山岳小説(新田次郎)
−詳細データ・1966〜70年−
 
 
 
作 品 名
「アイガー北壁」 (1966年)
あらすじ
 芳野満彦と渡辺恒明はマッターホルン北壁を登攀し、次にアイガー北壁を狙っていた。しかし、芳野は足をやられており、とても登れない状態にあった。そんな時に高田光政に出会い、高田が1人で来ていることを知った芳野は、渡辺と高田にザイルを組ませることにした。
 芳野は2人が上っていく様を見ていた。3日続くと思われた好天が2日で途切れ、アイガーは雲に覆われた。あと500mに迫っていた2人は降雪に見まわれ停滞した。
 霧が晴れたとき2人の様子がおかしかった。渡辺が滑落して怪我をしていたのだった。高田は1人で登攀し救助隊を呼びに行ったが、渡辺は怪我した体で上を目指し、墜死してしまった。
感 想 等
( 評価 : C )
 事実に基づいて描かれた実名小説。当時の芳野満彦氏らの快挙、地元で賞賛されたという高田光政氏の必死の脱出、渡辺恒明の悲劇など、事実だけに生々しい。
山  度
( 山度 : 70% )
 アイガー北壁を登る様もいいが、実在の人物がリアルな描写で登場するので、山行記などとはまた違った迫力がある。

 
 
 
作 品 名
「佐々成政の北アルプス越え」 (1966年)
あらすじ
 豊臣秀吉と織田信雄の和睦の知らせを聞いた佐々成政は、秀吉との徹底抗戦のために、自ら徳川家康に会いに行くと言い始めた。そのためには、立山,針ノ木という冬の北アルプスを越えていかなければならない。
 佐々成政は芦峅寺に道案内を頼み、総勢120名の兵士と、家康に妾として差し出すつもりで養女の美禰を連れて芦峅寺を出発した。立山温泉、沙羅沙羅峠、針ノ木峠と越えていくに従って凍傷や疲労で落伍者が続出し、山を降りた時には佐々成政ら兵士一行はわずか6名になっていた。美禰も寒さのために息絶えていた。
 それだけの苦労を乗り越えて行われた家康との対面だったが、成政にとっては実りのない会見に終わってしまった。
感 想 等
( 評価 : C )
 有名な佐々成政の冬の北アルプス越えという決死行を描いた作品。
 事実のみ聞いていて、その歴史的な意味、というか戦略的な意味は全く理解していなかったが、改めて知ってみるとなんと無意味な決死行であったことか。
山  度
( 山度 : 50% )
 立山から針ノ木越え。今とは全く時代が違うので、その壮絶さは想像を絶するものだったことだろう。

 
 
 
作 品 名
「駒ケ岳開山」 (1966年)
あらすじ
 文化11年、権三郎と善之助は18歳の時に八ヶ岳で山伏に出会い、甲斐駒ケ岳を開山すれば京都の本山から大先達という位がもらえることを知った。農家の次・三男だった二人は、いずれ分家して細々と暮らすか、江戸に奉公に出るかしか道がないとわかっていたから、二人で相談して甲斐駒ケ岳開山を目指すことにした。
 2人は諏訪明神に願掛けして、登山道開拓,岩壁登攀の足場作りなどを進めていったが、地元ではいつしか2人が開山した暁には入定するという噂になっていた。
 ふた夏かけて開山に成功した2人は、今度は入定させられることを恐れた。善之助はひとり江戸へ逃亡した。残された権三郎は諏訪藩からの呼び出されて出向くと、家老千野貞侃から長生きせよというお言葉を頂いたことで入定から逃れることができた。
 権三郎は延命行者との名を持ち堂を開いたが、入定の噂から逃れることはどこまでいってもできなかった。
感 想 等
( 評価 : B )
 江戸時代に、甲斐駒ケ岳に黒戸尾根側から初めて登った2人の数奇な運命の物語。
 江戸時代という時代的な背景に基づき描かれる2人物語も面白いが、いろんな山にそれぞれの物語があるのもまた興味深い。
山  度
( 山度 : 30% )
 甲斐駒ケ岳を舞台にした山岳小説というのはあまりない気がする。

 
 
 
作 品 名
「霧迷い」 (1966年)
あらすじ
 富士山測候所への転勤を命じられた槇沢節造は、ひと夏の富士登山を経て、交替勤務のため冬富士へと向かった。測候所勤務20年のベテラン杉本ほか4名の観測所員と強力2名の計7名が一列になって進んでいた。七合八勺の小屋で昼食を取ろうという杉本の言葉を受けて途中から先行した槇沢は、いつのまにか出てきた霧に囲まれて自分の位置を見失ってしまった。迷ったことに気付いた槇沢は、山の鉄則通りそこを動かず救援を待ったが、2時間しても杉本らが来ないため、二合八勺の避難小屋に向けて下山を始めた。
感 想 等
( 評価 : C )
 富士山を舞台にしたちょっとした遭難の記。
山  度
( 山度 : 100% )

 
 
 
作 品 名
「富士山頂」 (1967年)
あらすじ
 役人作家である葛木章一は、迅速な台風の進路予測、気象予測を行うために、気象庁測器課長として富士山レーダー建設に携わっていた。大蔵省と予算折衝、工事受注に向けたメーカーの政治的圧力、資材運び上げののための天候との戦いなどを乗り越えて、2年をかけて富士山レーダーは完成した。
 その直後、日本列島を直撃した台風による風雨は、人間の予想を遥かに越えて富士山を襲い、風速60m/秒にも耐えうるはずのカマボコ型宿舎をいとも簡単に吹き飛ばしてしまった。しかし、富士山レーダーは台風にも無事耐えた。完成を確認した葛木は気象庁退職を決意する。
感 想 等
( 評価 : B )
 新田次郎氏の自伝的小説。山岳小説とは異なるが、富士山レーダーの建設に賭ける男達の戦い、情熱、生き様を描いた力作。
 この事業を最後に、新田次郎が役人作家から専業作家に転進(?)していることからも、新田次郎にとっていかに富士山レーダー建設事業が大きなものであったかわかる。
 秀作!
山  度
( 山度 : 10% )
 富士山レーダー建設のための資材運搬等で実際の山が多少絡んでくるが、基本的にはレーダー建設の向けた人間模様が主。

 
 
 
作 品 名
「涸沢山荘にて」 (1967年)
あらすじ
 根元春雄が上高地へ向かうバスの中に、ジョージとチーコを呼び合っているおかしなカップルがいた。2人はズック靴にサブザックという軽装で、上高地から涸沢を目指し始めた。根元はどうせすぐ戻るだろうと高を括っていたが、2人は結局涸沢山荘まで来てしまった。どうやら軽井沢と涸沢を間違えていたらしい。翌日2人は北穂沢を登り始め、途中の雪渓を横断し、ついには雪崩を起こしてしまった。
感 想 等
( 評価 : D )
 う〜ん・・・・・。なんとも言いがたい。軽井沢と涸沢を間違えてやってきたアホカップルという設定もいかがかと思うが、全体的に今一つか・・・。
山  度
( 山度 : 50% )
 舞台は涸沢山荘付近。

 
 
 
作 品 名
「オデットという女」 (1967年)
あらすじ
 イタリア・ドロミテで岩壁登攀をしていた弓削信也は、そこでオデットという女性を知り合った。彼女は、弓削と同じホテル・オーロンゾに泊まっていた。彼女からザイルを組んで欲しいと言われ一緒に小さな岩壁登攀を行った。その帰り道、麓の岩窟の中で壁面に書かれた古い文字を見つけて、オデットは泣いていた。それは、第一次大戦中になくなたオデットの祖父が書いたものだというのだ。ところが、ホテルに戻った弓削は、そこにいたドイツ人から全てはオデットの芝居だと聞かされた。
感 想 等
( 評価 : C )
 外貨に関する規制の厳しかった当時に、ヨーロッパアルプスに取材に出掛けた新田氏が仕入れた話を元に創作された小説。とはいえ、本作について言えば、ヨーロッパアルプスであることの必然性は低い。
山  度
( 山度 : 50% )
 ドロミテのドライチンネという岩壁を登るシーンが登場。

 
 
 
作 品 名
「八月十五日の穂高岳」 (1967年)
あらすじ
 戦時中という非常時に、まとめて4人もの登山者を与平が案内するのは珍しいことだった。しかし、その4人はいずれもどこかヘンだった。山岳戦の演習のため下見に行くという若い中尉、新しい機械の実験に行くという自称発明家、戦死した兄の身代わりで登りたいというモンペ姿の恵津子、憂鬱な顔をした青びょうたんの鴫沼という男、の4人だった。
 4人は美しい涸沢の景色を見ても簡単の声一つ漏らさないし、真夜中に突然起こされて案内しろと言ったりする。与平は不審に思いながらも、4人を穂高小屋まで案内した。
感 想 等
( 評価 : D )
 戦時中という特殊な時代の不条理さを表現するにはちょうど良いかもしれないが、全体的には何が言いたいのかよくわからない作品。
山  度
( 山度 : 50% )

 
 
 
作 品 名
「女人禁制」 (1967年)
あらすじ
 徳川六代将軍家宣の正室煕子(一位様)と第三の局おきよ(左京の局)は仲が悪かった。呉服商播磨屋で偶然一緒になった一位様の使いのお加根と左京の局のお使いの与志は、些細なことで意地の張り合いとなり、お加根が女人禁制の富士山に登ったら与志が一位様の前で裸踊りをすることになった。
 これを聞いた一位様は何が何でも左京の局の鼻を明かしてやりたいと、お加根を男装と山登りの修行に出した。
 それから1年、お加根は一位様と左京の局それぞれの付き添い人に案内人を加えた4人で富士登山に挑んだ。
感 想 等
( 評価 : B )
 女人禁制の時代に富士登山に挑んだ1人の女性の物語。
 富士山は日本一の山だけあって、いろいろな歴史を持っているのだなと改めて感心。初めて富士山の登った人は一体誰なんだろう?役小角?
山  度
( 山度 : 40% )

 
 
 
作 品 名
「槍ケ岳開山」 (1968年)
あらすじ
 百姓一揆に巻き込まれ、過って愛する妻おはまを刺し殺してしまった岩松は、自責の念に駆られて仏門に入った。播隆となった岩松は、徳の高い流浪の僧として次第に知られるようになっていった。
 飛騨に戻った播隆は、人々の協力のもと笠ヶ岳を再興したが、その次に笠ヶ岳山頂から見た槍ヶ岳の開山を目指した。多くの艱難辛苦のすえ槍ヶ岳に初登頂した播隆は、さらに登山道を整え、万人に開かれた山としていった。
感 想 等
( 評価 : A )
 江戸末期、槍ヶ岳初登頂に成功した播隆上人の生き様を描く伝記小説。
山  度
( 山度 : 20% )

 
 
 
作 品 名
「赤い雪崩」 (1968年)
あらすじ
 厳冬期、畑薙湖から茶臼岳へ行こうとしていた鹿島洋平は、ザックも持たない男女・舟塚と多津子が降りてくるのと出会った。パーティの1人・笠田が雪崩に遭って死んだという。しかし、鹿島と地元山岳会メンバーが遺体運搬のため遭難現場に向かうと、死んだはずの笠田は生きていた。鹿島は殺人が行われたのではないかと疑う。
 舟塚は、鹿島が住む近くの善福寺公園で、マガモを捕まえた男に似ていた。そして舟塚のシュラフは市販されてない珍しいマガモのシュラフ。鹿島は舟塚を問い詰める、が実は・・・。
感 想 等
( 評価 : D )
 新田次郎氏がしばしば描く、遭難に見せかけた山での事故死。どうも、簡単に人を疑って、殺人にしたがるような設定があって、ちょっと安易ではないかと思う。
山  度
( 山度 : 70% )
 雪の茶臼岳。山度はたっぷり。

 
 
 
作 品 名
「新婚山行」 (1968年)
あらすじ
 根塚八郎と淳子は新婚旅行で北アルプスに来ていた。しかし、友人の関屋達雄が日を間違えて予約したために、山小屋で相部屋になってしまった。
 結婚初夜を焦る根塚は屋外で淳子に迫り、淳子に怒られてしょげ返っていた。根塚の山男らしい不器用さを好ましく思って結婚した淳子だったが、あまりのデリカシーのなさに腹を立て、関屋のスマートさを思い出していた。
 天候が悪化するなか2人は槍ヶ岳、北穂高岳と縦走して来たが、横尾本谷の橋が流されたとの情報が入った。先を急ぐ根塚は、梓川を渡渉できるかもしれないと思い下山することにした。
感 想 等
( 評価 : C )
 新田次郎の短編に登場する男女は、いくつかのプロトタイプに分けられるような気がする。このうちの一つ、不器用で奥手でそのくせ、というかそれゆえに性に対して性急な山男。そして、それなりに遊びなれているがゆえに不器用な山男のストレートさを好ましく思う女性。そんな2人の違いが、時としてうまく働いたり、時には障害になってしまったり。
 本作は、2人の違いがマイナスに働いて、結果遭難にまで至ってしまうという悲劇の物語。
山  度
( 山度 : 80% )
 中房温泉から、燕岳、大天井岳、槍ヶ岳、北穂高岳、そして上高地へという縦走路。

 
 
 
作 品 名
「黒い雪洞」 (1968年)
あらすじ
 横尾本谷に雪洞を掘ってビバークしていた4人パーティを雪崩が襲った。リーダーの栃尾謙司が異変を感じた時には既に雪崩は目の前に迫っており、彼は何がなんだかわからないうちに閉じ込められていた。栃尾の婚約者の梶沼早苗は、変な胸騒ぎがして雪洞から外の様子を見に出た時に雪崩に襲われた。津屋金吾と小塩信雄の生死はわからなかった。
 栃尾は、脱出するためにナイフでひたすら雪を掻いたがなかなか外に出られなかった。暗い中で作業しているうちに、早苗がなぜ自分を起こしてくれなかったのか、もしかしたら津屋と早苗はできているのではないかと考え始め、早苗に対する憎悪を募らせていった。
 早苗は幸い雪の表層に埋もれただけで済んだが、足を挫いてしまい動くに動けなかった。救助が来るまでひたすら待つだけの早苗は、自分をこんな所に連れてきた張本人で、雪崩が来ないと嘘を言った栃尾に対する憎悪を募らせていった。
感 想 等
( 評価 : C )
 人間は究極の状態に置かれるとかくも醜くなってしまうものだろうか。新田次郎の描く遭難者は、往々にして窮地において心理的に追い込まれ、結果として悪い悪い方へと向かっていってしまうパターンが多い。
 人はかくも弱いものなのだろう。
山  度
( 山度 : 70% )
 舞台は横尾本谷ながら、ほぼずっと雪洞の中。

 
 
 
作 品 名
「春一番」 (1968年)
あらすじ
 双子の弟の弘が、冬の槍ヶ岳に行ったまま帰って来ていないと知って伊谷美津子はじっとしていられなくなった。弘の友達に電話して聞いても誰も一緒に出かけていないという。いつも“美津子”と呼び捨てにして用件しか書かない弘からの手紙には、今回に限って「姉さん、元気でね」などと書いてあった。
 不安になった美津子は、高校時代から山をやっていた遠い親戚の菅沼健にお願いして、大急ぎで現地に向かうことにした。季節外れの大雪で交通機関に障害が発生していた。飛騨側の神岡、信州側の沢渡へ行っても、弘の消息はつかめなかった。
 ところが、福岡の実家から弘が戻ってきたとの連絡が入った。大雪のため上高地で引き返してきたのだという。美津子は安心するとともに、徒歩で上高地まで入った菅沼が雪崩に遭っていないか不安になってきた。
感 想 等
( 評価 : C )
 吊り橋効果、って言ったかな?危険な状況を共有した男女は、危険による緊張感を恋愛のドキドキ感と勘違いして恋に陥ってしまうという学説があるとか。本作の美津子の菅沼に対する感情は、それに近いものかもしれない。
 山ではそういうこともあるのかもしれない。
山  度
( 山度 : 70% )
 ずっと山に関する話ではあるが、場面としては山麓ばかり。

 
 
 
作 品 名
「霧の中で灯が揺れた」 (1968年)
あらすじ
 淳子をリーダーとする会社登山部の女性4人パーティーは、蝶ヶ岳ヒュッテに泊まっていた。淳子らB班は上高地から登り、須佐渡から常念岳へと向かった男性4人パーティのA班と途中ですれ違うことになっていたが、常念小屋に着いてもA班と出会うことができなかった。
 A班は途中で道を間違えてしまったのだった・・・。
感 想 等
( 評価 : C )
 新田次郎の描く女性のもう一つのプロトタイプ。キレイだけれど、自意識が過剰で、ちょっとわがまま。そんな女性が集団で登場している感じの物語。
 新田次郎の描くこの手の女性についてはどうかなぁ・・・と正直思うが、それに踊らされてしまう男性はもっと情けない。
山  度
( 山度 : 90% )
新田次郎の蝶ヶ岳から常念へ。

 
 
 
作 品 名
「しごき」 (1968年)
あらすじ
 大学山岳部に入部した由美は南アルプスの縦走に来ていた。厳しいしごきがあると聞いてきたが、初日はこれといってたいしたこともなく由美は拍子抜けしていた。
 ところが2日目から違ってきた。今回の山行では生きたニワトリを運んでいたが、ニワトリのお世話係りを言い渡された由美は、2日目から“トリちゃん”と呼ばれるようになった。ニワトリが卵を産まないといっては由美のせいにされ、天候に気を配っていなかったといってトリ目だと文句を言われた。
 口でしごく女のやり方に嫌気が差した由美は、下山したら部を止めようと思った。
感 想 等
( 評価 : D )
 大学山岳部のしごきの実態がどのようなものかは知らないが、この作品を読む限りにおいては、これが実態だったらどうかしてると思うし、実態とは関係なく書かれた作品だとしたら、理解に苦しむなぁというところ。今ひとつピンッと来ない作品。
山  度
( 山度 : 90% )

 
  
 
作 品 名
「虻と神様」 (1969年)
あらすじ
 上高地か明神池まで散歩に行こうとした千穂と恒子は、宿を出てすぐの場所で出会った山男たちの軽い言葉に誘われて、西穂山荘まで登ってしまった。西穂山荘から下山しようとした頃に濃い霧が発生し、2人は道に迷ってしまった。
 恒子とはぐれ、熊笹の滑り台で谷底に落ち込んでしまった千穂は、とにかく下に降りれば上高地に着くと考え、途中で見つけた沢沿いに下山していった。しかし千穂は外ヶ谷の峡谷に入り込んでおり、ついには降りることも登るこうともできなくなってしまった。千穂は第三の滝の上で、何日も水だけで生きながらえていた。
感 想 等
( 評価 : C )
 遭難について書いた作品であるが、いかにもありそうな、山のことをよく知らない人たちがおこしそうな遭難の顛末。
山  度
( 山度 : 100% )

 
 
 
作 品 名
「三億円の顔」 (1969年)
あらすじ
 奥多摩日原にあるローソク岩を単独登攀した保川政司は、岩の頭から眼下300m下の道路を眺めていて43年型カローラに乗ってやってきた妙な登山者がいることに気付いた。翌朝、三億円事件が起きたことを知り、その犯人が43年型カローラに乗っていたと聞いた保川は、犯人が三億円を山の中に隠したのではないかと思い犯人探しを始めた。
 山仲間の肥田と協力して探るうちに、橋塚という怪しい人物が浮かび上がり、2人で罠を仕掛けることにした。
感 想 等
( 評価 : C )
 いわゆる三億円事件が起きたのが1968年のことだから、その事件から着想を得て書かれた作品なのだろう。内容的には、まぁあるかもしれないなという感じで、欲に目がくらんだ人間のあさましさみたいなものがうまく出ている。
山  度
( 山度 : 30% )

 
 
 
作 品 名
「まぼろしの雷鳥」 (1969年)
あらすじ
 茅野市役所の関沢は、天狗岳で撮影したという雷鳥の写真を受け取った。絶滅したはずの雷鳥が八ヶ岳で見つかれば重大な発見となる。関沢は、写真を送ってくれた女性2人組への接触を図るとともに、雷鳥を探しに八ヶ岳へと出掛けた。
 ところが、写真を撮った2人が相次いで不幸な死を遂げてしまった。そのうちの1人館尚美は、間接的とはいえ関沢が関係していた。関沢は、まぼろしの雷鳥はまぼろしのままが一番いいのではないかと思うようになっていった。
感 想 等
( 評価 : C )
 日本アルプスと白山以外では絶滅したとされている雷鳥の写真が八ヶ岳で撮影された、そんな意外な設定に起因するミステリータッチの物語。
 雷鳥の富士山移住計画なども聞いたことがあるが、雷鳥という氷河期の生き残りの鳥は、その愛らしさだけでなく希少性からも、山男たちのロマンを掻きたてる存在なのだ。
山  度
( 山度 : 60% )
 八ヶ岳。新田次郎の小説にしばしば使われる舞台。

 
 
 
作 品 名
「岩の顔」 (1969年)
あらすじ
 泊真一郎をリーダーとするエコー山岳会のパーティ5人は、谷川岳へと来ていた。道中ずっと変な男が先行しており、島巻と狩倉の2人は桂子と陽子がいるせいもあって、特に男のことを気にしていた。男は千杉誠と名乗った。幽の沢に入った泊・狩倉・島巻のパーティの後を追って、千杉も1人で登っていった。
 しばらく後、桂子と陽子の2人が、それぞれ別々に千杉とパーティを組んで、岩壁登攀に出かけているとの噂が入ってきた。それを知った島巻と狩倉は、泊に対して会員以外との山行を禁じている会則に反していることを訴えた。島巻は桂子のことが、狩倉は陽子のことが好きだったのだ。
 会員内での揉め事を気にした泊は、会長の駒瀬辰太郎のことろに相談に行った。すると駒瀬は、千杉がどんな人間かはザイルを組んでみればわかる、島巻、狩倉、千杉の3人でパーティを組み、幕岩を登ってみろという。3人は幕岩を登ることになったが…。
感 想 等
( 評価 : C )
 新田次郎氏の作品は、長編に秀作が多い一方で、短編はの方は正直言ってピリッとした作品が少ない。特に、男女問題を絡めた短編は今いちなのだが、この作品はよくできている。
山  度
( 山度 : 90% )
 新田次郎の作品で、山岳会が舞台となっているものは少ないような気がする。本作品は山岳会の人間関係を中心に、山行シーンなど山の色も濃い。

 
 
 
作 品 名
「雪の炎」 (1969年)
あらすじ
 谷川岳で5人のパーティーが縦走中に暴風雨に遭い、旬子が滑落。大熊と雅子は小屋に向い、リーダーの華村敏夫と和泉は旬子を探しに下へ降りた。旬子は無事だったが足を怪我しており動けない。3人は野宿を余儀なくされたが、翌朝華村だけが死んでいた。
 兄の死因に疑問を持った華村名菜枝は、ロックナー、高田の協力を得て、何故兄だけが死に至ったのか、その原因を探った。そして、名菜枝、ロックナーに遭難時のメンバー4人を加えた6人で再度再現登山を行い真相を暴く。
感 想 等
( 評価 : C )
 一風変わった山岳ミステリー。推理小説で言うところのフーダニットの世界を山の中で見せたという意味で、野心的で面白い作品ということができよう。
山  度
( 山度 : 60% )
 谷川岳での登山、その再現・・・。遭難の原因究明も含めれば、山の雰囲気はたっぷり。

 
 
 
 
作 品 名
「芙蓉の人」 (1970年)
あらすじ
 正確な天気を予測するには富士山頂での観測が欠かせないと考える野中到は、富士山頂に観測小屋を建て、お国のために命をかけて冬期気象観測に挑む。明治にしては珍しく自立した強い女性であった到の妻千代子は、夫や舅、姑に内緒で到のために富士山頂へ向かう。
 到と千代子は2人で協力して気象観測を続けるが、極度の疲労と栄養失調とから2人して死を覚悟せざるを得ない状況に追い込まれ、ついには救助隊に担がれて下山やむなきに至った。
 しかし、到の意思は受け継がれ、37年後の昭和7年に富士山観測所が建設されることとなった。
感 想 等
( 評価 : B)
 富士山頂での気象観測に命を賭ける野中到、それを陰に日向に助け、到とともに富士山頂で死ぬ覚悟までした千代子。明治の女性には珍しいまでの意思の強さ、愛情の深さは感動を呼び起こさずにはいられない。
山  度
( 山度 : 40% )
 富士山頂の過酷なまでの自然環境がよくわかる。加えて、明治という時代において用いられた登山用具の様も興味深い。

 
 
 
作 品 名
「雪呼び地蔵」 (1970年)
あらすじ
 滑川温泉から家形山、一切経山を経て微温湯へのハイキングに来た女性3人組。宿の出口にあった紅葉の枝を見たユミと悦子が、紅葉を見たいと言い出して寄り道をした時から3人の運命は狂い始めていた。
 山に多少詳しい千恵は、11月というこの季節に紅葉が見られないことはわかっていたし、1時間のロスを取り戻すために先を急いでいた。途中から天候が悪化し始め、あと30分で家形山に着くという頃には3人の疲労も増し、辺りは吹雪の様相を呈していた。
 滑川温泉に戻った方がいいと言うユミと悦子、家形山ヒュッテへに逃げ込もうという千恵とで意見が合わず、3人は次第にバラバラになってしまい方向を見失っていった。
感 想 等
( 評価 : C )
 いわゆる「遭難の記」に属する作品の一つ。山をなめてはいけない、という教訓。
 偶然がもたらした結末が、新田次郎らしいというか、皮肉たっぷりで苦笑せざるを得ない。
山  度
( 山度 : 90% )
 家形山、一切経山。新田次郎の山岳小説で、この山域を舞台にしたものは他に見たことがない。

 
 
 
作 品 名
「凍った霧の夜に」 (1970年)
あらすじ
 井村信夫は霧ガ峰でスキーを楽しんでいた。上諏訪で温泉に入って返ろうかと思っている所で顔見知りの女性2人に出会い、温泉に入るのを止めてもう少し滑っていこうという気になっていた。
 リフトで上に上がると、そこでいけ好かない黒ずくめの男と出会い、行きがかり上まだ行ったことのない観音沢へと行くことになってしまった。最初、黒ずくめの男のシュプールを追っていた井村だったがいつの間にかその跡を見失い、ついには雪藪に突っ込んでしまった。
 雪から脱出しようともがいているうちに日が暮れてしまい、井村は真っ暗い中をひたすら歩く羽目に陥っていた。しかし、歩けども歩けども小屋や道に出なかった。次第に、死の恐怖が井村を捉えていった。
感 想 等
( 評価 : C )
 偶然が重なっていつの間にか窮地に陥ってしまう。新田次郎が得意とする遭難へのパターンだが、実際の遭難もそんなものなのだろう。過信、油断は禁物。
山  度
( 山度 : 70% )
 舞台はスキー場。