山岳小説(国内)・詳細データ 〜か行〜
 
 
 
作 品 名
「遭難」 (加賀 乙彦、1972年)
あらすじ
 私と鹿島、伝田の3人は高校時代からの同級生で、大学でも学部は違うもののよく一緒に遊んだ仲だった。弁の立つ伝田は、いつも授業中最前列に座って皆を笑わせていた。地味で無口な鹿島はいつも教室の一番後ろの席にいたが、不意に山に出掛けて、1週間ほどいないことがあった。私も教室の後ろ、鹿島の近くに座り、本を読んでばかりいた。そんな3人はよく一緒に授業をさぼったが、いつのまにか鹿島の登山に付き合うようになり、正月スキーに出掛けるのが恒例行事となっていた。
 その年の正月も志賀高原の熊ノ湯でスキーをして遊び、最終日に草津まで足を伸ばして帰ることにした。3人は晴天のなか渋峠に向ったが、あと500mほどで峠に着くという頃に急に濃い霧が出てすぐに吹雪になった。鹿島をリーダーに3人はさらに進んだが、道に迷ったことは明らかだった。ガラン沢という難所に迷い込んだと思われたが、彷徨い歩くうちに鹿島が小屋を見つけ、3人は疲れ果てて小屋へと逃げ込んだ。
 翌日も翌々日も吹雪だった。3人は少ない食糧を細々と食い繋ぎながら天候の回復を待った。やがて食糧がなくなり、薪も尽きた。天候が回復したのは、3人がもう駄目かと諦めかけた7日目のことだった。3人は残り少ない体力で、スキー場へと向ったが・・・。
感 想 等
( 評価 : C )
 気軽なスキーのはずが吹雪に会い遭難、7日間も小屋に閉じ込められる。自分も経験があるが、雪山で吹雪に閉じ込められるというのは実に恐いものである。その閉塞感と飢餓感。そうした恐怖、人間心理が存分に描かれている作品。
山  度
( 山度 : 90% )
 舞台はずっと雪の山中だが、小屋の中のシーンが大半なので山度と言われるとやや???。ちょっと中途半端な山度になってしまったか。
 
 
 
作 品 名
「天使は探偵」 (笠井 潔、2001年)
あらすじ
 ミステリー作家・矩巻濫太郎は極度のスランプに陥り、生活費を節約するために、新人賞の賞金と印税で買った過疎の八神村の家で暮らすことにした。そこで初めて経験したスキーにはまり、地元の有力者の娘でダウンヒル・レーサーでもある大鳥安寿にスキーを教わっていた。
 八神村にはかつて天啓教というカルト教団の施設があった。凶悪テロ事件を起こし、教祖・廉真阿陀は拘置所にいたが、いまだ多くの信者が八神村に住んでいた。
 本短編集は、カルト教団を巡って起こる数々の殺人事件、それをミステリー作家をも驚かせるほどの名推理で解き明かして行くスキーインストラクター安寿の活躍を描く。
 リフトに乗っていたはずの男が消え、数時間後に空中から舞い戻ったと思ったら死体となって発見された「空中浮遊事件」。廉真阿陀の予言通りに、スキー場でばらばら死体が見つかる「屍体切断事件」。衆人監視の中で実行された復讐劇の裏に隠された真相を暴く「吹雪山荘事件」。など。
感 想 等
( 評価 : C )
 なかなか凝ったトリックは、本格好きにはたまらないかもしれない。しかし、明らかにオウム真理教を題材にしたと思われる事件は、(執筆当時は新鮮だったかもしれないが)今となっては古くさいし、今ひとつ「独特なもの」というイメージを抱かせてしまうために、頭にすっと入らないという問題点があり損だ。
 トリックの奇抜さ、斬新さに力が入っているのはわかるが、そこにばかり力点が置かれている感が否めない。物語にももう少し奥行きが欲しいところだ。
山  度
( 山度 : 20% )
 山岳小説というよりもスキー小説というべきであろう。ゲレンデスキーの他に、山スキーのシーンなどもあり、登山ではないものの山度もまぁまぁ。
 
 
 
作 品 名
「未来のおもいで」 (梶尾 真治、2004年)
あらすじ
 滝水浩一は白鳥山登山に来ていた。交通の便が悪く、展望も得られないためあまり人気がない山だが、それゆえ静かな山歩きを楽しめる点が気に入っていた。山頂への途中、4月上旬という例年よりも遥かに早い時期に山芍薬の花畑に出会えた滝水は、その僥倖を喜んだ。ところが、突然霧が濃くなり、雨が降り始めた。その時、山頂方面から一人の女性が下山してきた。普段だったら道を逸れてでもやり過ごす滝水だが、この時は反射的に、雨を凌ぐために女性を近くにある洞まで案内していた。滝水と藤枝沙穂流の出会いである。洞の中で雨宿りしながら、滝水と沙穂流は雑談はを交わした。滝水はちょうど持ってきていたコーヒーを淹れて、沙穂流にご馳走した。やがて雨が小降りになり下山するという沙穂流に、滝水は自分のザックカバーを貸してあげた。
 沙穂流が立ち去ってしばらくしてから、山日記らしき手帳が落ちていることに気付いたが、今から追いかけても間に合わないため、仕方なく滝水は手帳を持ち帰ることにした。普段、女性にはあまり興味のない滝水だったが、なぜか沙穂流のことが頭から離れなかった。滝水は、山日記を返すという口実で手帳に記載されていた住所を訪ねたものの、そこにはまだ30歳くらいの夫婦が住んでいた。いろいろと話を聞いてみると、2人はなんと沙穂流の両親だった。理由は分からないが、2006年に生きる滝水と2033年の沙穂流が白鳥山で遭遇したのだ。
 もう一度沙穂流に会いたくて白鳥山の洞に向かった滝水は、そこで未来の沙穂流から届いた手紙を発見した。沙穂流も、もう一度滝水と会いたいと思っていることを知り、滝水の想いは募るばかりだった。沙穂流の両親がこれから起こるという大震災で亡くなったと知り、2006年の世界で彼らを救おうとする滝水。一方、2033年の世界で滝水の消息を探し、既に亡くなっていたことを知った沙穂流。時空を隔てた世界で二人の想いが交錯する。
感 想 等
( 評価 : B )
 タイトルからも推測できるように、いわゆるタイムトラベルもののラブストーリー。淡く切ないというほどの重さはなく、ライトな雰囲気で描かれた現代のおとぎ話といった感じ。二人が恋に落ちる流れや、ガジェット(装置、仕掛け)を用いないで時空を越える展開などは、ややご都合主義的と言えないこともないが、タイムパラドックスなしの感動かつ納得の結末は、「時間をテーマにした話が好き」という著者ならではの上手さだろう。私にとっては初めて読んだ梶尾作品だったが、映画化された「黄泉がえり」など著者の他の作品も読んでみたくなる。
山  度
( 山度 : 30% )
 白鳥山という名前は初耳で架空の山かと思ったが、熊本に実在する、どちらかというとマイナーな山らしい。静かで良さげな山で、きっと本作により登山者が少し増えたことだろう。
 
 
 
 
作 品 名
「沙羅沙羅越え」 (風野 真知雄、2014年)
あらすじ
 佐々成政は秀吉のことが嫌いだった。かつては、信長のもとで家康や明智光秀、前田利家などとともに一緒に仕えた間柄だったが、信長亡き後いつの間にかその地位に秀吉が座っていた。
 あっさりと秀吉に屈服した利家に対し、家康は織田信雄とともにまだ対峙していた。能登や加賀を平定して秀吉に対抗していくためには、家康にとことん抵抗してもらう必要がある。他国に知られずに国を空けて家康に会いに行くため、成政は雪の立山越えを敢行することにした。
 戦国時代の戦は、草の者が跋扈する情報戦でもあった。利家を欺くため、成政は卒中のフリをして、立山に湯治に出かけた。側近の者ばかりか妻のいずみ、妾の早百合をも欺いた成政の策略に利家が戸惑っている隙に、成政は屈強な者20人のみを連れ、芦峅寺の仲語(山案内人)に導かれて、立山を出発して雪の沙羅沙羅越えに挑んだ。
感 想 等
( 評価 : C )
 時代小説をそんなに読むわけではないので、言葉遣いや生活スタイルなどを始めとする時代考証については正直よくわからない。でも、単純な感想として面白い。
 時代劇は、"歴史的な事実"という大枠が決まっている。その枠の中で面白さを出そうとすると、2つの方法があるのではないかと思う(勝手な個人的な見解ですが)。ひとつは、歴史的事実の裏に隠された意外な真相や記録に残らない部分を想像で脚色すること、もうひとつは主人公を始めとする登場人物を魅力的に造形すること、ではないかと思う。本作は、その両面を兼ね備えているように思う。特に、巧みな会話と独白調の地の文で登場人物たちの感情をむき出しに描いているためキャラクターが際立っており、読者はいつの間にか成政サイドに感情移入してしまう。その辺が、本作を面白くしている大きなポイントだろう。
 登山描写に物足りなさはあるが、本書においてそこはおまけに過ぎないので、まぁ良しとしよう。結果として徒労に終わった沙羅沙羅越えに大きな意味を持たせている点も好感。
山  度
( 山度 : 20% )
 登山に関しては専門家のアドバイスを受けながら書いたとのこと。事実関係に影響はないのだろうが、筆致の迫力として多少物足りなさがある。
 
 
 
 
作 品 名
「九月の海で泳ぐには」 (片山 恭一、2003年)
あらすじ
 周作がクライミングを始めたのは3年ほど前のことだった。国語教師である周作が赴任した学校で美術を教えていた刈谷と同じクラスを担当したことで親しくなり、クライミングに誘われたのだ。長男の隆太郎が生まれて、妻の小夜子が育児にかかりきりになったこともあり、刈谷と2人でよく出かけるようになった。
 次男の健二郎が生まれてからも、周作は山に出かけた。健二郎は、健康に生まれた長男と違って気になる兆候が現れていた。出産時、酸欠状態にあったために脳の一部が壊死したかもしれないと医者に言われた。肢体障害が残るのか、知的障害が残るのか、詳しいことはあと数ヶ月経たないと分からないという。小夜子は、夫婦2人が死んでしまった後のことを思って暗くなっていた。
 周作の元教え子に吉村という問題児がいた。吉村が問題を起こす度に、周作は被害者側を宥めて穏便に済ませ、吉村を無事卒業させてやったが、卒業後、ヤクザのパシリになったと聞いた。それが4年ほど経った頃に学校の運動会で吉村を見かけ、聞けば実家の焼肉屋を手伝っているという。周作は、吉村の焼肉屋に行き、つかの間の再会を喜んだ。ところが、その吉村が死んだとの連絡が入った。ヤクザ時代の仲間と再会して飲んでいるうちにケンカになり、刺されたというのだ。周作は通夜の晩に、吉村との儚い再会を思い出していた。
 刈谷が、半年後に海外研修に行くことが決まったと聞いたこともあり、周作は初めて単独でクライミングに出かけた。テラスを超えてルートの核心を登っている時だった。気付いたら身体が岩から離れ落下していた。ロープの結び方が悪かったのか、周作の身体はロープに止められることなく落下していった。張り出していた松の枝に偶然ぶつかったお陰で、あちこち出血はしたものの全身打撲だけで済んだのは不幸中の幸いだった。
 妻の小夜子は呆れ果てて、周作の山道具を友人に預けてしまった。打撲でしばらく動けなかった周作だったが、9月に入りようやく動けるようになると、妻と子を、その夏連れていってやれなかった海へと連れ出した。障害が残るかもしれない息子を抱きかかえながら「ときどき祈りたくなるの」と言う小夜子に、周作は「何に祈っていいのかわからないので、馬鹿みたいに岩を登っていたのかもしれない」と答えるのだった。周作は九月の海を泳いでいった。
感 想 等
( 評価 : C )
 「世界の中心で、愛をさけぶ」で有名な片山恭一氏の短中編3作を収録した「もしも私が、そこにいるならば」に収録された作品。
 ダイヴィング中の事故で亡くなったママの昔の恋人らしき中年が現われて戸惑う女子高生を描いた表題作。慢性肝炎と診断されて入院した30代の男が、離れていった恋人を思い起こし、また仲良くなった同室の男の死に直面する「鳥は死を名づけない」。本作も含め、本人や近しい人の死や不幸に突然見舞われた人たちの揺れ動く内面を描いた純文学的作品集。
 大きな出来事やイベントがあるわけではないが、病気、障害、死など、ある意味理不尽とも言える不幸に直面したことで、生きることや生の輝きについて考えさせられる。周作の趣味がクライミングというのも、途中転落事故のシーンが出てくるように、死と隣り合わせの世界の一つがクライミングだったのだろう。
 余談だが、障害を持つ子の親の心情、親子の距離感が、男性と女性で全く異なることがよく分かる。
山  度
( 山度 : 20% )
 刈谷とのクライミングシーンが2回、ソロで1回と3回ほど登攀シーンが出てくる。作者の山の経験の有無は存じ上げないし、ソロでの登攀でロープをどう処理して登ったのか特に描写はないものの、さほど違和感なく読める。
 
 
 
 
作 品 名
「北アルプス白の死線」 (加納 一郎、1990年)
あらすじ
 冬の五竜岳・牛首リッジで神島正之が滑落死した。たまたま近くに居合せた大場という男が、一緒にいた別の男が押したと証言したことから、不審を抱いた神島の婚約者・若木圭子と友人・小笹公平は、真相究明に動き始めた。
 やがて大場が殺され、2人は犯罪を確信した。調査の結果、コンピューター会社に勤める神島が内部情報をソ連に売り渡そうとする者がいることを探っていたこと、大場が田村という女性に誘い出されたことなどを突き止め、大場の顧客である田村に疑いをかける。
 ちょうど仕事の取材でソ連に出かけた圭子はそこで田村と遭遇し、同行していた橋本が殺されてしまう。真相に近づいた圭子と小笹は、東京に戻ってからも田村一味に狙われる。追い詰められた2人は丸山の山小屋へと向かう・・・。
感 想 等
( 評価 : D )
 何のトリック・謎解きもないサスペンス、あまりに頭の回転の遅い刑事・・・、なんだか質の低い2時間ドラマを見せられているようだ。殺された男の婚約者と友人が恋仲に陥るに至っては、陳腐極まれりという感じだ。ミステリーとしても、サスペンスとしても頂けない。
山  度
( 山度 : 5% )
 冒頭の殺人が雪の五竜岳で行われるものの、それ以降は舞台はずっと街中。山岳色は極めて低いが、このタイトルなので一応。
 
 
 
 
作 品 名
「歩山録」 (上出 遼平、2023年)
あらすじ
 入社6年目の山田は休暇を利用して登山に行くことにした。奥多摩駅から雲取山、甲武信ヶ岳、金峰山と縦走する計画だ。山田は山行の紀行文が出版社の目に留まって本になることを夢想した。
 奥多摩駅から歩き初め、初日は鷹ノ巣山避難小屋近くでテント泊した。翌朝は霧で景色が何も見えなかったが、七ッ石山を越えて雲取山の山頂を踏んだ。そこから三条の湯までの3時間の下りがシンドかった。やっと着いた時には疲労困憊で、山田は思わす小屋に泊まることにしてしまった。翌日、山田は雨予報のなか西へ向けて出発した。しかし、すぐに足の付け根が痛み始めた。飛龍山を越えた所で熊の足跡を見つけ、山田は逃げるように先を急いだ。2時間ほど歩き、疲れきった頃、突然目の前に現れたのが不恰好な博士だった。
 この変な男がなぜこんな所にいるのか、山田には分からなかった。しかし、熊に怯え、疲れ切っていた山田の思考は麻痺し、博士の言うことを信じるようになっていた。そして、山田がここに来た目的が「行方不明の少年を探すためだ」と博士から聞かされ、山田は博士の後を付いていくことにした。崖を登り、沢を遡っていくうちに博士を見失ってしまったが、何とか多摩川の源流・水干に辿り着くことが出来た。しかし、そこには白骨の遺体が横たわっていた。山田は、慌てて無人の笠取小屋まで走って逃げた。
 山田は、あの白骨の遺体が6年前に亡くなった親友の貫太だと気付いていた。貫太は、中学に入ってすぐに仲良くなった親友だったが、卒業の3か月前に貫太の父親が自殺し、以来、貫太は学校に来なくなった。そんな貫太と大学二年の時に再会したが、貫太はマルチ商法の会社に勤めていた。山田が、そんなことは止めるよう諭した3日後、貫太は自殺した。
 笠取小屋で目覚めた山田は、再び現れた博士に言われるがままに源頭を目指した。源頭付近で少年を発見した。小学校低学年くらいの醜い少年で、しかもしゃべれない上に、こちらの言葉を理解出来ないようだった。博士の言う通りならば、この少年を連れて帰らなければいけない。山田は、少年を連れて西へと向かうことにした。しかし、そこからが苦労の連続だった。山田は死にそうな思いを何度もした。道に迷い、熊の気配に怯え、貴重な食糧を失った。
 朽ちかけた雁坂小屋で野宿した翌日、さらに西へ向かう途中で、嵐に遭遇した。途中、少年が崖から転落し、それを追って山田も下に降りたが、もう元の場所に戻れなくなっていた。ほとんど転ぶようにして山を下っていくと、突然、身体が宙に浮いた。山田は崖から落ちて足の骨を折ってしまったのだ。もはや状況は最悪だった。山田は、最後の食糧を少年にあげると、すべての服を少年に着せ、で川沿いに下まで下るよう少年に伝えた。やがて山田は深い眠りへと落ちて行った。
感 想 等
( 評価 : C )
 世の中に不満を抱きつつも、何となく順風満帆に人生を歩んできた平凡なサラリーマンの山田。そんな彼が何を思ったか、1週間もの縦走登山に出掛けた(「何を思ったか」と書いたものの、理由は書かれている。ただ、今一つ納得感はない)。本作は山田が遭遇した不思議な世界を描いた不条理小説だ。
 前半は正直「何だろう、この話は」としか思わなかった。中盤以降、何となく作者の言いたいことが見えてきて、寓話的ながら「もっとストレートに描けば良いと思うものの、そういう表現手法もありかな」と思うようになった。そして最後に来て、「なるほど、そういうことか」とマンガ的な着地に納得した。
 とはいえ、ネタバレになるので詳しくは書けないが、途中の不条理な世界が本当に必要だったのかは疑問。本質的ではないが、比喩表現が分かりにくいことがあり、読んでいて引っ掛かりを感じてしまった点も難点。
山  度
( 山度 : 50% )
 奥多摩駅から、雲取山、三条ノ湯、飛龍山、笠取山・・・と縦走し、最後は瑞牆山荘に降りるとあう魅力的なコース。もっとも、実際の登山コースっぽく描かれているのは三条ノ湯までくらいで、その先は山中ということ以外、どこにいるのか定かではない。
 
 
 
 
作 品 名
「空よりも遠く、のびやかに」 (川端 裕人、2021年)
あらすじ
 市立万葉高校に入学したおれ・坂上瞬は、高校でも「日々、平熱」をモットーに淡々とした高校生活を過ごすつもりでいた、彼女・岩月花音に出会うまでは。花音を見ていると、何だか落ち着かない気分になるのだ。おれは、中学時代に同級生だった花音に引きずられる形で地学部に入部した。地学部には、地質班・気象班・天文班などがあり、おれは地質オタクの花音と同じ地質班に所属することになった。
 新人歓迎会を兼ねた初めての巡検、すなわちフィールドワークで県内の秘境エリア・奥御子渓谷に出かけ、化石探しや気象観測を行った。そこで出会ったのが、ボルダリングをしていた夏凪渓だった。万葉高校三年生の渓くんはスポーツクライミングのワールドユースで優勝したこともある若手ナンバーワン選手で、花音とは子どもの頃からのクライミング仲間だという。花音とお互いファーストネームで呼び合う渓くんに対抗心をむき出しにしたおれは、スニーカーでボルダリングに挑戦したものの大失敗。それなのに、なぜか渓くんに見込まれ、クライミングに誘われてしまった。
 実は花音は、中学二年生の時に世界大会で優勝するほどのクライマーだったが、なぜかその大会を最後にクライミングから離れていた。おれはといえば、野球に打ち込んでいた中学二年生の時に腎臓疾患が見つかり、医者から激しい運動を禁じられていた。ところが医療が進み、腎臓疾患のリスクは依然あるものの、運動しても問題ないというお墨付きを医者からもらって、おれの高校生活は大きく変わった。地学部員として、花音と一緒に、奥御子で見つかったヘリコプリオンの印象化石の研究をしながら、クライミングでもリード競技で持ち前の脚力と背の高さを活かして頭角を現して注目されるようになっていった。
 そんな折、全世界を揺るがした新型コロナウイルス感染症が流行し、渓くんがスポーツクライミングの日本代表となることが有力視されていた東京オリンピックの延期が決まり、花音が日本予選を通過していた地学オリンピックも中止となった。延期でモチベーションが落ちるのを懸念した渓くんはガムシャラに練習に打ち込み、壁から落ちて大怪我をしてしまった。花音も、おれと一緒に渓くんの見舞いに行って以来家に引きこもるようになり、LINEの返信も来なくなった。おれと地学部のメンバーは、渓くんと花音を立ち直らせるために一計を案じた。それは、すべて自分たちで企画・運営する「地球(ジオ)オリンピック」だった。
感 想 等
( 評価 : C )
 読む前は、地学とクライミングってどう結び付くんだろうと思ったけれど、読んでみると自然な流れとなっており、地学とクライミングの両方で世界を目指し、また好きな子と一緒に充実した時間を過ごす青春感も満載でとても爽やかな作品だった。
 著者が50代の人というのが不思議で、同世代の自分的には違和感はないが、若い人的にはどう映るのでしょう。著者の過去の作品を見ると、気象を中心に地学関連の記者をされていた経験から造詣が深く、マニアックな地学の話も展開されている。その辺は「ふーん」と思いながら読み流している感じ。スポーツクライミングに関する描写はワクワクしながら読んだが、文字だけで壁をイメージさせるのはなかなか難しいとの印象。
 ラスト2ページは、もちろん無くてもちゃんと成り立つけど、映画のエンドロールに流れる映像みたいで面白いアイディア。
山  度
( 山度 : 50% )
 クライミング作品なので山度とは言い難いが、クライミングやアウトドア関連の描写は半分くらいか。
 
 
 
 
作 品 名
「冬こそ獣は走る」 (北方 謙三、1986年)
あらすじ
 半年前、谷川岳二ノ沢右壁へのアプローチ途中で広野が滑落した。村田真司は広野を担いで下山したものの、その途中、村田の背中で広野は息を引き取った。その事故以来、真司は自分の中の何かを失い、自分が変わったと感じていた。決して自棄になっていたわけではないが、すべてのことに意味を見出せなくなり、いつ死んでもいいと思いながら生きていた。
 28歳の真司は中堅建設会社に勤める設計技師。社内では社長派と専務派の派閥争いが噂されていた。町田の現場の調査を命じられた真司は、裏金作りのために社長がやらせているとの噂もあった手抜き工事について、妨害工作にもめげず、手心なしの報告書を作成した。真司の中では、命じられた仕事をこなすという思いしかなかったが、この件でなぜか社長に認められることとなり、とあるプロジェクトを任されるとこになった。どんな仕事になるか、何が起こるか見当もつかないプロジェクトだという。
 そのプロジェクトは、川辺社長が所有する土地に何の変哲もないマンションを建てるという普通の工事だった。しかし、次第に明らかになってきた所によると、マンション建設地は、山東興行が手掛ける壮大なオフィスビル計画エリアの一角で、周辺の買収はほぼ終わっているという。しかし、川辺社長にとっては、以前、山東興業の強引なやり方で会社が潰れかけたこと、またその時の心労で川辺の奥さんが亡くなったこともあり、以来川辺は何かと山東興行と張り合ってきたのだった。
 予想通り、山東興業の執拗は嫌がらせ、妨害、トラブルが続いた。真司が襲われたり、資材が届かなかったり、クレーン車が焼かれたりした。社内にも裏切り者かいた。しかし真司や、真司の意を汲んで動いていた山下組や八木組も、そんなことで手を引く気はなかった。川辺は業界の重鎮に働きかけ、真司は山東興業のキーマンである森田を締め上げた。両社の全面対決の時が近付きつつあった。・・・。
感 想 等
( 評価 : C )
 ストーリーはある意味シンプル。ビルの建設工事現場を巡る抗争で、とにかくハードボイルドなのだ。読んでいるだけで、肩で風を切って歩き、暴力的な気分になってしまいそうな作品。文章の力と言うのは恐ろしい。ハードボイルド好きの方にはオススメ。
山  度
( 山度 : 5% )
 山度5%としたように、登山シーンはほとんどない。ただ、あらすじにも書いたように、主人公にとって山は特別なもので、ザイルパートナーの死をきっかけに生き方が変わってしまうほど大きな存在だった。実際、登山での出来事や、山を比喩に使用した表現が随所に出てくる。「なにかを掴んだような気分だった。どんなことも、岩登りと同じだと思った。」「俺は、山に代わるものを見つけようとしている」「山ってのは(中略)登り方もそれぞれあるし、登るルートもまちまちなもんです。自分のルートにとりついたら、見えてるのはそれだけですよ」。山屋なら共感できるセリフも多く、実際の山関連の描写以上に、山度が高く感じられることだろう。山が重要な要素となっているのでリストアップした。
 主人公は元クライマー。谷川岳二の沢右壁でザイルパートナーが滑落し、担いで下山したものの、途中で死なせてしまった。山関連はその程度。1つ気になるのは、ザイルパートナーが亡くなる瞬間の描写。「あいつの命が消えていった瞬間が、真司にはよくわかった。ふっと軽くなった」。よく書物なのでは重くなると聞いていたが、反対の描写だった。もっとも、自分自身で経験したことがないので、実際の所は分からない。
 
 
 
作 品 名
「サイレント・ブラッド」 (北林 一光、2011年)
あらすじ
 失踪した父の車が、長野県大町市の登山道入口で見つかった。それを聞いた息子の沢村一成は現場に出かけ、そこで今岡深雪という女子大生と出会った。鹿島荘という民宿の娘・深雪は、隣に住むオババから「タケルがいるから呼んで来てくれ」と言われて来たのだという。オババは、人の心を読んだり、病気を治したりと、不思議な力を持っているという。一成はその民宿に泊まって父親捜しをすることにした。
 深雪に手伝ってもらって、あちこちにチラシを貼ったり、幼い頃養子に入ったという父の親戚筋を訪ねたり、父が失踪するきっかけになったと思われるカクネ里についての新聞記事を書いた相田教授を訪ねたりしたものの、父の行方は全くわからなかった。ただ、父には一成も母・史子も知らない秘密があるようだった。
 やがて、オババの口から一成の祖父にあたる城戸正之助なる人物の生涯、40年前に起きた事件のことが語られ、徐々に秘密が明らかになっていく。
感 想 等
( 評価 : C )
 文章うまさと展開の妙ゆえか、話としてはなんとなく読み進めさせられてしまうのだが、読後感的にはどことなく釈然としないものが残る。現実問題として、霊や超能力的なものを信じるかどうかは別にして、虚構の世界において、重要な出来事の大半がそれら超常現象的なもので決められてしまうと、要はオカルト小説ということになりどうもリアリティに欠けてしまう。内容は悪くないだけに、その辺が引っ掛かってしまうのだろう。もったいない。
 細かい点で言えば、一成が父親の記憶がいつ戻ったのかを聞くシーンがあったが、記憶喪失だったことは知らなかったと思うのだが・・・。あと証拠の会話をテープに取ったというのがあるが、40年前(1970年頃)のテープレコーダーなんて大きくて音がするし、あまり隠し取り向きではないように思う。
 ちなみに、同じ北林氏の作品に「ファントム・ピークス」というものがあるが、こちらは羆によるパニックを描いたアニマルクライシスもの。山の近くが舞台となっているが、登山シーンなどはないため、山岳小説とはしなかった。
山  度
( 山度 : 10% )
 登頂シーン的なものはないが、一部に沢登りのシーンなどが描かれている。沢登りは珍しい。ただ、用語解説が付いているとはいえ、ネオプレーンとかウェーディングシューズなどの用語を、わざわざ登山の素人の山行シーンで使用するのはどうかと思う。
 
 
 
作 品 名
「シャッター・マウンテン」 (北林 一光、2013年)
あらすじ
 北アルプスの標高1500mに立つ梓平ホテルは、7月の観光シーズンを迎え賑わっていた。ところが、ホテルと麓を結ぶ1本道の途中で土砂崩れが起き、道が通行不可能となったばかりか、電話も断線して通じなくなった。ホテル、キャンプ場、そして久作小屋と呼ばれる山小屋にいた観光客や登山客らは、完全に閉じ込められてしまった。子どもを亡くしたことから不仲になっていた梶間隆一夫婦や、毎年ホテルに泊まりに来ている元実業家の磯崎老人などは、時間を持て余していた。
 その前後から、山では奇妙な現象が多発していた。拳大の雹が降り、キャンプ場で雄一が大怪我をし、夏だというのに冬毛のオコジョの大群が人を襲った。また、この山にはいないはずの種類のトンボが大量に発生し、キャンプ場ではポラロイドカメラに心霊写真が写った。さらには、救援に向かった救助隊の作田副隊長や井坂医師を乗せたヘリが、コウモリの大群に襲われて墜落した。
 山小屋の主人久作は、小屋を手伝っていた誠や、山岳救助隊の田島、梓平ホテルの支配人などと協力し、怪我人の救助や事態収拾に奔走する。果たして、山で何が起こっているのか。
感 想 等
( 評価 : C )
 山を舞台としたサスペンス・ホラー「ファントム・ピークス」や「サイレント・ブラッド」を書いた北林一光氏。彼の死後、ワープロから見つかったという遺作が本作だ。閉ざされた山中で次々と起こる怪異現象。翻弄される人々の恐怖と奮闘を描くホラー小説である。
 ホラーというのは「原因不明の怪奇現象」という点で個人的には今ひとつ苦手というか、入り込めない世界なのだが、本作では怪奇現象の背景に、山や自然に対する畏敬や畏怖の念が込められており、そのメッセージ性ゆえにただのホラーで終わっていないように感じられる。また、相次ぐ奇っ怪な出来事を描く筆致の凄みは、作者ならではの豊かで巧みな表現力が活きている。
山  度
( 山度 : 30% )
いわゆる登山シーンはあまりないものの、山小屋や山岳救助隊が登場するなど、山に関連したお話。舞台のモデルはたぶん上高地でしょう。
 
 
 
 
作 品 名
「八月の六日間」 (北村 薫、2014年)
あらすじ
 出版社で雑誌編集に携わるアラフォーの私。まっすぐで不器用で、肩肘を張りながら一生懸命生きてきた。同棲していたフリーカメラマンに振られて落ちていた時に、同僚の藤原ちゃんに誘われて山に行って以来、時々ひとりで山へ出かけるようになった。
 困ったちゃんの編集長に仕える身から、いつしかストレスの多い編集長という立場になった。憧れの槍ヶ岳を縦走し、裏磐梯の雪山ツアーを体験し、軽アイゼンを買ってGWの北八にも出かけた。八月には、折立から雲の平、高天原温泉、三俣蓮華岳を経て、新穂高温泉に下山するという縦走も経験した。
 仕事も私生活もストレスはいろいろあるけれど、山に出かけ、四季折々の自然や人々と出会い、私の心は開放されていくのだ。
感 想 等
( 評価 : C )
 偶然ほぼ同時期に発売された2冊の山岳小説、「八月の六日間」と「山女日記」。両作品とも、今までありそうでなかった山岳小説と言えそうだ。マンガでは「ヤマビヨリ」(KUJIRA)くらいだろうか。遭難も、殺人も、冒険も、サバイバルも出てこない。「死と隣り合わせにあるという非日常」ではなく、旅行と同程度の「日常ではない非日常」として、登山が描かれている。これも山ガールブームの影響だろうか。
 ごく普通の女性が、日常の延長として趣味で山に登り、リフレッシュして帰ってくる。その過程において、仕事や人生や恋愛についての思いや回想が語られる。そんなありふれた生活を山岳小説という形にしてしまった。たぶん登山である必然性はない。マラソンでも、サイクリングでも、遠泳でも、何でもいいのだ。
 ありふれた日常を描いたら私小説になりそうなものだが本作は全く違う。山に登らない男性が、山に登りながらあれこれ考えるOLの話を、想像だけで書いたのだ。しかも内容的にも面白い。作家とは凄い人種だ。
 余談ながら、本好きで本を手放せない主人公は、山に行く時にも本を2,3冊持っていく。それらの本に対するコメントが出てくるのも面白い。
山  度
( 山度 : 70% )
 槍ヶ岳、北八ヶ岳、雲の平・・・・・。いくつかの山域が出てくる。北村さんが登山をしない人だと知って驚いた。当然、ガイドブックや写真集なども参考にしているのだろうが、登山好きの編集者に話を聞いて書いたのだという。準備段階で山道具を並べたてる感じはちょっとマニュアルチックだ。
 
 
 
 
作 品 名
「私はだんだん氷になった」 (木爾 チレン、2022年)
あらすじ
 17歳の美しい少女・氷織。登山家だった最愛の父は、エベレスト登山の最中に、猛吹雪に巻き込まれて凍死した。父の死のショックでしゃべれなくなった氷織は、学校ではイジメを受け、家では母の再婚相手から性的暴力を受けていた。そんな氷織の唯一の生きがいは、アイドルグループ「雹」のメンバー“シノ”こと四宮炭也の推し活だった。
 そんな時、感染症の影響で雹のライブが中止になったことを嘆いた氷織がつぶやきがSNSで大炎上。批判と擁護のDMが殺到したが、その中に氷織がフォローしていた炭也の「なりきり」からのDMがあった。それをきっかけに、氷織は炭也の「なりきり」とのやりとりにのめり込み、疑似恋愛に陥った。
 雹の札幌公演の日、氷織は炭也の「なりきり」と会う約束をした。義父の性的暴力に耐えかね、おぞましい行為の最中に、父の大切なピッケルで義父を刺し殺した。その罪は、母が被ってくれた。氷織は炭也の「なりきり」と一緒に死ぬつもりだった。待ち合わせ場所に現れたのは、34歳のくたびれたおばさんだった。
 なりきりの背後・山田嶺衣は、人気Vチューバ―の“黒猫あくま”だった。嶺衣は、かつて氷織と同じような経験をしていた。16歳の頃、腐女子でイジメられっ子だった嶺衣の唯一の友達は、同じ腐女子で四宮のファンだった郡明日香だった。その明日香が突然自殺して以降、シノのなりきりとのメールのやりとりだけが嶺衣の生きがいだった。しかし、札幌公園で初めてなりきりと会った日、嶺衣の前に現れたのは34歳の女性。ライブ中にシノからファンサ(ファンサービス)をもらった高揚感もあり、嶺衣は炭也の「なりきり」と一緒に死ぬつもりだったができなかった。その時の代償を抱えながら生きてきた嶺衣は、引き籠りに陥り、炭也の「なりきり」を始めたのだった。
感 想 等
( 評価 : C )
 「なりきり」や背後といった聞いたこともなかった言葉や文化を始め、Vチューバ―、SNS、腐女子、推しなど、今時の若者の生態を存分に描きつつ、その実、孤独、親子関係、夫婦関係、イジメなど普遍的な人間の本性を抉っており、時代は変わっても人間はあまり変わっていないことを思い知らされる。
 小説技法的には、主人公・絢城氷織と17年前の山田嶺衣の事件をパラレルワールドのように描きながら、ある種叙述トリックによるミスリードを爽快なまでに解きほぐして見せるミステリー的な展開は見事。文章もうまいため、特殊な世界のはずなのに、ありふれた日常のように感じるから不思議だ。パラレルワールドの違和感が引っ掛かったために、感情的に小説世界に入り込むほどではなかったものの、読んで損はないと思う。
山  度
( 山度 : 10% )
 氷織の父は登山家で、氷織の同級生で彼女のことが好きな真司は山岳部。一緒に富士山に登りに行ったり、氷織が父の遺体を探しにサウスコルまで登ったりと登山の要素はそれなりにあるが、実際の登山シーンはあまりなく、山度は10%程度。
 
 
 
作 品 名
「黒部の太陽」 (木本 正次、1964年)
あらすじ
 時は昭和31年。戦後の毎晩停電という時代はようやく乗り越えたが、産業復興のためには大量の電気が必要だった。関西電力太田垣社長は、社運を賭け、日本という国のために黒部第四ダムの建設に取りかかった。熊谷組、間組、鹿島建設など工事を請け負う会社にとっても、黒部渓谷という人跡未踏の地での工事は博打だったが、全員が日本のためという使命感に燃えていた。
 最大の難所は北アルプスの横っ腹に穴をあける大町トンネルだった。これができないと資材や機械を搬入できず、工事そのものが頓挫する。用地買収、トンネル掘削と、苦労しながらも順調に進められていったが、大量の湧水地帯に当り工事は全く進まなくなった。シールド工法、水抜きボーリングと様々な方法が試され、6ヶ月後にようやく湧水は収まった。
 黒四ダム建設事務所次長の芳賀公介には四女があったが、工事中に三女・順子が白血病と判明した。順子のことを気にしながらも家に戻れない芳賀、白血病と懸命に闘う順子。工事の中心的人物であった芳賀を軸に展開される黒四ダム建設の物語。
感 想 等
( 評価 : C )
 単なる工事の記録というだけに留めず、芳賀とその娘・順子の話を入れることによって、人間ドラマとしても深みのあるものとなっている。
 黒三工事を描いた「高熱随道」(吉村昭)と比較すると、時代背景の違いもあり、工事自体は黒三の方が大変だったような印象を受ける。
 それにしても、北アルプスにトンネルを掘ってしまうというのは、今考えたら環境問題、自然破壊ということで絶対実現しないと思われるが、これまた時代の違いということなのであろう。
山  度
( 山度 : 5% )
 冒頭の黒四建設予定地への視察シーン、黒部奥山回りの話などは出てくるものの、山や登山に関する部分はあまり多くない。
 
 
 
作 品 名
「黄金のうさぎ」 (草薙 渉、1991年)
あらすじ
 司法試験に挑戦しているうちに大学8年生にもなってしまい、日々冴えないアルバイトに精をだしていた望木のもとに、大学時代の同級生・大前田から依頼が舞い込んだ。信州で質屋を営む大前田の所に、毎夏、金の原石を持ち込む89歳の老人がおり、8年間追い続けても今だ正体の掴めない。その老人を尾行して欲しいというのだ。
 穂高山荘で老人を待ち伏せた望木は、蒲田川方面へと下って行く老人を追ったが、その足は超人的に早く、つには見失ってしまった。そのあげくに熊と出会い滑落、右足を挫いてしまった望木は、岳一と菊子の兄妹に救われた。兄妹は望木が追っていた盛遠老人の孫で、3人は山奥で暮らしていた。足が治るまで世話になった望木は、そこで金の大鉱脈を発見した。
 一躍大金持ちになった3人は、望木と一緒に東京に住むことになったが、都会での生活になかなか馴染めなかった。
感 想 等
( 評価 : C )
 一風変わった物語。文章は非常に読みやすく、展開もおもしろいのだが、妙に軽い印象が残る。一種のエンターテイメントと割り切ればそれで良いような気がする。
山  度
( 山度 : 10% )
 前半、老人を尾行するシーンで、穂高が出てくる。また3人が住んでいるのも穂高の山奥との設定。が、山の描写はあまり多くない。
 
 
 
作 品 名
「富士山大噴火」 (鯨 統一郎、2004年)
あらすじ
 フリーライターの天堂さゆりとカメラマン山本達也は、結婚を間近に控えているというのに、どこかギクシャクしていた。科学雑誌「ウインド」の仕事で取材を続ける2人は、動物学者・蝶名林から動物たちの異常行動を聞いたり、狭山天文台職員の新藤一美からFM電波による地震予知の話を聞き、「地震予知」のシンポジウムを開催することにした。
 シンポジウムをきっかけに気象庁の下部組織・火山噴火予知協会の富士山監視委員・下から誘われ、一美は東海大地震の予知、さらには富士山噴火の予知に関ることとなった。
 富士山の山体膨張、マグマの動きを感知する傾斜計の異常値検出、低周波地震の急増、二酸化炭素硫黄濃度の上昇・・・・・さまざまな富士山噴火の予兆が観測されるなか、さゆりと達也や富士山の最後の姿を記録するために富士山に登った。一方、一美はピンポイントでの富士山噴火予知に成功した。
 そして、Xデーが訪れた・・・。
感 想 等
( 評価 : C )
 最初は、単なる二流パニック小説かと思ったが、読んでいくうちに段々と引き込まれていってしまった。達也が求める幻の富士山のアングル探しや蝶名林の恐竜絶滅の謎といったエピソードがどこまで必要かはやや疑問だが、さゆりと達也の結婚を巡る葛藤や心理的な変遷が単なるパニックものではない面白さ、物語としての深みをもたらしている。
山  度
( 山度 : 5% )
 山のシーンは、達也とさゆりが富士山に登る所のみで、山度は低い。
 
 
 
 
作 品 名
「霧の南アルプス」 (窪田 精、1994年)
あらすじ
 66歳になる比沼洋三は、10数年前に丹沢山麓に移り住んでから、運動のために近くの山に登山に出かけるようになった。2つ年下の妻・ゆき子は病弱だったが、丹沢山麓に来て山歩きを始めてから、すっかり健康を取り戻していた。妻が北岳から白峰三山縦走に行きたいと言うのを聞いて、比沼は一緒に行っても良いと思った。というのも、先日小学校の同窓会に出席した時に、北岳で死んだ植松周二の遭難碑ができたと聞いていたので、それを見てこようと思ったのだ。
 比沼と妻が、北岳に向かったのは8月のことだった。自宅から車で4時間ほど走り、広河原の駐車場から大樺沢ルートを登り始めた。比沼は、登りながら植松のことを思い出していた。植松は、山梨県北西部にある小学校の同級生だった。比沼たちが20歳の時に太平洋戦争が始まった。東京に出て苦学生として働いていた比沼は反戦運動で刑務所にいたため徴兵されなかったが、男子同級生の半数は戦争で死んでいた。甲種合格で入隊が決まっていた植松は、入隊前の11月に北岳に登り遭難死してしまったのだった。
 広河原から約2時間ほどで、宿泊予定地の白根御池小屋に着いた。比沼が受付に行くと、平日だというのに予約がいっぱい入っており、2人で1枚の布団になるという。比沼が外で休んでいると、「デンカ」が到着したとの声が聞こえた。それは、天皇の孫である浩宮の一行だった。県警を始めとするボディーガード、御所関係者、随行記者など60人もの集団だった。登山者たちからは不満の声が聞かれた。殿下一行のせいで20人の場所に50人が押し込められ、食事は後回しでなかなか順番が回ってこないのだ。比沼と妻も窮屈な思いをし、その夜はなかなか寝付けなかった。
 翌朝、殿下一行を見送ってから出発した比沼は、北岳に向かう途中で植松が眠る八本歯のコルに立ち寄った。自然石の一部を削って銅板をはめ込んだという遭難碑は、思っていたよりも小さなものだった。比沼は、遭難碑の傍に持参した山百合の球根を植えた。比沼らが北岳を越えて北岳山荘に着くと、またしても殿下一行と一緒になってしまった。山荘は昨晩以上に混み合っていた。比沼と妻は、混雑を避けるために小屋の裏側にある岩の上に腰を降ろすと、殿下一行の宴会の様子を眺めていた。辺りは霧に包まれ始めていた。戦争では、天皇の命令ということで多くの青年が戦争で死んでいった。比沼は、植松周二の顔をぼんやりと思い浮かべていた。(表題作あらすじ)
感 想 等
( 評価 : C )
 山を舞台にした短編集。主人公はすべて同じ人物だが、各作品は完全に独立している。主人公は、文筆業で暮らす初老から高齢の域に達する男性で、50歳を過ぎて丹沢山麓に移り住んでから登山を始めたという比沼洋三。戦前、15歳で地元の山梨から上京し、苦学生として働きながら反戦活動をしたことで投獄されてしまう。その辺りの背景は各作品で共通している。
 なぜか登山をしながら、小学生(旧制なので14歳頃まで)時代の思い出と絡めた話が展開される純文学。恐らく、作者自身の実体験を基にした私小説と思われるが、強く前面に押し出されているわけではないものの、そこには反戦思想が流れている。戦争で死んでいった学友や、人生を狂わされた知人たちのことを思いながら歩を進める比沼。戦争を知らない若い世代にこそ読んで欲しい作品だが、ミステリー主流の現在の小説作法に慣らされた人にとっては、起伏の少ない展開はやや退屈に感じてしまうかもしれない。
山  度
( 山度 : 90% )
 舞台は、表題作の南アルプス・北岳のほか、八ヶ岳・権現岳、丹沢・塔ノ岳および蛭ヶ岳、そして富士山。山度は高いのだが、比沼の思索描写などが多めということもあり、山の印象はあまり強くない。
 
 
 
作 品 名
「銀嶺にさよなら」 (熊谷 達也、2005年)
あらすじ
 初冠雪に覆われた晩秋の月山を、沼倉敦子は弥陀ヶ原から湯殿山へと縦走していた。今回の山は4年ぶりの山行で、敦子が山の世界に復帰できるかどうかを試すものだった。しかし、三年前に学生運動の最中に痛めた右膝が九合目辺りから痛み始め、下りに入ると痛みは激しくなる一方だった。
 敦子は大学に入ると全学連の活動などには目もくれず山岳部に入部した。父に登山に連れていかれていた敦子は、岩登りをやりたいと思っていたのだ。その山岳部で、敦子は生まれて初めて恋をした。それが山岳部の副キャプテン・松木俊朗だった。敦子の松木への思いは一方通行だったが、松木と2人で岩壁を登攀する自分を夢見て、敦子は登山に打ち込んでいった。ところが、敦子が4年になる年に、留年して部長になると見られていた松木が、退部して学生運動に身を投じた。それを知った敦子も山岳部を辞め、学生運動に参加した。
感 想 等
( 評価 : D)
 「邂逅の森」で直木賞を受賞した熊谷達也氏の山岳小説。この作品を読んで一番わからなかったのは、なぜ今、学生運動なのかという点だった。学生運動をがその世代の人にとって特別な意味を持っていたことは、感情面を除けば頭では理解できる。しかし熊谷氏は1958年生まれ。学生運動とは無縁のはずだ。ストーリーはわかるし、山関連の描写も悪くはない。ただ、どうしても学生運動が出てくるところが気にかかってしまうのだ。
山  度
( 山度 : 40% )
 またぎの一生を描いた「邂逅の森」でも見せたように、自然描写とそこに生きる人々の心情・苦悩を描かせたら一級。
 
 
 
作 品 名
「完盗オンサイト」 (玖村 まゆみ、2011年)
あらすじ
 フリークライマーの水沢浹は、3年間付き合った7歳年上の彼女・伊藤葉月に振られていたたまれなくなり、放浪していたアメリカから日本に戻っていた。体調を崩してたまたま世話になった桐泉寺の和尚・岩代辿紹に誘われるままに工事現場で働くことになったが、昼の休憩時間に現場でクライミングの練習をしていたことがバレて、首になってしまった。それどころか、下請け会社ごと切られてしまい、岩代を始めとする仲間に迷惑をかけることになってしまった。
 落ち込む浹の前に現れたのは、工事の発注会社で、日本を代表する不動産会社國生地所の社長、國生環だった。國生地所の会長・國生肇の前に連れて行かれた浹は、意外なことを頼まれた。皇居にある樹齢550年の盆栽<三代将軍>を盗み出して欲しいというのだ。報酬は1億円。犯罪に手を染める気などなかった浹だが、日本に帰国した元彼女の葉月から、ドーピング疑惑でスポンサーだったTRAVERS社から3千万円の損害賠償を請求されていると聞いて、葉月のために<三代将軍>を盗み出す決心をした。
 一方、お寺にいた小さな子供・斑鳩(いかる)は岩代が一時的に預かっている子で、複雑な家庭事情のせいで言葉に障害が生じていた。元来、浹は子ども嫌いだったが、斑鳩と接するうちに優しい気持ちを持つようになっていった。
 やがて自体が急展開し始める。偶然、浹のやろうとしていることと目的を知った葉月が國生肇と接触し、浹は盆栽を盗み出す役目をクビになった。一方、斑鳩の父で精神に異常を来たしていた瀬尾貴弘の手が伸びてきていた。浹は、葉月のために、そして斑鳩のために、意外な手に打って出た。
感 想 等
( 評価 : C)
 正直、評価しにくい作品だ。読んでいて、背景の浅さのようなものが気になる。浹はなぜ日本に帰ってきたのか(振られただけでは弱すぎる)、大金持ちの犯罪にしてはあまりに安易で危険過ぎる、葉月の人物像が見えてこない(=魅力的でない)、・・・等々。また、文章の主体が途中で入れ替わり、読んでいて違和感を感じる箇所があったり、不必要に「トレボットーニ」とか「SDS」といった話が出てきて読みにくくなったりしている。
 それでも、発想は面白い。皇居の盆栽を盗み出すという聞いたこともないような話をはじめ、全体的に斬新さが感じられるのは確か。ついつい先を読んでしまう面白さがある。結局のところ、巻末にある江戸川乱歩賞の選評で京極夏彦氏が言っているように、「欠点はいくらでも修正できる。だが、魅力を後から足すことはできない。」という評に落ち着くのだろう。
 作品からは逸れるが、巻末に江戸川乱歩賞の選評が載っているのが楽しめる。特に、京極氏のコメントは、そこだけでも読む価値があると思う。賞の選考としては作家の将来性へに対する期待から評価するというのもありだが、そうなると、作品そのものの評価は少し異なってくることになる。
山  度
( 山度 : 10% )
 浹と葉月が一流のクライマーという設定で、クライミングの話は随所に出てくるし、工事現場や木などを攀じ登る場面もある。が、肝心のクライミングシーン自体は皇居の石垣を登るところだけで、それもほとんど描写はない。
 
 
 
作 品 名
「ブリザード」 (桑村 さや香、2011年)
あらすじ
 慶葉大学山岳サークルのメンバー9人が、北アルプスのとある山に冬山登山に来て、ブリザードに巻き込まれた。メンバーは、リーダーで4年の武田、サブリーダーで大企業御曹司の九条栄介、同じく4年で武田の彼女のすみれ、次期リーダーの3年の真人、同じく3年のムクこと武久学、幽霊部員の3年小嶋七瀬、最近入部した唯一の2年黒沢、1年の奥村泰介とその幼馴染の純。一面のホワイトアウトの中、9人ははぐれないようにアンザイレンして登り、辛うじてかつて山小屋だった廃屋に辿り着いた。
 ところが、最後尾にいたはずのサブリーダー九条がいない。リーダーの武田と1年の奥村泰介が探しに戻り、遺体となった九条を発見した。2人が九条の遺体を山小屋に運び込んだところ、九条は凍死ではなくナイフで刺されて死んでいた。九条の前を登っていた真人、九条からクスリを買っていた七瀬、九条にパシリにされていたムク、九条に借金があったためにすみれとの結婚を延期した武田、九条に弱みを握られていたすみれ・・・・・。誰もが怪しかった。やがて七瀬がいなくなった。勝手に山小屋から逃げ出したようだが、なぜ一人で下山しようとしたのかわからない。
 食糧も少なく、このままでは全滅してしまう。ついに、吹雪をおして、クジ引きで選ばれたすみれと黒沢が助けを呼びに行くことになった・・・。いつまでも収まらない吹雪、自分たちの中に犯人がいると知って疑心暗鬼に陥るメンバーたち。彼らの運命はどうなるのか。犯人は誰なのか。
感 想 等
( 評価 : C )
 NTTドコモのBeeTVで放送されたドラマの原作。登場人物が順番に一人称で語り、事件をいろいろな角度から描き出してゆく。その手法はなかなか面白いが、事件そのものはやや難ありといった感じ。犯行が偶然に頼る部分が大きく、また行動にも無理があるように思う。ミステリーというより、ホラー的と言った方がいいかもしれない。
 それにしても、この救いのない結末はある意味すごい。どれだけ真面目に、真剣に生きても、人を傷付け、人から恨みを買ってしまうことがあるのかもれいない。その怖さだけが際立った。ここに作者の主張があるのだとしたら、成功していると言っていいだろう。
山  度
( 山度 : 20% )
 舞台は雪山、そして山小屋。多少雪山の雰囲気はあるものの、山は閉ざされた空間を作り出すためのもので、登山に格段の意味があるわけではない。
 
 
 
作 品 名
「里山奇談」 (coco、日高トモキチ、玉川数、2017年)
あらすじ
 遅い昼食を食べに立ち寄ったペンション兼レストランのオーナーは、10数年前にそのペンションを親戚から譲り受けたという。誰もが知る大企業を辞めて引継いだという人の良いオーナーは、その不思議ないきさつを語ってくれた。
 当時彼は、あまりの激務に仕事でミスを繰り返してしまい、自己嫌悪に陥る毎日だった。何もやる気が起こらず、家では鬱々として、無気力に横になっているだけだった。そんなある日、テーブルの上の携帯が鳴った。「特に何かあったわけじゃないんだが、声が聞きたくなって」という相手の声を聴いて懐かしくなった。電話の向こうからは、松虫の鳴き声が聞こえた。久しぶりに笑うことができた。その日から毎日電話がかかってきた。電話の向こうからは、いつも虫の鳴き声が聞こえた。それを聞いていると、田舎の夏祭りを思い出した。
 それからしばらくして、実家から電話があり、ペンションを経営している親戚が体調を崩してしまったので、ペンションを継いでもらえないか、ダメもとで聞いて欲しいと言われたそうだ。「帰るよ。虫時雨が聞きたいんだ」そう答えると、親が驚いていた。
 この話におかしな点があると知ったのは、今の女房と結婚することになり、結婚式の招待客を決めている時だった。「彼」を一番に呼ぼう、そう思ったのに、どこの誰だか思い出せない。悩みながら、彼女に「彼」の話をしたら、聞き終えた彼女が言うには、「虫の声は電話を通すと聞こえない」のだそうだ。少なくとも、当時の電話では、周波数の違いで聞こえないとのこと。でも彼女は、「彼の席を用意しましょう」と微笑みながら言った。(「松虫」のあらすじ。40編を収録)
感 想 等
( 評価 : B )
 山ではない、里と山の境目・里山で起こる不思議な出来事を集めた短編集。本書風に言えば、「アイ」(あいだであり、二つのものが出会うところ)、「ハシ」(断絶された場所をつなぐ部分)、「サカ」(堺であり、事物・空間を区切る所)という、どちらにも属さない、曖昧で不安定な場所、それが里山だ。かつて、日本中のどこにでもあった里山、謎や不思議、怪しい噂に溢れていた場所は、文明化、ネット社会の進行により、ほぼ失われつつある。そんな失われた世界の物語を集めている。これは山岳小説なのかという疑問はありますが、小説風にまとめられているので、ここに入れておきます。
 最近、この手の本が流行りで相次いで出版されているが、個人的な波長の問題かもしれないが、本書は自分の好みにマッチしていた。あらすじで紹介した「松虫」は一番お気に入りの話だが、どこか暖かい懐かしい話が含まれていると同時に、「黄昏れ」や「ほたるかい」のような、ちょっとした豆知識も含まれていたりする。なんか、良かったです。
 1つだけ気になったのは、3人の男女による共著で誰が書いた話かはわからない。それは構わないのだが、読んでいる途中で、「あっ、この人は女性だったのか」みたいなことがあったので、読み手がイメージしやすくする意味では、そこが早めに分かった方が良い気がした。
山  度
( 山度 : 10% )
 里山の話で、いわゆる登山はほとんど登場しない。
 
 
 
作 品 名
「検察者」 (小杉 健治、1992年)
あらすじ
 企業の管理者教育を行う鷲尾塾の奥秩父連山縦走で、敷島宗一が死んだ。不慮の事故か、しごきによる集団暴行か。鷲尾塾の主催者が政治家の後援会副会長だったことから、政治力により不起訴となったものの、検察審査会が事件を取り上げることとなった。
 一方、下目黒のマンションで渡部仁史という男が殺され、容疑者として捕まった西田保が犯行を自白した。この事件を担当することになった検事桐生賢太郎はどこか腑に落ちないものを感じていた。殺された渡部は、鷲尾塾の事件に関連して、検察審査員である湯川珠美に接触を図っていたというのだ。
 敷島の事件がどうしても納得できず独自に調査を行う珠美と有藤、真相究明を続ける桐生検事。意外なところで結びつく2つの事件。果たして真相は・・・。
感 想 等
( 評価 : B )
 まず、検察審査会と言う目新しい存在を取り上げたことが興味深い。
 2つの一見無関係な事件を結ぶ付けるというミステリーの手法は、最近ではむしろ陳腐化しているのではないかと思うが、そこを無理なく関連付けているところもうまい。意外性のある結末といい、ミステリーとして非常におもしろく読めた。
山  度
( 山度 : 5% )
 山に関する部分はごくわずかで、その描写も事実を中心とした淡々としたもの。山岳小説という意味では今一つかもしれないが、奥秩父連山縦走が事件解決の重要なキーのひとつとなっている。


 
作 品 名
「失恋登山隊」 (小林 紀晴、2012年)
あらすじ
 島田慶子が死んだ。島田慶子は、ビジネス専門学校登山サークルで、俺たちの1年後輩だった。卒業4年後に最後に会ってから、17年が経っている。大和と庄司と俺は、3人とも島田慶子を付き合って振られたという共通の思い出があった。
 入学したての島田慶子と部長の大和の付き合いは夏には終わっていた。俺が参加しなかった夏の合宿の後、島田慶子は庄司に心変わりしていた。卒業した年の夏に、新宿でバッタリ島田慶子と出会った俺は、彼女が庄司と別れたことを知り、秘かに思っていたこともあって付き合い始めたものの、1年で別れた。20年前、島田恵子に振られた俺たち3人は、体育の日に中央アルプスへ失恋登山に出かけたのだった。当時の登山は正直無謀だった。通常だったら2泊3日のコースを1泊2日で歩いたせいもあって、山小屋に着いた俺は疲労困憊だった。1日ズレていたら、天候悪化で遭難死していたかもしれない。
 島田慶子の通夜で再会した俺たち3人は、酔った勢いで20年前と同じ山に再び出かけることにした。20年ぶりの山行を、俺たちは「失恋登山隊再び」と名付けた。島田慶子はなんであんな冴えない男と結婚したのか。俺と結婚していれば、きっと幸せになっていたはずだ。40歳の若さで死ぬなんてことはなかったはずだ。そんな思いを抱えながら歩き続けた俺たちは、熊沢岳を越えた稜線で、思い思いに島田慶子の名前を叫んだ。
感 想 等
( 評価 : C )
 本業はカメラマンとなるのだろうか。雑誌「esora」に写真付きで掲載された短編山岳小説。小林紀晴氏は「だからこそ、自分にフェアでなければならない。 プロ登山家・竹内洋岳のルール」という著書もあるので、登山にも詳しいのだろう。
 話自体、大したことはない。20年前に付き合っていた女性が死んで、ちょっと感傷的になって、生や死について考える。それ自体は理解できなくない。でも、そういうシチュエーションは正直ちょっと考えにくい。親友3人が同じ女性と付き合うとか、付き合っていた時期がズレているのに同じ女性に振られたという理由で一緒に登山するとか、そんなことあるのだろうか。人の気持ち・思いは人それぞれなので、無いとは言い切れないが、想像しにくい分、個人的にはちょっと感情移入しきれなかった。
 ただ、40歳を過ぎても大人になり切れない馬鹿な男の間抜けっぷりや、3人の会話が凄く生き生きしていて、そういう意味では何だか面白かった。
山  度
( 山度 : 70% )
 中央アルプスの駒ヶ岳ロープウェイに乗り、浄土乗越、木曽駒ヶ岳、宝剣岳から空木岳へと縦走する。その途中、本作のヒロインの名前とも重なる「島田娘」がある。