山岳小説(国内)・詳細データ
〜新田 次郎〜
  
 
作 品 名
「強力伝」(新田 次郎、1955年)
あらすじ
 富士山の強力・小宮正作は、白馬岳山頂に設置する50貫目もある方向指示盤を運ぶことになった。当初小宮に敵意を抱いていた信州の強力・鹿野も、小宮の迫力に押されていつしか協力するようになる。
 途中岩崩れに襲われ、小宮は足を怪我してしまうが、それにもめげず運び続けついには運びあげてしまった。しかし、その時小宮は既に・・・。
感 想 等
( 評価 : C )
 言わずと知れた新田次郎氏のデビュー作。富士山への思い入れ、強力への感嘆、複雑な思いがないまぜになったような作品である。短編ではあるが、キャラクターがしっかりしており、これがデビュー作とは驚きである。
山  度
( 山度 : 60% )
 富士の、白馬の山が舞台として登場しているが、それはあくまで舞台に過ぎない。山を舞台に人を描くという新田氏の姿勢がこの当時から伺える。

 
 
 
作 品 名
「先導者」(新田 次郎、1956年)
あらすじ
 茂倉三郎は、友人の宮地にはめられて、女性4人を連れて上越の縦走に行くことになった。気位が高く高慢な篤子、よく気が利くが何かにつけて篤子と張り合う千代、始終鏡を覗き込み見た目を気にしている久実、お嬢様で甘えん坊のはつ枝。
 三郎は女性4人との山行にうんざりし、適当にアゴを出したところで引き返そうと考えていたが、4人が競って先導者になりたがるゆえにいつしか戻り損ねてしまう。そうこうするうちに天候が悪化し始め、5人は嵐に閉じ込められてしまう。
感 想 等
( 評価 : D )
 人間のエゴイズム、虚栄心が剥き出しになっており、その醜さを辛辣に描いているが、ありそうでなさそうな話という感じもする。新田次郎の小説には、しばしばこの手のやや高慢な女性が出てくるのはどういうわけか。
山  度
( 山度 : 100% )
 装備やルートの整備(というより開拓)状況が今とは全然違うんだなぁという、全く本筋とは関係ないところで感心してしまった。

 
 
 
作 品 名
「蒼氷」(新田 次郎、1957年)
あらすじ
 守屋紫郎は富士山測候所で働いていた。山頂に詰めていた暴風雨のある晩、守屋は倒れかけ意識もなくなりかけた登山者・桐野信也を助けた。桐野は、守屋の恋人・椿理子から桐野のことを聞いてやって来たのだという。
 翌春、やはり理子に恋する杉中が、理子の弟・俊助とともに富士山測候所を訪れ、絶壁に張り出した氷の庇を踏み抜いて死亡した。
 守屋は理子との結婚を決意し、仕事を辞めることにした。しかし、そのことを守屋の後輩で、理子に思いを寄せる塩町に理子が匂わしたために、塩町は不注意から滑落死してしまった。一度は理子との結婚を決めた守屋は、理子のそばにいると死人が出る宿命のようなものを感じて結婚を取りやめた。
 理子と桐野の結婚式の日、守屋は愛鷹山へ登山に出掛けたが・・・。
感 想 等
( 評価 : C )
 理子を巡る男達の奪い合いと、守屋の心の葛藤。わかるような気はする。一方で、この小説のキーである理子が、奔放でわがままなだけで、今ひとつ魅力的に描かれていない、と感じるのは好みの違いだろか。理子がもっと魅力的な女性に見えれば、よりこの小説にリリティーが備わったであろう。
山  度
( 山度 : 30% )
 新田氏の経験を基に描かれた富士山測候所の様子や冬富士は迫力満点。

 
 
 
作 品 名
「縦走路」(新田 次郎、1958年)
あらすじ
 蜂屋と木暮は、針ノ木峠から立山へと縦走へ出かけ、そこで「女流登山家に美人なし」という通年を打ち破るような美人アルピニスト・川原田千穂に出会った。足が達者で、リーダー然とした千穂に反発を感じつつも、2人は彼女に惹かれていった。
 蜂屋と木暮は大学の同級生で、木暮の勤める協進精器に蜂屋の勤務する天宮電気が機械を納入するという仕事上の関係もあった。天宮電気で事務をしている美根子は千穂と高校の同級生で、その縁で4人は再開した。
 蜂屋は千穂と2人で冬の八ヶ岳に出かけ、彼女と結婚する決心を固める。一方、木暮も千穂との結婚を心に秘めていた。お互いの気持ちを知った2人は、千穂と3人で北岳バットレスへと望む。
感 想 等
( 評価 : C )
 「女流登山家に美人なし」との通念に反する美人アルピニスト、それに恋する不器用な山男との恋愛小説。悪いことではないが、恋愛スタイルの古臭さはいかんともしがたい。山岳小説としてはおもしろい。
山  度
( 山度 : 70% )
 針ノ木から立山という北アルプス、八ヶ岳、そして北岳と短い中にも主要な山を盛りこんだ贅沢な展開。縦走から登攀とこれまた盛りだくさん。

 
 
 
作 品 名
「冬山の掟」(新田 次郎、1959年)
あらすじ
 池石昇平は大学山岳部のリーダーとして冬の八ヶ岳に出かけた。部員の杉が硫黄岳石室小屋で熱を出したために、池石は冬山の掟を破って、浦野正雄、織井章とともに夏沢峠まで薬を取りに戻ることにした。
 しかし、東京で待つ山岳部員達の心配もむなしく、山は折悪しく吹雪になった。3人は石室小屋に辿りつけず、途中でビバークせざるを得なくなった。
感 想 等
( 評価 : C )
 短編集の中の1編であり、まぁこんなところかという感じではあるが、短い中にも山の過酷さ、そこでもがき苦しむ人間像、都会で待つ家族、といった様々な要素が折り込まれており、新田次郎らしいとも言える。
山  度
( 山度 :90 % )
 吹雪の中での過酷なビバーク、幻覚、幻視・・・。その恐ろしさが充分に伝わってくる。

 
 
 
作 品 名
「チンネの裁き」(新田 次郎、1959年)
あらすじ
 剣岳池ノ谷渓谷で落石があり、蛭川繁夫が死んだ。一緒に登攀していたのは鈴島、近くに1人で登攀していた陣馬、3人で登攀していた京松、木塚、寺林がいた。京松が女流登山家夏原千賀子を奪うため、アイゼンの紐にオキシフルを塗って切れやすくしたと白状して、ザイルを切って自殺した。
 次いで陣馬と共に駒草ルンゼ初登攀を目指していた鈴島が、夏原千賀子を奪うために陣馬が仕掛けた罠にはまり、雪崩に巻き込まれて死んだ。
 そして、陣馬と木塚が駒草ルンゼ初登攀に成功した直後、寺林の細工により陣馬が墜死した。それを木塚に見抜かれた寺林は・・・。
感 想 等
( 評価 : D )
 いくら物語りとはいえ、そんなに山で人が次々と死んでたまるかっていうのが第一印象である。これだけ殺しておいて、この作品は何を言わんとしているのかよくわからない。山で人を殺すにはこんな方法があるといういろんな例が示されている。
山  度
( 山度 : 70% )
 登攀を中心に、冬山など、山のシーンはたっぷり。

 
 
 
作 品 名
「岩壁の掟」(新田 次郎、1960年)
あらすじ
 田浦敏夫は山にいる時だけが幸せだった。幼くして父をなくし、母が男と逃げてしまったため、彼は全てのものを敵と見做し、恩師である船山益太以外の全ての人間と衝突した。
 山へ行って天候の悪化のために無断欠勤したことで会社をクビになった敏夫は、カモを求めて谷川岳へ入った。山で知り合った仲間から就職の口を紹介してもらおうというのだ。
 谷川岳で、過保護な親に反発して山に来た滝佐一、受験に失敗して自殺を図った諸崎文子と知り合い、一の倉沢に挑戦することになった。結局、途中で動けなくなった2人を置いて救助隊を呼びにいったものの、敏夫に非難が集中した。
 その後彼は涸沢貴族となって山案内などで生活するようになった。ある日彼を指名してきた玲子と光枝を案内することになったが、2人はことある毎に反目し、競うようにして登攀を続けていた。そして、3人で屏風岩をやった時、事件が起こった・・・。
感 想 等
( 評価 : B)
 敏夫のひねた物の見方には、一面同感できる部分があり、一方で反発も感じる。暗い過去ゆえにひねた性格になり、山へと逃げ込む敏夫。その虚無的な視野から見つめる社会にこそ真実が映っているのかもしれない。最後の最後に山男としての誇りを失わなかった敏夫の勇気ある行動は、むしろ哀れを誘う。
山  度
( 山度 : 60% )
 谷川岳一の倉沢、ジャンダルム、滝谷、屏風岩。登攀を中心に山岳シーンは豊富。と、同時に、涸沢貴族など山を中心に生きる山屋の生態もよくわかる。

 
 
 
作 品 名
「雷鳴」(新田 次郎、1962年)
あらすじ
 美穂子は、母が勧める結婚相手の宮川、妹のみどりと3人で登山に行くことになった。美穂子は何となく宮川が気に入らなかったが、山に入って山に関する知識を披露する宮川を美穂子は少し見なおしていた。
 山小屋に泊まった翌日、下山途中で3人は雷雨に巻き込まれた。途端に自身を失った宮川は、途中の濁流に飲まれて以降、全く頼りにならなかった。山小屋から3人の様子を聞いて駆けつけてきた長谷川に助けられなんとか下山したが、美穂子の気持ちは宮川ではなく、もう一人の結婚相手候補の芳村へと傾いていた。
感 想 等
( 評価 : D )
 新田次郎氏初期の短編。山では人間の本当の姿を知ることができる、ということか。。
山  度
( 山度 : 70% )
 冷池小屋から鹿島槍ヶ岳への登山。

 
 
 
作 品 名
「風雪の北鎌尾根」(新田 次郎、1963年)
あらすじ
 昭和23年12月末、新堀篤と前島耕一は従来の極地法登山に挑戦し、自力登山を証明するために、湯俣から北鎌尾根、槍、穂高、焼岳への縦走を計画していた。しかし、季節外れの雨でテントとツェルトザックが使えなくなり、猛吹雪の中、往生していた。何とか槍ヶ岳までと前進を続けるも、ラジュースが使えなくなり、また前島が滑落するに至って2人は進退極まってしまった。新堀は動けなくなった前島とともに死ぬ覚悟をした。
感 想 等
( 評価 : B )
 有名な松濤明の「風雪のビバーク」を小説化したもの。事実ゆえの重みを使ってうまく表現しているが、事実を越えることが難しいというのもまた事実。壮絶な最後は松涛の遺書とともにいつまでも頭から離れない。
山  度
( 山度 : 100% )
 2人が山に入り、風雪に遭って北鎌で停滞、亡くなるまでを描いている。もちろん終始、山の中。

 
 
 
作 品 名
「神々の岩壁」(新田 次郎、1963年)
あらすじ
 南博人は札幌で友人らと山を登りまくり、いつかヒマラヤへ良くことを夢見ていた。就職で上京した後も山を続けていたが、ある日丹沢の未踏壁を登攀したところを見ていた吉野幸作に見込まれ、東京雲稜山岳会を結成し、吉野から本格的な岩壁登攀術を教わった。天賦の才に恵まれていた南は次々と記録を打ち立てて行った。
 ある時、ランニング中に出会った仁保京子に惹かれた南は、彼女を山岳会に誘い、ともに山登りを楽しんだ。京子との結婚まで考えた南だが、彼女の父親から結婚の条件として山を辞めることを求められた。南は谷川岳衝立岩正面壁を最後に山を止め、京子と結婚する決意をした。
 4日に及ぶ辛い登攀のすえ衝立岩正面壁を登った南は、京子と結婚し運動具店を開くこととした。
感 想 等
( 評価 : B )
 名クライマー・南博人の実名伝記小説。どちらかと言うと、優れた業績を残しながら最後は山で死んでいったクライマー達が小説のモデルとなりがちである中にあって、女性の為に山を止めた、ある意味珍しいタイプの伝記小説?かもしれない。
山  度
( 山度 : 100% )
 登攀シーンはもちろんのこと、山ヤの生活、行き様が描かれている。特に、衝立岩正面壁登攀シーンは、クライミングをやる人間にとってはたまらないシーンらしい。

 
 
 
作 品 名
「消えたシュプール」(新田 次郎、1964年)
あらすじ
 琴島周一の元に、志賀高原の旅館から葉書が届いた。25年前にスキーに出かけたまま行方不明になった父・勇のスキーを取りに来てほしいという。父の死に疑問を持った周一は、当時のことを探り始めた。
 25年前、琴島勇は志賀高原熊ノ湯に来ていた。勇は宿で酒森乙三という男と一緒になり、草津まで一緒に来てほしいと頼まれた。ところが、酒森は勇を殺すために差し向けられた刺客だった。当時、勇は仲間3人と事業を協同経営していたが、3人のうちの誰かが勇を殺そうとしたのだ。勇は酒森をまいて、発哺温泉に来ているという犯人の元へと向かった。しかし、その夜から吹雪になり、勇も酒森も帰ってこなかった。
 周一は宿の主人から話を聞き、犯人を突き止めた。真実を確認するため犯人の元へ行ったが・・・。
感 想 等
( 評価 : C )
 一種のミステリー。ただ、新田次郎の短編ミステリーには、これと言うほど目を引く作品はあまりない気がする。
山  度
( 山度 : 30% )
 登山ではなくスキーミステリーといった方が適当か。もちろん、時代が時代なので、ゲレンデスキーではないが。

 
 
 
作 品 名
「岩壁の99時間」(新田 次郎、1964年)
あらすじ
 倉科三郎は谷川岳を登攀していた。上部から見慣れない霧が出て、妙な不安にとりつかれて精神的に不安定に陥った瞬間、隣のパーティが墜落した。自分の身代わりになったような気がした倉科は、テラスに負傷者の笹を引き上げて仲間に救援を頼むと、彼自身は負傷者のそばに付き添ってやることにした。
 笹の痛みが倉科にも伝播し、倉科が痛くなると笹の痛みが和らぎ、痛みが引くと笹が苦しみ出した。数日後救援活動が始まったが、難所であったため背負って降ろす以外に方法は無かった。倉科は自ら志願して笹を背負い、見事下まで運ぶことに成功した。
感 想 等
( 評価 : C )
 山ゆえの不可思議な現象なのか、登攀をしない自分にはその極限状態は理解できないものであるが、独特の恐さが伝わってくる。
山  度
( 山度 : 100% )
 山の恐さ、岩の恐さが十二分に伝わってくる作品。

 
 
 
作 品 名
「富士山頂」(新田 次郎、1967年)
あらすじ
 役人作家である葛木章一は、迅速な台風の進路予測、気象予測を行うために、気象庁測器課長として富士山レーダー建設に携わっていた。大蔵省と予算折衝、工事受注に向けたメーカーの政治的圧力、資材運び上げののための天候との戦いなどを乗り越えて、2年をかけて富士山レーダーは完成した。
 その直後、日本列島を直撃した台風による風雨は、人間の予想を遥かに越えて富士山を襲い、風速60m/秒にも耐えうるはずのカマボコ型宿舎をいとも簡単に吹き飛ばしてしまった。しかし、富士山レーダーは台風にも無事耐えた。完成を確認した葛木は気象庁退職を決意する。
感 想 等
( 評価 : C )
 新田次郎氏の自伝的小説。山岳小説とは異なるが、富士山レーダーの建設に賭ける男達の戦い、情熱、生き様を描いた力作。新田次郎ならではの山を舞台に人を描いた秀作と言えよう。
山  度
( 山度 : 10% )
 富士山レーダー建設のための資材運搬等で実際の山が多少絡んでくるが、基本的にはレーダー建設の向けた人間模様が主。

 
 
 
作 品 名
「赤い雪崩」(新田 次郎、1968年)
あらすじ
 厳冬期、畑薙湖から茶臼岳へ行こうとしていた鹿島洋平は、ザックも持たない男女・舟塚と多津子が降りてくるのと出会った。パーティの1人・笠田が雪崩に遭って死んだという。しかし、鹿島と地元山岳会メンバーが遺体運搬のため遭難現場に向かうと、死んだはずの笠田は生きていた。鹿島は殺人が行われたのではないかと疑う。
 舟塚は、鹿島が住む近くの善福寺公園で、マガモを捕まえた男に似ていた。そして舟塚のシュラフは市販されてない珍しいマガモのシュラフ。鹿島は舟塚を問い詰める、が実は・・・。
感 想 等
( 評価 : D )
 新田次郎氏がしばしば描く、遭難に見せかけた山での事故死。どうも、簡単に人を疑って、殺人にしたがるような設定があって、ちょっと安易ではないかと思う。
山  度
( 山度 : 70% )
 雪の茶臼岳。山度はたっぷり。

 
 
 
作 品 名
「孤高の人」(新田 次郎、1968年)
あらすじ
 神港造船所の研修生・加藤文太郎は、寮で同室の新納友明の影響で地図遊びを始め、また同じ会社の技師でしばしば研修生を教えに来ていた外山三郎からも登山を勧められていた。生来口下手で人付き合いが下手だったこともあって、文太郎は1人で六甲山を歩き回り始めたが、もともと足が速かったこともあって次第に関西では名の知れた登山家となっていった。
 研修を終えて技手になった文太郎は、外山や藤沢久造の話を聞いてヒマラヤに憧れ、ヒマラヤ貯金を始めた。また、節約と鍛錬を兼ねて下宿から会社まで石を詰め込んだリュックを背負って歩いて通い、下宿の庭で野宿をした。
 その頃から冬山登山を本格的に始め、1年の休暇の全てを冬に取って、北アルプスに出かけるようになった。文太郎は、小魚や甘納豆などの携帯食を独自に工夫し、防寒具も改良していった。一方、文太郎は仕事もきちんとこなし、冬山の雪洞で着想を得たディーゼルエンジンが認められて技師に昇格した。
 そんな頃、文太郎に憧れて単独行を行っていた後輩・宮村が、失恋して満州へ渡るため、最後の山行として文太郎とパーティを組んで冬の北鎌尾根をやりたいと言ってきた。文太郎は迷ったが、花子と結婚して登志子という女の子をもうけていた文太郎は、これを機に山を止めると自分を納得させ同行を決めた。
感 想 等
( 評価 : A )
 わが国が生んだ不世出の登山家、永遠の単独行者、加藤文太郎を描いた名作。数多くの若者が憧れ、また手本としている偉大な登山家の伝記小説である。本書は、新田次郎氏の「栄光の人」「銀嶺の人」と並ぶ3部作で、人はなぜ山に登るのかを問う。その意味では、青春あるいは人生を描いた小説としても秀逸である。
 ただし、加藤文太郎をモデルにしているものの、あくまで新田次郎によるフィクションも織り込まれている。文太郎唯一の著書「単独行」を読むと、その違いにとまどう部分もあるが、逆にその対比も興味深い。
 未だに山岳小説の最高峰と名高い「孤高の人」。是非、ご一読頂きたい。
山  度
( 山度 : 40% )
 六甲、槍・穂高、剣・・・etc. 冬山を中心にいろいろな山が出てくる。それに対する文太郎のスタイルやいろいろなアイディアを見るのもまた楽しい。

 
 
 
作 品 名
「岩の顔」(新田 次郎、1969年)
あらすじ
 泊真一郎をリーダーとするエコー山岳会のパーティ5人は、谷川岳へと来ていた。道中ずっと変な男が先行しており、島巻と狩倉の2人は桂子と陽子がいるせいもあって、特に男のことを気にしていた。男は千杉誠と名乗った。幽の沢に入った泊・狩倉・島巻のパーティの後を追って、千杉も1人で登っていった。
 しばらく後、桂子と陽子の2人が、それぞれ別々に千杉とパーティを組んで、岩壁登攀に出かけているとの噂が入ってきた。それを知った島巻と狩倉は、泊に対して会員以外との山行を禁じている会則に反していることを訴えた。島巻は桂子のことが、狩倉は陽子のことが好きだったのだ。
 会員内での揉め事を気にした泊は、会長の駒瀬辰太郎のことろに相談に行った。すると駒瀬は、千杉がどんな人間かはザイルを組んでみればわかる、島巻、狩倉、千杉の3人でパーティを組み、幕岩を登ってみろという。3人は幕岩を登ることになったが…。
感 想 等
( 評価 : C )
 新田次郎氏の作品は、長編に秀作が多い一方で、短編はの方は正直言ってピリッとした作品が少ない。特に、男女問題を絡めた短編は今いちなのだが、この作品はよくできている。
山  度
( 山度 : 90% )
 新田次郎の作品で、山岳会が舞台となっているものは少ないような気がする。本作品は山岳会の人間関係を中心に、山行シーンなど山の色も濃い。

 
 
 
作 品 名
「雪の炎」(新田 次郎、1970年)
あらすじ
 谷川岳で5人のパーティーが縦走中に暴風雨に遭い、旬子が滑落。大熊と雅子は小屋に向い、リーダーの華村敏夫と和泉は旬子を探しに下へ降りた。旬子は無事だったが足を怪我しており動けない。3人は野宿を余儀なくされたが、翌朝華村だけが死んでいた。
 兄の死因に疑問を持った華村名菜枝は、ロックナー、高田の協力を得て、何故兄だけが死に至ったのか、その原因を探った。そして、名菜枝、ロックナーに遭難時のメンバー4人を加えた6人で再度再現登山を行い真相を暴く。
感 想 等
( 評価 : C )
 一風変わった山岳ミステリー。推理小説で言うところのフーダニットの世界を山の中で見せたという意味で、野心的で面白い作品ということができよう。
山  度
( 山度 : 60% )
 谷川岳での登山、その再現・・・。遭難の原因究明も含めれば、山の雰囲気はたっぷり。

 
 
 
作 品 名
「八甲田山死の彷徨」(新田 次郎、1971年)
あらすじ
 日露戦争前、日露開戦を想定して、寒地装備研究、寒地訓練のため、弘前第31連隊と青森第5連隊が、三本木と田茂木野の双方から雪中行軍を行うこととなった。
 第31連隊を率いた徳田大尉は装備、食糧、隊員の選抜等入念な準備のうえ、訓練に望んだ。一方第5連隊を率いた神田大尉も準備万端整えたものの、上官である山田少佐が同行したために指揮命令系統が乱れ、折悪しく未曾有の大寒波に襲われたこともあり、200数十名のうち十余名しか生き残らないという大惨事に陥った。神田大尉は吹雪のなか舌を噛み切って自殺、辛うじて生き延びた山田少佐も自決に至った。
感 想 等
( 評価 : C )
 映画などで有名な死の八甲田山。そのすさまじさは言語を絶するものであったろう。記録文学として優れており、新田氏の本領発揮といった感がある。
山  度
( 山度 : 60% )
 登山ではないが、猛吹雪、自然の猛威、その厳しさがよく伝わってくる。

 
 
 
作 品 名
「芙蓉の人」(新田 次郎、1971年)
あらすじ
 正確な天気を予測するには富士山頂での観測が欠かせないと考える野中到は、富士山頂に観測小屋を建て、お国のために命をかけて冬期気象観測に挑む。明治にしては珍しく自立した強い女性であった到の妻千代子は、夫や舅、姑に内緒で到のために富士山頂へ向かう。
 到と千代子は2人で協力して気象観測を続けるが、極度の疲労と栄養失調とから2人して死を覚悟せざるを得ない状況に追い込まれ、ついには救助隊に担がれて下山やむなきに至った。
 しかし、到の意思は受け継がれ、37年後の昭和7年に富士山観測所が建設されることとなった。
感 想 等
( 評価 : B)
 富士山頂での気象観測に命を賭ける野中到、それを陰に日向に助け、到とともに富士山頂で死ぬ覚悟までした千代子。明治の女性には珍しいまでの意思の強さ、愛情の深さは感動を呼び起こさずにはいられない。
山  度
( 山度 : 40% )
 富士山頂の過酷なまでの自然環境がよくわかる。加えて、明治という時代において用いられた登山用具の様も興味深い。

 
 
 
作 品 名
「雪のチングルマ」(新田 次郎、1972年)
あらすじ
 湯谷信一は大学山岳部の冬山合宿で、飯田ら先輩5人と上高地から横尾に向かっていた。途中雪小僧の歌を歌ったことから湯谷は雪小僧に跡をつけられると脅され、釜トンネルを1人で歩かされた。トンネルで女性の単独行者と一緒になったが、女性はトンネルを抜けてこなかった。そのまま横尾に向かったが天候が悪化してきた。
 雪洞に泊まった夜、湯谷が眠れなくて外に出ると、雪崩が襲ってきた。大声で先輩達を起こして逃げたが、助かったのは湯谷だけだった。雪小僧はいたのか、女はどこへ行ったのか、ノイローゼ気味の湯谷は、遭難者捜索中にデブリの隙間から落ち、結局死んでしまった。
感 想 等
( 評価 : D )
 山の恐さ、雪の恐さを怪談風にまとめた短編。
山  度
( 山度 : 70% )
 雪の上高地、冬山のジンクス、雪崩・・・。大学山岳部を舞台に冬山を描く。

 
 
 
作 品 名
「富士に死す」(新田 次郎、1974年)
あらすじ
 時は江戸元禄。主人の命令で富士講に来た伊兵衛は、嵐を予言した富士講2世月心に魅せられてしまった。伊兵衛は、たまたま富士講に来ていて出会った江戸の商人喜兵衛を助けたが、そのために富士の聖水を使ってしまったことで、伊兵衛は主人の不信を買って追い出され、喜兵衛の下で働くこととなった。
 真面目が取柄の伊兵衛は客の信頼を得、喜兵衛の信任を得、喜兵衛の娘・お春と結ばれて、身上をさらに大きくしたものの、結婚は失敗に終わった。その間、伊兵衛はしばしば富士に出かけ、月心の教えを受け、いつしか富士講6世として食行身録となった。
 お春との結婚に失望した伊兵衛は家を出て、小泉六郎の娘お吟と世帯を持ち、商人として、また富士講6世として生活していった。
 ある日自分が病魔に侵されていると知った伊兵衛は、生きたままミイラになる入定に入ることを決めた。
感 想 等
( 評価 : B )
 極めて人間らしい伊兵衛が、富士講6世として人々に慕われていく姿の中に、本当の宗教、本当の教えとはかくあるべしといったものがあるようで、すがすがしい感じがする。人の一生、真面目に生きることの大切さ、大事なことを教えてくれる一冊です。
山  度
( 山度 : 20% )
 富士講としての富士登山のシーンが所々に出てくるが、あくまで宗教登山としての山が描かれている。

 
 
 
作 品 名
「山が見ていた」(新田 次郎、1976年)
あらすじ
 営業課員の宮河久男は、人繰りの関係でたまたま配送を引き受け、その途中子供をはねてしまった。そのときは恐くなり逃げてしまったものの、久男は自責の念にかられ死ぬために山に入った。
 大岳山をあるくうちに、道に迷った5人組の中学生を助け、久男は死に場所を失ってしまった。止む無く久男は家に戻り、子供の家に正直に話に言ったところ、子供は無事で怪我ひとつしていなかった。また、会社に行くと、中学生を助けたことで久男は評判になっていた。
感 想 等
( 評価 : C )
 短編。運命のイタズラとでも言うべき偶然がさりげなく描かれており、後味が良い。
山  度
( 山度 : 50% )
 大岳山登山シーンあり。
 短編集「山がみていた」に収められている山岳小説は、表題作と「山靴」程度。

 
 
 
作 品 名
「聖職の碑」(新田 次郎、1976年)
あらすじ
 長野県中箕輪尋常高等小学校長赤羽長重は、若い教師たちの間で白樺派の影響を受けた理想主義教育が流行ていることに困惑していた。白樺派の文学は確かに面白かったが、それがなぜ教育に結びつくのか理解できなかった。赤羽は、理想主義教育も良いが、実践的教育にも重きを置いていた。
 そんな折、例年恒例となっている駒ヶ岳登山のシーズンになり、赤羽校長は白樺派教師の反対を押し切って、登山を実行することにした。赤羽校長ら引率教師3名、青年会員9名に25名の少年が出かけることになった。
 入念な事前準備を行い、天気予報を何度も確認したにも係らず、登山途中から雨が降り始め、しかも一行が宿泊を予定していた伊那小屋に着くと、小屋は火事で無くなっていた。赤羽校長は石とハイマツ、着茣蓙で仮小屋を作り、全員を眠らせないようにしながら雨風を凌がせた。しかし、体調の悪かった古屋時松が死んだのを契機に不安が広がり、青年会員を中心に我先にと下山し始めた。
 赤羽校長がいくら止めても抑えは効かず、一向はバラバラになりながら麓を目指した。暴風雨、疲労、により、倒れるもの、道を間違えるものが相次ぎ、救援隊の活躍もむなしく、赤羽校長他11名が命を失った。
 白樺派であった有賀喜一は赤羽校長の実践教育に感銘を受け、赤羽校長の遺志を伝えるために、遭難記念碑建設に奔走した。もともと体の弱かった有賀は、遭難の後処理と記念碑建設活動による疲労のため命を落とした。
感 想 等
( 評価 : B )
 私が中学生だった頃のこと、鶴田浩二主演の同名映画を見たような記憶があり、新田次郎氏の作品の中では馴染みのあるものだったが、改めて読んでみるとこういう話だったのかと感動する。思想的な背景があったということもおもしろいが、当時の教師という職業の崇高さを見るにつけ、今の教育の荒廃が情けない。
 遭難の記録として、人間的な物語として感動するのもさることながら、巻末の取材記が付いていることによって、小説作成に至る取材記録や構想の練り方までわかっっておもしろい。
山  度
( 山度 : 70% )
 木曽駒ヶ岳登山。今の木曽駒からは考えられないような山の厳しさが描かれているが、これが自然と言うものなのだろう。

 
 
 
作 品 名
「鷲ヶ峰物語」(新田 次郎、1977年)
あらすじ
 霧が峰北部の鷲ヶ峰にハイキングに来た掘海亘、伊都子ら会社の同僚7人は、その記念に山頂にケルンを積んだ。その山頂に石地蔵が2体あり、佐町悦男と千滝利夫の2人が、掘海や伊都子が止めるのも聞かず、それを持って帰ってしまった。
 そのすぐ後に会社が倒産し、7人はばらばらになった。掘海の紹介で不動産会社に勤務し始めた伊都子は、2年後、掘海と結婚した。ところが、結婚して3ヶ月経つ頃、掘海が青い顔をして帰ってきた。会社の接待で行った料亭の庭にあの石地蔵があり、料亭に聞いたところそれを持ち込んだのはやはり佐町で、彼は鷲ヶ峰に一緒に行ったみさと結婚したのだが、新婚旅行で2人して交通事故死したという。
 石地蔵のばちが当ったと思い込んだ掘海は次第に塞ぎ込むようになり、ついには精神的に参って入院してしまった。入院により病気は治ったものの、石地蔵から解放されるために、2人は石地蔵について調べ始めた。
感 想 等
( 評価 : C )
 山に関連するもの、関係ないもの等織り交ぜている短編集(上記あらすじ、評価、山度は表題作)。
 鷲ヶ峰山頂から石地蔵を持ち帰ってしまったことから、数奇な運命に巻き込まれるというややオカルトチックな物語。単なるオカルトで終わらないところが新田次郎とも言えるが、ラストの結びつけは強引という感じがしないでもない。
山  度
( 山度 : 20% )
 山、登山は出てくるものの、山岳色は薄い。本書に収められている作品のうち、山関連は表題作の他は「谷川岳春色」程度か。

 
 
 
作 品 名
「アイガー北壁」(新田 次郎、1978年)
あらすじ
 芳野満彦と渡辺恒明はマッターホルン北壁を登攀し、次にアイガー北壁を狙っていた。しかし、芳野は足をやられており、とても登れない状態にあった。そんな時に高田光政に出会い、高田が1人で来ていることを知った芳野は、渡辺と高田にザイルを組ませることにした。
 芳野は2人が上っていく様を見ていた。3日続くと思われた好天が2日で途切れ、アイガーは雲に覆われた。あと500mに迫っていた2人は降雪に見まわれ停滞した。
 霧が晴れたとき2人の様子がおかしかった。渡辺が滑落して怪我をしていたのだった。高田は1人で登攀し救助隊を呼びに行ったが、渡辺は怪我した体で上を目指し、墜死してしまった。
感 想 等
( 評価 : C )
 事実に基づいて描かれた実名小説。当時の芳野満彦氏らの快挙、地元で賞賛されたという高田光政氏の必死の脱出、渡辺恒明の悲劇など、事実だけに生々しい。
山  度
( 山度 : 70% )
 アイガー北壁を登る様もいいが、実在の人物がリアルな描写で登場するので、山行記などとはまた違った迫力がある。