山岳ノンフィクション(評論・ルポ)
〜詳細データ・あ行〜 

 
 
 

作  品  名
『ご近所富士山の「謎」』
 (有坂 蓉子、2008年)
紹  介  文
(帯、裏表紙等)
富士塚とは、富士山を信仰する人たちが、大真面目に造り上げた山である。山といっても塚なので、屋根より低いものもある。しかし、その多さは驚異的。意外と身近に存在するものだ。そして、東京都心の富士塚は、どこかユニークだ。震災や戦禍をくぐり抜け、移転や修復を繰り返しながら生き延びて、今でも地域社会と共存している。ふだんはビルの谷間の見えないような場所にありながら、祭りの時は老若男女で鈴なりだ。登山道には列もできる。富士塚は誰でも気軽に楽しめる「近所の富士山」なのだ。その懐の深さに感謝しながら、単なる史跡としてではなく、少し違った見方をし、造形的な鑑賞も含め、楽しく富士塚を紹介してみた。近所に富士塚があるのを知った時、ふらりと訪れたくなっていただけたら大満足である。
内容・感想等
 富士塚に関する基礎知識30ページ強の後は、本書のメインページである富士塚36基を1基4ページずつ紹介していく。
 それぞれの富士塚について、歴史的・信仰的な基本をしっかり押さえつつも、本書では富士塚のフォルムや色、石像の表情などにもこだわっている。なぜなら著者の本業は美術家だからだ。他の富士塚本にはない視点の違いが、新たな面白さを提供してくれている。富士塚好き、色々巡ったという方も、本書を参考にすることで新たな発見があるかもしれない。改めて、好みの富士塚を探して楽しんでみてはいかがだろうか。
 なお、あとがきに著者が富士塚に興味を持つこととなったきっかけが書かれているが、「体に染み付いた安堵の習慣」「カタチ」の話が興味深い。富士塚とチベットのマニ車。納得する。

 
 

作  品  名
「現代ヒマラヤ登山史」
 (池田 常道、2015年)
紹  介  文
(帯、裏表紙等)
1950年のアンナプルナ初登頂から60年を経た今日に至るまで、ヒマラヤ登山はどのように変遷し、どこに向かっていこうとするのか。『岩と雪』元編集長による8000メートル峰登山史の集大成
内容・感想等
 ヒマラヤ8000m峰挑戦の歴史を、14座それぞれについて1座ずつ丹念に追いかけた労作。まずは、その地道な作業に要したであろう著者の根気と努力、労力に敬意を評したい。相当数の文献を当たり、緻密に確認したであろう、その過程を考えるだけで気が遠くなる。
 内容的にも、戦前の挑戦から初登頂、ルート別やバリエーション別の初登攀などについて、敗退したケースも含めてたどっている。当然、一つ一つについての記述は短くならざるを得ないが、資料的な価値は大きいと言えよう。
 雑誌「岩と雪」掲載時は、写真を使った登攀ルートの説明や登頂者一覧なども付いていたそうで、写真があればさらに良かったのに・・・と思うが、大きさやコストを考えるとやむを得ないのだろう。また、索引と参考文献があれば、なおいいのだが。索引については、本書は電子書籍で所有するのが正解だろう。

 

作  品  名
「くう・ねる・のぐそ」
 (伊沢 正名、2008年)
紹  介  文
(帯、裏表紙等)
他の多くの命をいただいている私たちが、自然に返せるものはウンコしかない。著者は、野糞をし続けて40年。日本全国津々浦々、果ては南米、ニュージーランドまで、命の危険も顧みず、自らのウンコを1万2000回以上、大地に埋め込んできた。迫り来る抱腹絶倒の試練。世界でもっとも本気にウンコとつきあう男のライフヒストリーを通して、ポスト・エコロジー時代への強烈な問題提起となる記念碑的奇書。
内容・感想等
 いわゆる奇書の範疇に入ると思うが、本書をどう評価したらいいのだろう。いや、本としては間違いなく面白いし、一見奇をてらったように言える言動も、極めて論理的・合理的で納得させられてしまう。それを自然に受け入れ切れない自分は、文明に毒されきっているのかもしれない。
 とにかく凄い本なので一読の価値は間違いなくあると思うが、読後感的には複雑だし、受け止め方は人それぞれだろう。とりあえず、お勧めはする。
 ちなみに、巻末には「ウンコの世界へようこそ!」と題し、野糞が土に還っていく様子を記録した写真が袋綴じで付いている。が、いまだに巻末の袋閉じを開ける勇気はない。

 

作  品  名
「日本の山を殺すな!」 〜壊されゆく山岳環境〜
 (石川 徹也、1999年)
紹  介  文
(帯、裏表紙等)
多くの名山が、不必要な開発や「はきちがえられた自然保護政策」によって傷だらけになっている。本書において著者は、取材対象の山に自分で登ってみることを絶対条件とし、山麓の住民の暮らしと声をなるべく記録し調べる、民俗学的アプローチを取材に取り入れることに力を注いでいる。
内容・感想等
 登山者・観光客のオーバーユース、身勝手な登山者により痛めつけられる山々、自己防衛本能と既得権益のためだけに行われるような林道開発や砂防工事により破壊される稀有な自然。そうした山岳破壊の実態を描く1冊。
 対象となっている山・川その全てを筆者自身の足で歩き、実態を身をもって体験しているだけに非常に説得力がある。
 良識なき登山者の行動にも腹が立つが、なんと言っても許せないのは林野行政だ。自分たちの都合で自然を破壊し、結果として数百兆円にも及ぶ国の借金だけが残る。それを払わされる我々の身にもなってもらいたいものだ。

 
 
 
作  品  名
「山を想えば人恋し」
 〜北アルプス開拓の先駆者・百瀬慎太郎の生涯〜
 (石原 きくよ、1993年)
紹  介  文
(帯、裏表紙等)
北アルプスの黎明期、全国にその名を駆せた大町、対山館の百瀬慎太郎。山を愛し、人を愛し、歌を愛した慎太郎の波乱の生涯。
内容・感想等
 明治末期から大正、昭和にかけて、大町の対山館にて北アルプス登山者を支援、大町登山案内者組合の組織化などにも尽力した百瀬慎太郎の生涯を描く。
 が、冒頭において、はまみつを氏が百瀬慎太郎を播隆上人、上條嘉門次と並び称している割に、本書を読んでもそのすごさがピンとこない。自分の読み方が悪いのかもしれないが、時代背景がよく見えないせいかもしれない。また、文章を敢えて「ですます調」と「である調」に使い分けているようだが、その意図が見えず、返って読み難い。

 
 
 
作  品  名
「いまだ下山せず!」 〜ドキュメント 山岳遭難捜索〜
 (泉 康子、1994年)
紹  介  文
(帯、裏表紙等)
その日から小さな山岳会の苦闘がはじまった。消えた足跡を求めて点と点を結んでいく執念の捜索活動。仲間たちの友情と葛藤。妻や親たちの苦悩。ある遭難捜索を内側から描いたヒューマンドキュメント!
内容・感想等
 87年正月、のらくら岳友会の3人が槍ヶ岳を目指して出かけたまま行方を断ち、下山して来なかった。本書は、6ヶ月にも及ぶ捜索活動に参加したのらくろ岳友会メンバーによる山岳遭難捜索ドキュメントである。
 故人をただ懐かしみ称える追悼集ではなく、山岳警備隊のような第三者による記録でもない、騒動の渦中にいた人物の手により内側から書かれた遭難記録ということで、外からは伺い知ることのできない様々なドラマが描かれていて興味深い。
 敢えて言うなら、当事者にしてはあまりに冷静すぎるとの感想を抱くが、それが実態なのか、あるいは7年という歳月のなせる技なのか。いずれにしろ、山に心惹かれる者の1人として、考えさせられること、学ぶべきものの多い書である。
 
 
 
 
作  品  名
「八甲田山 消された真実」
 (伊藤 薫、2018年)
紹  介  文
(帯、裏表紙等)
隠ぺいし、ねつ造された
「雪中行軍」の真実と真実とは―。

最後の生き証人の声や
残された関連資料の緻密な調査から
浮かぶ上がった驚愕の新事実。
内容・感想等
 第五聯隊自身が作成した3つの報告書「第二大隊雪中行軍に関する報告」「歩兵第五聯隊第二大隊遭難顛末書」「遭難始末」を始め、「われ、八甲田より生還す」(高木勉)や「吹雪の惨劇」(小笠原弧酒)、さらには当時の新聞記事など、八甲田山雪中行軍に関する記録を丹念に比較し、第五聯隊が隠そうとした事実を探っていくノンフィクション。
 事実を解明するうえで大きかったと思われるのは、著者が元自衛官で第五連隊に所属していた経験もある方だということ。陸軍・自衛隊ならではの用語や慣習から、第五連隊ひいては津川中佐の体面を繕った嘘を見抜いていく。分析が細かすぎてすぐには理解が付いていかない部分もあるし、やや決めつけていないかと思う部分もあるが(もはや真実は藪の中なので仕方ないが)、経験と分析に基づく推論には十分説得力がある。
 
 
 
 
作  品  名
「雪炎」 〜富士山最後の強力〜
 (井ノ部 康之、1996年)
紹  介  文
(帯、裏表紙等)
厳冬の富士。氷雪に閉ざされた山頂測候所へ生活物資を運ぶ強力の最後の専門職、並木宗二郎は、人生の重荷を二つながら背負って21年間歩み続けた。
内容・感想等
 富士山最後の強力として、21年間に約400回も冬富士を登った並木宗次郎の半生記。しかし、これは強力について描いたというよりも、苦労して3人の子供育て上げた1人の男の物語であり、その男の職業がたまたま強力であったに過ぎない。
 長女の失明、生活苦、妻の自殺、滑落…、幾多の苦難に出会いながらも、子供たちのためひたすら富士に登る並木氏。その姿は、子を持つ親であれば、誰しもが心打たれるであろう。特に登山が好きだったわけでもなく、訓練のために強力をやっていたわけでもない。生活のため、子供のために強力を続けた男にとって、富士山とは登山とは何なのか、ちょっと聞いてみたい気がする。
 ちなみに、富士山で強力のアルバイトをしている山野井泰史氏もちょっと登場します。

 
 
 
作  品  名
「富士山の謎」
 (上村 信太郎、1994年)
紹  介  文
(帯、裏表紙等)
「富士山」といえば、誰もがその姿をイメージできる日本の最高峰。古くから文学や絵画の題材とされ、庶民に愛されてきた。しかし、「噴火口の中がどうなっているのか?」「なぜ富士山と呼ばれるようになったのか?」など、富士山そのものについて、どれだけ知っているだろうか?この本では、さまざまな角度から富士山をとらえ、真の姿を浮き彫りにした。登山に行く人も、ながめて楽しむ人も、富士山の魅力を味わってください。
内容・感想等
 「富士山はなぜ"フジ"というのか」、「山頂の土地は誰のものか」、「どのくらい遠くから富士山は見えるか」といった疑問、伝説や昔話に出てくる富士山など富士山にまつわる雑学・マメ知識が100以上も詰まっている。これを読めば富士山博士となること間違いなし。たまにはこういう本もいかがだろうか?

 
 
 
作  品  名
「谷川岳」 〜生と死の条件〜
 (瓜生 卓造、1969年)
紹  介  文
(帯、裏表紙等)
「魔の山」の岩壁上に展開された凄絶なる人間ドラマを描く
内容・感想等
 一ノ倉沢、マチガ沢、幽ノ沢を抱える魔の山・谷川岳。数々の記録と記憶、凄惨なドラマを生み、幾多の若者の命を飲み込んできた魔の山・谷川岳。
 大島亮吉、小川登喜男の初登攀に始まり、登歩渓流会・平田恭介の墜死、緑山岳会と雲表倶楽部のコップ状岩壁の同時登攀、衝立岩での自衛隊銃撃によるザイル切断事件、…etc. こうした谷川岳にまつわる歴史をまとめた1冊。数ある谷川岳に関する本の中で、この本がどういう位置付けになるのかは知らないが、魔の山を知る入門編となろう。
 既に相当前に書かれた本であり、この後も更なる若い命が失われていることと思うが、だからといってここに記されている事実の重みが変わるわけではない。恐ろしき山である。

 
 
作  品  名
「太陽のかけら
 
〜ピオレドール・クライマー谷口けいの青春の輝き〜
 (大石 明弘、2019年)
紹  介  文
(帯、裏表紙等)
けいさんの澄んだ眼差しの向こうにあったもの。それを僕ははじめて知った。激しく駆け抜けた43年。彼女の分まで僕たちは生きなくてはいけない。
                 ―アルピニスト 野口 健
内容・感想等
 2015年12月に、北海道黒岳登山中に亡くなったクライマー谷口けいの生涯を、クライマー仲間で、谷口と何度もザイルを結んだこともある著者が振り返る評伝。明るく前向きで人懐っこく、何事にも好奇心旺盛な谷口けいの人柄がよく伝わってくる。
 一方的な思い入れに偏ることなく、冷静かつ客観的に谷口けいの人生を振り返っており、客観性と思い入れのバランスがうまく取れている気がする。書くべき人が書いたとの印象。本書を読むと、谷口けいがどれだけ多くの人から愛され慕われていたか、いかにいろいろな人に影響を与えていたかがよく分かる。「太陽のかけら」というタイトルになっている言葉が、谷口けいの人柄が読者によく伝わった段階で唐突に出てきて、スッと納得すると同時に、なんだか胸が熱くなる。良書でした。
 唯一引っ掛かったのは、章の並び順。この並びにする意味がよく分からず、単純に若い頃から追っていった方が分かりやすかったように感じた。その意味では、最後に年表が付いていて助かった。

 
 

作  品  名
「彼ら『挑戦者』」 〜新進クライマー列伝〜
 (大蔵 喜福、1997年)
紹  介  文
(帯、裏表紙等)
 敢えて厳しい高峰・難峰に挑む、登り方にこだわる、ユニークな発想で楽しむ…。志水哲也、長尾妙子、杉野保・千晶など24人のひたすら自分の登攀にこだわる若いクライマーたちの生き方・考え方を探る。
内容・感想等
 山野井泰史、平山ユージ、小西浩文、志水哲也、野口健…etc. 既に名の売れている者からそうでない者まで、中堅・若手と言われるクライマー・登山家たちの姿を追う。
 筆者は若きクライマーたちの生き方・考え方を通じて、登山そのものの本質を理解して欲しいという。しかし、同世代として彼らの生き様を見る時、自らの意思で物事を決めることが一切許されなかった戦中派や、これといった楽しみもなかった戦後派が、自由や自己表現を求めて岩を攀じった時代ならいざ知らず、この飽食の時代になぜ?、との思いが先に立つ。ところが、読み進んで行くうちに、えもいわれぬ羨望が涌きあがってくる。それだけの技術・技量が自分にあるわけではないにもかかわらず、自分の欲望、内なる衝動に正直な彼らの行き様が羨ましくてしょうがなくなる。げに恐ろしき書、いや恐ろしき人々である。