山岳小説(国内)・詳細データ ~や行~



作 品 名
「山小町 ~恋~」(やぎた 晴、2014年)
あらすじ
 京都で保育園に勤める佳子は、保母の資格が取れたことから、秋になって久しぶりに山に出かけることにした。高校時代からワンダーフォーゲル部で鍛えてきた佳子だったが、部活時代の仲間は仕事が忙しく、今回は初めての単独行となった。夜行で京都を発ち、二泊三日で憧れの北アルプス奥穂高岳へと出かける計画だった。生憎、台風が発生し始めていることが気がかりといえば気がかりだった。
 社会人一年目として、東京で忙しく働いていた春生は、取り損ねていた夏休みを取って、安曇野に住む叔父の家に出かけ、そのまま奥穂高岳へと登る計画を立てた。高校時代に山岳部で南アルプスを中心に雪山・岩山を登ってきた春生にとって、久しぶりの山行だった。叔父の家で一泊して、早朝絶好の天候のなか上高地を出発した春生だったが、涸沢ヒュッテに到着する頃には雨が降り始めていた。
 春生がヒュッテの談話室でラジオを聴きながら天候の心配をしている時に佳子が到着し、受付の女性に翌日の天候の確認をしていた。談話室に入ってきた佳子に、春生はラジオの天気予報を伝えた。明日の天気はどうか、行程をどうするか、そんな会話をきっかけに、2人の話は自然と盛り上がった。そしてお互い単独行だったことから、2人は翌日も同行することとなった。
 悪天候の中での奥穂高岳までの往復、壊れかけた佳子の山靴を春生が修理してくれたこと、土砂崩れでバスが不通となる中2人での徳本越え。そんな時間を通じて、2人の心の距離はどんどん近づいていくのだった。
感 想 等
(評価 : C)
 実にストレートな山岳恋愛小説。男性なら一度は妄想したことがあるような山での出会いといった感じで、素朴で温かい恋愛小説。ある意味新鮮です。ただ、文章の雰囲気がちょっと古く、また一文が長いので慣れるまではやや読みにくい。筆者の年齢は公開されていないが、1970年頃という設定の物語なので、恐らくは団塊の世代くらいの人が定年後に書いたのだろう。「ミヤマ・・・」とか「ハルオとヨシコ」などは違う世代には何のことかさっぱりわからないが、逆に同世代には響くのかもしれない。
山  度
(山度 : 90%)
 上高地、涸沢、奥穂高・・・と王道で山度は満点。夜行で山登りに行くあたりも懐かしいというか、味があっていいですね。
 
 

 
作 品 名
「山小町 ~愛~」(やぎた 晴、2015年)
あらすじ
 奥穂高山行で偶然知り合い、仲良くなった春生と佳子だったが、東京で働く春生と京都で保育士をしている佳子は遠距離恋愛。文通とたまの電話が2人の喜びだった。
 安曇野での逢瀬から2ヶ月ほど経った11月、たまたま春生の大阪出張が入った。月曜日からの仕事だったことから、春生は週末から京都に出かけ、佳子と一緒にデートを楽しんだ。夜行に乗って朝京都に着いた春生は、土曜日に2人で愛宕山に登り、日曜日は京都の街を散策した。そして佳子は、奥穂高でお世話になったお礼を兼ねて春生を自宅の夕食に招待し、両親にも紹介した。厳格で気難しい所もある佳子の父は、末娘の佳子をことのほか可愛がっていたが、春生の生真面目さに接し、また嬉しそうな娘の姿を見て、2人の仲を認めてくれた。
 佳子の父から冬山行を禁じられていた2人だったが、冬山に行くことは佳子の長年の夢だった。どうしても冬山に行きたい佳子は、春生に無理をお願いし、年末年始に八ヶ岳に出かけた。幸い絶好の好天に恵まれ、2人は最高の雪山を楽しんだ。
 八ヶ岳から帰ってしばらくした頃、春生の高校山岳部後輩の「ヤギくん」が、蔵王山行に出かけたまま帰って来ないとの連絡が入った。人懐っこいヤギくんの生還を待ちわびた春生だったが、数度にわたる捜索にも係わらずヤギくんは見つからず、捜索は春まで延期となった。GWに再開された捜索に参加した春生は、冷たくなったヤギくんの遺体と対面した。春生は、佳子を伴って、ヤギくんの追悼山行に雨飾山に出かけるのだった。
感 想 等
(評価 : C)
 「山小町―恋―」の後編となっている本作は、前作のテイストそのままにストレートな恋愛小説となっている。前半、京都でのデートシーンがやや長めなので、全体の山度はその分低くなっているが、冬の八ヶ岳を中心に愛宕山や雨飾山など山のシーンも楽しめる。ただ、回想シーンが所々に入ってきたり、橘さんとの浮気シーン(?)などの必要性はやや疑問。
 また、物語の舞台がいつなのかが曖昧で、同年代の人なら描かれている出来事でピンと来るのかもしれないが、もう少し分かりやすくした方が、違う世代にももっと伝わるかもしれない。感覚的には、1980年以降に生まれた方には世代間ギャップが大き過ぎるかもしれないが、団塊の世代にはたまらない懐かしさだろう。
山  度
(山度 : 50%)
 前作に比べると、山度は低め。
 
 
 
 
作 品 名
「山小町 ~妻~」(やぎた 晴、2018年)
あらすじ
 雨飾山へのヤギくん追悼登山から帰ってしばらく経った夏の日に、春生は佳子の家に結婚の許しを頂くため、夜行列車で京都へと到着した。駅で佳子と待ち合わせをした春生は、暑い中、琵琶湖疎水や日吉神社、比叡山などを観光し、京都の歴史を学んでから、佳子の実家へと出かけた。
 家では、佳子の両親、祖母、姉の睦子が待っていた。京都らしい松花堂弁当を囲んだ和やかな夕食のあと、春生は居住まいを正すと、勇を鼓して結婚のお願いを申し出た。4人姉妹の末娘である佳子を殊の外可愛がっていた父親により、申し出は預かる形となったものの、結婚を前提にした交際が認められ、2人はほっと安堵したのだった。
 翌日には、佳子の案内で今西錦司や西堀栄三郎らゆかりの北山山荘などを眺めながら北山登山を楽しみ、夜は荒神橋の欄干から五山の送り火を眺め、ご先祖さまを前に将来を誓い合った2人だった。その晩、佳子の実家を再訪した春生は、義兄となる大西に連れられて京都の飲み屋を渡り歩き、気の合う義兄の登場に、心強い味方を得た思いを強くした。
 秋には、大西の地元の山だという白山に佳子と出かけ、山小屋に1泊して紅葉の山を楽しみ、翌年春には、2人は晴れて結婚の運びとなった。都内のホテルで行われ式は、春生の山岳部仲間や佳子のワンゲル仲間も参加し、心温まるものとなった。
 新婚旅行は、憧れのスイスアルプスを見に、グリンデルワルトに出かけた。直前に佳子の妊娠が判明したが、佳子の足取りは軽やかそのもので、2人は圧倒的な迫力を持つアイガー北壁を見上げ、さらに登山電車とゴンドラを乗り継いで、アルプスの大展望を楽しんだのだった。
感 想 等
(評価 : C)
 「山小町」シリーズの“恋”、“愛”に続く第三弾“妻”で、穂高で出会って愛を育んできた春生と佳子が、ついに結婚し、新婚旅行に出かけ、新しい命を授かるまでが描かれている。
 ミステリー主流の今の小説と比べると、抑揚のない平坦な物語ということになるが、考えようによっては、ブログやツイッター、インスタなどによる1億総主人公時代らしい、他人の恋愛・生活を覗き見しているような作品とも言えるかもしれない。
 これまでの作品も同様なのだが、時代背景がいつなのか明示されておらず、読み手としてはモヤモヤする部分があったのだが、最後の最後に「数年前に今井道子が三大北壁を女性で初登攀」とあり、オイルショックの話が出てこないことも合わせて推察すると、70年代中後半くらいと分かる。まさに団塊の世代の方が描かれた作品なのであろう。
山  度
(山度 : 30%)
 本作では、実際の登山シーンは京都北山と白山くらいしか出てこないが、回想シーンやスイスアルプスへの新婚旅行、辻まことや今西錦司の名前、山岳部時代の思い出話など、山にまつわる雰囲気はふんだんなので、登山シーンは少ないが、山の雰囲気が感じられる。
 
 
 
 
作 品 名
「キラキラPMS(または、波乗り太郎)」
(山崎ナオコーラ、2020年)
あらすじ
 平(たいら)太郎は、子供の頃からひたすらフラットに生きていた。感情を表に出さないポーカーフェイスで、あだ名は「ロボット」だった。太郎の回りには、感情をコントロールできず、イライラして波立ち続けている種類の人間もいた。イライラは汲み取って、受け止めてあげなくてはいけない。太郎は、口ぐせのように「わかるよ」と言った。太郎は、イライラは性別のせいだと考えた。自分と同じ性別の人は平らにできるから、自分と違う性別の人のことを慮ってあげようと太郎は考えた。
 社会人になってから、床(ゆか)という恋人ができた。会社でセクハラをせずに別の性別の人と仲良くなる方法が分からず、床とはインターネットで知り合った。床のSNSにナプキンのことが書いてあったので、太郎は床の性別を推測したのだ。生理があるかないかで性別が分けられると太郎は思っていた。太郎はインターネットの知識で、生理前にイライラしてしまうPMSすなわち月経前症候群についても知っていて、床のこともその性別の性格に当てはめようとしたが、床は、性別は自由なもので、少数でも当てはまらない人がいたら線引きしてはいけないと言う。
 太郎と床は結婚し、2人の子供をもうけた。やがてコロナが流行った。床はフリーランスで稼ぎが良かったが、家事や育児が忙しく、家ではなかなか仕事ができなくなった。太郎は「ぼくにできることは何でもするよ」と言ったが、太郎の仕事は給料が安いのに毎日忙しくて休みが取れなかった。イライラする床を見て、太郎はPMSのせいにした。太郎は人を型にはめて考えたがったが、床は型は要らないという。そこで太郎は、「型は要らない」という波に乗るために、PMSになれるというサーフボードがある山を目指し、PMS王になることを宣言した。
 コロナ禍が終わった頃、太郎の会社で2週間休暇制度が導入された。いざ休めるとなると何をしていいのか分からなかったが、太郎は後輩の伊東マンショと話をしていて登山に誘われ、マンショの友人で登山家のエヌ、芸術家のワイと一緒に富士登山に出かけることになった。一定のペースで足を黙々と動かす登山は、太郎にとって心地良かった。1か月後、エベレストを目指しているエヌの誘いで、同じ4人で標高4930メートルのロブチェを目指すことになった。ナムチェ、タンボチェ、パンボチェ、ディンボチェと泊まりながら登ったが、太郎は高山病になりトゥクラで引き返した。一人でディンボチェへ戻る途中、太郎はサーフボードを見つけてPMSになった。PMSの波が来た。
感 想 等
(評価 : C)
 性差、ジェンダーの問題をコミカルに描いた短編集「肉体のジェンダーを笑うな」に収められた作品。気持ちを表に出さず、穏やかに、フラットに生きる男性・平太郎は、性別による特徴で人をプロトタイプ的に捉えようとする。その典型として、生理に伴うPMSを取り上げている。太郎は、男性代表であり、旧体制、固定観念を体現していると言えるのだろう。
 ある種、寓話のようなSFのような感じで、ちょっと星新一テイストでもある。タイトルも不可思議だが、ヒマラヤ山麓の岩に刺さっているサーフボードを抜くとPMSが始まるとか、ナンセンスで意味不明。でも、そもそもそこに意味などない。
 太郎と床のやり取りを読んでいると喧嘩になってもおかしくないように思うが、そういうリアリティとか深刻さを描きたいわけではなく、性差のよる食い違い、噛み合わない部分を、シニカルに諷刺を込めて描いているのだろう。性の違いとは何かを描いているようであり、一方で性に関係なく、波のある生活・人生を描いているようでもある。展開や会話が固定観念に捉われておらず、単純に面白い。
 PMSという言葉自体初めて知った。ジェンダーを扱った作品としては、同短編集に収録されている「父乳の夢」も面白い。
山  度
(山度 : 20%)
 富士登山のあと、ヒマラヤ山麓のトレッキングが出てくる。インタビュー記事によると、山崎ナオコーラさんは2010年過ぎ(詳細不明)に、登山家で写真家の石川直樹さんなどと一緒に、エベレストへ行ったことがあるそう(記事にはどこまで行ったか書いていない)。その時の経験を元に描いているようだ。



 
作 品 名
「パーティ」(山田 悠介、2007年)
あらすじ
 康太にとって国男、英紀、仁志の3人は、小学1年生からの親友だった。6年生の時、4人がいるクラスに桜田美希という転校生がやってきた。美希の心臓が生まれつき弱いということを知った4人は、担任の先生から美希を守るように頼まれたこともあって、以来いつも美希と一緒にいて、美希の心臓に負担が掛からないように気にかけてあげるようになった。
 中学・高校になってもそれは変わらなかった。中学三年の時に、美希の心臓移植手術に莫大なお金がかかること、美希の身体に合うドナーを見つけることが大変だということを知った彼らは、手術代の足しにしてもらおうとアルバイトを始め、バイト代を美希の母・良子に渡すようになった。しかし、彼らの願いも虚しく、美希の心臓は少しも良くならなかったし、適合するドナーも現れなかった。康太はいつしか美希のことを好きになっていた。
 彼らが高校三年生になった年のとある日、4人と美希が一緒に出かけた際に、道路に飛び出した子どもを美希が助けようとして心臓に負担がかかり、美希は入院することとなってしまった。美希の心臓はもう治らないのではないか。途方に暮れる康太に、声を掛けてきたのが加納静香だった。加納は、海外での臓器移植の紹介をしているという。ただ、移植を受けるには2千万円もの莫大な費用がかかる。思い余った康太は、国男が提案した銀行強盗という最後の手段に同意した。4人は銀行に押し入って2千万円を強奪し、その足で加納のもとに向かいお金を手渡した。ところが、それっきり加納からの連絡が途絶えた。騙されたことに彼らが気付いた時にはもう手遅れだった。康太は必死で加納を探したが、見つかるはずもなかった。
 その加納から突然手紙が届き、神獄山で待っているという。何かの罠か、ただ騙されているだけなのか。疑心暗鬼に陥りながらも、手がかりのない4人は神獄山へと向かった。
感 想 等
(評価 : C)
 「リアルおにごっこ」などで若者に人気の作家・山田悠介。なのだが、本作に関してはあまり評判がよくないようだ。話自体は結構いい話なのだが、なんだか浅いというか、リアリティに欠けるとの印象。
 神獄山の頂上をなぜか目指す4人の登山シーンと、過去の物語を交互に展開しながら、4人が神獄山に来るに至った背景を少しずつ解き明かしていく流れなのだが、なぜ山なのか必然性が乏しい。
山  度
(山度 : 20%)
 登山に関してもリアリティは今ひとつ。水も食料もなく登り始め、山小屋らしき小屋がある山で断崖絶壁が500mも続いたり、2000m程度で酸素が薄くて高山病になったりとか、ちょっと極端。



作 品 名
「十五才」(山田 洋次、2000年)
あらすじ
 なぜ勉強しなくちゃいけないのか、なぜ学校に行くのか、わからない。そんな思いで不登校になっていた中学3年生の川島大介は、家出をして、ヒッチハイクで屋久島の縄文杉を目指す旅に出た。
 佐々木という中年男性が運転する大型トラックの乗せてもらって大阪まで行き、荷物運びの手伝いをした。女性ドライバーすみれのトラックに宮崎まで乗り、すみれの家に泊めてもらった。そこで彼女の引きこもりの息子・登と仲良くなり、登からジグソーパズルと素敵な詩をプレゼントされた。息子の気持ちを初めて知ったすみれは、大介に感謝して、鹿児島のフェリー乗り場まで大介を送っていった。屋久島に辿り着いた大介は、島で出会った登山者・真知子にくっついて険しい山道を登り、ついに念願の縄文杉を見ることができたのだった。
 その後、真知子と別れてひとり山を降りた大介は、下山途中で道に迷い、滑落して川に落ちてしまうが、かろうじて麓に辿り着くことができた。疲れきっていた大介は、運良く通りかかった鉄男という老人に拾われ、家に泊めてもらった。鉄男に振り回される大介だったが、翌朝、鉄男の具合が悪くなり、大介は彼の面倒を看るハメに陥ってしまう。自分の家では何もしなかった大介だが、小便をもらしてしまった鉄男のお世話を一生懸命やった。なぜか、嫌だという気持ちは起こらなかった。さらに翌日、博多に暮らす鉄男の息子・満男がやって来た。嫌がる鉄男を無理矢理入院させてしまう満男に、大介はやりきれない思いを感じていた。
 多くの人と出会い、助けられながら、大介は大人になっていくのだった。
感 想 等
(評価 : B)
 山田洋次監督の映画「十五才 学校Ⅳ」のノベライズ作品。文庫本上の作者は「山田洋次」となっているが、巻末のスタッフ一覧に「ノベライズ・・・百瀬しのぶ」とある。元々脚本が山田洋次なので、ノベライズは文字おこし程度の役割なのだろうか。
 内容的にはほぼ映画と同じ。よくあるノベライズ本だと、作家が脚色したり、小説らしい風景描写や心理描写などを書き込んだりするものだが、本作は表現がシンプルで、シナリオに近いイメージだ。映画の感動そのままと言いたいところだが、シンプル過ぎるので、これなら映画を観た方がいいかもしれない。
 巻末に灰谷健次郎と山田洋次監督の対談が併録されており、映画に込めた思いの一部が語られている。
山  度
(山度 : 20%)
 登山関連は、屋久島・宮之浦岳の部分のみ、割合的には映画とほぼ同じ20%程度といった感じ。



作 品 名
「ザ・クライム」(山野 浩一、1975年)
あらすじ
 私は山へ来ていた。天気は良かったが、ゴールデンウィーク明けということもあり、雪がどの程度残っているかわからず不安だった。途中の小屋で一泊した私は、南尾根を目指した。南尾根はクライマーが目指すCフェイスやFフェイスに比べれば本格的な岩登りとは言えない程度のバリエーション・ルートだ。
 1日で頂上まで行くつもりだったが予想外に時間がかかってしまい、途中のコルでビバークを余儀なくさせられた。翌朝、あっという間に夜が明けたような不思議な感覚を感じながら目を覚ますと、悪天の兆しが見え初めていた。10時までには山頂に着くと思ったが、ガスが私を追いかけるように登ってきて頂上を隠してしまった。先に進めないことはないが、私は早めのビバークを決めた。まだ昼前のはずなのに時計はもう4時を指していた。本当に時間の進み方が狂ってしまったのだろうか。
 翌朝早く出発した私は頂上近くまで達したが、そこで岩陰で眠っている男に出くわした。男を起こすと、夕方だというのに男は「もう朝ですか?」などと聞く。男の言うことは要領を得ない。私は仕方なく男に付き添って、もう一晩ビバークすることにした。翌朝、もうしばらくそこにいるという男をおいて頂上を目指したが、後ろを振り返ると男が追いかけてくるのが見えた。
感 想 等
(評価 : D)
 ごく普通の登山物語?かと思いきや、次第に不条理な世界へと入り込んでいく。抽象的な世界、不条理な世界というのは、作者が何を言いたいのか正直わからない。だから、そういう作品は好きになれない。どちらかというとSF系の人らしいなので、この作品もそう読むべきなのかもしれない。
 タイトルの意味も不明。このクライム、“climb”ではなくて“Crime”なのだ。単なるゴロ合わせ的ではあるが、なぜそうしたのか、意味がわからない。
山  度
(山度 : 100%)
 舞台はずっと山の中だが、なんか変。この作者の山の経験はどの程度なのだろう。結構詳しいようだし、専門用語もちょこちょこ出てくるのだが、時折おかしな描写、不適切な行動があるようだ。
 
 
 
 
作 品 名
「悪魔の山」(山本 偦(サトシ)、1959年)
あらすじ
 見沢とし子は、ゴールデンウィークに会社の慰安旅行で水上温泉に出かけた。旅館から見えた谷川岳が印象的だった。その帰り道のこと、電車の座席が空いていなかったため、とし子は登山帰りの3人の男性と一緒に4人掛ボックスに座ることになった。その中の一人、東都山岳会の星名大介と仲良くなったとし子は、東京に戻ってからも2人で会うようになった。
 大介は岩登りに夢中で、谷川岳一ノ倉沢コップ状岩壁の正面ルート初登攀を狙っていた。毎週のように大介と会ううちに、とし子も山に興味を持つようになり、とし子は大介に山へ連れていって欲しいと頼んだ。初めは乗り気ではなかった大介だが、9月になってようやく実現し、2人は美ヶ原高原へとやってきた。そこでとし子は大介からプロポーズされた。何となく予感がしていたとし子は、目を逸らしたまま「ええ」と頷いた。以来、大介はとし子の家にも時々来るようになり、とし子は幸せを噛み締めるのだった。
 とし子が、新聞の遭難の記事をよく読むようになったのは、冬山シーズンか始まる12月に入ってからである。連日のように、遭難の記事が出ていた。とし子の不安は募るばかりだった。そんな時、年末年始に穂高へ出かけた大介たちのパーティが遭難し、大介は無事だったものの仲間の一人が疲労凍死で亡くなった。とし子の不安は増すばかりだった。これで山を止めてくれるのでは、というとし子の期待も虚しく、大介は追悼登山を終えると、また谷川岳に通い始めた。大介が遭難するかも知れないと思うと、とし子は次第に食事が喉を通らなくなり、夜も眠れない日を過ごすのだった。大介がコップ状岩壁に挑戦する日、上野駅まで見送りに行ったとし子は・・・。
感 想 等
(評価 : C)
 山男と仲良くなり、婚約した女性の不安な心理を描いた作品。雑誌に掲載されたのは1959年と登山ブームの真っ最中。こういう言い方は失礼かもしれないが、この時代のプロトタイプ的な作品なのかもしれない。
 数ある趣味の一つとして登山を楽しむ今の人たちによる登山ブームと違い、インターネットもなくTVも普及していない時代、「登山(岩登り)は生きがい」という人も多く、週に1日の休暇を使って夜行で山に通った。冬山やクライミングでの遭難・事故も多く、本作で描かれているような、山男と付き合う女性の不安心理は決して大げさなものではなかったことだろう。「山と私、どっちが大事なの?」というベタなセリフも出てくるが、これも時代背景のなせるワザである。登山ブーム華やかなりし時代を知る上で、おもしろい作品。
山  度
(山度 : 70%)
 会話や話題として、谷川岳一ノ倉沢コップ状岩壁初登攀や穂高雪山遭難の話などがでてくるが、実際の登山シーンが出てくるのは美ヶ原高原のみ。人はなぜ山に登るのか、埋め込みボルトの是非論なども出てくる。
 
 
 
 
作 品 名
「虚栄の山」(山本 偦(サトシ)、1960年)
あらすじ
 桜庭紀代子が、中学時代の同級生の三島茂子と久しぶりに再会したのは、丹沢塔ノ岳から馬鹿尾根を下る途中だった。紀代子は2,000m程度の低山歩きをする山岳会に入っており、その山行で蓑毛からヤビツ山荘を経て塔ノ岳へと出かけたのだった。そこで、男性2人を叱咤しながらガレ場を上がってきた女性に声を掛けられた。それが茂子だった。もっぱら丹沢の沢登りばかりで、今日もモミソ沢出合から上がってきたという茂子を見た紀代子は、中学時代の内気で目立たなかった茂子の映像を思い出したもののピントが合わない。「沢登りやるんでしょう?」「谷川岳に登ったことある?」と聞かれ、紀代子はつい「ええ」と答えてしまった。茂子は「そのうち連れていって下さらない?」と言うと、先を急いで歩き出した。
 中学時代は相手にしていなかった茂子に、今さらあれはうそでしたなどと言えないと思った紀代子は、ガイドブックを買って丹念に読み、山岳会の人たちを誘って水無川本谷を遡行し自信を付けた。そんな時、茂子が家にやってきて、谷川岳に連れて行って欲しいという。谷川岳についてもガイドブックで研究していた紀代子は、自分たちでも何とかなると確信していた。
 2人は期日を合わせて、マチガ沢の一の沢へと入った。しかし紀代子は、荒々しい岩の屏風を仰ぎ見て、また霞んで見える足下の奈落の底を見て、足がすくんだ。。
感 想 等
(評価 : C)
 「虚栄の山」というタイトル通りに、友人への見栄から嘘をつき、初心者だけで初めての谷川岳に入った女性2人。虚栄の繰り返しに、読んでいる方がドキドキしてしまう。そして彼女を襲った悲劇は、想像していたものとちょっと違ったが、想像していた以上に衝撃的だった。しかも書きぶりがあっさりとし過ぎていて、ラスト3行のインパクトが凄い。ある意味、ホラー小説的な怖さがある。名作とは言わないが、インパクトは一級品だろう。
 それにしても、勘七ノ沢や水無川本谷、モミソ沢などの名前が当たり前のように登場する沢登を題材にした短編が、こうして一般の雑誌に掲載されているという事実に、当時の登山ブームの一端を垣間見た思いがする。。
山  度
(山度 : 100%)
 丹沢の山・沢、谷川岳の岩などが出てくる。登山ブームだった高度成長期らしい作品。
 
 
 
 
作 品 名
「山が呼んでいる恋」(山本 偦(サトシ)、1961年)
あらすじ
 槇完治は、太洋産業の面接試験に臨んでいた。趣味について「読書とスポーツ」と答えると、「どんなスポーツを?」と聞くので、「野球、テニス、登山などを」と答えたのがいけなかった。完治は大学に入って確かに山岳部に入ったのだが、夏の剣沢合宿での上級生のシゴキに懲りて、二学期に入るとすぐに辞めてしまったのだった。以来、山に登ろうという気になれなかった。完治はつい余計なことを言ってしまったと首をすくめた。
 完治は晴れて大洋産業に入社し、外商部に配属された。ある日庶務課に行くと、課長席に例の面接官が座っていた。入社のお礼を言うと課長も覚えていて、今度山の話をしに来いと言われ、完治はいよいよ困ってしまった。後で隣の席の樋口一枝に聞いた所によると、課長はガミガミ課長として有名で、社内に美人の娘さんがいると言う。それからしばらくして、完治は庶務課長の自宅に招かれた。課長に昔の自慢話をひとくさり聞かされた。そして娘の陽子を山に連れていってやって欲しいと頼まれ、完治は思わず承知してしまった。
 それからというもの、完治と陽子は会社の帰りに待ち合わせて、2人だけの時間を過ごすようになった。娘を狙う悪魔から娘を守るのが親の役目と信じている課長も、完治が山男というだけで信頼しているようだった。陽子も初めて父親に許されて異性と一緒に過ごせるのが嬉しい様子だ。
 ある日、完治は隣席の一枝にランチに誘われ、私も山に連れていって欲しいとねだられた。山男というだけでこんなにモテるのだったら、もう少し実際の山に登っておくんだったと思う完治だった。
感 想 等
(評価 : D)
 同じ作者の「悪魔の山」と「虚栄の山」が、ベタな所がありつつもなかなか面白かった分、本作はちょっと拍子抜けした感がある。一応、山のシーンも少しあり、山の話はいろいろ出てくるが、実際に登山のシーンは少しだけ。これといったドラマもなく、あっさりしている。
 社会人になって初めて男性とお付き合いする女性だとか、娘に悪い男が寄り付かないようにするのが父親の役目だとか、時代錯誤な感じがある意味おもしろい。山男のステータスも時代ゆえだろう。
山  度
(山度 : 20%)
 山の描写は少ない。
 
 

 
作 品 名
「一瞬でいい」(唯川 恵、2010年)
あらすじ
 祖父同士の仲が良かったことから、軽井沢の地で幼馴染として育った英次と稀世。親が知り合いで、軽井沢の別荘が近かったことから、幼い頃から仲の良かった創介と未来子。4人は小さい頃に軽井沢で出会い、毎年夏には一緒に遊ぶ仲だった。創介と稀世は両想いだったが、英次は稀世のことが、未来子は創介が好きだった。
 昭和48年、高校卒業を控えた4人は、記念に浅間山登山に出かた。生憎の天候の中、4人は前掛山手前まで辿り着いたが、突風に煽られて転落した創介が足首を骨折。英次は助けを呼ぶために一人で走って下山したが、その途中で滑落し帰らぬ人となった。我を通して、前掛山まで行こうとしたために怪我をしてしまった創介。創介への思いゆえに、英次を急かしてしまった稀世。自分の都合で、小雪が舞うような時期まで登山を遅らせてしまった未来子。3人が3人とも、自分のせいで英次を死なせてしまったと自らを責めた。
 創介は、英次に償う方法を探して家を出て、働きながら日本中を放浪。他人から良くしてもらい、仲良くなる度に英次に対する後ろめたさを感じ、次の場所を探して彷徨っていた。そうしている間にバブルが弾け、親と弟が経営していた不動産会社の経営が危うくなり、創介は実家に戻らざるを得なくなった。
 シングルマザーの家庭に生まれ育った稀世は、一人で生きていくことを決意し看護師になったが、不慮の事故で辞めざるを得なくなった。医者からの求婚を断って、看護師時代の知り合いの縁で水商売の世界に入った稀世は才能を開花させ、ついには緒沢という後ろ盾を得て、銀座で自分の店を持つまでになった。
 日本から逃げるようしてフランスの大学に留学した未来子は、そのまま海外の広告会社に就職。その会社の日本支社異動に伴い帰国し、結婚して一女を設けたものの、仕事に打ち込む未来子の結婚生活はうまくいかなかった。母との軋轢、姉の自殺、破たんした結婚生活などで苦しんでいた頃、創介と再会した。50歳手前、夫と離婚し、母を看取った未来子は、数年来付き合ってきた創介と結婚することにした。
 その頃、創介は、銀座でお店を経営していた稀世と偶然再会した。18歳の頃、好き同士だった2人の心の動揺は隠せなかったが、お互いに大切なものを抱えていた。創介と未来子が結婚した直後、創介に癌が発覚した。余命、半年だった。自らの死を覚悟した創介は、浅間山に登ることを決意した。
感 想 等
(評価 : C)
 浅間山登山中のアクシデントで英次が死んだことで、創介、稀世、未来子の人生が大きく変わった。すれ違い、交錯する3人のその後の30年間の人生を描く青春大河小説。
 人生は1度きりで、何が正解かなんて分からない。そんな中で、自分の体験できない人生を見せてくれるものが大河小説なのだろうと思う。それぞれが、与えられた環境・境遇・運命の中で、より良く生きようと必死になっている。その姿を見ながら、読者は自分の人生を振り返るのだろう。結局、人生に正解なんてものはなくて、その時その時を一生懸命生きることしかできないが、それが人生なのかもしれない。
 本作は、唯川さん52歳の時の作品。恋愛小説のイメージが強い作家で、本作も恋愛小説の範疇なのだが、大河小説という形は、それだけの人生を重ねてきたからこそ描ける作品なのだろう。
山  度
(山度 : 10%)
 軽井沢に移り住んだ作者が、地元軽井沢と、移住後に初めて登った浅間山を舞台にした作品。山に関する描写は10%にも満たないが、登山が物語の重要なターニングポイントに使われていることから、少し高めの山度評価。
 ちなみに、文庫版のあとがき「今日も山から物語は始まる」を、今は亡き登山家・谷口けいさんが書いている。これがまた良い。
 
 

作 品 名
「淳子のてっぺん」(唯川 恵、2017年)
あらすじ
 1939年、福島県三春町で生まれた石坂淳子は、男の子と一緒に、すぐに近くの不動山を駆け回るような元気な女の子だった。小学校4年生の時、田中先生に連れられて、幼馴染の勇太らと一緒に那須岳に登って以来山好きになり、中学に入ってからは兄に連れられて、磐梯山や安達太良山などに登った。東京の大学に入学して、周りに馴染めず身体を壊した時期もあったが、同室の麗香が山に誘ってくれたことで東京にも山があることを知り、以来ひとりで山に出かけるようになった。
 卒業後は出版社に就職した。登山ブーム真っ只中。淳子は山岳会に入会し、冬山や岩登りの技術を磨いた。まだまだ男性社会で「女だてらに」と言われる時代だったが、淳子は男に負けないよう必死で訓練した。しかし男女間のいざこざもあり、淳子は会を辞めた。再び一人で登るようになった淳子は、偶然、山で幼馴染の勇太と再会し、勇太が所属する山岳会に入会すると、勇太や松永らとともに谷川岳に通い詰めて岩登りにのめり込んだ。
 ある日、他会に所属するマリエという女性から「一緒に登らないか」と突然声を掛けられた。登らせてやっているという男性目線を見返してやりたいというマリエの気持ちもよく分かったが、淳子は体格や体力の面で、女性ならではの通じ合うものを感じていた。しきりに結婚を勧める母に抗いがたいものを感じていた淳子だったが、マリエとザイルを組んだことでその思いも吹っ切れた。
 その頃、山の帰りに知り合ったクライマー田名部正之と付き合うようになり、正之やマリエ、勇太と一緒によく山に入った。やがて正之に求婚され、普通の奥様になれないであろう自分に不安を感じながらも、結婚を決意した。古風な母は頑強に反対し続けたが、2人の粘りと熱意に負け、ついには認めてくれた。結婚の翌年、正之に三大北壁挑戦のチャンスが巡ってきた。正之は、勇太、松永らと一緒に欧州に出かけ、2つの北壁登攀に成功して帰国したものの、凍傷で足の指4本を切断することとなった。
 翌年、今度は淳子にヒマラヤ挑戦の話が舞い込んだ。広田明子らが中心となって、女性だけの隊で海外遠征をしようというのだ。迷う淳子の背中を後押ししてくれたのは正之だ。女子登攀俱楽部と名付けられた遠征隊の副隊長に選ばれた淳子は、隊長の明子とともに奔走したが、準備は苦労の連続だった。都岳連の冷ややかな反応、資金不足、内輪揉め、相次ぐ脱退者などを乗り越え、ようやくアンナプルナⅢ峰に向けて出発した。出発してからもトラブル続きだった。それでも何とか成功したものの、登頂できたのは隊員9名中、淳子を含む2名だけだった。
 女だけの登山隊は懲り懲りだと思っていた淳子だったが、記者になった学友・麗香の依頼により始めたアンナプルナ挑戦の本を作る過程で、次第にわだかまりも解けていった。そんな時、明子からエベレスト挑戦を持ちかけられた。「子供を産んで欲しい」という条件付きで理解を示してくれた正之の後押しもあり、エベレスト登頂という淳子の新たな挑戦が始まった。
感 想 等
(評価 : B)
 2016年に亡くなられた、エベレスト女性初登頂者である田部井淳子さんをモデルにした小説。旦那さんがいて子供がいても、エベレストに登りたいという一念で全ての障壁を乗り越えて、世界初という偉業を成し遂げた強き女性の物語である。田部井さんはもちろん凄いが、彼女を支えるご主人やお姉さんの存在も大きい。登山家の生涯を描いたモデル小説にもいろいろあるが、これだけ感動的に描いた作品は、新田次郎作品以来ではないだろうかと思う。一読の価値ありだ。
 ただ、素晴らしい作品だけに、モデル小説の難しさを示す作品ともなった。「淳子のてっぺん」は感動作だし、田部井さんご自身による「タベイさん、頂上だよ」も名作だ。読み比べると面白さも増すが、違いにも目がいってしまう。当たり前の話だが、節目節目の流れは事実の通りだし、印象的なエピソードもそのまま使われている。それだけだったら、わざわざ小説にする必要などないじゃないかと思ってしまう。一方、脚色としては、幼なじみの勇太や大学の学友・麗香などは、創作上の人物だ。実在の人物のキャラを変えたりしていないという点では、新田次郎の「孤高の人」を巡る論争は回避されている。
 では、唯川さんがわざわざ小説にした理由は何なのだろうか。あくまで個人的な印象だが、唯川作品と田部井さん自身の著書の大きな差は、田部井さんの周りにいる人々へのスポットライトの当て方ではないだろうか。小説にするに当たって書き加えられている部分の多くが、勇太や麗香など架空の登場人物を含めて、母親やお姉さん、ご主人など、いかに周りの人に支えられてはいるのかということに費やされている。家族のもとに無事帰ることが「てっぺん」だというタイトルからしてそうだ。それこそが、唯川恵という作家の目を通して見た「田部井淳子」像であり、唯川さんが読者に伝えたかったことではないだろうか。言いたいことが上手く伝わらなかった時、モデル小説は事実との相違に目が行ってしまう。それがモデル小説の難しさなのかもしれない。
山  度
(山度 : 90%)
 登山を描くことが目的の作品ではないが、主人公が登山家・田部井淳子とくれば、山度が低いわけがない。エベレストやアンナプルナはもちろん、富士山、八ヶ岳、谷川岳など多くの山が登場する。
 
 
 
 
作 品 名
「天国に手が届く」(夕映 月子、2010年)
あらすじ
 著名な登山家である小田切叶を叔父に持ち、若い頃から有名山岳会に所属していた小田切敬介は、佐和俊幸ら同世代の間では、かなり知られた存在だった。その小田切の姿を出向先の社食で見かけた佐和は、驚くと同時に、思わず「一緒に山に登りませんか?」と声を掛けていた。しかし、小田切の反応は冷たかった。複雑な家庭に育ち、親の替わりともいえる叔父の叶が6年前にアラスカで行方を断って以来、小田切はいつも独りで山に登っていたのだ。会社の寮の近くのクライミングジムでも小田切と遭遇したが、つれない反応に変わりはなかった。
 7月の連休、久しぶりに奥秩父の外岩でソロクライミングを楽しんでいた佐和は、先行者が落とした落石に当たって宙吊りになってしまった。その先行者が小田切だった。小田切は佐和の手当てをすると、会社の寮まで車で送ってくれた。その事件のお詫びもあってか、小田切は佐和の要望を受け入れ、前穂四峰正面壁を一緒に登った。以来2人は、時折山行を共にするようになった。小田切と佐和は、歩くペースや呼吸がピッタリ合った。佐和は、小田切との山行を何事にも優先させた。
 2人は、お盆休みに、西穂から奥穂、槍への長期縦走に出かけた。2人で一緒にいる間に佐和は、自分の小田切への思いが、ザイルパートナーとしての居心地の良さではなく、恋情だということに気付き戸惑った。小田切のことが気になって仕方がない一方で、自分の気持ちを隠し通さなければいけないとの思いの狭間で注意力が散漫になり、佐和はミスを連発してしまった。
感 想 等
(評価 : C)
 これまで読んだ数少ないBL小説と比べると、本作にはちょっと異なる点がある。それは、男が男を好きになることが前提になっていないことだ。子孫を残すことが生き物の本能。だから、異性を好きになることが世の中では普通であり、男が男を好きになるのはやっぱり異例。なのに、通常のBL作品ではそこに違和感を感じる登場人物はあまりいない。ところが本作では、小田切を好きだということに気付いた佐和は、自分の気持ちに戸惑い、相手との関係を壊さないために、気持ちを隠そうとする。その辺の自然な感情のお陰で、物語に入りやすくなっている。逆にBL好きにとっては物足りないのかもしれないが・・・。とはいえ、ラストにはやっぱり男性同士のラブシーンになってしまう。
 山の描写も濃いし、一般の方にもお勧めできるBL小説です。
山  度
(山度 : 70%)
 山度は高く、著者の山好きが凄くよく伝わってくる。何より良いのは、山に関する専門用語や固有名詞に余計な説明が付いていないことだ。山好きの勝手な言い分だということは十分承知しているが、文章の合間に用語解説や註が付いたりすると興ざめしてしまう。2人の会話の一部を引用する。「八ヶ岳はどうですか」「ああ、氷瀑もいいな・・・・・でも、正月の大同心は混むだろう」「だったら大谷不動は?」。こんなやりとりが普通に出てくるところがいい。
 
 
 
 
作 品 名
「恋してる、生きていく」(夕映 月子、2015年)
あらすじ
 北アルプス3000m級の山・弓ヶ岳の山麓、楡生高原で、母とともにホテル「ロテル・ドゥ・ラ・モンターニュ」を経営する渡邊梓は、生まれつき心臓が悪いため、登山など激しい運動をすることができなかった。
 2年前、ホテルの常連客である石井穂高に告白された。穂高は、茅野にあるアウトドア用品店の店員で、山岳写真家でもあった。告白された梓は、自分も穂高のことが好きだと気付いたが、心臓病で人よりも寿命が短いであろうこと、セックスもできない身体だということもあって、穂高の気持ちを受け入れることができなかった。それでも穂高は梓のことを諦めず、優しく見守り続けていた。
 そんなある日、弓ヶ岳で滑落事故があり、近くにいた穂高が助けに向かったまま連絡が取れなくなった。自分がいつまで生きられるかわからないと思っていた梓は、穂高がいなくなってしまう可能性に気付き、穂高の気持ちを受け入れなかったことを後悔した。その日の夜遅く、穂高は無事に戻ってきた。穂高を出迎えた梓は、素直な自分の気持ちを伝え、心臓の手術を受ける決心をしたのだった。
感 想 等
(評価 : C)
 梓、穂高ともに、繊細で優しい気持ちの青年で、お互いの気持ちの揺らぎや心のやり取りは自然。上質な恋愛小説といった趣き。ただねぇ、BL(ボーイズラブ)なんですよ。個人的な趣味の問題で申し訳ないけれど、男同士となった時点で気持ち的に入り込めなくなってしまうし、BLファンにとっては萌えの対象であろうイラストは、もはや正視できないのです。BLでなければもう少し高評価なんだけど・・・。ということで、BLファンの方にお勧めの1冊です。
 余談ですが、前作の小田切と佐和がちょっとだけ登場します。
山  度
(山度 : 10%)
 あとがきで「私にとってはあまりにも登山要素が薄くて、欲求不満ですね」と著者が書いている通り、同じ著者の「天国に手が届く」と比べると山度は低い。登山シーンはラスト間近の弓ヶ岳登山くらいしかないが、遭難事件をめぐるやりとりや、「山のコンサート」など、山に関連した話は随所に出てくる。
 
 
 
 
作 品 名
「あなたを好きになりたくない」(夕映 月子、2020年)
あらすじ
 長野県警山岳遭難救助隊の新人隊員・真理谷直(まりやすなお)は、北アルプスの稜線上で要救助者と一緒にヘリの到着を待っていた。5年前、地元の高校山岳部1年生だった真理谷が、冬の吊り尾根を渡っていた時に、すぐ後ろを歩いていた山階部長が雪庇を踏み抜いて滑落、救助隊に助けられたものの山には登れない身体になってしまった。前を歩いていた自分に原因があったのではないかと真理谷は自分を責めた。今度は自分が助ける側になりたいと、真理谷は県警に就職したのだった。
 要救助者と一緒に待つ真理谷へ無線で連絡してきた遭対本部の吉高(きったか)隊長は、無情にも天候悪化により県警ヘリが引き返したことを告げた。ところが、民間航空会社ハイランド・エアの加賀が助けに来てくれた。上空から降りて来てくれた救世主の加賀を見た真理谷は、「かっこいい…」と思った。それが、加賀との出会いだった。
 後日、先輩に連れていかれた飲み会で加賀と再会した真理谷は、ホストのようなチャラい加賀の見た目に驚きつつも、惹かれている自分の気持ちに気付いていた。以来、GWの遭難救助で加賀のヘリに同乗した時も、夏の涸沢常駐中に加賀tと遭遇した時も、常駐小屋閉所式の飲み会に加賀が現われた時も、真理谷は意識して加賀を避けていた。加賀にどんどん惹かれていってしまう自分が怖くて、これ以上、好きになりたくないと思っていたのだ。
 滑落事故が起きたのは紅葉シーズンの週末だった。真理谷が、天狗のコルで救助活動を行っていた時、風に煽られたヘリがバランスを崩したせいで真理谷が滑落。脛骨骨折等で入院することとなってしまった。しかしそのお陰で、真理谷と加賀はお互い好き合っていることを確認できたのだった。
感 想 等
(評価 : C)
 夕映さんの山岳モノBLの第三弾。表題作のほか、「あなたを好きになりました」「in love」の3作を収録。奥ゆかしいというか、なかなか自分の気持ちを出せないあたりが、夕映さんの恋愛ものらしくて好感が持てる。男女間の話か男同士の話かという違いはあれど、人を好きな気持ちは同じで、好きであるがゆえにその気持ちを認めたくない、これ以上好きになりたくないと思う、恋愛小説らしいもどかしさがよく出ている。
 ただ本作に関して言えば、「好きになりたくない」という割に真理谷がちょくちょく気持ちを出してしまっていて、ちょっとやり過ぎの印象。ラスト近くに出てくるお決まりのBLラブシーンは、男性的にはちょっとコメントしにくいが、それを除けば夕映さんファンには嬉しい安定のレベル。
山  度
(山度 : 40%)
 本作からも、夕映さんが実際に山を登る方であろうことは十分伝わってくる。山に関わる描写に特に違和感はない。主人公の相手が山岳救助ヘリのパイロットということもあり、救助に係る話は盛り沢山だが、実際の登山シーンはそれほど多くはない。
 
 
 
 
作 品 名
「冬の旅」(柚木 衆三、1979年)
 (「白い縦走路」に収録)
あらすじ
 大学三年生の田沢義彦は、今度の大学山岳部の山行・厳冬期剱岳小窓尾根登山を最後に山を止めようと思い、北村徹と青柳美穂に手紙を書いた。北村は大学山岳部の2年先輩で、取っつきにくい性格ゆえに部でもやや浮いているような所があったが、田沢は何となく惹かれるものを感じていた。そんな2人を強く結びつけたのは、田沢が一年生の時の新人訓練山行だった。
 田沢を北村の誘いを受けて、部の計画に違反して鹿島槍ヶ岳北壁登攀に挑戦した。結果、2人は遭難してしまうという不名誉な事態となった。北村は凍傷で入院し、左右の足指2本を切断した。その時に、北村の身の回りの世話をしていたのが北村の彼女・美穂で、田沢は北村の見舞いに行って初めて美穂と出会ったのだった。
 退院後もしばらくは自宅療養することとなった北村の下宿に、田沢はよく遊びに行った。田沢は、北村の部屋で山の本を読んだり、美穂を交えた3人で話をする時間が好きだった。美穂が自分と同じ北海道出身だと知った田沢は美穂に一層の親しみを感じ、北村に悪いと思いながらも、美穂にほのかな憧れを抱いていた。ところが北村は、春合宿に行ったまま下宿に戻らず、立山の雷鳥沢山荘管理人になってしまった。田沢と美穂の仲を勘ぐって飛び出したのだが、そんな北村の気持ちに田沢は気付いていなかった。一方、元々身体が丈夫でなかった美穂は、北村の看病疲れで体調を崩して肺がんとなり、北海道の療養施設に入所した。あれから、もうすぐ2年が経とうとしていた。
 北村が、田沢たちの遭難の知らせを受けたのは、年末間近のことだった。北村は急いで現地に駆け付け、山岳部員らと一緒に必死に捜索を行ったが、猛吹雪は一向に収まらず、捜索は打ち切られることとなった。
感 想 等
(評価 : C)
 本作を収録した「白い縦走路」は、山岳小説のほかに、登山に関するエッセイや友人・知人への追悼文などを1冊にまとめたもの。小説は同人誌などに掲載された作品のようで、出版元は「留萌ペンクラブ」となっており、自費出版本なのだろうか。
 小説としては、あらすじに記した「冬の旅」を含めた短編3作を収録している。残り2作は、山で亡くなった親友の妻との儚い恋愛を描いた「白い花」、冬山での道迷いで遭難した男女3人の恋愛模様を描いた「ある遭難」。いずれも、登山・遭難・恋愛を絡めた作品だ。
 「冬の旅」は、「この一篇を剣岳池の谷二俣で遭難した年少の友人、五日市忠一君のために」と記載されており、あとがきにもある通り、実際の遭難事件を取り入れて小説にしたとのこと。
 内容的には、時代を反映して男女関係は古臭く、また青臭い部分もあるが、若々しい繊細さで丁寧に描かれている。登山の描写はしっかりしており、文章も安定感があるので、ちょっと新田次郎の短編を彷彿とさせる感じで悪くない。
山  度
(山度 : 80%)
 
 
 
  
作 品 名
「月に呼ばれて海より如来る」(夢枕 獏、1987年)
あらすじ
 麻生誠はマチャプチャレで遭難しかかっていた。アタック隊のもう1人木島は高山病で死亡し、その直後に訪れた晴れ間に麻生は雪崩に巻き込まれた。それでも奇跡的に助かった麻生は、突き動かされるように頂上を目指し、山頂で大きなオウムガイの化石を目にする。
 以来、オウムガイにとりつかれた麻生は、世界が螺旋の運動系で成り立っていることに気付き、未来を予知できるようになり、全てが同じであることに気付くようになる。
感 想 等
(評価 : D)
 「宇宙とは何か」、「螺旋を通じて描いた宇宙論」、とのことだが、正直言って何だかよくわからない。遭難のシーンの描写が壮絶なだけに、何かもったいない気がする。
山  度
(山度 : 30%)
 山岳シーンは序章のマチャプチャレのみ。その部分についてのみ言えば、後の「神々の山嶺」に繋がるようなシーンが描かれており、読み応えは充分。
 
 
 
作 品 名
「神々の山嶺」(夢枕 獏、1997年)
あらすじ
 エヴェレスト登山に失敗してカトマンドゥに残った深町は、たまたま立ち寄った登山店でマロリーのものと思われるカメラを見つけた。調べていくうちにそのカメラは、かつて日本有数のクライマーであり、今は行方がわからなくなっていた羽生丈二が持っていたことがわかった。
 深町はマロリーのカメラを手に入れることよりも、次第に羽生という男に惹かれ始めた。羽生という男はどんな男だったのか、ヒマラヤで何をしようとしているのか調べた。そして、羽生がエヴェレスト冬期南西壁無酸素単独登頂を目指している事を知り愕然とする。人生から、また女から逃げかけていた深町は、羽生の登頂をカメラに収めることに答えを求める。
 羽生と深町は、エヴェレストへと向かった。深町は、なぜ山に登るのか、なぜ人は生きるのか、問いかけながらひたすら登っていった。
感 想 等
(評価 : A)
 人はなぜ山に登るのか。「そこに山があるから」と答えたマロリー。「ここに俺がいるから」と答えた羽生。「人はなぜ生きるのか」という永遠に答えの出ない問に等しい命題を掲げながら展開されるドラマ。山を描きながら人生を描いている。「二度と書けない」と著者がいうのも尤もである。
 一方で、本作品について「盗作では」との批判がある。羽生のキャラクターが森田勝そのものだからだ。しかし個人的にはそれは当てはまらないと思う。この物語は、「『もし、森田勝がグランド・ジョラスで死ななかったら』を描いたSF伝記小説」と考えることにしている。
山  度
(山度 : 80%)
 エヴェレスト登山を中心に、生きるということを真正面から描いた力作。山岳小説としても、ここまで「山」を真中に据えた小説は数少ない。
 
 
 
作 品 名
「呼ぶ山」(夢枕 獏、2012年)
あらすじ
 広々とした雪田の左に向かって、雪の斜面を登っている。いいリズムでアイゼンが雪を噛んでいた。とその時、何かを感じて見上げたら、白い雪が迫っていた。きれいだった。雪崩だと理解して走りだしたが間に合わなかった。天地がわからなくなった。
 「山が呼ぶんだよ」そう言ったやつがいた。順番が来ると、山がそいつにだけ声を掛けるのだという。K2の無酸素単独登頂なんて無謀だったのだろうか、いや、まだ6000mにも達していな場所だ。中学時代、独りで山にばかり行っていた頃に、登山道横の30mほどの岩壁をノーザイルで登って落ち、死にかけた。あの時、呼ばれていたのかもしれない。でも、おれがあまりに不満そうにしていたから、山のやつが少しばかり猶予をくれたのかもしれない。それももう終わりだろう・・・・・。
(短編集のうち『呼ぶ山』のあらすじ)
感 想 等
(評価 : C)
 1980年代を中心に、1978~2011年に夢枕獏が書いた山に関する短編作品を集めた短編集。全体的に幻想小説的なものが多いが、昔はなんだかわからないと思っていた作品も、改めて読むとこれはこれで味がある。
 最新作は雑誌「幽」に掲載された表題作『呼ぶ山』。『神々の山嶺』のスピンオフ作品とのことだが、これを読んだだけではどこがスピンオフなのか分かりにくいが、長谷常雄が主人公だそうだ。ヒントとしては、K2無酸素単独登頂くらいか。内容的には、雪崩に巻き込まれて、死を目前にした男のとりとめもない思考・回想を描いたもので、こういう作品は夢枕獏はうまい。モデルである長谷川恒男が、ウルタルⅡ峰で雪崩に巻き込まれて死んだという事実も取り入れているのであろう。
山  度
(山度 : 100%)
 「呼ぶ山」の山度は、一応100%とした。それ以外については作品により大きく異なる。収録作品と発表年は次の通り。「深山幻想譚」(1981年)、「呼ぶ山」(2011年)、「山を生んだ男」(1978年)、「ことろの首」(1984年)、「霧幻彷徨記」(1982年)、「鳥葬の山」(1989年)、「髑髏盃」(1987年)、「歓喜月の孔雀舞」(1986年)。
 
 
 
作 品 名
「クラーマーズ・ハイ」(横山 秀夫、2003年)
あらすじ
 17年前、北関東新聞に勤める悠木が山仲間の安西と一ノ倉沢衝立岩に登る約束をしていた前日、御巣鷹山に日航ジャンボ機が墜落するという大惨事が起きた。日航全権デスクを任され慌しい一夜を過ごした悠木のもとに、安西が病院に担ぎ込まれ植物状態だとの情報が入ってきた。しかも衝立岩ではなく、夜の繁華街で倒れたという。安西のことが気に掛かりながらも、次から次へと飛び込んでくるニュースに追いまくられ、充分に眠れぬ夜が続く。
 編集局と販売部・社会部との確執、現場若手記者からの突き上げ、社長派と専務派の諍い、さまざまな事態に直面、乗り越えながら納得のいく紙面を作ることに拘る悠木。かつて衝立岩でパートナーを死なせて以来山に行かなくなった安西は、なぜ悠木を衝立岩に誘ったのか。さらには息子・淳との葛藤。いくつもの悠木の想いを飲み込みながら、史上最大の飛行機事故の取材は続く。
感 想 等
(評価 : B)
 さすが元新聞記者だけあって、現場のリアル感はスゴイ。アクションものやサスペンスならいざ知らず、非常時とはいえ日常的な風景でここまで読ませる筆力はスゴイ!そして、過去と現在をオーバーラップさせながらいくつかの謎を解き、渋い男の生き様を見せつけられる。
 正直、「PEAK」の原作を書いていた頃の著者からは想像できない(失礼!)くらいのうまさである。
山  度
(山度 : 20%)
 山度はあまり高くないが、過去とオーバーラップする形で所々に挿入されている、現在の悠木と安西燐太郎との衝立岩登攀シーンが効果的かつ無理がなく、ラストに向けてこのストーリーを見事に引き締めている。うまい!
 
 
 
作 品 名
「炎の岩壁」(横山 良則、2004年)
あらすじ
 佐々木は久しぶりに故郷である北海道小樽市に帰ってきた。クライマーだった佐々木は、小樽市郊外にある赤岩山でしょっちゅう岩登りをしており、そこにある不動岩西壁には、佐々木と佐々木の兄、そして坂田の3人で初登攀したルートもあった。
 帰省ついでに久しぶりに赤岩山を訪れた佐々木は、そこで小樽岳稜会の後輩高木に出会い、自分が開拓した佐々木ルートがその後誰にも登られていないことを知った。高木と一緒に、秀岳会の佐久間と小川が不動岩を登るのを見ていたところ、突然小川がルートを逸れて佐々木ルートへと向かい始めたかと思うと、しばらくしてヤドカリテラスから登り始めた佐久間が墜落死した。
 一部始終を見ていた佐々木は、佐久間の墜落の仕方、小川の行動に不審を抱いた。それは唯一そのルートを登ったことがある佐々木だからこそ感じた不審だった。佐久間の母・八重子、妻・恵子から依頼を受けた佐々木は、真相解明のため調査に乗り出した。
感 想 等
(評価 : C)
 岩壁で起きた墜落事故に不審を抱き調査に乗り出す主人公。当初直感で動いているため、これで単なる勘違いだったら相当失礼な人になっちゃうなぁとどうでもいい心配をしてしまった。
 出版社が新風舎になっているということは自費出版かもしれないが、展開の回りくどさにやや難があるものの、それなりのドンデン返しが用意されているあたりは評価できる。
山  度
(山度 : 20%)
 クライミングの技術的なことはわからないが、さほど多くないもののそれなりに登攀シーンもあり、ちょっとだけ山岳小説っぽい。
 それにしても、今時死んだ時にデュプラを歌うクライマーなんていないでしょう!、と突っ込みたくなる古めかしさはご愛嬌か。


 

作 品 名
「十文字峠」(吉田 優子、1980年)
あらすじ
 私が初めて十文字峠を訪れたのは、今から12,13年前に夏の日だった。友人と二人で奥秩父武州側の麓・栃本の部落を朝早く発ち、深林の中を登り続けていたところ、途中で夕立になった。しばらく雨宿りをしていると、大柄な老僧がやってきて、しばらく同行することとなった。老僧は意外に話し好きで、尋ねもしないのに自らの生い立ち語り続けたが、息も絶え絶えだった私たちは相槌を打つのが精一杯で、話の半分しか耳に入らなかった。夕方になってようやく峠に辿り着いた私たちは、峠のすぐ側にある小屋に泊まって帰ったのだった。
 再び十文字峠を訪れたのは10年後の冬のことだった。老僧が言った「峠の栂の木は、冬の頃が一番美しい」という言葉が忘れられず、毎年、信州側の山麓を歩き回って過ごしていたものの、一人で雪深い山中を歩くのが怖くて、峠まで足を延ばすことができなかった。その年、いつものように凍り付いた千曲川まで来てノンビリ過ごしていると、何だかその先まで行けるような気がしてきて、峠に向かって歩き始めた。
 栃本からの道は深林の道を一日がかりで歩くが、戦場ヶ原からは急傾斜の谷を一気に登る形となる。一歩一歩雪を踏みしめ、高度を上げていった。雪面についた逆向きの足跡を辿るようにして歩いていった。途中、道を外れてしまったり、呼吸を整えるために立ち止まったりしながら登った。登るにつれて回りは栂の木ばかりになり、気のせいか雪の量も減っているようだった。
 ようやく峠に着くと、小屋から煙が出ていた。冬場もやっているのかと思い戸を開けると、中年の男性が囲炉裏で火に薪をくべていた。聞けば、正月だけ営業していたが、今日、山を降りるのだという。10数年前の小屋主とは別の人かと思ったが、話してみると、ずっと夫婦でこの小屋をやっているという。火にあたりながら、しばらく主人と世間話をして過ごした。いつぞやのお坊さんはここ数年来ていないという。私は暗くなる前に麓に着くよう小屋を後にした。
感 想 等
(評価 : D)
 短編集「十文字峠」に収録された1篇。いわゆる純文学と言うべきか、あるいは私小説というべきか分からないが、十文字峠へ向かう2度の旅路における、主人公のとりとめもない心情が描かれている。しかしながら正直に言ってしまえば、とりとめなさ過ぎて、著者がこの作品で何を伝えたかったのか分からなかった。
 ストーリーに起伏がなく、これというほどの特別な心情も吐露されておらず、残念ながら面白みに欠ける。帯には「奇妙な味の山岳小説」と書かれており、山や自然描写はあるが、山岳小説と言えるかは微妙なところ。短編集に収められている他の作品も、中年女性を主人公に、日常的な風景を舞台に女性心理が吐露されている。
山  度
(山度 : 40%)
 いわゆる登山ではないが、夏と冬における十文字峠までの道のりは、登山と通じるものがあるようだ。

  


 
作 品 名
「高熱随道」(吉村 昭、1967年)
あらすじ
 昭和11年、黒部の豊富な水量を利用した発電所を作るために、黒部第3ダムの建設工事が始まった。岩盤温度が最高で165度という高熱に、多くの人夫が倒れた。水かけ、送風など工夫を凝らしながらトンネル掘削を続けていくが、今度は珍しい泡雪崩に宿舎が吹き飛ばされ、大勢が犠牲になった。
 あまりの犠牲者に中止の声が強まっていったが、天皇陛下の御下賜金という後ろ盾もあって、工事は続行され、とうとう300数余名の犠牲のもと工事は完成した。
感 想 等
(評価 : C)
 とにかく人間の想像を遥かに超えた黒部の自然の猛威。人間の小ささを感じさせられてしまう。「壮絶」の一語につきる物語である。
山  度
(山度 : 10%)
 登山シーンがあるわけではなく、その意味では山岳小説ではない。が、雪崩など黒部の自然環境がふんだんに描かれており、リストアップした。
 
 
 
作 品 名
「富士山殺人事件」(吉村 達也、1994年)
あらすじ
 富士山頂で殺人事件が起きた。被害者は三杏ボトラーズの今中部長で、部下5人と共に富士山に登っての出来事だった。
 その前の晩、深川で栗原美紀子という女性が殺された。富士登山で事件に遭遇し、また深川の事件を担当することとなった志垣警部と和久井刑事が捜査をしていくうちに、2つの事件が結びついていく。
感 想 等
(評価 : D)
 なぜ富士山頂で殺したのかという点はナルホドと思わせるものがなくもないが、作者が山の素人である点がバレバレだし、設定や風景描写などはいまいち。落ちも途中で見えてきてしまう。
山  度
(山度 : 20%)
 富士登山の様子が描かれている。
 
 
 
作 品 名
「ウイニングボール」(吉村 達也、2011年)
あらすじ
 恋愛小説家として売出中の作家・沢口健太には、思い出したくない過去があった。地元長野での少年野球大会決勝戦での出来事だ。完全試合達成目前にキャッチャーの立花駿介がエラーをしたため、健太は駿介を責めて、ふて腐れた態度を取った。それに怒ったコーチの寺尾が、辛うじて勝ち取った優勝のウイニングボールを遠くに投げ捨て、健太の父・繁は公衆の面前で健太を平手打ちにしたのだ。以来、健太と両親の関係はギクシャクし、健太は大学入学のため上京して以降、地元に全く帰っていなかった。健太との関係を気に病んだ母が自殺を図った時も帰らなかった。
 そんなある日、健太の元に警察から連絡が入った。雪の西穂高岳山中で、霧島沙織が死んだというのだ。沙織は、健太が学生時代から付き合っていた元恋人で、健太のデビュー作「純愛の樹」は沙織との恋愛を描いた作品だった。沙織は、「純愛の樹」の単行本と、小学生時代に無くなったはずのウイニングボールを持っていた。恋愛作家として成長するためには多くの恋をしなければいけないとの思いから沙織をふってしまった健太だったが、本当に好きだったのは沙織だったことに後から気付いた。健太は、自らの生き方に対する後悔と死への誘惑にかられ、雪の西穂高岳に向かい遭難してしまう。一方、元コーチの寺尾や野球仲間だった駿介らは、地元戸隠や松本で民間の山岳救助隊員となっており、健太の急を知って救助に向かった。
感 想 等
(評価 : C)
 ウイニングボールの謎を絡ませつつ、親子関係や恋人関係など複数の人間ドラマをうまく取り込んだ作品。いわゆる冒険小説のような緊迫の展開やスピード感・スリル感などはないものの、安心して読め進めることができる。
 寺尾の正義感、駿介の爽やかなまでの潔さ、繁の親としての愛情・・・・個々には良いと思うし、読後感も悪くない。にもかかわらず、どこか物語に完全には入り込めない自分がいる。思うに、肝心の主人公である健太のキャラクターの描き方のせいではないかと思う。健太の行動は理解できなくはないものの、共感するにはちょっと問題があるし、その健太が悔い改めていく様が今一つうまく伝わってこない。その辺りが入り込めなかった理由ではないかと思う。
山  度
(山度 : 40%)
 山岳救助関連の描写については、よく調べ取材して書いているようで、リアリティがある。戸隠山を舞台にした山岳小説というのもあまり見たことがない。
 
 
作 品 名
「光る牙」(吉村 龍一、2013年)
あらすじ
 山岳カメラマンの渡辺が、冬の日高山脈に入ったまま下山してこない。その連絡を受けた森林保護官の樋口孝也は、上司の山崎とともに、入山届の目的地へと向かった。山崎は孝也よりも30歳も年が上だが、自衛隊レンジャー部隊に以前所属しており、厳しくも頼りになる上司だった。2人が目的地である行者返しに到着すると、辺りには血痕が点在しており、渡辺は頭を大きくえぐられた状態で雪の中に埋められていた。穴持たず、すなわち冬眠し損ねた羆の仕業だった。
 急遽、地元猟友会協力のもと山狩りが行われ、山崎の活躍により体重200数十キロの羆が仕留められた。だが山崎は、その熊が渡辺カメラマンを襲った羆とは別の個体だと気付いた。しかし早期に幕引きを図りたい道警は、山崎の忠告を無視して、マスコミに対して終結を宣言してしまった。
 翌年5月、再び羆による食害事件が起きた。偶然近くにいた山崎と孝也は、ランドクルーザーで現場に駆けつけると、羆の追跡を始めた。すると、途中で銃声が聞こえてきた。急いで音のした方に向かうと、道議会議員だという若林と名乗る男が倒れており、羆を手負いにしてしまったという。手負いの羆は執念深く、必ず復讐してくる。孝也と山崎は若林を連れて下山を開始したものの、そこを羆に襲われた。その羆は白熊で、体長3m以上と想像を絶する大きさだった。若林は羆に殺され、山崎は行方知れず。孝也は羆の手から逃れるべく、1人でゲンカイ沢に停めたランクルを目指した。
感 想 等
(評価 : C)
 「熊嵐」(吉村昭)や「ファントム・ピークス」(北林一光)など羆との死闘を描いた作品をいくつかあるが、本作も含めてそれらの作品はいずれも、羆の恐ろしさと自然の脅威を生々しく描いており、自然への畏敬の念を新たにする。本作は、ようやく一人前の森林保護官らしくなってきた孝也が、初めて本当の意味での死地を経験して強くなっていく成長譚としての側面、羆と人間の死闘を描く冒険小説的な側面とがあり、それぞれ面白い。
 どこまで意識して書いているのかわからないが、文章をとにかく短く切っており、その文体が臨場感を醸し出している。また、元自衛官という著者の経歴・知識も如何なく活かされている。羆の生命力の強さは、思わず突っ込みを入れそうになるほどのしつこさ。多少、やり過ぎの感もなくはない(もしかしたら、実際にそうなのかもしれないが・・・)。
山  度
(山度 : 50%)
 山を舞台にしたアニマルクライシスものは、山岳小説のリストに入れるべきかいつも悩むのだが、本作では、山岳カメラマンの雪山でのシーンや、救助に向かう2人の登山シーン、ザイルとカラビナを使った懸垂下降など、登山の雰囲気もあったので。一応入れることにした。