山岳小説(新田次郎)
−詳細データ・1956〜60年−
 
 
 
作 品 名
「八甲田山」 (1956年)
あらすじ
 明治35年1月、雪中行軍訓練のため青森から八甲田山に向けて出発した青森歩兵第五連隊210名を史上最悪の悪天候が襲った。疲労、寒気、空腹、凍傷などにより兵士たちは次々と倒れ、山田少佐,今成大尉以下199名が死亡。生き残ったのはわずか11名に過ぎなかった。
感 想 等
( 評価 : C )
 「八甲田山死の彷徨」の習作的作品。「八甲田山死の彷徨」では、遭難の人災的な側面に焦点が当てられているのに対して、本作品ではまだ自然災害として捉えられている感がある。
山  度
( 山度 : 80% )
 雪の八甲田山。

 
 
 
作 品 名
「先導者」 (1956年)
あらすじ
 茂倉三郎は、友人の宮地にはめられて、女性4人を連れて上越の縦走に行くことになった。気位が高く高慢な篤子、よく気が利くが何かにつけて篤子と張り合う千代、始終鏡を覗き込み見た目を気にしている久実、お嬢様で甘えん坊のはつ枝。
 三郎は女性4人との山行にうんざりし、適当にアゴを出したところで引き返そうと考えていたが、4人が競って先導者になりたがるゆえにいつしか戻り損ねてしまう。そうこうするうちに天候が悪化し始め、5人は嵐に閉じ込められてしまう。
感 想 等
( 評価 : C )
 人間のエゴイズム、虚栄心が剥き出しになっており、その醜さを辛辣に描いているが、ありそうでなさそうな話という感じもする。新田次郎の小説には、しばしばこの手のやや高慢な女性が出てくるのはどういうわけか。
山  度
( 山度 : 100% )
 装備やルートの整備(というより開拓)状況が今とは全然違うんだなぁという、全く本筋とは関係ないところで感心してしまった。

 
 
 
作 品 名
「吉田の馬六」 (1956年)
あらすじ
 昭和の始め頃のこと、頭が弱くお人好しだが力持ちの馬六と呼ばれる男が、富士で強力の仕事をしていた。彼は、馬一頭半分の仕事をするほどの力持ちであることから馬六と呼ばれていた。
 馬六は強力で稼いだ金を全部おっかあのおりょうに渡していた。ところが、馬六が富士から降りた翌日、お金を持っておりょうが消えていた。おりょうが男と逃げたことを知った馬六は、極寒の富士山頂でおりょうを祈り殺すために合掌していたのだった。
感 想 等
( 評価 : C )
 主人公は富士山の強力であり、一応富士山ものの一つ。新田次郎が富士山測候所で働いていた時に、耳にした話の一つなのだろうか?
山  度
( 山度 : 20% )

 
 
 
作 品 名
「蔵王越え」 (1957年)
あらすじ
 蔵王の高湯にスキーに来ていた関根と帆村は、蔵王東山麓の峩々温泉にいるという洋子からの誘いで、スキーツアーに行くことにした。
 スキーの技術は帆村の方が上だったが、洋子のことが好きな関根は、帆村への対抗心から天候悪化の兆しが見えていたにも係らずツアー強行を主張した。熊野岳から出発してしばらくすると案の定天候が悪化し始めた。2人は清渓小屋へと逃げ込もうとしたが霧で見つからず、雪洞を掘って一晩しのぐこととなった。
感 想 等
( 評価 : D )
 新田次郎の恋愛ものに出てくるパターンの一つ。小悪魔的な女性に翻弄される男性が意地を張って無理をしたために遭難を起こしてしまう。わからないではないが・・・。
山  度
( 山度 : 80% )

 
 
 
作 品 名
「愛鷹山」 (1957年)
あらすじ
 小沼美根は、植松七郎からの山行の誘いを受けるか悩んでいた。七年間の山歴の中で、男性と2人で出掛けたことは一度としてなかったからだ。鳳凰三山で付き合ってもいない植松から結婚を仄めかされてから、美根は植松を意識していたが、結婚というものに恐れを抱いていた。
 結局、植松と2人で愛鷹山へ出掛けることにした美根は、鋸岳三枚歯の難所で急に怖気つき、一人で引き返し始めた。
感 想 等
( 評価 : C )
 新田次郎の作品に出てくる女性は、その時代としては先進的な考えの持ち主として描かれているケースが多いように思うが、それでも今のモノサシで考えると古風に見える。
山  度
( 山度 : 80% )

 
 
 
作 品 名
「寒冷前線」 (1957年)
あらすじ
 雲取山登山を終えて七つ石山まで戻ってきた4人のパーティは、そこから鴨沢に降りるか鷹巣山経由で降りるかで悩んでいた。たまたま通りがかった2人連れパーティに触発されるように4人は鷹巣山コースへと向かったが、途中から天候が悪化してきた。寒冷前線が訪れていたのだ。経験の浅い落合が遅れ始め、それをカバーしていたサブリーダーの中西京子にも疲労見え始めた。
感 想 等
( 評価 : C )
 ちょっとしたきっかけ、ささいな意地や見栄のようなものが遭難へとつながっていく。そんな例の典型的パターン。
山  度
( 山度 : 100% )
 雲取から七つ石山へ。あんまり舞台になることのない山域かも。

 
 
 
作 品 名
「風の中の瞳」 (1957年)
あらすじ
 飛塚中学校に転任してきた寺島直吉が担任として受け持つことになった3年B組は初日から活発な議論が行われるクラスで、寺島はこの子供たちを受け持つことができることを素晴らしく感じていた。
 ソフトボール大会、修学旅行、夏休みの蓼科登山。蓼科では岐路雷雨に襲われ遭難しかかったが、皆の力で乗り切ることができた。そして秋期運動会、高校受験と季節は巡っていった。
 卒業式の日、3年B組のみんなは“若草会”を作り、1年に1度会合を持つことを約束するのだった。
感 想 等
( 評価 : B )
 雑誌「中学三年生コース」に1年間にわたって連載された青春小説。読者層を意識した内容、展開となっている。
山  度
( 山度 : 20% )
蓼科山での遭難劇。後年の「聖職の碑」を少し思い起こさせるような展開だが、結果として全員助かるため暗い感じにならず一安心。

 
 
 
作 品 名
「霧の中」 (1957年)
あらすじ
 日曜日の午後、重田六郎が会社の寮で暇を持て余していると、寮の奥さんが重田を呼びに来た。迷子がいるというのだ。迷子の子を背負って迷子札の住所を尋ね当ててみると、そこは先日霧が峰で助けた道迷いの女性の家だった。重田は、霧が峰で道迷いの秋村という女性と一緒に、風雨の中を一晩一緒にビバークしたのだった。
感 想 等
( 評価 : C )
 20頁にも満たない短編。実は新田次郎の作品には短編が非常に多い。役人と二束のわらじで書いていたせいかもしれないが、やっぱり新田次郎の作品の醍醐味は長編ものにあるなぁ、というのが正直なところ。
山  度
( 山度 : 60% )
 霧が峰でハイキング程度。

 
 
 
作 品 名
「縦走路」 (1958年)
あらすじ
 蜂屋と木暮は、針ノ木峠から立山へと縦走へ出かけ、そこで「女流登山家に美人なし」という通年を打ち破るような美人アルピニスト・川原田千穂に出会った。足が達者で、リーダー然とした千穂に反発を感じつつも、2人は彼女に惹かれていった。
 蜂屋と木暮は大学の同級生で、木暮の勤める協進精器に蜂屋の勤務する天宮電気が機械を納入するという仕事上の関係もあった。天宮電気で事務をしている美根子は千穂と高校の同級生で、その縁で4人は再開した。
 蜂屋は千穂と2人で冬の八ヶ岳に出かけ、彼女と結婚する決心を固める。一方、木暮も千穂との結婚を心に秘めていた。お互いの気持ちを知った2人は、千穂と3人で北岳バットレスへと望む。
感 想 等
( 評価 : C )
 「女流登山家に美人なし」との通念に反する美人アルピニスト、それに恋する不器用な山男との恋愛小説。別に悪いことではないが、恋愛スタイルの古臭さはいかんともしがたい。山岳小説としてはおもしろい。
山  度
( 山度 : 70% )
 針ノ木から立山という北アルプス、八ヶ岳、そして北岳と短い中にも主要な山を盛りこんだ贅沢な展開。縦走から登攀とこれまた盛りだくさん。

 
 
 
作 品 名
「殉職」 (1958年)
あらすじ
 永島辰夫は、18歳から山案内人として働き始め、富士山頂観測所の気象台員に採用されてからも26年もの間、富士山で働き続けていた。その日、観測所員の柿沼の様子を見て、永島は不吉な予感にさらされていた。心が何かにとらわれているような柿沼の様子が、8年前の2月に七合八勺の直下で滑落死した関本耕之助の姿とダブったからだ。
 柿沼や永島ら5人は7時に太郎坊を出発し、富士山頂測候所を目指した。永島は、柿沼の身に何か起こるのではないか心配しながら、一行のラストについて登っていった。
感 想 等
( 評価 : C )
 初期は、やはり新田次郎の得意分野、富士山ものが多い。モデルは富士の強力、長田輝男氏だとか。
山  度
( 山度 : 90% )

 
 
 
作 品 名
「滑落」 (1958年)
あらすじ
 中学校で事務主任を務める淀島のもとに、事務員の紹介状を持った鈴木という親娘がやってきた。淀島は、履歴書に書いてあった死んだ父親の名前を見て動悸が治まらなかった。「鈴木平次郎、昭和14年2月死亡」。聞けば、富士登山中に滑落して死んだのだという。
 あの日、偶然一緒になった登山者と淀島はパーティーを組んだような形になって登っていたが、ちょっとした対抗心が鈴木の滑落を誘った。滑落の瞬間、淀島は手を出すことができなかった。
 娘のために何かしてやりたいと思った淀島は、他の候補者ではなく鈴木の娘を採用するよう推した。しかし、鈴木平次郎が滑落した時に一緒にいたのが淀島だということが、偶然母親に知れるところとなり、逆に淀島は自分が疑われているような気がして、娘の採用を取りやめようと思うようになっていた。
感 想 等
( 評価 : C )
山  度
( 山度 : 30% )

 
 
 
作 品 名
「チンネの裁き」 (1959年)
あらすじ
 剣岳池ノ谷渓谷で落石があり、蛭川繁夫が死んだ。一緒に登攀していたのは鈴島、近くに1人で登攀していた陣馬、3人で登攀していた京松、木塚、寺林がいた。京松が女流登山家夏原千賀子を奪うため、アイゼンの紐にオキシフルを塗って切れやすくしたと白状して、ザイルを切って自殺した。
 次いで陣馬と共に駒草ルンゼ初登攀を目指していた鈴島が、夏原千賀子を奪うために陣馬が仕掛けた罠にはまり、雪崩に巻き込まれて死んだ。
 そして、陣馬と木塚が駒草ルンゼ初登攀に成功した直後、寺林の細工により陣馬が墜死した。それを木塚に見抜かれた寺林は・・・。
感 想 等
( 評価 : D )
 いくら物語りとはいえ、そんなに山で人が次々と死んでたまるかっていうのが第一印象である。「山男に悪人なし」という通念へのアンチテーゼなのかもしれないが、いくらなんでもこれじゃぁ殺し過ぎでしょう。
 山で人を殺すにはこんな方法があるといういろんな例が示されている。
山  度
( 山度 : 70% )
 登攀を中心に、冬山など、山のシーンはたっぷり。

 
 
 
作 品 名
「山靴」 (1959年)
あらすじ
 地村健司は、結婚後も山を続けることを条件に布貴子の家に婿養子に入ったが、一年も経たないうちに布貴子とその母・市子から冬山へ行くことを止められて面白くなかった。山へ行けないとき、健司は実家に帰って母のつねに不満を言った。そんな時につねは、市子と女学校で同級だったこともあり、対抗心からいつも健司の肩を持った。
 岡宮一夫から鹿島槍ヶ岳行に誘われた健司は、ビブラム靴を持ち出そうとした所を布貴子に咎められて喧嘩になり、嘘をついて実家から山へと出かけた。岡宮に借りた鋲靴は少し小さく手入れ不十分だった。そのために健司は凍傷になり、右足の指を3本落とすことになってしまった。
感 想 等
( 評価 : C )
山  度
( 山度 : 50% )
 鹿島槍ヶ岳での冬の登攀。

 
 
 
作 品 名
「冬山の掟」 (1959年)
あらすじ
 池石昇平は大学山岳部のリーダーとして冬の八ヶ岳に出かけた。部員の杉が硫黄岳石室小屋で熱を出したために、池石は冬山の掟を破って、浦野正雄、織井章とともに夏沢峠まで薬を取りに戻ることにした。
 しかし、東京で待つ山岳部員達の心配もむなしく、山は折悪しく吹雪になった。3人は石室小屋に辿りつけず、途中でビバークせざるを得なくなった。
感 想 等
( 評価 : C )
 短編集の中の1編であり、まぁこんなところかという感じではあるが、短い中にも山の過酷さ、そこでもがき苦しむ人間像、都会で待つ家族、といった様々な要素が折り込まれており、新田次郎らしいとも言える。
山  度
( 山度 :90 % )
 吹雪の中での過酷なビバーク、幻覚、幻視・・・。その恐ろしさが充分に伝わってくる。

 
 
 
作 品 名
「遺書」 (1959年)
あらすじ
 芳村一彦は赤岳石室で飢えと寒さに苦しんでいた。中岳のコルで八田文治が死んでから5日経ったのか6日経ったのか、それすらももうわからなくなっていた。もはや水を作る元気すらなく、現れては消える八田の亡霊に苦しめられていた。
 芳村は遺書を書くことを思いついた。ノートと鉛筆を手に持ったものの、既に何かを書く力さえ失われていた。彼は最後の力をふりしぼって、八田の死んだ位置と遭難の要因とを遺書に書いた。
感 想 等
( 評価 : C )
 恐らくは芳野満彦氏が若かりし頃に八ヶ岳で遭難した話を元にした短編。壮絶な感じがスゴイ。
山  度
( 山度 : 70% )
 舞台は終始山の中ながら、登山ではない。

 
 
 
作 品 名
「誤解」 (1959年)
あらすじ
 鈴沢八郎、池町孝一、笠森敏雄の3人が北岳バットレスの冬期登攀に向かう姿を、桜田千恵はじっと見送っていた。本当は千恵と笠森は草滑りの雪渓沿いに小太郎尾根から北岳に登るはずだったのだが、出発直前になって千恵の母親にバレて、ピッケルとアイゼンを取り上げられてしまったのだった。
 一人御池小屋で帰りを待っていた千恵は、小屋で妹の明美が笠森に宛てた手紙を見つけ不安を感じていた。明美と笠森の間に何かあるのかもしれない、そんな不安にとらわれた千恵は、手紙を持って笠森を迎えに草滑りをスキーストックだけで登り始めた。かなり高い所まで登った千恵は登り過ぎたことに気付き男たちが降りてくるのを待っていたが、彼らの声が聞こえた瞬間に声を掛けようと振り向いてバランスを崩し、そこから滑落してしまった。
感 想 等
( 評価 : B )
 新田次郎の描く女性は、美しいけれどプライドが高いとか、綺麗だけれどわがまま、みたいな感じで読み手として本当に魅力的な人か首を傾げたくなる女性が割りと多い中、本作の千恵さんはかわいらしい感じの女性。
山  度
( 山度 : 100% )
 舞台は北岳山麓、白根御池小屋付近。

 
 
 
作 品 名
「助けてやった男」 (1959年)
あらすじ
 数年前の年末、私の温泉宿に眼鏡をかけた小説家しか泊まっていない日のことだった。3人の会社員がスキー行だと言って立ち寄っていった。一山越えて向こうの宿に泊まる予定だという3人を、私は口をすっぱくして引き止めた。その日は吹雪で、三里の山越えは到底無理だと思ったからだ。しかし、3人は私の言葉を聞かずにでていってしまった。
 夜半、3人パーティが気になって眠れなかった私が炉端に座っていると、眼鏡の先生と娘が起きてきた。そうして一時間も無駄に時間を過ごしていたら、突然、人が戸を叩いてきた。3人パーティのうちの1人が、救援を求めてきたのだった。私は急いで探しに行ったが、いくら探しても2人を見つけることができなかった。生き残った1人は、何度も何度もお礼を言って返っていったが、二度と連絡をしてくることはなかった。
感 想 等
( 評価 : D )
 さもありなん。新田次郎の遭難ものに共通するテーマ、登山者への警鐘が色濃く出た作品。
山  度
( 山度 : 20% )
 猛吹雪のスキー場。場所は特定されていない模様。

 
 
 
作 品 名
「遭難者」 (1959年)
あらすじ
 塚村銀平はスキー場でスキー技術指導員のバイトをしていた。ある晩のこと、旅館組合長がお客3人が夜になっても戻らないので、捜しに行って欲しいといってきた。銀平は、しぶしぶながら五郎と武男の2人を連れて、捜索に出掛けることにした。
感 想 等
( 評価 : C )
山  度
( 山度 : 70% )
 これまた場所不定のスキー場。

 
 
 
作 品 名
「山の鐘」 (1959年)
あらすじ
 同じ山岳会のユキと美津子のそれぞれから山へ連れて行って欲しいと頼まれた土井徳郎は、気は進まなかったものの行きがかり上、3人で唐松から白馬へと出掛けることになった。
 11月の北アルプスは美しかった。唐松小屋に1泊し白馬へと向かった一行は、天狗岳を越えたあたりから吹雪に見舞われ始めた。仕方なく鑓温泉へと下る道ことにしたが、道を間違ってしまったらしかった
感 想 等
( 評価 : D )
 「先導者」などと同じく、女性のわがままや意地で遭難に陥ってしまうパターンの短編。この手の作品は、個人的には今一つというのが正直なところ。
山  度
( 山度 : 100% )

 
 
 
作 品 名
「岩壁の掟」 (1960年)
あらすじ
 田浦敏夫は山にいる時だけが幸せだった。幼くして父をなくし、母が男と逃げてしまったため、彼は全てのものを敵と見做し、恩師である船山益太以外の全ての人間と衝突した。
 山へ行って天候の悪化のために無断欠勤したことで会社をクビになった敏夫は、カモを求めて谷川岳へ入った。山で知り合った仲間から就職の口を紹介してもらおうというのだ。
 谷川岳で、過保護な親に反発して山に来た滝佐一、受験に失敗して自殺を図った諸崎文子と知り合い、一の倉沢に挑戦することになった。結局、途中で動けなくなった2人を置いて救助隊を呼びにいったものの、敏夫に非難が集中した。
 その後彼は涸沢貴族となって山案内などで生活するようになった。ある日彼を指名してきた玲子と光枝を案内することになったが、2人はことある毎に反目し、競うようにして登攀を続けていた。そして、3人で屏風岩をやった時、事件が起こった・・・。
感 想 等
( 評価 : B)
 敏夫のひねた物の見方には、一面同感できる部分があり、一方で反発も感じる。暗い過去ゆえにひねた性格になり、山へと逃げ込む敏夫。その虚無的な視野から見つめる社会にこそ真実が映っているのかもしれない。最後の最後に山男としての誇りを失わなかった敏夫の勇気ある行動は、むしろ哀れを誘う。
山  度
( 山度 : 60% )
 谷川岳一の倉沢、ジャンダルム、滝谷、屏風岩。登攀を中心に山岳シーンは豊富。と、同時に、涸沢貴族など山を中心に生きる山屋の生態もよくわかる。

 
 
 
作 品 名
「青い失速」 (1960年)
あらすじ
 木塚哲雄と稲山洋子は新婚スキー旅行に菅平に来ていた。結婚式を終えてその足でここまで来たが、洋子は隣室の話声が気になって、結婚初夜を拒んでしまった。
 翌朝、宿の食堂で沼館義郎と出会った木塚は、昔の約束だという沼館と一緒に根子岳へスキーツアーに行ってしまった。ところが夕方から天候が悪化し、折悪しく沼館が右足を捻挫してしまった。沼館は雪洞を掘って吹雪をやり過ごすことにしたが、木塚は洋子のもとへ帰るため吹雪を押して戻り遭難しかかってしまった。この事件で、洋子は元々結婚に反対していた木塚の家族から疎まれるようになり、木塚と洋子は別居するようになってしまった。
 旧友と一緒に旅行来た洋子は、諏訪湖と菅平で偶然沼館を見掛け、沼館の妹・美津子と木塚の関係を知るために彼に近づいたが、逆に霧に閉ざされた霧が峰で沼館に処女を奪われてしまった。
 洋子は、その後も木塚と美津子の関係を知りたくて、教官である沼館のもとでグライダーの練習をしたが、同時に沼館に惹かれつつある自分に気付いていた。
 そんなある日、グライダーで一緒に飛び立った洋子と沼館は途中で寒冷前線に巻き込まれて遭難し渓谷に墜落。洋子は沼館の捨て身の献身を知り、彼の愛を確信するのだった。
感 想 等
( 評価 : C )
 新田次郎の作品には、実は男女の感情、ひいては恋愛が絡んだものが結構多い。「縦走路」、「蒼氷」、「永遠のためいき」、「風の遺産」・・・などなど。その際に、山での行動や遭難が、男女を近づけたり遠ざけたりするところが、新田次郎らしいといえば言えなくもない。
山  度
( 山度 : 20% )
 根子岳スキーツアー。新田次郎の作品に出てくるスキーものは、ゲレンデスキーではなくスキツアーが大半。

 
 
 
作 品 名
「永遠のためいき」 (1960年)
あらすじ
 加島絢子、早瀬裕子、丸屋美佐の3人は八ヶ岳登山で遭難しかかり、天文台建設候補地調査に来ていた岡村らに助けられた。
 岡村と一緒にいた梶原と西浦は機械技師で、彼らの勤める加津美製作所が、加島ら3人の勤める米倉食品産業からの機械製作を受注したことをきっかけに偶然の再会を果たした。梶原と西浦は山で際立った美しさを見せていた絢子に好意を持ち、岡村は亡き妻・早苗の面影のある裕子に惹かれていた。ところが職場で見る3人の印象は異なり、颯爽とした白衣を着た研究者の裕子が輝きを放っていた。
 天文台見学やダンスパーティ、北八ヶ岳縦走などを通じて、6人は親交を深めていった。北八ヶ岳で梶原が不慮の死を遂げた後の12月、今度は天文台建設候補地視察に蓼科山へ行った岡村と西浦が遭難したと聞いて、裕子ら3人は急ぎ現地に駆け付けた。
感 想 等
( 評価 : C )
 「マドモアゼル」という女性向け雑誌に連載された小説。兼業作家時代の新田次郎の長編は、この手の恋愛山岳小説が中心。
山  度
( 山度 : 60% )
 八ヶ岳登山。