山岳小説(国内)・詳細データ
〜安川茂雄〜
  
 
作 品 名
「霧の山」(安川 茂雄、1956年)
あらすじ
 久保恭一は、大学山岳部に所属するクライマーだった。穂高で、若くして単独登攀者として名を馳せた宗方弘一と知り合い、その幼馴染の美穂とも知り合った。その後宗方は、山に心を残しながらも出征し戦死した。
 戦時色が強くなる中、恭一は高井の遭難救助山行に谷川岳に出かけ、終戦後敗戦を悲観した山岳部の小宮先輩の遺体収容にまた谷川岳に出かけ、戦死した安斉の遺骨を撒くために冬富士にも登った。その間、恭一は美穂と親交を深め、宗方の墓碑を建てた。ザイルパートナーの森井と、念願の穂高V状バットレスも登った。
 大学卒業後、恭一は出版社に勤め、美穂と結婚した。自ら企画した出版が当り忙しくなった恭一は山へ行くこともなくなったが、昔のパートナー森井は依然現役で、ヒマラヤを目指していた。
感 想 等
(評価 : B)
 久保恭一という大学山岳部に所属する若者の、戦前から戦中・戦後にかけての生き様、山に賭ける情熱、美穂との愛情を描いた作品。戦争と言う暗い時代背景の中にも、爽やかな青春と情熱が息づいている。
 新田次郎氏より前の山岳小説家ということになるが、新田次郎氏亡き後、この手の作品はとんとお目にかかれなくなった気がする。
山  度
(山度 : 80%)
 山のある人生、山を思い続けている主人公、山に近い生活。厳しい時代で簡単には山には行けなかったはずなのに、今よりも遥かに山の雰囲気に満ち溢れている作風は、山好きにはうれしい限り。

 
 
 
作 品 名
「朝焼け」(安川 茂雄、1958年)
あらすじ
 映画配給会社の宣伝部長を務める真杉達也は、日比谷公園で大学時代の山岳部仲間・勝呂とバッタリ出会い、真杉の恋人だった早苗が離婚して銀座の飲み屋で働いていることを知った。その晩、真杉は早苗と再会し、早苗の弟で山岳部の後輩でもある治郎が未だに山に熱中していることを聞いた。
 大学時代の真杉と治郎は谷川岳南面幕岩処女登攀をやるなどしており、治郎は真杉を本当の兄のように慕っていた。その治郎が穂高V状バットレスで遭難したとの報を受け、真杉は久しぶりに山に入った。幸い遭難は誤報だったが、真杉は体力の衰えを感じるとともに、山への郷愁を深めていった。
 一方、「登山タイムス」を主催する勝呂は、穂高の山案内人・奥原豪造の娘・幸子を社員として預かっており、女人禁制の大峯山登山を企て一躍名を挙げていた。しかし、そのやり方を嫌った治郎は、勝呂と仲たがいしただけでなく、好き合っていた幸子との関係もギクシャクしてしまった。真杉は、治郎と幸子を仲直りさせるために、3人で3月の穂高登山へと出かけた。
 全てが丸く収まったかに思えたそんな折・・・。
感 想 等
(評価 : A)
 いわゆる山屋と言われるような人々は、現役時代の自分を治郎に、今の自分を真杉に重ね合わせて読むのではないだろうか。青春を山一筋に入れこんだ男たちの、熱く切ない思い、山への一途な情熱が伝わってくる爽やかな一作だ。
 時代背景の問題はあるものの、現代ではこういう小説は望むべくもないのかもしれない。多様化の時代と言われる現在にはない、1つの共通した価値観のようなものが流れていると思う。
 エンディングに関しては、流れとして理解しつつも、やはり淋しさを感じざるを得ない。いずれにしろ、読後余韻の残る良質の作品と言えよう。
山  度
(山度 : 70%)
 新田次郎の作品を「山を通して人を描く」とするならば、安川茂雄の作品は「人生における山を描く」とでも言おうか。タイプは異なるけれども、山岳小説の華やかなりし時代を支えた作家の1人ではないだろうか。これを山岳小説と呼ばずして何を山岳小説と呼ぶのか、と言いたくなるほど、山への思いにどっぷりと浸れることと思う。

 
 
 
作 品 名
「ザイル仲間」(安川 茂雄、1958年)
あらすじ
 益井の大学時代の友人阿川が、パキスタンに学術調査に行くことになり、2人は久しぶりに再会した。
 益井と阿川、千種、鈴木、望月の5人は、大学の山岳部仲間だった。昭和18年の10月に揃って奥穂へ出かけ、戦争が終わったら毎年この日に奥穂の小屋で再会することを約束した。
 終戦の年に阿川が1人で奥穂に出かけ、その翌年には益井、望月、阿川の3人が集まったものの、5人が揃うことはなかった。鈴木がフィリピンで戦死、千種はバイト先でメチル・アルコールを飲み過ぎて死亡、望月はサナトリュームで病死した。
 益井は、阿川が預けていった山岳部年報やスクラップ、手紙などを見返しながら、10年という月日を思い出していた。
感 想 等
(評価 : C)
 戦争のために遂げられなかった様々な想い。安川茂雄の小説は、山岳小説でありながら、戦争小説であり、青春小説でもある。山への熱き想いが伝わってくる短編集である。
山  度
(山度 : 70%)
 手紙や会報など様々な形態を取りながらも、山行の模様や山岳描写は盛りだくさん。山への思いが伝わってきます。

 
 
 
作 品 名
「青い星」(安川 茂雄、1959年)
あらすじ
 大学山岳部のリーダー・木部慎一は、12月下旬から1月にかけて、例年のように上高地をベースに冬山訓練のために入山していた。今年は極地法訓練のために前進キャンプを設けての前穂・奥穂登頂を計画したが、天候が悪く散々な結果に終わった。
 その年の上高地では異常なことが多かった。まず、Kホテルに泥棒が入り、その騒動のために余計な時間を取られてしまった。また、上高地からは山向こうに当るH温泉で一冬番人をしている平井友子という女性が、上高地へやってきていた。男性でも辛い越冬を1人でしているという平井友子に、慎一は少なからず興味を惹かれた。加えて、悪天候の連続である。
 慎一は、山の英雄である北村徹が、槍から奥穂、焼岳へと積雪期に初縦走すると聞き、上高地で会えることを楽しみにしていたが、北村パーティの計画もこの悪天候で変更を余儀なくされたのか、会うことはできなかった。
 奥穂登頂に失敗して東京へ戻った慎一のもとに、しばらくして北村徹遭難の報が入ってきた。とても信じられなかったが、状況から判断すると絶望としか言えなかった。そして、上高地で出会った平井友子は、その北村徹と落ち合う約束をしていたのだった。北村が属する東京渓歩による捜索が続けられたが、遺体はなかなか見つからなかった。そして・・・。
感 想 等
(評価 : C)
 読めばすぐにわかるが、本小説は北鎌尾根で遭難死した松濤明をモデルにした小説である。同時代に山に情熱を注いだ安川によるレクイエムとでもいうべきものなのだろうか。木部慎一という松濤を尊敬する人物の視点通した松濤の生涯、遭難の顛末は、安川氏の思いそのものなのだろう。
 物語としては、新田次郎の「風雪の北鎌尾根」もそうであったように、松濤の死に様が、あるいは遺書そのものがあまりにも壮絶であったために、小説という枠の中でそこを無視した展開はありえない。松濤明という人物を描くうえでの限界と言えるのかもしれない。
山  度
(山度 : 100%)
 雪の上高地、風雪、登山家・・・。山が身近にあった時代、日常的な風景となっていることがたまらない。そこが、個人的には、安川作品において一番好きなところである。

 
 
 
作 品 名
「地図のない山」(安川 茂雄、1960年)
あらすじ
 野上誠一は生来無口で、孤独好き、気が弱く、スポーツの苦手な少年だった。家の隣にあった近江屋の番頭・兼どんのアルプス登山を聞いて登山に興味を持ち、柴田さんに連れられて初めて大岳山を登った。中学の同級生でスポーツ万能の戸田に登山の話をした時、戸田が自分を評価していることを知った野上は、登山というものの持つ力を知り、山を利用することを覚えた。
 やがて山岳会に入り、クライミングもやるようになったが、恐怖心からトップを登ることはできなかった。野上は戸田らを連れて八ヶ岳へ行った際、悪天で引き返したにも係らず、文献を読んで登頂記録を書いて会報に載せたが、誰にもばれなかった。野上の会のパートナー・鎌田が入隊する時も、鎌田のためと称して谷川岳一ノ倉沢二の沢本谷を登攀したことにした。
 戦後、野上は山好きが集まる「ランプ」というバーでバイトを始めたが、マスターの三村もやはり山を利用している男で、山岳会を作ったりしていた。三村は、行きもしない山へ行ったことにすることを「トリック大活劇」と呼びしばしば利用していたが、野上にとっても地図のない山は重要だった。
 トリック大活劇を積み重ねる野上は、それと共に有名になっていったが・・・。
感 想 等
(評価 : D)
 誰しも虚栄心や見栄がある。山の世界でも同じことかもしれない。この作品はそういった人間の心を、ある程度デフォルメして描いたものと言えよう。実際、普通の文学作品であれば、こうしたものも有りうるのだろうと思う。ただ、勝手な思いなのかもしれないが、山を舞台にこれを書いて欲しくなかったと思う。最初に抱いていたやるせなさが、段々と嫌忌になり、最後まで主人公に裏切られた淋しさだけが残った。安川茂雄の他の作品が爽やかなだけに残念だ。
山  度
(山度 : 70%)
 安川茂雄の作品は、山を生活の中心に据えている人間を主人公にしており、山度はいつも高い。ただ、この作品に関して言えば、上記の通りの内容なので、山行に関する部分も今ひとつ楽しめないかもしれない。

 
 
 
作 品 名
「孤独なる死」(安川 茂雄、1963年)
あらすじ
 ぼくのザイルパートナーである田家光雄が谷川岳で遭難した。田家はぼくにとって唯一の山仲間であり、かれこれ5年近くも一緒に山に出かけていたが、田家の遭難はぼくにとって新聞で見る遭難のようだった。田家は確かにぼくのたった1人のザイル・パートナーであったが、田家とぼくとは全く違う人間だったのだ。ぼくらの理解者であり、山の先輩、山岳画家である菅井卓ニも捜索に参加したが、田家の行方はわからなかった。
 田家は桝屋という名家の跡取り息子で、邦江という継母がいたが、邦江は田家のことを、殊の他かわいがっていた。世間では田家の遭難について、継母との愛に悩んだ田家の自殺であるとか、妾の子に家を継がせたがった田家の父親による殺人などといった様々な噂が流れていたが、ぼくにとっては、また菅井卓ニにとっても、田家の遭難はアルピニストとしての死であって欲しかった。
 菅井卓ニは戦争で山へなかなか行けなかったために、山への渇望が人一倍強かった。田家は菅井卓ニと出会ってから、その影響を受けて、がむしゃらに山へ向かうようになった。菅井卓二は田家の遭難が自分のせいではないかと悩んでいた。ぼくと菅井卓ニは何度も谷川岳に足を運んだが、田家の足取りはようとして知れなかった。
感 想 等
(評価 : B)
 戦争という不自由さゆえに、自由への渇望として山を求めた男。道ならぬ恋に悩み、振り切るために山へ向かった男。山は人に何を与え、人は山に何を求めるのか。どこか退廃した雰囲気を持つ主人公の目を通した、各時代の青春像。
山  度
(山度 : 80%)
 いつもながら、山の雰囲気に満ち溢れ、山に近い生活はうれしい限り。