山岳小説(新田次郎)
−詳細データ・1961〜65年−
 
 
 
作 品 名
「登りつめた岩壁」 (1961年)
あらすじ
 中村友治はゴルジュ山岳会の主要メンバーとして委員を務めていた。中村は、彼が会員には内緒で付き合っている稲島百合子に、喜見田俊男が近づいて来た時から喜見田に対して胡散臭いものを感じていた。今まで単独行でどこの山岳会にも所属していなかった喜見田が入会を希望してきたことからして変だった。
 一方中村は、百合子がしきりに結婚を迫ってくることに辟易しており、そろそろ潮時だと考えていた。一昨年に谷川岳ヒツゴー沢で行方不明になった高庭千代の時もそうだった。中村は、百合子との関係を終わりにし、同時期に入会を希望してきた桑森伊佐子に近づこうと、八ヶ岳赤岳沢遡行や谷川岳幕岩に一緒に出掛けた。
感 想 等
( 評価 : C )
 新田次郎にしては珍しく、どっからどう見ても悪い軟派男。ちょっとミステリータッチな展開が盛り上げている。二時間ドラマの原作みたいな感じ。
山  度
( 山度 : 80% )
 珍しく沢登シーンのある山岳小説。

 
 
 
作 品 名
「蛾の山」 (1961年)
あらすじ
 稼村松二と得永一夫が、洋野まみと親しくなったのは、彼らが谷川岳一の倉奥壁を登攀しに来た時のことだった。稼村が仕事で出張している間に、得永とまみの関係は急速に進展し結婚の約束をする間柄にまでなっていたが、得永の妹・玲子はまみに対してなぜか不安を感じていた。
 得永とまみは谷川岳に新婚旅行に来た。そこで得永が行方不明になった。玲子は、兄がまみに殺されたと考え、稼村に真相の調査を依頼した。まみの過去を調べ始めた稼村は、まみの意外な過去を知った。
感 想 等
( 評価 : C )
山  度
( 山度 : 60% )
 舞台は谷川岳だが、登攀シーンはほとんどなし。

 
 
 
作 品 名
「三つの遭難碑」 (1961年)
あらすじ
 コー山岳会の名川竜男、笹英男、赤原務の3人が北岳バットレスの冬季登攀に失敗し墜死した。北岳山麓で行われた遺体の荼毘に際して、名川の遺族だけがエコー山岳会に対して冷たい態度を取り、別々にとり行うと言い出した。
 遺体捜索には123万円もの費用が掛かった。これは会社社長である名川の父親が大規模な捜索を行ったためだった。3人の遺族とエコー山岳会とで四等分しても、非常に高額だった。名川家は払わないと言うし、笹家は既に嫁いでいる姉しかいないし、赤原の両親は分担金が払えず自殺を図った。
 エコー山岳会の会員一人当たりの負担は6千円に上ることになり、会長の伏田は苦り切っていた。
感 想 等
( 評価 : C )
 登山の裏側、遭難に伴う遺族や山岳会の確執を描いた作品。考えてみれば、こんな作品を書く人なんて今いないなぁ。
山  度
( 山度 : 20% )
 全編山にまつわる話ではあるものの、実際の登山シーンなどはなし。

 
 
 
作 品 名
「白い壁」 (1961年)
あらすじ
 菊地弥太郎、栗原辰三ら大学山岳部の5人は、冬の笠ヶ岳を目指していた。三年生の菊地・栗原が登攀路を探して先行している間、佐々木,杉浦,若林の3人の一年生は、寒風にさらされながら狭いテラスに立って待っていた。その時雪崩が3人を襲い、佐々木以外の2人が流されてしまった。
 偵察から戻った菊地らは佐々木から状況を聞き、流された2人を探しに三の沢へと降りていった。2人を見つけられなかった菊地らはテントに戻ったが、そのまま吹雪に閉じ込められ身動きが取れなくなってしまった。
 一方、雪崩に流された2人のうち若林は雪から這い出し、一人脱出を試みた。
感 想 等
( 評価 : C )
 いわゆる遭難ものだが、人間関係のアヤとか山岳ミステリーのような人為的な原因による遭難ではなく、自然と人間の戦いに絞って描かれている。その分読後感としても、自然に対する純粋な畏敬の念や登場人物の頑張りに対する賞賛、亡くなった人への愛惜、そういった思いが強い。
山  度
( 山度 : 100% )
舞台は笠ヶ岳。

 
 
 
作 品 名
「山が見ていた」 (1961年)
あらすじ
 営業課員の宮河久男は、人繰りの関係でたまたま配送を引き受け、その途中子供をはねてしまった。そのときは恐くなり逃げてしまったものの、久男は自責の念にかられ死ぬために山に入った。
 大岳山を歩くうちに、道に迷った5人組の中学生を助け、久男は死に場所を失ってしまった。止む無く久男は家に戻り、子供の家に正直に話に言ったところ、子供は無事で怪我ひとつしていなかった。また、会社に行くと、中学生を助けたことで久男は評判になっていた。
感 想 等
( 評価 : C )
 短編。運命のイタズラとでも言うべき偶然がさりげなく描かれており、後味が良い。
山  度
( 山度 : 50% )
 大岳山登山シーンあり。
 短編集「山が見ていた」に収められている山岳小説は、表題作と「山靴」程度。

 
 
 
作 品 名
「温暖前線」 (1961年)
あらすじ
 ムード化粧品の宣伝イベントとして鹿児島県沖でばらまかれた風船。そこには東京への招待状が付いていた。
 青い風船“青太郎”は、結婚相手が処女であるかどうかに拘ったばかりに妻に逃げられた小松大五郎の手に渡った。赤い風船“赤子”は、巻機山で遭難しかかっていた柳田千穂らを助け、その千穂の手に渡った。
 小松と千穂はそれぞれ上京し、ムード化粧品で働くこととなった。
感 想 等
( 評価 : C )
 新田次郎が初めて新聞の連載小説として書いた作品。と同時に初のユーモア小説でもある。
 新聞小説らしく目先が目まぐるしく変わり、読者を飽きさせない展開に配慮している様子が伺える。
山  度
( 山度 : 10% )
 山のシーンは、巻機山で遭難しそうになった柳田千穂を赤い風船が偶然助けるという場面くらい。

 
 
 
作 品 名
「風の遺産」 (1961年)
あらすじ
 滝秀一の妻・蓉子は、新宿駅で体調を崩したところを見知らぬ男に助けられ、救護所まで運ばれた。男は名前も告げずにいなくなってしまったが、忘れていった山岳雑誌が唯一の手掛かりだった。
 蓉子の会社の同僚・穂坂久実の機転で、蓉子を助けたのは伊村真平だとわかり、蓉子,久実,伊村,伊村の従兄弟・宮島の4人で乾徳山へ行くことになった。蓉子は伊村らに自分が既婚だと言っていないこと、今回の山行が男性と一緒だということを夫に告げていないことを気にしていた。
 一方、蓉子の夫で新聞記者の秀一は取材を通じてたまたま伊村と知り合い、蓉子が嘘をついていることに気付いた。
 伊村らは冬の谷川岳行きを計画したが、宮原がスキーで捻挫してしまったこともあって伊村と蓉子の2人で出かけることとなった。ところが、悪天候で2人は茂倉小屋に1週間も閉じ込められてしまい、マスコミから好奇の目で見られることとなってしまった。
感 想 等
( 評価 : C )
 新田次郎の不倫もの、って他にない気がする。それはさておき、恋愛の節目節目にうまく山を絡めており、新田次郎らしい恋愛小説に仕上がっている。
山  度
( 山度 : 30% )
 乾徳山の夏山登山、鷹取山でのロッククライミング、丹沢・勘七ノ沢の沢登り、谷川岳での雪山登山など、バリエーションに富んだ登山シーンが登場。

 
 
 
作 品 名
「錆びたピッケル」 (1962年)
あらすじ
 5年前にマッターホルンツムット稜で滑落死した宮井久一の墓参りにツェルマットまで来た秋田銀郎は、宮井の墓で首の折れたピッケルを発見し、宮井が誰かに殺されたのでないかとの疑念も持ち始めた。
 宮井の持って行ったピッケルは名工門内のピッケルのはずだったが、どうみてもそれは鍛造ではなく熔接で造ったピッケルだった。門内のピッケルは、マッターホルンに行くに当たって、山岳会から宮井に贈ったものだった。
感 想 等
( 評価 : B )
 短編山岳ミステリーながら、全体の構成・展開がよく練られており、ちょっとした意外感のあるラストとともに秀逸な小品と言えよう。
山  度
( 山度 : 40% )
 マッターホルンでの登山シーンは少ししかないが、全体を通じて登山に絡んだ話となっている。

 
 
 
作 品 名
「谷川岳幽の沢」 (1962年)
あらすじ
 谷川岳幽の沢で、男女2人の遺体が見つかった。最近、幽の沢で行方不明になったとの届出は出ておらず、遺体の身元確認には難航が予想された。
 行方不明者の家族として3名が名乗り出た。狂女になった娘だと主張する白崎哲夫、バーに勤めていた姉ではないかという矢月亀雄、山に出かけて行方不明になった夫だという船坂律子の3人だった。
 北村春雄は、付き合っているバーの女・矢崎マスと谷川岳に山行に来て遭難しかかり、マスが足を滑らせて死んでしまった。マスとの関係を知られてはマズい北村は、彼の会社のライターをマスが持っていたことが気になっていた。
 北村は、常務の娘の家に婿養子に入り船坂春雄となったが、マスのポケットに入った会社のライターが気になったため、マスの遺体を捜しに行くことにした。
感 想 等
( 評価 : C )
 なんとも不思議な小説。表現は的外れかもしれないが、遭難版「わらしべ長者」とでも言うような、奇妙な人間関係の巡り合わせがもたらした男女の遭難遺体の真相。
山  度
( 山度 : 60% )

 
 
 
作 品 名
「気象遭難」 (1962年)
あらすじ
 ゴルジュ山岳会を脱会した米山吾郎は、秋村芳雄と2人で白馬岳主稜を目指していた。一日遅れでゴルジュ山岳会も白馬を目指していることを聞いた米山は、2人のラッセル跡を使って、後ろからゴルジュ山岳会が追ってくることを気にしていた。
 3日目に暴風雪に襲われ、2人は雪洞に逃げ込んだ。翌日、吹雪が弱まったのを見て、米山らは一気にアタックを開始した。しかし、これは温暖前線通過に伴う一時的な好天に過ぎなかった。
感 想 等
( 評価 : C )
 新田次郎の遭難ものの一つ。“一時的な好天”による遭難という題材は、新田次郎の他の作品や森村誠一の作品などでもしばしば見られる展開。
山  度
( 山度 : 100% )

 
 
 
作 品 名
「嘆きの氷河」 (1962年)
あらすじ
 若宮浩は観光地化したヨーロッパアルプスの山に飽き、登山家しか来ない魔王の剣と呼ばれる辺境の山に来ていた。シーズン中でガイドが出払っていたため、若宮はたまたま散歩道で出会ったペーターというガイドを雇うことにした。ところが、小悪魔の散歩道と呼ばれる岩場に向かう途中に出会った村のガイドは、皆ペーターのことを避けているようだった。
 ペーターの技術は確かなもので、不思議に思った若宮が聞いてみると、30年前にペーターとゼップというガイドが魔王の剣の南壁登攀を行っていて、ゼップが墜死したことが原因だという。当時ペーターとゼップはミッデという女性を巡って争っていて、ゼップとミッデが結婚したためにペーターがゼップを殺したという噂がたっていたのだ。
 小悪魔の散歩道からの帰り道に、嘆きの氷河でゼップの遺体を捜したいというペーターの願いを聞いて若宮とパーター嘆きの氷河に行くと、なんとゼップの遺体が氷河から見つかった。
感 想 等
( 評価 : C )
 新田次郎初期ではあま登場することがなかったヨ−ロッパアルプスを舞台にした作品。古いヨーロッパの山岳小説に、クレバスに飲み込まれた死体が数十年経って氷河の端出てくるという話があったが、そういう意味ではヨーロッパならではの逸話を盛り込んだ作品。
山  度
( 山度 : 80% )
 「魔王の剣」なる山がどこのことなのかは不明。

 
 
 
作 品 名
「雪に残した3」 (1962年)
あらすじ
 雪の谷川岳で行われるエクラン山岳会の春合宿に後から参加するはずだった市岡が来ない。翌朝、倒れている市岡が発見された。彼は死の間際に、「3」という謎の数字を残していた。
 容疑者は3人。石崎は以前市岡と同じ会社におり、とある事件で市岡に恨みを持っている可能性が高い。上原は、市岡の婚約者・菊地奈智子にほぼ同時期に求婚しており、市岡を恨んでいたかもしれない。富部は山岳会を使ってよからぬことをいろいろやていたが、その内情をバラすと市岡に脅されていたという。
 エクラン山岳会は、石崎,上原,富部の3人を同行させ、市岡の追悼山行を行った。
感 想 等
( 評価 : B )
 文庫本化されていない新田次郎の山岳ミステリーの中編。犯人が誰なのか最後までハッキリしないが、これは新田次郎の描きたかったものが、いわゆるミステリーではなく、人間の負の側面・裏側にあるからなのかもしれない。
山  度
( 山度 : 50% )

 
 
 
作 品 名
「雷鳴」 (1962年)
あらすじ
 美穂子は、母が勧める結婚相手の宮川、妹のみどりと3人で登山に行くことになった。美穂子は何となく宮川が気に入らなかったが、山に入って山に関する知識を披露する宮川を美穂子は少し見なおしていた。
 山小屋に泊まった翌日、下山途中で3人は雷雨に巻き込まれた。途端に自身を失った宮川は、途中の濁流に飲まれて以降、全く頼りにならなかった。山小屋から3人の様子を聞いて駆けつけてきた長谷川に助けられなんとか下山したが、美穂子の気持ちは宮川ではなく、もう一人の結婚相手候補の芳村へと傾いていた。
感 想 等
( 評価 : D )
 新田次郎氏初期の短編。山では人間の本当の姿を知ることができる、ということか。。。
山  度
( 山度 : 70% )
 冷池小屋から鹿島槍ヶ岳への登山。

 
 
 
作 品 名
「偽りの快晴」 (1962年)
あらすじ
 アルムクラブ山岳会の長田は気象庁の大井技官のもとを訪れ、北方から勢力を拡大してさせた高気圧が台風18号を抑えたことにより訪れた一時的な快晴を利用して、八ヶ岳の集中登山に行く相談をしていた。大井の心配をよそに、長田は台風が動き出したら取りやめることを約して帰っていった。
 昭和34年10月18日、アルムクラブの会員18名は、7隊に分かれて八ヶ岳集中登山を開始した。長田と羽田,大森の3人パーティは、赤岳沢コースを遡行していった。3人は台風を気にしつつも、途中の雨にも引き返すことなく快調に登っていったが、雨がみぞれに変わるに至って、赤岳沢から天狗尾根へと逃れることにした。
感 想 等
( 評価 : C )
山  度
( 山度 : 90% )

 
 
 
作 品 名
「疲労凍死」 (1962年)
あらすじ
 岩畑不二夫が、冬の八ヶ岳、中岳の尾根で疲労凍死した。同行していた蛭田義雄が一人行者小屋まで助けを求めに行ったが、救援が不二夫の元に辿り着いた時には、不二夫はすでに死んでいた。
 不二夫の兄・武は、不二夫の恋人だという味沢奈津子や山仲間の牧月平治らから、不二夫は蛭田に殺されたのだという言葉を聞くにつけ、次第に蛭田を疑い始めた。そして、武は山を始め、真実を確かめるために、蛭田とともに冬の八ヶ岳に登ることにした。
感 想 等
( 評価 : C )
 ミステリー仕立てで遭難の原因を探っていくものの、ミステリーとはやや赴きが異なる。最後は何ともやるせないラスト。
山  度
( 山度 : 60% )

 
 
 
作 品 名
「神々の岩壁」 (1963年)
あらすじ
 南博人は札幌で友人らと山を登りまくり、いつかヒマラヤへ良くことを夢見ていた。就職で上京した後も山を続けていたが、ある日丹沢の未踏壁を登攀したところを見ていた吉野幸作に見込まれ、東京雲稜山岳会を結成し、吉野から本格的な岩壁登攀術を教わった。天賦の才に恵まれていた南は次々と記録を打ち立てて行った。
 ある時、ランニング中に出会った仁保京子に惹かれた南は、彼女を山岳会に誘い、ともに山登りを楽しんだ。京子との結婚まで考えた南だが、彼女の父親から結婚の条件として山を辞めることを求められた。南は谷川岳衝立岩正面壁を最後に山を止め、京子と結婚する決意をした。
 4日に及ぶ辛い登攀のすえ衝立岩正面壁を登った南は、京子と結婚し運動具店を開くこととした。
感 想 等
( 評価 : B )
 名クライマー・南博人の実名伝記小説。どちらかと言うと、優れた業績を残しながら最後は山で死んでいったクライマー達が小説のモデルとなりがちである中にあって、女性の為に山を止めた、ある意味珍しいタイプの伝記小説?かもしれない。
山  度
( 山度 : 100% )
 登攀シーンはもちろんのこと、山ヤの生活、行き様が描かれている。特に、衝立岩正面壁登攀シーンは、クライミングをやる人間にとってはたまらないシーンらしい。

 
 
 
作 品 名
「風雪の北鎌尾根」 (1963年)
あらすじ
 昭和23年12月末、新堀篤と前島耕一は従来の極地法登山に挑戦し、自力登山を証明するために、湯俣から北鎌尾根、槍、穂高、焼岳への縦走を計画していた。
 しかし、季節外れの雨でテントとツェルトザックが使えなくなり、猛吹雪の中、往生していた。何とか槍ヶ岳までと前進を続けるも、ラジュースが使えなくなり、また前島が滑落するに至って2人は進退極まってしまった。新堀は動けなくなった前島とともに死ぬ覚悟をした。
感 想 等
( 評価 : B )
 有名な松濤明の「風雪のビバーク」を小説化したもの。事実ゆえの重みを使ってうまく表現しているが、事実を越えることが難しいというのもまた事実。壮絶な最後は松涛の遺書とともにいつまでも頭から離れない。
山  度
( 山度 : 100% )
 2人が山に入り、風雪に遭って北鎌で停滞、亡くなるまでを描いている。もちろん終始、山の中。

 
 
 
作 品 名
「薬師岳遭難」 (1963年)
あらすじ
 昭和38年1月1日、太郎小屋に美濃大山岳部13人と文京大山岳部6人が天候回復を待っていた。低気圧が日本海へ出てきたことにより一時的に天候がよくなると見た両パーティは、翌朝薬師岳にアタックすることにした。
 極地法登山練習に来た美濃大パーティはパーティの人数が多く冬山未経験者も多かったことから5時20分と早めに出発したが、若い部員の間にはいつしか文京大パーティに対する対抗心が生まれていた。第三キャンプを設置している間に文京大に追い抜かれた美濃大パーティは先を急ぐあまり次第に疲れが出始め、天候の悪化に伴い遭難の危険に晒されていた。
感 想 等
( 評価 : C )
 薬師岳で実際に起きた遭難事件を基にした小説。遭難というものがいかに些細な原因によって起こるのかということを改めて考えさせられる。
山  度
( 山度 : 100% )
 冬の薬師岳。それにしても、日本国内の山で極地法の訓練とは・・・。

 
 
 
作 品 名
「山雲の底が動く」 (1963年)
あらすじ
 新婚の塩沢の奥さんが、どうしても山行に行くと言って聞かないという話を耳にした会長の佐々村は、ベースキャンプまで付いていくことにした。
 25年前、やはり新婚の河原信吾が八ヶ岳へ向かい、天候が悪化したにも係らず、妻の待つ松原湖へと強行して下山したために、遭難死してしまったという事故があったのだ。当時のことを思い出しながら、佐々村は不吉な予感にとらわれていた。
感 想 等
( 評価 : C )
 登山に無理は禁物、ってことですね。
山  度
( 山度 : 90% )
 八ヶ岳。新田次郎がよく使う舞台の一つ。

 
 
 
作 品 名
「翳りの山」 (1963年)
あらすじ
 阿沼明は、谷川岳で遭難しかかったところを土合山の家の白崎哲夫と千鶴に助けられ、以来そこに居ついてしまっていた。阿沼は無口で無愛想だったが、山の家の仕事を何でも率先して手伝ってくれたし、遭難者救助や遺体収容も嫌がらずにやった。阿沼は山に死に場所を求めてきているような感じの男だった。そんな阿沼も、山の家に手伝いに来ていた登世子に対してだけは気持ちを寄せている風であった。
 その後、登世子は嫁に行ったが、しばらくして旦那の父親に結婚を反対されていると言って山の家にやってきた。登世子夫婦は、その頃茂倉岳頂上の小屋を任されるようになっていた阿沼のもとに転がり込んだが、千鶴の心配をよそに、阿沼と夫婦とはうまくやっているようだった。
 登世子夫婦に子供ができて山を降りたあとしばらく阿沼は元気がなかったが、山の家での働きが認められて、とある会社が谷川温泉に作る寮の管理人として雇われることになった。
感 想 等
( 評価 : C )
 遭難ものでも、山岳ミステリーでも、山岳恋愛小説でもなく、ちょっと異色の作品。人の幸せって何なんでしょうね。
山  度
( 山度 : 60% )

 
 
 
作 品 名
「黒い雪の夢」 (1963年)
あらすじ
 六城ふきは、よく夢を見た。特に、黒い雪の夢を見ると、娘の伊佐子が山で遭難するのではないかと不安になった。伊佐子は会社の話はふきにもしたが、こと山の話となるとふきに全然話さないのだった。それがふきをいっそう不安にさせていた。
 5月に連休前に、ふきは伊佐子が黒い雪で雪だるまを作っている夢を見て、どうしても山へ行かないようにと止めたが、伊佐子は谷川岳で行くといって出掛けていった。連休の終わり頃、ふきはさらに不吉な黒い雪の夢を見て、伊佐子が山で死んだと思った。
感 想 等
( 評価 : C )
 これまた異色の作品。
山  度
( 山度 : 10% )
 全編山が絡んだ話ではあるものの、実際の登山シーンは全く出てこない。

 
 
 
作 品 名
「消えたシュプール」 (1963年)
あらすじ
 琴島周一の元に、志賀高原の旅館から葉書が届いた。25年前にスキーに出かけたまま行方不明になった父・勇のスキーを取りに来てほしいという。父の死に疑問を持った周一は、当時のことを探り始めた。
 25年前、琴島勇は志賀高原熊ノ湯に来ていた。勇は宿で酒森乙三という男と一緒になり、草津まで一緒に来てほしいと頼まれた。ところが、酒森は勇を殺すために差し向けられた刺客だった。当時、勇は仲間3人と事業を協同経営していたが、3人のうちの誰かが勇を殺そうとしたのだ。勇は酒森をまいて、発哺温泉に来ているという犯人の元へと向かった。しかし、その夜から吹雪になり、勇も酒森も帰ってこなかった。
 周一は宿の主人から話を聞き、犯人を突き止めた。真実を確認するため犯人の元へ行ったが・・・。
感 想 等
( 評価 : C )
 山、スキーを絡めたミステリー。
山  度
( 山度 : 30% )
 登山ではなくスキーミステリーといった方が適当か。もちろん、時代が時代なので、ゲレンデスキーではないが。

 
 
 
作 品 名
「おかしな遭難」 (1963年)
あらすじ
 星村とルミは笠岳山麓でスキーツアーを楽しんでいた。星村は気乗りしなかったが、柏崎と相田,マリにそそのかされたルミに押される形で出掛けてしまったのだ。
 最初の頃こそ天気は良かったが、山田牧場を過ぎた辺りから気温が下がり始め、やがて霧が出てきた。天気が悪化するなか星村は避難小屋を探したがなかなか見つからず、ついには雪洞を掘って夜を過ごす羽目になってしまった。ルミのわがままには際限がなかった。
感 想 等
( 評価 : D )
 本作品のルミ、「先導者」の女性たち、「縦走路」の美根子、「雪の炎」の絢子、「風が死んだ山」の薫・・・・・。新田次郎の作品ーには、しばしば美しいけれどわがままで、時として意地の悪い女性キャラクターが登場する。むろん最初からそういう役割を担って描かれているのだが、ちょっと行き過ぎの感がある。
山  度
( 山度 : 70% )
 山麓で遭難しているので、登山という感じではない。

 
 
 
作 品 名
「クレバス」 (1963年)
あらすじ
 加島重造は巻機山の登山に向かう途中のヌクビ沢雪渓のクレバスに登山者が落ちたと聞いて、もはや生きていないだろうと思った。永松や宮森は、遭難救助経験のある加島にもなんとか来てもらいたいと思っていたが、加島は子供が産まれたばかりということもあり躊躇っていた。しかし、遭難者がまだ生きていると聞いて、加島は重い腰を上げた。
 現場に着いた時、遭難者はかなり弱っていたものの確かに生きているようだった。しかし、クレバスは複雑に入り組んでおり、二次災害を考えると降りていって助けるのも難しそうだ。加島はクレバスの底に水が流れている音を聞き、雪渓下部の滝口とクレバスが繋がっていると思った。
 加島は、周りが止めるのも聞かず、危険を冒して雪渓の下にもぐって行った。
感 想 等
( 評価 : C )
 ごく普通の、自分の事情をまず優先するような、ある意味ありふれた男が、いろんな事情や状況から人助けに出向く。そこで見せた勇敢さ、正義感の強さがアダになる。悲しいお話だ。
山  度
( 山度 : 40% )
 巻機山が舞台であるが、シーンとしては山麓の雪渓のみ。

 
 
 
作 品 名
「雪洞」 (1963年)
あらすじ
 岩沢友平は、雪洞の中で吹雪や睡魔と闘っていた。蕗の湯までのツアーコースに細野と出かけたが、途中で細野が捻挫したために一人になってしまった。友平は、玲子のことを好きな細野に陥れられたのではないかと思った。その後、見知らぬスキーヤーが来て帽子山コースに誘われ、その途中で吹雪になり、雪洞に避難することになってしまったのだ。
 もしかしたらあの男は、玲子に言い寄っているという丹山という男かもしれない。もしかしたら玲子もグルかもしれない。そんなあらぬことを考えながら、彼はいつしか眠ってしまっていた。
 実は彼のいた場所は・・・。
感 想 等
( 評価 : D )
 なんだかなぁ・・・という展開ではあるが、実際に起こりうることなのかもしれない。
 主人公のネガティブ思考は「黒い雪洞」でも同様。人は危機的状況に陥ると、思考もネガティブになってしまうのかも。
山  度
( 山度 : 70% )
 どこかのスキー場が舞台で特定不能。ただ、帽子山という名称が出てくる。

 
 
 
作 品 名
「怪獣」 (1964年)
あらすじ
 初老の寺牧重四郎は横尾から涸沢の間で不思議な小動物に出会った。もしかしたら、亡くなった母が昔言っていた「おうさき」かもしれないと思ったが、土地の人に聞いたらオコジョだという。
 翌日、穂高小屋を経て奥穂高岳、前穂高岳へと向かった寺牧は、前穂の山頂でまた例の小動物を見掛けた。その頃から霧が急に濃くなり、寺牧は動くに動けなくなってしまった。
 その間彼は、30年前に遭難死した明石雄平の幻聴と戦っていた。その声は「おうさき」の笑い声のようにも聞こえた。
感 想 等
( 評価 : C )
 新田次郎の作品の中で数は多くないが、「山霧の告知」など山の怪談的なお話。
山  度
( 山度 : 80% )
 涸沢から奥穂高岳、前穂高岳へ。

 
 
 
作 品 名
「万太郎谷遭難」 (1964年)
あらすじ
 友人の水島早苗が急遽これなくなってしまたため、羽村美津子は一人で4月の万太郎山に来ていた。山頂から吾作新道に入った美津子は、途中で道を間違えたことに気付いたが、戻ろうと思った矢先に右足首を捻挫してしまった。
 元々慎重な性格な美津子は動くのは返って危険だと判断し、山岳会の仲間が助けに来てくれることを期待して、その場所でビバークすることにした。美津子は長期戦を覚悟した。
感 想 等
( 評価 : C )
 遭難ものの一つだが、他の作品が些細なミスから大きな事故へとつながり、パニックへとなっていく人間の心の弱さを描いているケースが多いのに対して、本作品の主人公は慎重かつ冷静で、遭難時の見本のような行動を取っている。ある意味、このテーマ、題材を小説にしてしまえる手腕もすごい。
山  度
( 山度 : 100% )
 ずっと、雪に閉じ込められたテントの中。

 
 
 
作 品 名
「雪崩」 (1964年)
あらすじ
 鹿取信介と原口佐平は、夏村教授の助手として大学に残ることが決まっていた。2人は学友であると同時にライバルでもあり、また夏村教授の娘・千穂を巡ってのライバルでもあった。3人は揃って朝日鉱泉まで来ると、そこから教授と原口は鳥原山小屋で2泊、鹿取は大朝日小屋から稜線伝いに鳥原山小屋へと来て合流する約束をして出発した。
 ところが、鹿取が翌々日に鳥原山小屋へ来てみると、教授も原口もいなかった。2人の遺体は鳥原山山頂直下200mの緩斜面で発見された。そこは雪崩が起きないような傾斜だったが、雪崩でないと説明がつかないような状況であることも間違いなかった。
 以来、雪崩のことが鹿取の頭の中から離れることはなかった。
感 想 等
( 評価 : C )
 上記あらすじは、物語の導入部のみ。実際はその先の方が長いのだが、山関連はむしろ前半に集中。
 物語としては鹿取の半生を追っていく形となるが、なんともやるせない結末。
山  度
( 山度 : 40% )
 鳥原山という珍しい舞台。雪崩とか、傾斜角度とか、物語に合う場所を探した結果なのだろうか?

 
 
 
作 品 名
「白い砂地」 (1964年)
あらすじ
 当時チューリッヒにいた芳村が山岳雑誌に書いた記事を見て田久沢が手紙を出して以来、田久沢と芳村の文通はずつと続いていた。田久沢は幼くして両親を亡くし、高校を中退するという不幸な生い立ちの若者だった。田久沢は月に2度も3度も手紙を出してきて、山のことだけでなく、女性問題の悩みや死についてなど、何でも芳村に話すようになった。
 その田久沢が山で死んだと聞いた芳村は、せめて田久沢に何かしてやりたいと思い、以前手紙の中でヨーロッパの山の石を一緒にお墓に埋めて欲しいと言っていたことを思い出し日本にやってきたのだった。
 しかし、田久沢の遺骨はひどい扱いを受けていた。唯一の親戚ともいえる田久沢の義姉夫婦はお墓をまだ作っておらず、遺骨は行方しれずになっていた。また上高地にあった遭難者の墓標も汚れたままになっていた。
感 想 等
( 評価 : C )
 本作品を書いたテーマが何だったのかは別として、物語の後半で芳村の気持ちが変わるシーンを読んでいて、登山者にとっての遭難の意味、もっと大げさに言えば人の生きる意味みたいなものを考えて、ナルホドと納得してしまった。
山  度
( 山度 : 30% )
 山のお話だが、山に係るシーンとしては上高地が出てくる程度。

 
 
 
作 品 名
「仏壇の風」 (1964年)
あらすじ
 長男の君雄が山で遭難死した。まさ子は、仏壇の前で君雄の写真を眺めたまま離れなかった。君雄は山に殺された、高校の先輩の野口が悪いのだ、次男の啓二は絶対に山へは行かせない、まさ子は君雄の写真を見ながらやり場のない思いにとらわれていた。
 そんな時、サッカー部の合宿に行っているはずの啓二が富士山で遭難したとの連絡が入った。
感 想 等
( 評価 : C )
 遭難の原因にはいろいろあるのだろうが、その一つに周囲の理解不足のために、万全の準備ができないとか無理をしてしまうといったことがあるようだ。
 「山靴」もその意味で同系統の作品。
山  度
( 山度 : 40% )
 実際の山のシーンは全くない。

 
 
 
作 品 名
「終章の詩人」 (1964年)
あらすじ
 美子、和子、奈津子の3人は、立山・雷鳥沢付近にスキーに来ていた。そこで、元華族だという栃川と加賀美の2人組の男性と知り合った。無口でどこか陰のある栃川はスキーもうまく、女性陣から人気があった。 明日には帰るという日の晩、3人はそれぞれ、栃川が会いたがっているという伝言を、加賀美の口から伝えられ、逢引の時間を過ごした。
 翌日、天候が崩れそうだから下山を止めた方がいいと宿の管理人が言ったが、男性2人が送っていくことになり5人は出発した。案の定、天狗平で吹雪になり5人は雪洞を掘って避難。弥陀ヶ原山荘に泊まっていた大学山岳部によって救助されたが、救援を頼みに向かった加賀美は遭難死してしまった。
 加賀美の葬儀の席で栃川が読んだ加賀美の日記には、立山で3人の女性を誘ったのは、実は栃川に成りすました加賀美だということが書かれていた。
感 想 等
( 評価 : D )
 新田次郎の描く女性の男女関係に対する考え方は古い。これは、時代背景の影響だろうか、はたまた作家個人の倫理観の関係なのだろうか?
山  度
( 山度 : 20% )

 
 
 
作 品 名
「孤高の人」 (1964年)
あらすじ
 神港造船所の研修生・加藤文太郎は、寮で同室の新納友明の影響で地図遊びを始め、また同じ会社の技師でしばしば研修生を教えに来ていた外山三郎からも登山を勧められていた。生来口下手で人付き合いが下手だったこともあって、文太郎は1人で六甲山を歩き回り始めたが、もともと足が速かったこともあって次第に関西では名の知れた登山家となっていった。
 研修を終えて技手になった文太郎は、外山や藤沢久造の話を聞いてヒマラヤに憧れ、ヒマラヤ貯金を始めた。また、節約と鍛錬を兼ねて下宿から会社まで石を詰め込んだリュックを背負って歩いて通い、下宿の庭で野宿をした。
 その頃から冬山登山を本格的に始め、1年の休暇の全てを冬に取って、北アルプスに出かけるようになった。文太郎は、小魚や甘納豆などの携帯食を独自に工夫し、防寒具も改良していった。一方、文太郎は仕事もきちんとこなし、冬山の雪洞で着想を得たディーゼルエンジンが認められて技師に昇格した。
 そんな頃、文太郎に憧れて単独行を行っていた後輩・宮村が、失恋して満州へ渡るため、最後の山行として文太郎とパーティを組んで冬の北鎌尾根をやりたいと言ってきた。文太郎は迷ったが、花子と結婚して登志子という女の子をもうけていた文太郎は、これを機に山を止めると自分を納得させ同行を決めた。
感 想 等
( 評価 : A )
 わが国が生んだ不世出の登山家、永遠の単独行者、加藤文太郎を描いた名作。数多くの若者が憧れ、また手本としている偉大な登山家の伝記小説である。本書は、新田次郎氏の「栄光の人」「銀嶺の人」と並ぶ3部作で、人はなぜ山に登るのかを問う。その意味では、青春あるいは人生を描いた小説としても秀逸である。
 ただし、加藤文太郎をモデルにしているものの、あくまで新田次郎によるフィクションも織り込まれている。文太郎唯一の著書「単独行」を読むと、その違いにとまどう部分もあるが、逆にその対比も興味深い。
 未だに山岳小説の最高峰と名高い「孤高の人」。是非、ご一読頂きたい。
山  度
( 山度 : 40% )
 六甲、槍・穂高、剣・・・etc. 冬山を中心にいろいろな山が出てくる。それに対する文太郎のスタイルやいろいろなアイディアを見るのもまた楽しい。

 
 
 
作 品 名
「岩壁の九十九時間」 (1965年)
あらすじ
 倉科三郎は谷川岳を登攀していた。上部から見慣れない霧が出て、妙な不安にとりつかれて精神的に不安定に陥った瞬間、隣のパーティが墜落した。自分の身代わりになったような気がした倉科は、テラスに負傷者の笹を引き上げて仲間に救援を頼むと、彼自身は負傷者のそばに付き添ってやることにした。
 笹の痛みが倉科にも伝播し、倉科が痛くなると笹の痛みが和らぎ、痛みが引くと笹が苦しみ出した。数日後救援活動が始まったが、難所であったため背負って降ろす以外に方法は無かった。倉科は自ら志願して笹を背負い、見事下まで運ぶことに成功した。
感 想 等
( 評価 : C )
 山ゆえの不可思議な現象。登攀をしない自分にはその極限状態は理解できないものであるが(実際どうなのかは、遭難救助をしたことのある人に聞いてみないとわからないが)、独特の恐さが伝わってくる。
山  度
( 山度 : 100% )
 山の恐さ、岩の恐さが十二分に伝わってくる作品。

 
 
 
作 品 名
「氷雨」 (1965年)
あらすじ
 美根子は、会社の同僚・阿木野からプロポーズされ迷っていた。会社の評判といい、学歴・家柄といい、阿木野に申し分はなかったが、ただ一つ山が好きだということが美根子は引っ掛かっていた。 結婚したら山を止めて欲しいと言う美根子に対して、阿木野は最後にどうしても滝谷を登りたいと言った。
 5月、美根子は滝谷登攀を終えた阿木野と涸沢ヒュッテで落ち合う約束をした。ところが、阿木野がなかなか戻ってこない。どうやら遭難したらしく、捜索隊が出動し、阿木野とパートナーの吉川は無事救出された。
感 想 等
( 評価 : C )
 新田次郎の作品には、美根子あるいはミネという女性がよく出てくる。「縦走路」、「愛鷹山」、「岩壁の掟」、「新婚山行」・・・。「山の鐘」、「万太郎谷遭難」の美津子という名前もやや似ているし、何か思い入れのある名前なのかとどうでもいい想像を働かせてしまう。
山  度
( 山度 : 70% )
 北穂高岳。滝谷はシーンは出てこない。

 
 
 
作 品 名
「モルゲンロート」 (1965年)
あらすじ
 千穂は大天井岳から槍ヶ岳を眺めながら、津屋栄司のことを思い出していた。津屋は千穂にプロポーズをしていたが、ある日、津屋が強引に千穂の唇を奪ったことに腹を立て、千穂は彼に冷たくした。 津屋は槍ヶ岳に行くという手紙を千穂に出して出掛けたが、津屋はそれっきり戻ってこなかった。
 千穂は津屋からの手紙をそこで燃やそうとしてていたが、そこに従兄の柿島順一がやってきて・・・。
感 想 等
( 評価 : C )
山  度
( 山度 : 80% )
 大天井岳にて。

 
 
 
作 品 名
「雨の北穂小屋」 (1965年)
あらすじ
 北穂小屋の手伝いを始めて7年になるアイちゃんは穂高連峰の気象に詳しかったが、その日の天候はおかしかった。おかしいのは天気だけではなかった。長逗留している先生こと五瀬庄司は変な行動を取るし、男女5人組のパーティが来たと思ったらそのうちの女性1人が先生と何やらいわくありげだった。
 夕方、雨になって3人組のうち2人が遭難、夜には5人パーティの1人がいなくなったという。
感 想 等
( 評価 : D )
 なんともよくわからない作品。
山  度
( 山度 : 60% )

 
 
 
作 品 名
「新雪なだれ」 (1965年)
あらすじ
 富士山の七合目から八合目を登っていた11名のパーティ、そのサブリーダーである牧畑は、3年前に新雪なだれが起きた地点の近くに差し掛かり不安を感じていた。気温は高くなく、風もなく、特に問題はないと思われた。
 ところが、八合目を過ぎた所で突然雪が盛り上がり雪崩が発生した。リーダーの井原と2名の隊員、そのた4名の総勢7名が犠牲になり、牧畑らは無謀登山との非難をあびた。
感 想 等
( 評価 : C )
 遭難や雪崩の原因は一つではない。複雑な要素が絡み合って起きる。そして、100%安全な登山などというものは存在しない。それでも、遭難が起きた時には結果で判断されてしまう。そんな不合理さが存在するのだろう。
山  度
( 山度 : 90% )
 新田次郎のお庭、富士山を舞台にした作品。