作 品 名 | 「白の彼方へ」(真崎 ひかる、2007年) |
あらすじ |
同じ大学に通っていたいた伊澤朝陽と橋田稜は、バイト先が同じだったことから仲良くなり、付き合うようになった。ところが、山に夢中で大学山岳部に所属していた稜が、北アルプスで雪庇を踏み抜いて行方不明になった。あれから3年、卒業シーズンを迎えても、朝陽は稜のことを忘れられずにいた。そんなある日、朝陽はテレビで立山黒部アルペンルート開通のニュースを見て、衝動的に室堂まで来てしまった。そこで坂野という老人に声を掛けられた朝陽は、成り行きで山荘の手伝いをさせられることになった。まだ就職が決まっていなかったこともあって、朝陽はそのまま山荘で働くことになった。 山荘で働いている間に山岳警備隊の浅田と出会い、体だけを重ねる日々。いつの間にかもう7年が過ぎようとしていた。3年前に坂野老人が病気で倒れてからは、朝陽が1人で山荘を管理していた。 朝陽が塩見と会ったのは、山荘を開けるために屋根の雪降ろしをしている時だった。浅田に連れられてやってきた新人が塩見だった。朝陽よりも2つ年下だという塩見は、稜とソックリだった。しかも、塩見は朝陽のことを美人だと言い、一目惚れしたようだった。以来、何かにつけ山荘に寄る塩見と、塩見のことを意識しつつも逆につれなくする朝陽、朝陽との関係を見直そうとする浅田の奇妙な状態が続いた。そんな時、救助活動中の塩見が、奥大日岳の稜線から滑落したとの連絡が入った。 |
感 想 等 |
(評価:D) BLです。ボーイズ・ラブなんです。もし朝陽が普通の女性として描かれていたら・・・。そうイメージすると、なんだか良い感じの恋愛小説のように思えるのですが、如何せん朝陽も浅田も塩見も男で、男同士のエロシーンはちょっとちゃんと読めないです。そこさえ除けば、登山シーンはそんなに多くないものの、北アルプス剱岳近くの山荘や山岳救助隊が登場する山の雰囲気に溢れたお話です。 この作品、書いているのは女性・・・ですよね。いやはや、世の中には不思議な嗜好、不思議な世界があるものです。朝陽が女性なら「B」に近い「C+」評価、男性なので「D」評価。そんな感じです。 表題作のほか、「青の果てまで」「山小屋の怪」を収録。もちろんBLですが。 |
山 度 |
(山度:70%) 北アルプス、山小屋、山岳警備隊・・・・。山度は結構高いです。 |
作 品 名 | 「暁の高嶺で」(真崎 ひかる、2010年) |
あらすじ |
3月半ば、富山県山岳警備隊のメンバーが訓練のために集まった。山岳警備隊3年目の音羽史規、その先輩で史規が苦手にしている浅田、1年後輩の塩見、同期の江藤らだ。そこに、エベレスト遠征とスイスでの研修を終えた高代が2年ぶりに戻ってきた。史規は、高代の名前を聞いてどうしたらいいのかわからなくなった。高代は、史規の大学山岳部の先輩で、史規を山岳部に引き込んで登山のイロハを教えてくれた男、そして2年前まで付き合っていた相手だった。 大学時代、高代はいつもふらりと山へ出掛けて、史規を置いて行った。そんな高代に史規は、「今度は俺も連れていけ」といいながらも、山の楽しさもわかっているから、ただ一人で高代を待っていたのだった。彼を理解できるのは自分だけだ、と思いながら。 大学を出た後、富山県警に就職した高代の後を追うように県警への就職を決めた史規だったが、それを高代に話す前に、突然高代が「エベレストへ行く」と言いだした。自分に一言の相談もなく勝手に決めた高代に怒った史規は、部屋を飛び出しそれっきり戻らなかった。高代と史規が顔を合わせるのは、それ以来2年ぶりのことだった。久しぶりに復帰した高代を交えての訓練が始まった・・・。 |
感 想 等 |
(評価:D) う〜ん・・・・・。最初にお断りしておきますと、評価「D」はひとえに趣味の違いだけによるものです。山岳警備隊を主人公にした話で、それなりに山度も高いし、文章も読みやすく、話も悪くないです。それでもねぇ・・・・・・BLなんです。男と男の恋愛とか肉体関係ってどうなの?って思うと、急に冷めてしまいます。扉絵からしていきなり男同士でキスしてるし、文章だけならまだしもイラストを見ると、余計にその印象が強まります。 雪の剱岳付近というかなり過酷な状況設定のはずなのに、あまりその重さが感じられないのはBL的内容のせいなのか、それとも文章力の問題なのか・・・。なにも男同士にしなくても、普通に男女の恋愛として書いても成立すると思うのですが・・・。 |
山 度 |
(山度:70%) 雪の剱岳を舞台にした山岳警備隊の物語。山度もかなり高いのですが・・・。 |
作 品 名
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「ラスト・ホールド!」(松井 香奈、2018年)
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あらすじ
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取手坂大学ボルダリング部は廃部の危機に晒されていた。4年生が卒業し、部員は怪我から復帰したばかりのキャプテン岡島健太郎一人だけ。部員が7人いないと部として認められず、クライミング・ウォールが取り壊されてしまう。岡島は必死で新入生勧誘に奔走した。地方出身で自然と触れたがっていた新井、ボルダリング野郎に彼女を取られ復讐を誓う桃田、バンドが解散してしまったドラマーの高井戸、パズルゲームの天才中道、さらにダンサーの桑本と、訳あってボルダリングを辞めた河口を仲間に引き入れ、何とか7人が揃った。
素人5人を抱える新生ボルダリング部は基礎練習を繰り返した。しかし5月下旬の個人戦では経験者の岡島と河口しか決勝に進めなかった。しかも、怪我をする前の自分に勝つことにこだわって落下した岡島も、過去のトラウマに捕らわれていた河口も、悩みを抱えていた。このままでは、優勝した強豪校・昇竜大学には勝てない。個人戦後、岡島は就職活動で部活から離れざるを得なかったが、他のメンバーは夏の団体戦に向けて個々の強みを生かす猛特訓を行った。 しかし、奥多摩の岩場での練習中、河口の過去をきっかけに昇竜大学との間にいざこざが起き、桑本が怪我をしてしまった。河口には、ジュニア時代の大会で偶然決勝戦のルート図を事前に見たために失格となり、優勝を取り消されるという経験があった。そのことで後ろ指を指され続け、今回もトラブルになってしまったのだ。自分を責める河口が部を辞めたことで、ボルダリング部の仲間の心はバラバラになりかけていた。でも、いつの間にか皆、ボルダリングが好きになっていた。仲間たちの信頼も出来上がっていた。メンバーが6人いないとボルダリングの団体戦には参加できない。仲間の熱い思いを受けて河口が立ち直り、部に戻ってきた。そして、怪我の桑本の代わりに、就活の最終面接を抜け出して岡島が駆けつけて来た。ついに、取手坂大学ボルダリング部の戦いが始まった。 |
感 想 等
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(評価:B)
ABC-Zの塚ちゃんこと塚田僚一主演の映画「ラスト・ホールド」のノベライズ本。東京オリンピックの正式種目採用を受けて今流行っているスポーツクライミングを題材にした作品で、ジュニア文庫ということで文章も平易だし、競技のルールをよく知らない人にも分かるように配慮された作りになっている。 ストーリーはほぼ映画のそのままで、文字量的にも短めですぐに読めてしまう。映画そのものはジャニーズ映画ということで一部にネガティブな反応もあったが、内容は個人的には結構気に入っている。「ボルダリングは人生と同じ。壁と向き合い、登っていく。そして、壁を登りきると、また新たな壁が現れる―。」がコンセプト。ボルダリングを人生に見立てて、壁を乗り越えるとか、何度でもチャレンジできるといったフレーズは、多少ベタな感じはあるものの、ドラマという意味では悪くない。 |
山 度
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(山度:90%)
スポーツクライミング小説なので何が山度か曖昧だが、クライミング関連を以て山度とした。 |
作 品 名 | 「竹澤長衛物語 南アルプス開拓の父」(松尾 修、2012年) |
あらすじ |
明治22年、長野県伊那市の仙丈岳山麓に生まれた竹澤長衛は、15歳の時から猟の仕事を始めた。特に、叔父と出かけた熊撃ちで南アルプスの山中を駈け回ったことで、超人的な体力と観天望気など山に必要な知識を身に付けていった。 3年間の軍隊生活を優秀な成績で終えた長衛は、地元の山に戻ってきた。やがて、熊長と呼ばれるほどの腕だった猟の仕事に加えて、折から増え始めた登山者の案内の仕事も引き受けるようになった。大正14年、京都の三高(京大)の西掘栄三郎や桑原武夫らによる、スキーでの積雪期北岳登山の案内から戻った長衛は、下伊那郡長から呼び出際を受け、長野県知事一行の南アルプス視察に同行することとなった。梅谷県知事ほか県庁の15名と下伊那郡役所の臼田郡長ほか3名、さらに人夫10名を連れた大部隊は、7月に2週間かけて甲斐駒ケ岳から赤石岳までの縦走を果たした。長衛は知事から絶大な信頼を得るとともに、この時の視察は8箇所の山小屋の建設などの形で活かされた。 三高の高橋健治らによる北岳バットレス登攀に同行したのち、長衛は増え続ける登山者の安全のため、苦労のすえに北沢長衛小屋を建設した。その後、西掘栄三郎や今西錦司らに請われて出かけた樺太探検から戻った長衛は、藪沢新道や栗沢山新道の開拓や藪沢小屋の建設など、南アルプスの開拓につとめた。 |
感 想 等 |
(評価:C) 猟師として、また山案内人として名を馳せ、登山者の安全のために山小屋を建設し登山道を切り拓き、さらに遭難救助にも尽力するなど、大正から第二次世界大戦前までの時期に、南アルプス開拓に心血を注いだ竹澤長衛の一生を描いた物語です。その時代というと、上條嘉門次や牧の喜作など北アルプスの方が有名ですが、南アルプスにもこういう方がいたとは知りませんでした。作品を読むと、当時の登山界の様子がよくわかり興味深く、西掘栄三郎や今西錦司など後に重鎮と呼ばれる人たちが、若き青年として登場するのも嬉しい。 面白いのは山案内人である長衛が登山家のような野心も合わせ持った人物として描かれている点。実際の長衛がどうだったのかはわからないが、山好きの人が、たとえ案内人だからといって、ただ滅私奉公に徹するだけではつまらないと思うのです。北岳バットレス初登攀に燃えたり、樺太探検に魅かれたりする長衛の人間臭さに、むしろ好感が持てます。 |
山 度 |
(山度:100%) 甲斐駒ヶ岳や仙丈岳、北岳など南アルプスのいろいろな山が出てくる。登山としての一番の見どころは、県知事を案内して行った南ア全山縦走だと思うが、このコースは今もって魅力的なコースの一つだろう。 |
作 品 名
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「山に帰る日」(松崎 有理、2016年)
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あらすじ
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彼が初めて山に登ったのは、小学校の遠足だった。標高の低い山だが、登山の爽快感や新緑色の木漏れ日など見るものすべてが新鮮で、彼は高く青い丸天井のような空に驚いた。以来、子供向け登山教室から始め、日帰り登山、山小屋泊、テント泊とレベルアップしていき、大学の頃には3,000メートル峰の縦走にも出かけた。
しかし、大学生の夏に、稜線のガレ場を歩いていた時にうっかり浮石を踏んで滑落してしまった。無事ヘリで救助されたものの、脊髄損傷により彼は自分の足で歩けなくなった。一年間のリハビリを経て大学に復帰したが、車椅子での生活は考えていた以上に大変だった。もう山に登れないと思うと、大学なんてどうでも良いと思う時もあった。 そんなある日、退院後のフォローで訪れた病院で、若い臨時の医師から未発表の最新型車椅子の治験、すなわちモニターを勧められ、彼は即断した。それは、4つの車輪の代わりに関節で自在に動く8本の足が付いた車椅子で、それなりに体力を必要とするものの、非常時には完全手動で動かすこともできるものだった。2年後、スパイダーチェアと名付けられた新型車椅子の広告塔として活躍した彼は、ついに、小学校の時に初めて登った山に登りに来ていた。 |
感 想 等
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(評価:C)
4人の作家による10編の作品を収録したショートショート集「未来製作所」の中の1編。ショートショートのコンセプト・テーマは、「移動」と「ものづくり」。「まだ誰も知らない未来を描く」とのことだが、内容的には今の最新技術の1,2歩先をいく程度のSF感の作品が多い。ショートショートらしいオチの意外感・爽快感もソコソコ。 ただ、こと本作については、近未来感やオチは別にしても、心暖まる物語と機知に富んだ決めセリフ、全体構成が上手いので、読後感も良い。 |
山 度
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(山度:80%)
登山は題材に過ぎないので、山の描写については可もなく不可もなくといった程度。 |
作 品 名 | 「谷川岳」(松崎 洋二、1990年) |
あらすじ |
谷川岳中ゴー沢での事件以来山を絶っていた吉川のもとに、大学山岳部OBの加賀美が訪れた。OB会創設10周年記念で海外遠征を目指すため、吉川にメンバーを訓練して欲しいと言う。当初は断った吉川も恩師西宮先生に頼まれ、結局は引き受けることになった。 海外遠征は大学創立50周年の記念行事となり、吉川はかつての相棒相沢とともにメンバーを鍛えていく。谷川岳での春合宿、斎藤と江田の遭難救出作業などを通じ、隊員の技量は確実に上がっていった。 しかし、西宮先生が急逝し、遠征に何かと反対していた山村派が幅を利かせるに至って、遠征は規模縮小を余儀なくされ、吉川は監督を降りることとなった。 |
感 想 等 |
(評価:B) 作者の山、特に谷川岳に注ぐ愛情が良く伝わってくる一作。山行そのものもさることながら、海外遠征隊を派遣するという一大行事の難しさも含めて山というものが描かれているが、ラストで人間関係の問題に陥って終わってしまうのは残念。その意味では盛りあがりに欠ける。 |
山 度 |
(山度:70%) 谷川岳での登攀、遭難救助。山岳シーンは申し分なし。 |
作 品 名
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「バリ山行」(松永K三蔵、2024年)
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あらすじ
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学校を出て地元の工務店に務め、大手リフォーム会社に転職して 10年。営業成績は決して良くなかったものの悪くもなかった。会社が業績不振だとは知っていたが、私がリストラ候補に挙がったのは、人付き合いが悪かったからかもしれない。私は、身重の妻に内緒で転職。今の中堅老舗の改修工事会社に移って3年が経つ。社内の登山イベントに参加することにしたのも、そんな過去の反省からだった。
登山歴20年だという松浦さん、設計の槇さん、事務の多聞さんらと一緒に六甲山登山に参加するうち、私は登山道具やウェアを買い揃え、登山アプリでフォロー相手の記録を見るのが日課になっていた。ある時、人付き合いの悪いベテラン社員の妻鹿(めが)さんが、なぜか登山イベントに参加した。聞くと、その山行が、勇退する藤木常務の送別会を兼ねていたからだという。実は妻鹿さんも山好きでバリ専門だという。バリとは何なのか、私は知らなかった。 藤木常務は、先代社長と一緒に、小口顧客を大事にしながら会社を大きくしてきたが、現社長と方針が合わずに会社を辞めることになったと噂されていた。ほどなく、自社直接受注から撤退し、アーヴィンHDなど大手の下請けによる安定受注を目指すとの方針が打ち出された。私は担当先からの依頼を人手不足と理由に断り続けたが、妻鹿さんは会社に内緒で勝手に工事を請けている様子だった。 私は、登山アプリで偶然見つけた妻鹿さんのアカウントで、妻鹿さんが毎週六甲山を登っていることを知ったが、妻鹿さんは登山道を外れて変なルートばかりを登っていた。槇さんによると、「バリ」とはバリエーションルートの略だという。一度、妻鹿さんにバリのことを聞いてみたことがあったが、反応は思っていたより鈍かった。妻鹿さんは何が楽しくてバリにばかり行くのだろう? 会社の方針変更から半年で、早くも社内の様子がおかしくなっていた。アーヴィンから発注がかからないのだ。アーヴィンの工事延期が続き、いずれリストラが始まるのではないかと噂されるようになった。私は、同僚に付き合って居酒屋に行き、皆の愚痴を聞いていたが、そんなことをしても状況が改善するはずもない。登山部の活動も行われなくなり、一人で山に行ったてみたが、気分は晴れなかった。そんな時、古い取引先の工事で妻鹿さんに助けてもらい、私は現場帰りに「バリに連れて行って欲しい」とお願いした。 妻鹿さんとの山行は、沢沿いのルートを登っている間は最高に楽しかった。でも薮の中に入り、崖を登ったり降りた入りしてうちに疲れ切り、私はなぜこんなことをしているのか分からなくなってきた。そして、滑落して本当に死ぬような思いをし、右足首を捻挫するに至って、理不尽にも妻鹿さんに対して私はキレていた。山行から帰った日から熱が出て、私は肺炎と診断されて会社をしばらく休むことになった。 |
感 想 等
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(評価:B)
久しぶりに「純文学」というものを読んだ。当初、「純文学っぽくないな」と思ったが、読んでみて、やはり純文学だと感じた。そして、「文学ってこういうものだった」と少し思い出した気がした。近年では言葉すら聞かなくなったが、いわゆる「大衆小説」の一つであるミステリーばかりを最近読んでいた。物語に引き込まれ、先が気になって一気読みし、どんでん返しや謎解きでカタルシスを得る。確かに、ミステリーは面白い。でも「あー、面白かった」、それで終わりだ。純文学は色々と考えてしまう。でも、人生と一緒で答えは出ない。 人付き合いが苦手な主人公が、なぜ妻鹿さんと一緒に山に行ったのか。妻鹿さんはなぜ山に登るのか。無愛想で取っつきにくく、近くにいても仲良くならないであろう妻鹿さんという存在が、なぜか魅力的に見えてくる。それは、妻鹿さんがブレない生き方をしているからだろう。人付き合いは苦手だけれど、それも仕事のうち。今リストラされたら困るから、会社の方針には逆らえない。そんなしがらみの中で生きている一般人にとって、決して憧れはしないはずの妻鹿さんが眩しく見えるから不思議だ。そして、今日も妻鹿さんは六甲山のどこかを彷徨っているかもしれないと思うと安心する。そんな不思議な作品。第171回芥川賞受賞作。 |
山 度
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(山度:50%)
「バリ」の前半は沢登り。「そうそう、気持ち良いよね」と思っていたが、薮漕ぎというかサバイバル登山的になってからは、自分もやらないせいか主人公の気持ちとシンクロした。作者は実際に六甲山麓を歩いている人だそうなので、実体験なのだろう。 妻鹿さんが主人公を山に連れていくのはちょっと無謀というか無責任な気がするが、「山はひとりがいいんだよ」など共感できるセリフも随所に出て来る。山好きも、山好きでなくても、面白い作品だろうと思う。 |
作 品 名 | 「高尾に恋して」(松波 季子、2012年) |
あらすじ |
正月2日、片山修三郎は高尾山の一号路を辿っていた。毎年1月2日に高尾山に登ることは、彼と妻の恒例行事だった。仕事一筋で亭主関白の彼にとって、年数回の高尾登山は数少ない趣味と言ってよかった。しかい今回は、一緒に登るはずの妻がいない。昨年の12月2日、買い物に出た際に交通事故に遭い、突然帰らぬ人となってしまったのだ。 事故から1カ月というもの茫然と過してきた片山修三郎は、せめてもの想いで、妻が楽しみにしていた高尾登山に訪れた。亡き妻を偲び、妻との思い出に浸りながら高尾を登った彼は、月命日には高尾山に登ろうと思った。 帰路、高尾駅でたまたま入った喫茶店で、若い頃の妻に似た店員を見かけ、年甲斐もなくドキドキしている自分に気付いて、彼は驚いた。以来、高尾山の帰りには、「マロニエ」という喫茶店に寄るようになった。その女性、岡本万由子は35歳で、3つ上の夫と2人の子供がいた。考えてみれば結婚していて当然なのだが、彼はただ話ができきればそれで十分だった。4月に立ち寄った際に、GW中の5月2日はお店が休みだと知らされた彼は、地元にいながら高尾山に登ったことがないという彼女を登山に誘った。 |
感 想 等 |
(評価:C) 定年直後に交通事故で妻を亡くした初老の男性の、淡い恋の物語。どこにでもある、とは言わないものの、ありふれた日常的な世界を、やさしいタッチで描いている。 男性が女性に惹かれるまでが早すぎる点がやや引っ掛かる。妻を亡くして1ヶ月後なのだから、もう少しゆっくり展開させても良かったかもしれない。当初、主人公の妻の名前が出てこないことに違和感を感じたが、結果として、そのことにより読者は、名前が出てくる喫茶店の女性の方に親近感を覚えるようになる。展開の速さにも関わらず入り込めたのは、そのせいかもしれない。短い作品の中で、主役2人以外の人物像をうまく薄くしている。 亭主関白だという主人公が、全然それらしくないなど気になる点はあるが、読後感は悪くない。それにしても、40代前半の女性が、なぜ60歳前後の男性目線で作品を書いたのだろう。そこが不思議。 |
山 度 |
(山度:30%) 毎月高尾山を登る話で、特に初回はそれなりに登山シーンも出てくる。ただ高尾山なので、登山シーンとはいうものの、神社が出てきたり、他の登山者の様子が描かれたりと、登山の雰囲気は今一つ薄い。 |
作 品 名 | 「遭難」(松本 清張、1959年) |
あらすじ |
同じ銀行に勤める江田昌利、岩瀬秀雄、浦橋吾一の3人は8月末に鹿島槍ヶ岳から五竜岳へと縦走した。鹿島槍ヶ岳を過ぎて、雨と霧という生憎の天気に見まわれた3人は、八峰キレットを前に引き返すが、南峰から布引岳と間違えて牛首山方面へと迷い込んでしまい、疲れていた岩瀬は凍死してしまう。 岩瀬の従兄弟で登山家の槙田は秀雄の死に疑問を抱き、遭難場所に案内してもらうという名目で、江田と一緒に全く同じ行程・時間で鹿島槍へと登ることにした。槙田は山行を通じて徐々に江田を追い詰めて行くが・・・。 |
感 想 等 |
(評価:B) 山の素人である松本清張氏が山岳ミステリーに挑戦、という程度では片付けられないうまさがある。山での殺人事件では、アリバイとか密室とか言ってもどうしても限界がある。犯罪を証明できないという意味では完全犯罪も可能だ。そうした山岳ミステリーとしての限界を十分に踏まえた作りは、さすが松本清張と言えよう。その後の、山岳ミステリーと言われる作品よりは、数段優れている。 ある意味意外とも言えるラストには、江田という人物に背筋が寒くなるものを覚えざるを得ない。 |
山 度 |
(山度:80%) 二度にわたって出てくる鹿島槍登山。本作品のキーとなる部分であるが、執筆のために実際に途中まで登ったというだけあって、描写も上手い。 |
作 品 名 | 「文字のない初登攀」(松本 清張、1960年) |
あらすじ |
逆層で垂直に近いR岳V壁。6年前にV壁を初登攀した私、高坂憲造の記録に疑惑の目が向けられていると知ったのはごく最近のことだった。疑惑を指摘したのは、私が所属している「樺の会」の若手会員だったが、それを言い出したのが和久田淳夫であることは疑いようがなかった。和久田は当時私のライバルであり、V壁の初登攀を狙っていたからだ。 山岳雑誌「岳稜」に発表された「樺の会」若手有志による私への弾劾文では、私の記した登攀記録の些細な誤りが指摘されていた。確かに私は単独行で、生憎カメラが壊れていたために登頂写真もなかった。しかし、登攀記録の些細な誤りなど、初登攀という興奮によって起きたちょっとした記憶違いに過ぎないし、第一、私の登攀には証人がいたのだ。 V壁登攀後にS谷出合で会った2人の男女。2人は道ならぬ恋仲にあったため、初登攀を証言することはできないと言っていたし、私も2人のことを他言しないと約束した。が、自らの名誉を守るために、私は6年ぶりに2人に会いに行くことにした。 |
感 想 等 |
(評価:C) 1960年。日本にマナスル初登頂後に登山ブームが起きていた時期。新田次郎のデビューから少ししか経っていない時期でもあり、恐らくは山岳小説が一つのジャンルとなり始めた頃なのであろう。 「文字のない」というタイトルにはやや首を傾げざるを得ないが、登山というものを知らなくても、また実際の登攀シーンがあまり描かれていなくても、ここまで山岳小説が書けるんだという見本のような作品。 |
山 度 |
(山度:60%) 実際に登攀シーンと呼べる箇所は1頁にも満たない。が、ストーリーの大半は山関連。「遭難」もそうだが、さすが松本清張、うまいものである。 |
作 品 名 | 「二人の登攀者」(円山 雅也、1963年) |
あらすじ |
会社の山岳部の先輩・後輩である内田と江藤は谷川岳F沢を登攀していたが、途中、内田が落下して右足を怪我し、動けなくなってしまった。江藤は内田に進められるまま登攀を続行。登攀後、内田を残した岩棚に江藤が戻って見ると、内田は転落死していた。 江藤は、内田が転落しないようにきちんと固定しなかったという注意義務違反を問われ、業務上過失致死の罪で起訴された。江藤の弁護を引き受けることになった岡林は、クライマーにとっては極楽のような広い岩棚からなぜ内田がら転落したか不思議だ、という江藤の疑問を聞いて自殺を疑うようになった。 水上署を訪れた岡林は、内田が梨江という女性からの奇妙な手紙を握り締めたまま転落したことを知り自殺を確信した。内田はなぜ自殺したのか。その理由は調べた岡林弁護士は、内田の奥さんに行きついた。内田の奥さんは、内田の些細なミスが原因で熱湯を顔に浴びて、ふた目と見れない顔になってしまっていた。内田は一生を賭けて奥さんを守って行くつもりだったが、たまたま現れた梨江が自分を好いてくれていることを知り動揺していた。梨江に慕われながらも冷たく当たり、離れようとする内田。 内田と梨江の恋の行方は・・・。江藤への判決は・・・。 |
感 想 等 |
(評価:C) 登山家にして弁護士の作家という経歴が変わっている。作品にもそのキャリアが如何なく発揮されておりおもしろい。同書に収録されているエッセイ(?)も、「ガイドブックに誤りがあった場合、著者の責任は問われるか」「落石で人を死なせた場合の法的責任は」など弁護士ならではの視点から登山を捉えたもので非常に興味深い。 作品としても、法的興味に加えて、切ないやるせない人間ドラマを絡めており、質の高いものに仕上がっている。 |
山 度 |
(山度:30%) 実際の登攀シーンは前半に多少出てくる程度だが、話全体が登山に絡んでおり充分楽しめる。 |
作 品 名 | 「遭難・ある夫婦の場合」(円山 雅也、1963年) |
あらすじ |
滝川夫妻と幸田の3人は穂高T谷を登攀していた。トップの滝川氏がスリップし、ミッテルの夫人もこれを止めきれず転落、ラストの幸田が辛うじてジッヘルしたものの、2人を支えるだけで精一杯で引き上げることはできなかった。3人共倒れになることを恐れた夫人はザイルを切断し夫を墜落死させた。これにより夫人は夫殺しとして起訴され、私は夫人の弁護を引き受けることになった。 多額の保険金がかけられていたことと、夫人が幸田と浮気をしていたことが殺人の動機であるとされたが、私は「緊急避難」を弁護の主眼に置き、結局は「疑わしいが証拠がないので罰せず」という見地から夫人は無罪となった。 幸田は私に手紙を送ってきて「奥さんに疑念を持つと同時に滝川氏にすまないとの自責の念で一杯であり、夫人との交際を断った」と言っていた。 後日夫人が私の元を訪れ、ある告白を始めた。 |
感 想 等 |
(評価:C) 「緊急避難」という実に微妙な判断、まさにこういうケースのためにあるような法律を問題にしている。緊急避難と言えば「カルネアデスの板」が有名だが、確か2時間ものドラマ「身辺警護」シリーズでも、石野真子主演で緊急避難を取り扱っていたと記憶している。 本作では、当初から殺意を持って緊急避難を利用したのではなく、結果的にそれが適用された感じであり、前者以上にその真相を暴くのは難しいだろう。 「二人の登攀者」同様、著者の専門知識が如何なく発揮されている秀作と言えよう。 ちなみに、本作品を原作に、大映が若尾文子主演映画「妻は告白する」を製作したとのこと。 |
山 度 |
(山度:20%) 山の話をしていながら、舞台は山ではない。山度としては実に微妙であるが、山の雰囲気はたっぷり感じられる。 |
作 品 名 | 「恋する山ガール」(御堂 志生、2011年) |
あらすじ | レストランに勤める21歳の藤沢蘭は、アルバイトの女子大生・めぐみに強引に誘われて、登山合コンに付き合わされていた。そこで、知村という男にキスを迫られた蘭は慌てて森の中に逃げ込み、道に迷ってしまった。遭難しかけた蘭を助けてくれたのが、静岡県警山岳レスキュー隊の御崎だった。御崎のことを「なんて素敵な人だろう」と思ったのも束の間、蘭は御崎に思いきり説教された。 1週間後、救助のお礼をしに県警庁舎に行くと、レスキュー隊は富士山五合目に常駐しているという。蘭は、そのままバスで五合目に向かった。しかし、富士山五合目は想像以上に寒かった。しかも、帰りのバス便が既になかったこともあり、蘭はまた御崎に説教されてしまったのだった。 御崎のことが気になって仕方がない蘭は、20万円弱もかけて登山道具一式を揃え、富士山宝永山火口巡りのツアーに参加した。しかし、不揃いな砂礫の登山道、履き慣れない登山靴、薄い空気、強い横風に、蘭の身体は思っていた以上に疲労していた。やがて雨が降り始めた。初めてレインウェアを着ようとした蘭は、強風に上着を吹き飛ばされてしまった。慌ててレインウェアを拾いに行った蘭は、足を捻って転倒。そんな蘭をまた助けたのが御崎だった。御崎に背負われ下山した蘭は、五合目にあるレスキュー隊宿舎で手当てを受けた。御崎に見直して欲しくて山に来たのに、またきつい言葉で叱られ、蘭は思わず泣き出してしまった。そんな蘭を見た御崎は、思わず蘭にキスをした。 宝永山登山から2週間。蘭は、御崎にもう1度会いたいとの思いを持て余していた。そんな時、警察官の兄に依頼され、合コンの場所として、蘭が務めるレストランの個室を予約。そこに現れたメンバーの中に御崎がいた。給仕をしながら、横目で御崎を見る蘭。帰り道、偶然出くわした御崎と蘭は久しぶりに言葉を交わし、お互いの気持ちを確認したのだった。 |
感 想 等 |
(評価:C) 山ガールブーム真っ盛りの2011年に電子書籍で出版された恋愛小説。「登山の素人が、ひょんなきっかけで登山を始め、次第に山の魅力に気付き、登山にハマっていく」というのが、この時期の山ガール小説・山ガールマンガの王道ではないかと思うが、本作では登山の部分は最後までダメダメなまま。登山の魅力に気付き、読者に伝えるような流れになっていない。そういう意味で、山岳小説としては残念としか言いようがない。 登山に関する描写は相応にあるものの、主人公がダメ過ぎる。もちろん作者は分かって書いているので突っ込む所ではないのですが・・・。 恋愛小説としては一応ありかもしれないが、もう少し自然な流れが欲しいのと、エロシーンは別に要らなかった気がします。両親の結婚にまつわる話や生い立ちなども描かれている割に、ストーリーに活かされている感じがせず、無くても一緒との印象。 |
山 度 |
(山度:60%) 山に関する情報・記載に関して、私が知らないだけなのか、デフォルメのためなのかか、わざと情報をあやふやにしているのか、それとも単なる間違えなのか、気になる箇所がいくつかある。例えば以下。夏の富士山は登山計画書不要(?)、標高2500mの酸素濃度は平地の7割(もう少し高いはず)、リュックとザックは別(?)、新五合目から山頂まで標高差1000m(新五合目という名称は御殿場口だが標高差は2300m。一番標高の高い吉田口からでも1350m)など。 |
作 品 名
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「穂高S岳の殺意」(円山 雅也、1994年)
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あらすじ
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弁護士入江卓夫のもとに、沼田洋子という若い女性依頼人がやってきた。洋子の兄・市郎が八田夫婦と穂高S壁登攀に出かけ、滑落死したという。原因は沼田がトップで登攀中に、ビレーをしていた八田茂夫がまとわりついていた虻を追っ払った拍子によろけて、ザイルを引っ張ってしまったためだった。本来なら八田が制動をかけて助かるはずなのだが、沼田がイタリアのドロミテの岩場でガイドが用いるという、解けやすい特殊な結び方をしていたために、そのまま転落してしまったのだった。 ドロミテ結びは、トップのガイドが転落した際にお客を巻き込まないための結び方だったが、決してお人良しとは言えない沼田がなぜそのような結び方をしていたのか。また、沼田の遺品の中にあった、沼田を受取人とする八田茂夫の保険証券は何を意味するのか。 入江は、知り合いの刑事山野の協力を得て、沼田と八田恭子が不倫関係にあったこと、その事実を八田が知っていたこと、などを突きとめた。 |
感 想 等
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(評価:C)
弁護士入江卓夫の事件メモを3編収める短編集。3作目の「緊急避難」は、「二人の登攀者」にも収められている「遭難・ある夫婦の場合」の改題。とすると、本書は94年に発行されているが、作品自体はもっと古いものかもしれない。 内容的には、登山を巡る刑事事件を弁護士の視点から真相を暴くという円山氏ならではの独特の作品。他では味わえないという独自のジャンルであるだけでなく、内容的にも非常におもしろい。 |
山 度
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(山度:30%)
いわゆる登攀シーンはあまりないが、山の雰囲気には満ち溢れた作品。 |
作 品 名 | 「谷川岳」(緑谷 哲明、1997年) |
あらすじ |
槙田と里見容子は谷川岳登山に来ていた。容子は槙田が前にいた会社の社員で、槙田は容子とその仲間たちを、しばしば、こけし工房巡りやハイキングに連れていった。今回の谷川岳は西黒尾根。槙田にとっては年に何回も出かける慣れた山だったが、登山を始めて間もない容子にとっては初めての本格登山と言えるほどのものだった。 長く辛い樹林帯を抜け、高度感のある鎖付きの岩場を越えたとき、2人は思わず体を寄せ合い、これまで秘めてきたお互いの気持ちを確認した。しかし、2人とも自由の身ではない。 谷川岳登山を終えた2人は、それぞれの気持ちを知りつつも、それを押し隠して帰路についた。 |
感 想 等 |
(評価:D) 夫あるいは妻のある身でありながら、別の異性に惹かれる2人が共に山に登る。話としてはある意味それだけだ。2人の関係に関する奥行があまり描かれていないために、お互いの気持ちがどの程度なのか、どんな障害があるのか見えない。 2人の気持ちに主題があるはずなのに、極めて叙事的な感じのする小説だ。ついでに、この小説のタイトルがなぜ「谷川岳」なのか、その必然性がよくわからない。 |
山 度 |
(山度:80%) ごく普通の夏山登山描写。簡単なようだが、それだけで話を持たせるのは結構難しい。「谷川岳」というタイトルから、厳しい岸壁登攀のストーリーを想像すると、肩透かしをくらう。 |
作 品 名 | 「花の鎖」(湊 かなえ、2011年) |
あらすじ |
3年前に事故で両親を亡くした梨花は、祖母と2人で暮らしている。その祖母がガンで入院してお金がかかる上に、梨花が務めていた英会話スクールが給料未払いのまま倒産してしまった。困った梨花は、窮余の策として、謎のあしながおじさんであるKに頼むことにした。Kは、毎年1度、母に何万円もする大きな花束を贈ってくる正体不明の人物で、両親が亡くなった時には、梨花に経済的な援助を申し出てくれたのだ。既に働いていた梨花は援助を断ったが、援助するというくらいだからお金持ちに違いない。考えてみれば、梨花はKのことを何も知らない。連絡先すら知らない梨花は、花を配達してくれる山本生花店の幼馴染・健太とともに、Kのことを調べ始めた。 公民館主催の絵画教室で講師をしている紗月は、それだけでは食べていけないため、美味しいきんつばで有名な梅香堂でアルバイトをしながら、母と2人で暮らしている。そんなある日、大学時代に寮で同室だった親友で、一緒にW大山岳同好会に所属した希美子から手紙が来た。希美子からムシの良い依頼を受けた紗月は、とても冷静ではいられなかった。希美子との諍い現場にたまたま居合わせたために巻き込まれることとなってしまった公民館の職員・前田の提案で、気持ちの整理を付けるために、紗月は八ヶ岳に登ることになった。 叔父が経営する建設会社に入社した美雪は、そこで和弥と知り合い結婚。以来3年が経ち、子供はいないものの幸せに暮らしていた。美雪の従兄にあたる陽介が叔父の会社から独立して建築事務所を立ちあげる際、頼みこまれて一緒に独立した和弥は、不本意ながら営業の仕事に就いていた。設計がやりたかった和弥は、地元に住んでいた高名な画家・香西路夫の美術館建設にあたり、県が設計コンペを開催すると知り応募することにした。ところが、コンペの応募名義が、陽介の手により、勝手に和弥から事務所に変更されてしまった。その事実を知った美雪は陽介に抗議した。 |
感 想 等 |
(評価:B) 同時進行する3つの物語。主人公である3人の女性の関係性がよく見ないまま進んでいく。そこには、ミステリーの手法の1つである、某トリックが使われている(トリック名を書くと、そういう読み方をしてしまうので、あえてトリック名は伏せます)。ミステリーの世界では、比較的ラストに近いところで、一気に仕掛けが明かされるが、本作はミステリーではないので、ヒントがそこかしこに散りばめられており、読者の誰もが、ある段階で気付けるように書かれている。花の話や、近所のお店、人の名前・・・。そういうヒントのひとつとして、登山に関するエピソードがある。3つの物語の関係性に気付いた瞬間、全てがすっとつながり、奥深さが見えてくる。単純に書き連ねるよりも、読者を惹きつけ、訴えかける効果も大きい。巧い! 同じく湊かなえさんの「往復書簡」は、地の文が全くない、手紙だけで構成された作品にも関わらず、巧みに隠された謎・秘密を解き明かしてゆく。上手いなぁと感心する。もちろん、上手いのはテクニックだけでない。何作品か読むと、さらに湊さんの作品を読んでみたい気にさせられる。 |
山 度 |
(山度:10%) 山度は低いが、和弥と陽介はともに山岳部、紗月と希美子は一緒に山岳同好会に入り、前田さんも山好きで八ヶ岳で死にかけた経験を持つなど山が好きな人が大勢出てくる。実際、湊さんも登山をたしなむ方なのです。 |
作 品 名 | 「山女日記」(湊 かなえ、2014年) |
あらすじ |
丸福デパートに勤める律子は、アウトドアフェアで一目惚れしたダナーの登山靴を買ってしまった。登山をしたことなどないのに・・・。「折角買ったのだから山に登ってみれば」と、一つ年上の牧野しのぶに勧められ、同じフロアーの同期、舞子と由美の三人で、妙高山・火打山に出かけることにした。律子はルーズな由美のことが嫌いだったが、舞子が由美を誘ってしまったのだ。しかも由美は、律子の上司である元原部長と不倫をしているのだ。 ところが出発の朝、熱が出たからと舞子が来ない。仕方なく二人で出かけることにしたが、律子の不安は的中した。やたら大きな荷物を背負い、登山靴も履かず、文句ばかり言う由美。付き合っている賢太郎との結婚に悩んでいた律子は、由美への不満が爆発し、由美の不倫のことまでなじってしまった。(第一話「妙高山」あらすじ) |
感 想 等 |
(評価:B) ほぼ同時期に発売された「八月の六日間」(北村薫)の感想にも書いたが、死の危険や冒険といった特殊な"非日常"が出てこない、日常の延長として登山が描かれているという点で、本作は新しいタイプの山岳小説。山ガールブーム、登山ブームで、今後こうした作品も増えてくるのかもしれない。 加えて本作は、湊かなえさんのうまさが光っている。湊さんの作品をそんなに読んでいるわけではないが、彼女の作品には、小説作法上の技巧が凝らされている。「往復書簡」では手紙だけで作品を構成し、「花の鎖」では巧みな叙述トリックを配している。本作で言えば、1話ごとに主人公が変わる短編連作集というスタイル。姉と妹それぞれの視点からお互いを描いたり、ある話の主人公が別の話で脇役として登場したり。そうした技法が、テクニックとして使われているのではなく、読者の気持ちにうまく訴えかける方法として用いられている。憎らしいほどのうまさだ。 |
山 度 |
(山度:80%) 山の描写は文句ない。妙高・火打から、槍ヶ岳、利尻山、白馬岳、金時山、果てはニュージーランドのトンガリロ(知りませんでした・・・)まで出てくるが、実際に登ったのだろうなと感じられるリアルな描写となっている。 |
作 品 名
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「残照の頂 続・山女日記」(湊 かなえ、2014年)
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あらすじ
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私、長峰夏樹は、母と2人で立山登山のため、室堂に来ていた。母は、どこから借りてきたのか、古びたミレーのザックを背負っていた。卒業間際、立山・剱に行くと伝えると、驚いたことに母が「私も連れていって」と言い出したのだ。私は大学を卒業して山岳ガイドになることを、この山行中に母に認めてもらいたいと思っていた。
消防士だった父は私が2歳の時に亡くなり、以来、母は看護師をしながら、女手ひとつで私を育ててくれた。小学校の頃、先生から作文が上手いと褒められた私は、将来の夢は新聞記者と答えることにしていた。それを聞いた母は「カッコいいじゃない」と言ってくれた。高校生になりバスケ部に入った時も「カッコいい」と言ってくれた。なのに、大学入学のために上京し、山岳部に入ったと言うと、母は即座に「ダメよ」「死ぬじゃない」と反対した。その後、意地の張り合いのような状態になったが、折れてくれたのは母だった。私は、山に行く度に、登山レポートのような手紙を母に書き続けた。 娘と一緒に来た立山登山。富士ノ折立で昼食にした。夏樹は梅干しのおにぎりを食べ終えると、アンパンを取り出した。夏樹のアンパン好きは父親譲りだ。夏樹が自立したら、父親のことを話そうと思っていた。お父さんと一緒に立山に来たこと、剱岳を見ながらプロポーズされたこと、ヒルトンに泊まったこと・・・。夏樹は、何もかもお父さんにソックリだった。夏樹の人生は夏樹のものだ。私は「いってらっしゃい」と言って送り出すしかない。(「立山・剱岳」のあらすじ)) |
感 想 等
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(評価:B)
湊さんのストーリー展開が上手すぎて、正直「あらすじ」がちゃんと書けません。こんな少ない文字数で簡単に書くことなんてできません。そこは目を瞑って頂くとして、本作も湊さんの上手さと優しさが光る作品。一人称で語る主人公を巧みに入れ替えたり、手紙というスタイルを取ったりしながら、主人公たちの心の機微を見事に汲み取っていきます。 本作のテーマの一つは「絆」だろう。夫婦の絆、友達同士の絆、元恋人や親子、山仲間・・・。相手を思いやる優しさに溢れています。本書の中では特に「立山・剱岳」がお気に入り。登山やコーヒー、映画や音楽の話、ヒルトンなどさりげないエピソードやキーワードの扱い方が上手く、優しさと温かい笑顔に満たされる作品。全編を通じて、読み終えると温かい気持ちになり、明日からまた頑張って生きようという気持ちになる。 湊さんは「イヤミスの女王」と言われるほど人間のダークな部分を描いた作品が有名だが、私が読んだ限られた湊作品を思い返してみると、大半の湊作品で「絆」は大切な要素となっている。本当の湊さん(という言い方は語弊がありますが)は、本作のような方なのだろうとの印象です(実際、インタビューやエッセイなどからは、湊さんはとても謙虚、素直で、優しい方だという印象を受けます)。とはいえ、ちょっと怖いけれど「イヤミス」作品をもう少し読んでみたい気になりました。 |
山 度
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(山度:80%)
五竜岳、立山・剱岳、安達太良山、武奈ヶ岳など、日本各地の名山が舞台として登場。湊さんが実際に登って描いていることもあり、リアリティの点でも全く問題なし。登山シーンも安心して楽しめます。 |
作 品 名 | 「山の贈りもの」(宮城 絢子、1998年) |
あらすじ |
久美は受験に失敗して高校浪人することになってしまった。その1ヶ月後、弥生婆ちゃんが骨折で入院したため、母は看病で留守が多くなり、また父はタイに長期出張、兄の正之は高校に通っており、久美と源爺とは2人きりのことが多く、急に淋しくなってしまった。 弥生婆ちゃんがいなくなって淋しくなったせいか、源爺にまだらボケが見られるようになった。小さい頃から源爺小屋という山小屋で過ごすのを楽しみにし、源爺と一緒に山を駆け巡って来た久美にとっても辛いことだった。 気分転換に弥生婆ちゃんの見舞いに源爺を連れ出した久美は、新緑を空を眺めてぼーっとしている源爺を見て気付いた。源爺は呆けたんじゃない、山から離れて淋しいだけだ。久美は、親の反対を押し切って、源爺小屋を継ぐ気になっていた(表題作)。 |
感 想 等 |
(評価:B) 全ての作品が宮城氏独特の雰囲気を漂わせている。たゆたうような長い長い時の流れ、そこにかすかに抗う落ち葉のような主人公。誰もが捨て切れないもの、割り切れないものを抱えながら生きている。そういう真摯な思いが伝わってくる。 例えば、映像でしか表現できない世界が映画にあるように、文章でしか表現できない世界、それが確かにここにあるような気がする。 個人的には「流離のとき」「数馬にて」などが好き。 |
山 度 |
(山度:10%) いずれの作品も山そのものをメインしたものではない。表題作ではあまり山のシーンもないため10%としたが、「消えたピッケル」などは山岳色も濃い。 いずれにしろ、作品の質が高いため山岳色の濃淡はあまり問題ではない。 |
作 品 名 | 「剣岳、遥かなり」(村山 謙三、1994年) |
あらすじ |
結城は剣岳に来ていた。大学時代に最も親しかった根津三郎が死んだ追悼のためだった。結城と根津は何でも話し合える親友だったが、大学4年の時に普段は山に行かない根津と一緒に中央アルプスに一緒に行ったのを最後に、縁遠くなっていた。 その間、根津は彼の故郷である三里塚空港建設反対活動に力を入れており、3度も逮捕された挙句、闘争に疲れてカセイソーダを飲んで自殺を謀ったのだった。一方の結城は、商社の仕事を2年で辞めケースワーカーになったが、それにも打ち込めていない。 山を止められない自分はどう生きていくべきなのか。結城は追悼山行として剣から黒部渓谷、宇奈月へと死にそうな思いをしながら縦走し、自問自答を繰り返す。結城は前向きにありきたりの生活をしたいと思った。 |
感 想 等 |
(評価:D) 作者が何を言いたいのかよくわからない。死んだ友人の追悼山行の中で自らを振り返るという展開だが、意味のない回想や薀蓄は出てくるし、同じ話・表現もある。なんか自分史を読まされているような感じだ。 時代背景のせいもあろうが、一般登山としての剣岳がものすごく難しい山として描かれており、そこにも違和感を覚える。 |
山 度 |
(山度:50%) 立山、剣、白山と山岳シーンは豊富。 |
作 品 名
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「奥医王」(室生 犀星、1950年)
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あらすじ
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吹雪に閉ざされた山小屋に、鹿島と秋三の兄弟とちさ子の3人が住んでいた。吹雪は休むことなく吹き続けている。犬のもんが、麓の町まで2時間かけて往復してくれるが、手紙の1通も来ない日が多かった。今日も犬が迷ったら可哀想だと思ったが、もんを麓へと送り出した。山中の生活に辟易していたちさ子は、手紙が届くのを待ちわびていたが、それがまた鹿島の嫉妬を煽りケンカの原因になっていた。
兄の恭一が日本橋の割烹店を売り渡したお金を二等分して鹿島に渡した時、鹿島はちさ子を連れて故郷の金沢に行くと、弟の秋三と一緒に奥医王の山小屋に籠ってしまった。というのも、ちさ子の回りにあまりに男が多く、自分しか見ることの出来ない山の中に連れていきたかったのだ。ちさ子の方も、手切れの出来ないしつこい男ばかりがいて、回りに男が多すぎてどの顔同じに見えたから、あっけなく 同意したのだった。 嫉妬深い鹿島は、ちさ子が誰かの手紙のを待っていると言って疑い、君のせいで今日も眠れないと言ってちさ子を怒らせ、しまいには秋三との仲まで疑いかねない様子だった。怒ったちさ子は山を降りると外に飛び出して雪だまりにはまり、凍え死にそうになった。鹿島と秋三に助けられて雪だまりから這い出したものの、ちさ子は鹿島と口をきくのも嫌になっていた。 雨が降ったのは3月17日のことだった。11月以降、この山中では雨は降らない。彼らは除雪作業をし、時々外に出るようになった。ちさ子は尾根に出て街の燈火を眺めた。周囲では毎日雪崩が起きるようになっていた。ちさ子と秋三は枯木拾いに連れ立って出かけるようになった。そんな2人のことが気になって、鹿島は後を付けて回った。 そんな2人を見ながら鹿島は思った。あの女は俺に飽きているのだ。でも俺だってあの女の肌を散々眺めた。もう見るものなどない。それを秋三が見たがっている。秋三も俺と同じようにひどい目に遭わされるだろう。鹿島は、ちさ子と秋三に山を降りるように言い、自分も山を降りる決心をした。別れ際、「いつものようにして」というちさ子を鹿島は頑なに拒んだ。 |
感 想 等
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(評価:C)
明治生まれの詩人であり小説家である室生犀星が晩年に描いた作品。医王山(いおうぜん)はさほど標高の高くないマイナーな山ですが、金沢生まれの室生犀星にとっては地元の山で、19歳の時に実際に登って以来、思い入れのある山らしく、彼の作品にはしばしば登場しているようです。 本作は戦後1950年に発表された作品だが、実際に書かれたのは戦時中らしく、表記からも古さが感じられる。内容的には純文学の香り漂う作品で、現代の大衆小説と単純比較してはいけないと思うものの、「よく分からない」というのが率直な感想。室生犀星ファンの方、すみません。 嫉妬深い男の醜さと、男の複雑でひねくれた心情が存分に描かれている作品。雪に閉ざされた隔離された空間ゆえ、人の醜さ、ドス黒さ、矛盾に満ちた内面が存分に感じられる。 ただ、具体的に考え始めるとやはりよく分からない。鹿島は本当にちさ子を諦める気になったのか。実際は諦めていなくて、自分を納得させようとしているだけなのかも知れない。ちさ子が好きで女の肌は永遠だという癖に見飽きたと言ってみたり、秋三も俺と同じ目に遭わされるのだと思ってみたり、どうにも鹿島は素直ではない。男と女なんてこんなものかかも知れないとも思うが、犀星はなぜこの作品を書いたのだろう。 |
山 度
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(山度:20%)
本作が山岳小説かというと、登山シーンなどはない。雪に閉ざされた山奥の小屋。厳しい自然描写があるのみ。 |
作 品 名
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「夏の旅人」(森 詠、1987年)
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あらすじ
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大正8年夏、伍代次郎、京極祐司、柘植輝彦、高麗元男の同級生4人と京極の姉・奈美子、京極家の書生・増子光男の6人は槍ヶ岳登山に来ていた。6人は山頂でそれぞれの夢を語り合った。
ヨーロッパアルプスの山々を登りたいと語った伍代を始め、6人は戦争という時代の流れに翻弄されて行く。軍部が権力を強めていくなか、大杉栄らの影響を受け、自由を求める行動、闘いへとのめり込んでいく伍代たち。やがて警察から目をつけられ、日本にいられなくなりフランスや、ロシアへと散り散りになる仲間。スペインの戦争へ参加する伍代。 死んでいく仲間の思いを胸に、ただ1人生き延びた伍代はヨーロッパアルプス登山を続けるのだった。 |
感 想 等
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(評価:C)
戦前、次第に自由を奪われていく言論統制の時代に、自由を求める伍代ら物語。大河ドラマさながらの(?)、過酷で、波乱万丈な生き様は、自由な今を生きる我々にも、自由の大切さや、自分らしくあることの難しさを感じさせる。登山はいわば自由の象徴といったところか。 |
山 度
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(山度:5%)
冒頭の槍ヶ岳、最後のモンブランと登山シーンはあるものの、分量的にはごくわずか。 |
作 品 名 | 「霊殺御嶽かえらずの峰」(森山 清隆、1998年) |
あらすじ |
1979年、木曽御岳が噴火した日に、木曽御岳山の麓・馬頭高原のとある家で新興宗教の教祖が殺され、同じ日に端村家に居候していた女が、赤ん坊と一緒に御岳山の方へと逃げ出していった。教祖殺害事件は迷宮入りし、新興宗教は、端村煕一郎という男が教祖となった。 その18年後、その赤ん坊こと多木本真郎は、ラ・メール修道院で日下部神父とハナ婆さんの3人で暮らしていた。真郎の住む村では、勢力を拡大しつつあった新興宗教・胎内教と、その力を借りつつ村を老人福祉村として再開発しようとする村長により蹂躙されつつあった。 そんなある日、村長が行方不明になった。さらなる勢力拡大を目論む胎内教と、神父ら反胎内教の反目。否応なしにその争いに巻き込まれていく真郎。村長はどこに消えたのか、真郎の生誕に隠された秘密とは。 |
感 想 等 |
(評価:E) リアリティーのないストーリー、中途半端で答えのない謎、独りよがりの世界、そんな感じだ。胎内教の何が人を惹きつけているのか、胎内教は何で成り立っているのか、加藤は丹野となぜ御岳山頂で会う予定だったのか、全てが曖昧で響かない。 |
山 度 |
(山度:10%) 気晴らしに近くの岩場を攀じる真郎、嵐の晩に御嶽に向かう真郎・・・。時々、山のシーンが出てくるものの、山度は低い。 |
作 品 名 | 「蔵王絶唱」(諸星 澄子、1970年) |
あらすじ |
大学受験を控えたある日曜日、3年2組の生徒13名は、気分転換にと誘ってくれた鈴木先生とともに蔵王ハイキングへと出かけた。学級委員長の坂本隆治、彼に密かに想いを寄せ続ける副委員長の吉井千佐子、深見真と宮脇水枝のカップル、学校一の秀才田辺知之らが参加した。 絶好の天気に恵まれ、一行は目標としていた地蔵岳を越えて、熊野岳、お釜へと足を伸ばした。ところが、帰路についてすぐに天候が崩れ始め暴風雨になった。一行はヘトヘトになりながらも、なんとか地蔵岳山頂にある気象観測用の廃屋に辿りついた。しかし、雨はやがて雪になり、寒さが厳しくなっていった・・・。 |
感 想 等 |
(評価:B) (以下、一部結末に関連する部分があるためご注意下さい) 新田次郎の「聖職の碑」を思い起こさせる物語。壮絶の一語に尽きる。 読んでいるこちらが気恥ずかしくなるような爽やかな出だし、爽快な登山シーン。しかし、物語はそこから急転し、壮絶な展開となる。ある意味、小説とするにはこのくらいの展開でないと盛りあがらないとも言えるが、悲しいエンディングは好きではない。小説全体に流れる若者の清冽さが、より哀れを誘う。 凍死したの壮絶さは、物語にとって実はそんなに重要な問題ではない。ただ、実話に基づく小説ではないと知って、ややほっとした思いだ。 |
山 度 |
(山度:70%) 前半のわずかな部分を除けば、物語はほとんど山中で進行するものの、後半はずっと山小屋の中でのシーン。書かれた時点がかなり古いこと、作者が登山をやらないことによる多少の違和感はやむを得ないと言えよう。 |