山岳小説(国内)・詳細データ
〜北 杜夫〜
 
 
 
作 品 名
「岩尾根にて」 (北 杜夫、1956年)
あらすじ
 私は長い間山から遠ざかっていた。岩場の見えるところまで辿りつくと、黒い蝿がたかった墜死体があった。そこを離れてしばらく行くと、前方の岩場を危なげな感じで登攀している男が見えた。
 2時間後山頂に着いたら、男が座っていた。先ほど岩場を登っていた男だった。男に勧められるままコーヒーを一緒に飲んでいるうちに、私は男が自分のような気がした。男ととりとめもない会話をしているうちに、どちらが自分かわからなくなり、私は人間の不安定さを感じていた。男は先ほど岩壁を攀じっていた時、無意識で登っていたのだと言う。自分が恐いという男に対して、私は「ゆっくり行きましょう」と言って、その場を立ち去った。
感 想 等
( 評価 : E )
 どうも私はこの手の小説、幻想的な、不可解な小説には弱いらしい。何らかの抽象的描写であるとしても、その真意が伝わらない以上、わけがわからない小説としか言いようがなくなってしまう。
山  度
( 山度 : 90% )
 山に登っている、岩を攀じっている。しかし、小説そのものがよく理解できない以上、山の描写もその延長線となってしまう。

 
 
 
作 品 名
「渓間にて」 (北 杜夫、1959年)
あらすじ
 終戦の年の秋、上高地の谷間は大水で荒れてしまった。翌年春、私はその様子を見に行っておかしな男と出会った。男は蝶の採集人で、次のような話をした。
 台湾の卓社大山で世界で7つしか標本がないというフトオアゲハを見つけ、途中病気に苦しめられながらもフトオアゲハを捕まえたものの、ゴキブリに胴を食われて台無しにしたという。
 その話が本当かどうかはわからない。ただ、男は以後金の為に採集をやるのを止め、一文にもならない学問に貢献する研究を始めたと言う。今、ゴマシジミの生態が解明できそうだという。私は男の言うことを信じたわけではないが、男に会う前とで自分が変わってしまったように感じた。
感 想 等
( 評価 : D )
 「岩尾根にて」と同様、どうも不可解な小説でわかりにくい。この手の小説は苦手だとしか言いようがない。
山  度
( 山度 : 20% )
 台湾の卓社大山という山が舞台として登場。台湾の山が出てくるという意味では珍しいかも。

 
 
 
作 品 名
「白きたおやかな峰」 (北 杜夫、1966年)
あらすじ
 ヒマラヤの7000m級未踏峰ディランを目指す遠征隊。折からの不況で資金集めに苦労し、個人負担金が増えてしまったものの、印刷会社社長で財界人でもある小滝隊長の顔を活かし、何とか遠征に漕ぎつけた。40日以内に帰国しないと会社をクビになるという関谷、多額の借金をして参加した増田、誰もが何かしらの犠牲を払っていた。ドクターが最後まで決まらなかったが、ぎりぎりになって、隊長の松本高校の後輩で、副業で作家をしている柴崎を口説いて参加させることになった。柴崎は登山の経験はあるものの、久しく山に登っていなかった。
 小滝隊長、久能副隊長以下10名は、交通事情の悪さや怠慢なポーターに悩まされながらもベースキャンプに到着。188名もいたロウ・ポーターが帰ってしまうと、残るは登山隊10名とハイ・ポーター6人、連絡将校、そして小柄で陽気なコックのメルバーンだけとなった。
 いよいよ登山が開始された。高山病でなかなか調子の出ない竹屋・田代、周期的に悪化する天候、クレバスや雪崩・・・いろいろな障害を乗り越えながら、C1からC42とキャンプを設営して前進し、ついにアタック・キャンプを設営した。計画より少し低い地点になってしまったが、天気は申し分ない。関谷、羽瀬の2名がアタック隊に選ばれて出発したが、高所と疲労からなかなか高度を稼ぐことができず、ついには悪天候に阻まれ、二晩ものビバークを強いられて後退した。第2次アタックとして今度は増田と田代がディラン峰に挑んだ。しかし、やはり難航しているうちに悪天候につかまりビバーク。翌超、高山病で意識が朦朧とするなか、一瞬の晴れ間を狙って、増田は1人山頂を目指した・・・。
感 想 等
( 評価 : B )
 北杜夫が実際に医師として参加した京都府山岳連盟隊のカラコルム・ディラン峰遠征の山行記録的小説。遠征は1965年で、翌66年に出版されている。
 北杜夫の他の山岳小説は、正直言ってややわかりにくいが、この作品は実体験に基づいているせいもあるのか、面白さも迫力も抜群。記録文学といった批評もあり、確かにかなり事実に忠実に書かれているようで、フィクションとノンフィクションの境い目は微妙だが、北杜夫らしい淡々とした文体による風景描写やユーモアたっぷりの会話など、文章の巧さがそうした境い目などはどうでもいいと思わせる魅力を持っている。
 北杜夫自身の分身ともいえるドクター柴崎の視点による展開が多く、その意味では、前線の厳しさ・過酷さについての描写がやや少ない点は致し方のないところと思いつつも残念だが、ドクターのいらだち、もどかしさを通じて緊迫感がヒシヒシと伝わってくる。
山  度
( 山度 : 90% )
 始めから終わりまで遠征隊とともにあり、山を中心に話が進む山岳小説ファンにはうれしい展開。ちなみに、「竹屋」の名で登場している隊員が、『なんで山登るねん』の著者としても知られる高田直樹氏だ。

 
 
 
作 品 名
「少年」 (北 杜夫、1970年)
あらすじ
 ぼくは松本の旧制高等学校に入学し寮に入った。同部屋の生田くんは読書好きで、読んだ本の数を数えるだけでなく、ページ数や活字数まで記録し始めた。加島くんは履きもしない黒光りする靴をいつも磨いている。ぼくは小説を書いてやろうと企てたけれど、3枚書いてペンを置いた。
 ある時、寮の詩会の委員が南さんという先輩を連れてきた。ぼくは南さんに連れられてお酒を飲んだが、南さんは愚かしい人で、ぼくは嘘をつくことくらいしか学ばなかった。
 人間は愚かしい、自然から除外されている存在だ。ぼくは1人で燕岳から槍ヶ岳へと縦走し、厳しい山の中で、赤子と同様に一から考え直して見ることにした。槍の肩はガスに覆われていたが、そのうち晴れて、大槍が見えてきた。天頂の星に包まれ、ぼくはギリシャ神話の世界に生きているような気がしていた。
感 想 等
( 評価 : D )
 主題は何かと言われるとよくわからない。ただ、北杜夫氏の鮮烈で瑞々しい文章が印象的で、青春小説として、えもいわれぬ雰囲気を醸し出している。
山  度
( 山度 : 10% )
 主人公が槍ヶ岳へと登るのだが、その描写はかなり幻想的なものとなっており、実際の山ではなく仮想の空間をさ迷っているかのようだ。

 
 
 
作 品 名
「カラコルムふたたび」 (北 杜夫、1992年)
あらすじ
 テレビのカラコルムの取材の中で、私の小説「白きたおやかな峰」を使っていいか?―そんな冗談ごとのようにしてこの旅は始まった。26年前、私は京都カラコルム登山隊の一員としてここパキスタンにやってきたのだった。道路は舗装されてきれいになったが、初老と言われる年に差しかかり、持病の躁鬱と神経性の下痢に悩まされた私にとって、ディラン峰の麓への道は遠かった。
 調べてもらったところでは、当時コックをしてくれた陽気で人の良いメルバーンがまだ存命で、農業をしているとのことだった。私は、無性にメルバーンに会いたくなった。メルバーンのことを思い出すと、なぜか涙が流れた。これも年のせいだろうか。
 メルバーンがいるという場所は、フンザからミナピン村まで行き、そこからさらに奥に入ったミヤチェルという場所だった。落石で一時は通れなくなっていたミヤチェルへの道が奇跡的に復旧し、私はついにメルバーンと再会できるととなった。
感 想 等
( 評価 : C )
 作家であり医師でもある北杜夫は、1965年、京都カラコルム登山隊の一員としてディラン峰の遠征に参加した。その時の経験を基に書かれた山岳小説の名作が「白きたおやかな峰」だ。本作は、その後日談ともいうべきもの。小説というよりも、エッセイや旅行記と言った方が適切だと思うのだが、帯や作品紹介では「小説」「短編集」と書かれているし、国立国会図書館などでもNCDコード「913.6(日本文学・小説)」に分類されている。
 “私小説”といえば、確かにそうかもしれない。表題作の「巴里茫々」も同じだが、「年をとるということ」をまざまざと見せつけられる。
山  度
( 山度 : 20% )
 本書に登山シーンそのものは出てこないが、登山に係わる話は随所に出て来る。