山岳小説(新田次郎)
−詳細データ・1971〜75年−
 
 
 
作 品 名
「八甲田山死の彷徨」 (1971年)
あらすじ
 日露戦争前、日露開戦を想定して、寒地装備研究、寒地訓練のため、弘前第31連隊と青森第5連隊が、三本木と田茂木野の双方から雪中行軍を行うこととなった。
 第31連隊を率いた徳田大尉は装備、食糧、隊員の選抜等入念な準備のうえ、訓練に望んだ。一方第5連隊を率いた神田大尉も準備万端整えたものの、上官である山田少佐が同行したために指揮命令系統が乱れ、折悪しく未曾有の大寒波に襲われたこともあり、200数十名のうち十余名しか生き残らないという大惨事に陥った。神田大尉は吹雪のなか舌を噛み切って自殺、辛うじて生き延びた山田少佐も自決に至った。
感 想 等
( 評価 : C )
 映画などで有名な死の八甲田山。そのすさまじさは言語を絶するものであったろう。記録文学として優れており、新田氏の本領発揮といった感がある。
山  度
( 山度 : 60% )
 登山ではないが、猛吹雪、自然の猛威、その厳しさがよく伝わってくる。

 
 
 
作 品 名
「地獄への滑降」 (1971年)
あらすじ
 池塚俊郎は、スキー場で知り合った麻原譲次という男に、根子岳スキーツアーへの同行を申し出た。この男こそは、池塚の妻・伊都子が、池塚との睦み事の最中に名前を連呼した男だったのだ。池塚は何か目的を持っていたわけではないが、麻原譲次とともに根子岳へと向かった。
感 想 等
( 評価 : C )
 嫉妬に燃える男の復讐譚。とはいえ、ちょっと男性がかわいそうっていう感じがする。
山  度
( 山度 : 50% )
 スキーツアーの物語。新田次郎がスキーツアーでの遭難ものを書く場合、舞台が根子岳と志賀高原、霧が峰に集中しているのはどういうわけなんだろう?

 
 
 
作 品 名
「風が死んだ山」 (1971年)
あらすじ
 風が死んでいるのに蒸し暑い晩だった。双六池でテントを張っていた5人組は、なかなか寝付けなかった。外で人の足音と水を汲む音がしたのでテントを出てみると誰もいなかった。昔、そこで遭難死した登山者の幽霊だと言う者もいたが、真偽のほどはわからなかった。さらにヤッホーという救援信号が聞こえ出てみると、上と下にいたパーティも出てきていたが、救助を求めている者などいなかった。
 藤坂薫は幽霊の正体が気になり、同じパーティの牧岡三郎に調べて欲しいと頼んだ。牧岡は、薫に頼まれたのが自分であることに気をよくし、双六池で近くにいた2つのパーティの話を聞きに、わざわざ大阪と金沢にまで出掛けていった。
感 想 等
( 評価 : C )
 山にまつわる怪談、ミステリー・・・と思いきや、実はわがままで自意識過剰な女性がもたらした悲劇の物語。
山  度
( 山度 : 30% )
 北アルプス双六池付近。

 
 
 
作 品 名
「赤い徽章」 (1971年)
あらすじ
 高校時代の友人が集まる七人会で、佐原悦子が日本アルパインガイド協会のバッジの自慢をしているのを聞いて、鈴谷文子は昔のことを思い出していた。彼女は13年前に会社の山岳部に入ってよく山へ行っていたのだ。しかし、雪渓でグリセードの練習をしていて大怪我をしてから、山はぷっつりと止めていた。
 その後彼女は結婚したものの、夫は嫉妬深い男で、グリセードの際にできた太股の傷を見て激怒した。その夫は交通事故死し、文子には莫大な遺産と暇だけが与えられた。
 彼女が日本アルパインガイド協会の講習に参加しようと思ったのは、講師の中にグリセードで怪我をした際に助けてくれた朝倉の名前があったからだった。
 講習会で文子は朝倉の組に入れられ、大抵のことは上手にこなしたが、どうしてもグリセードだけはできなかった。講習会の後、悦子が滝谷第四尾根を一緒にやろうと言ってきた。
感 想 等
( 評価 : C )
 佐原悦子という女性は、新田次郎の作品にしばしば出てくる鼻持ちならない女性の一人という感じだが、主人公の鈴谷文子はあまり登場しないタイプの女性だ。
 山岳小説とはいえ、たいていの場合、男と女が登場するのは、やはり人間を描く上で男女関係というものが不可欠なものだからなのだろう。
山  度
( 山度 : 90% )

 
 
 
作 品 名
「雪のチングルマ」 (1972年)
あらすじ
 湯谷信一は大学山岳部の冬山合宿で、飯田ら先輩5人と上高地から横尾に向かっていた。途中雪小僧の歌を歌ったことから湯谷は雪小僧に跡をつけられると脅され、釜トンネルを1人で歩かされた。トンネルで女性の単独行者と一緒になったが、女性はトンネルを抜けてこなかった。そのまま横尾に向かったが天候が悪化してきた。
 雪洞に泊まった夜、湯谷が眠れなくて外に出ると、雪崩が襲ってきた。大声で先輩達を起こして逃げたが、助かったのは湯谷だけだった。雪小僧はいたのか、女はどこへ行ったのか、ノイローゼ気味の湯谷は、遭難者捜索中にデブリの隙間から落ち、結局死んでしまった。
感 想 等
( 評価 : D )
 山の恐さ、雪の恐さを怪談風にまとめた短編。
山  度
( 山度 : 80% )
 雪の上高地、冬山のジンクス、雪崩・・・。大学山岳部を舞台に冬山を描く。

 
 
 
作 品 名
「コブシの花の咲く頃」 (1972年)
あらすじ
 志賀高原白熊ホテルの事務員小林信一は、雪になったという客の声を聞いて、昨晩遅くに到着し泊めてくれと言ってきた妙な男女のことが気になった。食事を終えて食堂を出ようとした小林のところへ、女中からまだ帰ってきていない客がいるとの情報がもたらされた。調べてみると、昨日遅くやってきた男女の客だった。家族に電話してみると、2人の結婚に家族は反対しており、2人が心中するつもりではないかと言う。
 大番頭広沢のもと急いで捜索隊が組織され、笠ヶ岳ツアーコースや横手山リフトなどを探し回ったが、2人の行き先はわからなかった。
感 想 等
( 評価 : C )
 スキー場を舞台にした「遭難の記」の一つ。
山  度
( 山度 : 20% )
 志賀高原のスキー場が舞台。山度としては高くない。

 
 
 
作 品 名
「春富士遭難」 (1972年)
あらすじ
 峯山岳会は、ここ数年雪中訓練のため、3月半ばに富士登山を行っていた。その年は、宝永山火口壁登攀が目的だった。日本の主たる山は登ったというリーダーの磯川、アイガー北壁登攀などの実績を持つサブリーダー関屋のもと、会員8名と客員として同行していた奈原の計9名は、宝永山の肩にキャンプを張った。
 その晩から天気が悪化し始めた。夜半にはみぞれになり、強風でテントが飛びそうなくらいだった。テントに付いたみぞれを取るために、メンバーは交代で外に出たが、テントに戻ると死んだように疲れきってしまっていた。一睡もできないまま朝になったが、暴風雨は収まりそうもなかった。磯川と関屋はこのままそこに留まる方がいいと考えていたが、客員がいたことが彼らの判断を狂わせた。
 一行は暴風雨の中下山を開始したが、隊員が一人また一人と倒れていった。さらには豪雨によって解け出した雪によって雪汁と呼ばれる雪崩も起きていた。磯川は、かろうじて奈原を連れて下山したが、彼以外のメンバーは全員遭難死していた。ほかのパーティを合わせると、死者18名,行方不明6名という大惨事だった。世論は、無謀登山を行った磯川らに非難が集中した。
感 想 等
( 評価 : B )
 冬富士を舞台にした遭難とそれにまつわる物語。富士山の状況や特殊性についてここまで知悉しているのは、富士山測候所で働いていた新田次郎ならではのことだろう。
山  度
( 山度 : 100% )

 
 
 
作 品 名
「羽毛服」 (1973年)
あらすじ
 若手登山家の竹原澄夫が横尾の近くで遭難死した。彼の死を扱ったテレビ番組で、小説家の矢村はその死因について推測により疲労凍死と評した。それを見た竹原の友人・小松原から、疲労凍死ではなく雪崩による窒息死だとの抗議の手紙が来た。それを聞いた矢村は、自分の迂闊さを後悔するとともに、真相を調べるために遭難現場へ行くことにした。
 大島という若い案内人に連れられて矢村は現場に来たが、それだけでは真相はわからなかった。涸沢小屋に泊まった矢村を前に、そこにいた登山家たちの話題は自然と竹原の遭難原因の話になった。皆が口を揃えて言ったのは、竹原という男が異常なほどいい男だということだった。
 翌日、矢村は原因不明の熱にうなされて病院に運び込まれた。夢の中で竹原の遭難原因について聞かされた矢村は、それが真実かどうかはわからないが、それ以上詮索することは無意味だと思うようになっていた。
感 想 等
( 評価 : C )
 遭難の原因はさまざま。本作品はやや異質な部類に属するかもしれない。
山  度
( 山度 : 90% )
 上高地横尾付近での遭難物語。

 
 
 
作 品 名
「富士に死す」 (1974年)
あらすじ
 時は江戸元禄。主人の命令で富士講に来た伊兵衛は、嵐を予言した富士講2世月心に魅せられてしまった。伊兵衛は、たまたま富士講に来ていて出会った江戸の商人喜兵衛を助けたが、そのために富士の聖水を使ってしまったことで、伊兵衛は主人の不信を買って追い出され、喜兵衛の下で働くこととなった。
 真面目が取柄の伊兵衛は客の信頼を得、喜兵衛の信任を得、喜兵衛の娘・お春と結ばれて、身上をさらに大きくしたものの、結婚は失敗に終わった。その間、伊兵衛はしばしば富士に出かけ、月心の教えを受け、いつしか富士講6世として食行身録となった。
 お春との結婚に失望した伊兵衛は家を出て、小泉六郎の娘お吟と世帯を持ち、商人として、また富士講6世として生活していった。
 ある日自分が病魔に侵されていると知った伊兵衛は、生きたままミイラになる入定に入ることを決めた。
感 想 等
( 評価 : A )
 極めて人間らしい伊兵衛が、富士講6世として人々に慕われていく姿の中に、本当の宗教、本当の教えとはかくあるべしといったものがあるようで、すがすがしい感じがする。人の一生、真面目に生きることの大切さ、大事なことを教えてくれる一冊です。
山  度
( 山度 : 20% )
 富士講としての富士登山のシーンが所々に出てくるが、あくまで宗教登山としての山が描かれている。