京新聞出版局から2005年に出版された「山のミステリー」をベースに、一部書下ろしを加えた新編。
 ちょっとオカルトチックな「山の幽霊ばなし」、タイトルに一番近い感じがする不思議な話を集めた「人智を超えるもの」、動植物や不思議な自然現象の「自然の不思議」、人間にまつわる謎「ひとの不思議」という構成。サブタイトルの「異界としての山」というのは言い過ぎの感はあるが、山にまつわるちょっとした不思議な話、ミステリーが詰まっている。
 最後の「ひとの不思議」は、本当に不思議な話ももちろんたくさんあるのだが、理解不能だったり、信じたくないといった話もあり、本書に入れるには今一つという話がいくつか含まれている。
 
 
 
 
作  品  名
「星野道夫物語」
 〜アラスカの呼び声〜
 (国松 俊英、2003年)
紹  介  文
(帯、裏表紙等)
夢を追いつづけた伝説の写真家、知られざる若き日々!!
果てしない心の旅は1通の手紙から始まった・・・・・・・
アラスカの自然を撮りつづけ、大地の懐で眠った写真家の心の旅を追うノンフィクション!!
内容・感想等
 アラスカに魅せられ、アラスカに生き、アラスカで亡くなった写真家・星野道夫氏の生涯を、氏が有名になるまでを中心に描いた伝記。
 自然を深く愛する一方で、常に人間に対する優しさに満ち溢れていた星野道夫という人物が、どのようにして形成されていったのか、どのような幼年時代を送ったのか、どういう経緯で世に出るようになったのか、興味は尽きない。
 星野氏の写真は、また文章は人の心を動かす力を持っている。星野氏自身のことを知る前に、まずはそれを感じて欲しい。その上で、氏のことをもっと知りたいと思ったら、この本を読んでみてはどうだろうか。
 
 
 
 
作  品  名
山小屋物語 穂高岳山荘 双星の輝き」
 (久保 博司、1988年)
紹  介  文
(帯、裏表紙等)
山荘の基礎づくりに生命を賭けた今田重太郎と、「時代」に敏感に対応しながら、強烈な個性をもって、人気ベストワンの山小屋に築きあげた今田英雄、このふたつの星が、ときに重なり合い、ときに葛藤の日々をくり返しながら、穂高を舞台に、燦然と輝く。穂高岳山荘創立65周年記念出版!
内容・感想等
 大正末期に穂高岳山荘を独力で作り、訪れる登山者のために、登山道整備に力を尽くした初代・今田重太郎。その穂高岳山荘を昭和40年代に引き継ぎ、大胆かつ斬新な発想で改革を実行して、人気の山小屋へと変身させた二代目・今田英雄。"頑固"という性格以外は、何事においても水と油だった2人の親子によって、いやその2人がいたからこそ作り上げることが穂高岳山荘をめぐる物語。
 著者がうまくまとめたなぁという感じがしないでもないが、時代の流れを背景にした穂高岳山荘の歴史がよくわかり、読み物として面白い。1988年の本なので、冒頭のトイレの話など時代にそぐわない部分もあるが、それも含めて山を巡る状況が変わりつつあるということを感じさせられる。
 
 
 
 
作  品  名
富士山の文学」
 (久保田 淳、2004年)
紹  介  文
(帯、裏表紙等)
日本人は富士山に何を感じ、どう心を動かされ、表現してきたのか。文学と自然との関わりに心を寄せる中世文学の泰斗が、『万葉集』『竹取物語』から、松尾芭蕉や小林一茶の俳句、夏目漱石や太宰治などの現代文学まで50作品余を解説する。想像の世界でその美しさを感じることのできた古えの人々と、文明の恩恵によって富士山を見られるようになった現代人。それぞれの心にある「富士山」にふれる、富士山文学鑑賞の決定版。
内容・感想等
 富士山が登場する文学作品を、万葉集や古今和歌集などの平安期、鎌倉・室町の動乱期、芭蕉を始めとする江戸時代の紀行文、明治から戦前までの近代文学・歌集に分けて分析・紹介する。
 文学史が専門の大学教授なので当然と言えば当然なのかもしれないが、何千何万という短歌や、数々の紀行文・日記などを丹念に読み込み、当時の富士山の様子や人々の富士山への思いを分析し導き出してゆくその地道な努力・こだわりには感嘆するしかない。
 平安初期の古今和歌集で、富士の燃える火を見て恋心を歌った歌人たち。実写として詠まれた立ち上る富士の煙と、歌道の表現・技法として使われる煙の違い・・・。富士山だけでここまで書いてしまうのだからスゴイ!
 
 
 
 
 
作  品  名
日本の山はなぜ美しい」
 (小泉 武栄、1993年)
紹  介  文
(帯、裏表紙等)
山の景色そのものを、研究の対象とし、日本の高山帯にみられる複雑な自然景観の成因について議論を進めていく、博士論文を随筆風に書き直した本。高山帯の景色の美しさを、登山者の眼でとらえるとともに、地理学的に分析を加える。
内容・感想等
 ある意味学術書に近いが、一般の人にも分かりやすく書かれており、また一般の人も読むべき本かもしれない。
 専門的なことはよく分からないし、山の景色そのものが研究対象と言われてもピンとこない。でも、日本の高山帯が他国に比べて多様性に富んだ特異な存在だということ、高山帯をハイマツが占めていることが日本だけの現象だということ、山頂現象や風化皮膜など初めて知ることも多く勉強になった。何より、豊かな日本の自然を守るためには、まずその素晴らしさを国民に知ってもらうことが大事だということ、登山者も自然をよく知らなければ知らないうちに自然を破壊しているかも知れないというメッセージは、学術的な説明を背景にしているが故に、より一層深く感じられる。考えさせられた。
 
 
 
 
作  品  名
「登山の誕生 人はなぜ山に登るようになったのか
 (小泉 武栄、2001年)
紹  介  文
(帯、裏表紙等)
古来ヨーロッパにおいて山は悪魔の棲家として忌み嫌われていた。一方、日本人にとっては聖地であり、信仰にもとづく登山は古くから行なわれていた。だが近代的登山が発祥したのは二百年ほど前のヨーロッパで、楽しみとしての登山が日本で普及するのはそれから百年後の明治末期になってからである。この差はなぜ生まれたのか。日欧を比較しながら山と人の関わりの変遷をたどり、人々を惹きつけてやまぬ山の魅力の源泉に迫る。
内容・感想等
 ママリー、ウィンパー、カレル・・・。小島烏水、ウェストン、武田久吉・・・。その辺からの登山史を辿るような本はいくつか読んだことがある。登山の歴史は意外と浅い、そんな印象を持っていた。ところが本書では、古代ギリシャ人の山への関心や、中性ヨーロッパのキリスト教社会における山のイメージ、あるいは「万葉集」に描かれている登山など、遥かに長い人類史の中での山・登山を捉えている。しかも単なる登山史ではなく、社会・経済史、思想史的な観点から人々の登山観を整理しており、一般の登山史本などとは一線を画した興味深い本となっている。こういう捉え方、こういう考え方もあるんだと、非常に新鮮な思いで読んだ。著者の広範な知識も凄いが、相当いろいろな書籍や資料を読み込んだであろう好奇心にも感心する。
 
 
 
 
作  品  名
「装丁山昧」
 (小泉 弘、2012年)
紹  介  文
(帯、裏表紙等)
登山家たちの厖大な蔵書や、山岳図書専門の古書店の存在を思い浮かべるまでもなく、あらゆるスポーツのなかで登山愛好家ほど、よく本を読み、書き、収集する人たちはいないだろうと言われている。そんな本好きの人たちへの装丁デザインであるが、私は彼らのことを考えて装丁したことは一度もない。エッセイでも写真集でも、いつも読者としての自分が、この本はこうあってほしいと思う姿だけを求めて、その著者一人、あるいは編集担当者だけを口説き落とすように、ラブレターを書くつもりで装丁をしてきた。
内容・感想等
 ブックデザイナーとして多くの山岳書を手掛けてきた小泉氏が、代表作のいくつかについて、その時の思いやエピソードについて語っている1冊。小泉氏は言う「この本はこうあって欲しいと思う姿だけを求めて、(中略)ラブレターを書くつもりで装丁をしてきた」と。ブックデザイナーという仕事については正直よく知らなかったが、カバー(本来はジャケットと言うらしい)や表紙をデザインするだけでなく、ロゴや用紙を決めたり、写真の選定や全体構成にまで携わるなど、かなり広範囲に及ぶ。そのひとつひとつへの拘りはまさにプロの仕事としか言いようがないが、氏の拘りを支えているものは技術や知識ではなく(もちろんそれらも不可欠だが)、作品への想いだったのだ。小泉氏のデザインはどちらかと言うと地味に見えるが、いつまでも心に残る。それは、作品への想い故なのだろう。
 
 
 
 
作  品  名
「ラストシーン」
 (小林 誠子、2007年)
紹  介  文
(帯、裏表紙等)
自らの生を駆け抜け、
燃焼しつくした冒険者たち。
彼らの鮮烈な生涯とその最後を追ったノンフィクション。
内容・感想等
 かの植村直己を始め、サハラ砂漠7000キロ横断に挑んだ上温湯隆、北米から南米まで2万キロを歩き通した池田拓など、有名・無名を問わず、夢に生き夢半ばにして散っていった冒険者たちを取り上げている。ひとりひとりは短いためやや物足りない部分もあるが、植村直己や星野道夫を除けばそんなものなのかもしれない。
 本書は2007年刊行だが、取り上げられている人たちは、池田拓を除くと1940年代50年代生まれの人ばかり。これは著者が生きてきた時代と重なるからなのか、近年は取り上げるに値する冒険者がいないからなのか。前者であることを願うばかりだ。
 著者は、雑誌「ポカラ」や「森のクラス会」の副編集長を務めた人で、山岳マンガ『ホテルエベレスト』の原作も提供している。
 なお残念なことに、たまに分かりにくい文章が出てくる。引き込まれて読んでいたはずが、急に中断されてしまうのがもったいない。
 
 
 
 
作  品  名
「すぐそこにある遭難事故
  奥多摩山岳救助隊員からの警鐘
(金 邦夫、2015年)
紹  介  文
(帯、裏表紙等)
かつて山の遭難といえば、北アルプスなど高峻な山岳での主に若者や壮年層によるものであったが、昨今の中高年登山ブームのなかで近郊のハイキングコースでも頻発するようになり、いまでは50歳以上の遭難者が全体の60l強を占めるまでになっている。著者の金邦夫氏は、東京都の最高峰雲取山を抱え首都圏の登山愛好者に人気の高い奥多摩の山々を管轄する警視庁青梅警察署山岳救助隊副隊長として長く遭難救助活動に従事し、主に中高年登山者によるさまざまな遭難の実態を見てきた。実際に現場に行って検分したそれらの遭難の模様と教訓を紹介し、好評だった連載を一冊にまとめた。
内容・感想等
 青梅警察署山岳救助隊副隊長などとして多くの登山者の救助に係ってきた筆者が、「岳人」の連載「すぐそこにある遭難事故」や、奥多摩観光協会の季刊誌「来さっせえ奥多摩」に連載した遭難事故の記録・事例などをまとめたもの。改めて言うまでもないが、奥多摩は首都圏に住む登山者にとって、丹沢と並んで身近で手軽な山域であり、行ったことがない登山者はいないであろうエリア。そんなすぐ近くで、これほどの遭難が発生しているという事実が、山の怖さ、気の緩みや甘えの恐ろしさを物語っている。
 著者は言う「登山行為に自覚と責任を持ってもらいたい。(中略)用具がよくなったとはいえ、自然の脅威は昔もいまも変わらない。高リスクのつきまとう登山を志す者なら、山ヤのプライドを持ち続けてほしいとつくづく思う」。明日は我が身、いつ自分に降りかかっても可笑しくない出来事として、登山に臨む際の戒めとしたい。
 
 
 
 
作  品  名
「傷だらけの神々の山」 〜立山、白山の自然は今〜
 (近藤 泰年、1996年)
紹  介  文
(帯、裏表紙等)
問題は立山と白山だけに止まらない。日本全国を同種の無謀な計画が蹂躙しようとしている。どの土地にも共通する性格を持つ“開発という名の暴力”の性根を見つめる一つの方法として、この書をじっくり読み込んで欲しい。
内容・感想等
 かつては神の山と言われた立山・白山が、「開発という名の暴力」により蹂躙されている。雷鳥の死に絶えた白山、排ガスにより痛めつけられるブナ林…。山と自然と共生してきたはずの人間が、いつしか山を傷つけていることに気付かなくなっている。
 そして、同じことが日本全国で起こっている。冒頭にあるスイスの例を読むにつけ、わが国は大丈夫なのか心配になる。
 
 
 
 
作  品  名
「羆吼ゆる山」
 (今野 保、1990年)
紹  介  文
(帯、裏表紙等)
北海道日高山脈―原生林が息づく北の大地は、かつて人とヒグマの壮絶な対決の場でもあった。悠久の大自然に展開するヒグマとの死闘を、自らが生きた時代の証言として物語る、戦慄の回想録。
内容・感想等
 北海道の日高で生まれ育った著者が、幼少の頃から経験し、あるいは人づてに聞いた羆に関わる話を、時代を追ってまとめた1冊。そのリアルで詳細な筆致により、羆と人間との関わり合いが浮き彫りにされている。
 考えてみれば、ここで描かれている世界はわずか70〜80年前の日本では、どこでも目にすることのできた光景である。その格差には驚かざるを得ない。
 本書は羆を軸に著者の自分史のような形態を取りながら、随所に、近代日本社会の発展とその影響というものを垣間見ることができる。そのことに気付いたとき、我々は社会の発展により失ってしまった大切なものを痛感せざるを得ない。