山岳小説(国内)・詳細データ
 〜井上 靖〜
 
 
 
作 品 名
「山の少女」 (井上 靖、1952年)
あらすじ
 知り合いの新聞記者・八坂二郎から、小早川那美子の小説の原稿を預かったのは昨年の夏のことだった。2年ほど前に、足柄峠の山奥に一人で住んでいる17歳の野生少女がいるとして話題になったことがあったが、その少女が小早川那美子だ。八坂が正月に我が家を訪れた晩、彼の依頼を果たしていない気鬱さもあって、私は小早川那美子の原稿を読んでみることにした。その原稿はとても少女が書いたものとは思えず、私は八坂に連絡を取り、雪が融けたら彼女に会いに行くことにした。
 5月、箱根の宿まで出かけた私と八坂を訪ねてきた彼女に会って私は失望した。どこにでもいる、普通の田舎の少女だったのだ。話をしてみても、彼女が本当に小説を書いたかどうかの確証は得られなかったが、少なくとも彼女が偽りを言っているようには見えなかった。
 翌日、彼女のいる茶屋まで登ってみると、彼女は訪れる登山者を相手に、サイダーやお茶を出したり、サインをしたりと、忙しく立ち働いていた。登山者たちがいなくなって、彼女が私たちのところにやってきたのは4時頃だった。山の話をする時の小早川那美子は、昨晩宿で見せた顔とも、忙しく働いていた時の顔ともまた違っていた。
感 想 等
( 評価 : C )
 小説に登場する小早川那美子は、金時むすめこと小宮山妙子さんがモデルである。“金時むすめ”という名前は、当時の皇太子殿下、すなわち現在の天皇陛下が名付けた愛称だそうである。ちなみに彼女の父親は、新田次郎の「強力伝」のモデルとして有名になった小宮山正氏で、本作の中でも「富士山の強力だった父親」と書かれている。
 当時彼女が、どのようにマスコミで話題になったのかは知らないが、本作では、野生少女としてマスコミにもてはやされた少女のイメージと、文学少女としての一面、山小屋で忙しく働く商売人としての姿、そして山を愛する少女としての顔・・・・・など、少女から大人へと移り行く女性の多面性が、“私”の眼を通じて描かれている。そこには、もしかしたら、世間受けする一面的な取り上げ方しかしないマスコミに対する批判も込められているのかもしれない。
山  度
( 山度 : 20% )
 実際に山に登るシーンは、“私”が金時茶屋まで行くシーンくらいか。
 井上靖は、実際に金時むすめに会いに行き、取材をしたそうである。

 
 
 
作 品 名
「あした来る人」 (井上 靖、1955年)
あらすじ
 梶大介は実業家として成功し、忙しく働いていた。山名杏子という若く美しい女性に、銀座に洋裁店を持たせて事業支援していることが唯一の浪費だった。
 梶の娘・八千代は、登山家大貫克平と結婚していたが、克平は、山と妻とどちらが大切かと聞かれて、山よ答えるほど山に入れこんでおり、お互いすれ違ってばかりいた。
 たまたま知り合った杏子と克平は、知らず知らずに相手を意識するようになり、カラコルムを目指す克平らは杏子の店の2階を根城に準備を始めた。一方八千代は、カジキ研究のスポンサー依頼に梶のところに来た曽根二郎と知り合い、八千代は曽根の素朴さに惹かれるようになった。
感 想 等
( 評価 : C )
 大人の男女4人を巡る恋愛物語。ある意味井上靖らしい作品と言えよう。さすがに半世紀近い作品だけに今と状況はだいぶ異なるが、その分不倫を描きながらも爽やかさを残している。ただ、物語は起伏が少なく、最近では流行らないだろうなぁと思ってしまう。
山  度
( 山度 : 5% )
 登山家が主人公ということもあり山の話はちょくちょく出てくるが、登山シーンはほとんど出てこない。鹿島槍山麓シーンが少々出てくる程度。

 
 
 
作 品 名
「氷壁」 (井上 靖、1956年)
あらすじ
 魚津恭太と小坂乙彦とは学生時代からの山仲間だった。小坂は八代美那子という人妻に恋焦がれるていたが美那子にはその気がなく、魚津は美那子から自分のことをあきらめるよ説得して欲しいと頼まれた。
 美那子への思いを断ち切れぬまま魚津とともに真冬の前穂東壁に挑んだ小坂は滑落し、その際にナイロンザイルが切れたため死んでしまった。ナイロンザイルに欠陥があったのか、2人がザイル操作を誤ったのか、小坂が切ったのか。
 登山家として、ナイロンザイルの問題点を究明しようと奔走する魚津は、何度か八代美那子と会っているうちに、美那子にに惹かれている自分に気付いた。一方、小坂の妹・かおるから求婚され、魚津は全てを断ちきるために穂高・滝谷の単独登攀へと向かった。
感 想 等
( 評価 : B)
 山岳小説の古典的名作と言っていいであろう作品。山を登らないでも山岳小説は書けるという見本とも言われている。確かに登攀シーンはあまりなく、むしろ人物描写の妙、人間関係の妙、心理描写の妙等々で魅せている。題材は異なれども、井上靖らしい作品と言えよう。
山  度
( 山度 : 40% )
 終始山に関連した話ではあるが、いわゆる登山・登攀シーンは前半の奥又白とラストの滝谷くらい。


 
作 品 名
「花のある岩場」 (井上 靖、1958年)
あらすじ
 涸沢小屋で歩荷として働く野本徳次は、時折案内人などもしながら36年も山で暮らしていた。10月の終わり、いつも案内を頼んでくる重宗時也と一緒に、徳次は上高地から涸沢方面へと歩いていた。重宗が穂高に来るようになってまだ3年目だったが、涸沢までの道は迷う心配もなく、また重宗は徳次に荷物を持たせなかったので、話し相手として徳次読んでいると思われた。山でろくでもない人間に数多く会ってきた徳次は、重宗という青年に好感を抱いていた。
 道すがら、重宗は徳次の話を聞きたがった。戦後間もない頃に山に来た植物学者・若原武に依頼されて見つけたシコタンハコベの群生地の話、R大の八幡博士の仕事を請け負って鼠からシラミを取って送っていた話、T大の住原教授と一緒に山を歩いてエゾクイムシという鳥の巣を世界で初めて見つけた話。それは、徳次が敬愛する数少ない優れた人物との思い出であり、徳次が生きていく上での心の支えとも言えるものだった。徳次は、そうした人物たちと重宗を重ねていた。
 しかし、今回重宗は元気がなかった。以前は一緒に来ていた4,5人の仲間たちも、今年に入ってからは来ていなかったし、何よりいつも重宗と一緒にいた千田成子という女性がいなかった。重宗に聞くと、成子近々結婚する予定だという。
 徳次たちが涸沢に着いた翌日、その成子が登ってきた。徳次は我がことのように嬉しくなった。翌日、天候悪化の兆しが見え始める中、重宗の希望により、徳次は重宗と成子を案内し、穂高の稜線まで登った。
感 想 等
( 評価 : C)
 井上靖は意外にも山が関わる作品をいくつか書いている。本作は「氷壁」の2年後に発表されているので、「氷壁」の取材山行の中で着想を得た作品かもしれない。主人公は、どちらかといえば偏屈な、徳次という歩荷。感情描写を抑えつつ描かれる徳次の人間像。独特の余韻を残す作品だが印象は私小説に近く(内容はまったく違うが)、今時は流行らないかもしれない。
山  度
( 山度 : 90% )
 上高地から徳澤、横尾、涸沢が舞台となっているが、山の描写よりも人物描写の方が印象が強い。

 
 
作 品 名
「星と祭」 (井上 靖、1972年)
あらすじ
 東京で小さいながらも事業を営む架山は、知り合いの登山家岩代からヒマラヤの満月を見に行こうと誘われて心惹かれるものがあった。亡き娘・みはるの供養にもなると思った。
 みはるは前妻・貞代との間に産まれた子で、離婚の際、貞代がみはるを引き取り一緒に暮らしていた。架山自身再婚して、光子という子をもうけていたこともあり、みはると会う機会はほとんどなかったが、時折みはるの方から架山を訪ねて来てくれ、架山はその逢う瀬がとても楽しかった。そのみはるが、17歳の時に21歳の男性と2人で琵琶湖にボートで出て、突風にあおられて転覆死したのだった。懸命の捜索にも係らずみはるの遺体は見つからなかった。その後長いこと架山はみはるが死んだという事実を認めることができず、心の中でみはるとの対話を繰り返した。
 一方架山は、転覆したボートに一緒に乗っていた青年の父・大三浦に連れられて、琵琶湖畔に多くあるという十一面観音像を見て回り、そこにみはるの面影を見出し、魅せられていった。
 ヒマラヤ旅行の日となった。なんとか日程をやりくりして参加した架山は、長いキャラバンの末にタンボチェに到着し観月。その静けさの中で「永劫」という思いを強くした。ヒマラヤから帰って架山は変わった。死んでから8年が経つみはるへの思いも断ち切る決心をし、大三浦とともに琵琶湖の満月を見ながら、2人だけの葬儀を行ったのだった。
感 想 等
( 評価 : C )
 近しい者を失った時に、どのようにすればその悲しみを癒すことができるのか。全てを時が解決してくれるのを待つしかないのか。「死」でも「生」でもない「もがり」という考え方、宇宙のどこかに地球と同じ星がありそこに自分そっくりの人間がいると言う考え方、あらゆる苦しみを引き受けてくれるという観音様。そうした様々な思い、気持ちの移り変わりが、井上靖独特の人間模様の中に描き込まれており、人の悲しみの深さ、死の重みについて考えさせられる。
山  度
( 山度 : 20% )
 登山ではないが、後半、ヒマラヤ観月旅行で、タンボチェまでのキャラバンシーンなどが出てくる。今のようなトレッキングツアーなどなかったであろう当時のキャラバンという位置付けを思うと、たぶんスゴイことなのだろうと思う。後半部分の山度は比較的高い。