山岳小説(国内)・詳細データ 〜な行〜
 

 
 

作 品 名
「岩壁に舞う」(内藤 康生、2015年)
あらすじ
 月刊誌「歴史と古道」の駆け出しライター三木奈津子は、取材で上高地へ向かう途中で風岡俊介という若者と知り合い、上高地が一望できる霞沢岳へと案内してもらった。俊介は岳陽山岳会という先鋭的な山岳会のメンバーで、1964年当時珍しかったヨーロッパアルプスの岩壁登攀、さらにはK2遠征を狙うほどの登山家だった。
 俊介のお陰もあり、奈津子が書いた記事と写真は好評だった。奈津子は、次の企画も山の古道にしようと考えていた。俊介にも雑誌を送ると、折り返し「剣が峰」という山岳会の会報が送られてきた。そこには、天城峠や針の木峠など、奈津子が企画として考えていた場所を通っている記録も載っていた。
 翌年4月、奈津子は、武田氏を滅ぼした後に織田信長が通ったという中道往還の取材に出かけた。甲府から静岡へとつながる道を取材した奈津子は、静岡が地元だという俊介と富士宮駅で待ち合せ、一緒に浅間神社の取材に出かけた。そこで俊介から、ヨーロッパアルプスへ行くことを聞かされた。
 翌月の出発の日、奈津子は横浜港まで俊介を見送りに出かけた。岳陽山岳会のメンバーが大勢見送りに来るなか、奈津子の他にもう1人で女性が来ていた。その女性は、山田千代という俊介が勤めていた会社の事務員だった。結婚願望のない奈津子と、結婚して田舎で農業をしたいという俊介。合わないことはわかっていたのに、奈津子は俊介のことが気になって仕方なかった。奈津子は、自分の気持ちを確かめるため、俊介を追って単身スイスへと向かった。
(表題作のあらすじ)
感 想 等
( 評価 : C )
 「市民文芸ふじのみや」に入選した3作と、雑誌「山の本」に掲載された3作の、短編計6作を収録した短編集。定年後に登山を再開し、紀行文代わりに小説の形で文章化。「市民文芸ふじのみや」に応募したところ佳作に入選し、その後の作品も雑誌「山の本」に送ったところ運よく掲載されたのだという。
 こう書くと、素人に毛が生えた程度に感じるかもしれないが、作品を読むと、どこか新田次郎を彷彿させるような雰囲気があり、しっかりと描かれている。それぞれの主人公の生き様を軸に、要所要所で登山が良いアクセントとして使われており、個人的には結構好きです。特に、「ケルンの墓」と「雁坂峠」は、味わいがあって良い。
山  度
( 山度 : 80% )
 山度は作品により異なり、「残照」などは少し低いが、総じて高め。表題作では、ヨーロッパアルプスでの岩壁登攀の話も描かれており、若い頃にはかなり山をやった方なのだろう。


 
 

作 品 名
「秀吉 秘峰の陰謀」(長尾 誠、1988年)
あらすじ
 称名滝見物に訪れた佐々成政は、男が謎の集団に襲われる場面に遭遇し、深手を負った男を助けた。男は武虎と名乗った。直感的に武虎が只者ではないと感じた成政は、回復後、武虎に士官を勧めたが、武虎は頑なに断った。しかし、成政に深く恩義を感じていた武虎は百姓として国力増強に尽くすことを申し出て、成政はいざという時のために、国境の要衝の地である土出郷に武虎を置いた。
 豊臣秀吉と織田信雄・徳川家康による小牧・長久手の戦いの戦況が膠着する中、家康を側面支援するため、成政は前田利家の領土にある末森城攻めに打って出たが、利家の援軍のため敗戦に帰してしまった。武虎のいた土出郷も巻き込まれ、武虎が面倒をみていた少女・りんを始め、村人全員が殺されてしまう。
 そうした折、家康が秀吉と和議を結んだとの一報が飛び込んできた。苦境に陥った成政は、家康に会うため、冬の北アルプス越えを敢行することにした。同行するのは、成政の側近と、芦峅寺の仲語(山案内人)、そしてりんを殺された武虎などわずかな者だけ。しかも敵は自然の猛威だけではなかった。
 芦峅寺から称名川沿いに雪道を歩き、立山温泉の温泉小屋に泊まった一行は、スッパ(忍びの者)の夜襲を受けた。犠牲者を出しながらも辛うじてスッパを退け、先へと進む成政らは、深い雪と吹雪に苦しめられた。猛吹雪に逃げ出す者、極度の疲労で狂い死ぬ者、雪崩に巻き込まれる者・・・人数は減る一方だった。そうした艱難辛苦を乗り越え、成政はついに信濃へと辿り着いた。
感 想 等
( 評価 : C )
 有名な佐々成政によるさらさら越えを題材にした歴史小説。であるが、そこに「武虎」という架空の人物を登場させ、武虎は一体何者なのかというミステリー仕立て、さらには冬の北アルプス越えという山岳小説的要素、そしてスッパとの死闘というアクションも盛り込んだ、総合エンタメ作品となっている。単純に楽しんで読める。
 秀吉はもちろん登場するが、主役は成政と言って良く、タイトルに「秀吉」と入ってはいるのにはやや違和感がある。
山  度
( 山度 : 20% )
 芦峅寺から立山温泉、ザラ峠、黒部川、針ノ木谷、針ノ木峠と真冬に縦走。立山ならではという描写があるわけではないが、雪道・吹雪・雪洞・雪崩など雪山描写がたくさん出てくる。参考文献に、「八甲田山死の彷徨」(新田次郎)があるのはともかく、「ミニアコンカ奇跡の生還」(松田宏也)とあるのは不思議な感じ。



 

作 品 名
「忘我の記」(中原 恒子、1987年)
あらすじ
 伊豆の素封家に生まれた辻村伊助は、若い頃から山登りに打ち込み、また植物の研究を行っていた。
 伊助はヨーロッパ・アルプスへ山と植物の研究に出かけ、ユングフラウ、メンヒなどを次々と登頂していったが、グローセ・シュレックホルンで雪崩に遭い、入院を余儀なくされてしまう。そこで、ローザと出会い、彼女と結婚して日本に連れて帰ることにした。
 日本に戻った伊助は、ヨーロッパで採取・購入した種子を小田原に作った農園に植え、移植に務めた。ようやく軌道に乗り始めた頃・・・。
感 想 等
( 評価 : D )
 はっきり言って、この小説を読む限りでは、辻村伊助のどこが魅力的なのか、筆者がどこに惹かれたのかさっぱりわからない。ただの道楽息子、金持ちの家に生まれた放蕩息子のわがまま程度にしか思えなかった。残念ながら、面白みのない中途半端な作品という印象。
山  度
( 山度 : 20% )
 登山シーンもある程度あるが、山の素人が描いているせいか迫力が感じられない。

 
 
 
作 品 名
『「金太郎伝説」追跡ルート 警視庁山遭対・梓穂の登山手帳
(中野 順一、2014年)
あらすじ
 警視庁山岳遭難対策課に勤務する片桐梓穂。普段は山岳遭難に関する情報収集業務などをしている彼女だが、上司の命令で、パソコン遠隔操作事件の捜査応援に借り出されることになった。警察をあざ笑うかの如く、犯行に関するクイズやヒントを出してくる犯人。そのひとつに「金太郎ゆかりの山に犯罪に関する記憶媒体を埋めた」というものがあり、梓穂が手伝うことになったのだった。
 「金太郎ゆかりの山」と言えば金時山だろうと思った梓穂は、幼馴染で同じく警視庁のサイバー犯罪対策課に勤める朝比奈和巳を巻き込んで、金時山登山に出かけた。しかし、金時山山頂付近からは、それらしき物は何も見つからなかった。上司に報告すると、最初からアテにしていなかったような答えが返ってきた。
 上司の醒めた反応が逆に、梓穂の気持ちに火を付けた。犯人からのヒントを見つけることが、自分にとってのヤマだと感じた。警察官のはしくれとして、梓穂は真実を突き止めたいと思っていた。金太郎ゆかりの山と言えば、他にも長野の南木曽岳や京都の大江山もある。上司を説得した梓穂は、真相を求めて、犯人がいうところの「金太郎ゆかりの山」を探す捜査を始めた。
感 想 等
( 評価 : C )
 パソコン遠隔操作事件という旬の題材を取り込んでいること(とはいえ、世の中的には既に事件は忘れ去られつつあるが・・・)。主人公梓穂の幼馴染で、博学だけど空気の読めない和己というキャラ設定。(好みは分かれるだろうが)金太郎伝説を解き明かす歴史ミステリー的な展開。そして箱根から木曽、京都と各地を飛び回る旅行的要素と、軽妙な会話のやりとり。2時間ドラマにしたら面白そうな、気軽に楽しめる作品。
 ただ、犯人の動機の弱さは否めないし(事件を起こしたらマイナスイメージが大きくて目的は達成できないことくらい、すぐにわかりそうなもの)、作中で「梓穂は胸の奥が熱くなるのを感じた」といった表現があるが、その辺りの熱量が今ひとつ読者に伝わって来ないのが残念。ラストの終わり方は、続編が決まっているということなのだろうか? そうだとしても、本作自体は完結しているので、前振りは余計ではないかと思う。サブタイトルの「登山手帳」も、入れた意味がよくわからなかった。
山  度
( 山度 : 40% )
 主人公が、警視庁の山岳遭難対策課(実在?)に勤務しているだけあって、そこそこ山が出てくる。プロローグの伊豆ヶ岳に始まり、金時山、南木曽岳と、登山シーンもそれなりに登場する。
 
 
 
 
作 品 名
「鹿島槍幻影」(中原 行夫、1996年)
あらすじ
 私、吉沢は登山教室を開くかたわら、私立探偵のような仕事をしていた。ある時、阿部智美という女性がやって来て、鹿島槍ヶ岳で行方を絶った同じ山岳会の中村降一を探して欲しいと依頼してきた。同会会長の石岡、行方不明となった中村の妻は、なぜか積極的に探そうとしていない。結局中村の遺体は見つからなかった。
 翌春、私は捜索を再開しようとして、依頼者の阿部智美が轢き逃げで殺されたことを知った。すると今度は、阿部の元夫が、中村の捜索に加えて、阿部がかつて酒田市にいた頃に一緒に居た前野という男とその甥を探して欲しいと言って来た。
感 想 等
( 評価 : D )
 どうも文章に飛躍があるようで、わかりにくい。ストーリーも結局何がいいたい話なのかわからないし、物語がきちんと解決したのかもよくわからない。巧妙な話っぷりの描写からは鋭さが垣間見えるだけに惜しい気がする。
山  度
( 山度 : 10% )
 山に絡んだ事件であるが、実際の山のシーンはわずか。
 
 
 
 
作 品 名
「走れ研修医」(中山 祐次郎、2021年)
あらすじ
 医者となって5年目、外科医として牛ノ町病院に勤務する雨野隆治は、4年先輩の外科医・佐藤玲と上司の岩井の指導を受けながら、日々、忙しく働いていた。研修医時代から世話になっている看護師の吉川、2年前にローテーションで隆治の下に付きこの3月に配属されたばかりの西桜寺凛子医師、研修医同期で耳鼻科医の川村などにも助けてもらいながら、ハードスケジユールの中、何とか診察・手術をこなしていた。付き合って2年になる恋人のはるかは、気が優しくて理解があるが、3,4週間に1度しかデート出来ない。しかも、デート中にいつ呼び出しがあるか分からない。
 救急車外来には、様々な患者が運び込まれる。腸に炎症が起こる憩室炎で運び込まれた我がままな議員は、禁食にも係わらず隠れてお寿司を食べたために穿孔に至り、緊急手術を実施した。凛子が当直の時に腹痛で緊急搬送された男性は、娘の制汗剤のスプレー缶が肛門から入って直腸から飛び出しており、手術で取り出した。
 そんな患者の一人に、向日葵(むかいあおい)がいた。21歳の若さで胃癌のステージ4で、腹痛で運び込まれたのだ。念のためにCTを撮ると、お腹じゅうに癌が転移していて、完治の見込がなかった。そんな葵は、自らの病気のことをどこまで知っているのか、いつも明るく元気で、隆治や凛子ともすぐに仲良くなった。隆治は葵の癌の状態が気になったが、それを知らせるのは掛かり付け医である夏生医院の役目だ。葵はそのまま退院していった。
 それからしばらくして隆治は、凛子と葵の3人でランチに出かけた。本来なら、医者と患者がプライベートで繋がりを持つことは好ましくないのだが、葵が凛子に頼み込んだと聞かされて、隆治も断るに断れなかった。ところが食事中に、葵から「私がやっておきたいこと」という話を聞かされ、葵が病気のことを知っていると分かり、どんな言葉を書けたら良いのか分からなくなっていた。葵がやっておきたいことの一位は、富士登山だった。富士山には神様がいる。神様に会って、「病気を治して。少しでも長生きさせて」とお願いしたいのだという。
 7月末の土曜日、葵が借りたレンタカーに、隆治と凛子が乗り、富士山へと向かっていた。患者と一緒に富士山に登るなんて前例がないし、病院にも怒られる。隆治は、懇願する凛子の依頼を何度も断った。しかし、患者のために出来ることを最大限したいという凛子の情熱にほだされて、ついに同行することにしたのだった。かくして3人の富士登山が始まった。しかしそれは、想像以上に過酷なものだった。。
感 想 等
( 評価 : B )
 研修医として牛ノ町病院に来て、悩みながらも頑張る雨野隆治の奮闘を描いた「泣くな研修医」。その続編で、外科医となって、命と向き合う重圧と葛藤しながら奔走する隆治を描いた「逃げるな新人外科医」。テレビドラマにもなった人気シリーズの第三弾が本作。
 医療に知識な全くないが、分かりやすく書かれているので戸惑うことは全然ないし、医師や病院の過酷な実態が良く分かる。生真面目で真摯は隆治は医師の鑑のような人で、どうせ診てもらうなら、こんな人が良いと思えるような好青年。「神様のカルテ」など医師を描く作品はいくつかあるが、ドラマとはいえ、他人のために自分のプライベートを犠牲にしてまで使命を全うする姿には頭が下がる。
 そんな中、本作では、医師の常識というか、ルールに反してまで、患者に付き合って富士登山に行く医師が描かれる。本職の人が読んだらどう思うのか分からないが、常識に囚われることなく患者に寄り添う姿勢が素晴らしい。そして、富士登山のシーンは感動的。同じ登山でも、背景にある事情次第で、こんなにも感動的になるんだと実感。良い話です。。
山  度
( 山度 : 20% )
 富士登山は、5合目から富士吉田ルートを登る一般的なコース。いかにも富士登山という感じ。噂に聞く山小屋の感じ悪さや、マナーの悪い登山者が出てくることもなく、物語の舞台として、富士登山が活きている。
 
 
 
 
作 品 名
「草すべり その他の短編(南木 佳士、2008年)
あらすじ
(以下は「穂高山」のあらすじ)
 東信州に住んでいながら山登りなどしたことのなかった「わたし」は、50歳になって心身不調を感じたことから、軽い気持ちで山登りを始めた。しかし、近場の山を登り尽くし、体力も付いてくると欲が出て、一度穂高の山々を見てみたいと思うようになり、初めて上高地を経て涸沢へとやってきた。
 涸沢小屋のテラスでビールを飲んでいた男に声を掛け、そこから見える山の名前を教えてもらった。男に勧められるまま1杯だけビールを付き合っているうちに、男は次第に饒舌になり、身の上話を始めた。
 男は学校の教師で3年前に妻を亡くしていた。妻を亡くした翌年、人間ドックのCTで肺に影が見つかり、男は定期的にCTを受けることとなった。妻の死後、自分の存在にあいまいさを感じ、コンピュータに管理されて癌に怯える生活に嫌気を感じた男は、手術を受けることにした。手術の結果、早期の肺癌で転移の可能性は小さいとわかり、男は山歩きを始めた。体の五感をフルに動員して登っていく。こんなことでしか、自分の存在を確認できないと男はいう。
 「わたし」は涸沢で泊まって帰るつもりだったが、翌朝、なんとなく足は穂高へと向っていた。
感 想 等
( 評価 : C )
(以下は「穂高山」の感想)
 初老になって山登りを始めた男。父親が脳梗塞で倒れた年と同じ年になっており、死を意識し始める。そんな「わたし」が涸沢で出会った同年輩の男。妻を亡くし、体を悪くし、自分という存在のあいまいさを感じている。そうしたある意味似た者同士が、山という大自然を前にして語り合い、存在の不安感を感じ合う。そんな男たちの不安感を、一時でも拭い去ってくれるものが登山だったのかもしれない。人が生きていくうえでの漠然とした不安感を描いた作品。
 「穂高山」のほか、「草すべり」、「旧盆」「バカ尾根」の4作品を収めた『草すべり その他の短編』で、第36回泉鏡花賞と芸術選奨文部科学大臣賞をダブル受賞。
山  度
( 山度 : 60% )
 登山そのものは、ごく普通の山登りシーンが出てくる程度だが、山という存在が、登山という忘我の行為が、物語の核として、重要なキーになっている。

 
 
 
作 品 名
「熊出没注意」(南木 佳士、2010年)(「先生のあさがお」に収録)
あらすじ
 末期癌患者を診る総合病院で病棟責任者を務めて7年、「わたし」は突然神経衰弱に陥った。その後任となった後輩は、激務に耐えかねたのか、7年後に悪性腫瘍で逝った。以降毎年、年に一度は彼の墓参りをするようにしている。
 生き残った「わたし」は、7年前から登山を始め、いつの間にか山行記まで出すようになっていた。取材に来た新聞記者が帰った直後、叔父の訃報を知らせる電話が鳴った。葬儀は来週半ばだという。「あれあれ」と妻が言う。今年は、妻の父もなくなるなどいろいろとあった。
 明るさが取り柄だった妻が、「夕方になると妙にさびしくなる」というのを聞いて、2人して北八ヶ岳の天狗岳に出かけることにした。天狗岳は、7年前に登山を始めた時に当面の目標にした山であり、2人で何回か登った山だった。
 叔父の葬儀には、近くの温泉旅館に2泊して出かけた。新館、最新館と建て増しをした老舗旅館だった。和室の座卓の上には、「熊出没注意」と書かれたA4版の書類が置かれていた。
感 想 等
( 評価 : C )
 本作は、当初「先生のあさがお」に収録され、その後「熊出没注意 南木佳士自選短篇小説集」に再録された。後者の方で読んだので、ここでの感想は後者全体の感想として書く。
 南木佳士自選短篇小説集は、作家生活30周年を記念して出版された作品集。南木作品は私小説だが、久しぶりに私小説を読んだ気がした。謎解きもドンデン返しもなければ、スリリングなアクションシーンもない。あらすじを見ればわかるように、話自体とりとめもない。でも、なんだか心に沁みてくる。学生の頃、夏目漱石や森鴎外など古典とも言える作品をよく読んだが、そんな昔を少し思い出した。私小説が心に沁みるのは、年をとったせいかもしれない。
 作中のインタビューで、「原稿用紙に向かっているときだけしかじぶんが生きていると感じられなかったのが小説を書き始めた理由です。」と述べる件がある。「すでに色あせてきた雛形として喉のあたりに保存されている一節」と断っているが嘘ではないのだろう。その表現が、登山家やクライマーのそれと似ていて、何か面白かった。
山  度
( 山度 : 10% )
 短篇小説集に収められている作品のうち登山が出てくるのは本作だけで、あとは「神かくし」にキノコ採りのために山に入るシーンがあるくらい。「熊出没注意」の中でも登山シーンも少ない。

 
 
 
作 品 名
「冬山記」(夏川 草介、2015年)(「神様のカルテ0」に収録)
あらすじ
 結婚して20数年、50歳の誕生日に妻から離婚届を渡された健三は、数日考え事をするつもりで、大学時代に慣れ親しんだ縦走路に向かった。ところが、常念岳の冬季小屋を出て、蝶ヶ岳へ向かう尾根の途中で突風に煽られ、滑落してしまった。健三が意識を取り戻すと、頭から血が流れ、左足が折れていた。半ば自暴自棄に陥っていた健三は、生きるための努力を諦めていた。
 浩二郎・那智子夫婦にとって、常念から蝶、上高地への縦走は、3年前に亡くなった息子・浩介の弔い登山だった。まだ明るいうちに蝶ヶ岳ヒュッテに到着した2人は、常念冬季小屋に一緒に泊まり、先に出発したはずの男性がいないことに気づいたが、途中で横尾にエスケープしたか、一気に上高地まで降りただろう、くらいに考えていた。そこに、小さな身体に大きなリュックを背負った女性が到着した。彼女は、困難な登山を忍耐力と決断力でこなしてきたことで有名な山岳写真家・片島榛名だった。先行していたはずの男性がいないことを知った彼女は、それまでの疲れも見せずに、男性を探しに戻っていった。
 天候は悪化し始めていた。女性1人で救助などできるはずがない。だが浩二郎は、その女性が片島榛名だと知って、捜索を彼女に任せることにした。そして夜半。榛名は瀕死の男性を抱えて小屋に戻ってきた。
感 想 等
( 評価 : B )
 「神様のカルテ」シリーズ4作目。4作目ではあるが、これまでの話よりも前のエピソードであることから、「0(ゼロ)」となっている。そこに収められている短編「冬山記」は、主人公イチの妻で山岳写真家であるハルが、イチと出会った頃の山岳救助譚。「神様のカルテ」のスピンオフ作品である。
 本作は冬山での山岳救助を描いたものであるが、人命救助という点で救急医療と共通しており、命の重さ、大切さを想う作者の気持ちがここでもしっかりと伝わってくる。そして、山岳救助でも医療でも、自ら生きようとする意思のない者を救うことはできないのだ。
 本作だけでも十分良い作品なのだが、是非シリーズの他の作品も読んで欲しい。もちろん、本作がイチさんとハルのエピソードとして、「神カル」ファンにとってもたまらない作品であることは言うまでもない。お勧めです。
山  度
( 山度 : 100% )
 山度はほぼ100%と言っていいだろう。作者の山の経験は知らないが、素人ではないようで、特に違和感はないだ。ただ、ミスも犯している。ハルが凄い登山家であることを表す例えとして、「キリマンジャロ単独行をやるような人だ」と言っている。これは頂けない。
 

 
 

作 品 名
「冷たいホットライン」(七河 迦南、2012年)
「空耳の森」に収録)
あらすじ
 正彦と尚子は、同じ総合病院に勤務する医者と看護士だった。3年前から付き合い始めた2人の関係は院内でもまだ内緒だったが、休暇をうまく合わせて一緒に登山に来ていた。尚子はあまり登山に慣れていなかったが、アウトドア派で野鳥の観察と撮影が好きな正彦に合わせて、何度か正彦任せの登山に出かけたことがあった。今回も、野鳥の見られる絶好のポイントがあるという正彦の希望で、まだ残雪が残る県境の山に来ていた。
 2人は一緒に山頂まで登り、そこから野鳥の見られるポイントまで少し下ってゆく計画だったが、山頂近くで尚子が足を捻挫してしまったため、近くの朽ちかけた避難小屋に入り休憩することにした。正彦は、「鳥を観に行ってきて」という尚子の勧めもあり、1人で鳥を見に行くことにした。しかし、正彦が出かけてしばらくしてから、天候が悪化し始めた。初めは風が出てきて雪が舞う程度だったが、やがて振り返っても小屋が見えない程になり、正彦が鳥を見ているうちに天候はますます悪化していった。
 天候悪化が気になった正彦は、急いで戻ることにしたものの、急斜面と積もり始めた雪に足を取られ、思うように進めなかった。吹きすさぶ吹雪の音に不安を感じ始めた尚子だったが、1人正彦を信じて待つしかなかった。携帯を持っていなかった正彦は、無線機で尚子を励まし続けるが・・・。
感 想 等
( 評価 : B )
 この展開で一体どういう落ちをつけるのだろう、あの不気味な黒い影は一体何なの誰なの?くらいの感じで読んでいたが、ラスト近くで見事にしてやられました。ラスト10ページはもう少しスッキリさせても良いように思うが、単純にミステリーとして楽しめる作品。
 感の良い人なら気付くのだろうが、何の予備知識もなく普通にぼーっと読んでいたら、突然の展開に「あっ!」となった。まんまと騙されてしまったようだ。
 余談ながら、2011年発表作品なのに、なんだかんだと理由を付けて登場人物にスマホも携帯も持たせておらず、トランシーバー(無線機)のみでの会話となっている。だからこそ成立するトリックなのだが、ミステリー的には携帯やスマホはトンデモナイ代物としか言いようがないだろう。 
山  度
( 山度 : 100% )
 舞台はずっと山なのだが、どこの山とは明示されていない。

 

 
作 品 名
巨大開発山岳遭難事件(楢山 岳洋、2003年)
あらすじ
 北海道南部の開発を行う第三セクター・道南開発の吉田常務が、五月初旬の八ヶ岳で滑落死した。道南開発はバブル崩壊以降事業に行き詰まり、吉田常務はリストラ・人員整理を担当していた。警察は事故死と判断したが、総務課の高村は、吉田に登山の趣味がなかったこと、5月の八ヶ岳に行くにはあまりに軽装だったことから、吉田の遭難には何か裏があるのではないかと思っていた。
 残務整理の合間に高村は八ヶ岳に登ったり、吉田が登山靴を買ったと思われる店を訪ねたりした。雲表山岳会の山城と名乗る男が会社にやって来て、八ヶ岳で吉田らしき男が2人でいる所を見たとの情報をもたらしたが、転職の準備で忙しい高村はなかなか時間が取れなかった。総務課員女性社員の安西さちえや若手の兄貴分格の浜島源一などが次々と会社を去り、高村も健康食品販売会社へと移った。
 会社を変わってしばらくはあまり時間がなかったが、仕事が軌道に乗るに連れ、高村は調査を再開した。そこにかつての部下で、転職後も情報交換していた安西さちえの訃報が届いた。北海道でフェリーに乗っていて海に落ちたのだという。高村は仕事にかこつけて北海道へと向かった。
感 想 等
( 評価 : D )
 いわゆる山岳ミステリーに属する作品だが、これと言ってトリックがあるわけでもなく、ドラマ性という意味での盛り上がりにも欠ける。山岳小説としてどうかと言えば、山に係る部分のウェイトはそれなりにあるものの、実際の登山シーンの描写は妙に淡々としていて正直物足りない。
 本作品が収められている「掠奪航路」には、もう1つ「羅臼岳夢幻」という作品も収録されているが、こちらも同様。こう書いては作者に申し訳ないが、素人の自費出版に毛が生えた程度の作品と言わざるを得ない。
山  度
( 山度 : 50% )


作 品 名
「血脈」(新津 きよみ、2015年)(「父娘の絆」に収録)
あらすじ
 東京の大学で勤務医として働いていた望月美並は、安曇野で開業医をしている祖父の龍太郎が足を怪我したことをきっかけに信州に戻り、望月内科医院を継ぐとともに大町警察署の警察嘱託医を引き受けた。
 そんな美並の元に、三俣蓮華岳で滑落したという男性の遭難遺体の検死依頼が入った。遭難者は、東京の病院に勤務する高岡という医師で、高瀬ダムから入山して裏銀座ルートを3泊4日の予定で縦走する途中で滑落死したとのことだった。遺体に不審な点はなく、事故死として処理されるはずだったが、大町警察署に「生前、高岡さんが『誰かに命を狙われている』と言っていた」との謎の電話が入ったことから、検視をやり直すこととなった。
 神谷真弓は、3年前に死んだ父が自分の本当の父親ではないと母から聞かされて、ショックを受けていた。結婚を考えていた相手の家族から、真弓の父の色覚異常が遺伝することを理由に反対されていることを母に相談したら、突然父のことを告白されたのだった。真弓は、突然のことに戸惑い、今まで隠されていたことに腹を立てるとともに、自分の本当の父親のことを知りたいと思った。独自に父親探しを始めた真弓が、自分と似て長身で山好きだという医師の高岡に辿り着いた時、その男性が遭難死したというニュースを耳にした。
感 想 等
( 評価 : C )
 祖父の跡を継いで、長野県大町市で警察嘱託医を勤めることになった望月美並が、持ち前の好奇心と鋭い勘で事件解決の糸口を探っていく「三世代警察医物語」。その第二弾「父娘の絆」に収められた一編が本作となる。一応ミステリー仕立てになっているが、謎解きを楽しむというより、物語を楽しむ内容となっている。
 本作では人工授精や親子関係がテーマとなっているが、シリーズを通して、空家問題や高齢化、地方の過疎化などさまざまな社会問題を取り上げている。いわゆる推理もの好きには物足りないかもしれないが、テーマはともかく、気軽に楽しめる作品。なんとなく、TVの2時間ドラマ向きな感じだ。
山  度
( 山度 : 20% )
 舞台が大町市ということもあって、鹿島槍ヶ岳や爺が岳の遠景描写が出てきたり、大町署の大久保刑事の兄が山で亡くなっていたりと、シリーズを通して山に近い雰囲気はある。しかし、話自体に登山が絡んでいるのは本作だけ(これを書いている2015年時点では、2冊4話しかありませんが)。著者自身、大町出身で山に馴染みはあるものの、登山はしないそう。ちなみに、文庫の表紙には槍ヶ岳が使われている。


 

作 品 名
「ナンダ・デヴィ」(西木 正明、1989年)
あらすじ
 東北地方の小さな港町・汐入町で、かつて名クライマーとして名を馳せた大泉久が死んだ。彼は死の直前まで何かに怯え逃げていたと言う。その死に不信を抱いた東日新聞の記者は大泉の手記を手に入れ、その死因を調べ始めた。
 大泉は公式記録では、ガルワール・ヒマラヤのナンダ・デヴィに2回登っていたが、実際は3回登っているという。実は、カンチェンジュンガ主脈縦走の際にポーターの手当てがつかずにモンスーンに突入してしまい、モンスーン終了を待つ間に、入山禁止となっていたナンダ・デヴィに登頂していたのだ。しかも、インド政府の依頼で気象観測機設置のために登っていた。
 大泉や高見らナンダ・デヴィに関わった人間が最近死んでいるのは何故か。ガンジス川で発生している不可解な事件の背景には何があるのか。気象観測機と言われていた機械は本当は何だったのか・・・。
感 想 等
( 評価 : C )
 題材は悪くない、展開もそこそこいい、にも係らず引きこまれるような面白さがない。こういう言い方は失礼以外の何物でもないが、もし、谷甲州のような山岳シーン描写、真保裕一のようなディテール描写、東野圭吾のような構成力・展開力があれば、もっと面白いものになったのではないかという気がする。惜しまれる。
山  度
( 山度 : 40% )
 山岳小説としても物足りない。登山シーンは単なる記録、山日記風に事実のみが書いてあるだけで、登頂への苦労とか、苦しさ、辛さなどというものが伝わってこない。登山のリアルさは本作品にとっておまけみたいなものということかもしれないが、それでは面白みがない。

 
 
 
作 品 名
「夢幻の山旅」(西木 正明、1994年)
あらすじ
 まことの母、女性解放家の伊藤野枝は、まことが3歳になる前に夫と息子を捨てて、大杉栄のもとに走った。まことは、父であるダダイズムの巨匠・辻潤と同居を始めた。
 父の渡仏に同行したまことは、そこでイヴォンヌと知り合いになった。パリで人間としても成長したまことは、雑誌社でカットを描く仕事を始めた。
 義妹との触れ合い、イヴォンヌとの結婚生活、天津での仕事・・・。まことは、放浪癖・奇癖のある父に反発し、自分を捨てた母に憧憬を抱きながらも、自由を求めてさまよい続ける。
感 想 等
( 評価 : D )
 山を愛した自由人・辻まことの伝記小説。これは作者のせいではないが、自由という名のもとに他人に迷惑をかけ、勝手に振る舞う生き方に自分は共感できない。まことの悲しみ、苦しさ、淋しさは理解できないことはないが、だからと言ってその生き方を肯定する気にはなれない。主人公の生き方に共感できない以上、この小説は自分にとって魅力的なものとは写らない。
山  度
( 山度 : 5% )
 山岳描写は巻頭部分のみ。山岳小説としても物足りない。

 
 
作 品 名
「炎」(西原 健次、2001年)
あらすじ
 赤松好夫は、仙丈岳山麓にある総合病院で焼却炉の焼場職員として働きながら、遭難が起きた際にはレスキューの手伝いをしていた。著名な山岳写真家・黒沼武志が遭難事件を起こしたのは12月のことだった。黒沼は過去何度も救助隊の世話になっており、好夫は自業自得だと思ったが、女性の助手が一緒だと聞き、渋々救助に出かけた。他の救助隊メンバーは猟師が多く、二重遭難の危険がある中での出動を嫌がったが、仕事も技術もある好夫は、1人で救助に出かけた。
 仙丈岳南東の断崖、雪に埋もれたテントの中に2人はいた。1度に2人を助けることはできない。凍死寸前の黒沼と、いくらか動けそうな助手・綾美の様子を見た好夫は、綾美を助けることにした。結果、黒沼は遭難死した。綾美は、好夫が勤める病院に入院したが、時々好夫の所にやってきては、「あなたは黒沼さんを見殺しにした」「自殺してやる」と好夫を責めた。
 好夫は、退院した綾美を連れて、黒沼の遺体捜索に出かけた。遺体は無事見つかったが、勝手に仕事を休んで捜索に出かけた好夫は、仕事をクビになってしまった。
 好夫は実家に戻った。そこは、既に亡くなったろくでなしの父親と、その保険金を持ち逃げした後妻とが住んでいた場所で、好夫は炭焼きと猟師をして暮らしていくことにした。黒沼が亡くなった冬に自殺をするという綾美は、やることがないという理由で好夫の家に転がり込んできた。やがて、炭焼きの興味を覚え、好夫の人柄に触れた綾美の心境に変化が現れ始めた。
感 想 等
( 評価 : C )
 あだち区民文学賞を受賞したという作品。同じ文学賞の佳作を受賞した作品「Silent Death森と死と風と」(荻野智美)を併録している。
 ラストを含めおおよそ展開が想像できてしまうが、ベースは恋愛小説なのでそれは問題ない。また、恐らくは著者の職歴に基づくであろう焼却炉等に関する専門的な記述や、登場人物の生い立ち・キャラもしっかりと描かれている。奇想天外な展開もなく、感動的というほどではないが、安定感がある作品。
山  度
( 山度 : 20% )
 冬の仙丈岳登山シーンあり。山頂までは登りません。


 
作 品 名
「冬のデナリ」(西前 四郎、1996年)
あらすじ
 1964年、仲間とともにアラスカのセント・エライアス峰に登頂したジローは、そのままアラスカに残りメソディスト大学に留学することにした。ある日ジローはアーサーの訪問を受け、2人はすっかり意気投合し、あちこちの山を一緒に登るようになる。
 アーサーはジローと過ごすうちに「冬のデナリ」登頂という野心的な計画を思いつくが、メンバーが集まらない。ようやく集まったグレッグ、ジョージ、ファリーン、ジェネ、デイブ、ジョンにアーサーとジローの8人は、デナリへと向かう。
 いきなりファリーンがクレバスに落ち死亡するというアクシデントに見まわれたものの、7人は登山を続行した。4週間かけて第4キャンプに辿りつき、ついにアーサー、デイブ、ジェネの3人がアタックに向かった。吹き荒れる猛吹雪、アタックに向かった3人は・・・?
感 想 等
( 評価 : A )
 小説と言うべきか、記録文学というべきか。セミドキュメンタリーという言葉もある。拙HPではどちらかに分類しており、敢えて実名を避け、恐らくはある程度の創作も含まれているであろうことも考慮して、「小説」に分類した。
 内容的には、事実ゆえの重み、リアルさがよく伝わってくる。3人が無事生還したシーンでは思わずこちらも一緒になって喜んでしまう。小説の良さと記録もののリアルさをうまくミックスさせたなんとも言えない作品。
 後日談の部分は、あとがきのような位置付けでも良かったのではないかという気もするが、ラストの一言がいい。"It was a fun."蓋し名言である。
山  度
( 山度 : 90% )
 デナリの過酷な自然、雪洞での生へのあがき、ブリザード、凍傷、・・・。山岳小説、山行記録そのもので、迫力も満点。

 

 
作 品 名
「荒涼山河風ありて」(西村 寿行、1978年)
あらすじ
 磐梯朝日連峰の五色沼で巨大な土石流が起こり、気象庁技官・河北央ニの妻と娘を含む40人が生き埋めとなった。同じ時刻、山形日報の記者寺本徹は怪光を目撃した。
 怪光に疑問を抱いた寺本はその原因を探り始めた。しかし、そのために警察に目を付けられ、罠に嵌って売春婦殺しの汚名を着せられることとなり、逃亡生活を余儀なくされる。
 一方、寺本の話を聞いた河北は、人為的な土石流発生を疑い始め、調査を開始する。その結果、自衛隊による地震兵器開発の事実を知るが、2人は自衛隊から何度も命を狙われることになる。
 2人に協力して真相を探る能取教授。巨大組織に立向う河北と寺本。
感 想 等
( 評価 : D )
 一見ハードボイルド風なのだが、その中に戦う男の正義感や信念、情熱のようなものが感じられず、ただのドロドロした復讐劇となっている。後半からラストに向けては特に頂けない。風景描写も雑で、リアル感のない物語に終わっている。
山  度
( 山度 : 10% )
 磐梯朝日連峰に発生する土石流、離森山での自衛隊との死闘、などで山のシーンがあるが、山度は低い。

 
 

作 品 名
「魔の山」(西村 寿行、1987年)
あらすじ
 警視庁捜査一課の刑事・遊佐大吾が何者かに命を狙われた。遊佐を狙ったダーツが逸れて、近くにいた若者が巻き添えで死んだ。
 同じ頃、戸隠山に登山に出掛けた遊佐の弟・純二が帰ってこない。遭難を心配する一方で、自分を狙う犯人に襲われたのではないかと心配した遊佐は、捜索に出掛けたものの行方は掴めなかった。
 ダーツ犯はつかまらず、また戸隠山ではその後もなぜか失踪が続発していた。魔物の仕業かどうか確かめるために、遊佐は戸隠山で一夜を明かすことにした。
 事件の犯人は?戸隠山神隠しの謎は?
感 想 等
( 評価 : E )
 さっぱりわけがわからない。何の為の戸隠山の神隠しなのか、事件との関連が見えない。文章も話の展開も下手だし、西村寿行という作家はこれほど有名なのに、こんなものしか書けないのだろうか。
山  度
( 山度 : 10% )
 戸隠山が舞台として登場するが、実際に登っているシーンはほとんどない。
 
 
 
 
作 品 名
「風は山から吹いている」(額賀 澪、2021年)
あらすじ
 慶安大学に入学した筑波岳は、スボーツクライミング部の国方部長から執拗な勧誘を受けていた。なぜなら、岳は強豪校出身で、インターハイ出場経験もある選手だったのだ。しかし、岳は大学に入ってまでクライミングを続けるつもりはなかった。このまま競技を続けていてもオリンピックに出られるような一流選手になれる見込みがないと悟ってしまったのだ。
 そんなある日、登山部の梓川穂高の帽子を偶然拾ったことから、穂高に登山に誘われた。山に登る気などなかったが、強引な穂高に根負けし、1回だけ付き合うことにした。行き先は自分と同じ名前の筑波山だった。筑波山で岩場を登りながら、穂高は自分がまだスポーツクライミングが好きなんだと気付いた。一方で、山頂からの雄大な景色を眺めながら、勝ち負けがない世界もいいかな、と思い始めていた。
 登山部に入部した岳は、4回目の登山で鍋割山に出かけた。山頂で名物の鍋焼うどんを食べていた岳のスマホに、高校時代のコーチ宝田謙介から電話がかかつてきたが、謙介が無言のまま何も話し始めなかったことから、岳は電話を切ってしまった。謙介はスポーツクライミングで日本代表候補にまでなった選手だったが、怪我で引退してからは仕事面などで恵まれていたとは言えず、岳が、大学に入ったら競技を辞めることを決める一因になった人物だった。当時、しきりに引き止める謙介に対して、岳は「あなたみたいになりたくないから」と最低の一言を放ってしまった。結局、ケンカ別れのようになってしまい、以来、岳は謙介と会っていなかった。
 鍋割山から帰った翌朝、岳は謙介が宝剣山で滑落死したとの連絡を受けた。ちょうど、岳が電話をもらった時間だった。事故と処理されたが、自殺との噂も立った。その日から、岳は山に登れなくなってしまった。穂高に後押しされる形で岳は、なぜ謙介が死んだのか、その原因を調べることにした。高校クライミング部のコーチや謙介の同級生などに話を聞いたが、誰もが一様に、謙介が自殺するはずがないと言う。しかし、一抹の疑念は拭い切れないようで、結局真相は分からなかった。
 調査の過程で、岳はたまたま穂高の過去を知ることになった。穂高は小学生の時に飛行機事故で両親と姉を亡くしており、飛行機が墜落した南アルプスの聖岳へ追悼登山に出かけるために登山を始め、そのまま登山にはまってしまったのだった。
 真相はわからないままだったが、岳は、謙介が亡くなった日と同じルート、すなわち木曽駒ヶ岳と宝剣岳を歩いてみることにした。岳と穂高は、千畳敷カールから木曽駒ヶ岳を経て宝剣岳へと登った。宝剣岳山頂からの景色を見ながら、岳は思ったのだった・・・。
感 想 等
( 評価 : C )
 高校時代の恩人であるスポーツクライミング部のコーチが宝剣岳で滑落死した。もしかしたら自殺したかもしれない、自分に何か出来たのかもしれない、いや自分が引き金を引いてしまったかもしれない。そんな自責の念から、謙介コーチの死の原因を調べ始めた岳。
 軽いミステリー仕立てで、読み易く、物語の展開も自然。大感動とまではいかないものの、読後感は爽やか。登山やクライミングの魅力も十分伝わってくる。どこにでもいそうな今時の若者・岳、ちょっと良い人過ぎるものの飄々とした穂高、独特の存在感を見せる水瀬ほか、登場人物に嫌な人がいないのも、爽やかさの一因かもしれない。
山  度
( 山度 : 90% )
 筑波山に始まり、鍋割山、日の出山、木曽駒ヶ岳、宝剣岳と登山シーンも豊富。ただ、物語とは全く切り離して、山好きとしては多少気になる点がある。登山とクライミングが全く別のジャンルとして描かれており、スポーツクライミングから入った人はともかく、登山から始めた人(本作では梓川穂高)がクライミングのド素人というのはやや違和感がある。また5月の宝剣岳で滑落したのに、雪にまったく触れていない。その他、高尾山の標高が間違っている(427mはロープウェイ山頂駅の標高)点など、感覚的には登山に必ずしも詳しくないとの印象を受ける。
 
 
 
 
作 品 名
「分水嶺」(能島 龍三、2006年)
あらすじ
 山岡俊平は、パートナーの村越数馬と一緒に、谷川岳にロッククライミングに来ていた。1ヶ月前に虫垂炎で1週間入院したため、久しぶりの岩登りだった。俊平と数馬は同い年だったが、俊平は大学に通い、数馬は高校を卒業してから働いていた。2人が岩場に向かう途中、「あーっ」という叫び声とともに、赤い物体が落ちていくのを目にした。誰かが落ちたらしい。仕方なく2人が現場に向かうと、落ちて亡くなったのは、2人が夜行列車の中で一緒になった、赤いセーターを着たメガネの男だった。検死作業を待つ間に俊平は、赤いセーターの男が落ちている間に何を考えていたのか、なぜ死の危険を冒してまで山に登るのか考えていた。同じクライマーとして遺体搬出作業を手伝った俊平は、その途中、いつになく自分の足がすくんでいることに気が付いた。
 俊平は、大学のゼミ仲間の芹沢由紀子に、谷川岳での遭難の話をした。すると由紀子は俊平のことを、「生きているエネルギーの総てを登山に注ぎ、それ以外の日は惰性で生きているようだ」と言った。俊平は、由紀子の言う言葉の重みを実感しつつも、それを肯定することは自分の生き方を否定するような気がして、受け入れることができなかった。
 俊平と数馬が所属する登攀クラブ岩稜の夏季合宿の終わりに、俊平は数馬から会社を辞めたと聞かされた。たまたま登山で一緒になった海外登山研究会の人から割の良いバイトを紹介され、山に打ち込むためにバイトをしながら山に行くことにしたのだという。
 そんな数馬が谷川岳で事故に遭ったとの連絡を岩稜会の吉原リーダーから受けたのは、俊平がバイト中のことだった。急いでバイトを抜けた俊平は、吉原の車で谷川岳へと向かった。数馬は登山研の合宿に参加していて、事故に遭ったのだという。数馬を含めた4人のクライマーが墜落し、遺体で発見された。数馬の遺体収容を手伝った俊平は、人間が何のために生まれ、そして死んでいくのか、ひとり自問していた。
感 想 等
( 評価 : C )
 クライミングに打ち込み、クライミングを生きがいにしている俊平。たまたま遭遇した墜死遺体の搬出、恋人の言葉、ザイルパートナーの死を経て、俊平は生きることの意味を考え始める・・・。若者らしい繊細な感性、脆さ、葛藤が交錯する作品。
 本作は、同じ作者の「夏雲」の習作的な作品。短編集「分水嶺」に収められた短編。本作の雰囲気も悪くないが、これを気に入った方には、「夏雲」の方も読んでい欲しいと思う。
山  度
( 山度 : 80% )
 主人公たちは群馬県出身で、山はもちろん谷川岳の一の倉沢。
 
 
 
 
作 品 名
「夏雲」(能島 龍三、2010年)
あらすじ
 身体が小さく、勉強もあまりできなかった岡田昇平は、いつも劣等感を感じていた。そんな時、中学時代の友人に誘われた登山で自分が登山に強いことに気付き、本格的な登山を始めた。自分にはこれしかない、そんな思いで登山にのめり込んだ昇平は、高校三年生の冬に単独で谷川岳に登った。山小屋で、碧山登高会の小此木と宮本という二人組に出会った昇平は単独行の限界を感じ、会に入ることにした。
 会では諸星麦という年上の男性とザイルパートナーとなった。バクさんとは気が合った。2人はよく一緒にザイルを結んだ。中卒で大工をしている諸星は、養護施設育ちの戦災孤児だった。警察官だった父が家の外に女を作って出て行って以来、母、姉、妹と貧しい生活を送ってきた昇平だったが、諸星の境遇を知り、自分が不幸だと思う気持ちを改めた。
 昇平は、上毛大学に入学した。大学は学生運動真っ盛りの時代だった。大学で、昇平は大学で幼なじみの芹沢由紀子に再会した。小学校の時に一緒に児童会の役員を務めた仲良しだったが、小三の時に昇平が転校して以来の再会だった。時々2人で会って話すようになるうちに、昇平は由紀子に好意を抱くようになったが、由紀子は昇平との関係にどこか物足りなさを感じていた。由紀子は人の生き方について真剣に語り合いたいと思っていたが、昇平は山に夢中だった。それでも、昇平が由紀子との関係を真面目に考えてくれていて、由紀子が読んだ本を昇平も読んで議論したり、赤城子ども会に一緒に参加してくれることに由紀子は嬉しさを感じていた。昇平も、子ども会での活動を通じて教育というものの大切さを感じ始めていた。由紀子は、近現代文学研究会での活動や、子供会を通じて婦人論や教育について学び、民青で活動するようになった。昇平は、山岳会のメンバーによる谷川岳衝立岩直登開拓に打ち込む一方で、バクさんの死や由紀子との関係もあり、将来について悩んでいた。
感 想 等
( 評価 : C )
 家族関係や友情、男女の恋愛、人生設計、人の命・・・。生きることに、人間関係に悩む若者を描く青春小説。繊細で傷付きやすく、また揺れ動く若者の心情が、さまざまな出来事を通じて、うまく表現されている。
 そういう意味では普遍的なテーマなのだが、一方で民青とか三派系、全闘連、バリストなどという言葉が出てきて、意味は理解はできるものの感覚が付いていかない。どんな小説も時代背景の影響を受けるのは当然。戦争小説などは典型的だ。ただ勝手な言い分だが、大学紛争が絡む時代背景の作品は、同時代を生きた人々の連帯感がある一方で、他の世代を排除しているように感じてしまう。本作は、団塊の世代の方であれば共感する部分も大きいだろう。
山  度
( 山度 : 30% )
 山に関していえば、谷川岳での岩壁登攀シーンなどかなり本格的に描かれている。山好きにとっては嬉しいが、さきほどの理屈でいえば、山好き以外を排除してしまうレベルの本格度合かもしれない。
 冬富士で滑落死した人の遺体を見て以来、後遺症で膝がガクガクするという昇平に、親友の三本松の言うセリフが重い。「現実を見ないようにして守るものって何だ。人の死に様を見ると続けられなくなる登山て何だ。おまえの山は変だ」。
 
 
 
 
作 品 名
「髑髏山脈」(野間井 淳、1993年)
あらすじ
 (ネタバレありですので、ご注意下さい)
 私は白い山の麓に住んでいる。ここに来る前は大きな町に住んでいて、大学に入って一人暮らしを始めた。ウェイトレスなどのアルバイトをしながら家賃を払っていた私の部屋には、山の写真やポスターがいっぱい貼ってあった。高校の時に叔父に連れられて山に登って以来、山が大好きになったのだ。恋人は私が山に登るのを嫌がったが、部屋に来るといつも民話や神話の話をしてくれた。やがて恋人は商社に入り、私は銀行で働き始めた。
 それから3年経った頃、南の島から帰ってきてから、恋人の鼻が大きくなり始めた。何十cmも伸びたが、病院に行っても理由は分からない。私の親友は今のうちに別れることを勧めたが、そんな気はない。恋人は、鼻のせいで海外転勤のチャンスを逃したことを悔やんでいた。やがて鼻は60cmを超え、テレビでも取り上げられるようになっていった。
 私は、両親や親友の反対を押し切って恋人と結婚し、会社も辞めて、誰もいない山奥に移り住んだ。家庭菜園をしたり、山歩きをしたり、ささやかな2人だけの生活を始めたが、その間も恋人の鼻は成長を続け、やがて2mを超え、恋人は鼻の重みで起き上がれなくなった。3m、4mを超え屋根を突き破った頃にまたテレビのレポーターがやってきた。鼻が5mになったある冬の日に、恋人は死んだ。鼻の重みで恋人を動かすことができず、そのまま家を墓にして、私は隣の納屋に移り住んだ。恋人が死んだ後も鼻は成長を続け、100mを超えた。いつしか鼻は山になった。
 ある日、かつて鼻の穴だった場所から中に入ると鍾乳洞になっていた。静かで冷たかった。しばらくして、フリークライミングをマスターしていた私は、白い山に登った。そして山頂からの景色を見て私は悟った。そこには骸骨山脈が広がっていた。
感 想 等
( 評価 : C )
 恋人の鼻が伸び続け、本人が死んでも伸び続けて、ついには山になってしまうという寓話のようなお話。ちょっと安部公房を彷彿させる。リアリティのない話なのに、違和感なく入ってきてしまうのは、平易で読みやすい文体と、文章と流れが自然なせいだろう。もう少し主人公の感情の起伏が表現されていても良いと思うが、不思議と心に残る話。
 寓話が何を象徴しているのかは正直よく分からないが、無神経なマスコミや心ない親友の言葉などは風刺が効いている。また、醜い鼻になった男性との結婚を諫める親友に対して、「彼は鼻じゃない」という主人公の一言は、真理である一方、つい欠点に目が行ってしまう凡人にとっては痛いところかもしれない。
 本作は新潮新人賞を受賞した作品であるが、野間井淳という作家の名前をその後見かけない。
山  度
( 山度 : 20% )
 主人公の女性は山好きで、ロッククライミングもたしなむ。白い山になった鼻にも登っている。にも係らず、山感とでもいうのか、登山の雰囲気は薄い。実際の登山やクライミングのシーンがほとんどないことともあるし、架空の山というせいもあるかもしれない。
 主人公の部屋に貼ってある山の写真として、「マッキンリー、チョモランマ、キリマンジャロ、穂高、富士」と書かれている。おかしくはないが、ミーハー感が否めない。一般の人の分かりやすさを優先してこうなったのか、あまり山に詳しくない人なのか、どちらなのだろう。
 
 
 
 
作 品 名
「アルプスの見える庭」(野村 尚吾、1958年)
あらすじ
 温厚な父・宏一、優しい母・孝子と一緒に暮らす、ごく普通のOL・三重子は、昨年父に連れられて穂高岳に登って以来山に魅せられていた。何不自由ない生活だったが、定職にも就かずいい加減な性格の叔父・章二が嫌いだった。
 ある時友人と4人で尾瀬に登山に出かけ、途中出会った男性3人組と行動を共にして、至仏山へと登ったが、帰路道に迷い遭難してしまった。リーダーの京田淳が単身助けを呼びに下山してなんとか助かり、それ以来女性4人、男性3人の交流が始まった。
 三重子はリーダーの京田に心惹かれていた。内藤喜代も京田のことが好きなようだった。京田、喜代らと出かけた八ヶ岳山行でギクシャクしてしまった喜代との関係、父の叔父・満次郎の葬儀に伴う帰郷を通じて感じた立山芦峅寺で坊を営んでいたという自分の祖先の血、立山で行方不明になった叔父・章二の捜索など様々な事件を通して、三重子は自分が変わりつつあることを感じていた。
感 想 等
( 評価 : C )
 山を軸にした1人の女性の青春の記、といった感じ。三重子と京田のさわやかな恋。悪くはない。悪くはないけれど、何か盛り上がりに欠け、言いたいことが今ひとつ伝わってこない作品。漠然とした感じになってしまったのではないか。
山  度
( 山度 : 60% )
 至仏山登山と遭難、八ヶ岳山行、立山と山が物語にとって重要なキーになっている作品。ただ、迫力ある登山描写という感じではない。


 
作 品 名
「私たち登山部」(野村 尚吾、1964年)
あらすじ
 西南高校の3年生になった牧野宏子は、登山部のリーダーを2年生に譲り、身軽な立場で新人歓迎山行の大菩薩嶺登山に参加していた。引率の渡利先生、OBの郷誠之、同級生で仲良しの林加津子、宏子に懐いていた愛嬌のある新人部員・岡部利子ことトン子らが一緒だった。帰路雨に降られたものの、これから受験勉強に専念する宏子たち3年生にとっては思い出深い山行となった。
 山から戻って数日後、宏子は同級生の男子生徒・熊谷たちが、何か悪巧みを計画しているらしいことに気付いたが、誰にも相談することができずにいた。一方、以前から具合の悪かった加津子の父が亡くなったことから、加津子が大学に進学できるかどうかわからなくなり、加津子は情緒不安定になっていた。
 登山部の夏山登山は穂高だった。一時は参加が危ぶまれた加津子や、親に嘘がばれて行けなくなりそうだったトン子も加わり、総勢17名のパーティとなった。上高地から横尾で一泊し、奥穂高岳を往復した。途中、まだまだ精神的に不安定だった加津子が雪渓でスリップしたり、雨で丸木橋が流されて停滞したりといったアクシンデントもあったが、宏子は加津子との友情を誓いあったのだった。
 熊谷たちの悪巧みはその後も続いており、宏子はクラスメートの久世幸治に相談し、事態の打開を図った。
感 想 等
( 評価 : D )
 女子中学生・高校生を対象にした少女小説を、月に2回発行していた秋元書房のジュニアシリーズの1冊。登山部である必然性は特にないのだが、登山ブーム真っ只中の1960年代の本なので、世相を反映しているということなのだろう。
 少女小説とはこういうものだと言われればそれまでだが、高校生活の中で起きている事件がかなりショボくて、何をそんなに大げさに考えているのだろうとの印象を受ける。少女小説を大人が読むと・・・という部分もあろうが、恐らくは時代の変遷も影響しているのだろう。
山  度
( 山度 : 30% )
 野村尚吾氏は登山好きなのか、氏の作品にはしばしば登山シーンが出てくる。本作でも大菩薩嶺と奥穂高岳登山が描かれる。大菩薩へ夜行で行ったりと、今とのギャップも楽しめる。