山岳小説(国内)・詳細データ 〜さ行〜
 
 
 
作 品 名
「白い華燭」 (嵯峨島 昭、1974年)
あらすじ
 協業精糖秘書課の菅原朝子は、会社のスキー旅行で白馬に来て、営業課に勤務する山男・高木と知り合い、お互い惹かれ合うようになった。しかし、ちょっとした行き違いからその愛は実らず、高木は会社を辞めてしまった。以来6年間、朝子は誰を好きになることもなく、高木との思い出だけを胸に秘め、なんとなく過ごしてきたのだった。
 スキー旅行で朝子が白馬に来たのは6年ぶりのことだった。一緒に白馬まで来て山へ向かった同僚の斉藤が、雪崩に巻き込まれて遭難したという知らせが入った。しかも、パートナーはあの高木だった。
 高木1人が助かり、斉藤は行方不明のまま見つからない。高木は既に斉藤の妹・真佐子と結婚していたが、斉藤の捜索活動を手伝っているうちに、朝子と高木の距離は急速に縮まっていった。斉藤には業務上の横領の嫌疑がかけられていた。高木は、斉藤の嫌疑を晴らすために、遺体捜索に全精力を傾けた。一方で、朝子への思いを断ち切ることも難しかった。朝子も木の妻・真佐子に悪いと思いつつ、6年間暖めつづけてきた高木への想いは断ち難く悩み苦しんでいた。
 斉藤の遺体派どこに消えたのか?斉藤に罪を被せ、高木を犯人にしようとする小野寺常務や村越課長らの陰謀に翻弄される2人…。
感 想 等
( 評価 : B)
 嵯峨島氏が芥川賞作家とは知らなかったが、ミステリーとしても恋愛小説としてもよくできている。男性諸氏にとっては、今は死に絶えたような菅原朝子のけなげさ・可憐さが、また女性諸氏にとってはこれまた今時珍しいような山男・高木の男気がたまらない。そんな2人が不倫するのだから世の中はままならない。山岳小説としてはともかく、古き良き恋愛小説としては、なかなか面白い。
山  度
( 山度 : 20% )
 高木と斉藤の白馬冬山行、遭難、そして捜索活動。山に関連した部分が、物語の1つの軸となってはいるが、いわゆる山や山行に係る描写は前半の一部分のみ。

 
 
 
作 品 名
「山あり愛あり」 (佐川 光晴、2013年)
あらすじ
 大鉢周三は、20年間務めた大手銀行を自主退職した。銀行ではずっと、不良債権処理に追われる日々だった。もともと銀行には興味などなかったのだが、山岳部の先輩に誘われるまま面接に行き、バブル真っ盛りだったことに加え、大蔵官僚の叔父の威光もあって、そのまま銀行に就職することになってしまったのだった。
 退職してからは学生時代に打ち込んだ山登りを再開するつもりでおり、当時の友人・井上に誘われて、松本の大学講師の仕事も決まっていた。ところが、銀行の時にお世話になった榊原弁護士の依頼をきっかけに、周三は思わぬ事態へと巻き込まれることになった。榊原弁護士の依頼は、大物ミュージシャンの枝川充彦に会い、母子家庭支援のNPOバンクへの出資を取り付けて欲しいというものだった。運よく枝川に気に入られ、出資の約束を取り付けることに成功した。周三自身、母子家庭で育った身だったが、自らの子供のことを全く顧みなかった母親を憎み中学の時に絶縁しており、複雑な思いをぬぐえなかった。
 そんな折、長い間絶縁していた母親が脳動脈瘤破裂で倒れて長くないことを知らされ、周三の悩みは深まるばかりだった。しかし、榊原弁護士、その事務所で働く梅本さん、今は亡き壮一郎叔父や妻の牧恵など、周囲の人々の思いに押されるようにして、周三はNPOバンクの職員として働くことを決めたのだった。
感 想 等
( 評価 : C)
 会社を早期退職し、悠々自適の生活を送るつもりだった40代半ばの中年男性が直面する人生の選択。そんな主人公を通して、親子関係や夫婦関係、人の生き甲斐など、より良く生きようともがき悩む人間像が描かれる。テーマ、ストーリーともなかなかいいのだが、どういうわけか惹き込まれる感じがしない。なぜなのだろう。
 その理由として思いつくのは2つ。1つは物語の展開がやや単調な感じがすること、もう1つは主人公が今一つ魅力的でないこと。前者は、昨今の小説がテクニックとして読者を惹き付けることに長けてきていることの影響のようにも思われ、一読者として反省する部分もある。後者については感覚的なものなのでうまく言えないが、読者が共感するような熱気が主人公に足りない気がした。
 またこのタイトルは内容と合っているのだろうか。ちょっとピンとこない。
山  度
( 山度 : 20% )
 登山やクライミングのシーンは、夢の中で一部出てくることを除けば、ほぼないに等しい。しかし、主人公が元山男で、何かにつけて山への思いや登山に例えたりするシーンが出てくる。また山で亡くなった先輩の話、山岳部時代のエピソードなど、登山関連の話が随所に出てきてくるので、山度20%とした。読んでいて、主人公はもちろんのこと、作者も山が好きなんだろうなぁという雰囲気が伝わってきた。


 
作 品 名
「ほま高登山部ダイアリー」 (細音 啓、2017年)
あらすじ
 県立ほまれ高校に入学した冬嶺冬馬(ふゆみねとうま)は、同じ中学校出身の美少女・之々星縁(ののぼしゆかり)に告白するつもりでいた。1年以上前から之々星に片想いしていた冬馬は、彼女と同じ高校に入ることを目標に受験勉強に励み、晴れて同級生となったのだった。
 告白の練習を何度もした。ただ、同じクラスになれなかったため、冬馬はどうやって告白するか思い悩んでいた。ところが、廊下でバッタリと之々星と鉢合わせした冬馬は、頭が真っ白になり、いきなり「好きです」と言ってしまった。「わたしも」と言われて喜んだのも束の間、冬嶺の手には、登山部のページが偶然開かれた状態の部活紹介冊子が握られており、告白した場所は登山部の部室前だった。登山部に入ろうとしていた之々星に、登山が好きだと勘違いされた冬嶺は、やむなく登山部に入部するハメに陥ってしまった。
 廃部寸前の登山部の部員は、姉御肌で登山部と演劇部を兼務する3年の御傘マリ部長、筋肉好きの変態フェチメガネ・3年の司馬信成副部長、スウェーデン人とのハーフで絶世の金髪美少女である2年の水守ガブリエッラの3人。冬馬と之々星を入れても5人で、辛うじて廃部を免れる程度の人数だった。
 登山に向けたトレーニング、アウトドア専門店での登山グッズ購入、登山パンフレットの作成、そしては初めての金時山登山といった部活を通じて、冬馬と之々星の距離が少しずつ近づくと同時に、冬馬は登山の面白さに気付いていくのだった。
感 想 等
( 評価 : C)
 登場人物たちの個性的なキャラクター、多少強引ながらもコミカルな展開、笑いありハートウォーミングありと、さすがライトノベルといったところか。メインは主人公の恋物語。そこを彩る重要な要素として登山が存在するわけだが、別に遭難するわけでも、一緒に困難を乗り越えるわけでもなく、特に波乱は起きない。そういう意味では登山部である必然性はない。あるとすれば、廃部寸前で新人が2人だけという連帯感を生むマイナースポーツということくらいだろうか。
 著者は、高校時代に登山部だったとのことで、登山初心者向けのノウハウ本的な性格も多少ながら有している。話的には冒頭から登山部が出てくるのだが、トレーニングやパンフレット作りなどの前段が長いため、実際の登山はラスト1/4程度。でもまぁ、登山がメインではなく、「ザ・青春」物語なので、甘酸っぱくもどかしいストーリーを楽しもう。
山  度
( 山度 : 30% )
 正直、他人の登山靴を履くとか意外感が強かったが、私自身は高校山岳部を知らないので、その辺は気にしないこととする。ただ、登山道の分岐などを分かりやすくするために、地図の代わりに、手書きで書き写した地図を持っていくというのは、いくら何でも頂けない。これだと、道迷いの時に困ると思う。


 
作 品 名
「雪崩路」 (篠崎 博、2006年)
あらすじ
 日本を代表する登山家で新聞記者の由木四郎は、大学時代の同級生である野村鉄也、沙沙俊介、後輩の阿形大知、日野春夫らとともに、大学の周年記念行事としてカラコルムのK2を目指していた。登攀隊長に選ばれた由木はアタックに参加しなかったものの、隊は無事登頂を果たした。しかし、日野が雪崩にやられて死に、野村も片足を切断した。
 K2から戻った由木は日野の妹夏子と結婚し幸せな生活を送っていたが、次の山として以前からの課題だった、南米アンデスのネバド・チュルパ(墳墓の山)を目指すこととなった。今度のメンバーは由木、阿形、夏子の3人だった。3人は苦闘を続けながら、墳墓の山、ネバド・チュルパを目指す。
感 想 等
( 評価 : E)
 登場人物が突然出てきたり、何の背景もなく物事が語られていたり、また舞台にしている時代もわかりにくい(1970年代頃?と思われるが、全く触れられていない)。文章が全般的に独りよがりな感じがし、話がどうも見えにくい。そもそも作者がこの小説を通して何を言いたかったのかよくわからない。
山  度
( 山度 : 50% )
山度は結構高く、国内外の登山が出てくるのはいいのだが、肝心のストーリーに惹きつけるものがないと、山のシーンも生きてこない。

 
 
 
作 品 名
「カノン」 (篠田 節子、1996年)
あらすじ
 小牧瑞穂があと少しで40歳になろうというある日、彼女が学生時代に思いを寄せた香西康臣が自殺した。瑞穂と康臣、そして彼の親友小田嶋正寛は、学生時代に康臣の別荘にこもってアンサンブルの合宿をしたことがあった。康臣への瑞穂の想いはきちんと伝わらないまま、3人は別れ別れになっていた。
 その康臣が、バッハの「反進行における拡大によるカノン」を弾きながら自殺し、それを逆回しに録音したテープを瑞穂に残した。テープを聞いてからというもの、息子が突然喘息の発作を起こしたり、康臣の亡霊をみたりと、変なことが立て続けに起きた。テープに触発されたのか、正寛までが仕事と家庭を捨てて、穂高に逃げ込んでしまった。
 康臣は何の為にそのテープを残したのか。正臣の死を通じて、瑞穂は張りぼてのようにごまかしてきた自分の生活を見つめ直し始めていた。
感 想 等
( 評価 : C )
 ミステリーのようなホラーのような不気味な展開でありながら、人間の深層心理をどぎつく抉るような作品。謎が全て解き明かされたのかと言われると、やや曖昧な気もするので、その意味では超常現象として済ませてしまっているのか。
 30代後半といえば、もう人生の折り返し地点に達する。人生を振り返って、今一度出直す最後のチャンスでもある。生きることの意味を再確認させられる作品と言えよう。
山  度
( 山度 : 5% )
 前半に槍・穂高間の大キレットが少々、後半に新穂高温泉から奥穂高岳までの登山シーンが少々といった程度。たいして出て来ないが、他の作品にもちょっとずつながら山岳描写が出てくるところからすると、この女流作家、山が好きらしい。

 
 
 
作 品 名
「飢えて狼」 (志水 辰夫、1981年)
あらすじ
 元アルピニストで、三浦海岸でボートハウスを経営する渋谷は、ボートのエンジン試運転中に大型クルーザーに襲われるという事件に遭遇した。しかも、かろうじて戻って見ると店は放火され、従業員の北原が焼死していた。
 その背景には、日米学際協力振興会と称する米国系調査組織が彼に近づいてきたことが関係していると考えられた。択捉島からスパイを脱出させるために、渋谷の登攀能力が必要だという彼らの申し出を一度は断ったが、愛する順子のために結局は承諾した。
 択捉島に向かった渋谷は上陸したもののソ連兵の待ち伏せに会い、択捉から国後島経由で逃げ、命からがら脱出した。
 東京に戻り、なぜ待ち伏せされたのか探る渋谷。事件は数年前の友人の死と繋がっていた・・・。
感 想 等
( 評価 : C )
 冒険スパイ小説として評価が高い一作。日本の冒険小説の草分け的作品とのことで、書かれてからかなり時間の経った今でも古臭さは感じられない。最近の作品と比較してもよくできていると思われる。ただ、個人的な好みの問題として言えば、複雑化させた物語、敢えてバックボーンを語らないストーリー展開、お決まり(?)のどんでん返しなどはあまり好きではない。
山  度
( 山度 : 10% )
 元アルピニストが主人公であるが、登攀シーンはごくわずか。択捉での岩登りと、過去の回想シーンで、谷川岳での遭難が出てくる程度。

 
 
 
作 品 名
「生還者」 (下村 淳史、2015年)
あらすじ
 世界第三位の高峰カンチェンジュンガで大規模な雪崩が発生し、日本人登山者7名が巻き込まれた。うち4名が遺体で発見された。その中に、登山を止めたはずの兄がいた事を知って、増田直志は動揺した。
 4年前、兄とその婚約者・清水美月が参加した白馬岳の冬山ツアーが、山岳ガイドのミスにより遭難し美月が死んで以来、増田は兄と会っていなかった。美月に憧れて登山を始め、いつか想いを打ち明けようと思っているうちに、美月は兄と婚約してしまった。兄のせいではないことを分かっていながら増田は、「美月が亡くなったのは兄貴のせいだ」と兄を責めてしまった。そのことを謝る機会を逸したまま、兄が死んでしまった。兄の遺品を整理していた増田は、兄がカンチで使っていたロープに人為的な切れ込みがあることに気付き愕然とした。兄は誰かに殺されたのかもしれない。
 雪崩から一週間後、カンチをソロで登っていた高瀬という男が奇跡的に生還した。彼は、悪天候で食料が尽き、遭難しかけた時に登山隊に出会い、助けを求めたものの断られたと証言。やむなく独りで下山していたところ、登山隊の一人加賀谷が追いかけてきて、食料を分けてくれた上に、一緒に下山してくれることになった。ところが、その途中で雪崩に巻き込まれ、高瀬1人が生き延びたのだという。高瀬は、加賀谷を「山のサムライ」と褒め称えた。
 その少し後、今度は登山隊の1人東恭一郎という男が生還した。東によると、高瀬とは出会っていない、加賀谷は登山隊の食料と装備を奪って逃げた卑怯者だという。2人の証言はどちらが真実なのか、兄はなぜ4年ぶりに山に戻ったのか、兄貴は誰かに殺されたのか。多くの謎を解明するため、増田は新聞記者の八木澤恵利奈と一緒に、真相究明に乗り出した。
感 想 等
( 評価 : B )
 カンチでおきた遭難事故。食い違う生還者2人の証言。どちらが真実を語っているのか・・・。という展開で、否が応でも引き込まれていってしまう。多くの謎きを散りばめ、それらをラスト間際に綺麗に回収していく展開は見事。
 (以下、ややネタバレあり)ハッピーエンドと言えるのか微妙だが、結果から見ると誰も悪くない、皆が苦しみながら生きているのに、ちょっとしたボタンの掛け違いが悲劇を生んでしまったのは、なんともやるせない。恋愛を絡める必要があったのか微妙だが、こちらも座りの良いラストで一安心。一気に読める、面白いミステリー作品です。
山  度
( 山度 : 90% )
 山岳関連の描写は、非常によく調べて書かれている。専門用語にも丁寧な説明がついていて、登山素人の方でも読みやすいと思う。ただ、読んでいて何だか違和感がある。
 ということで調べたら、下村氏は登山経験がないとのこと。N型アンザイレンとか、八の字結びとか、山に詳しい人が書いたら逆に省略しそうなことまで書かれている。また、冬富士の厳しさの比較対象に夏のキリマンジャロを出したりするのも違和感がある。それに、カンチで8本爪アイゼンって、いくらわざととはいえ、あり得ないでしょう。とまぁ、多少の違和感はあるものの、面白くて良い本でした。



 
作 品 名
「失踪者」 (下村 淳史、2016年)
あらすじ
 真山道弘は、10年前にクレバスに消えたザイル・パートナー・樋口友一の遺体を回収するために、南米シウラ・グランデ峰に来ていた。ようやく探し出した氷漬けの樋口の遺体は、なぜか年を取っていた。10年前に実は生還しており、その後また戻ってきて、同じクレバスで死んだとしか考えられない事態だった。山麓の村に戻った真山は、10年前のことを知る者を探し出し、実は樋口が奇跡の生還を果たしていたことを知った。真山は、生還後の樋口の足取りを追うことにした。
 真山が初めて樋口と出会ったのは、25年前、大学山岳部対抗の登山大会でのことだった。樋口は、自分勝手で傍若無人な態度とった一方で、類まれなる行動力を見せ、たまたま窮地を救われた真山に強烈な印象を残したのだった。樋口の許に押しかけ、半ば強引にザイルパートナーとなった真山は、孤高の登山家だと思っていた樋口が決して人嫌いではないことを知った。真山と樋口は2人で日本中の山を登り、壁をよじった。K2登頂が夢だという樋口に、真山も付き合うつもりだった。
 大学卒業後、樋口はアルバイトしながら山を続け、真山は山岳用品販売店に就職した。27歳の時にパタゴニアのフィッツロイに登攀した2人は、夢だったK2に向けて動き始めた。しかし、出発直前になって真山の会社の業況が悪化し、真山は部署を異動になった。真山は会社を辞めるか、K2を諦めるかの選択を迫られ、会社を選択した。以来、真山と樋口のザイルパートナーは解消した。
 数年後のある日、先輩の誘いで山岳カメラマンに転身していた真山は、テレビ番組を通じて樋口の消息を知った。樋口は、日本人初の8000m峰14座登頂を目指す若き人気登山家・榊知輝の山岳カメラマンとなっていた。しかし、榊の成功に反して、樋口は立て続けにリタイアしており、真山は撮影の為に無理をしているであろう樋口を思って、やるせない思いを禁じ得なかった。しかし、エベレスト挑戦中に榊の妻が亡くなったことをきっかけに榊が登山界から引退し、樋口も表舞台から姿を消した。山岳用品メーカーから、新製品の宣伝用のために難壁シウラ・グランデ西壁に挑戦する登山家の映像を依頼された真山は、その登山家として樋口を推薦した。真山の熱意が通って、樋口と真山のシウラ・グランデ挑戦が決まった。
感 想 等
( 評価 : B )
 江戸川乱歩賞作家が、前年に続いて描く山岳ミステリー。個人的には前作よりも良いかもしれないと思う。物語は時系列的に前後しながら進むが、その構成が上手いため違和感はない。ラストでしっかりと伏線を回収するあたりもさすが。山岳ミステリー的には必ずしも新しいネタではないが、描写のうまさで現代風のストーリーとなっている。
 前作もそうだったが、下村氏の物語には、小さなミスやちょっとした出来心のために一生悩み続け、命を賭けてまで償おうとする真摯な生き方が描かれている。だから、人の死を題材にしながらも、読後感が悪くないのだろう。登山描写には多少の違和感はあるものの、それを気にさせないだけのうまさがある。
 個人的には、樋口のキャラ描写が気に入っている。「神々の山嶺」の羽生丈二は森田勝をモデルにしているが、本作の樋口の方が私個人の森田勝のイメージに近いかもしれない(勝手な想像ですが)。実は、人間が好きな?孤高の登山家“、その悲哀がよく表れているように思う。
山  度
( 山度 : 100% )
 山岳描写的には、前作の影響による多少穿った見方も含めて言ってしまえば、今さらアコンカグアのノーマルルートでスポンサーはつかないだろうとか、94頁過ぎはソロクライムなのに登り返しているようには見えないとか、10年も前に落ちたクレバスを探し出すことができるのかなど、気になる点はある。

 

 
作 品 名
「クライムダウン」 (秀 香穂里、2013年)
あらすじ
 小田切恭一と志摩弦は、高校時代に付き合い始め、以来10年間になる。恭一は頭脳明晰・眉目秀麗で八方美人、誰からも愛されるような男だが、実は傲慢・尊大な自信家で、他人の心を読んで手駒として好きなように動かそうとする鼻もちならない人間だった。心理カウンセラーの弦は、恭一の恋人であるにも関わらず恭一からぞんざいな扱いを受けていたが、その立場を甘受し続けていた。そこには弦が育った家庭環境が大きく影響していた。弦は厳しい父親の元で育てられ、暴力で言うことを聞かされて育ったために自分の存在価値を見出すことができずにいた。そのため、たとえ一方的に扱われる恋愛であっても、自分を必要としてくれる恭一との関係を断ちきれずにいたのだった。
 恭一には一哉という双子の弟がいたが、恭一と一哉は正反対の性格で、二人の仲はあまりよくなかった。恭一を通じて一哉と知り合った弦は、一哉の優しさ・温かさに触れ、一哉に惹かれている自分に気付くのだった。
 そんな折、恭一と一哉の2人で西穂高から奥穂高への縦走登山に行くことになった。元ワンゲル部の恭一と元山岳部の一哉は、登山に関してだけはリズムが合うようで、時々一緒に登山に出かけていた。生憎の天気のなか西穂山荘を出発した2人は、間ノ岳、間天のコルと順調に進んでいった。しかし天候はさらに悪化し、天狗の頭を越えたところで2人は先に進むべきか引き返すかで言い争いになった。先へ進もうとする恭一が一哉を追い越そうとした瞬間に足を滑らせ、ザイルで結ばれていた一哉と一緒に滑落してしまった。2人が行方を断って3日目の朝。捜索ヘリが出発しようとしたその時、岳沢小屋に救助を求める男性1人が駆け込んできたとの連絡が入った。
感 想 等
( 評価 : C )
 付き合い相手との関係に不安を感じていたところに現れた別の相手。2人への気持ちで揺れ動いている最中、その2人が一緒に登山に出かけ、1人だけが生きて帰ってきた。話としては映画「氷壁の女」と同じだが、本作ではその先にもう一捻りある。捻りの部分は読んでいてわかってしまうので、もう少し早く明かして良いように思いますが、展開としてはありかと思います。
 ただですねぇ、この話、BLなんです。主人公の名前をみればわかるように三角関係(?)にある3人全員が男性で、しかも本作は官能小説的な部分に結構なページ数が割かれており、かつ描写もかなり濃厚です。男性としては、ちょっと想像したくないというか、理解しがたいです。そこはまぁ、好みの問題なので致し方ないのですが、登山を絡めた恋愛小説だと思えば決して悪くないです。
山  度
( 山度 : 30% )
 著者は、ご自身でも登山をされる方のようです。オーバーハングやクライムダウンといったクライミング用語については、分かりやすく表現しようとしたのか時々変な使い方になっている箇所もありますが、登山描写には違和感はありません。

 
 
 
作 品 名
「脳男」 (首藤 瓜於、2000年)
あらすじ
 連続爆弾犯のアジトに乗り込んだ茶屋警部は、犯人と格闘していた男を共犯者として逮捕した。鈴木一郎と名乗るその男の精神鑑定を担当することとなった精神科医・鷲谷真梨子は、鈴木が感情を持たないことに気付いた。真梨子は、最近新聞社を経営していたという以外に過去が全くわからない鈴木の過去を調べ始めた。
 鈴木は実は愛宕市では有名な入陶財閥の孫・大威(たけきみ)で、当主倫行(のりゆき)が死んだ大火事以来行方不明になっていた。火事の後、鈴木は入陶の右腕だった氷室に引き取られたが、氷室邸に強盗が入った時を境にそれまで自閉症で言葉すら話さなかった状態から徐々に成長し始め、変わって行ったのだった。
 鈴木が鑑定を受けている病院に爆弾が仕掛けられた。犯人は連続爆弾犯の緑川。鈴木は犯人なのか、それとも・・・。緑川の目的は一体何なのか。
感 想 等
( 評価 : B )
 まず、ミステリーとして、先が見えず読み応え充分。加えて感情のない鈴木一郎という特異なキャラクターを通じて、自我とは何か、人間とは何かを考えさせられる。誰もいない砂漠の中に信号があっても、彼らはそれを守る、との例えは秀逸だ。感情のない鈴木一郎の醸し出す哀感がスゴイ。鈴木一郎の再登場に期待したい。
 自分は精神病の専門家でも何でもないが、学生時代に数十人の自閉症児と接した経験から言えば、自閉症は食べる・寝るといった本能を含めて感情・欲求はあるが、理性・知性の面で劣るというのが一般的ではないかと思う。犬やネコでも笑ったりすることがある。人間と動物の違いは、理性の有無にあるのではないだろうか。では、感情がないのに優れた知能を持った鈴木一郎とは何なのか。奥が深い。その存在は人工知能に支配されたロボットを思わせ無気味である。
山  度
( 山度 : 5% )
 鈴木一郎が若かりし頃、トレーニングの一環として登山をやっており、谷川岳登攀のシーンなども出てくる。しかし、あくまでエピソードの1つに過ぎない。山度5%としているように、山岳描写についてはそのつもりでお読み下さい。

 
 
 
作 品 名
「風を踏む」 小説『日本アルプス縦断記』 (正津 勉、2012年)
あらすじ
 大正4(1915)年7月、俳人の河東碧梧桐(へきごとう)、天文学者の一戸直蔵、新聞記者の長谷川如是閑(にょぜかん)の3人は、針ノ木峠から槍ヶ岳を経て上高地まで下る、日本アルプス縦断を敢行した。そのルートは、関西山岳界の開拓者である榎谷徹蔵が、4年前に初縦走に成功させたコースで、踏破すれば第二登になるという難ルートだった。発端は調査紀行などという表向きの事情ではなく、ただ単に、如是閑が新聞社での激務とゴタゴタに疲れて、疲弊しきっていたために言い出したことだった。
 俳人で登山家しても一級の碧梧桐や、天文台設置のために新高山に二度も登った一戸博士はともかくとして、生来虚弱体質の如是閑が一番問題だった。それでも3人は、信濃大町の對山館に泊って準備し、7月14日に人夫7人とともに入山した。針ノ木の雪渓を越え、先人や猟師の鉈目を頼りに、藪を漕ぎ、断崖をわたり、道なき道を歩いた。その間、如是閑の体調悪化、一戸博士のバロメーターの破損などのアクシデントに見舞われながらも、3人はなんとか乗り越え、21日に上高地まで辿り着いた。
 1920年に一戸博士が亡くなった時も、1937年に碧さんが亡くなった時も、追悼の筆を採った如是閑は、3人で行った日本アルプス縦断のことを懐かしく思い起こすのだった。
感 想 等
( 評価 : D )
 河東碧梧桐、一戸直蔵、長谷川如是閑、お恥ずかしながら3人とも知りませんでした。その辺の3人の業績も小説の中で語られていて勉強になります。本書は、前記の3人による「日本アルプス縦断記」を元にしているそうだが、その原書はかなり古いため難読な代物だそうである。それを分かりやすく小説にしたとのことだが、それでもなんとなく読みにくいのは、時代の雰囲気を出そうとしているせいだろうか。大正時代、登山黎明期の雰囲気や登山方法などを味わえる点が本書の魅力だが、どういうわけか山行のハードさが今ひとつ伝わって来ないのが残念。
山  度
( 山度 : 70% )
 物語のメインは、針ノ木峠から蓮華岳、七倉岳、烏帽子岳、野口五郎岳、双六岳、槍ヶ岳と歩いて、上高地へと下る10日近い縦走シーン。今とは違う登山スタイルも興味深い。



 
作 品 名
「ひとうま譚」 (白石 一郎、1989年)
あらすじ
 お季(すえ)が嫁いできた豊後の大庄屋竹下家は、登山好きな藩主・中川久清が九重連峰大船山に登る時に、登山基地となる御茶屋を仰せつかっていた。お殿様が大船山に登る時には、人馬(ひとうま)と呼ばれる馬の鞍を改造したような道具にまたがり、担ぎ手が一人で担いで登るのが常だった。
 お季が嫁に来た翌年の春先、その担ぎ手が菅軍兵衛から息子の軍蔵に代わるということで、練習のために軍蔵が人馬を担いで大船山に登ることになった。その際、背格好や重さが殿さまに似ているという理由で、お季が人馬に乗ることになった。「殿様のためのご奉公と思え」と言われたお季だったが、山は寒く、不安定な人馬に揺られながらの登山は生きた心地がしなかった。しかし、山頂で生まれて初めて見た雄大な景観に、お季は言い知れぬ感動を覚えていた。病弱で山に登ることができなかったお季の夫・弥五兵衛に比べ、引き締まった軍蔵の体は圧倒的な美しさを持っていた。
 4月、人馬の担ぎ手という大役を果たした軍蔵は、お殿様からもお褒めの言葉を頂いたという。それを聞いたお季は、自分のことのように嬉しかった。
感 想 等
( 評価 : C )
 年代が明示されていないが、江戸初期の思想家・熊沢蕃山の名前が出てくるので、1600年代の話なのだろう。恐らく大筋では史実なのだろうが、細部はどこまでが実話なのかよくわからない。でも、この時代の独特な登山の様子が垣間見えて面白い。
 そして、口には出さないものの、お季と軍蔵の淡くほのかな恋情が時代を映しているようで、もどかしいながらも清々しい。同じ文庫に収録されている火山小説「島原大変」のラストもそうだったが、先の展開を予感させるような、描き過ぎない終わり方が、心地よい読後感をもたらしてくれる。
山  度
( 山度 : 20% )
 山岳小説とは言い難いが、登山シーンもあるし、登山史の1ページ(?)ということで、リストに入れておきます。



 
 

作 品 名
「我が青春の北西壁」 (涼元 悠一、1992年)
あらすじ
 星桐高校山岳部の伝統的行事として、かつて文化祭で毎年行われていたという校舎登攀。冬山禁止やロッククライミング禁止などにより没落の一途を辿ってきた山岳部の栄光を取り戻すべく、残された未踏ルート2つのうちの1つ、C棟南東壁ルートVを去年の文化祭で登ったのが、我々2年生部員の2つ上の相羽重幸先輩だった。その相羽先輩から、今年は、残る未踏ルートA棟北西壁を登るようにという指示が下された。
 その北西壁登攀に挑むのは、補習で遅れた私・浜岸信彦だった。あの伝説の凶悪な相羽先輩に逆らうことはできない。私は仕方なく、同じ2年生部員の藤本にビレイを頼み、埋め込みボルトとアブミを使って北西壁を登るべく、道具の準備と訓練を重ねた。
 後は登るだけだ、と覚悟を決めていた我々を、文化祭当日に大雨が襲った。2日間の文化祭中に登らなければ、相羽先輩に言い訳できない。雨はなんとか止んだが、2日目の夜8時には部室を追いだされた。我々は、校長の見回りをかいくぐって、北西壁に取りついた。
感 想 等
( 評価 : C )
 集英社の第16回(1990年度下期)コバルト・ノベル大賞(現ノベル大賞)の大賞受賞作品で、第16,17回に入選した三作品を収めた「コバルト・ノベル大賞入選作品集」Gに所収されている。審査員の寸評が付いている点がいい。ちなみに、第16回の審査員は、池田理代子、北方謙三、高橋三千綱、夢枕獏の各氏。
 本作はいわゆるライトノベルである。当然文体は軽いが、その軽さが本作の味であり、良さとなっている。ストーリー的には校舎の壁をクライミングで登るというそれだけなのだが、流れも自然で、ちょっとした捻りも効いていて面白い。ただ、クライミングシーンの描写はやや分かりにくい。
 また、選者にも指摘されていた一人称・三人称の問題は、私でも気になったくらい致命的なミスなので、文庫に収録する際に直してしまっても良かったのではと思う。
山  度
( 山度 : 90% )
 主人公を始めとする登場人物は高校山岳部員。いわゆる登山シーンはないが、山岳部っぽさや、登攀具の名称など、雰囲気はたっぷり。

 
 
 
作 品 名
「岳 -ガク-」 (世良 ふゆみ、2011年)
あらすじ
 海外での放浪山行から帰って来た山バカ・島崎三歩は、北アルプスで遭対協の山岳救助ボランティアとして遭難救助を行っていた。そんな三歩が暮らす北アルプスを管轄する北部警察山岳遭難救助隊に、椎名久美巡査が配属された。久美は山に関しては素人だったが、日々、救助隊や三歩と訓練を積んでいった。
 三歩の踏ん張りもむなしく横井ナオタの父を助けることができなかったこと、休日にクライミング事故に遭遇して久美の背中で青年が亡くなったこと、自らの不注意で遭難しかかり助けられたこと、いろいろな経験を重ねて、久美は少しずつ山岳救助隊員として成長していった。
 久美が配属されて1年近く経つ頃、バクダン低気圧が近づく冬の北アルプスで、3パーティ12名という多重遭難が発生した。梶一郎・陽子親子2名の救出に向かった久美は、崖の上まで2人を引っ張り上げたものの、悪天候のためヘリの飛行が安定せず、要救の収容は困難を極めた。梶一郎の収容を諦めざるを得ない状況に至り、久美は梶救出のためヘリから飛び降りた。バクダン低気圧の中、遭難者とともに山に取り残された久美。野田隊長が救助活動打ち切りを宣言したにも関わらず、一人山へと向かう三歩。悪天候が、雪崩が、彼らを襲う・・・。
感 想 等
( 評価 : C )
 映画「岳−ガク−」のノベライズ作品。同じノベライズでも小学館文庫は一般の方向けで、こちらは子供向けの小学館ジュニアシネマ文庫で、著者が異なる。当然ストーリーは一緒なのでどちらが良いというわけでもないが、それぞれに良さがある。
 まず、子供向けの方がセリフなどがシナリオに忠実に書かれており、一般向けは多少アレンジされている。これは著者の性格や考えにもよるのかもしれないが、それに加えて分量の差が影響しているのだろう。一般向けが232Pで、子供向けが188P、行数の違いや文章を平易にするための工夫なども考慮するともっと差があると言っていいだろう。その分、子供向けは内容を絞り込まざるを得ず、アレンジの裁量は狭まってしまう。一般向けの方は映画には描かれていないエピソードなども入れ込んでおり、それが奥行きを深めているのだろう。とはいえ、子供向け作品にも映画にはないエピソードを入れている箇所があり、両作品とも原作を読んで書いているのだと思ったら、なんだか嬉しかった。
 またこれは人により判断や考えの分れるところだろうが、子供向け作品において、カッコ書きで説明を付けつつも、専門用語をそのまま使っている。そこが良かったと思う。正直「安全環(開口部が開かないようにロックする装置)」とか書かれても、文字だけでは知らない人には何のことやらさっぱりわからないだろうと思う。でも、スリングとかカムとかそういう用語を目にすることで、子供たちの潜在意識の中に何かが残ってくれれば、将来の登山ブームにきっと影響するに違いない、などと勝手に思っている。
山  度
( 山度 : 100% )
 一般向けも子供向けも、山度は満点です。そういうものが、子供向けに出されているというだけで嬉しい。


 
作 品 名
「寺田屋異聞 有馬新七、富士に立つ」 (千 草子、2015年)
あらすじ
 安政4(1857)年6月、薩摩藩士の有馬新七は、讃岐丸亀藩士の大西履道と一緒に江戸を出て、富士登山を目指していた。途中、保土ヶ谷や大磯に泊まり、4泊5日で須走に着いた。
 新七と大西は、強力に道案内を頼み、意気揚々と登っていった。七合目の石窟で1泊し、翌6月10日風雪を衝いて登り続けた2人は、富士山に登頂した。大西は正体もなくのびていたが、新七にはまだ余裕があった。
 翌安政5年に井伊直弼により日米修好通商条約が調印され、新七ら尊皇攘夷派は倒幕を強く意識した。新七は、幕府の目をかいくぐりながら、江戸・京都・大阪と奔走し、各地の情勢を探るとともに、倒幕派と情報交換を行い、挙義勃興を図っていた。しかし、機はなかなか熟してこなかった。
 文久2(1862)年、主君・島津久光公が穏やかな政権移譲を目指して公武合体に向けて動き始めたことを感じた新七ら急進派は、主君の掟を破ってでも尊皇攘夷の大義を貫き、幕府の奸賊を除くことが肝要であると考え、寺田屋に集結した。しかしそれは、主君・久光公に知れるところとなった。
感 想 等
( 評価 : D )
 幕末期、尊皇攘夷派の急先鋒であった有馬新七の半生記。時代考証はしっかりされていると思われ、江戸末期という時代の雰囲気、様子がよく伝わってくる。ただ、幕末の歴史に特に詳しいわけではない自分が無知なだけかもしれないが、有馬新七のことは知らなかったし、寺田屋と言われても坂本龍馬しか思い浮かばない。
 その自分が読んで、「幕末にこんな人物がいたのか!」と思ったかというと、正直なぜこの人物を取り上げたのかはよく理解できなかった。また、富士登山についても書かれているが、その必然性もよくわからなかった。なぜ有馬新七なのか、なぜ小説という形態を取ったのか、ちょっと理解できなかった。
山  度
( 山度 : 10% )
 富士登山について言えば、特に登山という視点から詳しく描写されているわけではないが、当時の登山の様子がわかり興味深い。